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2017年01月28日
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2017年01月17日
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「よく来たな」と言って私のあごひげを引っ張り恥じらうような笑いをくださった勝新太郎先生のことをよく思い出している。「思い出すことで生き返るんだよ」そんな意味のことばをどこかで語っていたのを聞いたことがある。今、どうして勝さん、(そうよばせてください、私の中でそれが最高の愛称なのです) 縋りついても仕事をしたいと言わなかったのか、それが心に残る後悔なのです。勝さんはヒット作が出るまでいつも端役より少し上で我慢していました。長谷川一夫、市川雷蔵、三番手が勝新太郎でした。私は映画「かんかんむしの歌」がすきでした。ドッグに入った船に差張りついている貝殻をかんかんとたたいて落とす青年の物語でした。そこには心に秘めたものを持ちながらじっと出を待つ勝さんの姿がありました。「おい、自由に生きろ、それが一番だよ、だがな苦労はするぜ」スクリーンから聞こえてきていました。私にだけ・・・。つづく勝さんとそれからしばらくはあっていない。というのは勝さんの主役の映画なかった、長谷川一夫、市川雷蔵の活躍の陰でキャストとしてなお連ねるが半端な白塗りの役が多かった。それらは私は見ていない。再びすくりんで見たのは「不知火検校」という稀代の悪役のものだった。美白の青年の影は消え役に沿った個性が、演技゜が冴えていた。勝さんの脱皮だった。この映画はヒットして一躍勝さんは躍り出て困惑していた。ここで少し寄り道をしたい。中村錦之助、東映に入ったときには子供だましのものにたくさん出ていたが、当時の海員学校を描いた現在物は「青春航路 海の若人」は新鮮で、彼の開花であった。錦ちゃんは股旅ものをさせたらだれも追従を許すことはなかった。長谷川伸さんの書いた股旅ものは錦ちゃんのために書かれたように、水を得た魚のどこく生き生きと新鮮に演じていた。この頃の錦ちゃんは山本周五郎さんま町人物にもその味をいかんなく発揮していた。「宮本武蔵」「柳生十兵衛」「切腹」「織田信長」「親鸞」「大菩薩峠」などたくさんあるので書けない、そして、萬屋錦之助としてテレビの「子連れ狼」に続く、が、彼は時代劇においては不屈の名優であった。錦ちゃんを超える人を知らない。中村錦之助、市川雷蔵、勝新太郎、日本の時代劇では欠かすことのではない存在である。勝さんのことは・・・つづく世界を席巻した「座頭市物語」日本の映画界でこれほど外国の人たちに見てもらった映画は前も今もない。カストロ氏、ジャッキーチェンの例を待つまでもなく世界に波及し勝さんにあこがれて人も枚挙のいとまがない。世界がそのようだったことは日本では大変なことになっていた。観客は押しかけ満員打ち止めということになっていた。子母澤寛さんが書いだ短い雑文から広大な作品群が生まれたことは作者は知らない。脚本家冥利の題材で腕をあげた人が多くいた。「目の不住な按摩の居合の達人がいた」二百文字程度のものだった。ここから映画、テレビで百五もの作品が生まれた。第一作「座頭市物語」飯岡と笹川に一宿一般の義理で平手造酒と座頭市が橋の上で死闘を尽す、この物語では二人の間に友情が芽生えそれでもやくざの義理で戦う。「斬っちゃあいけねえ人を斬っちまった時にはもう目の前は真っ暗になってしまう…、ハハハハハ・・・。 目の前ゃあはなから真っ暗だよ」 こんなセリフがなじむものだった。「不知火検校」で一躍スターダムに躍り出た勝さんはこの作品で押しも押されぬ不動のスターに駆け上っていった。その時、「かんかん虫の歌」の勝さんが脱皮して勝さんという蝶が舞った瞬間だった。が、私は勝さんのデビュー作のこの作品を忘れることは無い…。ダメ押しは「悪名」シリーズ、「兵隊やくざ」シリーズ、と続き、「座頭市シリーズと並行して大入りの観客を集め日本中を沸かせる映画になっていく。祇園、銀座の豪遊、破天荒な勝さんの英雄伝がここから始まるり、愛妻中村玉緒の結婚へと流れていくのです…。つづく
2017年01月15日
