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2024/05/14/火曜日/雨上がる11日土曜日の風光る日世田谷美術館は初めての訪問だ。この美術館は何しろ不便な場所にある。今回の訪問で分かったことだが、一番便利なのは小田急千歳船橋からのバスで、環八を真っ直ぐ南下するのがベストかな、と感じた。バスの本数も多いみたい。私は成城学園前駅からのバスを利用したけど、バス下車からの道のりが複雑過ぎる、つまり農園?農道?で迷うこと甚だし。↑迷い迷い歩いていると、こんな立派に維持されている稲荷神社にも出会う。犬も歩けば棒に当たる。お目当ては、これ。平日午前に関わらず、そこそこ人がいる。2年?3年?前の民藝の100年展を観て、元々好きだった、民俗的手仕事にますます強く惹かれるようになった。以来、沖縄壺屋、日本民藝館、益子の参考館、佐久の平和と手仕事多津衛記念館、京都の河井寛次郎記念館、沖縄キジョカの芭蕉布会館、空振りに終わった芹沢銈介美術館などなど随分巡って来た。幼い頃から手仕事に惹かれていた自分であったけれど、柳宗悦の思想に触れるなどして共感する点も多々あり、こんな先人を東大哲学が送り出した戦前もあったんだなぁ、と感じいった。生き方としては河井寛次郎。まだ訪ねることのできない吉田 璋也にも関心がわく。行きたい所が増えるばかりなのだが、小鹿田焼の里は昔から関心があるが中々行けない。今回の展覧会で生産地ビデオの紹介に小鹿田焼が取り上げられていて嬉しかった。唐杵?というのか水の力を利用して陶土をつく時のあの、古代の生き物の鳴き声が山間にこだまする景色があーあれだ!と心をふるわせる。『皿と紙ひこうき』石井睦美←国産ジュブナイルでは私のベストテン入り←で読んだ文字が現実になって見えたきたのだった。↑今回1925年の民藝展示を再現したコーナー↓当時の画像人の掌の息遣いが感じられる、永遠のモダンそんな手触りが好ましい。↓河井寛次郎による陶器の硯、いい!民藝の100年展に比べるといささかボリュームは下がるが、再現コーナーは随分予算をかけたことと想像された。芹沢銈介コレクションの沖縄の紅型の中でも白眉の一枚が展示されていたが、私が目を奪われたのは岩七輪/これは阿仁銅山で有名な地域なものだろうか。黒い石の面取りや卓上で使用する工夫がよい。蝋石製薬煎/焼き物の釉薬の黒とは明らかに違うマットな黒の存在感が、軽やかな把手デザインでとてもモダン刺子の胴着/稽古を付けてもらえる我が子の腕が磨かれるというより、どうか寒い思い、痛い思いをしませんようにという願いが伝わって来るようで、じんわりする。他にバーナード・リーチが小鹿田焼の窯で焼いた水差し、柳宗悦らの出版物の装丁。これらが素晴らしかった。民藝冊子や出版物でたまに眼にする、ビームスの元バイヤーさんデュオの演出した居間もあったが、あまり感心しない。民族的なデザイン応用のセーターはよかったけど。何だろうなあ、深みと命の躍動、誠実で健康な、そんなカタチが見える、表現が重なる、それを観たい。↑私のお買い物。
2024.05.14
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2024/05/21/火曜日/釧路は小雨時々強い18/土曜日/晴天、風強し、の中を釧路に向かう。羽田発 7:45 釧路行きは満席朝一番のフライトに合わせて4:30起床で長い一日の始まり。釧路空港に降り立つのは初めてこじんまりとしているけれど新しい。今回の旅は知人が釧路でお宿を始め、そこを訪ねて自然やオーガニックな仲間と出会う、が目的参加者3名プラスお宿の当主夫人いきなり午後予定の釧路川カヌーツアーは風速8メートルのため中止に。急遽、行き先を釧路博物館に変更その前に明日のバーベキュー材料を仕入れるべく、釧路駅前の名高い和商市場へ今が旬のトキシラズ←鮭とか、キングサーモン←鱒悩みに悩んで、キングサーモンにしたけれど、やはりこの時期、この地でしか手に入らないトキシラズにすべきと後悔、先に立たず。この市場は一般客や観光客で賑わうけれど、人口減少に苦しみ、市場も経営が厳しいのだとか。バーベキューにはあとイカの一夜干しとまホッケ、カキを購入。このカキに感動するのである。一般には厚岸のカキが有名だが、実は仙鳳趾(せんぽうし)産が質は上とかで七個購入。見ているうちに、他の参加者尻込みする中で、その場で生を一つ頂く。一番小さいサイズですら、ようやく一口で食べられる大きさ。身はぷっくらとして味は濃い中に磯の香り爽やかで甘味がある。うーん、これが食べられるならぜひ来たいと思う人も増えるのでは⁈釧路にオイスターバーはないのかしらん。お昼は釧路ならではのクロレラ入りの鶏ツユ蕎麦を頂く。蕎麦がみどり色、ツユは濃い味付け生姜を添えて温まる。
2024.05.18
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2023/07/19/水曜日/幾分日差しが落ち着く『大人のためのかごバッグと帽子』文化出版局↑中身の充実した ハマナカのエコアンダリアを用いたデザイン集の本。どれもステキなのでお買い得だと思う。中でも 表紙を飾る サイチカ さんのこれ!ステキMAXサイチカさんのショップでキットを買えるのだが、見た時点では三色しか選べない。確かにエコアンダリアの素材にはこの白が必然のように合う。けれど汗ばむ夏には汚れと反射が…と、アーティストではない生活者は考える。結局オカダヤで藁色風の糸を購入した。エコアンダリア初挑戦本では編み方のコツやディテールが今一つ掴めない。糸の特性に慣れてないせいか、ボップル部をキュッと締め過ぎ、貧弱に。゚(゚´ω`゚)゚。サイチカさんは比較的ざっくり編んでいる印象このトライアングルモチーフは面白い。しかし、初編みエコアンダリアの仕上がりは凹むしたがって、また再度挑戦するつもり。今度はキットで試そうかしら色々応用も効きそうで嬉しい。実際に用いた感想。紐部分ボリュームどうかな?と思ってたのだけれど、これはよく考えられていると実感する。バッグの容量から予測される重量を、この複数のストリングスが分散することがちゃんと考察されていたのだなあ。さすが。沢山の荷物を入れたけれど、肩がとても楽なのである。
2023.07.19
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2023/12/23/土曜日/これから世界は明るくなる朝に京都で舞台を観てからすでに30余日が過ぎた。その間未知の3人の女性と会話した。新規の飲食店7軒ほど利用した。決算、納付、歳末新年事務仕事を終えた。週末立て続けに離れた街で暮らす子ども夫婦が泊まりに来た。山小屋の冬仕舞いをして、数冊の本を読み、セーターを仕上げルームシューズを編んだ。初試みの野沢菜漬けはカビを出してしまった。その間にも折に触れレイディマクベスを意識に甦らせた。東京公演の抽選が全て外れた中、自嘲気味に京都公演を申し込んだら一つだけ当選してしまった、という。11月16日の夜の公演京都滞在23時間で、紅葉も見ず。甚だ印象深く忘れ難い公演となった。舞台そのものに加え舞台を観に行く、という行為そのものにおいても。なんといっても、アダム・クーパー に舞台で再会できる喜び。併せて天海祐希が共演という信じられない贅沢な千載一遇。天海祐希さんはアダム・クーパーの大ファンだとか。彼女にとってもこの舞台はドリームカムツルー思い起こせば、昨年2月の雨に唄えばコロナ禍の大規模規制の艱難辛苦を潜り抜けて、満を辞しての華やかな喜びに満ちた舞台、の筈が。スタッフに感染者が出てしばらくお預けの中、泣いていいのか、笑うべきか。私たちは舞台を観た。2年間味わうことができなかったそれを。観客は全員マスク、拍手は立つこともなく、粛々と退席する運びではあったけど、想像もつかないリスクを取って舞台で躍動したアダム・クーパーそして何とまあ、今回は日本語で演じられる舞台に彼が立つというのだ。とてつもないリスクをまたもや。一体どんな舞台になるのか。オファーを受け入れたアダムの勇気をアマミ・ユウキの膨大なセリフが鼓舞する。現実と芝居が撚り合わさり、歴史と時代が撚りあわさる。或いは男性性と女性性、支配と被支配、子どもと大人。肉体と精神、知恵とさかしま、嘘と誠。鳴り止まぬ戦禍の背景だけが太古からの魔女の声のように、人の心の荒野に吠え続ける。一際印象的なレイディとマクベスの腕だけのDNA様のダンス。それが見る者をして過去も未来も、この今という時間の中でねじれねじれて、原作では仄めかされるだけの、存在しない二人の子どもが、娘として立ち現れる。吉川愛母レイディは初め白いパフスリーブの付いた黒いロングドレス。そのパフがいつの間にか取れて、現れる娘の白い、愛らしいワンピース。原作では王の正しき後継をエンパワメントする侯爵マクダフが、弾丸ならぬダンカン王の縁戚で、女性で、レイディの友人役、というねじれねじれた設定の白黒ドレスで現れる。鈴木保奈美原作では逡巡するマクベスを腰抜けと叱咤し、王殺しを遂行させるレイディは、結局その猛々しいパーソナリティを女の肉体が持ち堪えられない生理として表現されているように思うが。舞台のレイディは子どもを出産することで戦場に明け暮れた無敵の肉体が働かなくなり、城=木枠の東屋か鳥籠のような舞台設置の内に留まる暮らしとなっている。そんな彼女はマクベスをそそのかし、ダンカン王を亡き者としてマクベスを王に据える。しかし戦争に明け暮れたマクベスの心はすでに壊れて、王として屹立することができない。歯噛みしながら臣下の不審を取り繕うレイディは、マクベスに弾を撃つ。唯一自分を慰めてくれた父であるマクベスの喪失を前にして、娘はレイディと同じことをレイディに果たしてしまう。始終、鳥籠の外部にいた娘はこの時、鳥籠の内の人に変化する。マクダフはすかさず、転げ落ちている王冠を娘に被せるも、娘はそれを払いのける。マクダフはそれを拾い上げ、再び娘の頭に王冠は座る。と同時に鳥籠の中に更に小さな檻が天井から落ちて彼女は捉えられる。彼女は叫ぶ。どうする!あなたはどうする?そんな問いを残して舞台の幕が降りる。ああ、なんて暗いテーマなんだろう。なんて暗い時代だろう。しかしこの舞台を作り上げるために海を超えて言語を超えて、一座は想像も及ばない努力を重ねただろう。コミュニケーションギャップを超える試み、それこそ芝居の原点で、見せるものとその舞台裏も捻り合わせの一芝居、ご覧じろう、という心意気。感ず。
2023.12.23
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2024/01/30/月曜日/晴れ、春ちかし27日土曜日、気持ちの良いお天気の中を江戸川沿いのげんげ工房さんを、知人を誘い訪れた。知人と主催者の恵津子さんは旧知の仲。しかもここで初めてお会いする方が私と同じ町内仲間という、驚きの出会い。まあ話が盛り上がること!そこへ、恵津子さんのマクロビランチ、拍手ものピースボート、山本太郎、伊藤野枝、トランプ、北海道のオーロラ、バイオダイナミクス、梨木香歩、子安氏の再婚、大阪と維新、投票にはボールペン持参の案件、平塚らいてふ、女性の人権意識は大正期からなぜ後退したか、コモン、杉並区長選と八王子市長選、福田村事件、処理汚染水、寄付行為のまともなあり方、塩田廃止と海水塩、エプスタイン島ハニートラップなどなどみなが皆話したいことが後から後から尽きず。私が読書中の『美は乱調にあり』を読んでいて、駅を乗り過ごしたといえば、恵津子さんは今これを読んでいて、おすすめしてくれた。食後には、思い思いの手仕事に没頭して静かな時間が訪れる。手先を使う作業はよい。簡単に作れるけれど美しい。ローズウィンドウ
2024.01.30
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2024/01/31/水曜日/日差しは力あり今月3回訪ねた蕎麦屋さんは全て同じ。いつものお店◼️手打蕎麦 ふじや新宿区先々週、いつもの十割蕎麦、980円。半月振りにやって来たら、蕎麦の表示には生産者の名前まで出ていた。先週も先々週と同じ蕎麦粉。ところが、十割蕎麦なの?という喉越しなんだなあ。そこで本日は二色もり1250円、で違いを見つけようと試みる。蕎麦粉に変化なし。量が大盛りに増える。ツユとワサビの量は変化なし。ワサビがいつもより香りよし。初めに二八。さすがに喉越しが良い。香りもそこそこある。やがて十割蕎麦と蕎麦湯左が十割。太さとコシが違う。画像では判別難しいけれど色も違う。何といっても蕎麦の滋味を覚えるのは十割ならではやっぱり明日以降も十割蕎麦で。
2024.01.31
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2024/02/09/金曜日/陽が沈む頃には寒くなる平日のお昼に映画を観るなんて!くすぐったく申し訳ないような。 でも学生らしき人もそこそこいるけど?好きだったマンガも最近ではとんと読んでない中、これは読みたいと思いながら、え〜もう30巻も出てるの!と腰引けに。しかし映画化。しかも一番好きなマスクの山﨑賢人が主人公。嬉しい。アイヌ少女とそのおばあさんの存在感が私には素晴らしかった。それと高畑充希の可憐さも。白い狼やヒグマのCGも違和感がない。大した技術だなぁ。ウルトラマン初期の頃との乖離が凄過ぎる。往年の名優たちは充分楽しんでこの世界観を大切にしている。アイヌ民族とシャモが日本離れした風景の北海道でアイヌ埋蔵金を追い求めるというストーリーの骨格が太い。身内お手盛りなちまちま日本映画←まあそれはそれで翔んで埼玉とか楽しめるけど、という従来の娯楽作品を超えている。これは世界に通用する。映画のスタート画面は、日露戦争激戦地の二百三高地だ。乃木希典の愚策が招いた、大量の戦死者の山に至る戦争という人殺しをあらゆる角度から見せつけるカメラアイ。これがリアルでいきなり引き込まれた。異国で虚しく骨となった数多の戦友や部下の、故郷に残した家族のことを念頭に、新しい戦さを仕掛ける鶴見中尉の異形振りを玉木宏が怪演している。彼は舞台俳優⁉︎役者魂ひかる。日本の多様性、それがきちんと描かれている。続きが今から楽しみだ!
2024.02.09
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2024/03/12/火曜日/一日中雨降りこのニット本は私のバイブルに近い。この本に出会い、ニットに縁付きました。本の中から、スカイツリー↑〈このショール〉とドミノスカートを編んだ。そしてこれ、↓ハニーカーディガンを編むつもりでイサガーの糸を購入しながら、もう5年以上塩漬け何やら後から後から別物の編み物がやって来て、随分待たせてしまいました(´;ω;`)イサガーの糸の塊から、どうやらこれとこれを使う予定だった、らしきものを集める。左、ベースの引き揃えはツイードとアルパカ1右、ハニカム部はスピニ。ベースの紫に多色で2本明日から毎日続いて忙しくなるので、思いたってスワッチだけでも編むことにした。針は3ミリ。目標は5月中の完成。がんばろー控えめな色合いなので、画像のような楽しい感じにはならないかなぁ。
2024.03.12
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2024/03/15/金曜日/春が近づく今月はブリオッシュ編みのしかも増目と減目のある複雑パターンのスカーフ。Knittyでフリーパターンが公開されている。Rodekool by Nancyさん。Rodekoolとはオランダ語で赤キャベツのことだとか。そもそもブリオッシュ編み。左のいわゆるイギリスゴム編み?みたいに編むのだって十分煩雑なリバーシブル。うわーがんばるしかない( T_T)\(^-^ )このところ、先生の翻訳本からの編み方ヒントやスワッチが続いていたので、いきなりハードルが高くなりましたー。↓教室にはこんな大作を編む強者や講師資格保持者ばかりで、ひたすら初心者質問の私め。byスティーブ、のミステリアス作品
2024.03.15
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2024/05/02/木曜日/びっくりな涼しさ、高原の夏先週聴いた落語落語はいいなぁ。こんな艶やかな語りこそ庶民の宝さて私が楽しんだのは柳家三三さんざの明烏あけがらす小すみさんの音曲おんぎょく昇太の身体から発する雰囲気、語り口、間の取り方なんかはいいなぁとも思うのだけど。創作モノというのがそもそも、なんだなぁ。やはり多くの語り手によって歳月、磨き上げられた古典はよろしいなぁ。ダイレクトには知らなくても、吉原もキセルも甘納豆、なんてのもよく分かるし、落語の場面場面が自分とつーと地続きで嬉しくなる。それに対して創作物。退職サラリーマンの夢破れた老後は何だか語り手の昇太と結び付きすぎて、また今の時代が繁栄され過ぎて元気が湧かない。小すみさんはその点、華やかで元気がみなぎって声も360度響き渡って良かった!今必要なのはこんな明るさなのよ。何でも政府給付留学生でイタリアでミュージカルの修士を得ているのだとか⁈はあ、そんな方の惚れ込んでいる三味線、さのさに都々逸信州信濃の新蕎麦よりもあたしゃあんたのそばがいい〜西洋音楽の一面かジャズを三味線で演奏してくれました♪でもね、さすがは噺家のみなさん、まくらが噺よりも笑いをとってました(^^)
2024.05.02
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2024/05/18/土曜日/暑くなるらしい早朝〈DATA〉出版社 毎日新聞出版著者 津村記久子2023年3月5日 第1刷2023年10月15日 第7刷初出 「毎日新聞」2021年7月1日〜2022年7月8日連載、加筆修正〈私的読書メーター〉〈読んで直ぐの感想は、じんわり発酵を待つ時間が失われるという一抹の寂しさがあるけれど。何しろ理佐と律の歳の離れた二人の姉妹の行く末が心配で、夜も眠れず瞬く間に読んでしまった。物語半ばに差し掛かった辺りで、瀬尾さんの『そしてバトン‥』読後の長年のモヤモヤが払拭された、というあらぬ方向の感慨を得た。おまけに梨木さん『村田エフェンデイ‥』のオウムが、川の瀬音の聞こえる町の水車小屋で働き者、知恵者ヨウムのネネに転生しているではないか。周囲の大人たち、亡くなった人も含め共に存在している感覚は今に生きる古典の妙を覚え。〉津村記久子さんといえば、『ミュージックブレスユー!』が初読みで、もはや四半世紀近く昔。いやはやエブリシングフロウズだなぁ。津村さんは私より永遠に若いのだけど。理佐キャラがすごく渋くて古風で、津村さんにしたらちょっと異質な。もっとも理佐は今の時間を遡ること40年前の18歳だから、当年還暦間近、まじか。この物語の最高クレッシェンドは理佐とパートナーの結びつく、あの発熱にあるのだろう。二つの魂の素晴らしい出会い。律のその後のパートはその熱が緩く解体していくようで、やや冗長になった印象も残る。津村さん、こんな作家に育ったのか。『まともな家の子はひとりもいない』だっけ?それでも私たち、『とにかく家に帰ります』。そこはヨウムの待つ水車小屋かもしれないし、絵描きのアトリエかもしれないけれど、生きていくのに必要なのはとにかくシェルターとしてのイエなんだ。子どもへの眼差しはぶれない。イエス。
2024.05.18
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2024/05/17/金曜日/花粉症?が昨日よりDIP編みの手法を学ぶ。先生のサンプルは、コットンヤーン相変わらず、目が整い美しい仕上がり最新刊毛糸玉で紹介されている。ロングループを用いる編み方で、下方の編み地の目や間に針を通して長い目を作ることで面白い表情が現れる。↓先生が先々月着てらしたベストの下部地模様は3色の組み合わせ最新刊、世界の編み物 では、均等ではない段をとりつつの3色で、とても複雑なダイナミズムが生まれる。正にありとあらゆる応用ができる。裏面もかわいい。スヌードやベストを編みたくなる。この編み地は肉厚になるので帽子にも。
2024.05.17
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2023/05/21/日曜日/本日晴天、初夏らしく〈DATA〉 角川書店/ 著書 艾未未 アイウェイウェイ 訳者 佐々木紀子2022年12月1日 第1刷発行 〈私的読書メーター〉〈中国モダンアートにも疎い私は著者アイ・ウェイウェイを初めて、だが、本書で能く知り得た。自伝とあるが全体の3分の1を割いて詩人だった父の生涯が先行する。絵の志を立てパリ遊学を果たし民主主義に共鳴しながら党独裁の匙加減一つで辺境に追いやられ苦難の人生を歩んだ。清王朝末期、日中戦争に重なる怒涛の大変革の時代描写は一つの山場。インターネット勃興期に米国滞在でアートシーンの自由を得たウェイウェイが祖国で葛藤するのは道理。取調室の詳細はこれ自体インスタレーションのような錯覚を覚える。後日作品化の強かさは天晴れだ。〉交河故城にてまるで隊商が街を通り抜けていったかのよう人の喧騒に混じるラクダの鈴の音変わらぬ市場のにぎわい尽きない人と荷馬車の流れいや、違うーー豪奢な宮殿は荒れ果てて廃墟となった千年の歓喜と悲哀、出会いと別れは一片の痕跡すらない今生きている者は、全力で生きねばならぬ天地が記憶してくれると、望んではならぬ1980年、艾青の詩が巻頭を飾る。艾青とは著書の父である。この詩からタイトルが定まっている。千年、誰がこの土地を、この家族の二代に及ぶ無益な苦役を記憶するというのか。しかし私は試みないではいられない。なぜなら息子、艾老が生まれたのだから。著書のそんな声が聞こえる。今現在著書はドイツ在住だが、彼自身、ドイツが産んだ社会芸術家ヨーゼフ・ボイスを彷彿とさせる。アートを狭義な世界から解放し、現実をアート作品に展開していく、時間や個々の人びとの関わりの変化を包摂するといった手法が共に見られる。ように思われる。芸術における至高の価値は自由なのだから不自由を自由に変換することは芸術行為である。と私は考える。そんな気概を彼に覚えるし、それを実行した彼の生命力、怒りを創造力に転換させる意志に感嘆する。彼に匹敵しうるアーティストを日本に探すとしたらだれだろうか。岡本太郎か草間彌生或いはオノヨーコ、坂本龍一、安藤忠雄?規格外、個人で国とか世界に対峙しうるそんな若いアーティストを切に求む。
