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2021/06/21/月曜日/曇り小雨観たのは3ヶ月前、とはいえ随分時間が経ったような気がする。昨年春頃から芝居はおろか映画館も図書館までもが全て閉ざされた。その後、ぽつぽつと再開された初めの頃は、今舞台が観られる!という現実がまるで奇跡のようだった。今年半ばからは偶に中止や延期もあるけれど、少しずつウイズコロナの日常になりつつある。それでも役者たちのパフォーマンスはコロナ前よりずっと熱を帯びているみたい。レミゼの初見はもう10年以上前だけど何か全てが板に付いてないというか、お目当ての役者さんを見に行くみたいなノリだったような記憶がある。今回のレミゼは本当に素晴らしかった。ジャンバルジャンの苦しみ葛藤、人間的大きさ並外れた存在、ジャベールの職業意識、貧富、革命、若い人たちの理想、出会いと恋など、ビクトル・ユゴーの描く世界がしっかり消化され吸収され、眼前に立ち上がったと思う。2019年6月にウエストエンドで観たものより舞台が大きいだけに帝国劇場の方は迫力があった。レミゼはやはり大きな舞台が似合う。ロンドンでは幕間にアイスクリームの売り子が来たり、舞台と観客の距離が近い。ミュージカルが暮らしと共に普通にあり、アフターファイブの楽しみの一つみたい。
2021.09.18
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2024/10/10/木曜日/薄ぐもり成形、乾燥に3日ばかり編むだけでまるまる1月↓試着、ゴムベルトの長さ確認。ジャージの上からという!イサガー社ポルカスカートは子ども用デザインそれをアレンジして、オープンプリーツな雰囲気に仕上がった。ウエストにゴムベルトを通し、穴をふさいだところで、ベルトのねじれを発見!わたし、あるある。挫けそう。編み地と綴じ糸の見分けがさっぱり。何とか修復はしたものの、当初の仕上がりとは月とスッポンである(T-T)それでも思った以上に糸の性格とデザインが調和が取れて、軽くてかさばらず、断然気にいる。いい加減この糸に飽いて来たのだけど、残糸多いのでもう一点、プルオーバーを編むことにした。セーター類の中では今のところ一番好きなレシピ。ヒロセミドリさんのホワイトマウンテン一度スタディ編みしたけれど、バリエーションを変えて何度でも編みたい。スカートは3号針、こちらは6号針で。サイズはMAX大の一つ下。ゲージで確認したけれど、出来上がるまでは?丈は全て自分好みの地点を選択できるのも良い所
2024.10.10
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2025/10/04/土曜日/秋雨コノシマニマスアマテルミタマ神社、通称はコノシマ神社、を辞してほぼ真西、広隆寺の弥勒菩薩さまに会いに行く。久しぶりに訪れると、かつては吹きさらしの粗末な納屋のような場所に陳列されていたと記憶する、仏様方が、豪奢な宝物館に安置されておられた。私はかつて、を愛する。弥勒菩薩像が、ここに来訪したヤスパースというドイツ哲学者から、人間実存の最高の姿と称された紹介も掲げられていたことも記憶に鮮やかだ。この菩薩を愛してやまない若者が菩薩に抱きついて指を折られた逸話などを父が万感込めて話してくれたことも懐かしい。真言オンマイタレイヤソワカ御マイトレーヤだろうか。オンはアウムだろうか。マイトレーヤとは弥勒菩薩の原語と思われる。ソワカ?よく聞くけど何だろう。検索。成就されますように、の意だという。一切の穢れを払うこのふくよかな微笑の先にある深い思考の姿。有難い。オンマイタレイヤソワカ。↑聖徳太子と大日如来の扁額も。地名太秦には秦の字があるように、ここは渡来人秦氏の開拓した土地だ。コノシマ神社との由来を寺務所で尋ねるとなんと!電話で上の方に繋いでくださった。女性だった。その方は神社との由来と聞いて、大酒神社との習合を説明して下さるが、私はコノシマ神社の案内板で、この神社がユダヤ由来であると表記されていたことについて尋ねたのだった。両社は秦氏建立だ。お寺では、そのような記載は現存しうる過去からの資料に全く触れられてない、ときっぱり仰った。清々しい認識で、寺の持つ清潔さが伺われた。通りすがりの観光客の一人にすぎない私にさえ、丁寧な対応である。それでも気になる蛇塚古墳。地図を見てほー。コノシマ神社、大酒神社、広隆寺は東西一直線に並び蛇塚古墳のウシトラすなわち鬼門に広隆寺が配置されてある。小住宅の並ぶ細道に忽然と現れる。剥き出しになった石舞台らしき大岩の構造物。鍵穴の穴だけを残して周囲は丸く細道で縁取られ日本で4番目の大きさの石舞台古墳であった事が記される。7世紀に五つの指に入ろうかという豪族の墓なのである。わずか40年前、人家は今よりは大きい規格で、かつての前方後円墳に沿って配置されていた。今を生きているものに利用されるが道理。朝刊の斉藤美奈子、旅する文学コラムは京都編「古都特有の閉塞感と排他性」それそれ!これこそ文化骨頂の羊水にして揺籃。その典型をこの地に垣間見る。岩を割いて、樹木は空へ最寄り駅まで歩いて12分。2駅目が円町。良い場所にホテルを得たもの。
2025.10.04
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2025/10/05/日曜日/曇りのち晴れ26時間滞在の京都でもっとも期待されたのが、早朝の竹林の散歩だった。なぜかこの2ヶ月ばかりずっと竹林の道に恋焦がれて、海を懐かしむ貝殻の心地だった。6時15分頃ホテルをでたのだが、もっと早く出るべきだった。外はこんなに明るい。円町からは何と3駅目。市中にいると遠いイメージの嵯峨野嵐山も円町からは8分ほど。渋滞もない。下車すると、勝手知ったるかのごとく欧米系観光客方が、すごい勢いで運命づけられたように一つの場所へと急ぐ。は、はーんと尾行する私。あっという間に竹林の入り口へ身体の芯が静寂の音を知る感覚。汚れのない真っ直ぐな青のトンネルを歩く感覚8月にタイで歩いたヘルファイヤーパスの重さが払われるような、禊の感覚↓20250810あの道はこの道へ私を運んで、深呼吸させてくれたのだなあ。↓20250810質問に答えてガンジーが言った。平和への道などというものはない。平和こそが道なんだ。↓20250810どこかに通じてる大道を僕は歩いてゐるのぢやない僕の前に道はない僕の後ろに道は出來る高村光太郎「道程」から私も私の足で一歩ずつ平安の足跡になる道を歩くのだ。
2025.10.05
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