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2026/09/25/金曜日/スズメ蜂とアシナガ蜂大量彼女の作品が見られるのは嬉しい。しかもアールデコで名高い庭園美術館とは彼女が芸術家としてスタートした時代と空間のスフィアどんなふうに呼吸しあうのか入館まで時間があり、ショートビデオを見た。「ろくろを回しながら死にたい。」これが彼女の全て、と言えるセリフだ。私にそんな濃密なモノがあるだろうか。ぼんやり考える。縁側で、編み棒動かしながらくらーん、くらーんと眠りに落ちてなんてのが望ましいかな?↓ニット文椀 玉すだれ様のポツポツに手遊びが作品の中にニット文様と名付けられた椀を 見つけ、近しい気持ちになる。オーストリア生まれの裕福なユダヤ人何不自由なく成長したが、ナチス侵攻で、イギリスに亡命した。↑この黄色、温かみがある食べるために陶器のボタンを作製しそれが人気を博した。馬喰町のアンティークボタン屋で目にしたような父の3回忌に仏壇サイズの小さな花瓶を知人の陶芸家に作ってもらった。それらは親戚、家族に送った。随分前のことになる。↓螺旋の拍動/溶岩釉花器/山崎サントリー美術館作陶にあたり、私のイメージという事でリーの作品集を渡した。本当は父の遺骨を混ぜてほしかったが即答で断られた∑(゚Д゚)やはり。↓青と緑と金色、あわいの美新館から周ってしまい、展示が少ないながらもじっくり見られて構成もよいと思っていたら展覧会はお屋敷と新館の2部構成でしたーお屋敷の方は建物や背景の情報が過多で、作品にすーっと入ることが難しいようなこの建物とマッチングするのは例えば、ニューウェーブな盆栽とかワインの世界とかフレグランスとか?⁇↑このお皿に魅せられました。
2026.09.25
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2026/09/09/水曜日/蒸し暑き重陽もう9月、しかも中旬とは驚きあと3ヶ月もすればジングルベルの音がモンゴルの日が遠くなる前に記録地平線の向こうから昇る朝日に照らされるゲル。満ち足りて眠りから覚めるのに、この程度の施設で事足りるのだなあ何といっても地上と天幕に包まれて眠るのだから◼️モンゴルの男は韓国の男の2倍働くモンゴル人ガイドのイゲンさんのお言葉なぜ韓国人かというと、モンゴルには韓国人のお店が多い。勢い韓国人がたくさん就業している。コンビニは韓国資本の独断場モンゴルの男⁉︎ドライバーのサガーくらいしか知らぬ。ゲル入り口の前で洗濯液のバケツでブラシを使いながらリズミカルにTシャツ洗ってた。自立している。清潔好きらしい。ゲルを組立てるのに、男4人で2時間と、インゲさんは言う。◼️泊まったゲルは私たち以外ほぼ韓国人韓国料理も当地ではポピュラー極端なハナシ、草原にポツンとあるようなレストランでもキムチスープが出る。ホンゴル砂丘では、9割方韓国人団体家族連れもいたりしてその多さにびっくり!◼️コーヒーが美味しい大抵の食堂で、コーヒーマシンから美味しいアメリカーノが飲める価格は日本円で500〜600円くらい。そこそこ高い、日本と変わらない。お土産で有名なゴールデンゴビという名のモンゴルチョコ。ゴディバの職人を招いて本格的なチョコを開発したのだとインゲさんがいう。昼食はワンディッシュに肉、野菜、ご飯で1000円から1200円くらい。肉たっぷり、お店によっては美味しい。因みにウランバートルで食べたモンゴル料理はびっくりの美味しさだった。◼️ウランバートルの女性はシックこの看板↑のお店、↓ナショナルデパート近く、が気になったけれど、レストランの予約時間が迫り立ち寄れず。ナショナルデパート、通称、ノミンデパートモノトーンを着こなす、姿勢の良い人が多い。知的で洗練されている。中国にくるまれ、ロシアのシャポーをかぶっているような地勢だけれど、明らかに二つの大国とは異なるセンスがある。◼️ロシアは嫌われてない。特にこのロシア車、UAZはゴビ砂漠の道なき道を行くのに素晴らしく安定感を見せた。頑丈である。素朴、愚直な車である。ロシア人気質というものが分かる。この車のオーナードライバーたちのココロはみな兄弟。すれ違う時は、ほぼ100%、ライトで挨拶を交わし合う。運転するのは男性しかみかけなかった。漢好み、ブラザーフッドな車なのだろう。↓モンゴル土産、古いあぶみの真ん中にUAZミニカー◼️WISEがどこでも使える空港のATMで現金を引き落とせず、焦った。キャッシングでわずか引き出す。翌朝、カラコルム移動前に寄ったスーパーには4機のATMを設置していた。引き出せたのは、これ一台↓マシンの右上にApplePayの表示ありしかし、訪れたお店の津々浦々、露天の土産物店でさえもWISEが使えた。換金した2万円分の現金は残しても仕方ないので、飲み物やスーパー、チップ、お寺などで遣った。アメックスなどは使えないようだった。
2026.09.09
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2026/08/20/木曜日/神田でシオカラ見る18/火曜日アエロモンゴリアから見える風景は茶褐色の乾燥した砂漠地帯を東へ行きは5時間半ほどのフライト、帰りは5時間弱のフライト。時差は1時間実感として遠さを感じない。人びとの姿、振る舞いには親近感↓同日午後、海岸線の際まで丁寧に耕された田んぼや畑の勤勉な、潤いある緑の階調、千葉雨の被害が旅の間も案じられた。身体の疲れがようやく顕れた2日目にはや仕事スタート◼️ZOLO HOTEL夜遅く辿り着いたウランバートルモンゴル最初のホテルは朝眺めると意外にも明るい感じ。パスポート提出。お嫁ちゃんの名前で予約を入れていたため、名前が違うとかなんとかやや揉めるも、何とか通じて部屋に入る。お水を2つくれる(^^)↑部屋からは線路が見える中央駅が近い部屋はだだっ広く、レベル三つ星だっけ?でも、バスローブ用意がある辺りソ連時代の名残りかな?チェコやハンガリーでも、歯ブラシ無くてもバスローブはホテルにあった。おまけにそ朝からシャンパンが供給されたことにもびっくりだったけれど、当ホテルは食事はせいぜい一つ星な印象フロントの貧弱さに比べると、お部屋は充実しております。中心にもそこそこ近くて便利。朝ごはんはどこも大抵8時からみたい。モンゴル時間?出発を8時設定にしていたので、気の毒にドライバーさんが待たされる。フライドライスだか、クックドライスだか。美味しい。ヨーグルトクセ強い。欧米系、韓国系多い、日本人皆無だった。ロシア人の年配の方が半分以上さて、9時です出発進行♫スーパーのATMでお金下ろしたり飲み物を買ったり、意外と時間が過ぎる。途中、お昼ご飯を食べ、ミニゴビ寄ったりガソリン手当てをしたりだったので、カラコルムに着いたらもう4時過ぎ。↓菜の花畠!カラコルムまでの草原風景はやさしいドライバーとは全然会話が通じないけれど、ガヤさんとお嫁ちゃんでツアー内容の打合せができていて彼がそれを理解している模様↑ハンガリーのグヤーシュがよく食べられている美味しい😋↓少しの水溜まりも貴重な、半野生馬たち◼️GAYA’S GEL HOUSEハラホリン=カラコルム心踊る!初めてのゲル泊ガヤさんの始めたゲルハウスを2人のお嬢さんが引き継ぐ。それぞれに完璧な英語と日本語を話す!勢い、日本人と欧米系宿泊者が多い。↑ガヤさんのオフィス、食堂のある本棟テラスに寝転んで本を読むゲストさんも。日陰は涼しく爽やかここのゲルは後に宿泊したどこよりも施設環境が素晴らしい。野生味を求める人には物足りないかもだけど。まず、ゲルまでスターリンクが来ていた。ゲル内のアウトレットも不足なし。清潔!別棟のシャワーはお湯も出る!ゲルの中のインテリアも若い女性の目線セレクトが効いている。少しアンティークなテーブルセットとか。ガヤさんのオフィスには、何とセキュリティカメラによる各ゲル入り口のモニタリングがされていた。このゲルハウスはゲイテッドなので、夜間は重い門扉が閉ざされていた。施錠はしてないけれど。ここに一泊しかできなかったのは、本当にもったいないこと!この地は避暑にもぴったりできれば連泊してゆっくり過ごしたい!翌日には夫が遅れて参加のため、ウランバートルに戻るお約束3人で泊まり朝ごはん付きで8500円ほど、との事だった。◼️H9HOTEL街の中心部屋の撮影忘れ。ドアを開けるとラウンジ。ベッドルームは奥、二つの部屋はドア無しでつながり、間にサニタリールームやはりバスローブあり歯ブラシなどアメニティももちろんスタッフもしっかりしている。朝食7時からは嬉しい。ホテル朝食ではここが1番良かった。四つ星、日本円で1万ちょっとくらい。アプローチが分かりにくく小さいでも団体客がいなくて落ち着いた感じWi-Fiもさくさく
2026.08.20
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2026/08/18/火曜日/もう帰国の日石油供給不足の背景にはモンゴル国内業者や利権に絡む方面が、石油を市場に流さない事情もあるらしい。もちろん儲けを期待してのこと。長蛇の列の中には転売ヤーもかなりいるらしい。ナフサ現象や昨年の米不足日本を彷彿とさせる。何処も同じ。どこもかしこも、の人間の営みよ。そんな状況下、末端消費者にもスムーズに買える者、買えない者の分断があった。それが青か黒のカードという、殆どマンガの筋書きみたいな特権。成熟した世界って⁇それも日によって店舗によってアトランダムに変化する、と私には捉えられたのだけれど…ロシアウクライナ、イランアメリカの紛争、ベネズエラ、タイ、カンボジア国境トラブル結局は油の問題を地上のあちこちで露わにしている。戦争が長引けばモンゴルツアーは益々その困難が増す。ツアー会社は干上がる。ところが、後日聞いたところによると田舎ではそんなに不自由せずにガソリンを手に入れた、そうだ。本当だろうか。ドライバーは深夜ガソリンスタンド前に並んだのではないのだろうか。また団体旅行ケースではディーゼルで動く大型パスは5日間通して一度も供給せずにツアーを完了させたという。ただし、南ゴビ砂漠はオフロード区間があり、大型バスで行けるとは思えないし、私たちの訪問先で大型バスには会った記憶がない。その間、私たちは日本人には殆ど遭遇しなかったが、「どこもかしこも日本人だらけだった。VIVANT効果?」という人もいた。旅行会社の選択一つで随分状況は変化するのだと理解した。何しろ私たちは韓国からの観光客にしか会わなかったのだから。草原の向こうから雨脚が近づき、しばし羊や牛の群れは甘露を得る。雨の後、まるで禊ぎをしたように涼風が車を通り過ぎる。我らの乗る、このロシアの車の周りをそれからガソリンは小1時間並んで買えなかった。タンクローリーから供給されたものはあっという間に売り切れてしまった。私たちに切れるカードの持ち合わせはない。それでドライバーは搭載していたガソリン缶2つをタンクに注ぐ。私たちは帰れるだろう、ウランバートルへそしてホテルに到着する少し前から、ガス欠を告げるピーピー音が聞こえた。まるで口笛でも吹くように黒い車の男が例え転売ヤーだったとしても、旅する者のタンクを十分に満たした、彼の行いの中に確かに大黒さまはいたのだ。そして思い出した。私たちは皆で、モンゴルのシャーマニズムに従い、旅の始めに祈りを捧げたのだった。
2026.08.18
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2026/08/17/月曜日/モンゴル9日目、晴れ見切り発車オーライのロードムービーさながら。コトバの障壁を抱えながら我らは南へ南へと移動のノマドとなりぬ。とうとうガス欠のピーピー音止まず、マンデルゴビの野原で車内搭載のペトロール缶をタンクに補給していると、黒い車が背後にピタリと。皆目理解できない長い会話の果てに、先ほど断られたガソリンスタンドへ。すると待つことも無しに奇跡のようにガソリンは満タン二台の車は日陰者のように塀のある荒野の陰で、いま満タンにしたタンクから黒い車の男の手にある缶3つとドライバーの缶へ移す。再度先ほどのスタンドで再び満タンに。ドライバーはエビス顔。黒い車の男はさながら大黒さま!ありがたやー。黒い車の男が起こした奇跡は彼の黒いカードにあった。どうやらこのカード保持者でなければ決済できないガソリンスタンドがあるらしい。カラコルム行きの時は確か青いカード限定のスタンドがあり、私たちは当惑するばかり。ガソリンを得て、一時我らも余命が伸びた。むねをなで下ろす。全行程1600余km、リッター9km前後走行とあってドライバーは燃費補給に必死のはずが普段顔が笑った表情なので、私たちは彼の隠れた努力を見逃しているだろう。宿泊した知人のゲルハウスオーナーが経営するガソリンスタンドでたっぷり給油を夜の内にしたり、夜中にガソリンスタンドに並んで9時オープンを待ち給油した事は知っているけれど。法外なストック缶も買ったかもしれない。モンゴル観光旅行の移動の要は車。ガソリン不足は小さなツアー会社の経営を脅かし、個人のモンゴル旅を難しくし始めている。モンゴルは長年石油をロシアからの輸入に支えられてきた。中国製ガソリンは質が悪く、車の内燃機関に悪影響をもたらすため、安くても欲しくないとガイドさんから聞く。やや嫌中国製品の気分がありそうで、スーパーでも中国製を避け、食べ物は国産を選ぶ。そこに韓国製が入り込み、商売と観光の友好が盛り上がりを見せている。南ゴビ観光客はその数で韓国の若い男女が圧倒している。日本人の若い人は皆無だった。
2026.08.17
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2026/08/16/日曜日/暑く砂ぼこり9日の夜8時には空港出迎えのドライバーと合流したが、ホテル到着は翌日10日の真夜中(T-T)普通に走れば40分と聞く。悪名高いウランバートルの交通渋滞遅い便の息子夫婦たちは、深夜、給油所に並ぶ長い車列を見たとのこと。私たちはその日、10日午前9時過ぎにカラコルムへの一泊旅に出発した。現地に辿り着くまで何度かガソリンスタンドの列に並ぷ。運良く買えた時でも20リットル販売制限!列の数台前で売り切れの事態も数度並んだ挙句、何やらを持ってないと売れないみたいな対応である。そもそも過半数のガソリンスタンドが休業中ここモンゴルではガソリン事情が7月末から悪化しているという。ガソリン手配ができない理由でウランバートルの戻りドライバーが変更した。カラコルム宿泊先、ゲルハウスオーナーのアレンジで、ウランバートルの親戚を訪れるらしいご夫婦のプリウスに我ら3人及びそのスーツケースなど携行荷物を詰め込んだ。都市部では圧倒的にトヨタ車が多い。右側通行なのに右ハンドルの日本車を利用する人が多いのも不思議と思っていたら、日本車の中古オークションが活発という。 さすがのプリウス、燃費の良さ。ガソリンを求める長蛇の列を横目、しかし!なんと1キロ進むのに小1時間!の初体験。狭い車内の疲労圧が増す。ホテル到着した時にはヨレヨレ無事にやや遅れて夫も合流夕ご飯より休養、睡眠!問題は明日、12日からの南ゴビへの5日旅ツアーが成立しているのだからガソリンプロブレムは解消しているのかと思いきや-_-bどうやらツアーはインディペンダントなドライバーと殆どフリーのガイドさんと我らのセッションらしく、全て経験とネットワークの質、量と生きる力がモノをいう醍醐味満載の旅に。給油に時間を取られ、大幅な遅れと旅程変更、短縮も余儀なくされた。それでもともかく旅を続行できたのは幸運な事だった。で終えたい(;ω;)各旅行会社のキャンセルやゴビへのバスツアーは満席という名の予約停止だとか。ゴビからの国内エアーも飛んでないらしく、万一のガス欠ならばその選択を考慮していた我らの安全保障は崩れる。
2026.08.17
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2026/08/08/日曜日/長崎原爆投下から81年目出版社 論創社著者 斎藤たま2011年3月10日 初版第1刷印刷2011年3月20日 初版第1刷発行〈私的読書メーター〉本書の白眉は始めの章、わら布団。1936年生まれの著者はわら草履、冬はわらの深沓履いて子ども時代をすごしたという。その深沓はとても暖かかった。↑遠野ふるさと村にて藁を用いて靴を作ろうとする意志を強く感じさせる造形だ。トラクターを用い始めてから藁は農家の人でも手に入らない現実。↑南部曲がり家、藁葺き屋根のうつくしさその少し前、お産も産褥期も赤ん坊も、みな藁に囲まれ日々を送った、文字通りの民草。藁に塗れてよぉ、育てた栗毛〜馬も人も。↑和駒の血も少し入っているらしい白雪人間の言葉を解する。と思った!殊に藁布団の暖かさは格別で寒い国では好まれた。藁は発熱し人肌の温度になるのに1分も掛からず、春ともなると蒸されて入っていられなくなるほどだったとか。老夫婦も裸で寝られる暖かさ!ナフサ原料断熱材よりも藁圧縮断熱材でええじゃないかと素人考えしました藁↑これは流石に洗練されている。日本橋高島屋で。細工されたのは代々高千穂神社のしめ縄を作成している一家の方↑諏訪大社下社秋宮のしめ縄↑2年前訪れた北海道本別町の家屋土台下の藁の断熱。作製は米国人の藁ビルダー?の方足元に頭上に、または私たちを包んで温めて、そのタネは主食に稲魂
