ひこじいさんのブログ

ひこじいさんのブログ

2014年09月18日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
IMG_0010 (2).jpg



大正13年に宮内省から東京市に下賜されたことにより、「恩賜」の名称が付いたものである。

寛永寺社殿と霊廟・東照宮・サクラ・噴水・池・博物館・動物園・美術館・コンサートホールなどがあって、文化の香り高い公園となっている。

この広大な公園に、野球場があることは案外知られていない。


野球の普及に、明治の俳人・歌人で随筆家でもある正岡子規が一役買ったことは多くの人に知られている。
子規は、明治時代の初期に日本に紹介されて間もない野球を愛好し、
明治19年~23年頃にかけて上野公園内で野球を楽しんでいたという。

随筆「筆まかせ」には明治21年3月21日午後に、上野公園博物館横空地で試合を行なったことが記されている。

幼名を升(のぼる)と言ったので、ベースボールを日本語にした「野(の)・球(ぼーる)」という号で、野球について俳句・短歌・随筆・小説に書いている。



子規が訳した野球用語の「打者・走者・直球・四球・飛球」などは、現在も使われている。

公園開園130周年記念事業の一環として都は上野恩賜公園野球場の改修を行ったが、子規が療養のために上野不忍の池傍に移り住み、晩年を台東区根岸で過ごした縁で台東区が子規の句碑を野球場に設置した。(平成18年7月21日)

句碑には、「春風や まりを投げたき 草の原」と刻まれている。また、句碑設置に因んで野球場の愛称を、「正岡子規記念球場」と名付けた。

子規はその功績によって平成14年に野球殿堂入りしたが、その顕彰文には「明治17年、東京大学予備門時代にベースボールを知り、野球に熱中したといわれる。22年7月には、郷里の松山にバットとボールを持ち帰り、松山中学の生徒らにベースボールを教えた。23年2月、「筆まかせ」の雅号の項に「野球」が初めて見られ、幼名「升」から(のぼーる)と読ませている。29年には「日本」新聞に連載された「松蘿玉液」の中で野球のルール、用具、方法などについてくわしく解説している。野球を詠んだ短歌、俳句も数多く見られ、新聞や自分の作品の中で紹介し、野球の普及に多大な貢献をした。「久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも」「今やかの三つのベースに人満ちてそヾろに胸の打ち騒ぐかな」」と記されている。


野球人気はサッカーに押され気味のスポーツだが今なお隆盛を極めており、一級河川の河川敷に設えられた球場はどこも早朝から賑わっており、降雨や風の中でも試合が行われている。

子規は博物館の傍らの草地で試合をしたと記しているので、その場所は将に現在の上野公園野球場辺りかと推測できる。

しかしこの野球場が都心の一等地に位置し、訪問した日は平日ではあったが絶好の野球日和にも関わらず閉門されており、ボールを追う人の声は聞こえずただセミの声だけが響いていた。

140年の歴史があってもその野球場の存在が、案外と知られていないのではと思った。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2014年09月18日 09時23分42秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

フリーページ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ひこじいさん

ひこじいさん

カレンダー

お気に入りブログ

まだ登録されていません

コメント新着

ひこじいさん @ Re:今年も大文字草開花の季節(10/19) 春の陽だまり1592 さん 今日は、初めまし…
春の陽だまり1592 @ Re:今年も大文字草開花の季節(10/19) 初めまして ピンクの大文字草、可愛いです…
ひこじいさん @ Re:新しい施設で名称も変わって(11/13) 悠歩さん コメントありがとうございます…
悠々山歩@ Re:新しい施設で名称も変わって(11/13) 私の町に移転して来たのです。この立川基…
ひこじいさん @ Re:公園で独特の臭いが(10/26) 悠歩さんブログへの訪問ありがとうござい…

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: