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誰しも思い悩んだことがあるかもしれません。たまたま見たHPにこんな言葉がありました。転載してはまずしのかな・・・。http://www.asc-21.com/TOP/Past_Perspectives/0111/1108.htm ★ 苦しんでいる人の多くは、苦しみそのものよりも、なぜ自分だけが苦しまなければならないのかという思いによって、もっと苦しみます。自分の苦しみを受け入れることができずに、もっと苦しみます。それは、カルマが理解できていないからなのです。 インド占星術では、基本的に、すべてがカルマであると考えます。例外はありません。 現在は、過去においてなしてきたことの結果であり、未来は、今までになしたこととこれからなすことの結果です。過去になしたことは、もうどうしようもありません。ですから、これからあなたがなにをなすかが、あなたの未来を決めます。しかし、すべてがカルマですから、これからあなたが何をなすかまで、すでに決まっていると考えます。ただ、あなたがそれを知らないだけなのです。これを一般に運命と呼んでいます。しかしだからといって、すべてが決まっているのかと思って「すでにすべてが決まっているなら、頑張っても仕方がないじゃ~ん」と思って怠惰になるのは間違いです。なぜなら、すべてが決まっているとしても、なにがどのように決まっているのかを、あなたは知らないのですから。これからあなたがどうなるのかを知らないのであれば、たとえすべてが決まっていたとしても、あなたにとってなにも決まっていないのに等しいのです。ですから、結局は全力をつくして生きていくしかないのです。ここに、積極的に生きる意味合いがあります。では、これからどうなるのかを知るすべはないのでしょうか?そのひとつが、占星術です。ラオによれば、ヒンドゥー占星術によって60%以上のことは予見できるとしています。では、未来をある程度予見したとして、それをどう人生に生かしていければよいのでしょうか。たとえば、苦しんでいる人がいたとします。苦しんでいる人の多くは、私はこれまでにこんな目にあうような悪いことはしていないと考え、さらに苦しみます。なぜ私だけがこんなに苦しい思いをしなければならないのかと。実はここに苦しみの本質があります。ここで、私にはこういう要素があり、これが原因で今こういうふうに苦しんでいるのだと理解できるのなら、苦しみは半減するでしょう。ちょっと抽象的なので、具体例を上げます。例えば、人に殴られるとします。そのとき、人に殴られる理由がわかっている場合、理由がわからない場合に比べて、さほど痛くもないし、苦しくもありません。たとえば、私は殴られるにふさわしいことをしたんだと思える場合は、そうでない場合と比べて、苦しみが少ないはずです。好きな人にふられる場合もそうです。私はふられても当然だと理解できる人と、私のようなすばらしい人がふられるなんて理解できないと思っている人とでは、ふられたときの苦しみは、後者の方が何倍も大きいでしょう。この原則は、すべてにあてはまります。何かに苦しんでいるとき、その原因(カルマ)を理解できると、苦しみは減ります。もっと正確に言うと、原因が理解できることでそれを受け止めることができたとき、苦しみは氷解します。ここから、「すべてを理解したとき、すべての苦しみがなくなる」ことが理解できます(少なくとも言葉の上では・・・)。この境地を、「悟り(Salvation)」と言うのではないでしょうか。だからカルマを理解する手段としてのインド占星術が、ヴェーダの重要な一分野であるヴェーダンガとして重視されているのでしょうし、智慧(すべてを理解する力)の獲得が修行において究極的な目的であるとされるのでしょう。自己のカルマを知り、それを受け入れることで、人は成熟し、その成熟に伴って苦しみは減っていきます。逆に言えば、ある程度心が成熟していなければ、カルマを受け入れることもできないし、ましてやそれを知ることすらもできません。このプロセスが、いわゆるカルマが消費されるプロセスです。マハーバーラターには、「カルマは、苦しむか楽しむかしなければ、なくならない」という言葉があります。善いカルマは、それを楽しむことによって消費され、悪いカルマは、それを苦しむことによって消費されると言うことです。