2026.08.08
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2026/08/07/金曜日/観たのは先週土曜日◼️銀座四丁目からのアプローチGOアプリは出始めの頃にインストールしたのにこの度初めて利用した。銀座四丁目バス停から晴海方面バスに乗ろうとして、結局このアプリを使うハメに。そもそも!EXシアターでイベントのある土曜午後、05-2バスを待ってはいけない(T-T)これを学習した。ともかくバスは来ない。ようやく来ても既に満席で、長蛇の列の前の数組しか乗れない。有楽町でなら乗れるかも親切にも前に並ぶ人が、急ぐならタクシーの方が安全とのアドバイス。車内が混みすぎないように乗客を打切り何台か待つことがままあるらしい。ところがタクシーを待っているうちにバス列で私と娘の後ろの人たちが次バスに乗っているではないか。タクシーは捕まらない!再びバス停の列後ろに並ぶ。バスは来ない。17時開演、もう16時半!意を決してGOアプリで配車を乞う。2.3分で到着、ってもう5分過ぎたよ、と焦っているとカラタクシーが!ふらふら手をあげそうになるのを堪えて待ってます_:(´ཀ`」 ∠):シアターまで15分のところを13分くらいで到着。あーあと3分、急げ急げ着席後、瞬く間にステージには柿澤勇人くん!が(/ _ ; )◼️ストーリー[家でも学校でも居場所のない高校生エヴァン・ハンセンは、ある日自分宛てに書いた手紙を同級生のコナーに持ち去られる。その後コナーは自殺し、手紙を見つけた彼の両親は、文面から息子とエヴァンが友人だったと勘違いする。彼の家族をこれ以上悲しませたくない一心で、思わずエヴァンはコナーと親友だったとうそをつく。彼らに聞かれるままに語ったありもしないコナーとの思い出は、人々を感動させSNSを通じて世界中に広がっていく。]ネットから◼️幻想と幻滅、つなぐウソエヴァンは自分に向けて手紙を書いている。親愛なるエヴァン、出だしはこうだ。今日は好い1日だった。そしてよかった事を探すけれども現実はやりきれぬ難儀なことばかりただゾーイだけは違うロックバンドグループのゾーイの事を考えるとたちまち気分は高揚し幸福になる。そんな内容の手紙が、あろうことか過激な問題児 コナーの手に渡る。彼はゾーイの兄 なのだ。コナーは妹へ綴られた想いを読み、自分への謀略だと思い込み逆上する。そして、自死した。手紙を見つけたコナーの両親はあの息子にエヴァンという親友がいたと思い込む。孤立し、薬と暴力に塗れ家庭をめちゃくちゃにしたあの息子にも人間らしい明るい一時が…親ならそれを信じたいではないかそれによってどれだけ心が救われるか。彼らの意向に沿って創作されたエヴァンのウソが、お金はあっても愛の冷えたこの家族を温かい春の光で包んだ。一方エヴァンの環境母子家庭でお母さんは働きながら大学に通い、自分のキャリアアップを目指している。人生に前向きで息子を愛しているけれど生活がいっぱいいっぱいで、多忙。エヴァンは幼い時から積もった寂しさを囲つ。消極的な優しさと諦念、人間関係において困難を覚える発達障害気味?の孤独なエヴァンはコナーと鏡合わせな男の子なのだ。そしてそんなコナーやエヴァンはネット上にたくさんいる。◼️生きる、又は家族、大人に生まれる難しさ登場人物らしき影のダンスの演出。彼らは無垢ゆえの苦しみを持っているかのように踊る。影の世界でこそ、エヴァンとコナーは友情を育み思いを分ち、踊る。これはウソの世界の演出でもあるのか。お金と時間、愛と無関心私たちはいつもそのバランスを欠いて、それでも何とかやりくりして、ささやかな幸せを求めている。◼️役者ってアーティストエヴァンに奨学金を提供する申し入れをきっぱりと断る安蘭けいの母親役が見事だ。これを脆弱に表現されたら、全てをぶち壊すと言っても過言ではない。彼女がソファから立ち上がる線の美しさ意志的な立ち姿は当に板に着く。板に乗るのではない。エヴァンのパーソナリティを柿澤くんは身体ごと見事に表現している。腰掛けている時の脚の内向き加減、背中の丸まったシルエット、歩き方、喋り方、歌い声の強弱、ゆるみ、実に自在で聞かせる。舞台では、このウソがSNSに乗って壮大な展開を見る。2人の聖地を取り戻すためのクラウドファンディングへと世界中に拡散する。施しを拒絶した母とエヴァンが、父が去って行った後の記憶を遡る深いやり取り。その後のエヴァンの勇気ある行動へと導くこのシーンは忘れられない。男はつらいよ、女はもっとつらいよ。大きいおうち、小さなわたし♫◼️ウソからマコト、瓢箪から駒CFは結局、ウソながら、あの聖地を地上に再びもたらした。影のエヴァンとコナーが戯れた、2人が大好きだった秘密の林檎畠をなんて明るく美しいのだろう。人生は、世の中はたまに奇妙な回転をする。まるで林檎畠に意志があって、自身の蘇生のためにエヴァンとコナーを使役したかのように。エヴァンとゾーイはその場所で再会する。彼女の両親も毎週訪れるという。人に必要なのはこんなサンクチュアリなのだ。思い出だろうが物語だろうが、最後に残るそれの中に、私たちは生きる糧を得る。◼️アフタートーク喜ばしいことに、柿澤くんと安蘭けいさん、それに演出家によるアフタートークイベントがあった柿澤くんは自分は憑依型の役者ではないという。いやいやいや、絶対憑依型です。大河ドラマ出演の彼は役に入りながら、俯瞰する自分がいたと。その時の演出家とのやり取りでは役者は場数を踏むとそうなっていく、みたいなやり取りがあったと。しかし、シーン別に撮影し編集加工するTVと舞台はまるで違う。舞台は生きている生きてなければ舞台ではないメリー・ポピンズのバート役の彼はエヴァンよりずっと背も高く、まるで英国人のように見えた。エヴァンで、彼は実年齢の半分以下の、アメリカのちょっとギークな男の子に変身していた。何だか細胞レベルで?板の上では全てが顕になる彼はそう言った。
2026.08.07
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2026/07/11/土曜日/朝から暑し東北旅の間、私の訪ねた町は外国人観光客1人も見当たらず。国内観光客もそんなに多くない。しかし、当地を旅してこそ出会えた素晴らしいプロダクツ、和菓子がそこにはあった。そういえば、浅虫温泉の蛍火醸造だけは、クラフトビール愛飲家が全国から集合している様子。ここはおつまみ↓も半端ではない!やばいうまい、よ、よだれが。そこから歩いて5分ほどの場所にあるのが、浅虫温泉名物◼️永井久慈良餅 明治40年創業。今年で118年!日露戦争後に療養の兵士たちで浅虫温泉は賑わったという。心身の不調を癒しに太宰治も一家を挙げてここで湯治したのだったっけ。そんな兵士たちに喜ばれる何か美味しい物を作りたいと創業者は奮闘した。素晴らしい!↓浅虫水族館創業主人は津軽鯵ヶ沢の鯨餅に習い、久慈良餅へと発展させた。原材料は津軽米、こし餡、さとう、くるみ↑浅虫水族館ところで私はこちらで求めた板かりんとうがすごく気に入ってしまった。ハードな歯応えと控えめな甘さ、香ばしいゴマが何とも言えずに美味しい。未だかつて食べたことのないかりんとうパッケージ、素材全て心義しい。小麦粉、黒ビロードゴマ、蜜翌日6/28には浅虫温泉→新青森まで青い森鉄道で移動し、もやしで有名な大鰐温泉へ快速GO宿の斜め前にあった和菓子屋さんが◼️萩桂堂虎屋 日曜日はお休み。すっきりしているなぁ。観光客より地元、の心意気明治38年創業というから、久慈良餅とほぼ同じ。今年で120年の茶臼餅原材料は白玉粉、砂糖、きなこ、卵、かのこ豆、水あめ地元の方に親しまれているお山、茶臼山から命名された。きなこの味がイキイキ感じられるもっちりさの中にお豆、それがかのこ豆卵まで入っていたとは、栄誉満点いかにも人の良さそうなお二人、お母さんと息子さんらしき方が、朝8時からこまめに働いていらした。↑中の橋の向こうに茶臼山。こう見えて登りは大分キツいらしい。久慈良餅同様に、これも防腐剤や添加物無しなので3日の内には食べ尽くしたい。↑弘前での芸者との心中事件後、太宰治は母親と大鰐温泉で養生のため長逗留した。なんや、キザで優等生インテリかもす若きダザイポートレート大鰐で彼も食べたか茶臼餅もやしは盛大に食べたに違いない。私は季節外れ、あるいは生産者の減少とかでほーんのちょっぴり味噌工場も現役!何より酒好きが三つ星付ける酒屋がある。↑大鰐温泉の由緒ある神岡山大円寺〆縄が不思議で、お寺の方に尋ねたら、これは結界を示すものなので、真言宗(など密教系)では用いるようだ。↓ご本尊は木製の大日如来、重要文化財住職さんが仰るには、これは阿弥陀像であるが、地元で長く大日如来さまと崇められて来た、と。内蔵仏があるのではないかと調査もしたが、何も発見されなかった、とのこと。↑仁王門の像を眺めると、青森のワ・ラッセで見たねぶたの原型を見つけた思い。さて、翌日は大鰐温泉から再び新青森まで 北上して、盛岡経由の新花巻駅着。駅で車をレンタル。 目指すは遠野郷遠野では中心の周縁を訪ねたため、 市内では民宿と、この和菓子屋さんのみの滞在となった。◼️まつだ松林堂明けがらす砂糖、でんぷん、水飴、くるみ、大豆、ゴマ、大豆油元はくるみ糖と名づけられていたお菓子。なんとか子爵が、お菓子の切り口にカラスの飛ぶ景色を見て明けがらすと発した。以来、それを名乗り今年で155年!精進、されもされたり155年この間、歴史はどんなに動いたことか。動かぬ和菓子の味に、時代に翻弄されながらも手習、工程を守り通す人間の勤労というものがある。それが光る。食べる物を照らす。賞味はトルコのロクムの如し、明けがらす
2026.07.11
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2026/07/01/水曜日/蒸し暑い日昨日は夏越の大祓いの日だったので、何となく茅の輪潜りをしたいと思っていたら遠野郷八幡神社に立ち寄る用件が昨夕発生す。お社を訪ねると、8時を少し過ぎたばかりなのにすっかり用意がされていた。手水の口が河童さん神社によって少しお作法が違うような体験をしたが、ここはオーソドックスな左→右→左本殿の途中に立派な馬場が↓直線218メートル!南部馬の産地としても知られたこの周辺はタタラも盛んだったことを知る。何しろ鍛治社が祀られている。神職さんのお話では、この場所で高齢の刀製作者が、ご自分の最期の神剣を一振り打った。神社に奉納された昭和30年をもって、遠野からタタラの火は消えたという。それでも今なお地域の方の崇敬を集めて賑わい、活力がある。山奈宗真氏という傑出の人物が遠野を遠野たらしめた様子も伺える。石碑に残された言葉にも感服歳を重ねてみれば、こんな言葉に素直に首肯する自分がいるという発見家族とは恋愛の成れの果て、ではない。これはやはり最も小さい社会共同体なのだな家庭を営む事はすなわち政経なのであろう。さて、当社を訪ねたきっかけは前日、遠野ふるさと村で見た、↑肝入り(庄屋)の神棚に飾られた五柱の神さまの姿絵に惚れ惚れしていた事似たものが投宿先の民宿の神棚にも飾られているではないか!由来を尋ねたら、氏子である八幡神社のもので、毎年このお歳神様を祀るようだ。いいですね、と眺めていたら即座に神社に電話され、譲ってくださることに!なんだか、瓢箪から駒↓こちらが遠野郷八幡神社で授かったもの上の列の右端、つまり全体の真ん中にお歳神様下の列左端、お歳神様お歳神様の左右に事代主命、右に大国主命海幸山幸の実りの豊ウケで左右を固める、と。外端にはそれぞれ八幡大神(ホムタワケ→応神天皇)、山ノ神←見るからに修験道者ホムタワケが真ん中でないのがよか。これは現神職のお父様が板木を彫られ毎年刷り上げておられるとのことだ。色つきは沿岸部地域のお歳神様とのこと大国主と事代主は私の愛してやまない国津神ホムタワケはおそらくモノノベの天津神で本来なら八幡神社の主祭神。共に祀られているとは興味深い。しかもお歳神様が最高位のように見受けられる。神職さまが言われるには、八幡神社に国津神が祀られているのは珍しいそうだ。また彼は『遠野物語』における誤りや訂正を見つけ、真相や解釈の新しい視点の研究書『注釈遠野物語』にも幾つか文章を寄稿されているとか。お忙しい中を色々とお話くださった。その後、市立博物館に移動。が、6月は本日のみ休館(>_<)えーそんな訳で急遽、早池峰山の中程にある早池峰神社を参拝がてらのドライブに。市中から車で45分ほどか。修験道の山、くらいの認識。ところがびっくり、神職さまが言うには御祭神は瀬織津姫なのだとか。かつては早池峰神社でもその名を出すごとはなかったとか。何しろ記紀には登場しない、唯一、祝詞に現れる女神なのだ。ところで武蔵一宮は大宮の氷川神社と多摩市の小野神社小野神社の御祭神も瀬織津姫。こちらでも瀬織津姫ブームに乗って、何年か前から堂々とその名を現している。かつてはこれが一ノ宮⁈な雰囲気の村社風だったが、最近は立派に変身中。山川草木悉皆仏性、神仏習合、お天道様が見てござる主義?が地の私早池峰は素晴らしいお天気で迎え入れてくださった。感謝
2026.07.01
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2026/06/29/月曜日/青森は晴れ2026年6月6日の午後6時に6000円のコースを予約した↓リトルレオへ行く6が5つも並ぶレアなディナー(°▽°)にわくわくレストランは千綿駅が最寄り私の足だと12分くらいの距離かな?千綿からは海に面しながらも交通量の多い国道しか選択の余地がないため、快適とは言えない移動ではあった。が、レストランのある一角はすこぶる面白い空間で、若い人の移住も多いと聞く。食事前にお店を巡る。5時にはソリソリソもヴォートさんも閉まるので要注意米蔵を改装したカフェやレストランお惣菜なんかも買える?=vote がお店の名前元々はコインランドリーだったのを改装したのだとか。作家さんのナマ作品を見られる。私はそこに作品を提供しているSaoriさんのファンになってしまった。Saori極細のペンで下書きもなく世界を描くボールペン画家。色彩の理を引き剥がし、色鮮やかな世界を再構築する。作品は独特な歪みを持ち味に繊細さと鮮烈さを併せ持つ。近年は様々な画材で表現の幅を広げている。2018年「ART BRUT FESTIVAL 2018生のままの芸術、独創的な芸術作品たち」(諫早市美術)2018年 コメダ珈琲のポスターに採用2018年「minatomachi factory 雑貨になったアートたち」(佐世保市博物館島瀬美術センター)2019年「Minatomachi factory. Zoo作品展」(長崎アルカス sasebo)2020 年 kominkan 初個展を開催エネルギッシュでお洒落でコケットリーな作品の数々アール・ブリュットといちいち説明する必要もない。これはアートだ。原作作品からはエネルギーが出ている!カラーペンで彫刻しているようなマチエール一体どれだけ時間をかけたのだろう?さて、まだレストランオープンまで小1時間たっぷり楽しませていただいたかのがGONUTさん知る人ぞ知る古着屋かも!欧米で買い付けたというグッズが大きな店舗におもちゃ箱をひっくり返したみたいに。値段も良心的ブラウンのブラウス、買ってしまう(°▽°)そうこうするうちにレストランの席に着き、600円の格安、しかしよくチョイスされたグラスワインで乾杯!その時壁の時計を見た1人が、あらやだ、6時6分!明日は川棚の四次元カフェに参上鼻息も荒い我ら三人衆
2026.06.29
