ひこじいさんのブログ

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2014年12月03日
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丹沢・大山国定公園に属している大山は、伊勢原市・秦野市・厚木市に跨り1,252mの高さがある。しばしば伯耆大山と間違われるが、こちらは「おおやま」と読む。

山頂に阿夫利神社本社が祀られ中腹に下社、さらにその下には大山寺がある。
大山の別名「阿夫利(あふり)山」は「雨降(あふり)山」で、大山および阿夫利神社は雨乞いの神として信仰の対象とされた。その他に阿夫利神社には伯耆大山の天狗とされる大天狗、小天狗の祠があり天狗信仰も盛んであった。

大山は神仏の宿る霊山として、古くから人々の厚い信仰を集めてきた。特に江戸の中期(18世紀後半)以降になると大山御師の活動によって大山講が組織され、相模・武蔵国・駿遠豆・甲信越・房総などから「鉄造の不動明王」に詣でるため「大山参り」が盛んとなっていった。

大山講の名前で宝暦年間から信仰による登山が盛んに行われ、各地から大山への道は「大山道・大山街道」と呼ばれるほどに賑わいを見せた。
大山詣の参詣者は白の行衣・雨具・菅笠・白地の手甲脚絆・着茣蓙(ゴザで作った合羽のようなもの)が装束で腰には鈴をつけ、「六根清浄」を唱えながら一団となって7~9月を中心に大山へと向かった。最盛期には、年間約20万人の参詣者があったと記録されている。

大山への参詣者が各地から通る道は「大山道」と呼ばれ大山を中心に放射状に広がり、関東地方の四方八方の道がほぼ全て大山に通じる状況となった。
さらに山麓一帯には講中を迎えるために、御師が営む宿坊や土産物店が軒を連ねるようになり大いに賑わった。
しかし明治になって鉄道が開通し、次第に「大山道」という呼称が無くなり街道自体も部分的に消滅してしまうこととなった。


大山詣を済ませた講中の信者は南の江の島にも脚をのばし、家内安全・商売繁盛・病気平癒などを祈る者も多く、大山と江の島は東国近郷近在庶民の物見遊山の二大目的地でもあった。

10世紀前期に作成された「延喜式」神名帳にはすでに「阿夫利神社」の名が見られるところから、阿夫利神社の草創は8世紀前半と推察されている。

大山詣では殷賑を極めたが明治元年に神仏分離令が発令されると、全国的に広がった廃仏毀釈運動の煽りを受けて大山寺は取り壊されてしまった。

その跡には新たに阿夫利神社下社が建立されたため、明治18年に女坂の途中に明王院が建立され、大正4年になって観音寺と合併し「雨降山大山寺」に復したものである。雨降山(あぶりさん)大山寺は、通称大山不動と呼ばれ本尊は不動明王である。

周囲を山に囲まれた谷合いに立地しているため、新緑の頃も秋の山々の紅葉も美しい。特に本堂前の急な石段の両脇に植えられたモミジは、深紅に色づいて息をのむ美しさである。

この場所で紅葉は何回も見ているが、今回はかなり強い雨に打たれて散った葉が地面を赤く染めて煙った雨に幽玄な美しさを演出していた。

大山詣りを題に取った古典落語、「大山詣り(百人坊主)」がある。

関東三十六不動札所 第一番霊場である。





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最終更新日  2014年12月03日 16時27分00秒


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