それ以外の方法では、カルマは消費されません。何かで苦しんでいる場合、それに関する悪いカルマが存在するのですから、それを苦しみ尽くさなければ、そのカルマはなくなりません。そしてカルマを消費する最も早い方法は、そのカルマを認め、受け入れることです。しかし多くの場合、そのカルマを認めようとはせず、なぜ私だけがと思い、自己を恨み、他を恨み、さらにカルマを積んで、不必要に苦しみの期間を延ばしてしまうのです。まずは、自己のカルマがなんであるかを探ることから始めませんか。占星術は、人のカルマを見る手段なのです。インド占星術ですこしは、そのお手伝いができるかもしれません。 Copyright@2001 ASC-21.com
2003年06月24日
いやー、夫が見つけてしまいました。美味しいフランス菓子の店。レ・リシェスという札幌のケーキ屋さん。平岡公園近くで、ほとんど厚別なんだけど、車を走らせても食べる価値はある。うん。リヴゴーシュが洋酒をふんだんに使った小粋なフランス菓子なら、レ・リシェスは家族で大満足のフランス菓子。すごく大きい。値段は同じでも、リヴゴーシュとかミクニの二倍はあるかな。味はなかなかしっかりしています。ひねりもあるし、ほほーっとうならせる。素材が良いと見た。今までまだ6ヶほど食べたが、ハズレは無かった。でかくて味が濃厚なので、一度にたくさんは食べられないのが残念。初回に4ヶ買ったら、(夫と半分コにしている)それでも多くて一日では食べきれなかった。ショコラティエマサールならいけるのに・・・。その点は良心的。焼き菓子も美味しく、リヴゴーシュに劣らないしっかり焦げ目あり。クロワッサンも初めて食べる味。何だろう、どことも違うんだよねー。あまり油っぽくなくて、バター臭くないんだけど、何の風味かなー。焼き魚のような・・・んー。その秘密が知りたい。(こう聞くとあまり美味しくないのかと思われそうだが、そうではない。美味しい。パンじゃないね。一応クロワッサンの形をしているが、別なお菓子のよう。)マカロンは秀逸です! 小さいのに芸が細かく、ボリューム満点。味が6種類あるのに、挟んであるのが複雑な味のクリームだったり、ジャムだったり、どれも全然違うんですよ。フランボアーズはお気に入りです。たくさんHPがあるようですが、買いに行く予定の方は、こちらをごらんあれ。http://hokkaido.yomiuri.co.jp/youyomi/thu/t_020516.htm
2003年06月20日
新婚さんの新居におじゃました。知り合って3-4ヶ月で結婚。玉の輿に乗った。しかしちっとも幸せそうではないのが気がかり。食事はもっぱら「おいしいものを食べる」ために外食、自営なので仕事はコントロールがきくようで、テニス、ゴルフと昼夜関係なく色々なことをしている様子。新築の広い豪華なマンションに外車。新婦は御飯は作らない人。勝手気ままにしている。最近はお酒の量もすごいらしい。それって、不幸せの現れではないの? 大丈夫なのか?お金はあるけど、毎日どのように退屈しないで過ごそうかと無為な生活をしている。ああ、なんと哀しいことか。私にはちっとも有り難くない生活だなぁ。(価値観の違いって言ってしまえばそれまでだが) 収入は多分彼らの10分の1にも満たないかもしれない貧乏生活だけど、清貧な私としては、今のままで十分幸せ。もう50才に手が届くという新郎はバツ2。老成した味わいがにじみでても良い頃だ。このまま人生を退屈なものにしてしまうのだろうか。結婚生活は、彼らにとってどんな意味があるのだろうか。いつか、単なる同居人とどこが違うのか教えてもらうことにしよう。本当に気がかりでしょうがない。どうも周囲を見渡すと不幸な人が多すぎる様な気がする。そんな風に見てしまう私が変なのかなぁ。
2003年06月08日
楽になった。逃れようかと一時は逃げ腰になっていたが、それじゃ解決にはならないと踏ん張って、真っ正面から取り組むことにした。きつかった。体の調子までおかしくなったくらい。とにかくこちら側は、中立公平、清廉潔白、誠心誠意、話せば分かってくれるものだな。案外。はぁぁぁ、疲れた。困った人々には。でも今日の電話の声の調子では、随分と明るくなっていた。きっと内面でも何かが変わったのだろう。よかった、よかったもう面倒起こすなよ! はーい。(自問自答?)