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2026/06/27/土曜日/北へ通過の車内は薄く晴れ6月は旅続き多忙で記録も更新できず_φ( ̄ー ̄ )6/5からの3泊4日九州旅の書き置きしないと!時間は猛スピードで銀河を突き進むのだ。今現在、まさに東北新幹線車中なのである。↑至近でも玄界灘を渡海の波は荒らくメンバーはそれぞれ7つ違いの女同志年若と年長で14年の隔たりの三つぞろい。↓大島港から中津宮見ゆる大島一泊は私のスピンオフ残る2人は糸島への知人のカフェで演じられるマリオネットショー及びお友だち親子ガイドの糸島観光ツアートリオは自在に変奏する♬↑宿側には夢の小夜島 その名前が詩的大島の宿はハーバー側で沖津宮遥拝所にも回り道しないことを条件に探した。漁師宿?三好で一泊。これが激安!かつては沢山の泊まり客のいた風情朝食はオーナー奥さんの喫茶店で。夕飯は奥さんの口ききで、近所のダイニングミアレ 夜は提供のないランチ食セットを用意してくれた。みあれはみあれ祭からのネーミング10/1大島の宿は今から予約でいっぱいだとか。イカとワカメが感動の旨さだった。翌朝は6時過ぎに遥拝所まで歩く。マリア像のような観音さまの在る安昌院そこには史跡、安倍宗任の墓もある。奥州の豪族・宗任は前9年の役に敗れて京都に連行され、伊予国からさらに大島に流罪され、天仁元年(1108)2月4日77歳でこの地に没した。約900年を経た大木(えのき)があったが枯死した。法名は安昌院殿海音高潮大居士今から千年近くの昔、流罪にあって宗任は、この地の島民に仏法を伝授したに違いない。当時の都でも超一流の学問が島にもたらされた。三女神は航海の安全を保護したが、それだけで衆生は救われぬ。沖で、病で命を虚しくした人びとの無念遺された者がただ悲嘆にくれるのではなく来世説き、そのための功徳、弔いを生きる力へ繋げたのだろうと想像する。神の宮は海辺に、寺院は海を見渡す高台にある。今も宗任は手厚く追善されていた。ご親切な標識を左に見る細い路地はすぐに尽きて林道に出るするとじきに 島の反対側の海に出た。海に向かい少し降りて左手を上る。誰もいない。静かさが嬉しい感謝を捧げる女人禁制の沖津島に奉賽されているのは三女神の内の長女、タゴリヒメ(タギリヒメ)そんな孤島に貴人のヒメを据え置くなどは到底考えられない。父王が認めるはずもない。ヒメの御魂としてのカガミや玉を身代わりに島に置いてきたのではないだろうか。強い霊感に満たされたヒメのカガミと玉ギョクを潮も叶いぬ今は漕ぎ出でな出航を采配し、航路の安全祈願を呪う海と空の出会うところ、かすかに島らしきシルエット。これは⁈タゴリヒメの沖津島?年間通して数日しか見えないとかや上は拡大、下はポスターから。後日、2人に尋ねられて、確信が持てず見えなかったとは答えたものの、私の心の内では見えた、ことにして秘めおく。遥拝所を出る。ら三女神の後、オキナガタラシヒメが三韓征伐祈願にやって来たのは香椎神宮だ。宗像ムナカタと博多ハカタの中間に位置する。そんな事をつらつら考え、トレイルの道に分け入る。草木が誘っている。いつの間にかこんな所にやって来た。朝ごはんは8時半。ピッチをあげる。かれこれ2時間以上のお散歩。ところで、神湊でバスの連絡が悪過ぎた。1時間半待つのが嫌ならタクシー利用しかない、と考えていたら、女将さんがご近所ネットワークを駆使してむなりんくの手配をしてくださった。(T_T)感謝!自治体が配車サービスを格安に担っている仕組神湊から東郷駅は2500円が相場の所を700円で!しかもフェリーから降りたら既にバス乗り場に待機してくださる!バスが不便な分をカバーしてあまりある!感謝!こうしてとてもスムーズに博多駅→新幹線→リレー号と9時過ぎから午後3時まで乗り継ぎ、ハウステンボスを窓外に一幅の絵と眺め、とうとう千綿駅に集合!少しの雨に出迎えられ宿へお迎えの一杯のお茶の美味しいこと!濃い緑と甘味の彼杵ソノギのお茶とティーツリー長旅を癒す
2026.06.27
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2026/06/07/日曜日/みどりリレー号にて鳥取、三朝旅のつづく…◼️倭文神社しとりじんじゃと読む。考えてみたら三朝温泉は みささおんせん。読み方難しい。観光神社とは趣きが異なり、ひっそりと鎮まる。銘板に曰く建葉槌命(主神)倭文(しづおり)の織物の祖神で、創立当時この地方の主産業が倭文の織物であったことから、主祭神として祀られました。 下照姫命大国主命の娘で、出雲から海路でこの地に移り住み、安産の指導に努めるほか、農業開発・医薬の普及にも尽くされたと伝えられています。 安産の神として特に篤く信仰されており、才色兼備の女神としても知られています。その他の5柱事代主命・建御名方命・少彦名命・天稚彦命・味耜高彦根命は、大国主命の御子神か、それと関係の深い神々です。↓神仏習合が穏やかに残る御衣桜?が見納めですよ、と声を掛けられた。緑色からだんだんと黄色に変化する桜とかひそやかで控えめな姿が神社と相似。勝手な印象としては、姫神←古代出雲王族←を中心として地域の人の崇敬を得たお社栄枯盛衰しつつも、未だ女性のお産などに尽くしてくださる、ありがたい神さま出雲から富山辺りまでは高貴な女性への敬愛が強く感じられる。九州地方、東北地方ではその印象は薄い。東西の限界地点を探ってみたいもの。◼️ 三朝神社みささじんじゃ湯村(三朝)神社祭神大巳貴命(大国主命)砂原神社祭神 誉田別命・武内宿禰命・大山祇外谷神社祭神 素盞鳴命(荒神様)の三社を合祀したものである。大巳貴命は少名彦名命と共に特に温泉療法の神として崇められており三朝温泉の鎮守として祀られている。巻田別命・武内宿禰命・大山祇命は家内安全・延命長寿・商売繁盛・厄除け開運の神として崇められている。未社に祀られている素盞鳴命は豊作成就・学問成就・家内安全の神として崇められている。例祭日 十月十七日ご由緒より国津神が祀られているのも有り難い。神職常在ではないようだけれど立派なしめ縄勝手な思い込み続く大巳貴命オオナムチノミコトを中心とする出雲王族は、山から産出される資源を求め、山陰、北陸、四国まで足を伸ばした。土地土地の実力者の娘と婚姻を結び勢力を広げた実例は、翡翠の勾玉に繋がるヌナカワ姫との縁結びその過程で、これら地域の温泉も発見されたはず。古い温泉は国津神のお陰様道後温泉も多分なんと、こちらの手水は飲泉のできる温泉!そんなに熱くなくクセも少ない、と記憶湯に浸かるときは国津神の御恩を思え世の人↑本居宣長風に◼️萬祥山 大岳院由緒もと駿河、沼津城主中村彦左衛門一栄公の菩提寺で慶久寺と称していたが、公の移封とともに伯耆、八橋に移って来た。公の没後、倉吉城主 となった嫡子、中村伊豆守栄忠公は亡父の菩提をとむらうため、現在地に1605年.開基したそうだから421年の歴史となる。山号寺名は一栄公の法名である「萬祥寺殿大缶周碩大居士」に因む。また境内には、安房、館山城主里見安房守忠義公の香華院として忠義公と殉死八臣の墓所がある。忠義は1614年、倉吉に配流され、1622年、29歳の若さで病没したという。忠臣8名が殉死したが、彼らの法名には全て賢の字が用いられた。これを滝沢馬琴が、名作『南総里見八犬伝』に仕立て大ヒットした。また、第百十九代光格天皇の御生母大江磐代君が当院檀中出身の縁があり、磐代君と有栖川宮第六代織仁親王及び第七代部仁親王の御三方の位牌をお祀りし有栖川宮御祈願所の指定を受けている。↓菊の御紋がそのシルシ何と見るべきものの多いお寺であることか。
2026.06.07
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2026/06/05/金曜日/朝は晴れ8:40離陸の羽田発が随分遅れた。プレミアム席のお客さんを待ったようだ。えええ?福岡空港10:55着予定より20分以上の遅れ。しかし!博多駅発新門司行き、鹿児島本線11:10発 に間に合った!実は電車も発車が少し遅れた。 奇跡のリレー?市杵島姫さま、ありがとうございます。という訳で宗像大社は辺津宮に↓祈願堂私はこのまま大島に渡るためスーツケース持ち。タクシーの運転手さんから、参拝に1時間はかかるので大変ですよ、御朱印など頂ける祈願堂で聞いてみては?とのアドバイスこれがリリーフ、リリース!荷物は6時まで無料で預かってくれたのだった!市杵島姫さま!おかげで、高宮祭場、神宝館など身軽に回れた。古代の信仰の姿がうつくしい 三女神が降りたった神籬神道の本来の姿を沖縄で強く印象付けられたが、ここにもその姿が残された事は有り難い。 これはウタキだという直感 祭場の右手の白い楕円の玉石が気になる。 ↑洗心、揮毫は出光佐三と言われる。宗像市赤間の出身。これだけの有功者でありながら神への熱い気持ちが彼を天狗にしなかった。彼の威光はイランに及ぶ。天孫→皇室との強い結びつきは、あちこちに見られる16弁の菊の御門からも伺われる。宗像大社を莫大な資産で復活させた出光興産創業者の出光佐三の企図が働いたのではあるまいか。彼は昭和天皇を敬うことこの上ない人であったようだ。海ゆかば、の物部一族オビト振りだ。作家の好悪は別として、『海賊と呼ばれた男』は読むべきか。白い石を見ながら考えた。しかしこれはまるで蛇の卵である。ここに蛇信仰があったのではないか。出雲風土記の6代大名持 八束水臣津野(意美豆怒命)オミヅヌは、国引きを為した神として島根では高明な御先祖神だ。その息子のアタカタスが今の宗像、かつては胸肩と表記した。出雲王族の勢力を伸ばした西限がこの地であった、と。アタカタスの三姫の内、長女、次女はそれぞれ出雲の7代、8代大名持に嫁ぐ。しかし、三女市杵島姫はニギハヤヒ、出雲口伝では徐福に嫁いだという。辺津宮と、名前は控えめながら第一宮としてあつらえられてい今の姿は、やはり天孫への崇敬の気持ちが明治維新以降強力な勢いを中国、九州地域にもたらしたのに違いない。私は二人の姉神を辿りたいと思ったが、実は三女神の名残りは今では本当に微か過ぎて辿れないほどだ。
2026.06.06
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2026/05/26/火曜日/曇りやまゆり園事件については、正直、事件の経緯を当時追うことが出来なかった。犯人の顔が恐ろし過ぎて。それだけでこの事件の禍々しさが予想され、とても正視に絶えないと思った。いわば自己防衛。何からの?何が恐ろしいといって、犯人も私も同じ人間である。根っこを共有する同胞なのだ。それが、こんな事さえしでかす。人間が怖い。同一線上に生きる自分の存在がぐらりと歪むような恐ろしさ。世界がフェイドアウトするような脳貧血手前で何とか堪える。必死に足場を足の裏で掴む。舞台はそんな展開へと、時代と登場人物と空間を多層的に巡らしながら極点に向かわせ溶解させた。全てを肯定し受容する、深津絵里のゆりかごの腕は優しい。発掘された遺跡の骨ではなく、生きた、湿った、温度のある、輝かしい腕は。異天使=遺伝子? あくまで天使広瀬すずの、つややかな丸い膝小僧と双璧を成す。生まれる、生きているそれはとてつもなく◯◯◯。骨伝導、聴こえないという障害ハミコ、ヒミコ、フミコ女を生めという強要遺伝子操作の創薬で巨万の富を得ようと利権を掌中に目論む姉弟はいつの間にか卑弥呼とその血を分けた審神者に?卑弥呼さまーの大衆の声が舞台の奥から舞台中央ではタスケテ わからな、あい、AI あい、 AIあいこさまーに、なぜか聴こえてしまったのよ
2026.05.26
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2026/05/20日/水曜日/31℃ですと!今年のGWは舞台を一つ、編み会を一つ、ギャラリーを一つ、外食を一つした他は庭の手入れやヴォーグ学園の宿題に追われた。贔屓の山本東次郎さんの狂言を、この時期毎年楽しみにしているのである。今年の東次郎さんの演目が「花子」こんな大曲をやり切って、もう来年はありません、なんてことないでしょうね⁈お三方の年齢が年齢だけに花子は、はなご、と呼ぶそうな。馬場さんの「みなさん、はなことはなご。実際に声に出してみてください、はなごと呼ぶと本当に愛しく可愛い気持ちが感じられるでしょう」との解説に感じ入った。日本語の響きの妙謡曲は意味が詳細に掴めなくても六感に唱和してくるような心地がする。東次郎さんが艶やかに色気を発してその何とも言えない可愛らしさと相まり見事な舞台だった。こんな狂言もあるのだなあ。狂言は人間の喜怒哀楽をまんま描いて枯れることがなく、いつまでも演者も色があります。さて俊寛、である。ナビゲーターの馬場あき子さんによれば、『平家物語』の中でも、異なる結末を四つ展開しているのが、鬼界島であるという。この演目は古典劇ではよく取り上げられる。私は文楽で見たことがある。遠くなる舟の影をどこまでも追いかけて、とうとう島の岬の突端の松の木によじ登る俊寛が無惨で哀れで涙を禁じ得なかった。馬場さんは、この俊寛の心情についてコロナ禍で家族に触れることはおろか見える事もなく息を引き取った多くの高齢者の最期について話された。まさに孤絶の悲しみ だろう。遠流の罪に問われた鹿ヶ谷の陰謀、実は清盛と後白河と叡山の三すくみの中で、工まれた罠説という考え方もあるようだ。平家物語の、「瓶子」(へいし:酒を入れる器のこと)が倒れたのを見て「瓶子が倒れた、平氏が倒れた」と手を打ち合う姿はあまりに出来過ぎところで、非常に唐突ではあるのだけれど、俊寛のドラマは私にデュマの『モンテクリスト伯』を思い出させる。もっともモンテクリスト伯はその人生の前半は俊寛と同じように孤島の牢獄に無実の罪で閉じ込められが、そこで出会った老神父によって、知識と富をもたらされる運び。実は蔵人Claudくんに俊寛と同じような主題の外国文学を3つ挙げてもらうと、何と『モンテクリスト伯』がその内の一つに挙げられたではないか。私の印象もそう外れたものではなかった⁈物語の結末のまるで方向が異なる点についても賢明な回答を寄越す。以降は蔵人くんと共に考えた。俊寛の孤独の核心は「帰還を永久に閉ざされた自己完結した断絶」にあり、脱出・復讐・再生を許されないという点で、上記三者のいずれの主人公よりもラディカルな実存的孤立を体現しているとも言えます。「ラディカルな実存的孤独」——この言葉に惹かれて、現代社会での該当者を尋ねてみると。1. 重篤な孤立死寸前の高齢者(特に都市部の独居老人)2. 政治亡命者・無国籍者3. 内部告発者(ウィスラーブロワー)との回答をえる。導き出した理解にうなる。ややもすると俊寛の状況からは飛躍があるけれど、内部告発者の孤独の深さを思わずにはいられない。組織の不正を告発した瞬間、仲間という船が自分を置いて去っていく。職を失い、家族関係が壊れ、社会的信用も消え、かつての同僚たちは振り返らない。スノーデンやアサンジュのケースは文字通り「島(亡命地・領事館)」に閉じ込められた。告発という「正義の行為」が孤立の直接原因になる構造が、俊寛の「謀議への加担と断絶」と響き合うとした上で、俊寛の孤独が現代において普遍的なのは、それが**「善意や誠実さが、かえって孤立を深める」**という逆説を内包しているからかもしれません。現代社会では「つながり」のツールは無限にあるのに、ラディカルな孤立はむしろ構造的・制度的に製造される——そこが最も俊寛的です。 これらの解答が間髪おかずに響いてくるのだから、蔵人くんは俊寛のような立場にある人にこそよき傾聴者たりえることを知る。
2026.05.20
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2026/05/13/水曜日/初夏となりぬ三朝温泉といえば、なんと言っても三徳山役小角が706年に開山したと言われる修験道の行場。蓮の花伝説が伝わる。後年、849年に慈覚大師円仁により、釈迦如来、薬師如来、大日如来の三佛がすえられた事により三佛寺と称す。入山料400円は、たまたま春会式に出会わせて無料だった。院と称する寺坊が3つ、宿坊もある様子。正善院では庭の鑑賞とお茶をいただく。栃ノ実羊羹のけぶたい甘味が素晴らしかった。皆成院では知人と私用に目のお守りを頂く。本堂では厳かに春会式が執り行われていた。護摩焚きの炎が時々火柱を高くする。声明、木魚その本堂裏手に、行場山道への入り口がある。隣接のトイレも清潔。途中鎖場もあるので手袋も持参したが、同行二人以上の入山しか認められない。ツレは山道は無理なので涙を呑む無念やな、山の彼方の投入堂本堂前の特異点から文殊堂、地蔵堂を遠くにながめる。山一帯の中にあって特に国宝投入堂は有名な建造物である。その名声に一役買ったのは写真家土門拳かもしれない。投入堂の撮影にかけた彼の執念はまさに蔵王権現一体どうやって遠い昔建造したものか。投入堂の本尊、蔵王権現像から12世紀初め頃建造されたと考えられている。ゆるゆると下山して、投入堂遥拝所に向かう。↓スマホMAX撮影望遠鏡越しに撮影↓三徳山に春分秋分のレイライン表示があって興味を引いた。九十九里浜上総一宮玉前神社千葉県笠森寺相模一宮寒川神社富士山奥宮身延山伊吹山竹生島元伊勢皇大神社三徳山三佛寺大山寺母塚山出雲大社日御碕神社稲佐浜神社が七つ、お寺が四つ、山が二つ、浜が二つこの混淆バランスが乙
2026.05.13