2023.05.21
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2023/12/19/火曜日/最高気温8度、曇天の1日〈DATA〉 岩波新書 1944著者 國分功一郎2022年10月20日 第1刷発行〈私的読書メーター〉〈新書であるのに読むのに随分時間が掛かった。新書というのは知識の概要とか表面をさらっとおさらいするイメージを勝手に囲っていました。全て咀嚼することは能わず、ただ朧げに今まで折りに触れ読んできたシュタイナーの人智学、論語、或いは仏教の理性的論者方の文章に触れた思いがします。スピノザの認識の三段階の先にはどうしても学解の対象ではなく実践の理解が示されている、と思いました。そういう意味では学問を超えているような。こんな知性が17世紀半ばにオランダで、民衆の理解し得ない共和制と共に息付いていた事実に驚くばかり。〉読書中、最も心動かされたのは、実はオランダのハーグで1672年に起きた、共和政指導者デ・ウィットに対する民衆の非道な「厄災の年」殺戮事件だった。私はこの事件を扱ったとも知らず、デュマ『黒いチューリップ』を読みたいリストに入れてみたものの、そのまま長く放置している。この事件が起きた時、しかもその現場から徒歩にして15分ばかりの場所でスピノザはエチカを記述していたという。当時の欧州は、新旧キリスト教徒の間で残忍な殺戮が100年も続いていた。魔女狩りと称して、薬草で病人を救ける女たちが告げ口で火炙りにされ、村人や町人の見せ物と化し、恐るべき暗黒の歴史を刻んでいたのだ。シェイクスピアはその時代に生まれた旧教徒で、『ハムレット』はオランダの王家の悲劇だった。『ハムレット』に見られる王殺し、姦通、自殺、毒殺さえ、優雅な推理小説に思えるほどに「厄災の年」殺戮事件は陰惨だ。優れた理性的なリーダーが世に現れて、人間の尊厳をかかげ、理想的な統治を法に基づき執行しようというのに、民衆はたとえ愚鈍だろうと年幼かろうと、血すじとしての王を求めるのだ。そして知的な理想は、民衆になぶり殺され、その皮は剥がされ、肉がこそがれ、市場で売り捌かれるのだ。この現実!自己の中にエチカ=倫理を持ち得なければ、一神教の妄信的行為は人をして、かくまで惨虐に兄弟を殺し得るのだ。民衆が煽られた背景には、100年を超える宗教戦争、大航海時代の貿易がもたらす巨大な富と利権が絡む、秘密裏に結託した英仏のオランダ侵攻があった。煽られる民衆とは私に他ならない。何が真実かも見えず、小さな利益に汲々として。老いてどんな変化が心身に訪れ、どのように朽ちるのか、漠とした不安は予測される自然災害と捻り合いながら私の意識を昏くする。コロナは、ワクチンは、国家主権は、個人の人権は、少子高齢化は、経済は、パー券は、万博は、ひもじい思いをしている子どもたちは、インボイスは、リニアは、木原事件は、出稼ぎ男娼は、、、われら民衆はどうしたいのか、世界がどうあってほしいのか。デカルト:Cogito ergo sumスピノザ:Ego sum cogitans考えつつ存在する「スピノザは、総合的方法こそが哲学の真の方法であると考えた。」「定義、公理、定理、証明」ユークリッド幾何学原論、「エチカはこのような様式で書かれた」手の仕事を科す素描画家/アムステルダム/レンブラントレンズ職人/デルフト/フェルメール倫理的決断が理性を自立せしめるその名も『知性改善論』という自伝的著作。所有、官能、名誉の欲からどれだけ自由でいられるか、の考察。それを考えている間はそれから離れられるという発見精神がものを理解することが多くなるにつれて、同時に精神は、理解の道をいっそう容易にたどるための新しい道具を獲得していく真であることは公共的に共有されるとみたデカルトの道は科学へと進行し、共有されないとみたスピノザは、ある種秘教としての哲学は進んだのか?人間の本質は欲望悪魔のようなものは四角い円のようなものでありえないと分かるものに過ぎない。「どうすれば人間は、悪魔を仮定しようなどという考えが心をかすめもしない生き方ができるようになるか、それを考えようではないか。これこそが【エチカ】で開陳されるスピノザ哲学である。」神には外部がない神は永遠であって始まりも終わりもない。神は存在し、また作用するにあたって、自身の法則以外のなにものにも左右されない。全ては神の法則、すなわち、自然の法則に従って起こる。神は実際には、常に既に変状して存在している。「存在するすべての物は神の本性あるいは本質を一定の仕方で表現する」これはまさに大乗仏教的な思想ではないだろうか。人間精神とは身体を対象とする観念しかし、人間精神は身体を認識しない。精神が身体について認識するのは身体に起こることだけである。スピノザは動物どころか無機的な物質にも精神があると(程度の差こそあれ)みているキリスト教密教とか神秘思想のようでもあるが、観念に目を凝らしていけば矛盾なく成立する、のだろう。意識が陥る原因目的の転倒のメカニズム現れている意識の下の広大な無意識層について、フロイトに先駆けての考察自由な意志というものはない。感情の模倣喜び、悲しみと欲望の3つが基本的感情であり、こらの組み合わせによって全ての感情は説明される。同類と感じる者には、その者と似た感情を抱く。妬みは受動のモード、能動的に生きるにはどうするか。『エチカ』の中断エチカを中断し、『神学・政治論』を執筆しなければならなかった、時代背景序文での呼びかけ、来るべき哲学者にむけて。ものごとを自分で判断する自由、考えたいことを考える自由は誰も放棄することはできない。これは最大の自然の権利である。なぜ思想の統制を行なってはならないか。それが権力の自由にできるキャパシティを超えた目論見であり、それを目論む体制は暴力的にならざるを得ない。自然状態ならば人は意識を伴う衝動によって自然権を行使しているだけだが、契約が成立し法が存在するなら、行為のもたらす意識は法についての表象をもたらす。ここまで。エチカについて拙い反省を試み、短日の半分を費やした。経験を通して、つまり身体の変状を通した意識は、この世に悪も善もないことを理性に表象した。という言い方はできる?ただ悪い関係と良い関係はある。スピノザのいう能動的に思考し、生きるということは倫理の実践を必ずや伴うのだと理解する。欲望が私を存命させるが、理性はそれに意味を与えんとする。大いなる自然の現れの中で、客観を主体的に生きる、ことを常に意識する。
2023.12.19
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2023/12/20/水曜日/うららかな南窓先月中旬頃から編み始め、思わぬアクシデントで途中のお休みを挟み、昨夜遅くとじはぎも糸始末も終わる。ところで、このアンゴラヤーン。毛足がふんわり長く、模様編みの隣り合わせの色が微妙に馴染んで仕上がるところがとても好くて購入に至ったのだったが。小一時間も編んでると右下画像のように毛が盛大に衣服に付く。室内をふわふわと飛んで、目や鼻、口にも侵入して来る。翌朝顔を洗うとモヘア状が手にまとまりくっつく、という試練であった。やれやれ( ´Д`)y━・~~完成の開放感!モヘアくしゃみからの開放感!元々は自分へのクリスマスプレゼントだったけど、ちゃんとクリスマスに間に合う!トップダウンで編むセーターの袖丈は難しい。自分に合わせながら適切な長さを選択できるという利点が活かせないのである。以前編んだセーターも、手を前ならえすると腕が10センチほど飛び出てしまう。これはデザイン上致し方ないのだろうか?実は今回もやや短めに仕上がってしまった(;_;)袖とのバランスを考え、身頃は編図より7センチほど短めに仕上げた。袖のゴム編みが身頃のゴム編みよりずっと下にあるフォルムが好み。身頃を短くしたのはヨーク部分が編図より膨らんで大きくなったのも原因。針の指定は2号だったけれど1号で編んだ。にも関わらず、大きめに仕上がった。糸2本の模様編みはどうしても膨らみがち。↓水通し前に平場で確認あちゃー、発見。目こぼしがある!まあ、こんなものである。ワタクシですもの。すでに糸始末したのに、修復する→右。水通しを15分くらい。そっと押して排水、バスタオルにくるんで水分吸収、平干しこれを眺めるのが編み物全ての中で一番好き。しかしこの糸は水通しするとメリヤスの目が殆ど見えずフェルト地みたい。手で成形していると、モワモワとまたもや毛玉がΣ(゚д゚lll)右↓
2023.12.20
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2023/12/22/金曜日/冬至イサガーのアランツイード 100g編みながら足に合わせて細部を変更している。サイズM左M、右Sでかつほぼ編図どおり。右はクリが深い。私的には履き口ができるだけ甲に被るのが好み。指定より2段早めに左右の召し合わせをしている。次は四段早めに召し合わせしてみようかな。この糸は100gあるので、M一足半が編める。ブーツタイプだとM一足とS半くらいは作れる。ひとかせ2090円くらいで購入できる。糸の性質とルームシューズの性質、それにデザインの三相がこの上なく組み合わせがよい。履き心地抜群、温かい。機内持ち込み用にしたい。プレゼントにも!速目に編める方なら半日でできそう。
2023.12.22
