紫陽花の咲くころ訪れたのは何時だったろう。記憶をたどりながら、なだらかな勾配の明月院の参道を行く。院内に入ると藻の色とも抹茶色とも思える設えが出迎えてくれた。廊下の飾りもそれと同じ色に統一されていた。
鎌倉はなぜか懐かしい。電車の止まるごとに駅名を確かめる。生まれ故郷の空気に触れたみたいな気になる。
それにしてもなんと寺の多いこと。私の父が俳句だよりを交換し合っていた叔父の菩提寺もこの地にある。
父の没後叔父が亡くなるまでそのたよりは私が引き継いでいた。叔父の俳句だよりが懐かしく思い出された。出来ることなら来迎寺にお参りしたかったのだが。
骨壷を抱く三椏の花の辺に
お骨を鎌倉西御門の来迎寺に納めました。朝夕仏壇への合掌にも慣れ、花舗を覗いては供花を思い、百ケ日が過ぎました。 孝信
叔母の納骨のときの便りである。
三椏の花の咲く鎌倉の寺での納骨の日と、その前後のことを叔父はいつもながらの達筆で私に便りを届けてくれた。本来なら父に届けたかった便りだろう。
叔父は、父と姿恰好がそっくりだ。父が亡くなった時、告別式で叔父を視た人は一様に父が生き返ったのか、とざわついていた。終生、ヒロちゃん、タカちゃんと呼び合い共に時計職人として生きてきた二人でもあった。
父の通夜は雪の舞う夜だった。
夜のしじまに、遠く電車の通り抜ける音が長く聞こえていた。叔父はガラス戸ごしにほの白い外を眺めて、あのときいつまでも立っていた。
枯二月汽車さびしくて吹く笛か
メモ帳に書いて私に手渡してくれた。その夜一晩中叔父は父の棺の傍に寄り添ってくれたのだった。また、
綿蟲の掌にとらば 妻死ぬるべし
叔母様が亡くなったわけでもないのに、と不審に思った俳句もその時目にしている。
叔父は、父の通夜で白く光って飛ぶ綿虫を指して、私にこういっていた。
「綿蟲は、何か哀れで寂しい虫だね」と。
私の曲解かも知れないが、父の死んだときに飛んでいた綿蟲から、膠原病の叔母の命を見つめて、死が近いことを暗に知らせてくれたのだと。
その後間もなく送られた俳句だよりは叔母の告別式の後だった。
妻の死のしばらく雪の宙へ眼を
その時の返信に、紫陽花の咲くころ、叔母様の眠る寺に参ろうと思っています。と書き送っている。が、叔父の生前にはとうとう果たせなかった。
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