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2026/05/11/月曜日/五月晴れ◼️寿湯知る人ぞ知る、源泉掛け流し銭湯寿湯明日月曜日はお休みなので、今日、日曜日の内に行く。駅前に車を停めて、近道に気づかず遠回り帰りは気がついて、幅50センチ満たないような細い小路をすり抜ける。入浴料300円!ありがとうございます。もちろん石鹸シャンプーの類はない。ところで、番台には人がいない。ベルを鳴らす仕組みなのだが、少し待って来なければ番台にお金を置いておく、と男湯の地元の方に教えてもらう。ちょっと驚いたのが、集金をする床屋のダンナさんはロッカー横のドアからやって来た。えええ!こちら女風呂だよん。そこが出入り口なの?お金を受け取るとさっといなくなった。女湯は私一人なので、掛け湯をして、ざんぶりお風呂独占至福だ三朝の湯とはまた全然違って無色透明、熱い設備は古いがお湯は新鮮!◼️関の湯関金温泉の鄙びた小さな町の奥まった場所にある。駐車場も目の前で便利。3月までは料金200円!4月から値上がり250円地元の方は100円らしい。三朝温泉の湯に近い印象三朝よりか少しく薄い?そしてやはり熱め、体感43〜44度。古い歴史をもつ地元の方のための日帰り温泉他県からも若い女性が来るような人気ぶり確か、真庭から来たとか若いお方。真庭にも温泉はあるみたいだけれど。温泉の紹介もあり、古くても手入れされてよく管理されている様子清潔、明るい壁側浴槽下の一部は男湯と湯が還流しているらしい。
2026.05.11
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2026/05/09/土曜日/昨日は一日中編み物学習三朝温泉を中心に、私好みのお出かけ地は幾つもあった。今回は日本海側まで出かけられなかったが、布哇ハワイも近い、大山も近い。そんな中で選択されたのは、旧国鉄倉吉線廃線跡わび、さびな旅がらすではござる。短い路線あとを歩きながら、作夏歩いた泰緬鉄道廃線跡が思い起こされた。一部は観光列車として、ミャンマーへは廃線。泰緬鉄道では観光客がいてさえ、どこかシーンとした静けさを覚えたが、まして今、竹林に覆われた線路は私たち二人だけなのだ。かつてこの場所に今では想像できないほどの多くの人が朝な夕なに鉄道を利用しただろう。今日一日に費される労力、日々の糧、学び、人びとの声、行く人戻る人、その暮らしの全ての層の重なり。それらが押し寄せてくるボリュームに対し、今ここにある私たちの存在の疎らは折り合いがつかない。私たちは泰久寺←これもまた廃寺となった。ホームは今も残る←そこから塞がれた、許可のない限り通行できない山守トンネルまで歩いた。もっと手前に廃線跡観光案内所があり、駐車場トイレが設置されている。そこからすぐに線路上を歩いてトンネルまで片道2.2k程度。私一人なら断然歩くが、ツレが脚を痛めてままならぬまま、石に苔むす気持ちで去る。倉吉経由で宿に戻る道すがら、気になる古墳の存在を知り、立ち寄る。上神大将塚古墳 倉吉市指定史跡 昭和六三年七月七日指定上神大将塚古墳は、直径二七メートル、高さ三メートルほどの円墳。大型というほどではないが、周辺に分布する古墳の中では最も大きい。大正五年(一九一六 )に地元の人々によって発掘されたという。 死者を埋葬した施設は、板石を組み合わせた大型の箱式石棺だったようである。棺内より、三角縁神獣鏡一面、碧玉製鍬形石一点、滑石製琴柱形石製品四点、管玉二二個、臼玉三二個、槍身一点、斧頭二点、刀一点、剣身五点、鉄鏃残知一点が出土したというが、なくなったものもあるようだ。本古墳で出土した三角縁神獣鏡と同じ鋳型でつくられたものが、大阪・京都・滋賀・愛知の古墳から出土している。また、形石と琴柱形石製品は、ともに、山陰地方では本例のみしか出土していない。 本古墳は出土遺物の特色から四世紀末から五世紀初頭に築造されたと考えられる。なお、出土遺物は東京国立博物館に所蔵されている。倉吉市教育委員会眺めた印象では、ここに埋葬されたのは身分の高い女性なのでは?との印象を持ったが、どうか。花々に彩られていたせいか。むしろこの円墳の目の前のこんもりした丘が気になった。これは前方後円墳ではないのだろうか。畑の真ん中にぽっかりとうずくまる。円墳にはこんな石碑も倒れた後に起こされたような感じで立っていた。伯耆国造始祖大八木足尼命とは誰?この石碑を建てたのは先代の出雲大社宮司、千家尊統氏。出雲国造とのただし書あり。出雲古代王族からみれば、外来の王国略奪者子孫一族、という認識のようだ。もっとも出雲国造の祖であるホヒと古代出雲王族は婚姻関係を結び、血は複雑に入り混じっているようだ。その出雲国造も、律令制度が津々浦々に浸透し始めた果安の時代、天皇の在所を凌ぐ巨大な宮建立と引き換えに政権の全てを統一王朝に移譲し、神官職のみを引き継いだ。出雲国造は代々土地の人にはつい最近まで現人神だったという。大八木足尼命(おおやきのすくね)については蔵人さんに聞く。出典平安時代編纂の史書**『先代旧事本紀』巻第十「国造本紀」の波伯国造条**に記載されています。系譜父は兄多毛比命(えたもひのみこと)で、称号は波伯国造。成務天皇の御代に活動したとされています。同祖関係国造本紀によれば、波伯国造は「无邪志(武蔵)国造同祖、兄多毛比命の児・大八木足尼」とされており、武蔵国造と共通の祖先を持つとされています。その祖先系統は**天穂日命(あめのほひのみこと)**に連なる出雲系とみられています。祖神を祀る神社伯耆国造の祖神を祀ったと伝えられる神社として、波波伎神社(現在の鳥取県内)があります。八という数は、素戔嗚を思わせる。純粋にホヒ系であれば、七か三ではなかろうか。八衢にはサイの神信仰が宿る。今でも道祖神となったクナト王とサイ姫が男女の結びつき、和合の人の道を今におしえる。この円墳の西にある船上山は大山、三徳山と共に伯耆国三山と呼ばれていることを今更ながら知る。穏岐を脱出した後醍醐天皇はこの山から挙兵したという。また南には伯耆国国分寺跡もある。この地方が半島や大陸との交易、奈良京都の都へのアクセスの要衝地であった事は明白だ。おまけに優れたお湯の沸く湯治場がある。古今東西の旅人を慰め、元気回復をもたらして来た。古墳の一族は武蔵国にやって来て、大国魂神社や埼玉氷川神社にも足跡を残した。
2026.05.09
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2026/05/08/金曜日/夏がくる出版社 亜紀書房著者 ジョン・オコーネル訳者 菅野 楽章2021年10月 初版第一刷発行〈私的読書メーター〉〈読んだというより眺めた。D・ボウイが寝そべり本を読む様、これぞグレート・ギャッツビー、の表紙にうっとりしすぎて。ニューヨーク、ロサンゼルス、ローザンヌ、ワールドツアー、映画ロケ。星から落ちて来たボウイが地上を激しく移動した中で一貫して動ぜぬもの、読書という名のトポス、楽園。そんな印象を本書から受けた。2013年公開のボウイが選ぶ100冊が話題になったってちっとも知らなかった。2011の後遺症もあったかしら。やっぱり『ロリータ』読もうかしら。主人公の名前がハンバート・ハンバートって、ホント知らなかった!〉すごく昔、フランス旅行中にボウイの夢を見た。それはまるで『綿の国星』に出て来るラファエル様この写真のような横顔で右腕をすっと伸ばして指差しながら sud と言った。その頃は少しばかりフランス語も分かってたんだろか。3ヶ月のユーレイルパスを持っていた。当日、パリ往復券より高価だった。そう、そろそろ決意しなくちゃいけない。私は南に行く。南へスペイン、ポルトガルへ日本に戻ってしばらくして彼のツアーが日本にもやって来た。私は武道館に行った。sud はどことなしさびしい響き
2026.05.08
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2026/05/06/水曜日/明日から仕事の曇り空その1最近の三朝温泉泊。あちこちお出かけの要が倉吉なので連日ここに立ち寄る。初日は倉吉名物、打吹公園だんごその名も面白し元々は公園の掛け茶屋だったらしく、の名称お茶屋は明日はお休み、本日最優先で。これが何ともお上品サイズぺろりと平らげる。夕飯前なのに、お代わりを所望してぐずぐずと居座る。店内も中々風情あり、コーヒー飲みながらだんごをいただくのである(^.^)そこに何と!打吹公園だんごのキャラクター作者の方が!人形作家の方が店内に飾られたご自分の作品を初めて!目にされた場面に出くわすとはありがたやーほのぼのとした団子三兄弟は、この方ならでは!人形とは写しであるのだなぁ人形といえば倉吉には江戸時代から続く伝統の張子人形がある。昭和の初めまで、はーこさんと呼び習わされた。女の子が無病息災に育つよう、その形代として幼い頃から傍に与えられたそうな。貧しければ貧しいなりに、それでも女の子は赤いべべ着せられ、精一杯大切に育てられたのが、この国の文化の根幹にあると思う。一つ一つ手作りされる、やさしく淡いお顔を見ているとその事が実感されて何とも嬉しい。↑我が杣家にお連れ申し、はーこ様は美貌にごさるその2さて、次に。遭遇ではなく押しかけてようやく会えたのはyukariさん。この方が八ヶ岳で酵素玄米食堂を不定期で開いている事は前々から知っているのだが、いっかな開店に対し、私の八ヶ岳訪問が重ならないのでございますよーでも、彼女の絵も好き。買えないけどブリュットを見られた!できたら酵素玄米を買いたかったけどご本人に会うとパワー漲るエネルギーの放出が半端ではなく、度肝を抜かれた。彼女から捻り出されたものなら間違いない、推薦できます。勿論、その時々の心象体調で、捻り出されるモノに濃度の差はあると見受けられたけれど、彼女自身が一定の基準を知悉しているはず食べ物も絵も話す事も全てが彼女という人そのもの等身大で嘘いつわり無し。因みに彼女のうんちは水に浮くのだとか⁉️話題あれこれ大いに盛り上がる。女性にしてこの陽のエネルギー、感服
2026.05.06
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2026/05/03/日曜日/昨夜は蠍座満月04/12日/西郷山公園は八重桜出版社 河田書房新社訳者 中島京子2024年3月10日 初版印刷2024年3月20日 初版発行池澤夏樹個人編集 日本文学全集032016年1月刊行 文庫化〈私的読書メーター〉〈岩波文庫の大槻先生校註と併読。一小説毎に古文を先に読み、後から中島京子さん意訳で追いかけている内にツイツイ中島さん版で終了、図書館返却の憂き目に。易きに流れる浮世かな。いやいや己がことにて、はい拝。中島氏の語り口は確かに読み易い。「人はすべて、つくろふところあるはわろし」→「人間、表面をとりつくろっちゃ、だめ」。虫めづる姫君は当世風でない、もじゃ眉にお歯黒無しの白い歯を女房らに陰口叩かれても意に介さず、寧ろ論理的科学的に反証する。健康な若さに快哉。平安京の男女のなよなよ外れた様、一陣の風こそ心地ぞよき古典は読まないで生きてきた。授業がつまらなかった記憶が尾を引き。読書会縁で読んだ脇田晴子さん女芸能史、ピカリと光った菅原孝標女。さて何を手始めに読めば?と手にした本書は原文併記の新訳がかなり意訳とはいえ、風景が目に浮かぶようで楽しめた。更に「評」なる解題は古典背景文盲の私には有り難かった。千年昔の少女が物語に夢中のあまりその願いを親にぶつけ、そんな娘に大人たちが誠実に応える様も面白い。彼女の一代記の中に立ち現れる輪廻転生物語は浜松中納言物語に昇華し、やがて三島『豊饒の海』へと水脈は枯れず、の日本文学千年〉ちっとも古くない。小噺を聞いているような面白さ、軽みなど感じさせる話や、大時代がかった公達の、やつれたる恋心などもほとんど少女マンガのノリで楽しめる。一つ嬉しかったのは、現代語に翻案するに当たり中島京子さんが 島内景ニ氏 の講釈を受講されたこと。担当編集者の案内であったらしい。さすがは編集者、よき同伴者であるなぁ。
2026.05.03
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2026/04/25/土曜日/この時期らしい21度小さい庭で盛大に実る絹さや宿に着いたら湯に浸かる。中くらいとせいぜい1人の湯船が二つ入るなり、何やらシジミのスープのような濃厚な42、3度体感の湯に全身弛む↑水道カランの真下の細い穴から湯が送られる9時から15時まで清掃いやいや、最初は姉妹かと思った、母と娘の2人でこなすお宿 ちくま旅館日替わり出される生菓子が美味し過ぎてこれを毎日、倉吉に買いに行かれる心映え↑打吹山なる銘菓地場産の海幸山幸のお食事も家庭的ご飯がすこぶる美味しい。惜しむらくは漬物、自家製望む倉吉の酒造、元帥生酒日本酒苦手な私もハマる旨さ!すっきりして雑味なく香るお酒抜きなら一泊二食で1人13000未満、お値打ち!湯治スタイルもありそう↓宿の生花、完璧に美しい白薔薇3泊4日の滞在中、平日でも泊まり客は途切れる事なく、かといって混雑するほどでもない、心地よさ↑蕾だった玄関の牡丹、2日目見頃、去る朝ほころぶ
2026.04.25
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2026/04/24/金曜日/5月バラさく↓4日ぶり帰宅したら、咲いてくれていた4/19 羽田から岡山へ移動丹沢かな?やや残雪のこの季節、地上は美しい空港で車レンタル、一般道を通る。窓外のなだらかな山並み、樹木の多様な姿に見惚れる。全て古墳に見えてしまう。まだ山桜が残り、藤が花房を添え始めの花盛り田畑はこれから地ならし、水張り、稲や豆、青ものが力強く育つだろう。川では舟の出入りがあり、人馬が行き交い モノが交換され賑わった。今は昔津山→御津→奥津地名の中に昔の歴史を聞く智頭、奈義ナギは蛇の古語、出雲神話とのつながりを覚える山の低さがこのまま鳥取までつながれば、日本海側から大和までのアクセスは容易だ。瀬戸内沿いに舟、後は住之江から大和川を遡上古代出雲王族には大和の地は思いの外、近いのだ。出雲国造果安が神賀詞の奏上のために8世紀初め、百名を超える側近らを従え、ヤマト朝廷に向かった道のりを幻視する。その重厚できらきらしい人びとに、自然のまま暮らす民草は、驚愕の目を向けたか。重要な交通経路である川に沿って、温泉施設があちこちに現れる!これも出雲族には大切な要素だったはず。長旅の傷、怪我、病、疲れを癒したはず。人間、至る所に青山ありニッポン、至る所に湯山トウセンあり映画「秋津温泉」の舞台にもなった奥津温泉重厚な宿、東和楼には足元湧出の源泉掛け流し風呂があった。日帰り入浴の時間が過ぎていた。惜しいこと!道の駅奥津温泉で、地場産唐辛子やかき餅を購入↓コーヒー休憩予定がお休み∑(゚Д゚)少し時間があったので、小学生の時に習った「日本で唯一の?ウラン鉱が発見された」人形峠に立ち寄ることに峠に向かう坂の日陰には雪渓が。ここには人形峠アトムサイエンス館という科学博物館があった。このほぼ真北に10Kmほど、役小角が開山した三徳山がある。やや西北にラジウム温泉で有名な三朝温泉が。ウラン鉱床の影響だろうか。実はこの一帯はすごく重要な土地かもしれない。峠を降りるとすぐなだらかな道に出て間も無く三朝温泉へやはり岡山から優しい山並みが続く
2026.04.24
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2026/04/21/火曜日/晴れ言わずと知れた寅さんの、柴又へお初に参上つかまります〜訳あって急遽飛び入り参加の江戸川堤、桜の花も覚え愛でたく〜一つから買うことのできる草団子は、根っからの柴又っ子なる、本日お施主さまのおすすめのお店、この色艶とよもぎのほろ苦さみんな平和で楽しく暮らせますように花より団子の民草でございますが、いとど念入りにオン願い奉りまする〜さてさて花より団子より、蛤とワインの1日これはこれはの口福大勢でワイワイとワインがずらり!しとどに酔っ払い、はうはう帰宅すれば、土産の草団子は電車内で平らげなぜかバッグには赤ワイン一は丸々翌朝気がついた、コートのポッケにへしゃげた最中2つ!ひゃーお恥ずかしい酩酊のワインリストがこちら。大量の伊勢の蛤穴ならぬ、その上下合わせに入りたい〜
2026.04.21
