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4号機とセシウム1月まとめ 12月の半ばから福島のセシウム降下量が増加してきましたが、1月に入ってさらに急激に増加が見られました。グラフの横軸が11月1日を起点にした日数、縦軸が1平方メートルあたりのベクレル(セシウム定時降下量)です。7月頃から落ち着いて来た放射性セシウムの降下量は11月まで低い値でした。たとえば、野菜の新しい基準が1キログラム100ベクレルになりそうですし、給食の基準として文科省が一時、1キログラム40ベクレルという数値を出しました。グラフをザッと見ると11月は1平方メートルあたり10から20ベクレルの日が多かったのですが、この場合、1平方メートルの畑にキャベツが4つ植えて合ったとしますと、一つのキャベツあたり2から5ベクレル程度の放射性セシウムが毎日、降るようになります。値自体はかなり低いのですが、2週間程度も降り続けると基準値に近くなります。ところが12月になって平均的に見ると1日30ベクレルと言ってもよいぐらいのレベルに達します。こうなると2週間で420ベクレルになりますから、キャベツ1ヶあたり100ベクレルを超えるようになります。1月はさらに高く平均100ベクレル程度になっています。もし、この状態が春先まで続き、セシウムが降り続くとすると春野菜は収穫ができないでしょう。耕した畑はすでに土の中にセシウムが混じり込んでいますし、上からもセシウムが降ってくるので、きわめて危険な食材が供給されることになります。・・・・・・・・・本来は日本人に安全な食材を提供することにプライドを持っていた日本の農家の方、それを監督していた農林水産省や、サービスを提供する農協を信頼したいのですが、残念ながら誠実な日本の方かも怪しくなっています.というのは、新米がでて福島県知事は一度「安全宣言」をしましたが、その後、汚染米が数多く出て、実質的に安全宣言を撤回しなければならなくなりました。その一方で、福島の高濃度汚染米の約半分が外食産業に流れたとの噂が絶えません.このような噂が出ること自体、日本の農業のプライドを傷つける物でもありますし、私のように「日本の子供、日本の土地、日本のコメを守れ」などと言ってきた人にとって見ると本当に残念に思います.お金がすべて、自分の天職に対するプライド無しでは情けないものです。2月もセシウムの量はよく見なければなりませんし、そろそろ文科省から各県の状態が公表されるでしょう. とりあえず11月のレベルに近くなってきましたので、警戒を解いて春の野菜までしばしの休憩といったところです。・・・・・・・・・ところで、4号機の方は相変わらず不安定な状態が続いていますが、大きな地震が来て4号機が倒壊しても、3月の爆発よりその影響はかなり低いと考えられます.従って、これも春先まではいったん警戒を緩めて状態を見ていくことになります.なんといっても原発は運転時がもっとも危険で、2010年11月に止めた4号機はそれほどの力を持っていません.倒壊によって放射性物質は飛散しますが、ご家族も含めて逃げなければならない状態ではないと考えるのが科学的です.ネットなどでは「大変なことが起こる」という記事が多いので、一通り勉強しましたが、科学的な理由がもう一つハッキリしないのと、2011年(昨年)の4月以来、「また爆発する。大変だ」という警告が続いていますが、一つも現実になっていません。再爆発すると考えた人は何が間違っていたのか、触れていただくと助かります.私たち専門家の役割は、自分の名誉や主張などでは無く、あくまで子供を中心とした被曝を減らすことですから、これまでの間違いの理由を示していただいた方が、これからの福島原発の予測をつけるのにも役に立ちます.「takeda_20120131no.403-(7:54).mp3」をダウンロード(平成24年1月31日)武田邦彦
2012年01月31日
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地震の避け方、かわし方(1)・・・東海地震がなぜ注目されたか?物事はそれほど偶然ではなく、それぞれに理由があるものです。特に、かなり大きなことはそれなりに理由を見いだすことも大切です。「東海地震が来る」と言われて40年。その間に、阪神淡路大震災と東北大震災の2つが日本列島を襲い、今、また関東に大地震があると言われています。なぜ、東海地震が来なくて、阪神と東北に大地震が来たのか? それも1000年に一度というような大規模な地震が予測できなかったのか? それほど予測精度が悪いのに、なぜ「次回だけは予測できる」のか? ジックリと考えたいと思います。・・・・・・・・・東海地震がすぐにでも来ると言われる少し前、松代群発地震というのがあり、それがキッカケとなって「地震予報を出そう」ということになりました。このような時に世論を作っていくのは、普通は「若手官僚-東大教授-マスコミ」の連合軍です。最初はそれほど悪くはなく、「日本は地震国だから、地震予測を進めなければならない」、「仮に地震が予測できたら、人命ばかりではなく、経済損失を少なくする上でも貢献できる」ということで前向きの議論になります。ところがその直後に問題が発生します。それは「予測を誰がするか」ということです。政策の原案を作るためには「官僚と東大教授」という組み合わせで行われます。日本は議員の政策立案力が無く、官僚がほとんどをやっていますし、東大教授だけが優れているのではないのですが、東京にいることと、官僚と同じ大学(多くは東大)の出身で個人的に知り合いが多いということがその理由となります。「予測をどのようにするか」という検討段階に入りますと、「全国を一律にやるのも予算がかかる(官僚)」、「東海地震が近いからそこを重点的にやったらどうか(東大)」となって、「東海地震の予知からはじめ、東大がそれを担当する」という筋書きができます。ここに大きな問題が発生していますが、議論がまともですから、反対もなく、マスコミも特に不思議と思わずに報道します。「松代群発地震も起こり、社会は地震に対する関心が深くなっている。かつて関東大震災で大きな被害を受けた日本だから、世界に率先して地震予知を進めなければならない。地震学者によると太平洋から日本列島の下に潜り込んでいるプレートのひずみが大きくなっており、次の巨大地震は東海地方がもっとも確率が高い。」実に論理が通っていて、この報道に反対する一般の人はほとんどいませんでした。それにNHKなどの「よい子報道」を優先する報道機関は「地震予知の研究が始まる」と報じ、それを東大教授が「近々、起こると考えられる東海地震の構造」を解説、多くの人が「プレート」、「エネルギーの蓄積」などに話題が集中します。このとき、「なぜ、東海地震なの?」と疑問を呈すると、袋だたきに遭います(この瞬間が原発事故も含めて日本の大きな問題を生じる瞬間なのです)。袋だたきにする人は、政府、東大教授、NHK、権威に追従する性質をもっている知識人、「常識」を重視する人、「みんなで渡れば怖くない」と考える人などです。しかし、この瞬間に「なぜ、東海なの?」と疑問を呈することが、その後、40年にわたるムダなお金、阪神・東北の地震の犠牲者を少なくすることができる大きなポイントと思います。・・・・・・・・・学問を議論する「学会」が、オープンで、どんな発表でも、どんな批判でも許されているのは、人間が難しいことに取り組むときには、オープンで自由な議論が必要であるという経験によっています。「権威のある人」が「正しい」ということではなく、山片蟠桃が言う「大知(多くの人の知恵の方が少数の優れた人の知恵よりレベルが高い)」を実践する方法が学会です。誰でも参加でき、誰でも発言でき、かならず記名、身分をハッキリさせて議論するというのが絶対に必要なのです。日本での地震予知、予知研究のはじめの段階で「疑問を呈する人」と「それを取り上げるマスコミ」があったら、阪神淡路か東北大震災の一つぐらいはある程度の警告ができ、それに基づいた対策がとられ、犠牲者を減らすことができたと思います。・・・・・・・・・なぜ、東海地震が来ると言われたのか? それは「東大が研究費をもらえるから」であって、「科学的に東海地震が先に来る」と言うことではないのです。官僚の東大教授の議論では、東大に研究費をだすという以外の結論にはなりません。まさか政策準備の段階に席に着いていない東北大学や大阪大学には研究費が行くはずも無いからです。現在でも、それは同じなので、まず第一に阪神淡路大震災と東北大震災を予知できなかった東大関係の地震学者へ研究費を出さないようにすることでしょう。そして、第二に地震学会を再構築して、自由な雰囲気で議論するようにすることですが、そのためには「役に立つ研究」を止めて「研究費を一律に配る」ということに変更する必要があります。そして第三にNHK、マスコミ、国民が「決定された経過がオープンでないものは、疑い、批判を試みてみる」という習慣をつけることでしょう。これまでの失敗を反省し、あるいは批判するとともに、将来のことを考えてより進んだ社会にする必要があります。特に、阪神淡路大震災と東北大震災で犠牲になった方々の無念を晴らすためにも、「なぜ、東海地震の前に2つも大地震が来たのか?」を問わなければなりません。「takeda_20120131no.402-(9:53).mp3」をダウンロード(平成24年1月31日)武田邦彦
2012年01月31日
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頭の整理・・・被曝と健康(4) 原子炉から放射線はほとんど出ません政府や東大教授が事故の最初のところで間違いを言ったので、多くの人が誤解し、被曝しました。「自分を信頼している人を傷つける」というのが人間ではもっともいけないことですが、それを政府がしたのです。今の民主党政権は日本国民が選び、そして権力の座についているのです。福島でも多くの人が民主党に投票したと思いますが、その人たち(恩人)を救わずに、被曝を予想するために100億円以上の研究費で作った「スピーディー」をアメリカには示したり、気象庁はIAEAに風向きを出したのに、日本国民には示しませんでした。いったい、自分の主人(国民)、恩人(国民)をどのように思っているのでしょうか? 対策本部の議事録を捨てたという話もあり、民主党政権は国民の信託、つまり恩を仇で返したのです。・・・・・・・・・ところで、爆発事故が起こった福島原発から、簡単に本質的に言うと「放射線は出ていません」。つまり「福島市に住んでいる人に影響のあるような放射線は原発から出ていない」ということです。放射線は電磁波(光)ですから、「遠くに行くほど弱くなる」という性質があり、距離の2乗の反比例します。つまり、原発から1キロのところが100とすると、10キロのところは、1、つまり100分の1になる(10の2乗=10×10=100)のです。東電の人がいる「重要免震棟」というのは原発の中にあります。そのほかにも東電の人は動くでしょうから、平均して原発から1キロ以内でこの10ヶ月、作業をしてきたとすると、もし原発から「放射線」が危険なほどでていたら、すでに健康に大きな障害がでるでしょう。福島市は原発から60キロも離れていますから、もし放射線が問題なら福島の人に対して、原発の中の人は実に3600倍以上も被曝していることになるからです。でも、幸いなことに、原発から放射線が出ているわけではなく、3月にでたのは「放射性物質」なのです。放射性物質が風にながれて福島市まで行き、福島市の人の周りに流れ、その一粒一粒からものすごく小さな放射線がでて、それが被曝の原因になったのです。つまり、自分や自分の身の回りの「放射性物質=死の灰」からでる放射線で被曝するのであって、決して「福島原発からの放射線」での被曝ではありません。だから、原発からの距離と無関係ではないのですが、それより「風下」の方が危険で、さらに「外部被曝」より、その小さな放射性物質を呼吸とともに吸い込んでしまう「内部被曝」の方が打撃が大きいのも理解できます。今でもこれは同じで、4号機が再臨界に達しても、そこからでる中性子や放射線は、作業している人には若干の影響がありますが、原発の外の人に影響があるようなレベルではありません。問題は4号機の再臨界やプールの崩壊などで、どのぐらいの「放射性物質が飛散するか」ということにつきるのです。だから、4号機に何かあっても、もっとも重要なのは「風向き」です。その点で、気象庁は特に福島原発付近の風向きをオンタイムで詳細に国民(主人)に報告するべきですし、NHKも受信者(恩人であり主人)に風向きと4号機のデータを事細かに報道するべきです。4号機も福島のセシウムも少し落ち着いていますが、相変わらず、緩い警戒と風向きに引き続き関心を持ってください。そしてそれと平行して、政府、東大(税金で研究している)、東電(電気料金で暮らしている)、気象庁(税金で食べている)、NHK(受信料で運営している)ところの「主人、恩人」が福島県民であることをもう一度、認識させる運動も必要でしょう。(平成24年1月28日(土))武田邦彦
2012年01月28日
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原発・エネルギー・環境の重要テーマ(前半、すべて、音声です)音声はお聞きになりにくい方と、音声の方がわかりやすいとか車の中でお聞きになれるなどの方もおられますので、現在の重要なテーマを音声でいれました。今回はジックリお話をするために長さは長くなっています。•(1) 福島原発が爆発した原因と対策 •(2) 被曝で病気にならないために •(3) 電気は足ります •(4) 石油は無くなるか? 「takeda_20120127no.402-(12:17).mp3」をダウンロード「takeda_20120127no.404-(14:44).mp3」をダウンロード「takeda_20120127no.405-(8:44).mp3」をダウンロード「takeda_20120127no.406-(10:42).mp3」をダウンロード(平成24年1月27日(金))武田邦彦
2012年01月27日
