ひこじいさんのブログ

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2014年03月20日
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其の記事の一部を抜粋すると、「昨五日東京地方裁判所の検事局から北原隆吉として起訴せられた人は雅号白秋其の人である。起訴されたのは忌むべき姦通罪といふのだ(以下略)」


明治43年9月牛込から青山に転居した北原白秋は、隣家の人妻松下俊子と深い関係になった。

1912年7月(明治45)俊子の夫から姦通罪で告訴され、市ヶ谷未決監に387という番号名で二週間拘留された。

この時既に、銀座のバーの混血女性に入れ上げていた夫長平と俊子とは別居状態にあったのだが、美人の妻と新進気鋭の栄光に輝く白秋との深い愛に嫉妬しての告訴であったと言われ、一説には白秋から何がしかの金銭を取るのが目的であったとされている。白秋28歳、俊子25歳のことであった。

300円の示談金で免訴と同時に放免となった二人は、1913年4月(大正2)離婚した俊子と結婚した。

現在も新聞・テレビなどで、特定個人のバッシングが日常茶飯に行われている。
娯楽とてない時代に気鋭の有名詩人白秋のゴシップは、世間から格好の攻撃対象になったのは想像に難くない。

文壇や世間からは白い目で見られ、友人は離れて行く。青年白秋は悔悟と自責の念に駆られ、何度も自殺を考えたと云う。



「城ケ島の雨」は、ここでの生活を通して生まれた作品である。
しかしこんなに激しく燃え盛った二人の恋は、白秋の両親と俊子との折り合いが悪く1年余りで破綻しあっさり離婚してしまうこととなった。

名声が地に堕ちたこともあって、この頃白秋の生活は窮乏のどん底であったという。

3年後には離婚歴のある江口章子と再婚し、東京都南葛飾に移転した後も各地を転々と移り住む。
大正8年小田原に茅葺きの「木菟の家」を建てた頃から、漸く窮乏生活を脱することができたが翌年には章子と離婚。

大正10年には、佐藤菊子と再々婚。この頃は生活も安定し、子供にも恵まれ、詩作活動も蘇った。


昭和17年11月2日に僅か58歳で人生の幕を閉じた白秋の墓所は、公園墓地として日本で最初に作られた、面積40万坪の広さのある都立多磨霊園にある。

霊園入り口正面の給水塔を府中運転試験場に向かって5分ほどの、10区1種がその場所である。

我が家の墓所も同じ多磨霊園の並びにあるので、墓参の度に前を通る。

昨日はお彼岸の墓参りを済ませた足で、白秋の墓を覗いて見たが今日もまた真新しい花が供えられていた。

『参考』

室生犀星「わが愛する詩人・北原白秋」昭和33年







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最終更新日  2014年03月23日 06時58分13秒


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