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2024/01/25日/木曜日/大寒の朝、水瓶に氷張る〈DATA〉出版社 文藝春秋著者 絲山秋子2023年11月10日 第1刷発行「文學会」2021年二月号、九月号、2022年一.五.八.十一月号、2023年三、七月号〈私的読書メーター〉〈表紙を見ながら小さな木のパズルを思い出した。上手くいくとカニが仕上がる、みたいな。うんと小さな子にとって、年長の者がするするピタリとそれに到達する不思議は正に神の手だ。この物語の神もまたそんな身近な神だ。人間とは何であるか。八百万もいる神の中にあって、奇特なことに神自ら人間と彼らが暮らす日本のどこか地方、ここでは黒蟹県に住み入り人間を学ぶ。その土地の中にあるだけの素材を用いて時々神の手パズルでピタリとシンクロさせては神の恩寵の道筋を人間との間に蘇らせる。作者が与える土地、植物などの詩的な想像力が高い。〉あーあ、消えちゃった。うっかり者だから、ねえ。いろいろ感想を書いたのになぁ。とりあえず記憶に残るものを拾い集める。建築家として世界的な賞を得て益々の、という矢先にすっかり仕事ができなくなった赤い髪の男が、実はあの、消えた幼馴染で…彼は売り出されたガソリンスタンドを自分の手でリフォームし、クリーニング店を営み、ミシンまで踏んで暮らす。そこに加わる誰かしらの屋台、カフェと様相が変化するのは植物層のなんとか、のようである。人間社会層?ある男が、今までの世の価値を捨て去った後に湧いてくる新しい世のカタチであるか。そうして贈与交換の社会建築家となるのだが、神は何らか手を出したのか、出さなかったのか。いやいや、そこまで行ければ去るた彦、でござる。という。神さま、おいらたちにチャンスを。
2024.01.25
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2024/01/26/金曜日/梅がちらほらよそ様のお庭でこの編みもの本からは、子どもたちにいろいろ編みました。それがいつの間にやらお孫ちゃまに!ベビーシューズみたいなのを編んでみた。参加冊子は図書館から借りたもの、表紙の画像保存を忘れてしまった!左右で手の緩みがチガウ!+輪針で編み辛かった。やはり4本針で編むべきであった。ついでにお帽子も。全て4号で。母子にはぬくぬく過ごしてほしい。端糸が溜まってきたので、アルネ・カルロスさんのクリスマスボールを一つ編む。3号針指定なのだけど、1〜2号が良いみたい。端糸全部飲み込んだらちょっぴりおでぶになったエルクさん。↓ラトビアの森のマーケットでおじさんから買ったこの小箱に毛糸がいっぱいになったら、クリスマスボールの作りどきこちらはクリスマスボールの本
2024.01.26
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2024/01/28/日曜日/一瞬の地揺れ震度4先日東京ヴォーグ学園で毛糸を買う。買うと貰える帽子の編み図「ドット模様の2玉帽子」byハマナカ漫然とプレゼント用に編み始めたら、娘が2月から能登にボランティアとして入ることを知る。それに間に合うように、3日で編み上げる。以前に編んでおいたリストウォーマーと一緒に梱包して発送した。これを必要とする方がいたら、どうかプレゼントしてほしい、との思いを託して。娘はトイレキットを携えていくらしい。今までDマットで受講したことがお役に立てるようになって何よりです。職場の方にも感謝!余震も気になる。どうしても起きなくてはいけない地震なら、被害の少ない場所で小出しで、と自然に祈りたい。毛糸はハマナカ、ディーナ。洗濯機丸洗いOK針は6号輪針リストウォーマーはサイチカさんデザインほぼ1玉半で完成するので、二つ編むつもりで3玉購入。さてそれもプレゼントするか、自分用にするか。
2024.01.28
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2024/02/02/金曜日/朝からずっと寒いようやく鉢植えのレモン3個が収穫してもいいかな?姿になって来た。週末泊まりに来る次男夫婦のお嫁ちゃんのために、娘と同じニット帽を編んだ。娘は今日から3日間、能登でDMATメンバーの一人としてご奉仕する。明日は節分、季節は変化し続ける。被災地も今日より明日、明日より明後日と明るく元気に!と願う。2年越しの薔薇の花びらピローをようよう縫い付けて、浴衣生地でピローケースを手縫い。月の暦の新暦に見る夢は?薔薇に慰められ
2024.02.02
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2024/02/04/日曜日/寒い雨の春分入りサイチカさんの糸と針さんで購入したこぎんのセーターキットを編み始めよう、とやおら袋から取り出した。あれ?袖の訂正版はあれど編み図が無い!メールで問い合わせると、編み図は付帯されてなくてサイチカさんのご本を参照する方式である、とのリプライが直ぐ届く。しかも、その事はきちんとサイトに記されていた、のだった。粗忽者なのである。年はとってもいっかなアップデートされない私め(´;ω;`)マーケティングすると1300円のこの本、現在品切れでネット価格は2100円超え。ぎょえ。図書館検索すると複数館で所蔵しているではないか。貸出で凌ぐ。締めるところは締めるなり。糸と針さんからはご丁寧な連絡を何度もいただき、心温まる。そうそう手編みは身体だけでなく心も温まるものであってほしい。キャストオンで既にやり直した上に、蛇足をしたところに目をつぶり編み進めた。しかし心が晴れぬ。解くものを横に置いて、再びキャストオンやり直し。↓やっぱりこれは無いなぁ。このまま続けては、きっと着たくなくなる。やり直しも輪に編む1段目をパスしてしまっている。しかしこれは輪にするときの緩みを防ぎもするし、リカバリは容易いので、これは許容範囲である。しかも私的にはキャストオン捻れ防止にもなる。糸はパピーのシェットランド。6号輪針。指定のゴム編みではなく捻りゴム編みで。糸のヨリが少しゆるめに感じたので。他のものも編みながらだけど、少しずつこぎんのステッチが見えてくると嬉しく先に進む。他のものといえば、すったもんだで編み上げたMiknitsデザインmizudoriのプルオーバーの毛糸の質が悪すぎてびっくり。昨日これを着て出かけたところ、アンダーウェアにびっちりと毛足が着いた。緑の苔状で身体半分の毛足をざっと集めただけでこれである。帰宅後、コートの内側、スカートが緑苔に覆われそれを取り除くのに腐心した。編んでいる最中にも膝に毛糸だまり、目や鼻にもふわふわ侵入、挙句石油ストーブに吸い込まれ悪臭を放ったのだった。ほぼ日さんはこういう点を説明する責任があるのでは?デザイナーはその毛糸で自作したものをきちんと身につけた上で紹介してほしいもの。https://www.1101.com/store/miknits/2023aw/kit/mizudori.html私はこれはおすすめできません。
2024.02.04
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2024/02/06/火曜日/積雪15センチ〈DATA〉出版社 学習研究社有吉佐和子 瀬戸内晴美 集昭和45年9月1日 初版発行昭和49年1月20日 13版発行「現代日本の文学」49 全50巻〈私的読書メーター〉〈学研『現代日本の文学』全集49で読む。昨年12月に英国人女性による伊藤野枝をテーマにした音楽会を自由学園で見聞した。アナーキスト、新しい女、大正、くらいの像しか結ばなかった野枝に関心をもち本作を読んだ。本作は2部構成。前段は野枝を取り上げる動機や取材の事実など。後段は野枝の短く激しい生涯を知り得る限りの事実を重ねながら野枝という人間に肉薄していく筆力には、瀬戸内自身が幼い児を置いて出奔した苦い思いが重く映り込んでいる。女は自らの人生を選び生きることができるのか。社会構造と霊と肉の狭間で。古く新しい。〉こういう全集が4年で13版を重ねた戦後25年を経た昭和という時代を思わずにはいられない。そんな時代に我を生きた瀬戸内さんは大正に生を受け平成に得度して令和に彼岸に渡られた。敗戦前後を北京で暮らしていたのである。その時出会った夫の生徒と出奔。そのことがなければ小説家になることはなかった、という。小説に登場する伊藤野枝、神近市子、平塚らいちょう、三者三様に欲しいものへの直ざいな、持て余すようなエネルギッシュさで、当に 原始女性は太陽であった の青鞜発刊のノロシそのものだ。小説に登場する男性三名、辻潤も大杉栄もらいちょうの若いツバメ奥村某も装飾音に過ぎない印象で描かれる。主旋律を奏でるのは女たち。このような伝記小説の草分けは、森鴎外の『渋江抽斎』が挙げられるだろうか。文学史的にそんな指摘があるかどうかは知らないが。タイトルにある渋江抽斎よりもそのお内儀の五十、イオ?だっけが圧倒的に魅力的な描写だ。ところで先日鴎外の短編について心惹かれた文章に出会った。「サフラン」であったか。鴎外は小さな頃から部屋に籠り勉強ばかりをした。同い年の男の子と塗れて遊んだ記憶もない。コト=知識ばかりを詰め込み、モノ=経験を知らぬカタワになった、という述懐。そのように自分を観察できるのは科学的な態度で流石、鴎外なのだ。さて、伊藤野枝である。この人生は凄まじい。伊藤野枝が文学的才知や閃きを得ていたか、というと瀬戸内晴美自身の評価もまるで低い。しかし彼女が28歳で暗殺されるまでに三人の男、その内の二人は学識も文学の素養も思想も凡夫の遥か先を生きた二人の男と惚れたら命掛け、の道行で七人の子を産み落としたのだ。これって本当に途方もない!男と常に恋愛中にありながら常に懐妊していたということなんだから。恐るべし明治の女。この辺の野枝の心理や擬態の描写がどこか突き放すようでいて実は作者と螺旋を描くような濃密さがあり、抜き足ならぬ。彼女をして子宮小説と言わせた所以か。そしてそんな風評は十代そこらの私には何かべとつく感じがして避けてきたなあ。幸田文とか有吉佐和子なんかが面白いと思った。貧血気味の私なんぞは、著者含めこんな女たちの爪の垢でも煎じて飲めば死んで惜しくない恋愛が訪れたのかもねー。女子校時代の同窓の女の子の顔を思い浮かべると、そんな恋愛能力高い人は既にその予感をたっぷり含んだ水気というか色があったなあ。一方で、辻との最初の息子の人生の終わり方はやはり辻同様、悲しさが募る。私は男より子、であるなぁ。
2024.02.06
