ひこじいさんのブログ

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2018年03月06日
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昨年11月、男女9人が殺害されバラバラにされた陰惨な事件の報道によって座間市の名前が全国に知られるようになったのは皮肉なことでもある。
市名の「座間」は、高座郡の郷名伊参(イサマ)が転じたものとの説がある。(新編相模国風土記)
この座間市に、神社の創祀は神代とも伝わる座間神社がある。
欽明天皇(539~571)の時代に、坐摩郷(座間の古名)に悪疫が流行した。ある夜飯綱権現の化身が白衣の老人の姿で現われ村人に、悪疫封じには崖下の森の中に湧く清水を使うようにと告げたという。
村人がその勧めに従うと悪疫が収まったことから、飯綱権現を祀ったという話が伝わっている。
飯綱権現は飯綱山が御神体の神仏習合で、長野県の飯綱権現社が本社である。

明治になって村社とされる際祭神が日本武尊に改められ、廃仏毀釈により明治九年に「飯綱権現」から郷名の座間神社に改名された。

座間神社は相模川の河岸段丘の上にあり、相模川の流れの向こうに丹沢連峰を望むことができ落陽の景色の眺望が良いことでも知られている。
そのため神社に行くには、車道から77段の幅3mほどの狭い石段を登らなくてはならない。


ライトアップの設備は見えなく提灯がぶら下がっていたので、夜間は提灯に明かりを入れるのかも知れない。

実行委員会主催で多くのボランティアが交代で関わって三月二日から三月四日までの三日間飾られるが、昨年に続き2回目の試みだそうである。

「雛祭り」の起源については、複数の説がある。
平安時代に貴族の子女の間で紙の人形を用いた、「雛遊び」が盛んになったという。
小さな御所風の「屋形」を設えて飾り、子女の人形(ひとがた)遊びとして行われていたとの説が有力である。
当初は子女の「遊び」であったことから、今でも「ひなあそび」と呼ばれることがある。

江戸時代になると「人形遊び」と「節句の儀式」とが結びつき、「上巳」の節句に「災厄よけ」の「守り雛」として祀られるようになりこの風習は全国的に広まっていった。
3月の節句の祓に雛祭りを行うようになったのは、天正年間以降のことだと推測されている。

平安貴族の子女の人形遊びとは異なり、紙で作った人形に穢れ・罪・悪霊を背負ってもらって川に流す「流し雛」といわれる儀式が同じ頃からから行われるようになったとされる。

江戸時代初期には立った形の「立雛」や座った形の「坐り雛」が作られていたが、これらは男女一対の内裏雛だけであった。
しかし、飾り物としての古の形式と、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味合いが強くなり、武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具の家財のひとつに数えられるようにもなった。


次第に華美な人形になっていくと、やがて幕府は華美を禁ずる「御触書宝暦集成」を出して大型で華やかな人形を禁止した。

江戸後期には男雛・女雛に加えて、「有職雛」が作られるようになり幕末ころまでには官女・随身・仕丁などの添え人形が考案された。

三月三日は五節句の一つ「上巳の節句」で、桃の花が咲く頃であることから「桃の節句」ともいわれる。

古代より人形(ひとがた)が身代わりとなって、災厄を引き受けてくれると考えられてきた。
人形(ひとがた)や形代(かたしろ)と呼ぶ草木・紙・藁で作られた人形に、自分の災厄を移して海や川に流した祓いの行事と、平安時代の人形遊び(ひいな遊び)とが結びついて現在の「ひな祭り」の形ができあがった。


ひな祭りは上巳の日に厄を祓って幸せを願う行事であることから草・藁・紙などの人形に災厄や穢れの身代わりとなってもらい、川や海に流して厄を祓って幸せを願う行事である。
その原型は今も一部で行われている「流しびな」の行事に引き継がれ、現代に伝わっている。

「雛」には、小さくてかわいらしいものという意味である。ひな祭りは、古語では「ひいなあそびまたはひなあそび」といった。

昔は嫁入り道具として婚家へ贈る風習があったので、今でも母方の実家から孫娘の誕生に際してひな人形を贈って初節句を祝う。
その娘の災厄を身代わりとなって受けてもらうよう人形を飾って祈願し、健やかな成長と幸せな人生を願うのである。

林柳波のひな祭りの歌詞は、「お内裏様は上の段…」とある。お内裏様とは、男雛・女雛の二体を指していることに疑問は無い。
ところがよく知られたサトーハチロー作詞の「うれしいひなまつり」の二番の歌詞は、「お内裏様とおひな様二人ならんですまし顔…」となっている。

内裏は御所のことで内裏びなは「男びなと女びな」一対を指し、さらにここに住んでいるのは天皇と皇后を意味している。

お雛さまとは、小さい人形の意味である。サトーハチローはおひな様をその語感から、女雛を指していると誤って理解していたものであろう。
作詞の際間違いを犯し、それが現在も残って伝わっているのである。

内裏雛の並びが、関西と関東で異なっていると言われる。
古来より左側上位の思想があり右に男びな、左に女びなを飾っていた。
昭和天皇は皇后と並ぶ場合、諸外国では男が左に並んでいるのを見てそれに倣ったのだという。
このことから昭和初期に関東の人形業界が向かって左に男びな、右に女びなを並べるようになった。
ところが京都など伝統ある地域では、日本古来の並べ方を踏襲しているため並びが異なっているのである。

雛人形はただ単に飾って楽しむだけのものではなく、祖父母や両親・家族の健やかな成長を願う深い気持ちが込められており、上巳の節句には毎年飾られるのである。
しかし雛人形にも、その役目を終える時がやって来る。
誕生の際贈られた雛人形の役目は、一般的に成人あるいは嫁ぐことで終わるとの考え方がある。 
したがって結婚した時が、雛人形を処分する時期とも言われている。

祖父母が心を込めて贈ってくれた雛人形を、ゴミとして処分するのでは心が痛む。
そこで多くの人は、神社へ持ち込んで長年守護してくれたことを感謝し御祈祷してもらってお炊き上げで処分する。

近年は住宅事情などもあって、神社に持ち込まれるひな人形が増えてきたという。
座間神社では従来お炊き上げをして処分してきたが、明治・大正時代の貴重な人形も多くこれらが消滅してしまうのは忍びないとして10年ほど前から神社で保管してきたものが2千体以上になったという。

昨年実行委員会が立ちあがり2~4日の雛祭りの期間に、神社の石段に緋毛氈を敷き詰めて千体を飾ったのだという。

狭い石段は、右側上りの一方通行で下りることはできない。
4日は低気圧の影響で南風が強く暖かくなったのはいいのだが、折角並べた人形が倒れたりコロコロ転がったりとそれを直すボランティアのご婦人方は狭い階段を上ったり下りたりの大忙しであった。

各所で不用のひな人形を集めた展示も行われるがそもそものお雛様の由来を考える時、これらの人形にはかつて持っていた人の「念」が籠っているようで一面怖くも感じる。





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最終更新日  2018年03月07日 07時05分06秒


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