HANNAのファンタジー気分

HANNAのファンタジー気分

August 4, 2026
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テーマ: 中国旅行記(222)
カテゴリ: カテゴリ未分類
第12回は 蘭州 、1986年7月29日(火)午後です。記述や画像は当時の私たちの記憶であり、何かの正確な記録や証拠ではありません。

蘭州の市街地は空港の南東方向、大自然のなかバスで1時間半もかかる。左写真は車窓から撮ったもの、雨のため暗い。収穫され干されているのは陸稲(おかぼ)だそう。右写真も車窓から、激しい浸食でむき出しの黄土地帯。
 街の西端で 黄河 を渡り、午後5時ごろまず 甘粛省博物館 へ行く。巨大な ナウマン象 *
がいる(左写真。唯一撮影OKだったが、写真からはみ出してしまうほど大きい)。

*ナウマン象  頭が帽子をかぶったみたいに出っぱっているのが特徴。日本のナウマン象と同種かどうかはわからないのだそうだ。

ほかは、 黄河文明 ゆかりの地とて、仰韶(ヤンシャオ)文化から春秋~漢~と彩陶、木簡、土器、骨角器など山のように展示してあるのだが、受験でつめこんだ中国史の知識はもはや欠落/混乱が激しくほとんど訳が分からない。勉強し直してくりゃよかったとつくづく思う。
 けれど、かかげてある年表で、清王朝が1644~1840年となっているのは、はなはだ疑問である。東洋史の王者Nが「1840年といえばアヘン戦争だ」と意味深い発言。本国では清王朝はアヘン戦争で終わりとみなされるらしい。

 市街地に入り、 白塔山公園 前まで行く。公園の手前にかかる 中山橋 * は、トラックなど通るたびにかすかに揺れながら黄河の上をまたいでいる。細かな雨が降ってあたりは薄暗いのだが、人々は大勢行き来していた。右写真の赤い横断幕には「シルクロードを通って友情が広がり、兄弟の絆が深まる!」(グーグル翻訳)とある(写真にはツアーメンバーも写っている)。


*中山橋  1909年黄河に初めて架けられたドイツ製の鉄橋。黄河鉄橋、第一橋とも。中山とは 孫文 の名。現在は歩行者のみ通行できる。

黄河は名の通り黄土色に濁った水をたたえ、曇り空をバックに結構せわしく流れている。この辺では川幅も狭く、“大黄河~~!”という感じはあまりしない。対岸に小さな 回族 (中国のイスラム教徒)の モスク* が見えた(右写真左端)。この旅で初めて見るモスクである。おとぎの国の宮殿のような濃い緑色と屋根の形が面白いので、橋の上から写真に撮る(左写真)。

*モスク この寺院は現在は地図に見当たらず、付近に現代風な白い建物「蘭州 水上清真寺 」があるのみ(清真寺とは、中国語でイスラム寺院のこと)。検索すると、水上清真寺は2004年に全く新しい外観のものに建て替えられた、とある。近年、中国在住イスラム教徒の作った古いモスクを、当局がどんどん建て替えているそうで、以前のモスクのことは調べることができない。

橋からは、黄河の曲がる辺りの岸の端に、もう一つモスクがあるのを見つけた(これも現在地図を探しても見当たらない)。平らな風景の彼方に近代的なビルが一つか二つ、煙を吐いている工場?も小さく見える。蘭州は石油化学工業が盛んなので、製油所かもしれない。
 橋を渡るとすぐ、 白塔山公園 の入り口がある。白塔山は小高く、公園も広いので見物する暇がなかった。入り口近くはどうも例によって修理中のようである(右写真)。上方に小さく見えるのが 白塔 * である。ふもとの道には、日本では当時でももう見られない、天秤棒をかついだ人(白い帽子だから回族だろうか)も写っている。


*白塔  元代にチンギスハンのもとへ赴く途中で没したチベット人の僧を弔うため作られ、明代に修復された。

白塔山公園前の道ぞいに、回族の自由市場があった。写真左で、まるごと吊るして売られているのは羊。その向こうはスイカばかり売っている。右写真は市場と反対側の景色で、右手は白塔山公園、正面は例の濃緑のモスク。横断幕の字は「交通の改善、七つの建設を促進」(?)。

 蘭州にはイスラム教徒が多く、白い帽子をかぶっているのが回族だそうだ。他にも、遠い昔(唐代)、西からやってきて住み着いたさまざまな民族がいるという。なるほどテレビで見るペルシャかトルコのような顔の人もいる。子供たちの中には目の青い子も。写真を撮ろうとするが例の通りシャッターがおかしいのでうまくいかない。おまけに雨に降られてすっかり寒気がするので、ようやくホテルへ向かうのは嬉しかった。

 豪華な 金城賓館 に入ってほっとする。ロビーは広くて池などもあり、西洋風の豪華なホテルである。夕食後、NとMは売店を見に行くが、私は部屋で洗濯にいそしむ。途中、日本人観光客のどこかのおじいさん二人が部屋を間違えて入ってきたりした。私は疲れて、魔女おばさんとの相部屋へ行って早々に寝ることにした。
 ところで、この頃までに私たちは、添乗員「Wのお姉さま」や、他のツアーメンバー9人とも交流するようになった。Wさんは中国語ペラペラのエネルギッシュな女性で、私たちは彼女の妹分のように親しく接してもらった。
 女性はほかに、50代の3人組(魔女おばさん)、文学関係の同好会?の友人どうしで、俳句を詠んだり漢詩を学んだりしているという(たぶん)。ホテルは基本2人部屋なので、私たちは交代でおばさまの一人と相部屋になった。
 男性陣は、年配の「Sのじっちゃん」が旅慣れてフットワークも軽くて気さくでいらした。あとは研修旅行という名目の教師の人が多く、中でもHさんは高校の世界史の先生で、私たちはすっかりなついて色々知識を披露してもらった。Hさんは授業に役立てるため史跡ごとにスライドを買い求めたり、旅の詳細な記録を取っておられたりして、とても先生っぽかった。
 対照的に、史跡や大自然の中を歩き回ってはじーっと独り浸ってらしたのが、学生のように若く見えるTさんで、国語の先生とのこと。イケメン好きなMはすっかりTさんのファンになり、クールにたたずむ姿に注目していたが、添乗員Wさんにかかると、「Tさんたら、遺跡の端でまたゴミになってる」。
 あとは陽気なYさんと、お父さんタイプ?のKさんやUさんがいらしたが、私はそれほど親しくお話していない。
 ところでこの夜、Uさんが添乗員Wさんと何やら険悪になったと、私は魔女おばさんから聞いた。それでMやNとも部屋で話しているとWさんもやって来たりで、なかなか眠れぬ夜となった。長旅ではこういうトラブルもあったりするのだなあ、と思った。


次回、劉家峡ダムから炳霊寺へ日帰りツアー!





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Last updated  August 8, 2026 12:35:17 AM
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