ひこじいさんのブログ

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2015年04月03日
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開基は業海本浄・開山は室町前期の甲斐国・安芸国守護大名であった13代武田信満とされる。
武田家の菩提寺として繁栄したと伝わるが、完全舗装がされた現在でも徒歩でこの寺に行くにはかなり難儀である。
20号線甲斐大和から日川渓谷沿いに、標高差370mほどの7kmの道を登らなくてはならない。
車では、12分ほどで行くことができる。

1416年の上杉禅秀の乱で、武田信満は上杉氏憲側についた。翌年将軍足利義持の命を受けた幕府軍が鎌倉に攻め込み、戦いに敗れた氏憲が自害したことで乱は鎮圧された。
信満は上杉憲宗の追討を受けて敗走したが、遂に甲斐の国木賊村で自害して果てた。木賊山は後に栖雲寺の山号から、天目山の名前で呼ばれるようになった。

木賊山で自害して果てた信満の墓所は栖雲寺にあり、平成29年2月には六百年遠諱(大法要のこと。おんき)を迎える。
武田信満が自害した場所から4.6km下った田野地区は、岩殿城主小山田信茂の裏切りによって武田勝頼が自害した場所で曹洞宗寺院の景徳院があり勝頼の墓所となっている。




天正10年(1582)勝頼の自害後織田方により栖雲寺本堂が焼かれたが、家康が寺領を寄付したことにより元の姿に再建されたという。

武田家の滅亡によって栖雲寺は外護者(在家、俗人などが供養をもって僧尼の修行を扶助し、仏法の弘通を援護する者)を失ったが、江戸時代には鎌倉建長寺末山として特別の待遇を受けていたという。


この寺で見るべきものは、庫裏東側の急斜面に広がる県指定名勝の石庭である。平地の寺の石庭とは全く異なり、多くの巨岩巨石が積み上がった自然の造形となっている。
業海本浄が禅庭として作庭させたものと伝わり、巨岩巨石の間に坐禅石・三尊石・摩利支天堂・磨崖仏などがある。

重機の無かった700年前に巨石を何処からどのようにして運んで、配置し組上げたのか不思議な思いがする。

当時は多くの修行僧が石の上や樹の下で坐禅を組んで修業した、禅庭であったと伝わっている。
業海が庭園上段にある今にも転がり落ちそうな「坐禅石」の上に坐って、弟子の修行の様子を検単(点検)したという。

11月上~中旬には富士山を背景に庭園や見渡す限り一面の紅葉が見られ、もみじ狩りの名所ともなっている。

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入道後の武田信玄は常に水晶の大念珠を身につけていたと伝わっており、戦国絵巻には水晶の数珠と軍配を持った姿が描かれている。

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信玄の菩提寺では無いのに、何故か信玄所蔵との伝承がある水晶の大念珠が栖雲寺宝物殿に伝わっている。

一宮賀茂神社(身延町下山)には信玄が奉納したと伝わる、菩提樹でソロバン玉の形に作り金銀で装飾した総丈1.05m、主珠丈37cmの数珠がある。


信玄が入道となって以降戦さに赴く際にも常に数珠を身に着けていたという逸話からデフォルメされた数珠であろうが、これが実際の大きさだったとしたら身動きが取れずに戦うことは不可能であったに違いない。





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最終更新日  2015年04月03日 08時58分12秒


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