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2026/04/18/土曜日/羽田は晴れ内陸部に近づくと水の色が変化して、栄養豊富な質を帯びる。ことも、ガイドさんによって知る。訪れた時期が良かったかも。観光客がきっと少な目↓マングローブ林の始まり。一本のヒルギの幼木東城内海にて。島は生成している。呼吸をするようにこれから新しいマングローブ林が作られるのだろう。宿泊のホテルでは対抗試合に出るらしい喜界島中学生や首都圏の大学陸上部合宿と思われる団体さん、仕事関係者が多かった。奄美には観光ではなく生活があった。生活者が大切にしている大いなる自然があった。金作春亜熱帯林を散策する午後、曇りから雨に変わる予想雨林らしい姿を見られる雨の歓迎を受ける。ガイドさんが言ってたこと。奄美という亜熱帯地域には北限と南限の動植物が高度で棲み分けながら多様性を見せてくれる。世界の亜熱帯地域は砂漠が多いそうだ。けれども奄美大島がそうならなかったのは、亜熱帯雨林の豊かな山を持っていたから鬱蒼とした山は豊かな水の恵み太古の森に注ぐ雨はそのまま海に運ばれる。川と海が出会う汽水ではマングローブ林が茂り多様な生命の揺籃となる。奄美は実は森の島なのだ。森の神は川に沿って海に降りて行き、海の神に挨拶されるのだとか。神さまのお社は、だから川が海に流れる辺りのモリの中腹に鎮まる。手つかずの森には恐ろしいハブが、まるで守り神のように太古の姿を今につなげている。今でも年間10人前後の方が命を落とすらしい。その犠牲になるのはほとんど農家の方なのだ、と聞いた。代々暮らす、土地を知る方ですら…モリへの畏れは今に受け継がれる例えばシダ類大きなものは10メートルにも達するのだ。目の前に立ち並ぶ姿を目にすると、まるで異次元に彷徨っている気にさせられる。金作春は車は入れない。山道を外れることは危険だろう。秘めやかな茂みからは、微生物を含む数えきれない生命の鼓動の気配がする。まるで奄美大島の胎内へと入っていくような金作春のモリ
2026.04.18
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2026/04/17/金曜日/btsがドームで混雑水道橋2月に訪ねた奄美、もう4月半ばというのに記録が残せず、記憶は遠のく∑(゚Д゚)3泊4日滞在中、丸一日は、ガイドさんをお願いしてネイチャーエコツアーを楽しむ。↓『暮しの手帖』でお馴染み、ミロコマチコさんは奄美大島在住。日本には現在26の世界遺産がある。そもそも世界遺産の区分は、文化、自然、その複合の3つなのだとか。奄美大島、徳之島、沖縄島北部、西表島のまとまり、琉球弧が日本には5つしかない世界自然遺産の一つ。そういう地にはたいてい認定ガイドさんがいる。そして金作春にはガイド無しで入山はできない。そこで、午前はマングローブ林のカヤック、午後に金作春森林ツアーを申し込んだ。このガイドさんが大当たりだった。アズールのT氏、ご自分を自由人という。若い頃、サッカーボール一つ?持って中南米を練り歩き、その後世界を旅したそうな。出発!と河口方面に出た所で海亀に遭遇。しばし同じ方向へ亀と共に。周囲の方がカメ、どこどこ⁈と寄って来たら、あららカメさん、潜ってしまわれる。上流から椿の花のお便りがボートに流れついたり自然は沢山の贈りものをくれる。その奄美の自然について、ガイドさんから沢山の事を教えて頂いた。例えば、マングローブという名の樹木は無いのだ。ということ。え!西表島のマングローブ林もカヤックしたけれど、あれはマングローブという名の樹木だとばかり思っていましたーヒルギ科の常緑樹がマングローブ林の主な構成要素であり、奄美にはオヒルギとメヒルギの2種。西表島には3種ある、とか。メヒルギの花房を見ることもできた!ヒルギの見分け方、マングローブ林を構成する生態系についてとても詳細に教えて頂く。深く呼吸をしながら、川の上、マングローブ林や山や空を眺め、ゆったり移動すると思いがけず時間が進んでいた。お昼はホテル側のカフェを教わり、そこでランチと美味しいコーヒーを頂き、金作春に備える。
2026.04.17
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2026/04/08/水曜日/お釈迦さま生誕の日あーあ、と思う日々スティーブンのショールをしばらく放置久しぶりに編み開始すると針の号数が2つはダウンしたようにゲージが変わり果てているではないか!結局のところ解くしか解決作はないこの糸はユニークで私にとって特別なもの一昨年の6月に、デンマーク北東部にある小さな町の、イサガーのULDENS HUS で購入した。イサガーの小さな紡績ファクトリーで生産される地元の羊毛オンリーの糸、ひとかせここ、ULDENS HUS でしか買えない。そもそもイサガーの糸はイギリスで生産されていると記憶する。糸巻き機で巻くと、ぷつんぷつんと四つの糸切れがあった。糸は強いと脆いが混合しているのだった。それでも、この光沢!その事を解きながら思い出した。そして改めて今編んでいるキツさは馴染まないこと、メリヤスよりもガーターの厚みのあるシンプルなデザインがこの糸の魅力を伝えてくれることに感じ入る。↑昨夜編み直したパート、ちょっとキツイ。でも今回はこれでいこう。回り道、後戻り、何度も繰り返しといえば国際情勢のでんぐり、もんどりイラン、イスラエル、アメリカ!一時的ではなく恒久の和平を、この花祭りの日にと願う本日はレッスンの後、入院している仲間を見舞う予定だった。ホームで念の為メールチェックをするとなんとレッスンが今朝方中止!でも都内の病院お見舞いを先方には伝えてあるしとぐずぐず家に戻りがてら、ふと三井記念美術館の展覧会を思い出す。そっか、今日は月曜日ではないから午前中に在原業平さんに会いに行ける、るんるん再び駅に戻る。小田急は相変わらず遅れ発生で鮨詰め電車。地下鉄を待ちながら、ふと三井記念美術館ホームページで期間はどうかなと見ると、な、なんと!現在展示入れ替えにつき、云々。はあ〜既視感があり過ぎる!そうそう、芹沢銈介美術館のこと、あれは静岡だった。あまりに痛過ぎる記憶であります!東下りの業平どの東下れぬワタクシめ傷は浅いよ、今回はと再び家に戻り出直します、バスで徒歩ほ。
2026.04.08
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2026/03/27/土曜日/朝のうち曇り出版社 河田書房新社著者 王谷晶2020年3月31日 初版第一刷発行〈私的読書メーター〉〈桐野夏生さんではなく、この作品にダガー賞が止まったのだなぁ。なんだかなぁ。内田梨沙子訳『バーバ・ヤガー』は子どもらが大好きで、何度も読み聞かせた。スラブの寒く暗い森の奥深く奇妙な家に棲む魔女のおばあさん…本作では、そのプロットは子どもらの心の奥深くに刻まれた性分と特殊な生育環境…に置き換えられ、アクションミステリに生成された感。登場人物の心理描写や背景がダガー不足に思うのだけど、今やそれを求めないお約束なんだろうか。Rロイドパリーの『黒い迷宮』はミステリではないけれど、つい比べてしまう。〉軽かった。 私的カテゴリーではライトノベル暴力を薄めれば児童文学 いやいや、肉体の痛みを心理的に置換すれば 以下の要素はいくらでも児童文学にあるシスターフッド近親相◯←楽天さんではこれは撥ねられるえええ?ドブにフタして実態を隠すほどに汚物と化す、誰が慟哭しているのかね一体異邦人「寒い国から来た」祖母何となれば女装する中年会社員も登場するよ。攻めてる児童文学!タイトル思い出せない児童文学で、まさにモンティ・パイソンに揶揄されそうな2人組が、ブレーメンの音楽隊よろしく肩車して自分たちの環境を変えていく、ソレ思い出した。ババヤガの裏にはモンティ・パイソン重苦しい題材をスラップスティックコメディにしたのが案外英国人気質にマッチングしたかもね
2026.03.28
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2026/03/24/火曜日/ようやくの春?これは いすのみせ椅子ではなく、伊須Googleマップにもちゃんと出ています(´∀`*)パパイヤ100円の看板に惹かれ立ち寄りました。↑ありゃ惜しい。当日は22日、日曜日でした。自家焙煎コーヒーが飲めまする。画像左下のケースにはパパイヤの文字。既にか未だか空だった(;ω;)ところで!画像右無農薬のタンカンも100円!6〜7個も入って破格!ご当地400円前後では?小粒だけど香り高く酸味と甘味のバランスよしお日様に背を向けた棚に本。20円から(;ω;)ティッシュ箱か牛乳ボックスを利用したと思われるマクラが本の間に。ひょっとしてご主人は図書館関係者?と匂わせる。目の前の伊須の浜で拾ったらしい丸々とした珊瑚、私買いました。アクリルたわし!私も編みたいです。古着も扱いがあり、島で一番、私的に魅力的なお店でした。私もこんな楽天的天地で、こんな小さなお店を持ちたい。風待ち、潮待ち、星待ち、人待ち編んで暮らす、読んで暮らすこれって菅原孝標女が気持ちのよい奥山で薫に囲われて暮らしたいと妄想したアレだよん。ふふこのお店の先にあったのがホノホシ海岸名前がすこぶるよろしい。ハワイのホノカアを彷彿地名が大切、ほのぼの、のほほん、ほんま乾いた玉石を波が洗うと、カシュカシュみたいな音を石が一斉に放出する。
2026.03.24
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2026/03/23/月曜日/朝のうち雨2月の奄美大島で訪ねた場所より瀬戸内町立図書館は奄美大島の南端、古仁屋の地にある。2階にある郷土館が読書会仲間のおすすめ旅先では、できれば民俗資料館や図書館、古い建物、歴史や自然の理解できる場所を訪ねるようにしている。ホテルのある名瀬から1時間40分ほどのドライブ島は思っていたより広い。確認したかったのが、神女のこと↓沖縄と同じように、やはりノロの系譜は奄美にもあった。果たして彼女らは聞得大君の下、公に組織された巫女であり、琉球に準じて公務員的な身分だったという。ハノイの民俗博物館や台湾の鳥来ウーライ、山岳民族資料館で見たアジア人中高年女性の威厳のあるツラ構えの良さには惚れ惚れとした。以来、妙齢のアジア人女性が気になる。なぜ、かなような面相がかつてはあり、今はなくなってしまったのか。辺境の地や昔をたずねれば、あの顔に会えるのでは、と足を運ぶのである。そして飽かず彼女らを眺める。何をして暮らしていたのか。館内は小さくとも豊か。司書や学術員の方の手作りと思われる展示がいきいきしている。子どもらの遊び道具もゆかしい。台風に備えたのだろうか。石垣には珊瑚が用いられたようだが、これで吹き飛ばないのか。夢のように美しい住居風景私は見逃したが、古い映像が見られるらしい。全て見ようとするなら、半日越えてここに滞在しなくてはならないほど豊富であるらしい。できればもっと手仕事が見たいもの。民話、昔話の豊穣があって心地よい図書館、役立つ資料館として機能していると見受ける。びっくりしたのは、ここで見た黒砂糖を作る風景と同じ場面を奄美を離れる日に見たこと。水間黒糖さんでは、製造日で味が異なるから、と全てのロットの試食が可能!廃棄図書を1冊頂いた。『大正児童文学の世界』↓館を出た風景がこれなのである。古仁屋に住みたいくらいだ。館で一番のお気に入り↓
2026.03.23
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2026/03/15/日曜日/春めいて、花粉も盛大出版社 花鳥社 著者 島内景ニ2020年3月31日 初版第一刷発行〈私的読書メーター〉〈古典は読まないで生きてきた。授業がつまらなかった記憶が尾を引き。読書会縁で読んだ脇田晴子さん女芸能史、ピカリと光った菅原孝標女。さて何を手始めに読めば?と手にした本書は原文併記の新訳がかなり意訳とはいえ、風景が目に浮かぶようで楽しめた。更に「評」なる解題は古典背景文盲の私には有り難かった。千年昔の少女が物語に夢中のあまりその願いを親にぶつけ、そんな娘に大人たちが誠実に応える様も面白い。彼女の一代記の中に立ち現れる輪廻転生物語は浜松中納言物語に昇華し、やがて三島『豊饒の海』へと水脈は枯れず、の日本文学千年〉日記は父の上総赴任に伴い、当地で四年を過ごし再び京の都へ戻る東海道3ヶ月の旅路から始まる。彼女は手元に残した和歌の数々から、昔日を振り返り記したのである。振り返るのに歌をもってする品性よ過日よんだ歌を思い起こせば花も月も山も仏も人も浜も風もたちまち鮮やかに蘇るのだろう。和歌集が手元にあれば、様々なデバイスも空き容量も不要、関連付るAIも消費電気も不要かつての我らはそのような態であったのよのう。優雅という言葉はそんな時代の感覚なのだろう。この長い移動の中で、彼女は自分の人生がそこからスタートする事を自覚する。都から遠く離れた僻地で、ひたすら物語に憧れ、仏様に祈る時さえ、どうか物語が沢山読めますようにと一心に願う彼女にとって、もの心が付いて人となったのは、上総国であり都の殿上人からすればとんでもない田舎娘であった事を年老いた今、呆れたりあわれにも見る双方向の眼差しがこの日記にはあるのだ。つい、時は春!とでもいうような自身の少女時代を重ね省みて、その稚さを眩しく思い出さずにいられないほど千年前の少女はいきいきしている。なので、東海道を上る段が私的には一番好みだ。産気づいた乳母との別れでは、当時の穢れの観点から近づく事を止められても、それに対抗しとうとう枕元に添い、わあわあと泣き伏せる。実母が、女性の遠くへの外出を嫌がるのを古くさくていやだと言ってみたり、文学を好む継母への敬慕など、早熟で感受性の強いまま成長していく様いつでもそらで源氏物語を引用できるほどに寝食忘れて何度も読み耽る様当時としては格段に恵まれた地位の娘とはいえ、好奇心の赴くままにまっしぐらに自分の好きを生きた様は天晴れだ。菅原家では、何か祈念のある毎に太秦に幾度かお籠もりをしている。これをもの詣と称す。ここでいう太秦は、広隆寺を指す。広隆寺は秦川勝が建立した秦氏の氏寺で、京都内でも最も古い寺の一つ。広隆寺ではかつて牛祭という奇祭が執り行われていたという。菅原孝標は道真の玄孫であるから、孝標夫婦揃って何日も広隆寺にもの詣する背景には、菅原一族が秦氏末裔である事が見て取れる。斉木雲州氏の著作では、道真は出雲王族富家の事代主の末、野見宿禰の血統と記載されている。倭国大乱の頃を経て、出雲王家も実力者秦氏との婚姻で血脈は重なっていったのだろうか。あらぬ嫌疑をかけられ左遷され、虚しく太宰府で果てた道真が、建国以来の大なる祟り神として恐れられた事実は、出雲族の苦渋の歴史と重なる。更級日記は、このような歴史的背景をあれこれ想像するのもまた一興だった。記紀に登場しなくとも、富士が古代から神々の住まう尊い場所である事が理解できる。後年、藤原定家が本書を書写したものを乞い願われ貸したところ紛失されてしまったなど、定家の無念さが痛いほど伝わる。その後、別の写本を入手して、間違いと思われる所など朱記して、後年の研究者に託すという研究者の姿には新鮮に驚かされた。また本文中に何度も引用される在原業平『伊勢物語』も必読書となりぬ。
2026.03.15
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2026/3/13/金曜日/寒の戻りこう寒い日が続くと温泉が恋しい。そういえば年末年始は青森と函館の温泉で過ごしたのだった。酸ヶ湯の予約はゴールデンウィーク前それでも一室のみ奇跡的に空いているほどの人気↓旅のお供、本と編み物はこれ昨年12/28、憧れの酸ヶ湯へ出発!東京駅発10:18のやまびこに乗る福島辺りからは雪景色が窓に広がるひたすら編む、ときどき窓見る到着、新青森駅はすっぽり雪に。駅前バス乗り場でお迎えのバスが遠くに停車↑そこまで歩くあいだにも雪まみれ、バス内で湯気と化して、1時間ちょっとで酸ヶ湯へどんなドカ雪でも車が通行できるよう、日夜除雪作業をしてくれている方がたがいる!後日、新日本風土記を観て、頭が垂れました。途中、八甲田山の遭難の地辺りを通過する。地元では豪雪への思いは特別なんだろうと察します。宿な窓からは実に見事なツララが。こんな立派なものは生まれて初めてお部屋は最後の一室らしく慎ましやかで湯治感大。隣室はどうやら1人で8畳、我らは2人で6畳。隣の芝生?↓お茶うけお菓子も品を変え毎日供給意外にも?美味しい。到着日は先ず女性専用湯船、玉の湯へ。ここにはシャンプーなど設置されていた。さて、有名な千人風呂に就寝前に一風呂浸かる。もちろん石鹸の類はない。湯あみ着を売店でレンタル。専用のものしか使えないため持参しなかった。冬時期、浴室は見通しが悪いのですが、夏場は遠くの人の顔も見えるとか。常連さんに伺う。翌朝の女性専用タイムの入湯で、少し酸ヶ湯の理解が進みました。混浴の大浴場、千人風呂は実は2つの湯船と一つの湯瀧の 3つの機能を持っています。 朝と夜の8時から9時は有り難いことに女性限定。その1 四部六部の湯は樋からざかざんと湯が落ちてきます。その2 熱湯ねつゆこれは給湯口がありません。足元噴出という、貴重な湯船です。湯面を眺めていると波が自然に生まれ、所々に波紋、渦、気泡が生じます。大地と湧水と熱の交歓を覚えます。そこに天井から滴る水滴、人の動きの波紋が加わり、一刹那毎に湯の相が変化する妙味そんなに熱くないので、じっくり浸かれます。40分ほど3つのパートを巡り、部屋に戻り布団にくるまる。これが湯治らしき万年床へいざ1時間ほど休むとよいらしいのですが、お部屋係の方が新しい浴衣やタオル、お湯、お水など届けてくれて目が覚めました。湯上がりのお布団くるみ、これ最高です。しかし6畳に万年床二つは厳しいので、お昼寝専用の一組だけを交互に利用売店隣接のお蕎麦屋さんでお昼のお蕎麦。すごい更科、ツユが甘い。蕎麦プリン美味しい湯治は3日をoneクールとして、最低でも3回が基本。らしい。ここでは湯治食も用意があります。悲しいかな、9泊10日のお休みはなかなか取れません。費用も嵩みそう!この後訪れた函館の3泊を一つ減らして酸ヶ湯を3泊にすればよかったT^Tです。良い泉質の宿に恵まれた暁には、今後はできるだけ3連泊で過ごしたい。↑滞在中に八甲田山のロープウェイは雪と風で運行停止だった。帰りのバスからは遠くに樹氷が見えて嬉しい。さて、年越え滞在の函館湯の川温泉へ移動。↓酸ヶ湯温泉では浸かるか編むかで日暮らしこれを至福といふ。まったり
