2022.07.17
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カテゴリ: 日記
父が亡くなったのは、1997年の7月17日。
​2度目の大動脈瘤破裂​ を起こし、緊急入院。
ところが、その 10年前の一度目の大動脈瘤破裂の時の癒着のおかげ で、
破裂して出血した血液が漏れ出さないで、 体の中に閉じ込められた状態 になっていました。

もちろん、そのままでは治るわけもなく、
大学病院で、懸命の治療がされました。

父は最後の挑戦 を選びました。
ほとんど成功の見込みはなかったのだけど、
手術を受けて、 破裂した血管の修復 をしてもらうつもりだったようです。

朝から始まった手術は、夜まで続き、最後は、医師が母に尋ねにきました。
・これ以上の治療は無理。
・なんとか縫いあわせても、意識は戻らないまま、機械で生かすだけ。

「どうされますか?」
とのことだったので、母は、
「ありがとうございました。もう結構です。」
と返事をして、それで終了。


「絶対戻ってくるからね。」
と言っていたのですが、無理でした。

だいたい、 ​その10年前の大動脈瘤破裂で、奇跡的に助かっていた​ ので、
その後の10年間が、孫とも過ごせた、おまけの人生だったのかもしれませんね。



亡くなるまで、現役で会社を経営していたため、
関連会社や下請けの人たちなど、参列者がとても多いだろうと予測され、
次の日曜日まで、なんと ​3日間も自宅で通夜​ をしたんですよ。

今仏間にしているところに、棺を置いて、その中に父を寝かせ、
葬儀屋さんが毎日ドライアイスを入れ替えに来られていました。
夏のことでしたから・・・

3日間もあったので、たくさんの人がお通夜に来てくださいました。
私たちと、ゆっくりとした時間を過ごし、
日曜日には、大きな斎場での社葬 となりました。

父の会社は三菱系だったので、その関連の人たちがたくさん、
私と旦那の職場関係の人たちもたくさん、
鹿児島と佐賀から、親戚の人たちもたくさん見えました。


あれは、 1997年の夏 のこと。
香港返還の年です。(香港返還は、1997年7月1日)

父の人生最後の一年間を、私たち家族、特に孫たちと一緒の生活にすることができて、
本当によかったな、と思っています。

だいぶ弱っていた父のため、二世帯住宅を建てるときに
​段差なし、引き戸と手すりだらけの家​ にしていたのが、
今、母の役に立ち、そろそろ私たち夫婦の役にも立ちそうです。


​今日は、父のことを、息子たちとも語り合いたいと思います。












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Last updated  2022.07.17 13:38:04
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