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「よい子」の研究(3) 「ためにする」人生を送る人たち大学に勤めている先生で、「学問が好きだから先生になっている」という人と「教授になりたいから」という人の2種類の人がいます。私の経験では、その比率は「学問が好き」と「教授になりたい」がほぼ同数のような気がします。会社から大学に移った私は「大学は学問の好きな人がいるところ」と思っていたのですが、大学に入ってしばらくすると、それは全く見当違いであったことを知りました。「学問が好きだから一所懸命、研究をしていたら、その業績が認められていつの間にか、教授になっていた」という人生の方が、私はまともなように思います。「教授になるために」ということになると、データの出やすい研究、国の方針に合致してお金がもらえる研究、ボスから声をかけられた研究などをすることになり、それは結局、日本に損害を与えていますし、学生にも良い影響をもたらしません。・・・・・・・・・「ためにする」というのは、何かのことをするときに「下心」があることを言います。今から10年より少し前のことですが、「リサイクルはしてはいけない」という本を出したら、「安井至」という名前のよく知らない人がブログで「名もない私立大学の先生が名前を売りたいばかりに、いい加減な本を出した」という激しい批判をしていることを知りました。よく調べてみると、東大教授だったので、ビックリして弁護士さんに相談し、安井至という人に抗議文を出しました。「学問的にいって、リサイクルは資源の浪費になるし、エントロピー増大の原則に反するからリサイクルをしてはいけないと考えたので本を書いたが、社会に影響のある東大教授がどのような理由で武田が売名のために書いたということが判るのか」という内容です。その返事は「私は東大教授だが、ブログは東大教授の立場で書いているのではない。個人的なブログだ」というものでした。よく調べてみると、この安井至という人は国のリサイクルの研究統括者で、国から多くのお金を貰い、そのブログも環境関係の人には有名で、もちろん多くの人が東大教授として参考にしていることもわかりました。後に、安井至という人は、ダイオキシンを研究していた東大の遠山教授に「そんなこと言ったら財務省に睨まれるぞ」と発言して、ネット上で論争になったことがあります。その後も私が本を出して、それがたまたまヒットすると「お金もうけのため」などと私に対する批判を続けています。・・・・・・・・・売名のために本を書いたり、財務省にゴマをすって研究費を貰う学者もいるとは思いますが、私や遠山教授が「ためにする」ことをしているかどうか、安井至という人がなぜ判ったのか、それが不思議です。人間がこの社会で生きていくとき、「ためにする」のではなく、「自分の仕事に誇りを持って」、「自分の生き甲斐」、「天職」、「世のために」というように「下心」を持たずに、そのもの自体に夢と希望をもってやることが、日本全体にとって良いと思います。今回の原発のことで「御用学者」が多く出現しましたが、そもそも「御用」とは「国の良いように」という意味ですから、「ためにする」人の典型的なものと言えます。東大教授の多くは「勉強が好きだから、勉強している内に東大に入った」のではなく、「東大を目指して嫌いな勉強をして東大に入った」という人が多いので、もともと「ためにする」ことが慣れた人でもあります。最近、「原発を止めるべきではない」と言っている人をグループに分類した論文を読みましたら、その多くが「ためにする」人たちのようです。たとえば、「原発を持たないと核兵器が作れない」、「反原発の人たちは左翼だから、嫌いだ」という類で、本当に心から「原発は安全だから、次の原発は東京の多摩川、名古屋の木曽川の上流、琵琶湖のほとりに作ろう」というのではないのです。原爆が必要だから原発を継続するなら、そのようにそのまま意見を言うべきです。日本には言論の自由があるのですから、原爆が必要だと言っても牢獄に入るわけではありません。また、反原発の人が嫌いなら「原発は危険と思うが、反原発の人に威張られてはかなわない」と正直に言うべきです。私のメールにも「武田先生は・・・ことを考えているのですか?」という質問をいただきますが、私は「考えの根拠になっているものは、明確に示す」ということで、「心に思っていても、言わない」とか、「書いたこと以外に主要な理由があるけれど、言うと具合が悪いので控える」ということはまったくしていません。私が「原発は地震で倒れる」と言えば、それは科学的に見てそう思っているからですし、「4号機のことですぐに逃げなくてもよい」としているのは、それが科学的に正しいと思っているからです。何かの利害得失、周囲との関係などを考慮することはまったくありません。・・・・・・・・・幸い、私は幸運にも恵まれて、これまで「ためにする」ことをせずに人生を送ってきました。でも、ほとんどが誤解されてきました。一所懸命働けば「出世のためだろう」といわれ、大学で遅くまで管理の仕事をしていると「学長を狙っている」(私は大学に移ったとき、本当に教育は大切と思い、おもしろかったですし、一所懸命やっただけだったのですが)と勘ぐられ、原発が危険になり「原発は危ない」と言い始めると(2006年)、「寝返った」と言われました。リサイクルが資源の浪費になると発表したときには、「損をするのに、なんでそんなことを言うのか」と言われました。でも、「ためにする人生」、「損得を考えた行為」は周りの人に不信感を与えますし、自分自身も心理的な負担があるので、決して、「得」にはならないと私は思います。どうもいろいろ考えてみると、「よい子」の出現は「ためにする」仕事をしている空ではないかと思います。たとえば、朝日新聞が戦前は「野球排斥」といい、戦後は「野球歓迎」になったのは、それぞれその時代のよい子になるためにとった態度ではないかと思うのです。もし朝日新聞が「事実を報道する」ということなら、記事や編集は一貫していると思うからです。現在でも報道の揺れ、御用学者の出現などの社会の混乱は「よい子」になること、それは「ためにする言動」がその根底にあるように思います。この世のことですから、「ためにする」のが無くなることは期待できませんが、その比率を少しでも減らし、また東大教授のような人は、才能に恵まれているのですから、本当に学問だけを考えて行動しても生活に困ることはないと思います。今回の福島原発の事故からすこしでも教訓を得て、被曝した子供たちにすまないという気持ちを持って、透明性の高い、「ためにする」言動をしない社会に近づけたいものです。(平成24年1月27日)武田邦彦
2012年01月27日
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頭の整理・・・被曝と健康(3) 病気にならないために(鎌形赤血球白血症)端的に言えば、「放射線で被曝しても病気にならなければ良い」ということです。キュリー夫人がラジウムの崩壊を発見してから、およそ100年。レントゲン写真、原子力発電など人類は多くの原子力科学を「人間の人生をより豊かに、健康に送ることができるため」に使ってきました。その中には原子爆弾のような間違いもありましたが、それは間違いであって、原子力という科学が本来、目指しているものは「幸福と健康」に他なりません。間違えないようにしたいのは、原子力が目指すものは「電気」とか「兵器」ではないのです。・・・・・・・・・もしも原子力が電気を起こしたり、肺結核を検査することができるだけなら問題がないのですが、「放射線の被曝」というやっかいなものを伴うので、そのバランスが大切になります。そこで、「被曝と健康」という関係は原子力にとって最重要なテーマでもあったし、また今後もありつづけると考えられます。人間は約600万年前に誕生して以来、ずっと「自然からの放射線」を浴びています。なにしろ、太陽が巨大な原子炉ですし、宇宙のエネルギーのほとんどが原子力エネルギーですから、自然界に放射線があるのは当然で、人間はそれを浴びることになります。日本では平均して1年に1.5ミリシーベルトで、東日本は少し低く、西日本は高い傾向があります。これは放射線をだす岩石が西日本に多いからです。そのほかに宇宙線やカリウムの中の放射性同位元素などからも被曝します。世界では自然放射線が強いところがあります。極端な場所は別にして、古い岩石の多いところなどで高いところがあるようです。平均は1年に2.4ミリシーベルトぐらいになります。人間ばかりではなく、あらゆる生物はその環境で最適になるように体ができていて、それは自然淘汰で決まっています。たとえば、放射線にとても弱い生物はもともと地上で生きていくことができませんし、自然の放射線が強いところには「被曝に強い生き物」が競争に勝ち残りますし、放射線が弱ければ「被曝には弱いけれど、他の攻撃には強い」というような生物が残ります。・・・・・・・・・たとえば、有名な遺伝子障害(被曝が原因では無いと考えられているが)に「鎌形赤血球白血症」という病気があります。この病気は遺伝的にヘモグロビンの異常があり、多くは30歳ぐらいで重度の貧血を起こして死亡します。だから、「普通の環境のところ」では鎌形赤血球白血症の人はほとんどいません。30歳で死亡する人より60歳まで生きる人の方が子供を作るチャンスが多く、また社会の競争にも勝てるからです。ところが、マラリアが蔓延する地方(亜熱帯)では、この病気が多いのです。その理由は、昔はマラリアにかかったら25歳で死に、マラリア原虫(マラリアのもと)は鎌形赤血球の人には感染しないからです。つまり、鎌形赤血球貧血症になれば30歳で死にますが、マラリアにかかると25歳。そして鎌形赤血球貧血症になればマラリアにはならないので、25歳で死を迎えることなく、30歳まで生きることができるからです。両方とも哀しいのですが、自然淘汰というのは厳しいもので、25歳でマラリアで死ぬような地方では、それより少しでも長生きするチャンスがあれば、それが30歳で死ぬ病気でも、そちらを選ぶのです。・・・・・・・・・このようなことなので、日本人の場合、1年1.5ミリシーベルトまでの自然放射線なら「一応」安全と言うことができます。ここで「一応」と括弧をつけたのは、「自然にある放射線だから安全」というのは何の根拠もないということです.むしろ、厳密に言えば「自然放射線だから、あきらめる」と言った方が科学的・医学的には正しいと言えます。なぜかというと、生物の歴史は自然放射線や太陽からの紫外線との戦いでした。初期の頃の生物は空から降ってくる放射線や紫外線でガンなどの病気になり、抵抗力をつけていきました。そのような戦いの結果、今では「一応の人生を送ることができる」ということだけで、現在、1年に30万人の方がお亡くなりになっているガンのうち、どのぐらいが「自然放射線による被曝が原因」しているかは「医学的に不明」だからです。「不明」というのは「安全」とは違います。ヨーロッパの被曝専門の医師が言っているように、「現在のガンのある程度は、放射線によるものだから、医療用被曝も注意が必要」というのが本当なのかも知れないのです。つまり、「自然放射線だから安全」とか、「自然放射線が1.5ミリだから、それ以下は大丈夫」というのは医学的にも論理的にもなんの意味もないのです。仮に人口放射線が1年1ミリとすると、合計で2.5ミリになりますが、「1.5ミリの被曝が安全だから2.5ミリは安全」というのも非科学的です。政府の人が事故を小さく見せるために、放射線医療の専門家が放射線医療をやりやすくしたいために、新聞がよい子を演じたいために、「大丈夫だ」と言いたい気持ちはわかりますが、「自分の利益のため」ではなく「被曝する子供たちのことを考えて」発言して貰いたいものです。(平成24年1月26日)武田邦彦
2012年01月26日
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増税の屁理屈・年金破綻の理由(1) 仲良し同盟東洋経済新社から「国債は買ってはいけない」という本を出版したときに、日本のお金の流れについて、科学的な手法を用いて整理をしてみました。それまで「お金の流れ」というのは「経済学の問題」と思っていたのですが、当たり前でもありますが、「科学と同じように数字や論理でもかなりの理解できる」ということを感じました。日本には「文科系」と「理科系」の区別があって、私のように「理科系」の人間が経済や倫理のことを言うと、文科系の人からの反撃が厳しいのですが、ヨーロッパには文科系と理科系のような区別はなく、人間が知らなければならない知識として理解されています。日本も「近代化」するためには、「あの人は理科系」とか「俺は数学が弱かったので、文科系になった」等というのはそろそろ止めにした方がより合理的で、人のことを理解しようとする社会になると思います。・・・・・・・・・ところで、日本のお金の流れや税金のことを整理すると、ビックリしたというか、当たり前というか、いくつかの大きな流れがあることが判ったのです。•1) 日本にも「隠れ貴族」(東大、早稲田、慶応などの出身者が多い)がいて、相互に巧みに連絡し、利権やお金を分け合っていること。その中に新聞やテレビも入っているのでややこしいこと。•2) 官僚は自分たちを「お上」と呼ばせることで、格上であることを常に国民に意識させ、間違いを認めず、その影響を利用して、「お上に任せておけばお金は有効に使うことができる」(実は正反対だが)という常識を普及させ、その結果、税金、利権をどこまでの上げようとしていること。•3) これらのことは「力がすべて」という点で、人間が動物であることを考えると、生物学的には合理性があるが、多くの日本国民はもっと楽しい生活と人生を送ることができるのに、その機会を失っている。•4) かつては労働者を代表した社会党、理想を目指す共産党などがあったが、労使関係が無くなり、ロシア、東ドイツ、ポーランド、チェコなどの共産国の指導者が国民を裏切ったこともあって、両党とも実質的に力を失った。今ではオール与党になり、議員の多くは「隠れ貴族」側に組み入れられている。•5) 人間は「生きるのも大変なぐらい追い詰められる」と暴動を起こすが、ほどほど苦しいという状態では暴動までは行かない。「99%現象」(国民の1%が巨万の富を得て、後の99%が報われない社会システム)だけでは変革の力にならない。•6) その結果、消費税の増税、赤字国債の発行、年金の崩壊、道路公団の破滅などがあった。議員報酬が常識外れに高く、安く超豪華な宿舎、鉄道の無料パスなどの特典が議員の誠実な心をむしばんで、改革を阻害している。などを理解することができました。本を書いたのは今から5年ほど前になりますが、その時に整理したことが、今、問題になっている消費税増税の時にも役になっています。「税金が足りない」というのは、「収入を超えて使うから」に他なりません。毎月30万円の給与を貰っている人が、「生きる上には憲法で保障されている健康で文化的でなければならない。だから、マイホームを建て、車を買い、本を読み、1週間に一度は高級バーに飲みに行くことは俺の権利だ」といって、毎月40万円を使ったとします。当然、10万円も足りなくなるので、その人が社長のところに言って「憲法で定められた権利を行使していたら10万円も赤字になった。給与を10万円上げろ!」と言ったら、おそらく首になるでしょう。このことと同じですが、人間には「必要」ということはどんなことでも理屈がつけることができます。でも現実には「無い袖は振れない」ということで「やるべきことをやらずに」我慢するのです。ところが、政府の言っていることを聞くと、「やるべきことをやるにはお金がいる。だから赤字国債(借金)を出しているのだが、これは不健全だから増税する」と言っています。・・・・・・・・・減税は簡単です。「事業仕分け」などの目くらましをマスメディアも報道したので、「節約する」ことでお金が少なくなると思った人も多かったようですが、「本来、これは必要である」というのを口で言うのは、どんな支出でも簡単なのです。だから、まず10%減税すれば、なにが不足するかが判ります。それを見て国民が判断すればよいことです。第一に、官僚の数を減らして人件費を削れば、人件費ばかりではなく、その官僚がムダなことをするお金もへります。先日、ある県の環境部の方と新年会でお会いしましたので、「まだ、温暖化などやっているのですか?」とお聞きしたら、「当然です。仕事がなくなります」といわれました。少し冗談でも入っていますが、一面で真実をついています。もともと地球は温暖化していませんし、温暖化対策をやっているのは世界で日本だけ、それも国が温暖化対策を進めることがあっても、市や県が専任の役人をおいてやるようなことではありません。でも、現実には「税金が余っているし、役人も余っているので、仕事を作らないとやっていけない」のです。私は環境のことを調べていてそのように思いますが、原子力でも、科学でも、お金でもみんな同じことです。機会を見て一つ一つ整理していきたいとおもっています。(平成24年1月25日)武田邦彦
