2016.02.06
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沖縄二日目、みんな雨を心配していたけど、
なんとか、持ちこたえそうな感じも・・・・
というわけで、私たちは、「中城城跡」に行きました。
何も予備知識を持たないままに行ったせいでしょうか、
もう、びっくりしてしまって、ガイドさんのお話に聞き入っていましたよ。
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山城とは聞いていたけれど、こんなに見事な石積みだとは・・・
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美しいアーチの門をくぐって、どんどん奥の方に入っていきました。
(こちらは、裏門なんですって!!)
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城の敷地のあちらこちらに、ツワブキの花が咲いていました。
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(クリックすると大きくなります。) 
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積み方が三種類あって、どれも、それぞれ美しい。
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アーチのところには、防御のための木戸を取り付けるための穴が・・
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日露戦争の戦没者5名の慰霊碑は、この場に合わないとのことで、
撤去する話もあったそうです。
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「テンペスト」は、以前見たことがあったけど、
あんまり覚えてなくて・・・
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確認するため、帰ってきてから、10話とも全部見てみました。
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はい、このシーンですね。
ドラマでは、一応、首里城の南殿のあたり、ということになっていました。
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島津の殿様が突然亡くなったため、朝倉さんは、薩摩へ帰るのです。
もう、会えないかもしれない・・・・
ついに、二人は、抱きあう、そんなシーン。 
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それを、なんと、王が見ていました。
側室の真鶴(孫寧温)を愛しているのに、あぁぁぁぁ・・・
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ドラマの撮影の時とは違って、木の葉が落ちていますね。
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この石積みの材料は、すべて琉球石灰岩。
本当に広々としていて、優雅な曲線に囲まれています。
ざっくりと、ここの歴史を書くと、
14世紀後半に作られたこの城を、
1440年に座喜味から移封させられた護佐丸が増築して、
見事な形に仕上げたのだそうです。
有力な豪族だったため、首里城にいた王から警戒されて、
勝連城のアマワリを使い、攻めこまれたとか。
その時 70才くらいだった護佐丸ですけれど、
自分の身の潔白を証明するために、見事自決したのだって。
その時、まだ乳飲み子の子どももいたけど、
落ち延びた先で、大事に育てられたそうです。 
城づくりも名人、戦いも名人、そして、子作りも名人だった護佐丸。 
その後、尚氏の第一王朝が滅び、第二王朝になってから、
この護佐丸の子孫が探し出されて、重用され、
三司官(宰相)を15人も輩出する家となったんだって。
今でも、この護佐丸の子孫だという人が、沖縄に8万人とか、10万人とか・・・
勝連城のアマワリさんの方は、気の毒に、利用されただけ。
その後、 逆臣の汚名を着せられて、非業の死 をとげたらしい。
 ドラマ「テンペスト」 は、
主人公の真鶴は、第一王朝の子孫
元の王朝を復活させるために、 宦官の孫寧温 となり(男に化けて)、 
第二王朝に重臣として入り込んでいたのだけど、
それがバレて、八重山に島流しの刑にされた。
(女であることは、まだバレてなかったの、不思議) 
なんとかして、王宮に戻りたくて、今度は女の姿で、
機織りの腕と、踊りの見事さを認められ、首里城へ。
そこで、なんと、側室になってしまい、王の子を身籠って、
第二王朝が倒れたあと、自分が産んだ子供を、
第三王朝の王に即位させ、薩摩の朝倉さんと再会して終わり。
首里城のガイドさんが、
「テンペストでは女が男のふりをして役人になっとったけど、
そんなことは不可能だから。絶対に無理。」
と、おっしゃっていましたけど、ドラマだからね。
私、一応原作も読みましたよ。
 さてと、アップできるかな?





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Last updated  2016.02.06 22:04:23 コメント(10) | コメントを書く


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