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2024/03/05/火曜日/日差しのない日〈DATA〉出版社 新潮社著者 平山周吉2023年3月30日 発行〈私的読書メーター〉〈映画は何度目かのリバイバルブームで代表作を幾つか観たが、まとまった小津安二郎本は初めて。一番心惹かれたのが本居宣長との繋がりで、この章が後半にもっと深められることを期待したがそれは得られなかった。著者のいう近代日本人の最高の姿が小津監督にあるなら本居宣長との霊脈である松坂時代が重要ではないかと素人考えを抱く。「敗北を抱きしめて」の如くの一見平凡な、それでいて絶対的小津芸術の凄みに死者の眼差しがある事には深く突かれた。日本領シンガポールで米映画を2年以上観られた境遇を天与された20世紀人の心棒貫く人生だ。〉おやまあ、こんなことしちゃった。『小津安二郎』読書最中に、ひょいと娘と婿殿と鎌倉散歩に行くことになって。あー、あるね。ダイヤ菊。蓼科の山荘にもちゃんといつ帰ってもいいように置いてあったねえ、娘は覚えていた。何年か前に一緒にそこを訪ねた。そうか、著者はこの墓碑銘の無の字に違和感があるのだねえ。小津の生涯をくくる文字に、小津自身がこれを選んだのでない経緯も記されている。小津の映画の魅力の背後には矢張り人として魅力的な小津さんがいるんだろう。表現するものは全てその人そのものの写しなのだから。この墓には小津安二郎のお母さまも一緒に眠る。小津は母思いで知られ、最後まで共に暮らした。ばばぁ、ばあさん呼ばわりしていたのは照れ隠し以外の何物でもない。先の敗戦では小津も年長ながら応召され、支那事変の辛酸を舐め、弟とも思う山中貞雄をその間に戦病死で亡くした。当時若い兵士たちは天皇陛下万歳を唱え死ぬことを教えられたそうだが、殆どはお母さん、おっかさん、母ちゃん、おっかあと叫んで散ったのだ。この本を読んでいると沢山の山中貞雄たちの母恋の声が、小津の母思いにまで連なっているように感じられる。小津の軍隊階級は下士官だったけれど、そのような部下たちへの鎮魂として、安心せよ我が母なれど貴様らの母とも思い死ぬまで孝行を尽くす、と決めていたかのようにさえ感じられる。そうして独身を通した。焦土日本には社会的寡婦と戦争未亡人百万人そんな小津の情をアングルやカット、カメラアイや役者の表情、会話に先験的に感知する者は我が意を芸術にまで高めた小津に平伏するしかない。何だか能の世界である。戯作者小津は浮かばれぬ魂に慰めを与える僧侶のようでもあり。でもそれだけではない。何というか、そんな理屈を排してほのぼのとした朗らかな一つの、純な日本人の好さ、そんな味わいを笠智衆や東山千栄子に凝縮させた才覚、それが好ましい。意外な印象を持ったが、小津は志賀直哉を大変尊敬した。これもまた私自身が志賀直哉に対する貧相な経験しか持ち合わせない所以か。小津が書き留めた志賀直哉の言葉に独立した芸術には向こうからこちらへ来るものがある。趣味の世界のものはこちらから愛撫するスキがある。それはまた非常に強い魅力だ。だからどうかすると騙される。しかしどんな魅力があっても独立した芸術と一緒には考えられない。がある。これは柳宗悦とも関わった志賀直哉の、というより民藝運動を経た美意識ではないだろうか、とも思う。小津は志賀を大先生、里見弴を小先生と尊敬し、彼らは旅を共にする事や座談もした。そんな繋がりゆえか、小津は映画界で初めて芸術院に選出された。ところで、この読書から、小林秀雄『本居宣長』を読みたくなった。里見弴に至っては一冊も読んでいない。読書は次の読書を呼ぶ。宣長の言語論、和歌論、文学論。姿ハ似セガタク、意ハ似セ易シを感じさせる小津の演出作法を著者は解く。同じく小林秀雄『私の人生観』に触れられている宮本武蔵の「観の目強く、見の目弱く見るべし」を引いて小津の演出にその影響を見る、という達観だ。観についての小林の引用続く。「目の玉を動かさず、うらやかに見る」目があること、即ち「意は目につき、心は付かざるもの也」常の目は見ようとする意が目を曇らさせる。だから見の目を弱くして観の目を強くするよう剣豪は教えた、と。うらやか、とは晴れ晴れとのどかな様東京物語の夫婦の会話シーンはまさにうらやかな観の目、であったのだ。 なるほど小津のワンシーンワンカットは西行の桜の空観にまで貫道するものであったのかは!円覚寺の小津の墓碑銘は「観」が相応しかったと著者は考えたろうか。登場者が多すぎる。どなたも魅力的た。氏の文章スタイルも良い。藤田嗣治のことを書いた本も機会があれば読みたいと思う。しかし先ずは本居宣長→小林秀雄これはこれで遥かな道のりだ。
2024.03.05
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2024/03/06/水曜日/山極では雪らしいあーあーあ、やんなっちゃった。んがんが、やんなっちゃった〜冊子だけ眺めて編むことの、私の力不足に(;ω;)そもそもデザイナーの意図が上手く掴めていないくせして、当たって砕けるというのがいつもの行動するパターン。ボトムアップで模様を編みながら、脇元の額縁のようなラインは何事ぞ?との疑問はあった。しかしぐるぐる輪に編むので、まさか前身ごろと背中の模様バージョンが異なるとは見逃していた。それに気がついたのは、片袖ずつデザインが異なることを発見?した後のこと。ま仕方ないやー、アレンジと思うことにします。時間のないところを頑張ったもんねーよしよし。それにしても輪に編んだ後の減目のパーツ。裏表しながらの模様編みは遅々として進まないなあサイチカさんは合理的な編み方を好む方なのになぁなんてぼやいていたら。何度も眺めたこの概略図。よくよく眺めればヨーク部分は再び輪編みだった!時すでに遅し敗残の兵なるや吾。国破れて山河あり。編図破れてパーツ転がる。輪の終了と増し目、あのポジションで熟考しながら概略図をしっかり文字面追っていれば。あーあの時、もしも!後悔先に立たず、小さなことから大きなことまで。望郷の念に襲われ、どこまで続くぬかるみぞ原点復帰はもはや諦め、ぬかるむ表裏の模様を一目一目行進する。ニット二百三高地か支那事変かインパールの如し。老兵は死なず、ただ編むのみ。これからは科学の合理性だ。編み物も、だ。
2024.03.06
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2024/03/08/金曜日/雪残る朝2月末の連休は中の土曜日が晴れて、娘夫婦と鎌倉に出かけた。温かい日で散歩にはもって来いなものだから、当然観光客でいっぱい。中国韓国の人が多い。彼らの地声が大きいので倍くらいいるように感じられるけれど、実際は関東近来の人が多いのだろう。大好きな駅、北鎌倉で降りて鎌倉駅まで歩き、江ノ電のって長谷寺で降りるコース。円覚寺境内だけでもゆっくり眺めれば半日過ぎてしまうかも。昔は一度はこの辺りに住みたいと考えたものだった。凄いなあ、こんな文字が書けたら生まれてきてよかった!と実感しそうた。金澤翔子さん。悉皆仏性か悉有仏性か。仏心この清潔な空間よ。緑色の細い枝が斜めに伸びる。方丈のピャクシン。これはエントである。観音さま盛りを過ぎても花を残す枝も。風が渡って、眺める間に花びらを吹きこぼす。おおお、これは面妖な。龍神さまがお一人能登に向かわれ、被災した人びとを救わんとされておるのか。いずれにしても当地にお寺が建立されて幾星霜、こんなことはあったことがない。元寇の時も足利幕府に席捲された時も黒船の時も明治クーデターの時、即ち廃仏毀釈の時にも。何か大きなことが起きようとしているのか。竹林は春夏秋冬、好天雨雪どれも好い。敷地内には小さな墓地が付随していて、そこに小津安二郎の、家の墓がある。鶏頭の花は無いがお酒は沢山。信州で買ってきたのだろうか、ダイヤ菊もお供えしてある。ゆるゆる円覚寺を出て縁切寺、東慶寺へ階段を登る。ここは寺領内の撮影はできない。庭園に力を入れている様子。小林秀雄はじめ鎌倉文学に携わった多くの文人の墓があるらしいが、若い人たちに突き合わせるのも申し訳なく遠慮した。とても良い感じの聖観音さまがおられる。帰り、縁道の梅の花にメジロが2羽、人を恐れることもなく目の前でしばらく無心に花の蜜を啄んでいた。なーんて可愛らしいのだろう。
2024.03.08
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2024/03/10/日曜日/春日和北鎌倉の茶飯事で海老しんじょうや茄子田楽のランチを頂く。この辺り道の横断が難しい混み入り。散策路があれば良いのに。さて、鶴岡八幡宮まで来たら何か祭祀を取り行っていた模様。それは婚礼の儀でした。白無垢の花嫁御寮さん、いついつまでもお幸せに脇道から境内を出てそのまま川喜田映画記念館へジェラール・フィリップ特集で映像公開も。入館200円、鑑賞500円という格安、近在ならば足繁く通ってしまいそう。岩波ホール支配人だった高野悦子さん、フィリップさま!と呼びならわしてらした当時の様子。敷地内には年に数回公開される哲学者、和辻哲郎の旧宅が移築されている。欧米の絢爛たる映画人もここを訪れたのだから、哲学者もびっくりだ。ここから細い小川に沿って南下すると間も無く、話題のくるみっこ鎌倉紅谷の新店舗がある。おや、店頭には人が並んでいない!チャンスと店内に入れば当日のくるみっこは完売。まだ一時過ぎなのに…聞くと開店前から既に並んでいるのだとか!別菓子とチョコを買う。そのまま鎌倉江ノ電駅へ。もうもう小町通りからこっち、すーごい人、人。若い人が多く、その様子は浅草みたい。若い人は古いもの、日本らしいものがお好きなのかしらん。やっぱり鎌倉来たら高徳院の大仏さまにご挨拶をせずには帰れない。昔は由比ヶ浜にあった会社の保養所に、家族で毎夏訪れた。海はそんなに綺麗ではなかったけれど人も少なく、何より保養所の庭隅の扉を開けるともう砂の小道で直ぐ海という塩梅。その頃の大仏さまは観光客なんぞまばらで自由に中に入り遊んでいたように思う。今は昔。昔ならざるのは美男のかんばせ与謝野晶子歌碑を眺め、口にする かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におわす夏木立かな実は阿弥陀如来であって釈迦牟尼ではないのだとか。それで後年歌を改めたというが。これはこれですっかり定着した。最後の訪問地は長谷寺何も紫陽花の時でなくても季節ごとに花々が眺められる、洞窟に弁天さまをお祀りするだけあって、女性好みのお寺初瀬に初声、地名の美しさ大和の長谷寺、鎌倉の長谷寺。一本の楠から二つの観音さまが現れ、西と東に安住された、物語のような縁起私はここに入った記憶がない。海に近い所ならではの、地形の洞窟でもあるだろうか。沢山の神さま眷属や七福神の中で一際優美な弁天さま四時にはカフェも閉じてしまう。駅手前でソフトクリームの念願果たし帰途につく。
2024.03.10
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2024/03/14/木曜日/花粉の量日増し新宿界隈でお昼というとだいたいここ、手打蕎麦ふじやの十割980円で決まり随分喉越しがいい。そういえば前回食べた時も思わずこれ十割?と支払いの時聞いたんだけど。それに、小麦混在みたいなダンプリング感ある。と思いながら半分ほど食べたところで。店員さんが大変申し訳ありません!十割蕎麦と二八を間違えてお出ししたので取り返させて頂きます!というではないか。思わず、やっぱりと答えて有難くお代わりの十割蕎麦をいただく。ありゃ、思いがけず二色もり?十割蕎麦には独特の歯応えがある。またお店によって水分量が異なるので、ぬるりと滑るか、少ーし硬くぱさり感があるか。こちらは後者に属するお店。生粉内で、一応手打ちみたい。蕎麦もそんなに長くは打てず。いろんな蕎麦やに行き、よくお蕎麦を食べるけどこんなことは初めて。正直に取替えくださりありがとう、どうもご馳走さまでした!