2012年01月25日
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頭の整理・・・被曝と健康(2) 「指導」する人の「表裏」【速報】1月23日午前9時頃より福島と関東一円の線量率が1.5倍から2倍になりました。未明には元に戻っています。原因は追究中ですが、逃げる必要はありません。・・・・・・・・・この「頭の整理」のシリーズの目的は「どのようにして安心な生活を送るか」ですから、人の悪口を言わなくてもよいのですが、この場合はどうしても「指導する人たち」の「二面性」を最初に話しておかないと、理解が難しいので、最初に人の批判から始めています。先回は「日本の法律(事故後に改正された法律(規則)ですら)では、被曝はできるだけ少なくすること」が明記されているので、政府、自治体、専門家など社会を指導する人は自分の個人的な考えはともかく、まずは「被曝は最小限にするように努力する」という義務を負っていることを明らかにしました。たとえば「飲酒運転は禁止」と決まったあと、「少し酔っぱらった方が決断力が高くなるので運転には適している」とか、「交通事故で亡くなる人は5000人だが、飲酒運転の犠牲者は300人未満だ」とか、「飲酒運転をしたからといって、必ず事故が起こるわけではない、俺は毎日のように飲んで運転しているが、この通り大丈夫だ」などと言ってはいけません。ところが被曝になると、「少し被曝した方が健康だ」、「ガンで亡くなる子供は10万人で2人だが、福島の子供が被曝でガンになるのは10万人で500人までかまわない(山下教授談)」、「俺は原発の近くに言ったがこの通り、元気だ」などと言う指導者がたくさんでてきました。これまでの日本の誠実な文化とこれほど違うのは驚くばかりです。・・・・・・・・・1月2日に福島のセシウム降下量が400ベクレル(1平方メートルあたり)を超えても新聞やテレビは報道しませんでした。また1月23日の朝(地震があった午後9時頃からではない)から上がってきたことについても報道は無かったようです。「なんで新聞やテレビは私たちに危険を知らせてくれないの?」という疑問を多くの人が持っています。これまで台風、黄砂、花粉などの予報では常に「過度と言われるほど警戒を呼びかけた」NHKなども沈黙を守っています。これについても理解しなければならないので、あえて私の知っていることを書きます。報道を批判したいということではなく、かなり確実な情報だからです。3月12日の原発事故が起こってから数日以内に、NHKや朝日新聞、それに主要なマスメディアの記者さんは一斉に福島から待避しました。そして「30キロ地点の固定カメラ」での映像を流したのです。なぜ、記者が福島から待避したのかとお聞きしたら、「労働組合がうるさいから」と言った記者がいました。いずれにしても「被曝が危険だから全員待避」の指令をだし、それと同時に福島の人には「被曝は大丈夫」とか、政府の「直ちに健康に影響は無い」と報道しつづけました。このことについて、報道は自らの行動を報道しなければならないと思います。報道だけが治外法権であっては日本の報道の健全性は確保できません。その後、1ヶ月ぐらい後に、いくらかの記者さんは防護服を身につけ、線量計を持って福島に入りました。そこで彼らが見たものは「何事もなく、普通の服で、線量も測らずに」生活していた人たちでした。私の知り合いの記者の一人は「あのときのインタビューは辛かった。なにしろ私は防護服に身を固め、線量を計りながらおそるおそる被災地に入ったのに、そこには普通に生活をしていた人がいたのです。それも、私たちが「安全だ」と言ったことを信じているのです」と話してくれました。このような行動と合わせて、定点カメラでとった映像がネットに流れると「著作権」によって削除したり、これまでの論調と正反対の「被曝しても大丈夫」という記事を書いたりしたことによって、日本の報道は平衡感覚を失ってしまったのです。何を記事にすれば良いのか、さっぱり判らなくなった報道は、矛盾したニュースを流し始めます。チェルノブイリの悲惨な映像、東京湾の汚染などの映像、高い線量のマンションに住んだ人の悲鳴などの「危険側の報道」と、福島の農家を助けよう、瓦礫を引き受けよう、給食を拒否するのはモンスターだという「違法記事」を書き続けたのです。・・・・・・・・・これまで台風予報、花粉予報をしてきた新聞やテレビが、被曝予報、報道をしないので、福島の自主的に流通する汚染米の多くが外食産業に流れたとの噂もその事実がさっぱりわかりませんし、1月23日の地震、それに関東各地で上がった線量率についても記事になっていません。このような新聞、テレビは見れば見るほど、間違った情報に囲まれてしまうのですが、事故直後の自分たちの態度に対する罪悪感が抜けるまで、正しい報道はされないと思います。間違った報道は訂正しておかないと、頭が混乱しますので、このシリーズでは今までと違って、若干、批判も含めて書いていきます。あくまで特定の人や機関を批判するのが目的ではなく、より正確な理解をするためです。(平成24年1月24日)武田邦彦
2012年01月24日
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幸福な人生 「まずいものを食べる」という趣味私のブログに「私の趣味は、まずいものを食べること」と書いてあります。確かに、まずいものというのは結構、美味しいもので、それだけで趣味になりうるとは思います。でも、それは私の幸福感というのに深く関係しています。私のエッセイの一つに「愛用品の五原則」というのがありますが、それが10年ほど前に高等学校の教科書に採用されました。私にとっては生涯、忘れ得ぬほど名誉なことなのですが、そこに私が書いたことは、「人生を幸福に生きるためには、節約が一番だ。贅沢な生活で幸福になることはない」ということで、「その一つに愛用品に囲まれたしっとりとした毎日」であったのです。すでに、こんなことは古今東西の偉人が何度も言っていることで、わたしのオリジナルでもなんでもありません。お釈迦様は「中庸がよい」といわれましたし、イエス様は「お金持ちより貧乏の方が幸福になる」と言われています。それを私は科学者なので、少し具体的に考えています。人という生物は「今の状態で満足できれば幸福」という性質を持っています。たとえば今から1000年ほど前の平安時代には、水洗トイレはない、瞬間湯沸かし器もないのですから、汚い便所に座ったり、あかぎれの切れた手をさすりながら冷たい水で洗濯をしたものです。それに比べると現在はウオッシュレットつきの水洗トイレや蛇口をひねるだけでお湯が出てくる生活ですから、平安時代は悲惨な生活のように思います。でも、その時代、数年ぶりに豊作になって稲穂が頭を垂れている田んぼの横で、草むらに仰向けになってそよ風に吹かれている彼は「ああ、俺はなんて幸福なんだろう!」と思ったことでしょう。また、今から1000年後の人たちは私たちの生活を歴史の時間に学んで、「なんてひどい生活をしていたのだ!これでは奴隷のようじゃないか!」と驚くことは間違いありません。人間は、生まれてからの平均、ここ1ヶ月の平均が「平均」になり、それ以上なら満足、それ以下なら不幸と思うものです。・・・・・・・・・金持ちというのは得てして不機嫌で怒りっぽいのですが、それは当然でもあります。たとえば「美味しいものを食べたい」と少しでも美味しいお寿司屋さんを探すと、最初は1000円、次は1500円となり、それが1万円ぐらいになると、次のお寿司屋さんもほとんど差がないほどの味になります。つまり、「美味しいものを求めていくと、人間の舌はその差を感じなくなる」ので不満がつのります。さらに、加速の良い素晴らしい車を買うことができるようになると、いつも前の車が遅いと言って文句を言っていなければなりません。それもたちの悪いことに前の遅い一台を抜くと、さらにまた前に遅いのがいるではないか!!私のような車好きの人間は、エンジンの音も聞こえない、排気ガスのイヤな臭いもかげないなら車に乗らずに、電車で行きます。車の良いところは、ガタガタ、ゴトゴト、時々、故障して手を焼かすことだからです。毎日、美味しいものは食べられず、車に乗るとイライラ、何もトラブルのない毎日・・・これがお金持ちの生活ですから、不機嫌なのは当たり前のことです。・・・・・・・・・ある時、東京の大学の学食に行ったときのことです。大学の中に食堂が5つほどあるのですが、その一つに「貧乏学生用の食堂」がありました。320円でたらふく食べ、カロリーも十分なのですが、なにせメニューが特殊です。「アブラ揚げ」と言ったらよいのでしょうか、見かけは鶏の唐揚げのようなものなのですが、食べてみると、ころもの下は白い油の固まりなのです。つまり、「白い固まった油」を「液体の油」であげた唐揚げ??です。そして、慎重に白いアブラの中を探すと微細な1ミリぐらいの肉の痕跡を見つけることができます。なるほど、ちょっぴりのタンパク質と、大量の脂肪・・・これなら貧乏学生でもカロリーを取ることができるという計算です。学生と一緒にアブラ揚げ定食(正しい名前はC定食)を食べたら、その後は極楽です。650円のサラリーマン定食、1000円のデラックス夕食、そしてホテルで3000円の食事をする度に、極楽のように美味しい味を楽しめます。そしてまた1週間後、私は学食に行き、油揚げをほおばります。そこでまた私の舌をリセットするのです。このような私の行動パターンは食事だけではありません。重たい荷物を持っておっちらと階段を上ったり、寒い日に雨に濡れたり、「不幸なこと」は私にとってすべては「幸福の準備」でもあるのです。「幸福とは不幸なことである」、「金持ちとは貧乏のことである」、「健康とは病気のことである」・・・それらはすべて真実なのでしょう。(平成24年1月23日)武田邦彦
2012年01月23日
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頭の整理・・・被曝と健康(1) まずは基本:「被曝は最小に」(日本の法律編)政府と福島県が本格的な除染をしないことが確定し、東北から関東一円の地域でもホットスポットの除染が進んでいません。それどころか、反対に瓦礫を全国に拡散させたり、焼却炉の性能を良くチェックしないで、ゴミを燃やしたりしています。このようなことが続くと、日本国民は一度、地面に落ちたり、ゴミに着いたりして私たちの生活圏から遠くに行こうとしている放射性物質を、再び取り出して、気中にまいていることなります。そこで、政治的、あるいは市民運動はするにしても、同時に「個人でより正しく、被曝と健康のことを知る」という必要がでてきました。特に、「被曝しても健康だ」とか、「給食を拒否する親はモンスターだ」というような新聞記事や書籍がでる状態です。私たちは本当に誠実になり、「お金を使うなら子供を被曝させよう」というのではなく、「今までの日本のように、誠実な国民でありたい」と念願してこのシリーズの執筆を開始したいと思います。・・・・・・・・・まず、なによりも最初に「政府とメディアの二枚舌」をハッキリさせておきたいと思います。これは「政府やメディアを批判する」ということが目的ではなく、政府やメディアの人の心の中を確認しておくという目的です。2011年(平成23年)、つまり昨年ですが、事故が起こってからちょうど7ヶ月後に、「電離放射線障害防止規則」という法律(規則)を改正しています。「事故後」であることに注意してください。この法律は「原発事故」とは直接、関係がなく、「放射性物質や放射線を取り扱う事業者に対して、そこに働く人(労働者と表現されています)を被曝から守る規則」です。私が今回の福島原発事故で、この規則を使うと「原発事故の法律ではない」という反論がありますが、それについては間違いですから、またゆっくりと解説していきます。専門家なら、そんなことは十分に知っているので、この規則を参考にすることに反対する人は「他になにかの意図がある」ということですので、そのようなことを言う人はあまり相手にしないことです。私たちの目的は、「学問と法律の考え方にそって子供たちを被曝から守る」ということであり、人の揚げ足を取ったり、法律の網の目をくぐったりするために日々の生活を送っているのではないからです。「趣味の反論」も人間としては子供らしくて可愛いところもありますが、「ウソ」と紙一重ですから、専門家は自制した方がよいでしょう。ところで、この規則は実務的なものですから、状況に応じて比較的、頻繁に改正されます。事故の2ヶ月前の2011年1月にも改正され、ここに示したように、2011年の10月11日に改正されています。このように、1年に2回も変わっていますが、法律(規則)としては古く、この法律を理解しないで被曝関係の国家資格を取ることはできないというぐらい、その道の人たちにとっては有名なものです。私も若い頃、原子力の施設長をしていましたから、この法律をそれこそ穴のあくまで勉強して、働いている人や私の研究所に来られる人を被曝から守ったものです。そしてこの法律(規則)の第一条には、次のように示されています。つまり、「放射線を出す機械や放射性物質を扱う人は、そこに働く人にできるだけ被曝させないようにしなければならない」という原理原則をうたっているのです。これは日本が法治国家であり、法律で国民の健康を守るという立場から、「被曝と健康について、日本国民はどのように考えなければならないか」を的確、明確に示しています。「被曝をできるだけ少なくするようにしなければならない」というのは、日本の被曝に関する法律の大原則であり、これは国際的にもまったく同じことです。また、「日本の子供は被曝させても良いが、働く人は被曝させてはいけない」などということはありません。むしろ「働く人(多くは成人男子)でも、被曝はできるだけ減らさなければならない」と宣言しているのです。このことを知らない政府、自治体の役人、放射線に関係する学者、専門家は「一人も」いません。それなのに政府の役人は「被曝しても健康に影響がない」と言ったり、自治体の職員が「被曝してはいけないという規則がどこにあるのですか?」と私に質問してくるのですから、日本人の頭がどうなってしまったのか? あれだけ普段から「法律、法律」と言っている役人がなぜ?と意外に思うのは私だけでは無いでしょう。ここでは、まず事故が起こった後でも、日本政府は「被曝はできるだけ少なくしなければならない」という法律(規則)を作っているという現実を理解してください。つまり、政府は完全に二枚舌なのです。(平成24年1月23日)武田邦彦
