ひこじいさんのブログ

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2013年10月09日
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吾妻鏡は東鑑とも書き表され、1180年の源頼政の挙兵から1266年の宗尊親王が帰京するまでの80余年間の鎌倉幕府の事跡を、年代順に記載した歴史書である。

文体は、和風漢文体といわれるものでさまざまな伝本がある。

少し興味があって、暇なときの折々に岩波文庫の吾妻鏡を手にするようになった。
この本は、書き下しと注釈つきなので私が読むには都合がよい。

吾妻鏡の第六巻文治二年(1186)三月を読み進めると、列挙された信濃國の地方名中に郷里の名前が多数出てくる。

「小中太光家が文治二年(1186)三月小十二日庚寅に、左典厩一条能保の息子〔頼朝の甥〕の元服式祝いとして、馬三頭、砂金や絹を入れた長持ち二棹を持って行った。

その折、京都朝廷から頼朝が支配している国の年貢が未納の荘園等について糺され、書きだした名簿が到着したので担当の者たちに年貢納付の催促をするようにと命じた。」との記載があり、三か国の荘園の事(下総、信濃、越後の国の未納荘園)の中の信濃の国では、伊賀良庄・伴野庄・郡戸庄・江儀遠山庄・大河原鹿塩の名前が記載されている。

領家は尊勝寺領の伊賀良庄(現.飯田市北方、上殿岡)
※尊勝寺は六勝寺の一つで、堀河天皇(1079~1107)の御願寺として建立されたが南北朝の内乱の兵火で全焼した。


領家は西門院の伴野庄(現:下伊那郡豊丘村神稲)
※西門院は後白河の姉、伴野庄は旧下伊那郡神稲村にあった地名で、現在は河野村と合併して豊丘村神稲となっている。

領家は摂関家の郡戸庄殿下(現:下伊那郡高森町)
※殿下は藤原氏惣領家で近衛基道。

江儀遠山庄(現:下伊那郡阿南町)

大河原鹿塩(現:下伊那郡大鹿村鹿塩)
※大鹿村は、昨年話題になった映画「大鹿村騒動記」の舞台となった。

この中で伴野庄は再度の督促にも関わらずなかなか年貢を納付しなかったと見えて、小笠原次郎長清に厳しく命令して納めさせたことを、頼朝が師中納言吉田經房に伝えたと書かれている。

厳しく年貢を取りたてる支配者に対して、農民のささやかな抵抗のあとを見る思いがする。



江戸時代に木曽日義村の古畑権兵衛が木曽山脈(中央アルプス)に道を切り開き、木曽と伊那を結ぶ重要ルートとして「権兵衛峠」が使われるようになる。

明治末期に作られた伊那節の歌詞に ♪「木曽へ木曽へと つけ出す米は 伊那や高遠の 伊那や高遠の お蔵米(または、余り米とも)」と歌われており、南アルプスと中央アルプスに囲まれ、天竜川の水が豊富な飯伊盆地は段丘に用水が引かれて水田の開発が進み、稲作が盛んで生産量も多く昔から米どころであった。







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最終更新日  2013年10月09日 12時58分12秒


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