2024.03.14
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2024/04/02/火曜日/穏やか晴れ日、桜二分昨年冬に益子今年春には常滑と陶磁器、手仕事の旅の続く3/30 常滑は初めての訪問だ。焼き物散歩道という細い路地にはギャラリーやカフェが並ぶ。↓実はここに友人が作品を出していて、彼の作陶場を訪ねることが目的でもあった。↑モリーナ。ご主人が大変勉強熱心で彼の眼力の適った陶磁器が並んでいる。ここで発行している手作り新聞が勉強になります。無料!古い家並みが、土地の区分も曖昧なままに開発を逃れてぽっかりと残ったらしい。↓モリーナご主人のお母さまのギャラリーも週末開催。スペースとこなべここで、浜比嘉詩子さんの観音さま購入しました。↑童女のようなふっくらした可愛らしさ甕や下水管が地場産業として栄えた往時を偲ばせる廻船問屋のお屋敷もある。アニメ聖地というよりも新鮮な郷愁を呼び起こすのか、こういう場所には古いもの好きな若い人が案外多い。みんな大好きな路地、何故モダンな都市計画はそれを見落とす?お昼はカメラ好きの知る人ぞ知る、すぎカフェへ。タイカレー、デザートアイス、初飲みのブルンジコーヒーが付いて1300円!驚きのクォリティである。カレーもデザートもコーヒーも全て大変美味しい。オーナーの方は京大理学部卒らしい?こだわりがランチ意外にも随所に。彼自身の写真作品やカメラコレクション、著名な写真集など、カメラ女子も一日満喫できそう。とうとう、友人の急須を購入。すごいなあ!こんな美しい作品を造形できるようになって、おめでとう。
2024.04.02
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2024/04/04/木曜日/駆け込み乗客、指さはみ目標は5月中だったのに、昨日夜半には編み終わり。我ながらすごい。編むだけなら一ヶ月。その間仕事も2泊の旅二回も含む。とにかく睡眠を削る、読書をけずる。ひたすら編む。結果寝ながら編んでやり直す(T_T)↓半分繋がり、着てみる。袖方向ジャストサイズなのに着丈が随分短い。どこまで成形できるか。実はメインのTvinni tweedが足りなくなると思い、発注をかけたのだが、残り糸を繋いで何とか凌いでしまった。あーもう頼んじゃった。あの糸は一カセ100gある!不要となったのに、高いのに(T_T)どないひょーまあ、引き揃え糸を変えると表情がまるで変わるので、いいことにしよう。しばらく塩漬けかな。編みあげてからが長い作業となる。ハニカムのカラフル糸を短く切ってはつなげる、を繰り返しているため、結びコブがある。表に見えるコブは一つ一つ裏側に引き込んで端糸を始末→脇を縫い閉じる→また端糸を始末→水に潜らせる→成型する→自然乾燥をまつ。という工程の最後に辿り着く。あとは那覇の久高民藝で買ったボタンを付けて完了このカーディガンは信じられないほどよく考案されたデザインであることが編んでみるとよく理解できる。構築的な発想は西欧のもの、かなぁ。編んだばかりなのに、既にこんな糸買っちゃったーヽ(´▽`)/懲りないアタクシめ3月教室のブリオッシュレースも未だ手付かず。
2024.04.04
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2024/04/24/水曜日/終日こぬか雨4/15 旅も4日目、明日は空港本日は月曜日。一日を猫空予定でいたらロープウェイが月曜日はお休み、もちろん美術館なども。それで三箇所目のお寺を訪問することに。行天宮 今までの観光客も信者もごった返すような寺の雰囲気とは少し違うのは朝早めの訪問ゆえか。↑手水がある。心を洗い、心に問いなさい、とある。お静かに、みたいなプラカードを掲げた人や、お寺参拝の正しいやり方を教えてくれる奉仕者の方が沢山いた。みな真剣に祈願していた。気持ちの落ち着く廟だ。元々は関羽を祀る廟で、財産家が寄進して建立したのだとか。宗教としては台湾道教といわれる。商売の神様でもある。↓これなんかは道教的?タオイズム龍山寺では占いの仕方の勉強不足だったので、今度こそと予習して出かけたら、こちらはコロナの名残で未だ封鎖中だった。明後日くらいから再開らしいT^Tお守りが頂けると聞いて建物に入ると日本人なら奥の女性に尋ねなさい、とのこと。彼女は流暢に日本語を話し、お守りを私に下さり、お守りの言葉を唱えながら祈願しなさい、と仰る。無料だという。ありがとうございますと謝意を伝えると、また来なさい、とのこと。はい!やはり正しく占いをしないと(´∀`*)↓交差点地下の通路にびっしりブースがあった。有名な廟やお寺の界隈には占いのブースが沢山並んでいる。2度も占いが不発なので、占いついでにこの近所で人気の占い師さんの所に行ってみた。私が訪ねたのはこちら。先客がいて、外の椅子に腰掛け待つ。日本語が達者で日本人に人気らしい。出て来られた方も日本人親子だった。マスコミにも随分登場している様子。こちらの先生は毎年日本までも出張されていて、当たると評判。15分で3つの手法による占いで1300元。え、かなりお高めなんですけど。これが相場なんだろうか。特に占ってほしい切実感なくふらふらやって来てしまった。まあ仕事の事や、さほど長くはない将来のことなど尋ねる。本当は聞きたいことをちゃんとメモして時間を有効に使うのが良い。名前の字画、生年月日、米粒占いが用いられた。アドバイスをいくつか頂く。宿曜占星術や四柱推命でみてもらったラッキーナンバーとカラーが同じ。細々と考えたり妄想せず、とにかく好きなこと楽しいことを何でもやりなさい、ですと!聞いたか、ツレよ。そのように生きさせて頂きますと力強く頷く。先生はさっぱりしていて好感の持てる方でした。↓先生から頂いた春節に売られる運気アップのお菓子!これ普通に美味しいゼリーみたい。おまけに商売繁盛のお守り占いの後はマッサージ。鉄板な台湾でございます。肩凝りからくる腰のモヤモヤを解してもらう。オーナーは日本人。台湾で生きるためのあれこれをレクチャーしてくれたりして興味深い。時間がなければそれなりなアラカルト対応もしてくれます。日本語が通じるのはやっぱり嬉しい。何だか本日午前はみなさまにお世話をやいて頂きました。ありがとうございました。ランチは昨日の持ち帰りフードを捨てたくない!ということで、東門市場の反対側に広がるエリアでお惣菜やご飯をテイクアウトしてホテルの朝ごはんの食堂←24時間、自由に使える、コーヒー、お湯あり←で食べる。ワサワサと残り物が片付いて主婦的満足度高し。
2024.04.24
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2024/04/26/金曜日/春の日の芽吹き4/15 ようやく巡り会えたお茶やさん◼️プロローグ前々回だったかの台湾訪問は阿里山で過ごした。そこへのアクセスは嘉儀市で現地ツアー申込みの上、マイクロバスでうねうねと手入れされた茶畑を上り詰めて行った記憶がある。後からホテルの往復バスが嘉儀と高雄から利用できることを知ったのだった。統治時代に建てられたクラシックなホテルには蒋介石とその妻、宋美齢の資料展示室もあった。日米戦争の真の立役者は宋美齢では?と思わされる内容をそこで知った。彼女は客家の出身だが、9歳での米国留学を考えれば精神構造は米国人である。米国芸能界や報道、ホワイトハウスへの働きかけなどの手法を知ると単なる令嬢ではない。稀有なロビーストである。おっと、お茶から遠く離れてしまった。さて、その折に求めた高山茶が無くなり、前回訪問の2020年2月には知人が教えてくれた茗心坊で幾つかのお茶を買った。残念なことにその日ご当主は不在で、留守番のお客さんの対応だった。そのお客店長がやたらとお茶の投資を勧める。お茶のビンテージはシンガポールや上海のオークションで高く落札されるのだとか。お茶はお店がキープするそうで、日本人名の書かれた壺を幾つか見たけれど、そんな景気が今、大陸にあるのかしらん、とコロナを挟んで思う。日本人を応援したい彼が親切で言ってくれたとはいえ、お茶を投資と考えるのはいかがなものか。茗心坊の独特な焙煎発酵で臭みのないプーアール茶と阿里山茶、小梨山茶がまだ少し手元にある。後者二つは香り高く美味しい。それがお茶の全てだ。と思っていた。◼️興華名茶しかし、良いお茶はよい人をも育てる、そんなことも学んだ、今回のお茶体験。オーガニック、お茶などのキーワードでお茶やさんを探すと、乗り降りしている東門駅のお茶やさんがヒットした。お店に入ると直ぐに先客と私に小さな紙コップでお茶が出された。ご主人に挨拶して、陳列されているお茶の試飲ができるか尋ねると一瞬の間の後、構わないという。後から知ったが試飲一人500元と案内が出ていた。どんなお茶が好きか、と尋ねられ高山茶、でも東方美人茶も好きだなんぞと返答し、何年か前に阿里山で美味しいお茶を飲んだ、と伝えると阿里山茶を出してくれた。◼️台湾茶の淹れ方↑興華名茶のパンフレットから茶壺←急須茶海←急須のお茶は一旦ここで受けて聞香杯に配ら れる。湯冷し、片口の形態聞香杯←筒型の小さな湯呑み茶杯←茶碗小さい筒形の茶碗に入れてくれる。それを平たい小さな茶碗に自分で移す。初めの茶碗で残り香を聞くのである。平たい方では色を見る。2杯目の時、急須の茶葉を茶匙で優しく天地替えみたいな作業をしている。それは何かと尋ねると茶葉に空気を触れさせているのだとか。3杯、4杯、味は力強くなってくる。5杯目くらいがピークで7杯ではカタンとばかり弱くなる。お茶を楽しみながら、四代目ご当主の台湾茶の講義が延々と始まる。お茶のバイオダイナミクスについて。農薬と消毒薬、化学肥料の問題について。モンサント社のことまで話が及ぶ。もちろん日本語である。或いは喫茶の哲学について。うちの店のお客さんは夜、夫婦で静かにお茶を愉しむ、本を読み音楽を聴く。そんな時間を持てるのがお茶なのだ。お茶は瞑想だ、ともいう。本物のお茶を飲むと身体は忘れない。脳の感覚が開く、というようなことを説明してくれる。ときどき私のお茶体験について質問をする。そんな話をしている内に特別なお茶の試飲をしてくれるというではないか。