2012年01月23日
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国民を「幼稚園レベルのトリック」で騙そうとする政府前の総選挙の時、「高速道路の無料化」をはじめとした「実現の見込みのない政策」を掲げて政権を取り、前言を翻してばかりいる首相や大臣のもと、日本の社会は深く傷つきました。そして、今、また同じような手法を用いて、原発の安全、消費税増税という問題で、国民をトリックにかけようとしています。消費税増税も大きな問題ですが、それはせいぜい、お金にとどまりますが、原発が再び爆発したら、子供の健康、日本の土地を失い、さらに経済に決定的な破綻をもたらします。今度こそ、私たちは冷静になって良く事態を見つめなければならないでしょう。・・・・・・・・・「福島原発は津波で爆発したから、防潮堤を高くすると安全になる」という保安院の理屈は、言葉は悪いのですが、「幼稚園レベル」で国民を騙そうとしていると思います。簡単なことですが、福島原発の爆発後の写真を見ると、海から襲ってきた15メートルの津波は、たしかに5.7メートルの防潮堤は乗り越え、原発の前の海岸線にある小さな建築物を破壊しました。しかし、40メートルもある原子炉建屋の前の建物で完全に止まっています。(写真の奥の壊れている建物が原子炉建屋、中程の無傷の建物は防潮堤として働いた建物で、高さ40メートル!!)つまり、福島原発が爆発したのは、正面から来た津波ではなく、防潮堤の無いところから回ってきた「海水の浸水」だからです。福島原発の南側の海岸は無防備で、まったく防潮堤はありません。津波は陸に進入すると、真っ直ぐ奥に進むのではなく、横にも行きますから、原子炉は浸水して爆発したのです。防潮堤を迂回して入ってきた海水によって爆発したのに、防潮堤を高くして何の意味があるのでしょうか? 大飯原発3号機、4号機でも、浜岡原発の再開でも「防潮堤を高くしたから大丈夫」と説明されていますが、もし国民がこのような簡単なトリックにダマされるなら、私たちは本当に子供を守ることができないでしょう。事実を見ないで観念では安全を守ることはできません。事実を注視する勇気を持ちたいものです。・・・・・・・・・これを普通の家に泥棒が入ったとして「たとえ」てみます。ある家に泥棒が入ったのですが、玄関に鍵がかかっていたので、勝手口に回ったら空いていたので、そこから進入しました。ところが、勝手口が開いていたと言うのはまずいので、「玄関の鍵が一つだったので、鍵を開けて入られた」と警察にウソの報告し、「鍵を2つに増やす」からこれからは泥棒には安全だ、皆さんにご迷惑したと言い訳をしました。そして相変わらず勝手口は開けっ放しでした。その家は2回、泥棒に入られました。玄関には2つの鍵がかけてありましたが、勝手口から進入されたのです。・・・・・・・・・あまりにバカらしくて話にもなりませんが、これが今、日本で最重要の「原発の安全性」で起ころうとしていることなのです。「玄関の鍵=防潮堤」、「勝手口=防潮堤のない海岸線」・・・こんな単純なトリックも「どうせ、自治体の偉い人や御用学者は知らないフリをするだろう。国民は気がつかないだろう」というのが作戦のように思います。原発の運転を200年ぐらい中断して、十分に研究を行い、次に建設するときには東京なら多摩川、名古屋なら木曽川の上流、そして京都と大阪なら琵琶湖のほとりに原発を作らなければなりません。フランスのパリを流れているセーヌ川の上流に原発を2基作ったように。(平成24年1月21日)武田邦彦
2012年01月22日
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4号機とセシウムの基礎知識(5) 危険性福島県を中心として飛散しているセシウムは相変わらず「やや危険」なレベルにあります。1月2日に400ベクレルを超えたセシウムは、その後、少なくなってきましたが、また中旬には200ベクレルを超えるまでになりました。グラフの縦軸は1平方メートルあたりのベクレル、横軸は1月の日にちです。このブログに書いたように、この状態は10月、11月とセシウムがほとんど観測されなかった時と全く違いますし、1平方メートルに200ベクレルという量は、葉物野菜で言えば、2,3日、この状態が続くと食材の規制値(内部被曝だけで1年1ミリ)を超えるほどの量です。原因としては、「風向き、風の強さ、雨の状態」などから、もっとも可能性のあるのは焼却炉などからの2次飛散と考えられます。風の強い日は増えず、福島原発からの風向きでは説明できず、雨の日は少ないことから見て、言えます。その後、読者の方からの情報などを元にすると、放射性物質を含む瓦礫やゴミの焼却は実に杜撰で、「1立方メートルあたり0.002グラムしか灰が飛んでいないから大丈夫」などと自治体はコメントしていますが、それは「放射性物質ではない、一般的な毒物」の場合です。セシウム137は1グラムで3兆2000億ベクレルですから、0.002グラムというとセシウム137で実に60億ベクレルを超える量です。焼却炉の煙の中の灰がすべてセシウム137ではありませんが、「測定していない」ようなのです。また、焼却灰を見てみるとセシウムで1万ベクレル(1キロあたり)を超えるものが多く、これは法律で「取り扱ってはいけない放射性物質」になります。完全に焼却炉は「違法状態」にあるのです。福島原発事故が起こってから、自治体は東電に遠慮して、目を覆うばかりです。これほどの違法を繰り返すのが日本の自治体だったかと思うと情けなくなります。・・・・・・・・・ところで、4号機ですが、4号機のプールには使用中と使用後の核燃料1500本があります。これが地震などで倒壊して原子炉建屋の中に落ちた場合、1)部分的に小さな核爆発がおこる、2)下に落ちてから放射線の灰が飛び散る、の2つが考えられます。核爆発の方は起こっても極めて小さく、わずかな中性子がでるだけと考えられます。核爆発が起こると燃料と燃料の間にある水が沸騰して燃料間の距離が離れますので、瞬時に核爆発は収まります。第二次世界大戦中、ハンフォードなどのアメリカの施設で爆発事故がありましたが、このような爆発では数10人が死ぬことがあっても、原発の外まで影響が及ぶような規模はありませんでした。つまり、広島の原爆のようなものは、1)金属の固まり、2)ウランの濃縮度が90%ぐらい、と爆弾向きなのであれほどの爆発をしますが、4%程度の濃縮度のウランが燃料棒の中に入っていて、お互いに強くバインドされていない時には、大規模な核爆発は生じないと考えられます。落下した燃料棒はかなり損傷しますから、そこから放射性物質が飛散しますが、これも3月の飛散量に比べれば、多くても10分の1以下にとどまるでしょう。従って、4号機の崩落は「逃げなければならない状態にはならない」と考えられます。つまり、4号機の危険性より、現実に住んでいる近くに落ちてきているセシウムの方が今のところずっと危険です。まずは被曝しないようにすることです。一度、日本の大地に降り注いだ放射性物質が、再び舞い散るということは、長い間、内部被曝をすることですから、これは新しい危険と言えるでしょう。また、東京などでヨウ素とセシウムが発見されています。6月からの様子を見ますと、医療用、他の原発など、かなり杜撰な管理をしている可能性がでてきました。そうなると、ECRR(ヨーロッパ系の専門家)が言っているように、もともと日本で30万人がガンで死ぬ内、かなりの部分が被曝によっているという意見も少し気にしなければならないでしょう。(平成24年1月21日)武田邦彦
2012年01月22日
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「役に立つ研究」で崩壊した日本の学問・・・苦しむ国民4号機の再爆発が懸念され(私はそれほどの危険は無いと思っています)、福島を中心としてセシウムが再飛散しているのに、これまで「原発は安全」と言って来た専門家からはほとんど情報が提供されません。その基本的な理由は「お金だけの社会」にあるのですが、より直接的な原因は「役に立つ研究」、「国立研究所重視」の政策にありますが、それは1990年ごろ、日本社会が支持したものだったのです。・・・・・・・・・それまでの日本の学問は大学が主体となっていて、簡単に言うと大学の教授に「均等」に研究費が配られ、先生方が「勝手」にそのお金を使っていました。ある学者は夜の10時まで懸命に研究し、ある学者は適当に、そしてある教授は海外に「学会に行く」といっては外国でワインを飲んで帰ってくるという具合でした。そこで、東大教授、文部省、そして一部のマスコミなどが連合して「役に立つ研究に研究費を出す」という運動がおこりました。その当時、「こんなひどい大学教授もいる」というような本を読んだことがありますが、大学教授も100人いれば、2,3人は変な人(大学教授はもともとやや変ですが)がいますから、その人たちを取り上げればどんなことも言えるという感じでした。かくして「役人が決める「役に立つ研究」」にお金が出るようになったのです。もちろん、役人は形式は整えますから、科研費(かけんひ)と呼ばれるものを含めて、さまざまな研究費の分類を作り、それに東大教授を中心とした「審査システム」を作り上げました。・・・・・・・・・その結果、簡単に言うと、まず第一に普通の研究費は大学の先生が文部省や経産省、厚労省、環境省などの申請をだし、それを東大教授が審査するというシステムができ、東大教授にゴマをするか、またはその時の国の政策にあった研究を申請することになりました。第二には、「大型研究」でこれは、「偉い先生」が文科省、経産省、NEDO、JSTなどの外郭団体と親しくなり、「地球温暖化研究」、「DNA研究」、「ナノテク研究」、「太陽電池研究」などとして数10億円から数100億円のお金を獲得し、それを隠語で「青虫」として「配下の教授」に配るシステムです。・・・・・・・・・20世紀の初めに「共産主義」の国家が誕生したときでも、未来はバラ色でした。なにしろ、国民が団結して上下もなく、私欲もなく、理想郷を作るのですから、それまで圧政の下で呻吟していた人たちにとっては素晴らしいものに感じられたのです。でも、ソ連(ロシア)では、すぐに権力闘争が起こり、スターリンが「大粛正」という名前の殺戮を行い、後をついだ権力者も高級車を6台も保有するということになったのです。「素晴らしいシステム」があっても「人間がそれに応じるだけの人格があるか」の両輪が必要なのです。「役に立つ研究」も同じでした。理想は素晴らしいのですが、現実には神様がおられたら神様に「役に立つ研究」を決めていただくことができるのですが、神様がおられないので、その代わりを東大教授、高級官僚、政治家などがやることになり、その人たちは「私利私欲」をもとで動きますから(人間としては当然かも知れませんが)、結局「御用学者」と「ごますり学者」が幅をきかせるようになったのです。それに加えて、学問が大型化するとともに「国立研究所」などの力が大きくなり、環境問題では「地球温暖化計算のためのスーパーコンピュータ」、「環境観測の大がかりなシステム」などを国立研究所が進め、その結果、「政府が温暖化と言えば温暖化」、「東海地震と言えば東海地震」というように、学問とは無縁の情報が社会に流れることになったのです。本来、学問には「反政府」などは存在しないのですが、私も政府の政策に反する研究は申請が通りませんでした。その時に、ある高級官僚が「武田先生、実際におやりになる研究は別にして、申請だけは政府に合わせておけば良いのですよ」とアドバイスをしてくれました。つまり、「ウソつき先生」がお金を取ることができるということです。この「役に立つ研究」の被害者は、第一に日本の子供たち、第二に真面目な研究者、そして第三に国民でした。日本の学問的研究のレベルは、「役に立つ研究」によって大きく後退し、将来に役立つ研究はほとんどすべてカットされました。なにしろ「現在、役に立つと考えられる研究」にお金がでるのですから、「どうなるか判らない」という研究(もともと研究の8割はどうなるか判りません)にはお金が出ません。なにしろ申請書に欄のある「何の役に立つか」と「社会への波及効果」を書かないとお金が出ないのです。研究ですから何の役に立つかが最初から判るものは、ややレベルの低いものですから、結果的には研究のレベルはさがりました。当然、真面目な研究者は淘汰されます。国民は口八丁手八丁の世間的に受けの良い「御用学者」や「ごますり学者」の研究のために税金を払うことになり、審査の機関などの天下り組織の人の人件費も負担することになります。さらに、今までは「均等」に分配していたのをいちいち審査するのですから、その事務量は膨大で、「役に立つ研究」というのをマスコミが騒ぎ始めた頃、役人は「これはよい、大幅に天下り先が増える」とほくそ笑んだでしょう。そして、今回のような原発事故が起こると、御用学者は「国民を被曝させる」、「データを出さない」という政府の方針に従いますから、またここで国民が損害を受けることになります。・・・・・・・・・冷たく言えば、「研究とはなにか」、「何が将来の子供たちの日本に大切か」をよく考えなかった国民側にあるとも言えるのですが、福島原発事故が起こっても4500億円の原子力開発予算のことが報道もされず、お金も出ないのは、「役に立つ研究」によって日本の学問の中枢がすっかり「御用学者」で固められた結果です。一つ一つの原発に反対することも大切ですが、それより、その根源にある「役に立つ研究」を撲滅しないと、セシウムの変化も解説されないことでわかるように、日本の将来はきわめて危ないのです。(平成24年1月21日)武田邦彦
2012年01月21日
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4号機とセシウムの基礎知識 (4) セシウム飛散の原因(速報)(本当は書きたいのですが、時間が無いので録音にしました)。音声で言っていることは、福島のセシウムが急に増えたのは、どうも「瓦礫とゴミの焼却」から出ている可能性が高くなって来ました。各地で瓦礫やゴミが燃やされています。この煙突からでている煙の測定が行われていませんので、きわめて危険です。自治体の市長は「お金がもらえるから、福島の人を助けるフリをして受け入れる」と言っていますが、福島は瓦礫の処理設備が必要で、他の自治体が瓦礫の受け入れをすることは、福島の人を苦しめ、汚染を拡大します。マンションが汚染されていて可哀想な人が多く出ましたが、汚染された砂利などは大手の建設会社も使っています。こんな状態が拡大すると日本は大変なことになります。国を愛する人、全員で心を一つにしましょう!!「takeda_20120120no.402-(6:33).mp3」をダウンロード(平成24年1月20日)武田邦彦