2026.03.13
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2026/03/10/火曜日/えええ、雪でした見る見る内にもう5センチばかり積もる間もなく出なくてはならないのだが…2/27に博品館で舞台を観た。新橋寄りのぎりぎり銀座、という場所柄、夜定食のある新橋ととやで5時からご飯待合せミュージカルというよりは歌劇に近い。再生音⁈とは思えないなあと感じていたらちゃんとピアノライブだった。娘からのお誕生日プレゼントが昨年からずれずれで、本作になったのだった。娘よ、有難う(^^)何を指定したか当方も忘れていたくらい出演者ファンの方からしたらとんでもない話韓国で初上演されてヒットしたものの日本版という。歌って踊れる韓国の役者さんは自国に活躍の場がなく、かつては日本に活路を求めていたけれど、隔世の感なり。キャッツなんかに、そんな素晴らしい役者さんがいたもんだ。登場人物二人アーサー・コナン・ドイルとシャーロック著者と、著者が早くシリーズを終わらせたかったシャーロック・ホームズ卿とのやり取りが、ドイルの生い立ちを絡めた心理劇的な構成トリプルキャストなのだけど観たのはこのお二人。コナン・ドイルが若すぎる!若過ぎて人生の葛藤の苦渋を表現するのに苦渋している、という。そういう演出技であろうか。シャーロックは、まあまあカンバーバッチが塗り替えてくれた昨今ではあるから。だけどもう少し上背が欲しいなあ。観客は舞台に魔法を見たいのじゃよ。ほほ。歌は2人とも声量もあるし、よく鍛えられてお稽古を積み重ねていると思った。当日は舞台後に演出家が案内役として出演者2人のトークショーもあるお得な回役者さんたちはユーモアも色気とか爽やかさもあり、さすが舞台の人間かなそんな訳でどうやら私の真後ろに男性が会場内1人だけ?盛んに同行者にオレ場違い?とかぼやいていたけれど笑シャーロックがモリアティと死闘の末、スイスのライヘンバッハの滝に落ちて行く演出、これは素晴らしかった。この滝を娘と2人して訪れたことがある。これは私、母からの成人式、独立お祝いだった。こんな風に滝を思い出すのは感慨深い。日本の滝を知る者としては、えーシャーロックの最後にしてはこの滝ショボいと文句を垂れたなぁ滝まで行くリフトもまばらでさびれ感があった。今はどうだろう。シャーロキアンの聖地ではあるこの辺りは長い洞窟もあって地理的な面白さが楽しめたと記憶する。雪はようやく小降りになった。
2026.03.10
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2026/03/09/月曜日/ほぼ晴れた午前中ならば羽田空港から大きな富士山が見える出発は2月21日、土曜午前2時間半くらいで 奄美空港空港前の降車位置ではレンタカー会場のフリップを持ったドライバーさんが並び、店舗まで運んでくれる。空港の目の前なんだけど。奄美レンタカー、車はニッサン軽よく走ってくれたし、奄美の移動は車なしでは私たちの計画では難しい。到着した日に一番で田中一村美術館に行く。いつかはこの島で一村を観るつもりが、一昨年?都美術館の一村展に行ってしまった。構成としては都美術館の方が圧倒感があった。彼の画業を掘り下げた展示もまたそれでも一村の絵を育んだ場所に、相応しい姿で建物があり、彼を偲ぶようなアプローチが設けられているのは、現地ならでは展覧会の後、ここを訪問する人が増えたときく。これから、という時にあっけなく世を去り生前は誰からも評価されなかった。孤高の画家ではあった。妥協を許さなかった。地元の魚屋さんが彼のスケッチのため魚介を半ば提供した。スケッチしている間に鮮度が落ちて売り物にはならなくなった事をおっとり伝えるご夫婦がビデオの中にいた。ゆるりと眺めて、早めの夕飯を取るまえにビッグツーという、なんでも揃う地元スーパーで、おつまみや黒糖焼酎を物色する。島豆腐高野で食べるつもりが、到着前の1時間前には売り切れごめんT^Tだった仕方なくお惣菜や湯葉やみきを買い、購入した有り合わせをホテルで食べることにこれが意外に大人のチョイス!❶夕飯時のためか、大風呂でゆっくり浸かり、サウナも独占堪能してしまう。❷たまたまだけど。お部屋の斜め前に電子レンジ、自販売機、氷サービスのコーナーがあり、利用快適❸夜に欲張らずの腹八分目は、翌日早目のしっかり朝食を招く。計画もスムーズに運ぶ。↑ホテル朝食には奄美名物?鶏飯鳥だしのお茶漬けご飯、美味しい。モズクも!野菜中心美味しいと言えばみき! めちゃくちゃ美味しい! 黒糖焼酎を少し入れて飲むといよいよ旨い!どうやらお米とさつまいもと白糖∑(゚Д゚)黒糖でいいのになあ、白さの追求?或いは甘酒でもよくない?これが日を追うと酸味が増すらしく。左、高野食品のみきは濃厚で好み。空港でも買えた。都内でフツーに買えないのが残念
2026.03.10
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2026/02/20/金曜日/かなり寒い曇天本日は通しで絵本太功記を観に横浜のKAARTへ出かけた。妹背山婦女庭訓 以来、久しぶりの文楽。国立が閉まったまま、漂流中の東京文楽がこちらで何度か掛かった事は承知だが、我が家からは不便な劇場で足も遠のく。それでも、桐竹勘十郎と吉田玉男が二人揃いで舞台に出るのはこれが最後かもと聞き、一日を文楽に捧げる。絵本太功記を通し、である。11時開演で退けたのは18時演じる方も体力勝負、こちらも算段多い長丁場。休憩時間はMAX30分くらい、次は20分ほど。後は15分くらいか。食べ物、飲み物、混み合いトイレ時間の確保が喫緊の問題なのだ。これらが抜かりなく調和してこそ、安心安全の観劇集中でござります。着物姿のご婦人も、幕間には脱兎の如くホワイエへ飛び出し、立ち姿でシャカシャカとおむすびほうばり、お茶ぐびりとしてたちまち席に戻る。ところでKAARTは中華街が直ぐという立地。それでも流石に幕間の外食はムリ。予め、台南風チマキなんぞを先に仕込みたい。予定どおり、10時には中華街に着いたものの、その時間にチマキを買えるお店は少ない。当初は源豊江でチマキか胡椒餅をゲットする予定が、30分遅い開店時間に変更∑(゚Д゚)調理を考えると開演にギリギリ過ぎる。チマキ専門店は11時オープンΣ(-᷅_-᷄๑)結局、10時から開いていた台湾九份で チマキ750円を買い、温めてもらう。 これが、美味しかった! 昨年の台北で食べたのよりもリッチ。 まあ、値段が3倍から違う。 もっとも台湾でも、ここ中華街でも本当に美味しい、すごくリッチなチマキは端午の節句の頃の2、3週間の期間限定食なのだねえ。もと国立劇場の周囲はお堀とホテル、食に関して両者は比べるべくもない。これは心動く!観劇と食事は手を繋ぐ。場所的には我が家から不便でも、美味しいが付いてくるKAARTに軍配上がります。さて、肝心の舞台素はオペラ仕様な、ビッグな観劇ホール、でも舞台というのは三業さんがきっちり作り上げるものなんだな。トザイ、トーザイが聞こえるともうそこは文楽の世界太夫のみなぎる声の調子にあやつられ、太棹のわななきに乗せられて、人形が人情繰り広げる江戸世界のあやかしへ18世紀末の大阪人が描く太閤さまははあ⁈というくらい美化され、神がかった秀吉それに比して、明智光秀(床本、武智光秀)の苦渋、苦悶とか心の揺れはリアリズムを覚える。何とも憎々しげな信長(春長)と蘭丸の非道振りかつての少女マンガ、今の韓流のご先祖さま的展開と客観しつつ。その仕打ちに耐えに耐えて、主人殺しに向かう光秀の心の内が、額の傷跡後には、頭すげ替えた?と思うほどに人形の顔が変わって見えるマジック本能寺の変の発端プロローグ、太夫や三味線はいつもの床ではなく、舞台の高い場所の格子の向こう、といった構成も、この事件が起きた遠い昔を距離で見せているようで面白い。長左衛門切腹の段は、三業と舞台のスペクトルが、一斉に贖いの死に向けて階段を駆け上がるような勢いと、上に立つものの覚悟を見せて、涙。この勲しに対して、実の母を竹槍で、そうとは知らずとはいえ、刺し殺し、そこへ初陣で若い生命を散らす長男が、父光秀を逃そうと生命からがら姿を現し、祖母と同時に絶命する。光秀の無惨はどうか。その光秀も一介の百姓の竹槍で息絶えるのだどこで響いたか、南無妙法蓮華経の読経の合唱六月十日の尼ヶ崎の段、切の豊竹若太夫と鶴澤清介のコンビの迫力入魂珍しくも待ってました!の声かかる。そうそう、別仕立だった床本が、パンフレットに組み込まれて風情が減少したねえ。
2026.02.20
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2026/02/17/火曜日/寒の戻り出版社 ポプラ社 著者 三浦しをん2007年5月30日 第一刷発行 〈私的読書メーター〉〈出版から20年、亡き咲太夫さんお若い。本書は文楽刊行物連載にして、文楽初心者のハテナに随走してくれる敷居の低さが頼もしい。合わせて取材特権か、京都、大阪、果ては内子座と文楽鑑賞の羨望。世話物が今ひとつな三浦さんと心同じくする私は『桂川連理柵』の登場人物への彼女のツッコミは共感甚大で度々の失笑。そして流石は物書きと唸らされたのが『女殺油地獄』の章。この不可解な人間心理のドラマツルギーはもはやドストエフスキーを凌駕する。あまりに暗くてヤダ!な題材が、なるほどそうか、門左衛門は神さまの場所から人間の哀れを、と。〉歌舞伎は人間が演じるので、私には何とも生々しさが先走るのであります。女殺油地獄なんぞを演じられた日には夢にうなされるが必定。人間の写し身、空っぽの人形が演じてくれればこそ、皮膚一枚下の人間の生身を覗く恐ろしさが昇華されゆく。傀儡ですよねえ、デクノボーです、木偶の坊。ところが、である。とある一刹那、人間の演じる、が背後にさーと下がり、人形が語り、唇を噛み涙を流す。これが人間の技!とはっと気づいた時にはこれがまぁ。元のデクノボー、なのでございます。これが私にとっての文楽至上のヨロコビその刹那、何が起きているかと考えるにこれが太夫の語りと太棹のこんがらがって躍動する波となり、全てが混然となる様と言いますか。そう度々訪れるものではありません。大島さんはそれを 渦 とかや。プラトンの洞窟の影絵の上塗り、影絵が影絵を遣って芝居を打つ意識の明かりがさっと灯れば影は消える、神も消えるこの世の妙を遊ばんとて〜文楽其日庵ソノヒアン先生の『浄瑠璃素人講釈』も読みたくなった。何と先生は夢野久作のお父上ですと!むかしの日本男児は骨も身もあったのぉさて終章、豊竹咲太夫さんに聞くは事の他、味わい深い。鶴澤燕二郎さんが六世燕三になった経緯。痺れたねえ。血、ではないよ スピリッツ、だよお。それが織太夫と組んでばっかり。小住太夫とも、ひとつよろしくお願いします。
2026.02.17
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2026/02/07/土曜日/はつゆき出版社 角川書店著者 脇田晴子平成十三年十月三十一日 初版発行角選書326〈私的読書メーター〉〈学術にかぶいた資料本にて読むに難し。浅学の妾は中世芸能にさんざめく花園の、あの花、この花にふらふらと遊びたはぶれるのでありますよ。天鈿女のストリップショーに河原がどうとどよめく笑い。笑う門の福は予祝なり、ナニ、何事も天土まるく収まりゆく運び。の地点から出雲阿国の近世渡し、女子が小さく硬く萎びてゆく先の最期の徒花か。傀儡に見る山暮らしの、租税戸籍から自由な民と山窩の繋がり仄めかし。国を譲った末裔の声なき抵抗でもあったか能。更級日記読みたいナ、闇きより闇き道にぞ入りぬべき 遙かに照らせ山の端の月、和泉式部非常に魅力的エピソードが満載だ。特に菅原孝標女『更級日記』に記す、足柄山の遊女の歌に対する批評が、この少女の才能を刻印している。菅原一族が任地から京に登る際、山奥の足柄山のふもとに宿を得た。月も星もない暗闇の夜、何処からともなくあそびがやって来て、唐傘を打ち据え歌をうたった。五十、二十、十四、五ばかりのおなご、色白く汚れなき姿と比類なき声が空に澄み渡りめでたく歌った人びとは感動し、「西国の遊女はこうはいかない」と褒めちぎると、すかさず「難波わたりにくらぶれば」と歌で返す。歌い終わると彼女らは、おそろしいまでの山の暗闇に帰って行った。更級日記著者は、幼いながら心に感動を覚え、後にこの事を綴った。それが後段で、能の『山姥』へと華麗に繋がりゆくお筆先、天晴れ。思えば金時山の麓神社では、側の木にヤマガラが人を恐れず泊まって、盛んに歌っていた所に遭遇した事があった。社務の方が言うには、昔はこのヤマガラがおみくじを引いて、占う人の手元にポトリと落としてくれたのだという。中世のあそび女の生まれ変わりか。キツネに騙されることの無くなった我らには中世も神代の昔の如くなり他にも承久の乱が、傀儡から出た白拍子が因縁であったとは!後鳥羽法王が偏愛した伊賀局亀菊。そういえば、小説で読んだ。タイトル忘れ!義経の静御前白拍子の装束が男性装だったのは、そもそもが古代の遊部あそびべ、の系譜を引くという。つまり水干、袴は神事の礼装であって、男女差はない、ということ。神に使える巫女と巫男、二つがあった。昨年の講書始めの儀では、確かこれを裏付ける講義があったと記憶する。これがいつの間にか刀や鉾を持つのは、女に向かない、夫が変わるの風が増え、男装なる言葉が出回る頃には女は神事から遠ざかってしまった。イザイホーは既に失われたが、久高島ノロに古代の日本の神事を見る思いがする。カミは女の口によりまし、男がサニワする。よりましられた女の舞は神事である、と。痩せ細り枯渇しそうな現代にその力を再び黄泉がえさせるもの、汝の名、猿女
2026.02.07
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2026/01/30/金曜日/晴れれぱ温い出版社 中央公論新社著者 楊 双子訳者 三浦裕子2023年4月25日 初版発行2023年9月10日 3刷改版〈私的読書メーター〉〈随分前のリクエスト本、今の関心と少しズレるも乙。百合好みって薔薇と対比されるアレかぁ、こんな完璧な台湾女子登場でほぼほぼライトノベルかな、と読み下しつつも歴史考察深し。初めて台湾旅した30年ほど昔の、暗くて安くて可愛い女子見かけない、日本語話す高齢者ボランティアさん沢山な当時を思い出す。この年月の内に黄昏れた日本とかつて日本だった台湾は半導体の爆進で逆転した。そもそもを思えばねぇ、米国の顔色一つでねぇ、こんな事になっちまって。よし、日本は楽しい鉄道旅のハコとシステム、台湾は駅弁でコンビどうか。〉台湾は好きで、一番通っている外国だ。殆ど外国という気はしないながら。今年は予定が無いけれど、昨年も旅してきた。私の誕生日に、美味しいものを食べに!が、プランだった。↓その時のお土産No.1はコレ美味しいものはとは⁈マンゴー、マンゴスチン食堂の牡蠣のスープ、チマキエビチャーハンお土産は街場の安いパイナップルケーキなので、庶民の慎ましさがほの見えまするT^Tバスで1時間くらい揺られて行った老街と故宮博物館を訪ねたことがまあ、新しいと言えば新しい体験そして、行った先で必ず美味しい発見がある。老街のピーナッツ飴とか台北の中でも一番美味しい胡椒餅とか。客家の薬草スープとかデザートこの本には、さすがな中華食い倒れメニューが煌めく星座のように端然と天球のごとき卓を巡る千鶴子と千鶴の食欲には、グルマン能力の淡い私なんぞは裸足で逃げたくなるけれど、千鶴子の食べ物嗜好は私と近く、共感できた。阿盆師の作った料理は『バベットの晩餐会』を彷彿とさせる。これは強者のためのメニューであって、我ら一般人とは無縁の品々だろう。しかし、本当に旨いものを食べているのは労働をしている健康である旬である地域で採れる、獲れるの条件を満たし、明るく楽しい雰囲気で供される食事なのだ。言葉の通じないお店のおばさんが出してくれた、生の向日葵の種、それだ。ところで、昭和初めに海外に出かけた女流作家と言えば、林芙美子かな?と千鶴子に重ねたら、著者は確かに林芙美子をモデルにしたという。林芙美子はパリ外遊時代に白井晟一が恋人だったことを松濤美術館の展覧会で知った。それは別の話だけど。この本の後ろにはその林芙美子の『愉快なる地図』が紹介されていて心憎い。 あー旅は道連れ、世は情け「飛光よ、飛光、爾に一杯の酒を勧めん」
