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今朝は5時半に起きてテレビで黙祷の様子を見ていました。一年で一番神妙になる日です。12年も経つのに、忘れられないものですね。年寄りになっても変わらないのかな?実は、神戸ではなく、金沢にいました。仕事(大工)が忙しく、風呂に入らずに作業服のまま寝ていました。そのころ、7時を過ぎないと目が覚めない私でも5:46の揺れは目を覚ましました。震度3ではありましたが、怖かったです。その日 現場に行く途中で後ろの車に追突されて、病院の待合室のテレビで燃え盛る神戸を見ていました。食料の支給・引越し支援様々なボランティアが金沢からも向かっていました。「自分が必要になるのは大工工事ができるようになってからだ。それまでは稼いでおこう」そう思って、時期が来るのを待っていました。結局最初に被災地に入ったのは3月になってからでした。西宮ではまだ、屋根という屋根はブルーシートという奇妙な光景でした。東灘のよくテレビで放映されていた小学校のあたりはまだ水道が止まっていました。「平屋のアパート?」と思いながらよく見ると、崩れて2階が目の高さにあったのでした。三宮センター街のど真ん中にショベルカーが居座っていました。2度目に入ったのはもうGWになってからでした。あのときの長田区の焼け野原は一番衝撃を受けました。おそらくわたしが昨日まで入院していたあたりだと思うのですが・・。今は当時の面影は見ることができないくらい復興しているので正確な場所はわからないのですが・・。そういえばわたしが入院していた病院も半壊してたんだっけ・・。僕にとっての震災はあくまで外から見た風景でしかありません。それでも、心の奥深くに重いものを残していきました。「もっと早くから、ボランティアしていればよかった・・・」よく後悔します。この「ラジオ関西」の報道の記録は是非読んでいただきたいです。http://www.digicafe.jp/profile_u/9546738.html そんなわたしを神戸の町が助けてくれました。今の仕事と出会うきっかけになったNPOです。神戸西助け合いネットワーク
2007.01.17
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突然だったのですが、主治医とばったり会った時に 「退院できるけど、いつにする?」 なぁんて感じで あっという間の退院でした。 でも、IgA腎症は油断すると 2年ほどで透析しなければならなくなる人もいるので、油断大敵のようです。 幸い 大した食事制限もなく生きていけそうです。 毎朝 10錠ほどの服薬をしていれば・・。 栄養士さんからの指導を受けてるときに ここ2年で太ってメタボリックになってる話をしていて、 「この食生活でどうして太るんでしょうねぇ??」と 首をかしげておられました。 結構野菜好き&呑むときは炭水化物摂らない ので、結局牛乳を1リットル/1日飲んでいたことかなぁ・・ と 答えの出ないままデブの原因はわかりませんでした。・・
2007.01.16
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もうすっかり社会問題になった幼児虐待を真正面から捉えた映画。なんと3年前から構想され、各地の児童相談所や施設を足で取材して作られた映画。是非見たい。「誰も知らない」以来、僕を愕然とさせてくれる映画だろう。大阪にプロモーションに来られて語られたこと。「この問題に答えは無い・・・」でも大事なのは「引き離す勇気」ある程度儒教の色のある日本で 親から離れることが自分を守る術だというのはなかなか受け入れられにくいと思う。親から なにがしかの トラウマを受けてきた人にとって「ご両親のところへは里帰りした?」「親を大事にせにゃ」ということばほど 残酷なものは無い・この映画を通して、その 親から離れざるを得ない人たちのことが理解されればと思う。奥田英二さんには スタッフには 心から感謝したい
2007.01.15
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