HANNAのファンタジー気分

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March 17, 2026
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テーマ: 中国旅行記(223)
第18回は旅の5日め、1986年1月4日(土)フランス租界のつづきです。 『南京路に花吹雪』 ( 森川久美 )を、当時私たちが呼んでいたように 『南京ロード』 と表記しています。記述や画像は当時の私たちの記憶であり、何かの正確な記録や証拠ではありません。

淮海路 をしばらく歩いた私たちは、南へ曲がり、 ゼスフィールド公園 * と信じた 復興公園 へ向かった。旧 フランス租界 内で池や噴水ある広い公園だったのでそう推測したのである。
 左写真は途中で撮った赤煉瓦の建物二つ。どちらかを、Nは 共産党第一回全国代表大会 の行われた建物だと言ったが、違うような気がする。この年の夏、私たちはツアーできちんと共産党大会の址を見学したが、灰色が基調の建物だった。


*ゼスフィールド公園  実はずっと西の中山公園。 『南京ロード』 の昭和初め頃はかなり郊外だったろう。

右写真は、復興公園の東、 重慶南路 ぞいにあった、上海市 廬湾区 の人民政府、共産党人民委員会、中央区全人代常務委員会、人民解放軍の廬湾区人民武?部と看板にあり、要するに官公庁。奥はいい感じの洋館らしい。なお廬湾区は2011年に黄甫区に吸収合併された。

復興公園 * 内を歩き回る。木々は冬枯れで人も少なく残念な感じだったが、天気は良く、広々として水辺もあり気持ちが良かった。左写真の小道と水路は修理中なのか、石が積み上げてあったりする。
 右下写真は南西奥にある池。噴水口があるが冬場のためか水は出ていなかった。池の西の木立の奥に、建物やあずまやが見えた。 孫文 の住んだ家があるという。


*復興公園  1909年フランス人が造り、フランス公園と呼ばれた。公園内の看板によると、もともと芸術家の建物があったが入場料をとって公園を拡張し、フランス人高官のみ入場できるようにした。1928年になって一般にも開放し、戦争中には大興公園、そして解放後に復興公園と名が変わった。2008年に改修され、現在の公園はにぎわっていて設備も充実しているようだ。

左写真は公園の北西奥で、赤屋根の家並みと木々が美しくて撮ったが、中央右の木立の下に、1983年につくられた マルクス・エンゲルスの石像 がある。この像は現在でもあるそうだ。

 さて、公園を出ると 復興中路 を西へ少し進んでから曲がり、 茂名南路 を北上する。すすけた赤い煉瓦づくりの洋館。家々にはしゃれた煙突と、鎧戸つきの窓のある屋根裏部屋が見える。古い木戸をあけて帰ってゆくマルセル(右下画像、模写です)が、狭い玄関口で待っていた黄(ワン)に出会いそうな、プラタナスの並木道である。
 右上写真は、復興中路と茂名南路のT字路だったか、お巡りさんが自転車に乗っている。手前の手すりには簡体字で「計画生育」つまり家族計画と書いてある。1979年から行われている一人っ子政策のスローガンである。この政策は2014年まで続いた。
 左写真もたぶん茂名南路。煙突のある古い洋館を撮ったのだが、木でよく見えない(この辺りは現在ではショッピング街だそうだ)。歩道にはバス停、ゴミ箱。ちらほらと行き交う自転車や人。外灘(バンド)のにぎわいや威圧するようなビル群に比べ、なんと静かで時の流れをゆっくりとかみしめていることだろうか。


黒い髪の/私のチャイナボーイ/不思議な人… (『南京ロード』4巻)

錦江飯店へつづく





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Last updated  March 17, 2026 06:55:46 PMコメント(0) | コメントを書く


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