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般若心経がどれほど日本でポピュラーかといえば
その証拠の一つが「絵説般若心経」が日本の各地に残されていることからわかります。
江戸時代、文字が読めなくても般若心経が唱えられるようにと
音に絵をあわせたものが、そうです。
たとえば、はんにゃの文字には、般若の面の絵をかき
た、という音には田んぼの絵をかき、
はら、には、お腹の絵をかき、というように。
これが、なかなか楽しいです。遊び心満載です。
日光東照宮には、復元したものがお土産で売っていますから
機会があれば、購入してみてくださいね!
般若心経 続き
舎利子 しゃりし
色不異空 空不異色 しきふいくう くうふいしき
色即是空 空即是色 しきそくぜくう くうそくぜしき
受想行識 亦復如是 じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ
舎利子 しゃりし
是諸法空相 ぜしょほうくうそう
不生不滅 不垢不浄 不増不減 ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん
サーリプッタよ
物質には実体がない 実体がないからこそ、物質として認識できる
物質とは「空」であり、「空」は物質として現れる
同じように、精神作用のすべてが「空」である
サーリプッタよ
すべての存在が「空」という「すがた」をしている
たとえいろいろな姿に見えたとしても、実は生じていなければ、消えたりもしていない
汚くもなければ、清らかでもない 増えたり、減ったりもしていない
サーりプッタとは、釈迦の十大弟子の一人で、釈迦の行脚に同行し、釈迦の説法をもっとも多く聞いたと言われています。
この部分をもっと簡単に言ってしまうと、
物質も精神も「空」である。すなわちどこにも実体がない。
肉体と言う物質も空ならば、心も意識も感覚も思考も、すべて空であるというのです。
物質が空である証拠は簡単に示すことができます。
たとえば、眼の前にパソコンが置いてあったとしても、目を閉じればパソコンは消えます。
つまり肉眼で確かめなければ見えないものなど、空なのです。
心とは、もともと肉眼で見えないものです。
ところが、皆、心の動きや感情に日々惑わされています。
見えないけれども、肉体よりも強烈な存在感があります。
感情は感じるし、心は確かに動かされるし、何かをありありとイメージすることもできるのだから、精神作用は見えなくても、ありそうな感じがします。
でも、釈迦は、そのすべてが空であるというのです。
実体のないものに、惑わされるな、と説きます。
しかし、人間とは悲しい生き物です。
この、実体のないものに、突き動かされ、執着し、煩悩を膨らませていきます。
毎朝、この般若心経を唱えるのが習慣ですが、ほぼ暗記しているといえども、そのエッセンスはなかなか身に付かず、今日もまた実体のないものに、追いかけられ、逃げ回っている気分です。
「空」を悟るのは、修行です!
合掌
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