茶館に向かったツレに急遽電話して、そちらをキャンセルしてこのお茶やさんに至急来るよう伝える。何処の茶館?何で茶館?と聞かれて、ツレはその雰囲気が好きなようだと応える私。ご当主のお茶好きな知合いは、見晴らしの良い所でお茶を楽しみたいとき九份の茶館に行く。お茶は自前で、お湯だけ貰う?買う?のだとか。あんな観光地に美味しいお茶はない、という。なるほど。観光客=私、の知らないことだらけだ。先ほどの阿里山茶は花の香り。色は蜂蜜。私の薔薇ピローと似た香りだと帰宅後感じた。ご当主が直接管理している茶園は阿里山と梨山にあるという。梨山の茶園は高度2300m。雪は降らないとのこと。寒暖差が大切。日が昇る頃、霧が立ち込めその霧にはお茶の香りが漂うのだという。見せてくれた茶園の動画には鳥の鳴き声も聞こえ、まさに深山。お茶はこの高山の土のミネラル、草、花、熟した実、と杯を重なる毎に変化するのだと教えてくれる。確かに梨山茶は香りも味も阿里山茶の変化とは次元が違う。お茶の中に大自然が映り込んでいる。梨山のお茶の色は翡翠のよう。香りは深山とでも言うのか。香りと味の境界がないような、渾然一体の深山の体験、とでもいうのか。味の言葉の表現が追いつかない、とでも言うべきか。とにかく体験、体感するしかない。ということを知った。お茶がパワフルな時に感じる渋みは、これが甘さの元であることが分かる。間に呑んだお水がびっくりの甘さ。うーん、これが自然。ポリフェノールやタンニンに転じる土、虫、樹木、雨、風、太陽人間が沢山入り込むような茶園ではよいお茶は育たない。土がダメになる、汚れる、というようなことも言う。彼の梨山の茶園の堆肥は大豆だそうだ。発酵させているのだろうか。大型トラック一台分で120万元⁉︎←聞き間違いかも←だから店で売ってるお茶の価格は割に合わないとか。阿里山の茶園の堆肥は大豆ガラ、高度も自然環境も梨山とは違う。まあ価格が順当に反映している。ご当主のお茶の話には一切うそがない、と私は感じた。日本の水は軟水だが台湾の水はどうか?お茶には水が重要なのだ、こんな会話が弾むお茶やさんに出会えたことが今回の台湾訪問の最大の喜び。喜びはごく近い所にあったのだ。廃棄する茶葉はどうするのか聞くと、有機栽培の茶葉は政府?市?が回収して堆肥にするのだとか。そんな循環が組織化されている台湾、市民自治と公共がうまく噛み合い、羨ましい。私たちは阿里山茶と梨山茶を購入した。どちらもそれぞれのミドルクラス。このお茶やさんに私は何度も戻って行くだろう。渡りの鳥のように。
2024.04.26
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2024/04/26/金曜日/西へ東へ南へ花粉多少〈DATA〉出版社 芸術新聞社著者 平山周吉2015年4月20日 初版第1刷発行〈私的読書メーター〉〈本タイトルは意外にも物議を醸す現代アーティスト会田誠の展覧会から。彼の作品に藤田のアッツ島玉砕を読み重ね、過日著者が向き合ったその絵の背景を縦横に追う。編集者由来の執念を覚える。閑話休題、会田誠は社会学教授実父を疎い、父三島由紀夫、祖父小林秀雄を仮想しているとか、笑う所か呆ける所か揺れる。藤田の揺れ方もそのサービス精神においては三島同等か。しかしアッツ島を観た刹那、私はこれを反戦画であると直感したしゲルニカにはこんな動揺を持たなかったことを思い出す。岡本太郎には自身の同心円拡大芸術の一つのカタチを見る。〉我が市の図書館にはこの本の所蔵がない。ふん、何が平和都市宣言か。選書会議をまともに持てるほどの人材もおらぬかと毒づきたくもなる。したがって随分待った上に2週間ポッキリで返却せねばならぬ。中5日は旅行で不在。同じ著者による小津安二郎の本だと全然間に合わなかっただろうが、これは比較的早読みが可能だった。また、私の関心の寄せる分野でもあった。藤田嗣治は、現地に行かず、というより現実的には行けずに取材や写真を通してアッツ島玉砕を描いたのである。しかしその絵が現実と同じ力を持って戦争の悲惨な痛哭を観るものに訴え来るのだ。この絵は絵以上なものである、と直感した著者がその絵の根源を探っていく、そんな本である。本書にはアッツ島で玉砕した一兵卒と部隊長の実例が詳細に取り上げられている。花巻出身で帝大を繰り上げ卒業した太宰治の弟子にして詩人、三田循司の父が10年後、アッツ島に骨をかひろいに行く章の、父の哀切。部隊長山崎保代の境涯も涙無くして読むことはできない。このご家族のもつ、日本人とは何かを語りうる佇まいは、もはや令和の世で見つけることは無いだろう。 私たちが平和で民主的であろうとして失ったものも確かに存在するのだ、という事実は相当苦しい。 藤田の父は森鴎外の後任として陸軍医総監になった人物で、息子から画家になりたいと聞くと森鴎外に相談した。そんな環境で育った彼は親類縁者から戦局の機密も漏れ聞いたことが想像されるのだ。まして欧米に芸術家として受け入れられ、世界的視野をもつ藤田は、あれだけの戦争ゆえに転倒したとはいえ、その芯の芯は近代を凌駕しているように思われる。花々。北限の、短い夏を命を燃やし咲くアッツ島の花藤田が観想でとらえ、杉山吉良が歳月を超えフィルムに捉えた花の姿そこに托されたのが著者の、藤田アッツ島玉砕という戦争画への祈りでもあるのではないか。ところで、ここでも小林秀雄である。平山周吉氏は、大叔父小林秀雄と仮定かな?かなりな敬愛ぶりだ。同時に読んでいる橋本治と同じ引用を見つけたが、私もこの小林秀雄の啖呵にはしびれる。「僕は無智だから反省しない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか天皇制の問題も単なる政治問題ではないでしょう。それは単なる政治的判断ではないからだ。日本国民という有機体の個性です。生きている個性です。不合理だからやめるというわけには参らぬ。個人でも強い人間は飽くまでも天賦を生かして行くでしょう。短所欠点さえ美点に変じて生かすでしょう。偉い人は皆そういうことをやっている。日本国民がもし強いなら、天皇制を生かすでしょう。」平山周吉は『小津安二郎』から2冊目この人の日本人へのアプローチが好きだ。しかし、この人には蒋介石を書いてもらいたい。蒋介石を通して日本人を見る。なんて。
2024.04.26
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2024/04/29/月曜日/八ヶ岳は薄曇り同じ神奈川県なのに、ウチからは本当に遠く感じる電車三本乗り換えの1時間30分。それが元町・中華街駅が最寄りの近代文学館そんなわけで近代文学館では興味深い催しがあっても腰が重い。しかしながら、今、絶賛積ん読中の橋本治の回顧展が開かれていて、彼の編み物も展示中。しかも前期後期で若干入れ替えがあるというではないか。むりくり時間を拵えた。爽やかな晴れ間、港の見える丘公園を散歩しながら海風を感じお散歩を楽しめるのも一興と。橋本治はたまたま今読書中でもあった。一番の楽しみはやはり彼の編み物。残念ながら撮影ができない。これ、近代文学館の方はちょっと考え直してほしいなあ。彼の作品は基本が編み込みで、その緻密な色彩配分にあり。やはり桜のカーディガンに目を奪われた。ところで橋本治が影響を受けた作家2名、久生十蘭と有吉佐和子、との紹介である。有吉さんとは交流があり、千羽鶴?鶴?のセーターをプレゼントする口約束をしていたらしい。突然の有吉さんの訃報の後、セーターは編み上げられ、親族の方に贈られた。義理堅いのである。真面目に遊べる人である。駒場祭ポスターデザインで一躍有名になったように、彼の仕事のスタートはデザインだったのだなあ。ポスターは着れないが、セーターなら着られる。これが編み物開始のきっかけという。沢田研二ステージに衝撃を受け、突発的に編んだ作品が素晴らしいできだった。丘を南に下りて、李園でエビそばを食べ、再び港の見える丘公園沿いに駅に戻る。日本的な味付けの町中華。人気店、うむ旨し。横浜雙葉を通り過ぎたところに素敵な住宅を見て、ベーリック・ホールだけ早足で見学。弘前でもこれと似たサンルームの洋館があり、そこでアップルパイを食べたなぁ。子ども室らしい演出が施されている。ここが一時期学生寮になっていたとは!しかしどんな具合に部屋を分割したのだろう。パタパタと次の集会所でバナー作り。私の持分は き の文字。チチアガールをイメージして、とりあえず作りあげました〜これは政治的手芸部のフラッグに。
2024.04.29
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2024/04/30/火曜日/雨のち晴れ間3月のニット教室は久しぶりのブリオッシュ編みしかも作品作る系とは嬉しい。↓この模様の左は編んだことがある。右は挑戦したことはある。こんなレベルの私め。3月お教室で習った後、今月1日からひたすら挑戦しているのが、右より複雑なブリオッシュレース編みのスカーフ。↓この状態で編んでは解くこと日に10回ではきかない。何でこんなに間違うのか?イタリアンキャストオンばかり上達T^Tというのも、二本の糸をそれぞれ独立で編み、かつ斜めの絵柄なので、間違えた所まで戻るのもややこしく、えいやっと始めまだ戻ることに。少しばかり、過ちを記録しておく。↓涙の5日目くらいにはおや、いけるの?私。広げて見るとなに、ここ、なのだった。この製作はフリー、先生曰く彼女の初期頃発表の作品だから、丁寧に説明されているとか。英語の文字、省略形をひたすら目で追う内に眠りの魔法はかかる。あらぬ方向に編み進むを繰り返し、とうとう同じミスを犯していることに気がついた。そこで製図説明書を自分なりに調整して、一目を作るところを省略、その目に二目入れる、戦法に切り替えた。そしてシンメトリーな法則を最優先で編んだ。ようやくブリオッシュレースの中では比較的シンプルなこの模様編みが自分のものになりつつあることを実感T^Tそれでも途中に何回か編みほどいてやり直したけれども、始めまで戻らずリカバリーできた。4月のお教室では、殆ど完成品を先生に見ていただけた((o(^∇^)o))寒くなるのが待ち遠しいなあ、しみじみ。
2024.04.30