2003年06月06日
困った人々のおかげ(?)で、本当に今まで頑固に死守してきた自分の安全がすごく脅かされた・・・というのはとてもよい経験だった。(この問題はまだ何も解決していないのだけどね)私は今までとても安心して暮らしていた。平穏無事と言って良い。穏やかな春の日だまりのように、心地よい幸せに浸っていた・・・・と思っていた。きっとこのまま何事もなく続いていきそうな、そんな安穏とした気分だった。ところがどっこい、火の粉が飛んできた。ある家族のそれはそれはドロドロとした、もうどうにも立ちゆかないだろうと思えるほど、絶望的にさえ見えるような、人間の悲しき性が目の前に突きつけられた。どーだー、とばかりに。見て見ぬふりをすることもできた。関わり合わないようにすれば済むことだった。でも、自分の内側に生じた動揺は、自分の安定した状態をはかなくも揺れ動かしてしまった。あの幸せは脆くも吹き飛んでしまった。応急処置で固定することもできた。でも、それをしては進歩がないということも分かっていた。戦おうとも思った。でも、その戦いには勝ち目は無かった。それはあまりにも大きすぎた。敵は変幻自在な幻みたいな物だったから。いやー、今度ばかりは途方に暮れた。いかにお気楽な私でもたじろいだ。どうすれば抜けるかは分かっていた。でも容易ではない(ようにも思える)。もう戦うのは止めた。そうすると「それ」が来るのは分かっていたから。今「それ」が来たのかどうかは分からないが、(ま、来てはいないんだろーけど) 少しはこの世界のからくりが解けるような気がしている。今までの平穏無事な私の幸せは、ほこりが一杯の部屋だけどなんとかほこりは静かに床に沈んでいてくれたから何事もなく安心していられたようなもの。ところが急に部屋中を走り回られたものだからたまらない。ほこりは舞い上がり、どうにもこうにもならない。「コラ!ほこりが立つから走り回るんじゃない!」と叫んでいたが、そーじゃないんだよね。ほこりをそのままにしていた私がいけないの。そのままにしておきたかったけど、もう駄目だって。今回のことで嫌と言うほど目の前に突きつけられた。ありがと。先日オークションで手に入れたクリシュナムルティの「生と目覚めのコメンタリー4」(タイトルが違っていたらゴメン)といった本を読んでみた。夫が読め読めと。ああ景色自然の描写のなんと美しいことか。詩集など読んだことがない私ですが、きっと詩人の書く文章ってのはこういうのなんだろうなーと感服した。目がうるうるするほど心にしみた。(泣き上戸の夫に反して、普段何を見ても涙を流すことなどない私なんだけどねぇ。)あ、この本は詩集ではありません。精神世界の本だけれど、こーゆーのは今まで全然読んだことがなかったのよ。しかし今度ばかりは私が「知りたい、聞きたい」と思っていたことが書かれていて、あー、そーなんだよなー。と今までになく理解できた。私は自分の安全を図るために、とても用心深く狡猾に立ち振る舞っていた。(ま、今もそうだろうけど)その狡猾さがねぇ。うまく誤魔化すんだ、現状を煙に巻いてしまう。煙が立ちこめているから、なんかよく分からないんだよね。今ね、「あ、煙が立ちこめているんだー」と気づかされたわけ。ありがたいね。言葉では知っていたんだけど。言葉だけだった、ってことで。
2003年06月05日
相談はしばしば受けるが、今度ばかりは今までにないやっかいな問題が持ち込まれた。へたしたら三面記事に載りそうな話だ。うまくするとただの親子関係で済む話。どっちに転ぶのか・・・当事者でなければ解決できない問題なので、私に相談されたところで代わって解決なんかできない。あれこれ指示することも役には立つまい。(それができるんだったらとっくに解決しているわな)親の身勝手な振る舞いのツケが自分に返ってきたのだろうけど、子供も大人達の思惑や欲望の犠牲になっている。そういう子供が大人に逆襲していると言えなくはない。今の子供を取り巻く問題は、結局大人達がそのように導いてきた結果なのだ。それを、今になってそんなはずじゃ無かった、といったところで後の祭り。親業というのは、本当に難しい。簡単に子供を作るけど、未熟な人間が自分の分身を作るってことは、まったくもってやっかいな問題を増やしている。今までは年齢を重ねれば大人になると思っていたのよ。でもどうやらそうではないらしい。精神年齢は様々だよね。見た目は年を取るのに、中身はてんで子供なのだ。子供が社会に出て、経済を動かし、政治を動かし、子供を育てるってゆーんだから、問題が起こらないわけがない。どの問題もとってもやっかいだ。解決なんてできそうにもないように見える。いろんな問題があるけど、どの問題も同根にも思える。 本当に解決できるのだろうか・・・・。・・・・自分に問うてみることにしよう。
2003年06月03日
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