2026.01.30
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2026/01/26/月曜日/冬に戻りし午後あちらとこちら教える教えられる昨秋、サイチカさんを団長?とするイサガースコーレのワークショップに参加した。その時、すばらしい講座を持ってくださったのがヘレナさん彼女の講座は、編み物初心者、ベテランの混合クラスの皆々に羊毛の発する色とテクスチャーを自然観察を通して、そのハーモニーの発見の仕方、或いはそれぞれの中に潜んでいる、自分の欲する、必要とする色彩バランスを発見させるというものだった。そこには講師と受講者という壁がない。なぜならワークショップの根底にあるのは自分自身の発見であり、他者との優劣ではないのだ。同じ講座を翌月、日本でも体験したが、デンマーク、トベルステッドの風景の中から異なるアイテム異なる色を探す作業が省かれたことは大きな落差であった。自然観察がカギなのである。デザインする心はフラット表現の手法はそれぞれそこにはアマチュアと熟練の差異はあるそれもこれも自身の納得の濃度納得するまでやり切れる、が喜びになれば自ずと先に進む。と信じる。1/29 NHKすてきにハンドメイドで、ヘレナさんが登場!あちらとこちら 願いは来世それでもこの人に先生になってほしい!が長年あって、2年越しのお手紙やメールで承諾してくださったY子さんあれから8年ばかり、私たちサークルを超えて活躍されている姿が眩しい。なぜ先生になってほしかったかといえばそれは統率力でも知力でも芸術的要素でさえもない。すばらしいパーソナリティだから、それだけなのだ。先日私はスマホを忘れ、いろんな経緯の結果その日の内に新たに購入、ドタバタの上で交通系入れたり、何とか翌日仕事に間に合った。しかもトラブルは幾つも重なり…Y子さんが預かってくれていた事をその後知り、心貧しい私は、忘れ物の対処について不平を言ってしまった。翌日、Y子さんはレッスンの後、私の忘れ物一式を私の勤務先駅まで届けてくださった。何となれば、私の家の最寄り駅までも!とのメールY子さんは申し訳なさそうに改札に現れ明日から九州の講座のために不在になるので少しでも早く私に届けたい事を告げられた。↑こんな袋に入れてそんな大切なスマホはいつも側にね対処が不味かった私も側にいさせてねLove is right here.Right is love here.私はそう受け止めた。大袈裟ではなく、今度生まれて来るなら、この方の子どもに生まれたい、と感じた。亡父との確かな距離をY子さんの内側から顕われてくるものに感じ入った。この人の子どもに生まれたい⁈こんな感情を遠い遠い昔にもったことがあるような気がするあちらとこちら諦めることイスラエルは行きたいと考えていた。ガザのイスラエルではなく、古代とかハーブの。そこに行くために深謀遠慮もして、ツレがその旅が嫌なら、私1人でも、と。ところが私の中でそれは諦めてよいに変わった。最近ツレが命虚しくなる夢を見た。それがきっかけなるほど人は死ぬ。ひょっとしてツレは自分より少し早いかもしれない。と。それなら2人が同時に楽しめる旅に時間とお金を使いたい。幽冥境を隔てれば、2人で旅することはできないのだなぁツレに感謝して共に老境を心豊かに過ごしたい。私は少しだけ、ツレに優しくなった。あちらとこちらを考えることで。
2026.01.27
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2026/01/20/火曜日/有馬は雪新年は、函館湯の川で迎え浸かった。わずか2週間を置かずに、三大古湯なる有馬温泉へ太閤の覚えめでたい金泉は、平日にも関わらず観光客が沢山韓国や中国からの観光客も欧米人は草津より少ない印象我らにしては上宿を選んだので、夜は倹約?贅沢な食事を連日食べたくないのも身上。一風呂浴びて予定していた釜めし屋へが、えらい行列。ここは予約が効かない。第二プランの居酒屋へ↓宿の塀を通り抜け、階段を少し降りる。提灯が賑やかに迎えてくれる。これが安くて美味しくて食べたいものが少量頂けてよかった。てっちり、てっさがあるのでフグ好きにはよろしかろうが私は二日酔いが残り…宿の使える二つの風呂の内の一つ幻想的な水桶には天から滝のように間欠水が宿泊者は有馬でかなり古い湯屋、御所坊の半混浴湯が利用できる。経営者の方のコレクションやワインセラーを見ながら、2階のお風呂へ向かう。さく、とろとした湯。ぶくぶくバブルで湯を攪拌男湯が見える所には誰も近寄らず。10分ほど浸かる内に不思議と胃のむかむかは治っていた。宿で1番に入ったのは、大きい浴槽の方で、こちらは車椅子対応の湯船だった。両方に50度設定の蒸し風呂があるので冷えた身体も即刻温まる。加水はしているけれど源泉掛け流し源泉元は二つ、極楽泉と妬泉のようだ。部屋数が少なく、昭和初期の抑えた数奇屋作りで、ほっとできる。団体様がいないのもよい。経営者の趣味らしい家具や、一見ブラウン管のようなTV!玄関左手に外部からも利用できる食堂がある。竃で炊いたご飯の美味しいこと!私は海苔とお漬物とお味噌汁だけでよい。当宿手製の蘇を12色ほど土産に求めた。2週間は持つとのこと。チェックアウトが12時11時までお風呂も遣えるが、居酒屋のご主人に教えてもらい、亀の井ホテルで外湯を利用した。愛宕山泉源有馬温泉の中でも最も濃厚ないわゆる金泉だとか。11時から16時まで1人800円、タオル有料宿泊した宿のさりげないサービスが素晴らしかったので、また行きたくなる。京都駅からも直通バスあり
2026.01.20
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2025/12/24/水曜日/寒い雨のイヴ雨上がりの、先々週日曜、朝から川越の太陽の家という所へ出かけた。最近、酵素玄米なるをよく耳にする。それはなんぞや⁈というわけで、その講習会を開催している施設に事前に予約の上、出かけたのだった。以前、私は平和の圧力鍋に陶器のお釜をいれる式の玄米を炊いていた。もっちりと美味しい玄米だったけれど、圧力鍋がダメになり玄米から遠のいているさて、太陽の家は古い大きな昔造りの建物で、これは食養生研究の末に酵素玄米を発案した長岡勝弥博士の山形のご実家を移築したものという。昔ながらの天井の高い、田の字の空間だけれど室内は床暖房が効いていて十分温かい。↑身土不二は聞いたことあるけれど。色心とは?これが実は大切な考えらしいと後で知る。着席していると、会員の方?が酵素玄米膳を運んでくださる。とても美味しい!一口目には塩分をかなり感じるも、いつの間にか甘さともっちり感が増す。しかし、これが味見程度の量なのだ。うーむもっと食べたい、と思わせる演出か?ワカメのお味噌汁もお漬物も頗る旨し。この風景でこの御膳。宮沢賢治の「一日に玄米四号と味噌と少しの野菜」がまさに実感される。食後ややあって、長岡式酵素健康の会代表の新井氏から小一時間ほどの講座を受けた。大まかに以下のように理解した。色心不二ここでいう色とは、色即是空の色、の由。目に見えるモノやコトをいう。心は目に見えないけれども確実に存在するナニかこれらは全てエネルギーであり、電気の現象である。これらは分かち難く、表裏一体のもの。が、現代の暮らしでは目に見える経済活動であるところの+電子に傾き過ぎて、心に代表される−電子が不足しバランスを崩している。これが心身の不調に現れている、と。そのバランスを調整するには、日々摂取する食事が肝要である。少食粗食であること。また日本人にとって大切な食材は米であり、その栄養分は玄米にある。普通に炊いただけではうまく吸収されない栄養部分を幼児も高齢者も病人も消化吸収できるように工夫されたのが長岡式酵素玄米である。まあ、概ねそんなところだと思う。長岡博士は発案の過程で高橋信次氏からの助言もあったらしく、何やら宗教めいて聞こえるが、前面に現れているのは、心身に良い食事を万人に知らしめたい、との一念であることは理解できた。引き続き台所で炊き方指導に移る。これがまぁ、お茶道の心構えが必要かと思われるほどの手続きを経る。白いA全用紙ほどの紙の上で、計量された一升の玄米の選り分けをする←あらもみをとる基本、生の手が楚材に触れないよう心がける。静電気とか雑菌への不審?でも高圧で100°以上で炊き上がるのだから、うーん。再度計量小豆を計る。半分以上表皮あればOK米と小豆をザルに移し、浄水器の流水で、ゆらゆらとホコリなど洗い流す。ザルから内釜に移す。専用泡立て器で、それを茶筅に見立てるかの如く用いて右回転で攪拌する。更に計量したサンナトリウム塩をやはり少しずつ水に溶かすように入れ込んでゆく。目安としてこんな感じの玄米がゆ状態になれば、ようやく火に掛けられるようになる。外釜の水を忘れないように。また鍋の内側は手入れを怠らず。圧力鍋のコマの回転はゆっくり目火力と炊飯時間の微調整をして、蒸らしまで辿り着くと電気窯の方を温め始める。一升の玄米は一人6日分、1日2食がおすすめらしい。つまり、一人分のご飯としてこの作業を6日に一度、日に一度はご飯の天地返しを行い熟成を促すのだとか。玄米は4日目から食べられる。ふつー?の暮らし向きの私には手に負えそうにない!すごーく美味しいのだけれど、すごーく美味しいにはこれだけの手間ひまと精選の食材と道具が必要なのだ、という事実に深々と頭を下げるのみだった。これら講習は無料である。炊き方指導は新井氏のお嬢さん。このお二人が並んで玄関でお見送りをして下さった姿を見て、私は三島由紀夫の『美しい星』の、地球外の星からやって来たと信じて疑わない聖家族のような父親と娘を思い出していた。何とも地上離れして美しいお二人だった。
2025.12.24
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2025/12/12/金曜日/膝を強打して痛し夜12/10夕方、国立市で東京賢治シュタイナー学校12年生のオイリュトミー公演が開催された。夜のお出かけ、特に昨今のインフルエンザの流行を思うといよいよ億劫なのである。が、立て続けにお能と絵画講座フェイラーで、前のめりに夕陽を見ながら電車乗り換えの移動へ。そして、間違いなくパフォーマンスは素晴らしいものだった。こんなに感動したことは久しい。この公演の始まりは10月4日国内3か所で公開され、更にヨーロッパで、特にドイツの都市を中心に10回も演じられた後の、12/11当日は、これを最期のオオギリ公演だった。いやいや、彼らの殆どが幼児期からオイリュトミー体験はカリキュラムされていてるのだから、10数年前の桜の頃から、この仲間による公演の旅は始まっていた、と言えるのだろう。そも賢治の学校とは何か?鳥山敏子さんが公立小学校で独特なクラス運営と授業展開を始めたことが発端になっている。その骨子には賢治とシュタイナー教育があった。当初は賢治の学校と呼び慣らしていたので、私は未だにツイ、賢治の学校と呼ぶ。シュタイナーのウォルドルフスクールは欧米が多い。最近では台湾でも盛んだ。日本で何とか根付いた全日制の学校も幾つかあるけれど高等部があるのは3校、藤野と京田辺とここ、立川の賢治の学校だけなのだ。ステージはことばのオイリュトミー、音楽オイリュトミーを2度繰り返しひさかたの光のどけき春の日にしづこころなく 花の散るらむードビュッシー「亜麻色の髪の乙女」群舞へ春すぎて 夏来るらし しろたへの衣ほすてふ 天香山ードビュッシー「沈める寺」群舞へあまりに有名な和歌なのに、18歳の伸びやかな声で詠まれるとき、日本語の響きののどかさ、潤い、優雅さが際立ち、日本語に感謝を捧げたいほどだったそのくらい、彼らの朗詠はうつくしい。長靴を履いた猫の本歌取、平安時代?オリジナルメルヘン「笠をかぶった狐」彼らによるプロデュース、なかなかの力作。とにかく12人で回すため、セリフ、効果音など目まぐるしく役が転じる鮮やかさ。狐を演じた男子には、パックを演じている姿を見てみたい、と思った。さて最後のラフマニノフとても完成度が高く、これが世間的には高校生の卒業作品であるとは信じ難く。片時も留まる事なく次から次へと姿を変える建造物を空間に打ち建てるさま。その材料は音楽!建造物は共同体そのもの、全ての12人の。全身全霊で今このときをステージに満たす、立つ、動く。嘘のない全き姿激しく動いたすぐ後の、アカペラ。その歌声に酔いしれて、どこか遠い所へと運ばれるこの若さでなければ成し得ない若さの魅力の全てがそこにあった。どうもありがとうございました。
2025.12.12
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2025/12/1日/月曜日/新宿駅の中央線エスカレーター上下位置が変わっていた!出版社 新潮社著者 三島由紀夫豊穣の海・第四巻新調文庫昭和五十二年十一月三十日 発行平成十五年四月二十五日 三十六刷改版令和元年十一月十日 五十七刷〈私的読書メーター〉〈一つの霊を四人が分け持つ〉ような著者記述を何かで読んだ。その由来は仏教か神道か。古代の超越的に優れた魂が後世の何人かに薄まり宿り、末世には原型を留めぬまで人間の堕落するイメージは、しかし若い頃から直感的に私も覚える。「世界が崩壊に向かってゆくと信ずることは簡単であり、本多が二十歳ならそれを信じもしたろう」に続く三島の人生訓。この4部作は輪廻転生に被せた霊の分割。脇腹の昴三つ星黒子に一つ余りのフェイク、その名も透。例によって三島好み美形男女登壇最期に醜い娘の花冠しおしおと生き延びたるオフィーリアと透の嬰児〉1部で、聡子と清顕の子は堕胎された。身分に上下があり、表札に「平民」なんぞと表記された時代に、やんごとなき宮家につながる血筋の美貌の聡子かたや明治開闢に武勇の功を為した薩摩藩士の孫、不吉なまでに美しい清顕との未生の命港湾の管制塔で働く、中卒孤児の透は本多の養子となり、過剰な教育も容易く受け入れ、やがて着々と自らの領分を増加させてゆく。本多が世間的にも凋落甚だしい中、透の思い通りに向かう豊かな暮らし。そんなときに養子に貰われた理由を知った透は服毒自殺を図るも、盲目となり、生きながらえてしまう。既に呼び寄せていた狂女絹江ははやがて二人の子を宿す。おそらく子は生まれるだろう。それは三島のいう幻の5部作「幸魂」となったのか。二十歳前に死ねなかった透はフェイクであった。という四部作目の主題兵役を免れるため姑息な策を弄した父息子の、その息子、三島由紀夫の今生をフェイク扱いし、浮かばれる来世、もしくは自身の哲学の、その念の中心にある日本的霊性を奉り割腹する。というような感慨をどうしても抱いてしまう。凡人からは狂気じみた思想に奔走した、ように見えてしまう。彼のいう「天皇陛下万歳」が、さっぱり理解できない。『豊饒の海』を読み終えてもなお。「ベナレスでは神聖が汚穢だった。また汚穢が神聖だった。それこそは印度だった。しかし日本では、神聖、美、伝説、詩、それらのものは汚れた敬虔な手で汚されるのではなかった。これらを思う存分汚し、果ては締め殺してしまう人々は、全然敬虔さを欠いた、しかし石鹸でよく洗った、小ぎれいな手をしていたのである。」痛切だ。四部作の60年の年月を生き、その目で観察し記録し、思考した本多は、小ぎれいな手の人物として存在している。その本多にとって「世界がなかなか崩壊しないということこそ、その表面をスケーターのように滑走して生きては死んでゆく人間にとっては、ゆるがせにできない問題だった。氷が割れるとわかっていたら、誰が滑るだろう。また絶対に割れないとわかっていたら、人が失墜することのたのしみは失われるだろう。問題は自分が滑っているあいだ、割れるか割れないかというだけのことであり、本多の滑走時間はすでに限られていた。」のだ。何という乾いた利己的な自己完結的官僚、法の番人の姿の活写であろう。社会人としてスタートした官庁役人暮らしにあって、三島由紀夫は実はまともな精神の持ち主だったのかもしれない。
2025.12.01
