2012年10月16日
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私の大好きな作家、白石一文


トップアスリートやムービースター、
それからネットカフェ難民を例にあげ
「たかだか20数年で所得に何百倍も差がついてしまうなんて馬鹿馬鹿しい」という
世界を見渡せば、一日100円で助かる命が、貧しさゆえに失われている毎日。一方で30分で一千万円以上のギャラを貰うスターがいる。
おかしいと思わないか?
主人公が人生にも体(セックス)にも翻弄されつつも、政治経済を切って行く。言葉が、胸を深く深く矢のごとく突いてくる。やはり大好きな作家だ。ぜひ。


今日は病院に診断書を書きなおしてくれという飼主が来た。
診断書をもって病気の原因となった商品にクレームをつけて、商品を買ったお店に診察代を出させようという魂胆だ。

「商品をこれこれこういう風に使用をしたら、具合が悪くなった」という診断書を「商品を使用したら、具合が悪くなった」と書き換えよというのである。嘘ではないが決して本当でもないだろう。

そもそも、そんな飼主の言うことはどこまで信用していいか解らない。
動物の具合が悪いのは確かだが、こちらとしても飼主が「それ」を使いその後から具合が悪くなったというから、「それ」が原因の可能性が高いという結論に至った。本当にその商品を使用したのか、はたまたまったく違う何かで具合を悪くさせたのか、こうなると何も信用できない。検査や症状から診断治療はできても、「原因」となると飼主の話によるところが大きい。今回のケースもそうだ。
お金がないのだ、と思う。自分で払わないようにするためなら誰かを貶めてでも、どこかから騙し取ろうとする。そういう飼主は決まって「お金のかかることは嫌、面倒がかかるのも嫌、でもどうにかしてほしい」といってくる。治療を勧めると「可愛そう」という大義名分で無治療を押し通す。それじゃあ家でしっかり診てくれというと「忙しくてそんなこと出来ない」という。つまり、自分は金も出さなけりゃ何もしないけど、先生なんとかしてということだ。弱みを見せればつけこんで、予防摂取からトリミングから送り迎えまで何から何まで要求してくる。つまりつまり、それがお金がないということなのだ。金がないと何もかも、余裕も動物にかけられる時間も私達獣医に対する世間体さえ無くなるのだ。
若い同僚が「そういう飼主は動物を飼わなければいいんだ」「大嫌いだ」と言っていた。私は深く、頷く。
でも、本当はどうなんだろう。あの飼主だってお金さえあれば、きちんと本当のことを話し、治療を受けさせるんじゃないだろうか。そしてそれはそれは可愛がってやるんじゃないだろうか。
金持ちも貧乏人も、動物を愛おしむ心は同じはず。金や時間が足りない、それはしかたないことで、憎むべきは飼主ではなく貧困じゃないか?そしてその犠牲になる動物を救えるのはもはや飼主ではない。

望みどおりの診断書を書いてやったら、飼主は「先生ありがとう」といってにこやかに帰って行った。しかしそういう飼主はいつ、私達にも金銭の要求をしてくるか知れない。


貧乏人は、働けど働けど貧乏だ。金持ちは貧乏人より何倍も何百倍も努力をしているのか。私は資格をもち、面接に行った病院すべてに内定がでたし、おそらく世間が思っているほどではないけれど、それなりに給料も貰っている。でも、こんな恩恵にあずかれるほどの「過去」があったわけじゃない。辛い時期というのは、自分の人生においてであって獣医という地位を得るためではなかった。

だから、私は無責任で金のないリスキーな飼主の動物だって、やはり救ってやらなければいけないんじゃないかと思う。格差社会には助け合いが絶対に必要で、どんな憎い相手にも冷静に対処し、弱者を犠牲にしてはいけない。


注:病院での話は脚色してあり、現実とは変えてあります。





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最終更新日  2012年10月16日 22時14分55秒
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yaya@ Re[1]:心(08/29) noahさん いや、表現しなければ 世の中に…

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