2012年01月20日
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「乱入した」と言われた人が警察を呼ぶべきである緊急性が高いので録音にしました(最初の録音で音が飛んでいたのでやりかえました)。大飯原発の再開問題で保安院の会議が混乱しましたが、この状態でストレステストとか、運転再開を議論すること自体が「安全第一」を無視するものと思います。日本でもっとも安全が大切な原発が、「安全第一」という概念がまだできていないのには、本当にビックリします。保安院が「警察を呼ぶ」と言っていましたが、警察は「権力のもの」ではなく、「国民のもの」なのですから、「乱入」と言われた人が110番して、警察を呼び、原子力基本法を守るために保安院を排除するべきだったのです。警察は法律を守るために国民が持っている組織です。(平成24年1月19日)「takeda_20120120no.401-(7:16).mp3」をダウンロード武田邦彦
2012年01月20日
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「防潮堤を高くすれば原発は安全になる」?!緊急性が高いので録音にしました。大飯原発の再開問題で保安院の会議が混乱しましたが、この状態でストレステストとか、運転再開を議論すること自体が「安全第一」を無視するものと思いますので。(平成24年1月19日)「takeda_20120119no.401-(8:28).mp3」をダウンロード武田邦彦
2012年01月19日
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汚染された建材で苦しんでいる方へ汚染された砂利や砕石を使って作ったマンションをお買いになった方は本当に気の毒に思います。お役所や建設会社が本当に市民やお客さんの苦しみを自分のものとして感じることができれば、こんな悲惨なことは起こらないのですが、残念ながら今の日本人の男性は「人間の形はしているけれど、心は空」という状態になってしまったのです。ところで、汚染された建材で苦しんでいる方へ少しでもヒントになると思って、書いてみました。・・・・・・・・・【第一原則】 1時間0.1マイクロシーベルトを超えるような住宅は存在できない日本は法治国家だから、国民を被曝から守る法律ができている。その内容はきわめて複雑だが、「外部被曝と内部被曝を合計して1年1ミリにならないように」という大原則が貫かれている。つまり、一般の人には「砂利は何ベクレルまで」とかいうことを知らなくても、被曝から守られるようになっていて、専門家は法律を作るときに「一般の人が1ミリを超えないように」ということで、物品の汚染基準、土壌の汚染基準を作っている。従って、家屋の中に住んでいて1時間0.1マイクロシーベルトを超えるような建築物は違法であり、処罰の対象になる。建築会社が知っていて隠したらさらに罪は深い。【第2原則】あらゆる物に汚染の基準が定められている。建材の汚染の問題がでたとき、御用専門家が「砂利の放射線量に関する法律はない」とテレビで言っていたが、これは間違い。日本のあらゆる物品は「物品の種類によらず」、「すべて汚染の基準値」がある。御用専門家が言っているのは、「砂利の法律にはない」と言っているのであり、「汚染された砂利」の規制は「放射線の法律」の方で規制される。こんなことは専門家にとっては初歩的なことなので、御用専門家が言ったことを録音などをしておいて、裁判になったら証拠品として提出することが力になる。自治体が「法律の規定がない」と言ったときにも、記録をしておいて、あとで防衛に使うことができる。【第3原則】日本は政府も自治体も報道も専門家も亡くなった。日本は長い間、政府も自治体も報道も専門家もあったので、ついそれらの人の言うことを信用してしまうが、今では「詐欺師」のような人しかいない。だから、その人たちの特徴をつかむことだ。最大の特徴は相手が無知だと思うと、いい加減なことを言うということで、今回の事件では「砂利には規制がない」などということがそれに当たる。調べてみると確かに砂利には規制がないので、うっかりそれに乗ってしまうが実は放射線の規制の方にある。このようなことを見破るには、専門的知識の方に行かずに「日本は法治国家だ」、「放射線は危険と言っていたいのだから規制はある」という「常識」の方が役に立つ。製造物責任制度もあり、被曝する建築物などは厳しく罰せられるのが現代の社会である。・・・・・・・・・ところで、放射線の規制を勉強したい人は、まず「シーベルトが健康と関係がある」、「最初にシーベルトを決めて、それからベクレルを決める」、「すべての物品や行為は被曝を防止する目的で汚染限度が定められている」という原理原則を覚え、その上で、まずは厚生労働省の「電離放射線障害防止規則」から初めて、次に文部科学省の「放射性物質による放射線障害の防止に関する法律、施行令、規則」を勉強するという順序です。でも相当ややこしいので、あまり焦らずに少しずつ進めていくことが大切と思います。またウソが氾濫していますので、それも見分けていく必要があります。法律は対象や目的が違いますが、人の健康は同じ基準ですから、目的の異なる法律でも、規制値は同じです。被曝と健康の基準が同じなのに、法律の目的が異なると、値が変わるということはありませんので、そこもしっかりと基本原則を確認しながら理解を深める必要があります。(平成24年1月19日)武田邦彦
2012年01月19日
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「よい子」の研究 (2) 日本人の特徴と「よい子」製造の要因日本人には良いも悪いも、他国とは違う特徴があります。読者の方からもメールをいただき、日本人の特徴とよい子の関係をまとめたくなりました。「日本人は融通無碍」とか「曖昧な国、日本」などと言います。確かに、年末になると、12月24日にはクリスマスイブを祝い、イエス様に信仰を誓います。そして6日たつと大晦日に神宮にいって初詣をして八百万の神様に感謝し、ほどなく仏教の観音様にお参りに行ったり、仏様のお話を聞いたりします。「いったい、あなた、どうなっている?」と聞くのも失礼なぐらい、イエス様も、神様も、仏様も信じているのです。私はキリスト教でもない若い二人が、教会で「永遠の愛を誓いますか?」と言われてキリスト教の神の前で誓っている姿を見ると、どうも「愛していると言っているけれど、最初からウソかな?」と意地悪に思ってしまいます。でも、誓っている二人は真剣だというところが日本人のおもしろいところです。先日、国際学会で話をしたときに、「本音と建て前」について、英語でどのように言ったらよいかを専門家と話してみましたら、「日本語でhonne, tatemaeといって、その意味を説明する」ということになりました。「原発は安全」というのが建前、「原発を僻地に作る」というのが本音です。二枚看板といっても良いかも知れません。また、読者の方からは、日本人は「見て見ぬふり、聞いて聞かぬふり」ができるという指摘がありました。確かに、街に立っている電柱と絡み合った電線は日本人の目には入らないと言います。日本の伝統芸能であり人形浄瑠璃は黒子が舞台の上で人情を操りますが、日本人は黒子に存在を見ないで、人形の動きで涙を流します。「見ざる、聞かざる、言わざる」の3匹のサルも同じことなのかも知れません。・・・・・・・・・戦前には野球をやる子は悪い子、戦後は野球をやる子はよい子。終戦前まではアメリカは鬼、終戦の翌日にはアメリカは善意の国。高度成長期には大量生産が三種の神器、成長期が終わったら大量生産は悪い子。1970年までは寒冷化が悪い子、1990年からは温暖化が悪い子。前は害虫駆除がよい子、今は生物多様性がよい子。311までは被曝は悪い子、以後は被曝を避けるのが悪い子。融通無碍で何でもOK。首相が首相になる前には「公約を死守する」と言い、首相になったら「公約は破る」と言ってもさして問題にはならないということです。そういえば、あれほど自衛隊に反対していた社会党(旧)が政権を取ったらすぐ自衛隊の観艦式に社会党の党首が出席して敬礼したのを見てチョックを感じたことを思い出します。・・・・・・・・・どうやら、これまで日本人を信頼し、信じてきたのですが、ひょっとすると日本人は「得になれば神様は何人いても良い(魂よりお金)」、「本心を隠したいから建前を言う」、「都合の悪いことは見ないようにする」、「言うことはいつ変えても良い」という情けない民族なのかも知れません。「よい子」がぐるぐる代わり、それが一日にして変わって、前の日まで「よい子」だった人が、「悪い子」としてバッシングを受ける、そのことを朝日新聞は良く計算にいれて、いつも「よい子」側に就くか、もしくは自分で「よい子」を創作しているのではないかとも思います。それに加えて、どうも「ウソつき」という感じもします。ネットなどで「ウソをついて他人をバッシングする」という人が多いのも気になります。この前、東大で講演したときの質問の半分ぐらいが、私が言っていないことをネットで誰かがねつ造したものが多く、それを根拠に質問される。だから「私はそんなことを言っていません」というのを繰り返すことになりました。人を批判するときに、批判する人が本心から違うことを考えているのではなく、事実や考え方ではなく、ある特定の人間をつぶしたいという希望だけが先行しているようにも思えるのです。これも「よい子」はグループを作り、「悪い子」をいじめるという「事実や考え」ではなく「人」を的にするからでしょう。あるテレビで、私が石油や石炭の埋蔵量は多いから心配することはないと発言したら、朝日新聞の解説委員と紹介された人が「武田さんは論文をどのぐらい出していますか」と間髪を入れずに質問したのには驚きました。もちろん見当外れの質問だから答えませんでしたが、埋蔵量が多いという考えに異論があるなら、そのことを質問すれば良いのです。私も日本人ですから、日本人を批判するのは自分自身にムチを打っているようで気分はよくありませんが、今回の福島原発のようなことが起こった原因が、日本人の悪いところに原因があるなら、それを直す良い機会なのかも知れません。そしてそれは「よい子の生産」に大きく関係しているように感じられます。(平成24年1月18日)武田邦彦
2012年01月18日
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セシウム速報 1月15日、セシウム降下物急増福島のセシウム降下物がやや落ち着いて来たと思ったら、1月15日に再び跳ね上がり、約200ベクレルを観測しました。「ゆるい警戒」を続けてください。範囲は宮城県南部から福島、茨城、千葉、栃木北部と考えられます。警戒は、風の強い日のマスク、洗濯物は取り込むときに叩く、外出から帰ったら玄関に入る前に衣服を叩く、そろそろ水道に出る可能性もあるので発表データに注するなどです。子供は背が低いので、大人より被曝しますので、長期間の外の遊びなどはしばらく止めた方が良いでしょう。関係者は「地面に落ちたものが風で飛んだ」と言っていますが、すでに1月2日から2週間も続いていて、風の弱い日もありますので、不明です。ただ、200ベクレル(1平方メートルあたり)と言いますと、キャベツが4つぐらいが植わっている面積ですから、5日続くと新基準では出荷できないような降下量です。(降下量の測定は直径1メートルほどの平たい「たらい」のようなもので降下物を受けて測定していますから、野菜の上や川にも同じように降っていると思います。原因を花粉、風、4号機、雪、瓦礫の焼却、家庭ゴミの焼却など広く、あたっていますが、今のところ「飛散している」のは間違いないのですが、その原因までは特定できていません。)発表が2,3日遅れるので、発表を待っていたら被曝します。その分だけ、やや注意をしてください。(平成24年1月18日)武田邦彦
2012年01月18日
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4号機とセシウムの基礎知識(3) 4号機の再臨界と危険性最初にセシウムの状態を見てから4号機の話に進みます。地表に落ちてくるセシウムはこのグラフに示したように少し落ち着いて来ました。1月2日の400ベクレル(1平方メートルあたり)に比較すると、最近では100以下になってきたことが判ります。しかし、この値を落ち着いていた9月、10月、11月と比較してみると(次のグラフは11月のものですが、グラフの縦軸を1月のグラフと同じように500ベクレルを最高にしてありますので、同じ尺度で視覚的に見ることができます)、まだかなり高いレベルにあると言うことが判ります。セシウムの降下量が急に高くなったことに注意しなければならないのは、1)もし、地表に落ちたものが舞い上がったとしたら、この状態が数年続く可能性があり、地表近くの空気を吸う子供は注意が必要なこと、2)もし、原発からなら東電の発表が必要であり、3)粒径、他の核種などの分析を政府が発表してくれれば原因が特定できる、などがありますが、いずれもハッキリしないからです。風の向き、アメダスのデータなどを見ると、地表から舞い上がったにしては風の強さに関係がなく、原発からとすると風の向きで説明ができず、福島第一以外の原発からかという奇妙な結論になりますが、それも変です。もう少し、緩い警戒をするのが良いでしょう。また、先回の(2)までお読みいただいた方は、「福島で急に増えた定時降下物にヨウ素があれば原発から、なければ土から」というのは間違っていて、「急に増えたものにヨウ素が含まれていれば、新たに核爆発(運転中)している原発から、そうでなければ3月に止まった原発から」ということがわかります。また、止まったばかりの原発から襲ってくる死の灰は恐ろしいけれど、止まってから10ヶ月もたった原発から飛んできてもヨウ素はもう無いから、子供の甲状腺は大丈夫ということもおわかりになったと思います。・・・・・・・・・一応、これだけ準備して、4号機の問題に入りたいと思います。4号機は一昨年の11月(2010年11月)に定期検査のために止めて、燃料を炉心からプールへ移動していました。だから3月に爆発したときには、すでに4ヶ月を経ていたので、ヨウ素などは含まれていませんでした。原発には3つの状態があります。一つは、ウランなどの燃料は持っているけれど、まだ爆発(運転)前のものが入っている状態、次に、爆発中(運転中)、最後に爆発後(運転中や運転後)のものがある場合、です。ウランは核燃料ですが、放射線は弱く、しかもアルファ線しか出しませんから、防御も楽です。3号機はプルトニウムとの混合燃料を使っていましたから、またすこし違います。でも、運転をしていない核燃料はそれほど問題となるような危険性はありません。これに対して、運転を始めると核反応が始まります。そうすると急激に核分裂生成物(死の灰)ができますので、ものすごく危険になります。ここで、前に説明したことがありますが、「臨界」というのと、「爆発」について説明しておきます。・・・・・・・・・科学は「ある状態」と「変化」を区別して整理をしていきます。あとえば、「氷」の場合、マイナス5℃の氷を、プラス5℃まで暖めますと、氷が融けて水になります。この場合、「氷」というのは水の分子が固体になっている「状態」であり、融ける温度0℃を「融点」、融けることを「融解」と言い、こちらは「状態の変化」です。また、ガソリンや灯油が燃えるのを、燃焼もしくは爆発といい、目で見る時には「燃焼」と言うことが多いのですが、物が燃える条件のことを「爆発限界」と表現するのが正しい技術用語です。あまりこのような専門的なことは言いたくないのですが、技術用語の使い方をバッシングして本質が見えないようにしようとする人も多いので、一応、解説をしておきます。これを原子力に当てはめますと、「臨界」というのは、「融解」のように「変化」を表すもので、いわば「ウランが静かにじっとしている状態」から「爆発的に核反応が進む状態」に変化することを言います。そして、臨界を超えると「爆発状態」になりますが、それが「徐々に起こる場合(原発の通常運転時)」と「小規模に爆発する場合(東海村の事故の例がこれに当たりますし、第二次世界大戦中ではアメリカのハンフォードなどで小規模な核爆発が何回もありました)」、そして「原爆のように大規模爆発の3つがあります。だから「臨界を越えて爆発する」=「危険である」ということではなく、徐々に起こるか、規模はどうかによって異なるのです。4号機が「再臨界」に達するから「危険である」と即断できないのがそこにありますので、正確に理解をしておく必要があります。私が今、整理をしているのは、4号機が再臨界した場合、爆発状態に入るのですが、それが「観測もされないぐらい小さいか」、「中規模で3月の爆発ぐらいなのか」、それとも「大規模爆発があり得るのか」のどれかということです。おそらく、小さな爆発があるかも知れないのですが、それならそれほど危険では無いと思います。4号機が臨界に達した場合のことを次回に解説したいと思います。(平成24年1月17日)武田邦彦