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2024/05/06/月曜日/曇り、風強いもうゴールデンウィークも最終日。瞬く間に過ぎた、とはいえ詳細を思い出すと色んな経験体験が積もったお休みだ。今年のゴールデンウィークの始めは、長野県原村近くの稗之底古村を娘夫婦と散策した。とても印象的な日になった。◼️プロローグ稗之底古村には実は2ヶ月前、大先神社を探して踏み入ったが、雪に足止めされていたのだった。↓車道からすぐの林は、人の立ち入りが多いのか雪はあまり見られない。↑しかし村址近くなると雪カサは増していく。八ヶ岳南麓は降雪は少なめで、通い始めた30年ほど前に比べ本当に雪が少なくなっていたので思いがけないことだった。結局、大先神社の背戸の台地をうろうろしたあげく絶縁帯入り口も見つけられず諦め帰途に着いた。◼️大先神社?水神社?リターンズ村址近くに車を止めて、入り口を探す。ソーラーパネルとたんぽぽの広場、それは雪の台地だった訳だけど、その涯に絶縁帯を示すオレンジの布が下がった入り口を認め、そこから入る。↓入り口近くの山桜は満開、一ヶ月で姿がすっかり春に今回初めて分かったが、この村址には他にも幾つかアプローチがあり、山間の散歩道からふっと入れる水路と一体となった青い細い橋が目印だ。さて、私たちはここを渡り、一旦車道を越えてまるで小人たちの隠れ家のようなウロのある、木の根本にこんな祠を見つけた。周りは手が入れられているので、地域の方が定期的にご奉仕頂いているのだろう。さて、ここまで足を伸ばす前に、村址に入ってすぐに小さな水路沿いを歩きこんな表示と階段を発見していた。でも水神社とあるので、求めている大先神社とは異なるかも、と先を歩いたのだった。八ヶ岳の雪解け水の流れは美しく、林は輝かんばかりで足元には高山植物の花花それらを踏まないように水路沿いの細い道を一列で歩くのである。先頭をゆく私が突然止まり後ずさる。後ろの二名、えと驚く。ナニナニ!道に蛇の胴体が横たわっているのよΣ(゚д゚lll)こちらも驚いたけれど蛇も驚いただろう。鎌首もたげて水路と反対の藪に入り、先端の裂けた赤い舌をシャーシャー出したり引っ込めたり、まるで小さな炎のようなのだ。三人が固まったままじっとしていると、当初の目的と思われる水路に、頭の方だけ落として胴体は小道に尻尾は先ほどの薮に。蛇、じっと動かない。えー、なになに何してるの?後ろ声、あーお水飲んでる。えーどれどれ、うわ。蛇がお水飲んでる所を初めて見た!水路の水は透明で流れが早い。その中に頭ごと沈ませて、流れの中でゆらゆら膨らんだり萎んだりするみたいにして水と同化して補水しているのである。ゆうに2メートルは超える薄緑色の蛇はゆっくりと優雅な様子で水神社の方へと上って行くのだった。日記に動画が貼れないのを今回ほど残念に感じたことはない。先まで行ったけれど結局、水神社が大先神社だろうとあいなり、始めの地点に戻る。◼️不思議な図形、御神体?図柄が刻まれた石を真ん中に祠が二つ↓石に刻まれた図柄これやはり水分神社のシンボルではなかろうか村の記録を示す看板があった。1570年の記録にも残る古村だったが、この地で作物が実らず木も全て伐採され、結局住人たちは村を諦め、立沢と乙事に移って行った。この乙事はもののけ姫に登場する、おっこと主の名の由来。この辺りではゴールデンカムイもキングダムも撮影されているのだ、そういえば。さて言い伝えでは植松、北原、五味などの苗字は、稗之底村からの移住者とされる、とある。苗字があったということは、戦国時代の敗者や信玄の歩兵たちが集ったのかもしれないなあ。水路工事は四百年前から営まれたものだとしたら、立派な仕事だ。それにあの石に刻まれたのは剣、と見るのが正しいかもしれない。◼️エピローグ偶々、こんな本も読んだ。↓鹿児島睦さんの皿絵あの蛇は青大将と思われる。しかし、私たちにはこの村址の御神体のように感じられ、去り行く後ろ姿に手を合わせたのだ。
2024.05.06
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2024/05/07/火曜日/小雨3月からのチョー大変だったブリオッシュレース。今は解放されて、ワシワシと細編みだけで編む手袋に取り掛かった。先月立ち寄ったオカダヤさんでサンプルを見て、何だかニットで編むより簡単に5本指が編めそう!とついついサンプルに対応するブリティッシュファインを購入し編み図を頂く。因みにサンプルはグレー×ブルーだったが、あれこれ考えてブラウン×黄色に。そしたらなんと!図書館で借りた冊子に、この編み方で、ミトンタイプで同じ配色を発見!わぁ、すごい奇遇と喜ぶ。指定の針号数より落として、かっちり編んだのだけどどうしても編み目の穴部分が大きい。次はもっと細め糸を使用して、3号くらいで編んでみようかな?と編むたびに手習いばかりが増える。
2024.05.07
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2024/05/08/水曜日/突然雨或いは晴れウチの事務所から徒歩圏内に鎮座する神田明神何度かお参りしているが、お札は未だ頂いたことがない。大体ニレイニハクシュイチレイ、できればご朱印、で済ませる不届者。お札をいただこう、商売繁盛の霊験アラタカというではないか。しかもこの地域の、吹けば飛ぶようなウルトラマイクロ事務所で働いてるんだし。↑男坂よりキツイ謎の階段をはあはあ上り、昨日のお昼休みに思い立ちでかけてきた。お参りを済ませ、やはり御朱印を頂く。コロナ以前からこちらでは書き置きのみ、なのだそうだけど、御朱印が丁度収まるクリアファイルが付いてきた。何かと潤沢なんだなぁ。肝心のお札である。左からずいーと眺めていくと右の方にある。それにしてもありとあらゆる人間煩悩のお守りがうち揃い、守備範囲が広うござります。参拝者がまばらで暇そうな雰囲気なので、日頃疑問に思っていたことを尋ねてみた。今お札を求めると、一年後新たに求め直さなくてはいけないのでしょうか?応えて曰く一年で効力が落ちたりするものではありませんが、そのくらいの頻度でお参り頂けるとよいですね。(こんなにあれこれお守りお札があって)、商売繁盛のご利益あるのでしょうか?などと不躾な質問に必ずあります!と、こうきっぱり肚の底から仰るではありませんか。すごい。この大肯定に背中をびしっとどやされ、背筋を伸ばして緩め男坂、降りる。私はあなたの真っ直ぐな心意気を信じますとも。
2024.05.08
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2024/05/10/金曜日/晴れ渡るはっきり言って、山崎賢人の陰陽師との選択で迷ったのだった。館内はほぼ満席。この映画館が満席に近いってハリーポッターシリーズ以来かも。驚き。アカデミー賞7部門受賞のきらびやかな覆いはあれど内容は原爆開発の技術者リーダー、理論物理学のオッペンハイマーの物語なのだから。オッペンハイマーは『ご冗談でしょう、ファインマンさん』で知った名前。だけど随分昔の読書なので私の彼へのイメージは原爆開発者として、科学に裏付けされた冷酷な人物、権威主義者 と勝手に虚飾されていた。記憶ってこんなものか。映画を通して見れば、年齢とともに他者に気をつかう繊細な人物だった。そして辛抱強い。当たり前か。コミュニストの元恋人の自殺を知った時に見せた、まるで天涯孤独者のごとき彼の嗚咽は何だろう。ヒロシマ、ナガサキの多くの市井の民の命をこれ以上無い苦しみで奪い去る武器開発の当事者としての嗚咽は無いのか、どうなんだ、と日本人である私は問いたくなる。時の大統領に、泣き虫坊やはもう連れて来るなみたいに吐き捨てられるシーン。これぞアメリカマチズモ漢の能天気なパペット、みたいな大統領。アメリカの観客席ではどう受け止められるのか。原爆実験成功のはしゃぎぶり。この先にヒロシマ、ナガサキの犠牲を知る私たちは科学の成果に、人類史上初めて拒絶した民族だ。そのはずだ。それがまあ、20110311の自爆なのだから。悲劇と皮肉は地球の核まで届く叫びとならん。科学が夢見たものが即、産業と結びつき金儲けに展開され、その端の端のすみっこの、残された甘味をチウチウし暮らしてる私のような人が、この場内にも99%。己の罪悪をひたひたと館外に出る。にもかかわらず五月の美しさを何としよう。フィルターを外すファインマンさんボンゴを叩くファインマンさん妙にそこだけ野生を覚え。
2024.05.10
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2024/05/22/水曜日/薄曇り5/18 釧路博物館へ設計は毛綱毅曠(もづなきこう)。彼は釧路出身で、市内にいくつか手がけた建築を見るツアーなんていうのもたまにあるらしい。ポストモダンな建築家のイメージがあったけれど、この建物は割と大人しめ?尤も博物館なんだから、展示物がメインとなりつつ清浄な空間であること、建築物がうるさくないことが望ましい。先ずは4階から。丹頂鶴の展示が比較的充実していた。背景画は特殊撮影で活躍された方の手になるのだとか。撮影のセンス次第でとてもリアル感が出る。お仲間が、まるでホンモノみたくパチリと。4階から降りる。エレベーターは3階の表示はあれど、反応しない、止まらない。なぜ? 3階は2階の吹き抜けになっていた。ここではアイヌの人びとの暮らしや技術が観られる。興味深い船は丸太くりぬきの底に胴腹は板をヨロイにはぎ合わせてある。しかも縄で。おそらくヨシを編んだ帆のデザインがモダン。あ、ゴールデンカムイが!博物館を出て春採湖から釧路の街や太平洋を眺める。桜は終わり、たんぽぽとアザレアが賑わっていた。更なる眺望がある、とMさんが連れてきてくれたのは仏舎利塔。これは一人の篤志家の寄贈で建立されたそうで、好景気に沸いていた釧路が偲ばれる。ところで炉端焼きは釧路のお店が初めて開いたスタイルとのことで、夕飯はみなでぬさまいさんへ。小さなお店は人気で予約必須らしい。お魚はもちろんだけど、しいたけや野菜がとても美味しい。美人姉妹が焼いてくれます。
2024.05.21
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