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般若心経といえば、
中身を知らなくても、仏教のお経だということくらいは
おそらく誰もが知っていることでしょう。
このお経の正式名称は「仏説魔訶般若波羅密多心経(ぶっせつまかはんにゃはらみたしんぎょう)」と言います。
向こう岸にわたるための、仏の大きな知恵を説いた教え、という意味。
仏さまの知恵によって、こちら側の世界(欲望の世界)からあちら側の世界(悟りの世界)へと渡るための、教えの真髄を説いています。
このお経が凄いのは、智慧のエッセンスがたった262文字に凝縮されているところです。
お経はもともと、インドのローカル言語であるサンスクリット語かパーリ語で書かれているため、中国語に漢訳されたものが、日本に入ってきています。
この漢訳をしたのが、中国人の僧侶であり、いわば翻訳者です。
その偉大な翻訳者の一人が「西遊記」で有名な、玄奘法師三蔵です。
般若心経にはほかに、やはり有名な翻訳者である鳩魔羅什によって訳されたものがありますが、日本で普及しているのは、玄奘訳です。
般若心経 玄奘訳
観自在菩薩 かんじざいぼさつ
行深般若波羅密多時 ぎょうじんはんにゃはらみったじ
照見五蘊皆空 しょうけんごうんかいくう
度一切苦厄 どいっさいくやく
観音さまが仏の智慧を完成させて
彼岸にわたる修行をされたとき
肉体も心もすべては「空」であることを見極め
一切の苦を克服していた。
「空くう」とは、無常ともいえるもので、常に移り変わっているので、確かな実態がある訳ではなく、夢まぼろしのようなもの、ということ。
あるようでない、見えてはいるけど、実際には実体がない。
確かにそこにあるように、思いこんでいるもの、でも実際はそうではない。
あるようでないものに捕らわれ、執着しているから「生きることは苦しい」のであって、すべては空であると知ってしまうと、そこには何の苦しみもなくなる。
この真実を知った時こそ、悟りの完成であり、あちら側に渡る準備がととのった、ということになります。
もともと楽天的で、前向きな私ですが、このごろため息まじりに思うのです。
たしかに、人生は苦しみに満ちている、と。
それは何故か!
それは、やはり人間は煩悩の塊だからです。
煩悩、すなわち、欲望のこと。
この欲望が次から次へとやってきて、私たちを駆り立て、責め続けるのです。
欲望を捨て去ることは本当に難しい。
どこにも確かな実態などない、「すべては空である」と悟るのは、やはり絶対に難しいことです。「欲望のかけらもない自分になりたい」と思うことも、すでに欲ですから!
ですが、「迷いの只中にこそ、悟りはある」と言います。
「悟ったと思った瞬間から迷いは始まる」とも言われています。
つかみどころのない「空」を捜し求めて、迷い続け、いつかメーテルリンクの童話「青い鳥」のような結末を迎えるといいのですが。
ある禅師は漢詩に書いています。
空とは、空中に吊り下げられ、気ままな風にゆられている風鈴のようなものだと。そして、
ちりりん ちりりん ちりりんりん と鳴り続けているのだと。
時折、この音が聞こえたような錯覚に瞬間とらわれることもあるのですが、それも幻かもしれませんね。
実体のない音を手で掴むため、今日も苦しみの世を生きるしかなさそうです。
合掌
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