2012年01月17日
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「よい子」はどこで作られるのか?日本は「空気の社会」と言われるぐらい、何の根拠もないのにいったん「空気」ができると、全員がそれにならって「よい子」になり、空気の変化について行かないと「おまえは悪い子だ!」と社会的バッシングを受けることになる。誰が、いつ「よい子」を作るのだろうか? 2つの例を挙げて考えてみたい。【第一】 戦争前、早稲田大学と慶応大学がアメリカから「野球」を輸入した。時代は「鬼畜米英(アメリカとイギリスは鬼か畜生だ)」という軍事優先の時代である。朝日新聞は野球に噛みつき、「野球は日本精神を破壊するものだ。アピール・プレーなるものは醜悪だ」と叩き、「このまま早稲田と慶応が野球を続けるなら、2つの大学をつぶしてやる」というキャンペーンを張った。ところが、戦争後、日本がアメリカに占領されると、朝日新聞は「全国高校野球」を推進し、「野球こそが日本の青少年の健全な発達に最適である」として「野球と教育」が一体となった「甲子園」が誕生した。同じ野球なのに、戦前は野球をやる子は「悪い子」であり、戦後は「よい子」に変わった。【第二】 3.11以前、「放射性物質を漏らした人」は極悪人で、少しでも(法律で定められた量の100分の1でも)漏らしたら、朝日新聞の記者が血相を変えて駆けつけ、責任者をつるし上げたものだ。私も原子力の施設長をしていた時、放射線が漏れなくても、施設の中で「階段を踏み外した」などがあると、ひどくバッシングを受けたものである。2007年の中越沖地震で柏崎刈羽原発から3億ベクレルが漏れたときも、朝日新聞は叩きにたたいた。「漏れた量が法律上、許されるかどうかなどという問題では無い。放射線を漏らすこと自体が重大な犯罪だ。健康に影響があるかなど些末な議論にするな!」という趣旨だった。3億ベクレルという量は福島原発で漏れた量の30億分の1というごく微量であった。ところが3.11と福島原発の事故の後、「放射性物質は危険だ、漏らしてはいけない、除染した方が良い」と言うと、朝日新聞から「危険を煽るな!」というお叱りを受けた。最初は、本当に朝日新聞?!と思った。その後、「ガンで死ぬ人は年間30万人もいる」とか、「タバコの副流煙より安全」というキャンペーンを朝日新聞が始めたので、間違いでは無いことが判った。3.11以前は「被曝を憎む」のが「よい子」だったが、3.11以後は「悪い子」になってしまった。・・・・・・・・・8.15(終戦の日)を境に野球は悪い子がよい子になり、3.11によって放射線は「悪い子」から「よい子」になった。今では「1年1ミリの被曝限度は法律で定められ、これまで日本人を被曝から守ってきた」というだけで「悪い子」に分類され、マスコミでの発言を制限される始末である。朝日新聞には朝日新聞の言い分があるだろうけれど、私には「その時代の主人(戦前なら軍部、戦後ならアメリカ、3.11以前なら原発反対派、以後なら東電)」にゴマをすって、根拠無く「よい子」を決めて、その「空気」を日本社会に作る・・・それが朝日新聞のように思う。そんな新聞でも、新聞界では主力であることから見ると、「空気を創造する」ことは日本社会にとって、なにかとても良い面があるのだろう。 利得を得る人がいて、庶民にしてみれば「よい子」に追従しておけば大きな顔ができるなどがあるのだろう。ともかく、このような社会では原発のような巨大技術を安全に動かすことはできないし、学問の発達もいびつになるだろう。「朝日新聞はなぜ読まれているのか」ということと、「よい子の創造研究」を少し続ける必要があるように思う。(平成24年1月16日)武田邦彦
2012年01月16日
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4号機とセシウムの基礎知識 (2) 止めてからのこと3月11日の地震が来る前、福島第一の1号機から3号機までは、ウランが「燃えて」いました。燃えているということは激しく熱を出し、反応してできた死の灰がドンドン、原発の中で蓄積していたのです。死の灰の内、すぐ分解(科学的には崩壊という)するものが多く、分解すると死の灰も熱を出すので、「燃えている時にはものすごく危険なものを出している」とまずは覚えてください。数字に強い人は、1日で20分の1、3ヶ月後では100分の1にという感じで感覚をつかむと便利です。たとえば、ヨウ素131は半減期(分解して半分になる)が8日ですから、8日後に2分の1、16日後に4分の1、24日後に8分の1になります。3ヶ月というとおおよそ80日ですから、2分の1、つまり0.5を10回かけます。0.5×0.5×0.5×0.5×0.5×0.5×0.5×0.5×0.5×0.5=0.001 ,つまり、ヨウ素だけを考えると1000分の1になるのです。(算数の得意な人は0.5を10乗してください)ただ、セシウムやプルトニウムのように長い半減期のものがありますから、ヨウ素は1000分の1になるのですが、全体は100分の1ということです。もし、ある親がこのことをよく知っていて、「原発が爆発した!」という情報を得た途端に逃げて、3ヶ月後にその場所に戻ってきたとしますと、すでに1000分の1になっているのですから、そのままそこに住んでいた場合に、1年100ミリシーベルトのペースで被曝した場合、それの1000分の1、つまり、0,1ミリしか被曝しないのですから、安全と言うことです。最初に避難することがいかに大切かということがわかります(今、もし4号機が爆発した場合はまったく違います。早とちりしないでください。これは3月のことです)。このシリーズは「3月には逃げる必要があったが、今はもし逃げてもその意味が違う」ということを知るためでもあります。「知識は力」です。お子さんを守るためには、「正確な知識」を持つことが何より必要なので、先入観を持たずに読んでください。・・・・・・・・・つまり、「電気を作っている原発」は膨大な放射線をもっているのですが、「止めてから3ヶ月たった原発」は放射線量が100分の1になっているのです。それからはあまり分解しない元素(長寿命核種という)がありますので、減り方は単純ではありませんが、「最初は急で、その後、少しずつ減っていく」ぐらいの感覚が良いでしょう。ところで、4号機は事故の起こった3月12日には定期検査中で止まっていました。4号機を止めたのはその前の年(2010年)の11月ですから、すでに4ヶ月がたっていたのです。つまり、最初から4号機のプールにあった核燃料の死の灰の量は100分の1以下になっていたのです。(4号機の核燃料は呼び方が難しい・・・プールの名前は「使用済み核燃料プール」、中に入っている内の一部が「使用中核燃料」です。4号機のプールの中には1500本の核燃料があるとされていますが、おおよそ1000本が使用済み、500本が使用中と思われます。もちろん、使用済みの方は「使い切った後」ですから、死の灰も少なく、使用中の方は定期点検が終わったらまた使うのですから、少しウランなどが多いものです。でも、被曝という点ではあまり大きな差はありません。)だから3月に爆発した原発の内でも、4号機は「なぜ、爆発したのか?」はハッキリしません。1号機、3号機は普通に考えると「水素爆発」です。それは、止めたばかりなので元素が分解する熱(崩壊熱)が大きく、原子炉を冷やすことができなくなったので、水が蒸発し温度があがり、その結果、水素がでて「水素爆発」をしたと考えるのが普通だからです。それに対して、4号機は100分の1しか熱がでていなかったので、それほどの危険は無かったはずです。だから、今のところ3号機から水素が流れて、それに火がついたとされています。でも、疑問もあります。それは事故の後、ヨーロッパから運んできた「鶴首」のような長い消防ホースを4号機のプールの冷却に使っていたので、なにか東電が隠しているのではないかとの憶測が残っているからです。東電ばかりではなく、電力会社全体が、強い錯覚(俺たちは何が何でも原発を動かす使命がある。国民がなんと言っても、政府(お殿様)のご命令だ!)があるので、ウソをつきやすい。だから電力が言っていることはほとんど信頼性がありませんが、事故の時にどの場所に水をかけるのかということもウソということはないでしょうから、4号機に最強の冷却装置を使ったということになると、疑問が残るのです。・・・・・・・・・いずれにしても、あまり複雑になると、何が何だか判らなくなりますから、ここでは、•1) 原発は止めると急激に死の灰は減っていく、•2) 1日で20分の1、3ヶ月で100分の1に減る、•3) ヨウ素は3ヶ月で1000分の1になっている(今は3000億分の1)、•4) 原子炉の運転を止めてすぐ爆発した場合は、急いで逃げると被曝が減る、•5) 4号機は事故の4ヶ月前にはすでに止まっていた、•6) 現在は1から3号機は止めてから10ヶ月、4号機は14ヶ月になっている、•7) だから、今、水素爆発してもヨウ素はでない、と言うことを復習しておきたいと思います。(平成24年1月16日(月))武田邦彦
2012年01月16日
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4号機とセシウムの基礎知識 (1) 薪とウラン(セシウム情報は末尾)福島のセシウムが急に増え、さらに福島第一原発の4号機が爆発したのではないかと心配されています。多くの人が心配しているのに、原子力関係者は事実や基礎的な考え方をほとんど公表していません。このようなことは、今に始まったことではなく、これまでの原子力に共通して見られたことです。つまり、反原発の人たちが懸命に調べ、発信し、抗議をしていても、原発推進の人たちは「俺たちには殿様(政府)がついているから、彼らの相手にしなくても良い」という態度に終始したのです。でも、これは反原発の人も同じでした。私は時に反原発の研究会などに行って、質問をすると「なんだ、こいつ! 原発側にいてケシカラン。そんな質問をしてどうなるのだ」という目で見られ、十分な答えをして貰ったことはありません。「不毛な対立」というのはこういうのを言うのでしょう。お互いに自信に溢れ、自分たちの村に安住し、自分と異なる考えの人も立派な日本人であるということを認めようとはしないのです。原発推進側は言葉使いは丁寧なのですが、慇懃無礼。反原発の方は、言葉使いは汚く、ののしるという感じです。私も反原発に近づきたくなかったのですが、その理由は「少し質問でもすると、ものすごい勢いで人格バッシングにあう」ということでした。質問に答えてくれるよりも、レッテルを貼られ、バッシングを受けるので、質問がむなしく感じられました。でも、私たちが原発のことを考えたり、議論したりするのは、私たちの世代だけのことではありません。長く、日本の将来を左右することなのですから、少し、「俺が、俺が」というのを止めて「相手は?相手は?」という姿勢をとって欲しいものです。・・・・・・・・・ところで、4号機とセシウムの急増はどうなっているのでしょうか? 私たちは子供たちを守るために、さらに何かをする必要があるのか、それとも、このまま何とかしのげるのでしょうか? それを自ら決めるためには単に「4号機が危ない」というだけではなく、「なぜ4号機は危ないのか」をキチンと示す必要があります。論説やネットで「4号機が危ない」と言っておられる方の内容を理解しようとしたのですが、どれも科学的に十分な説明がありませんでした。科学というのは、自分の意見、恐れ、希望などとは違い、万人が理性的に納得できなければならないからです。「おまえは知識がないから、判らなくて当然だ」というのは科学ではありません。・・・・・・・・・原発というのは原子炉の中で「核反応」が起こるものです。この「核反応」というのは難しいことのように思いますが、薪が燃える「化学反応」と同じものです。ただ、薪が燃えるのは大昔からのもので、ウランが燃えるのはキュリー夫人が見つけたもの(核の変化)なので、100年ほど前という新しいので、それを区別するために分けているだけです。「燃える」という言葉を「なにかが変化して熱を出す」ということで言えば、「薪を燃やす、ウランを燃やす」と言っても間違ってはいません。さて、薪を燃やすと、熱だけではなく煙やCO2(二酸化炭素)を出すように、ウランも燃えると「死の灰」を出します。薪を燃やしてできる煙も少し毒性がありますし、タバコの煙もその一種ですが、ウランを燃やしてできる死の灰はそれよりかなり毒性が強いので、問題になっているのです。でも、薪が燃えている時に火を消すと、灰は残りますが、煙たいことはなくなるように、ウランも火を消すと死の灰は残りますが、燃えているときに比べるとずっと安全になります。そして薪の火を消すて暫くするとすっかり冷えて、片付けられるように、ウランも火を消して暫く(かなり長いが)すると冷えて、これも片付けられるようになります。・・・・・・・・・あまりに簡単なことを説明しているようですが、実はこのような基礎的なことを間違えて解説している専門家もおられます。たとえば、「福島のセシウムにヨウ素が入っていないから、原発からではない」などがそれにあたりますが、原発からだろうが、畑からだろうが、火が消えた時間が同じなら、残っているものも同じです。また、4号機が爆発したといわれますが、それが核爆発ならヨウ素が出るし、水素爆発や水蒸気爆発ならヨウ素は出ません。このような基本的なことをしっかり、完全に理解しておくことが「自分で判断する」にはもっとも大切なことなのです。・・・・・・・・・少し長くなりましたから、ここで次に回します。ところで、福島のセシウムは相変わらず高い状態が続いていて、最新のデータでも、セシウム合計で60ベクレル(平方メートルあたり)もあります。この状態は10月11月とはまったく違います。少し緩い警戒を続けてください。(平成24年1月15日)武田邦彦
