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2021.03.23
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カテゴリ: Love 和歌山
​​​​​
飛び地というのを知っていますか。
Wikiによると ​、
「飛び地とは、一つの国の領土や行政区画、町会等の内、
 地理的に分離している一部分」とある。

​​ ​今日、ご紹介する​ 北山村 ​は、
日本で唯一の市町村単位で都道府県を跨ぐ飛び地である。 ​​​

上記にリンクを張った和歌山県の広報課のHPを見ると、
北山村には4つのオンリーワンがあるそうだ。

それは、『飛び地』、『村ぶろ』、『じゃばら』、『筏下り』である。
それぞれ詳しくは、上記HPを見て下さい。
ここでは、
どうして飛び地になったのかだけ説明すると、

北山村は、
数百年にわたって林業が盛んだった。
筏流しで木材を河口まで運んでいたため、
その集積地である和歌山県新宮市とは強い結びつきがあった。

そのため
明治時代の廃藩置県の際、
村民は和歌山県に加わることを強く望み、
和歌山県の飛び地となったそうだ。

​下図は上記のHPにある地図に一部加筆したものである。

地図の一番南側に新宮市があり、
熊野速玉大社が熊野川の河口にある。
その上流に遡ると、熊野本宮大社がある。
熊野川の途中から北へ向かう支流が北山川。

北山村はこの北山川のほぼ北側にある。
林業が盛んで、かつては北山川から熊野川を経て、
河口の新宮市まで木材が筏で運ばれていたということだ。
何度か話題にした紀州鉱山はほぼ中央にあり、川の南側だ。

おしい、
三重県に紀州鉱山がある。
ついでなので、もう少し三重県の紹介をするとしよう。
その前に、熊野古道についてのおさらい。

下図は、​ 新宮市観光協会のHP ​の図に一部加筆したのもである


紀伊半島の両サイドの海岸に沿って、東側が伊勢路。西側が紀伊路である。
伊勢路は花窟神社(はなのくつじんじゃ)で、山側に入り、
産田神社、丸山千枚田、紀州鉱山を経て少し南下し、
熊野川を越えて熊野本宮神社に至る。

一方の紀伊路は、田辺から山側に入る中辺路と、海側を回る大辺路に分かれる。
中辺路は熊野古道の観光地として有名だ。
花山(かざん)法皇もこの道を通ったようだ。


大辺路で那智湾までいくと那智川の河口に補陀落山寺がある。
ここから川に沿って遡っていくと那智の滝と熊野那智本宮がある。
そこを経て、熊野本宮大社までの道は
『大取雲越』、『小取雲越』と呼ばれている。

後は、吉野から山の尾根伝いに南下してくる大峯奥駆道と

高野山から、どちらかと言うと、谷間伝いに南下してくる小辺路。
熊野川を舟で行き来する、川の熊野古道がある。
(川の熊野古道は下りだけかもしれない)


それで、三重県の紹介だが、

**いつもの妄想が始まるので先に宣言しておく**

伊勢路は伊勢から海沿いを南下してくる道だ。
中央構造線の通る伊勢には辰砂が採れた。

辰砂は名張に集められ、名張川、木津川を下り
琵琶湖を経て日本海に出、
海沿いを出雲、九州北部へ運ばれたようだ。
施朱の風習や大陸との交易品に使われていた。

熊野地域の鉱山発見に出雲がいち早く関わっていたとしたら、
伊勢路が一番初めに開通したと思われる。
熊野本宮大社の創設は、
崇神天皇の御世とされている。

伊勢路の海岸線から山手に折れ曲がるところにある​ 花窟神社 ​は
伊邪那岐とともに、日本の島々や天照大神、ツキヨミ、スサノウの
三尊神を生んだ伊邪那美を葬った場所である。
古来、神殿がなく、熊野灘に面した巨巌がご神体である。

   ​ ストリートビュー ​で参詣して見ましょう。
   石の鳥居をくぐって進んでください。
   建物の中を通り抜けると、大きな巌の前に出ます。
   玉砂利の前がご神体です。



   上記のストリートビューをもう一度見て下さい。
   鳥居をくぐらず、後ろを見ていただくと、
   道を隔てて、コーンの間に建っている道しるべです。
   『右、くまのさん じゅんれい道』とあります。

伊邪那美の死因は最後に火の神『カグツチ』を生んだことによる。
子供を産むことで火傷をおい、それで死んでしまう。
夫の伊邪那岐は大いに悲しみ、怒りで『カグツチ』を切り殺してしまう。
花窟神社のそばにある産田神社は
『カグツチ』が生まれた所とされている。

   産田神社の入口も
   ​ ストリートビュー ​で見ておきましょう。
   左に『産田神社』と石碑があり、右側には
   「さんま寿司発祥の地」とあります。

   熊野灘まで南下してきたさんまは疲れ果てげっそりしていて、
   身に油がなく、寿司には良いそうです。
   さんま寿司と和歌山ラーメンの組み合わせは最高です。
   でも、この神社の近くには売っていませんでした。

その 産田神社の創建は熊野本宮大社と同じく
崇神天皇の御世よ言われており、
対をなす花窟神社も同じく 崇神天皇の御世と
考えられるのではないだろうか。

このような伝承を知らずに見に行くと、
とても静観で小さな神社なので見過ごしてしまいがちだが、
歴史的には重要な神社だと思える。
三重県もそう見ているから、近くに歴史民俗資料館を建てたのだろう。

つづく。


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最終更新日  2021.03.25 14:42:18
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