一年がかりで準備してきた大きなイベントが終わり、ほっとしたところで、
今日は、福岡市の東の方にある、「箱崎」というところに、出張でした。
いつものように、受付よりもずいぶん早くに着いたので、
近くの 「筥崎宮」(はこざきぐう) にお参りしましたよ。
(筥崎宮といえば、放生会(ほうじょうや)と、チャンポン、博多おはじき、新生姜)

見えている鳥居は、一の鳥居で、黒田長政公が建立されたもの。
左側の石塔の裏にまわると、こんな文字が・・・・

日露戦争で、バルチック艦隊を打ち破った、
あの軍神(!)「東郷平八郎」さんの文字です。
へぇぇぇ・・・ と、思いつつ、参道を進むと、正面に本殿が。

ええぇぇっ
初めて来たわけではないのに、今まで気づかなかったよー。
ここには、「敵国降伏」と書いてあったんですね。

「敵国降伏」と書かれた文字は、「醍醐天皇」の直筆のものを、
元寇の時に、蒙古襲来によって炎上した社殿の再興の際、
亀山上皇が寄進されたものなのだそうです。
「醍醐天皇」は、あの菅原道真公を大宰府に追いやった人。
その人が書いた「敵国」って、どこの国のことなのでしょう。
なんて考えながら、出張先に行って、ちゃんとお仕事して帰ってきましたよ。
晩御飯の後、
この「敵国降伏」という文字がどうにも強烈だったので、その意味を調べていたら、
この「敵国降伏」の真の意味は、
「武力によって敵を降伏させる(覇道)」
「徳の力をもって導き、相手が自ら靡き降伏する(王道)」
という、我が国のあり方を説いているのだそうですよ。
ふーむ。それならまあ、ね。
それから、この「扁額」の文字は、筑前領主だった小早川隆景さんが、
楼門を造営した時に、醍醐天皇の文字を謹写拡大したもの・・・と書いてあるけど、
実際、今この写真にあるものは、平成の大修理で新調されたものとか。
まあ、いろんな人が書いているのかもしれませんが、
とにかく、醍醐天皇の文字を真似て書かれたものだということですね。
まあ、「 筥崎宮のホームページ」 に、本物の醍醐天皇の宸筆が紹介されていますので、
詳しくは、そちらをどうぞ。
では最後に、さっき描いた、女の子。

二十歳前のイメージで描きましたよ。
八重桜、トキワマンサク、太宰府の続き 2025.04.19 コメント(6)
キューハク(九州国立博物館) 2025.04.12 コメント(6)
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