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「よく来たな」と言って私のあごひげを引っ張り恥じらうような笑いをくださった勝新太郎先生のことをよく思い出している。「思い出すことで生き返るんだよ」そんな意味のことばをどこかで語っていたのを聞いたことがある。今、どうして勝さん、(そうよばせてください、私の中でそれが最高の愛称なのです) 縋りついても仕事をしたいと言わなかったのか、それが心に残る後悔なのです。勝さんはヒット作が出るまでいつも端役より少し上で我慢していました。長谷川一夫、市川雷蔵、三番手が勝新太郎でした。私は映画「かんかんむしの歌」がすきでした。ドッグに入った船に差張りついている貝殻をかんかんとたたいて落とす青年の物語でした。そこには心に秘めたものを持ちながらじっと出を待つ勝さんの姿がありました。「おい、自由に生きろ、それが一番だよ、だがな苦労はするぜ」スクリーンから聞こえてきていました。私にだけ・・・。つづく勝さんとそれからしばらくはあっていない。というのは勝さんの主役の映画なかった、長谷川一夫、市川雷蔵の活躍の陰でキャストとしてなお連ねるが半端な白塗りの役が多かった。それらは私は見ていない。再びすくりんで見たのは「不知火検校」という稀代の悪役のものだった。美白の青年の影は消え役に沿った個性が、演技゜が冴えていた。勝さんの脱皮だった。この映画はヒットして一躍勝さんは躍り出て困惑していた。ここで少し寄り道をしたい。中村錦之助、東映に入ったときには子供だましのものにたくさん出ていたが、当時の海員学校を描いた現在物は「青春航路 海の若人」は新鮮で、彼の開花であった。錦ちゃんは股旅ものをさせたらだれも追従を許すことはなかった。長谷川伸さんの書いた股旅ものは錦ちゃんのために書かれたように、水を得た魚のどこく生き生きと新鮮に演じていた。この頃の錦ちゃんは山本周五郎さんま町人物にもその味をいかんなく発揮していた。「宮本武蔵」「柳生十兵衛」「切腹」「織田信長」「親鸞」「大菩薩峠」などたくさんあるので書けない、そして、萬屋錦之助としてテレビの「子連れ狼」に続く、が、彼は時代劇においては不屈の名優であった。錦ちゃんを超える人を知らない。中村錦之助、市川雷蔵、勝新太郎、日本の時代劇では欠かすことのではない存在である。勝さんのことは・・・つづく
2017年01月13日
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「人が生きると言う事は、一人一人の心のなかにある大切な種から芽を出すものを育てること、それには夢と言う肥やしがいる」
2017年01月10日
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決して強いとは思っていません。私を支えてくれたのは、「感謝を言葉で表せられること」「日々の生活の中で感動する心をやしなうこと」「人の話を真摯に聞き、その人の心の在り方を感じとり、私の言葉を口にする」その倫理観。強いと言えば何も失うものがない、守りに入ることがないという程度。強運はたくさんの偉大な人たちに出会い言葉をいただき、手を差し伸べてくれこたこと。そんな中で生きる意味を多少なりとも感じ取ったこと。人のために生きる、それはその人たちの中に入り互いの成長を思うこと。人が生きるということは自分の意思ではなく縁起によってなされているということ。誓願の祈りもなく、宗教による束縛もなく、先祖から受け継いだ遺伝子により今があること、先祖は遺伝子をつなげて今を生きている人の姿を借りて生きているということ。私は何もいらない、無というところに生きていたい…。
2017年01月08日
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無神論者の私にはそぐわないことかもしれません。神の啓示は、私に伝わっている遺伝子という考えがあります。言わせていただければ、神は人間に対して試練を与えすぎている。キリストは哲理を語ったが宗教を立てていない、釈迦も人間の生き方に疑問を感じ妻子を棄て人間とは何かを追求したが仏教を作ってはいない。日本に流れ着いた仏教は釈迦の言葉を正統に伝えてはいない。一介の思想家である。神という存在を認めることで人間は探求することを忘れてその中に逃げ込んだと言えまいか。宗教も、法律もなくても人間としての自覚を持った生き方を模索して成長することが、ひょっとしたら神が望んでいることなのかもしれない…。しきりにそな考えにおちいっています…。
2017年01月08日
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