2012年01月15日
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なぜ、消費税を上げなければならないのか?北海道のある町で10年前、風車を作ることになった。その頃、「自然エネルギーは再生可能だ」という話がもてはやされ、テレビや新聞は「風車が良い、太陽光発電は無限だ」と言った。やがてその話は北海道の町にも届き、国から1億円、地元で1億円を出して風車を作った。2億円は簡単に言えば「国民の税金」である。そして毎年、およそ600万円の経費がかかり、600万円の収入があった。つまり、2億円を投資してまったく回収できずに、2億円の税金は赤字のまま、運転をつづけていたのである。そして10年、風車は壊れ、さらに4000万円の出費が必要なことになった時点で、町はこの事業を中止し、風車が立っていたことを示すモニュメントが残る。・・・・・・・・・細かいことはあるけれど、簡単に言うと、エネルギー消費というのはおおよそ「値段」に比例する。多くのエネルギーを使うものは高い値段になるし、エネルギーをほとんど使わずにできるものは安い。そこに使う材料も、もともと地下に眠っていた石油や鉄鉱石は「ゼロ円」であり、それにどのぐらいのエネルギーをかけるかによって値段が決まるから、結局、ザッと言えば、「経費=エネルギー」として良い。まず、風車はエネルギーの節約になったのか?建設費2億円+維持費0.6億円=2.6億円 に対して、生産されたエネルギー0.6億円 だから、差引2億円分のエネルギーと税金がムダになった。町はまだつぶれていないが、民間ならつぶれているだろう。つまり、補助金を出した政府も町も責任を取らないので、その責任は2億円を分担した国民が取ったことになる。では得をした人は誰か? まず風車を設計し販売した会社や団体(マスコミに風車が良いと宣伝し、役所に政策にするために働きかけた人たち)、それに自然エネルーが優れているという記事を書いて販売量を増やした新聞、「自然エネルギー管理団体」のような天下り団体に行ったお役人などである。東大の先生は何回か環境省と経産省の依頼を受けてデンマークの風車の「視察」に行き、そこでワインを飲んで帰ってきた。国の事業はその94%が赤字である。つまり国民が事業の失敗の責任を取らされている。税金が増えること、それは「外交、軍事、国土整備など」の特殊な分野を除けば、単に民間の事業を圧迫し、創造性は無いが役所にゴマをすることに優れている人と役人の生活を豊かにするにすぎない。それでも、それが将来の日本を作っていくなら別だが、民間の活力をそぎ、不当な利益を追求する日本を作るだけである。なぜ、消費税を上げなければならないのか? なぜiPhone(創造的な新事業)が日本では生まれないのか? そのことについて、すでに野党が全滅し、オール与党、大政翼賛になった現在、日本の専門家やメディアは「納税者のために」深く切り込み、それによって子供たちの未来を豊かなものにしていかなければならないだろう。お金は決して人生に幸福をもたらさない。頭の良い人は他人をダマして税金を取り上げることは容易である。でも、誰か、魂を持ち、自分のお金のためではなく、日本人として日本の将来のためにだけ生きる人は現れないのだろうか? その人は幸福感をもって人生を終わることができるのに・・・(平成24年1月15日(日))武田邦彦
2012年01月15日
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「日本独自」の「科学的政策」今回の原発の事故が、実は「日本独自の科学的政策」が原因しているということは今はまだあまり指摘されていません。原発に関する日本独自の科学的政策とは次のようなものでした。•1) 原発が「危険」で「安全」という矛盾した政策を採り、「安全だが東京のそばには作らず、僻地の海岸線に作る」という方針を採用した。さらに、内陸の乾燥地帯で設計された原発をそのまましようした。•2) 従って、震度6にも耐えられず、津波はもちろん「海水面の静かな上昇」でも大事故を起こすような原発が誕生した。多重防御とか、固有安全性というのも言葉だけで実質がなかった。•3) 危険なので僻地に作り、さらに危険手当を地元に出しているのに、同時に「原発は安全である」という御札を床の間に貼り、首相から大臣、知事、市長、専門家、マスコミに至るまで「安全」を唱えた。「偉い人がウソをつくのは当然だ」という文化もあるように見える。•4) 原発に反対する人もいたが、国民全体としては自民党を支持し(自民党は原発推進)、同時に廃棄物の貯蔵所をいやがった。原発を推進するということは廃棄物が生じることは当然である。その結果、世界430基の原発の内、通常運転時に大事故(福島第一)を起こしたのは日本が最初、また震度6の地震で100%破壊したのも日本だけで、とても恥ずかしいことですが、それは「日本独自」が「科学的根拠を持たない」ということによっています。日本はこれからこの大きな欠陥を修復できるのでしょうか?・・・・・・・・・しかし、このような科学的政策が「日本独自」になるのは、原発ばかりではありません。空気を大切にする国民性、自信たっぷりに国民を指導するマスメディア、学問よりもお金と栄達を望む東大教授・・・これらの複合作用だからです。•● 温暖化政策で、京都議定書を締結した1997年を基準にCO2の削減を実施しているのは日本だけ。•● リサイクルで資源が節約できるとしながら、「分別した後、まとめて焼却」をしてもリサイクルに分類しているのは日本だけ(ヨーロッパは焼却してもリサイクルに分類するのは不誠実であるとして禁止している。この結果、日本ではリサイクル率が国際的に突出している。)•● 企業の技術としての省エネ技術ではなく、国民の省エネを強制しているのは日本だけ(アメリカのエネルギー消費は日本の2倍以上で、省エネはしていない。環境を大切にしているという北欧のスウェーデンも日常生活では省エネを強制していない。「石油石炭がまもなく無くなる」というのも日本独自。)•● 「元気で長寿」という状態が生まれれば(日本は寿命は世界一)、高齢者の人口は増えるのだから、社会的な負担が増える。人口分布の変化を科学的に計算せずに年金を運営し、大きな赤字国債の要因の一つとなる。•● 赤字国債を大量に発行し、国の借金は世界一になり、そのお金を補助金に出して民間活力をそぐという科学的に見て不合理な政策を続ける。これらの一つ一つには膨大な「利権にもとづく屁理屈」がついているので、なかなかそれを無くして明るい将来性のある日本を取り戻すのは時間がかかりますが、少しずつでも「あまりに日本独自」という政策を見直す時でもあると思います。(平成24年1月14日)武田邦彦
2012年01月14日
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セシウムの降下と4号機問題暮れから正月にかけて、福島のセシウムが急増し、千葉も50メガベクレル(1平方キロメートルあたり)が観測されました。他の都府県はほとんどデータを出していないので、データ不足ではありますが、要警戒であることは間違いありません。1月2日には400メガベクレルを超える降下物がありましたが、単純にこれを平方メートルにすると400ベクレルです。「1平方メートル」といえば、1メートル×1メートルですから、キャベツならせいぜい4つというところです。そこに1日で400ベクレルのセシウムが降ってくるのですから、1つのキャベツあたり100ベクレル・・・これは今度の新しい食品規制に触れる量です。しかも1日でそれだけ降るのですから、1ヶ月、キャベツを植えておくと、到底、出荷できない量ということになります。・・・・・・・・・これが最新のデータですが、なかなか減らないのです。11月の状態と比較すると格段と違い、これを放置することはできないレベルにあります。福島から北関東、宮城の人は、マスク、洗濯物は屋内、家に入るときには服を叩いて入る、などの注意を継続することと、そのうち、葉物野菜、水道(川に落ちるから)に注意が必要です。このデータには4つの問題があります。まず、発表が2日遅れるので「セシウムを吸ってしまってからデータが判る」ということと、「この測定点がもっとも高いセシウムなのかが不明。2倍、3倍のところがある可能性がある」ということ、さらには「原因が不明で防御しにくい」とか、「地表に近いところで呼吸する子供はさらに危険」などがあります。9月から11月までほとんど飛散しなかったのですから、何が何でも、原因を特定し、範囲を限定し、多くの人たちが安心して暮らすことができるようにしなければなりません。また、空気中にセシウムがあり、それが降下しているのですから、かならず野菜や水道に影響がでるので、それもこまめに発表することです。「危険を煽る」と言いますが、「危険そうなのにデータを出さない」というのがもっとも不安を煽ることになります。是非、政府、自治体、報道、専門団体は方向を転換し、国民の被曝量を減らすように情報発信をお願いします。今回の場合も、セシウムの粒径、セシウム以外の微量核種の分析値などがあれば、かなり判るのですが、何しろデータ不足で解析がもう一つ十分にいかない。残念です。もし詳細なデータがあれば、どこから来たか、マスクはどうすれば良いか、洗濯物は・・・と正確なアドバイスができるのですが。私が国立環境研究所にでもいれば、これまで税金で研究をさせていただいた恩返しに、積極的にデータを出すのですが。・・・・・・・・・4号機の状態を詳しく調べていますが、どうしても「逃げなければならないほど危険な状態」であるとは思えないのです。3月の放射性物質の飛散にくらべて、10分の1、100分の1というのはあり得るのですが、「日本がダメになる」とか「関東一円が待避区域」ということにはならないと考えられます。でも、「危険だ」と言っておられる人のなかに専門家の方もおられるので、その理由をよく聞いたり調べたりしているのですが、これまで4月から12月まで「危ない、危ない」と言われていた状態とは基本的には変わっていません。詳しくは数日内にブログに書く予定ですが、1)4号機の核分裂は2010年11月に終わっている、2)再臨界が起こっても原発外に影響が及ぶことはない、3)崩壊しても3月の放出量の10分の1を超えない、と思います。本当の安心を得るためには、どれもこれも危険と言ってはダメで、本当に危険が来たときに言わないといけないからとても難しいのです。私の家族が北茨城に住んでいても、「4号機は大丈夫。でも3月に降った量が多いので、できれば移動した方がよい」と言うでしょう。完全に核心が得られるまでもう少し待ってください。それまでは大丈夫です。(平成24年1月13日(金))武田邦彦
2012年01月13日
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科学と独自の見解科学は2つの面を持っています。一つが、これまでの学問の積み重ねの中でおおよそ確定したと考えられるものを体系化したものです。もう一つは、新しい独自の見解で、これも学問の発展や学問の自由で欠かせないことです。研究者個人が自由な発想で研究し発表するのはとても良いことなのですが、社会と直接関係している場合は制限があります.その制限のもっとも大きなことは「これまでのことを示してから、自分独自の見解を示す」ということです。特に社会に言うときには、社会は必ずしも専門家だけではありませんから、まずは「これまで標準とされてきたこと」を説明し、それに対して自分の見解は、これまでのどこが間違っていたということも含めて示すことになります。当然のことですが、科学は政治、利権、名誉、お金、嫉妬などとは無縁なので、このような「人間的なこと」を排除することも科学者の最低の倫理と言うべきでしょう。・・・・・・・・・ところで、私はよく「武田独自」と言われます。でも私は伝統的な科学者なので、まずは「これまで標準とされてきたこと」を言い、それに反することでも結構だが、その理由を聞かせて貰いたいというスタンスです。以下にその例を示してみます。•1. 被曝限度 日本人を被曝から守るために、日本の法律、規則、規制、指針などで、2011年3月11日までは、一般国民は1年1ミリまで、事故を起こしたときに事故が1万年に1度程度なら1年5ミリまでは許される、ということでした。従って、1年1ミリは私の独自の見解ではありません。このことを記載しない場合、国民が被曝の危険性に晒されますから、1年1ミリ以外のことを言う人は自ら科学者としての責任を取らなければならないでしょう。•2. 南極の氷学問的には氷は、「温度が上がったら融ける」のではなく、「0℃を超えると融ける」ということです。従って、学問的には南極の氷はマイナス40℃ですから、気温が3℃や5℃上がっても融けることはありません。また、国連のIPCC(温暖化に関する政府間パネル)の最新報告(2007年)では、「南極の気温は低温で、降雪が増えるので、気温が上がると氷が増える」と明記されています。従って、温暖化して南極の氷が融けると言った科学者はそれによって起こる損害に対して責任を持たなければなりません。3. ダイオキシンダイオキシンは水俣病などの教訓を活かした「予防原則(1992年リオデジャネイロ合意)」で「科学的な因果関係は不明だが、臨時に規制する」という概念です。従って、「ダイオキシンは猛毒だ」という科学者はダイオキシンの規制によって発生した金銭的損害(1年1800億円の税金と言われる)に対して責任があると考えられます。(予防原則である=人間にたいした毒性に関するデータは無かった、と言えばOKです。)•4. リサイクル学問的には19世紀中盤から「エントロピー増大の原理」が認められていて、リサイクルを行うことは物質やエネルギーを余計に使うことになります。したがって、リサイクルが資源の節約になると主張する人は、エントロピーが増大しないか、エントロピー増大の原理が間違っていることを実証する必要があります。私たち科学者は相手が一般人で科学を知らないからという理由で、これまで確立されたものを否定するには慎重でなければなりません。特に、今問題になっている被曝などについては、「1年1ミリ」が国民が作り、国民を守るための法律ですから、それに違反する科学者はよくよく考えてください。(音声)「takeda_20120112no.403-(9:10).mp3」をダウンロード(平成24年1月12日)武田邦彦
