『日本文化主義』尋牛亭日常の箴言

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 長い歴史ある日本と違い、中国とは異なる周辺民族よる殺戮支配が繰り返され、現在はハッチワークのように他民族を人権無視で無理矢理、共産党が束ねている国家という認識が正しい。

 中国や韓国とは究極のグローバルの格差社会で、汚職や賄賂も多く、既得権者たちが内政の失敗をごまかすため民度の低い反日国家になってしまっているようだ。多くの善良な人々が不幸ですね。


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わが国は、建国の理念にたちかえり、家族国家を取り戻すこと。そのために、ひとりひとりができることをする。それが日本の日本人が、すべきことなのではないか。大東亜戦争の教訓と体験に学び戦死した人々を無駄死にさせないようにするためには国益のため『日本文化主義』の文化防衛という考え方でリーダシップのある類い稀な資質、明確な目的意識とアイデアを持った首相(大統領制にした方が国際社会に政治的アピールもよいのだが、いまの政治家たちは分かっていない)になってもらいたい。『
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テーマ: ニュース(97035)
 いまこそ会社経営も国づくりも攻めの時代なのである。なぜ、守りの時代に守りの姿勢でいることが危険なのか、守りの時代に対処するためには戦後から現在まで、政府が目指してきた国づくりを年代ごとに整理すると、20年ごとの興味深い傾向が浮かび上がってくる。国づくりの方向性には、ある規則性があるからなのである。
国づくりの方向性には規則性がある.jpg


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 終戦直後の1940年代、政府が目指していたのは「生きていくための安全・安心な国づくり」でした。これは守りの時代といえます。戦後の混乱から立ち直る1950年代は「便利で、住みやすい国づくり」、高度経済成長の真っただ中にある1960年代は「活発で発展的な経済活動が可能な国づくり」です。この20年は守りから攻めに変わる時代です。

 次の20年も攻めの時代です。ただし、同じ攻めでも量から質への転換が起きます。1970年代は「生活にゆとりと豊かさを感じられる国づくり」、1980年代は「多様な生活や経済活動に対応できる国づくり」。これらは物量がピークに達して、精神的な豊かさに視点が移ってきたことを示しています。

 長らく続いた攻めの時代も、バブルの崩壊で方向転換を余儀なくされました。1990年代は「環境に優しく、持続可能な国づくり」。2000年代は「高齢者が安心して暮らせる国づくり」。低成長を前提として、いかに現状をキープするかという守りの時代にふたたび突入したのです。

 2010年代はどうでしょうか。

 依然として守りの時代が続いています。しかし先の20年は質で社会を守っていたのに対して、現在は量で社会を守る時代にシフトしつつあります。ビジネスでいえば、新興国のメーカーに対して質で差別化を図ってきたが、いまや質のアドバンテージは小さくなり、コストや人員を削減して生き残りをかけるというところまで追い込まれています。

社会要請の戦後サイクル図.jpg

社会要請の戦後サイクル図 図版:プレジデントオンラインより

 ■ 時代は20年ごとに変化していく

 このように俯瞰していくと、時代は「攻めと守り」、「量と質」の組み合わせで20年ごとに変化していくといえそうです。「量で守る」→「量で攻める」→「質で攻める」→「質で守る」が1サイクルで80年です。この周期に則れば、いまは1940年代と同じで、量で守る時代です。私たちは終戦直後の混乱期にも似た厳しい状況に置かれているわけです。

 守りの時代になると、人々の心理の傾向も変わります。

 攻めの時代は、競争が魅力的でした。じっとしているのは損で、外に出て競争したほうがより多くのものを得られたからです。攻めたほうが得な時代だと、人々は競争に勝つために向上心を持ち、自分たちの手足を縛るものを嫌い、自由を主張します。

 しかし守りの時代は逆です。競争すれば失うものが大きく、何もしないほうがリスクは小さくなる。人々は競争より安心を求め、成長することより現状を肯定してくれる優しさを必要として、自分たちは保護されるべきだと主張します。ならば何もせずに、ふたたび時代が変わるのを待っていたほうが賢いのでしょうか。私はそう思いません。

 攻めの時代は、社会が攻めを促す一方で、潮流に乗れない人たちのために保護的なシステムがいろいろと構築されていきました。守りの時代に入ったいまは、保護的なシステムに人々が殺到しています。ところが社会のリソースには限りがあり、いずれは弾かれる人たちも出てきます。

 保護的な環境下にいると、本来は自立や成長できる人まで、自立心や向上心を忘れてしまいます。それではいざ外に出て競争せざるを得なくなったときに負けてしまいます。競争相手は、中国や韓国、ベトナムやインドといった国々です。彼らは、過去の日本がそうであったように攻めの時代の渦中にあります。自立心や向上心に欠けた人は、とても太刀打ちできません。

 いま大切なのは、守りの時代においても攻めの姿勢を忘れないことです。

 本当に保護が必要な人はともかく、そうでない人は過保護にならないように、自ら厳しい環境に飛び込んでいく必要があります。

 強い鉄は、叩いてつくります。叩くことによって粘りが出てきて、硬くなります。

 人の能力も同じです。保護的なシステムから自立して、いかに自分を鍛錬するか。そこに守りの時代を生き抜くヒントがあります。『ビジネススキル・イノベーション』第7章 時代の潮流をつかむ(プレジデント社刊)より


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 尖閣・竹島は日本固有の領土で、覇権主義の欧米がアジア人を植民地の奴隷として欧米の国益のために領土紛争を使うことは常套手段である。その陰謀術数をアジア各国の為政者たちは、それを見抜くことである。もっと気になるのは遅々として進捗していない福島汚染地区に特別区として復興することや宮城、山形の仮設は本設マンションに補助金をすばやく給付、民間の工場誘致、地元商業優先のモールなどを企画運営させることを各省庁の関係ないこじつけの予算執行はよくよく考えないと可笑しな結果になる。被災者救済のため、攻めの国づくりとして街のインフラと施設復興を急ぐことである。被災者にとって家と仕事がなければ生活の再建は無理。17兆円でそれができるようにするのが政治の仕事である。

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Last updated  2012年09月14日 14時50分56秒
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