HANNAのファンタジー気分

HANNAのファンタジー気分

September 27, 2026
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テーマ: 中国旅行記(223)
カテゴリ: カテゴリ未分類
第29回は上海、1986年8月8日(金)です。記述や画像は当時の私たちの記憶であり、何かの正確な記録や証拠ではありません。

午後6時になりツアーメンバーは全員集合して、いよいよ 華僑飯店 * で一人100元の超リッチなお食事会の開始。この値段でツアーメンバーと添乗員Wさんの13人が、中国人ガイドのMさんをご招待する。Mさんは全行程付き添って、通訳や解説から荷物のチェックまでマルチに活躍し、私たちの話し相手にもなってくれたのだが、食事時だけはいつも一人離れた席で、簡素な別メニューをひっそり食べていた。私たちの食事も特に上等ではなかった(旅行代金を考えれば当然)にもかかわらず。そこで、Mさんも一緒に食卓を囲もうとの趣旨で、この食事会が開催された。

*華僑飯店  旧華安大廈。1926年、保険会社の本社として建てられたが、戦時中に香港の華僑の手に渡り金門(大)飯店となり、解放後の1958年に華僑飯店に。この旅の少しあと1990年に金門飯店の名に戻っている。

男女交互に豪華な円卓の席につき、 浙江料理 (今では 福建料理 というようだ)をいただく。私たちの食べたメニューは、かの 田中角栄 も食べたとか食べないとか。
 前菜のメインは、大皿に野菜やハムでクジャク(あるいは鳳凰?)や草花の形を作ってある。他に前菜だけで何品もある(左写真)。
 さらに、次々に出てくる、巨大なエビや鴨肉、やわらかいお魚。葡萄の房や葉っぱをかたどって盛りつけてあるものも。
 「 仏跳牆 (ぶっちょうしょう)」という壺に入ったおでんみたいな、浙江ならではの珍味も出た。酒瓶と同じくらいの背丈の壺は、白くて彫刻も上品(写真は光ってしまって失敗)。これは伝説によると昔、金持ちの家が残飯をカメにに入れて捨てたのを、拾った人がいて、カメの中で料理が発酵して美味になり、匂いに惹かれて仏様まで寺の塀を越えてやってきた、という。
 それを聞いて、私たち3人はこの料理を、「仏もぶっとぶブットショウ!」と呼んだ。味わってみると、あっさりとしていて中華というより和食のような、まろやかなおいしさだった。
 お酒はビール、 紹興酒 、それに 茅台(マオタイ)酒 (このお酒が田中角栄に紹介されたのが有名だそうだ)。これは50度ぐらいある透明な火酒で、私はビールは控えておいて、カクテルグラス半分ほど飲む。
 デザートに大きなピンクのゼリーが出たが、ほかに、スイカに驚いた。今度の旅では砂漠でおいしいスイカをたくさん食べたが、この日食べたのは、大きなスイカ丸々二つを美しく彫刻した籠の形にして、中をくりぬき、そこへ冷たいシロップにつけた小さなボール状のスイカの果肉を詰めてあるというもの(右写真)。見た目がすばらしいだけでなく、たいへんおいしかった。
 食後は、皆でプレゼントを交換したり記念撮影をしたりして楽しんだ。

 その後、添乗員Wさんの”陰謀”で、私たち3人とTさん(Mの推し)・Kさん(Nの推し)とで 和平飯店 のバー* へジャズを聴きに行く。戦前を回顧して、日本人の老バンドマンたちがジャズを生演奏してくれる有名なお店だ(左右写真、バンドマンさんたちはプロなので顔を塗りつぶさずに掲載)。
 店内はほぼ満席で昔ながらに外国人で賑わっている。白人、黒人、東洋人、人種のるつぼだ。Wさんが手慣れた様子で席を確保してくれ、カクテルと赤ワインを飲み、日本語でメモしたスタンダードジャズのナンバーをリクエストしたりして、心ゆくまで楽しむ。


*和平飯店のバー  戦前にやっていたバンドメンバーを1980年に呼び返したとのこと、私たちが訪ねた時は「平均年齢54歳の日本人バンド」と紹介され、パワフルに演奏していた。現在でも オールド・ジャズ・バンド(老年爵士楽団) と呼ばれる70代~90代のジャズマンが現役で、演奏の質は以前ほどではないが、伝説のバンドを訊くために観光客が訪れるのは変わらないそうだ。和平飯店自体は2010年にリニューアルしてフェアモント・ピース・ホテルとなっている。