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2025/11/25/火曜日/市ヶ谷決起から55年出版社 翰林書房著者 木谷真紀子2007年12月5日 初版第一刷〈私的読書メーター〉〈特殊で異様な幼少年期を過ごした三島にとって中学時代に出会った歌舞伎の目眩く艶やかさは、砂漠を彷徨う旅人が出会った聖烈な一杯の水、彼を生き延びさせたと想像する。「地獄篇」から最後作品「椿説弓張月」まで6作の戯曲が生まれた背景や原作への遡り、また当世事情や風俗、三島の状況などを丹念に収集網羅している。今現在浮遊する国立劇場の、その創立時に歌舞伎復興を期して魂を打ち込まんとした三島の息遣いが感じられる。曰く〈歌舞伎とは魑魅魍魎の世界、その美はまじものの美でなければならず、その醜さには悪魔的蟲惑〉そは沙翁である。〉お能舞台はせいぜい年に一度ほんとはもっと出かけたいのだが、何しろ他にやるべきことが多すぎる。大好きな文楽に至っては、常設劇場が東京にはない!現状である。悲惨やなぁ〜日本文化国立劇場がふらふらしていて、落ち着いて文楽を楽しめる機会が得られず、勢い足が遠ざかる。その問題の国立劇場。この本からは今、封鎖中の国立劇場新設に寄せる三島由紀夫の並々ならぬ熱情が感じられる。今は昔。それは圧倒的に歌舞伎に寄せられたものだけど、読み進むほどに何やら歳月の過ぎ去った、熱の冷えた芝居の残り香を覚えて寂しい。『三島由紀夫の来た夏』にしても、安部公房や寺山修司や唐十郎にしても、あの時代の芝居には何やらすごい勢いがあったのだなぁ。そんな中で今一つ着火されていない芝居、歌舞伎にひとしお愛着を持っていた三島由紀夫が、ぞっこんだった女形の歌右衛門に照射し、歌舞伎ルネサンスを始めたのは戦前からの必然の流れだった。彼のことだからもちろん山気ぷんぷん。ステージのスペクタクルに斬新さは表れた。それが先代の猿之助の舞台に昇華したのだろう。私ですら、二、三回は彼の舞台を観た。どちらかといえばその名を継いだ、不可思議な事件を犯した、あの猿之助が私は好みだったけれど。考えてみれば、『国宝』の驚きのヒットは三島歌舞伎の花道をみる心持ちだ。冒頭、主人公の父親の任侠世界の命の捨て所的な様式美。手を合わせるのは悪魔か鬼か。歌舞伎世界の魑魅魍魎が割合に描けていたではないか。三島由紀夫が嫌ったという太宰治しかし私には同心円の距離を持つ。その名を聞いては何やら穏やかでいられなくなる2人の作家だ。1人は情死、1人はハラキリ後世の人は何やら意味付けを盛んにしているけれど、やはり本当のところは当人にしか、いや当人にも判然とはしないのかもしれない。ただ、『豊饒の海』で大神神社を取材したなら、縄文まで駆け上がっても良かったろうに。10代で欧州美術界に飛び込んだ岡本太郎が、日本のオリジナルを求めて沖縄の御嶽や縄文に辿り着いたこと、官僚から民俗学に進んだ柳田国男しかり、歌人折口信夫しかり、である。そういえば、歌舞伎演目のために沖縄の斎場御嶽にも取材したことを本書で知った。三島が縄文に飛び込んでいたら、もっと豊かな水平線を見出したのではなかろうか、と嘆息。
2025.11.25
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2025/11/24/月曜日/山は晴れ、朝からシカ三頭何となく三島由紀夫まつりを一人でやっている。別に特段のファンというわけでもなく。淡々と。数ヶ月前に予約していた、国立劇場主催の『椿説弓張月』講座を、日にちを間違えてポカしてしまった∑(゚Д゚)ことに気づいた。あーあ、『三島由紀夫と歌舞伎』まで読んで予習をしていたのにねえ〜その補償行動に走ったか。渋谷の映画館に土曜朝9時に駆けつけてしまった。たまたま、渋谷シネマヴェーラで三島由紀夫生誕百年記念映画祭がある事を講座ポカした日に知った。ってすごいタイミングだし。三島の『近代能楽集』から「葵上」と「卒塔婆小町」が当日の1番2番のプログラム。これは次にでも読みたいと考えていた作品だ。おまけに「葵上」の後には根岸監督と中谷美紀さんのトークショーがあるという。「葵上」の舞台は病院の一室。若い妻は病室の寝台で寝ている。これ、原作でもそうなのかしら。夫である若林光、すなわち光源氏を柄本佑が演じる。もちろん、この時点で彼が大河ドラマで光源氏を演じるなんて未来は見えていない。 それって根岸監督のキャスティングセンスが抜群にヒカル…って、なんで稀代の色男が柄本佑なの⁈もっといないのかねえ、知性も品性も備えた貴公子を演じられる俳優が!日本には!ところが中谷美紀演じる六条御息所、六条康子が素晴らしい存在感を放っていた。彼女のあらゆる語り口、所作の美しさの中でも取り分け、手袋を脱ぐ姿の良さに魂消た。テーブルに置かれた黒いレースの手袋は康子が病室を出た後、更に生きているかのように存在感を放つのは根岸監督の手腕か。光が忘れた手袋を手に康子を追いかけ姿を消すと、葵はこと切れる。葵上の真の主人公は六条御息所である。ヨットのシーン、しのつく雨の深夜の病室、康子の登場、うなされる葵の姿、照明の効果がほぼ能舞台のようなワンシーンセットをドラマチックに際立たせていた。時間の経過、天候の具合まで変化させるかのよう。撮影から10年を経て、中谷さんもプライベートの変化を思えばさすがに年月を思わせるのでは?との予想は大きく覆る。本当に美しい!そして知的『近代能楽集』をみなさんもぜひ声に出してみてください、おすすめします とか。映画は監督、スタッフ、役者だけでなく見られることによって完成する とか。彼女の言葉には非常な説得力があった。ザルツブルクに持っていかれるなんて。やはり日本には光源氏はいないのね。『卒塔婆小町』は芸達者なお二人だったけれど、鹿鳴館の舞踏会の花の寺島しのぶが、どう見ても梨園の雰囲気が出過ぎていて、監督としてはそれが狙い目かもしれないけれど。20年前くらいの大竹しのぶならどうだったろう。役者というのは無味無臭で空っぽでなければ役にぴたりと当たることが妨げられるというか。役を離れてそれでも尚社会人、市民として、自身の思考、思想をもつ生活を一方で貫くのは舵取りの難しいものだろうなあ。三島由紀夫は三島由紀夫という役柄を生き抜いたのか、どうか。
2025.11.24
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2025/11/20/木曜日/立冬もトウ立ち出版社 新潮社著者 三島由紀夫豊穣の海・第二巻新調文庫昭和五十二年八月三十日 発行平成十四年十二月五日 四十三刷改版平成十七年十月十五日 五十一刷〈私的読書メーター〉〈奔馬。ケイソウウマなる新語が宮の内側から湧いて著者は草葉の陰から何想う。フォーエバーヤング、おめでとうと脈絡も無し。暁の寺→春の雪→本作と読み来、19の年で繰り返しこの世の命果てるフーガ、フォーエバーヤング。法体系の確固たる建築からはみ出す本多とは別の世界の潮流あり。私はね、この戯作中、最も蔵原を好いていた。国民の究極の幸福、って何ですかと問われ、それはね、…通過の安定ですよ。日本国民とは何ぞや…身を守ることすら知らぬ国民は美しい。いみじくもご本人は未来の話として語り、それを終章に交点させる三島の術よ。〉先日読んだ『三島由紀夫の来た夏』によると、豊饒の海の第一巻『春の雪』は、読者サービス⁈のための書き下ろし。なんですと。三島の一番伝えたい、書きたい事は第二巻の本書である。とのことだ。とにかくサービス精神の旺盛な人であった事は『三島由紀夫の来た夏』によってよく理解できた。同時に、けばい気味の洒落振りはフランスよりもイタリア寄りなんだなとか、そのルネッサンス好みと対比を為す、湿った異様な尖った暗闇。下田の夏と奥まった暗い座敷で祖母と暮らした日々が彼の心身に共存していたのだということ。生前に「『奔馬』を読めば僕のことが分かる」と話していたそうで、なるほど。三島は元大蔵官僚であり、小説とはいえ『神風連史話』を崇める右翼の少年によって、大蔵大臣であった蔵原を誅殺する、という設定は激しい。蔵原のいうインフレの恐ろしさを日本国民は知らない、というのが予言になりませんように。くわばら、ツルカメ。三島は本書のために大神神社でも取材したようだが、大神神社の御神体に感応したならば、果たして勲は荒ぶる神に憑依されるだろうか。私にはこの神は非常に和らいで受け止められる。のだけれど。同時期に取材したという熊本の二つの神社は、私には知る由もないけれど、それらは神風連と関わりがあるという。考えてみると、『春の雪』は命掛けの想い人、恋心に翻弄される清顕の「真心」『奔馬』では、腐敗した政財界を刀で潔斎しようとした勲の思想的「義」満で二十歳になる前に消えた命は、二十歳の前にそれを繰り返す。第三巻『暁の寺』ではジン・ジャンは蛇に噛まれて死ぬ。それらの人物と関わり、ある意味自分の人生を歪めてもひたすら観察する者であった本多が、ジン・ジャンの閨房の秘事を周到に覗き込むという、これは「非礼」なのか、観ることへの執徹の「礼」か。二十歳に到達せずに虚しくなる若い命のリフレイン徴兵を免れるために身体検査を巧んだ二十歳の三島由紀夫の慙愧の念が、幾度生まれ変わっても真の死処を見出さずにおれない、という情念に結んだか。
2025.11.20
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2025/11/14/金曜日/小春日和〈DATA〉出版社 扶桑社著者 横山郁代2010年11月10日 初版第一刷発行〈私的読書メーター〉〈今年は三島由紀夫生誕百年。敗戦を20歳で迎え戦後を25年生きた。大蔵省を辞め文学に生きた年月は、思えばさほど長くない。しかし文筆に留まらず歌舞伎、能楽、映画出演!もの熱量。自刃までの7年間、毎夏下田に逗留し来訪者を歓待し、中学生だった著者らの尾行を巻き楽しんだ文豪。日に焼けた笑顔、白い歯、ただならぬオーラに焦がされ彼女はミシマの衛星のような人生を生きる。往年の港町下田、船乗りや酒場の女たち、文化や芝居を愛する風土。時代とその盛夏の饗宴の主人公、三島が世界一と喜んだマドレーヌの洋菓子店の娘さんが著者である。〉読後に俄然、下田に行きたくなる。尤も今現在の下田ではない。ミシマが度々訪ねて心から解放されていた時代の下田に行きたいのである。港町の夜の顔、朝の顔、マドロスさん、劇場、新し物好き、洋行帰り、伊勢海老、海の幸、避寒地、明るい顔。年寄り、子ども、お祭りわっしょい。何といっても美しい海、海越しに見える富士。伊豆というのは中々興味深い地域だ。土地の名の響きも興趣が湧く。出雲、伊勢、伊豆。イズモ、イセ、イズラーン、クルッツ、クルッツ伊賀、伊予、五十鈴イガ、イヨ、イスズクルッツ、クルッツ、ラーン著者の名前、郁代を三島は誉めたという。馥郁の郁、の字かな?と問われ、高校生の彼女はフクイクを文字変換出来なかった。郁の字は三島好みなのだとか。小説に登場する女性によく与えたらしい。著者は郁の名を持つ小説を軒並み調べ上げ、読み込む。天晴れ。娘の名はたいてい親が与える。洋菓子店にいつも立っているのは著者の母、である。娘時代から文学好きだった。三島は家族のいる時は大抵、外で待たせて「来ましたよおー」と朗らかに店内に入って来た。1人の時は両手にお菓子の紙袋をずしりとぶら下げ、逗留先のホテルまで長い上り坂を歩いて帰った。「また来年も来ますねー」と明るく下田を去る三島が、昭和45年の夏。「僕はこれからとても忙しくなるので来年は来られません。でも家族はここに来ますからそのときはよろしくね。どうぞお体を大切に。お元気で」と著者のお母さんに告げる。とても心揺さぶられるミシマの挨拶だ。何と正直な。美しい嘘をまぶした真実であることか。私は固く信じるのだけれど、著者のお母さんと三島由紀夫は一つの琴線で感応しあっていたのだ。文学好きな少女の、文学への憧憬の綺羅きらしいほそい糸の輝きを三島は認めたのだ。彼は感応の天才だ。著者とお母さんに何度も逗留先に遊びにいらっしゃいと三島は応接してくれたという。下田の人の中には訪ねて行った人もいくたりかあったが、お母さんはいつも遠慮されて写真を共に撮る事もなかった。著者は吉田松蔭と三島由紀夫と昭和天皇をつなぐ下田の海について述べる。松蔭の海は密航という「命懸けの海」三島由紀夫の海は「心象風景の海」ひたすら眺め、感じ、深く入ってゆく小説の源流だった。…海は三島さんの繊細すぎる神経に太陽という最高の処方箋を与えた。昭和天皇に置かれては「海洋生物の研究の海」だった。ここに御用邸を望まれたのも、下田の海が気に入られたからという。須崎御用邸は昭和46年に完成した。ーその前年に三島由紀夫は自決したのか著者生家の日清堂菓子店は祖父の代、父の代に昭和天皇と貞明皇后に生菓子を献上したという。下田に御巡幸の折には、昭和天皇に直接、生菓子をお渡ししたという。敗戦後間も無くは、皇室と市民はそんなにも距離が近かった。昭和天皇は「朝早くからごくろうさま」と労ってくださった。父は沖縄戦を戦ったので、「沖縄でご奉公して参りました」と心の中で言って陛下のお顔を見つめると、涙が溢れそうになったという。「天皇という人は、とてもなつかしい、亡くなった祖父に会うような感覚のお人だよ」と言っていた。著者のお父さんもお母さん同様に、招集され沖縄戦の事を決して陛下の前で口には出さなかった。しかし、その目を見つめれば、お互い通う心が確かにあるのだ。日本人はそのように心をつなげて生きてきたように思う。この本には懐かしくなるような日本の市井のひとがたくさん登場する。原爆投下を正当化した米国人男性に啖呵を切る著者は男前だ。港町の女はこうでなくっちゃ。
2025.11.14
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2025/11/5/水曜日/晴れ、秋短し読んだのは秋分の頃なので、デンマーク行きの前となるのか、記録に至るまで随分時間が経過した。〈DATA〉 出版社 新調社 著者 三島由紀夫 豊穣の海・第一巻新調文庫 昭和五十二年七月三十日 発行 平成十四年十月十五日 五十四刷改版 平成二十七年二月二十日 八十一刷 〈私的読書メーター〉〈『暁の寺』からこちらへ。庭に造作された滝に引っかかり絶命した黒い野犬と宮家も招客となる豪邸での観桜会の落差で幕は開いた。登場者はまるで焼けた靴を履かされたように生命尽きるまで踊らねばならぬ。過剰なほどの振れ幅と風景や心象の描写の夥しいトリルに惑わされ、舞台を観る読書子も共に揺さぶられ続ける。シャムの王子らと過ごした鎌倉の海辺の夜の美しさ。しかしそこにも奈落が仕掛けられ、いよいよ非業の美が若さを逆巻く波のごとく駆逐する。若さの絶頂で本田の分別の傍観者役割よ、欲望に焼かれて尚毅然と立つ聡子の益荒男ぶりよ。〉尼寺へ行けとハムレットに再三言われたオフィーリアは、ハムレットの態度の急変から神経の平衡を病み、ついには花に縁取られ黄泉の国へ渡ってしまった。2人はかつて甘やかな恋を分ちあっていた。聡子と清顕はこれはどうであったのか。2人もまた幼馴染だった。思春期を過ぎ、ぎくしゃくとするが、やはり、骨の骨、肉の肉、鏡合わせなのだ。清顕は、不吉感さえ漂わせる美少年であり、年端も至らぬ頃に見た皇太子妃のうなじに美を感得するような唯美至上主義者である。年上の聡子はその名の通り聡明で美貌の女性である。序盤、年長の聡子の方が清顕に傾く。2人の間に交わされる手紙。それがまるで意思を持つかのように2人を翻弄し、波頭のマックスから奈落へ、2人の運命を弄ぶ。運命。。。万事がしどけない清顕ではあるが、終局聡子への一途な恋焦がれでとうとう身を儚くする。聡子は自らの決断で尼寺に行く。そしてがんとして清顕にその姿を現さない。不思議は、全くもって常識の人、本多が受験を目前にして清顕を救いに奈良まで旅する場面だ。それは友情なんぞとは言えない。見る、という運命に現実的、合理的な彼が身を投げ出す、そのことで清顕の輪廻転生に絡む縦の糸になる。本多もまた美に、否、美を見ることに貪欲な人、なのだ。清顕は美を生きた人。聡子は束の間美に生きたが、清顕は死を持って永遠に美に生きたのだ。清顕はある意味宗教的であり、聡子は尼寺に赴きながらも人間の業というものを見せる、と私には感じられるのである。
2025.11.05
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2026/1月14/水曜日/晴れのち快晴やれ、もう昨年のこと(@_@)雨のち秋来る風情の10月末に2泊3日の初めての草津温泉この湯量は半端ではない。側に寄ると硫黄臭が強い。が離れるとそこまでは感じない。恐山ではその寺領に入る前に、窓を閉めていた車両内で、むわっとイオウに襲われたけれど。当地へは東京駅前の長距離バスを利用これが一番便利らしく。10月末の草津は既に紅葉も始まっていた。バスは途中伊香保温泉にも停車する。初日は雨降りで、とりあえず荷物を宿に預け、草津町中を訪ね、共同湯を目指す。温泉に縁のある寺社に、先ずはご挨拶白旗の湯のつもりが大滝の湯へ。え!宿にも湯畑源泉掛け流しがあるのに施設利用が1200円ですと!ぽちゃんと入るだけでは勿体無いので、夕飯の少し前までこちらでじんわり、に予定変更。異なる源泉2つを誘導しているらしい。湯滝と湯船で源泉が違うと聞いたけど。これから4時間半ほど新宿バスタに向かうのが惜しいほどに、初日、2日目と冷たい雨が続いた。驚きの湯量が湯畑を轟かせていた。さすがの連続日本一の温泉処。海外からのお客さんはそれほど多くない。湯温高めの草津だからだろうか。旅行者が入れる共同湯は3ヶ所プラス一つ?プラス一つは共同湯で地元の方から伺った。
2025.10.28
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