バーを出た後、夜の南京路や外灘で夜景を楽しむ。夜景といっても灯りが少なくほぼ暗がりのため、写真は前回の旅行同様に失敗してしまった。
 薄暗がりに人々がざわめき歩く南京路やガーデンブリッジは、昼間とは違った賑わいを見せていた。港の向こうには浦東の開発工事現場が低く平たく列をなして灯をともしている(まだ浦東にはビルの一つもなかった頃である)。


 翌9日(土)は9時半にホテルを出発、 上海工業展覧館 * (左写真)内の友誼商店で最後の買い物をして、 浙江飯店 で昼食。正午には港へ向かい、午後2時半発の 鍳真号 に乗りこんだ。曇り空だったが、名残を惜しんで風景写真を撮りまくる。ガーデンブリッジ、上海大廈、ソ連領事館、浦東(右写真)や外灘の遠景・・・(他の写真は、さきの 「40年前の聖地巡礼 上海レトロ旅の記憶21」 あたりに掲載した写真とだぶるので省略)
 さらば、上海、さらば、大陸。船は黄甫江から揚子江へ、東シナ海へ( 行きに見逃したその境目 を今回はしっかり見た)。


*上海工業展覧館  もとは中ソ友好記念会館(1955年竣工)。高い塔のある建築様式もソ連のものだそう。現在は 上海展覧センター というらしい。

船上では(帰りも私たちだけ雑魚寝の船室だったが)ゆっくり休み、ツアーメンバーと別れを惜しんだ。翌10日(日)の午後には鹿児島県の 宇治群島 と 草垣群島 の間を通過、夕方 開聞岳 や 佐田岬 の沖を航行。
 夜の8時半、船内ラウンジで船上お別れ会が開かれる。メモによると私たちは添乗員Wさんにはパールのピアスとレミーマタンの小瓶を、他の方々には灰皿、タオル、小皿、水筒など上海で買い求めたプレゼントをそれぞれ贈った。Mは特別に選んだ小物入れ(なぜかキャベツ形)を推しのTさんに贈った。
 とうとう最後の日(11日)、鍳真号は四国の島影を左手に快晴の海を進み、午後1時前に神戸港へと帰ってきた。
 後日、ツアーメンバーの方々から写真などと一緒にお便りが届いた。いちばん精力的に歩き回っておられたSのじっちゃんからは旅日記を、砂漠で感動の涙を浮かべておられた魔女おばさんたちからは砂漠を詠んだ短歌を、高校世界史を教えるHさんからは細かな旅の記録の他、紀行文が掲載された学校新聞などをいただいた。
 Hさんとは2年後、 奈良シルクロード博覧会 が開かれた折りに3人そろって再会。現在でも年賀状のやりとりを続けていただいている。


ふろく・私たちのシルクロード迷言集
ゲゲーベン・ハッテン :もとはドイツ語の完了形。ちょうど3人とも大学で習っていたものだが、私たちは間投詞として驚いた時に多用した。
フルフル  または  アフルフル :感動のあまりふるえるさま。Mが推しのTさんのかっこいい姿を見た時などに多用した。
大食(タージー) :大食いという意味で私たちが自称したが、もとは中国史の用語で、唐の人がイスラム教徒をさして呼んだ言葉。
桃之夭夭(タオチーヤオヤオ) :感動詞として使っていたが、もとは有名な漢詩のはじめの行を中国語読みするとこうなる。高校の漢詩の先生が中国語の読み方を教えてくれた。
サライ :円卓でみんなで食べる中華料理で、皆が食べ終わる頃、お皿に残った分をもったいないと全部さらって食べる行為。私たちは常に大食ぶりを発揮して、他のツアーメンバーに若いねえ、と言われた。もとは、キプチャク・ハン国の首都の名である。

 これにて完。中国の景色は、今ではずいぶん変わったようだ。街は近代的、いや未来的になり、遺跡や観光地は劇的に整備されているらしい。だからこそ40年前に見た景色を思い出すのに、昔の写真やメモを引っ張り出すのもいいかな、と今年、還暦を迎えて思ったしだいです。





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Last updated  September 29, 2026 10:42:09 PM
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