2012年01月12日
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福島県民は日本人ですか?大変、失礼な言葉ですが、福島のある首長さんが言われた言葉なので、そのまま表現しました。日本人は、日本の法律で1年1ミリシーベルトを被曝限度とすることで、「日本人」を被曝から守ってきました。その点では、1年1ミリシーベルトを超えている福島に政府は除染もしないのですから、論理的には福島県民は日本人ではないと言うことになります。また安全委員会は「1年5ミリ以上を「著しい被曝のリスク」として、10万年に1度なら5ミリにする」という決定を自らしていたのに、それは国民全体では無かったと言うことです。その意味では、東京の人が日本人で、福島県民も新潟県民も日本人ではありません。日本人にA級(東京)、B級(福島と新潟)と区別するからこそ、東京で使う電気を福島と新潟で作っているのです。東京に原発を作ると、東京の人を1年1ミリで守ることができず、それは法律で日本人を守るということにならないからです。今回、セシウムの降下物量が50倍にも増えても政府は警告を出さないのですから、ハッキリと国民をA級とB級に分けて、それを報道も容認していることを示しています。イヤな日本になったものです。「絆」などという怪しげな言葉が出てくるのは、国民を二つに分けたことを隠すためでしょう。また、1年1ミリが法律であること、ICRPは任意団体でECRRと同じであることを隠していた人も、早く「日本人の絆」を感じて、修正してください。(音声あり)「takeda_20120111no.401-(7:35).mp3」をダウンロード(平成24年1月11日)武田邦彦
2012年01月12日
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緊急速報 セシウム降下物の状態と危険性の推定(千葉の降下物のデータを一番下に示しました)今日は、セシウム降下物の状態と、その危険性の推定を行いました。結論としては、今日ぐらいから下がると思っていましたが(実際には2日遅れになる)、また増えてきましたので、残念ながら、あと1週間は様子をみなければなりません。福島の人は注意をして、1)マスク、2)洗濯物を家の中に干し、3)外出は避ける、4)外出から帰るときには玄関先で服をはたく、という程度の注意をしてください。被曝量の増加は1年間で0.1ミリシーベルトぐらいが足されることになります。北関東から東京、神奈川の人、宮城の人は、風の強い日はマスク、洗濯物は外に干した場合、取り込むときに叩く、外出はOKという感じです。マスクは花粉用で一応OKとも考えられますが、専門家の方から微小な浮遊物も入っているとのご指摘もあり、万全を期するためにはN95ということになります。・・・・・・・・・(以下、データと計算)・・・・・・・・1月2日に400(メガベクレル/平方キロ)を超えた定時降下物は1月5日には28まで下がりましたので、大丈夫かと思っていましたら、また上がってきて1月8日には137へと増えています。この値を11月のはじめの安定していた8日間と比較してみると、下の表にあるように全く違います。11月はじめにはセシウムの合計が、4,0,0,0、0、5、14,4と、観測される日で4とか5、多い日で14です(検出せず=0としている)。それに対して、1月は、0,432,126,45,28,72、91、137ですから、これは、たとえこの後、0になったとしても一応、警報を出さなければならないのは当然です。従って、残念ながら、発表が2日遅れで、「花粉予想」のような「セシウム予報」が出ない状態では、国民は万が一、高くなる可能性を考えてマスク、洗濯物などを注意しなければなりません。・・・・・・・・・それでは、この程度のセシウムが問題になるかどうかを検討します。メールでは「空間線量が上がらない」というものもありますが、定時降下物が高くなったから、すぐ空間線量が上がるわけではありません。定時降下物が高いということは、空気中にセシウムが浮遊しているということです。従って呼吸で肺に入ったり、洗濯物に付着して室内に持ち込まれるということが問題です。これについては、一応、福島市付近で空間線量率が1マイクロシーベルト、空気中ダスト0.1ベクレル/立方メートル、土壌10万ベクレル/平方メートルのところを基準にして考えてみます。また定時降下物の量は若干増えることを予想して500メガベクレル/平方キロを基準にしました。学問的には、地表面汚染密度(ベクレル/平方メートル)に再浮遊率(1/m)をかけて、空気中の放射性物質の量を出すのですが、この場合、メカニズムが異なる可能性があるので(土壌からの飛散だけとは考えにくい)、実績を比例して考えてみます。通常では1日の降下量が1から10ぐらいなのに、その500倍から50倍になっているので、土壌が1万ベクレルの時に空気中のダストが0.5ベクレルになるとします。呼吸量は1日で22立方メートルですから、11ベクレルになり、内部被曝量は1年間で0.11ミリシーベルトになります。つまり、今までの被曝量にさらに1年間0.1ミリシーベルトの加算になるということです。1年1ミリが日本の法律ですから、その10%になり、これは「注意を要する量」ということになりますので、報道機関は今後、500メガベクレルぐらいになる(1月2日のように)と予想される時には「セシウム予報」を出してください。普通の人はセシウム濃度の変化を監視しているほどには暇がなく、そのために受信料や購読料を払っているのですから、報道は「危険か危険では無いか」という「意見」をあまり持たずに、事実を淡々と知らせて欲しいものです。(添付を忘れていましたので、千葉の測定値を貼りました)(平成24年1月11日)武田邦彦
2012年01月11日
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緊急速報 セシウム降下物が急増した原因 年末年始にセシウム降下物が急増したことで、生活を送る上では「緩い警戒」が必要です。その後の状態はまたの機会に紹介するとして、今日は「原因」について整理をしてみました。今のところ、マスクは必要。外出は少し控えて、すんでいるところの移動は不要。洗濯は外の干して良いが、取り込むときにはたいて取り込む、どうやら幼稚園、小学校は行かせて良いが、帰ってきたらシャワーと服の洗濯が必要というぐらいです。・・・・・・・・・ このブログでは、事実を良く認識し、最初の対策を取ってから原因を調べた方がよい・・・火事が起きたらまず逃げることが大切で、火元がどこかを調べるのは後でよいいといいました。でも、ある時点では火元や原因を知った方がより正しい対策を講じることができます。 まず、第一に「新しくできた放射性物質か」、それとも「3月11日までに作られた放射性物質か」を判断することから始めます。すでに6月から不検出が続いています。6月というと事故からすでに60日以上経っています。福島原発では事故直後に原子炉に制御棒を差し込んで核爆発を止めていますから、その後に「新しい元素」は生産されません。あとは、半減期にそって減っていくだけです。 ヨウ素の半減期は8日ですから、6月には最初の300分の1ぐらいに減っています。最初の降下量は1日3000メガベクレル(1平方キロメートルあたり)ぐらいだったと推定されますので、すでに10メガ以下になっていると思われます。 一方、セシウムは2つの同位体があり、134の方が半減期が短いので、もし、「特別ではないところからやってきたセシウム」なら、セシウム137が少し多く、その比率がだんだん大きくなってきているはずです。そこで、(セシウム137÷セシウム134)の比率を計算してみました。 その結果、4月の1.09から始まり、月を重ねるごとに少しずつ上がって、12月には1.35まで増えています。そして1月に急激に増えた時の比率は、1.38ですから、「事故で核爆発を止めた福島原発のもの」であると一応、結論することができるでしょう。 ちなみに、原子炉の中(たとえば2号機)からか外(福島市街地)からかは元素の比率から見ても判りません。核爆発(原子炉運転中)によって新しい元素ができますが、原子炉が止まってしまえば、「内」も「外」も同じだからです。 時に、「ヨウ素があったら原子炉からでてきたもの、なければ二次飛散(一度、土やコンクリートに落ちたものが再び風で舞う」と言っている人もおられるようですが、原子炉が動いている時には日々、核爆発(核反応、臨界などどれでも良いが、核爆発がもっとも正確な表現(注あり))しているので、半減期の短い元素もできるのですが、反応を止めてしまえば、そこから減るだけですから、その場所が原子炉の中でも外でも同じだからです。 その意味では、3月から「なかの原発」と「そとの原発」の二つに分かれ、「なかの原発」が福島第一原子炉内で、「そとの原発」が福島県を中心とした汚染地帯ということですから、どちらから飛んできても元素の構成は同じです。 しかし、決定的に違う点があると思います。それは「降ってきたセシウムの粒径」です。原子炉から直接、飛んでくる「死の灰」の粒径はおよそ0.3ミクロンメートルから30ぐらいと考えられます。つまり比較的「小さい粒」です。 これに対して、一度、土の上に落ちたセシウムは土の粒子を結合したり、付着しているので、二次的に飛散する場合は、粒径が大きくなり、1ミクロン以下のものはほとんど無いと考えられます。従って、粒径分布を見ればわかるのですが、まだ、私は降下物の粒径分布の測定値を見ていないので判りません。 このことは「防御する」ためには非常に重要です。つまり、原子炉から相変わらず漏れているなら、N95のマスクが必要ですし、もし二次飛散なら普通のマスクで十分だからです。 もしも東電が真面目な会社で反省していれば、福島の人を少しでも被曝させたくないと考えるでしょうから、原発からの漏れを毎日、詳細に出すはずです。でも、記者会見で記者の人の質問に答えて「二次飛散じゃないですか」と冷たく言い放っているぐらいですから、どうにもなりません。この意味からも東電は相変わらず国民を被曝させるのに懸命ですから、犯罪者でしょう。 ・・・・・・・・・ 福島の土地に落ちたものが再び舞い上がるには、「乾燥した日で風の強い日」に定時降下物が増えるはずですが、これまで数回にわたって高い値が観測されたものを調べてみますと、風との関係がほとんど見られません。このグラフはネットからいただいたもの(いつものように多くの人の健康に関するので、お断りして使わせていただいています)ですが、雨の日は少ないのですが、風との関係が見られないのです。 そこで、今日のところは、次のようなことがわかります。 •1) 空気中に飛散しているセシウムは、福島原発由来のものである、 •2) 原発から直接でているのか、一度、大地に落ちたものかは粒径が不明なのでまだわからない、 •3) 原発からならN95、二次飛散なら花粉用のマスクで十分です。花粉用のマスクの方が孔が小さいので、呼吸はずっと楽と思います、 •4) 雨が降ったときには飛散しないが、風の強さとか関係がない(理由不明)、 •5) 国や県の発表が2日遅れるので、今後、1週間ぐらいはマスクが必要、 ということになります。 明日、時間がとれれば、マスクをしないで吸い込んだときに、どのぐらいの被曝になるかの計算を出すつもりです。 (平成24年1月10日(火)) (注) 核爆発=状態を表現している工学的表現 核反応=化学反応を表現する理学的表現 臨界 =状態ではなく、限度を表現する質的に異なる用語。 武田邦彦
2012年01月10日
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昨年の沢山の苦難の年、今年は困難な年になりそうである。 この国の政治、財界、メディアは確実にメルトダウンしてしまった。政治家は国民を無視して暴走している、まず自らが身を切り国民に問わなくてはならない。財界は政治家と結託して自社の製品だけ消費税なしで行こうとしている、製品が売れれば消費税分が政府からバックされるというのが現状なのである。。新聞社は新聞代に消費税を掛けないことで政府と話を付けようとしている。 どうしてこんな国になったのか、国民は人のことはどうでも良いらしい、自分に火の粉がかかってくるとやかましく騒ぎ立てるのだ。だが、そうとばかりは言えない。危機に対しての本能が欠落しているのだ。馬鹿な総理が何をやってもデモの一つもやらないとは、放射能が降りかかっていても自分だけは絶体に死なないと思っている脳天気な人たちがなんと多いことか。つまり、自分の未来を絵図にする頭の働きもないと言うことなのである。最早生きている屍なのである。人間としての美徳を忘れ、嫌、なくしているのだ。 嫌な国になってしまった。ニュースを見ている血圧が上がって仕方がない。嘘で固めたもので真実が見えない。新聞はもう何年も前から取っていないが時にテレビのニュース見てのことだ。世間の動きはすべてインターネットから摂取しているのだが、ここにも金で踊らされた人たちによるご用情報を流す輩がいる。 今注目しているの大阪市長の橋元氏くらいである。総理は何をやっても責任を問われないが橋元氏は市長なので責任を追及される。どうも総理の体たらくは責任を取らなくて良いと言うところから来ている。低能の鳩山、性格破綻者の菅、腹黒い無知者の野田、こうも低次元の総理が続くとあほらしくなってつきあいきれない。 書く気力がなくなった。 自分の命は自分で守らなくてはならない。それだけは言えそうだある。 2012/1/10 悠
2012年01月09日
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緊急速報 セシウム降下物とこれまでの状態と今日(2012年1月8日)(音声を追加しました)福島を中心にして急激に増えた放射性セシウムの降下量は少し落ち着いてきましたが、まだ安心できる状態ではありません。そこで、今後のこともあるので、過去のデータとの比較を行って、よく考えてみました。まず、12月から新年までの平均値を調べてみると、11月は1日で12メガベクレル(1平方キロメートルあたり)、12月は メガベクレル、そして1月5日までの平均が メガベクレルと1日あたりの平均は11月から急激に上がっています。7月まで減少してきたセシウム降下量は8月から11月まではほとんど1日10メガベクレル程度でしたが、12月の後半から上がり始めています。原発が安定し、3月と4月に福島に降ったセシウムが、道路にへばりつき、土の中に潜ったとされています。「除染しても効果が少ない。その理由はセシウムが少し潜り込んだからだ」と言われています。それなのに、このように急激に上昇しているので、警戒が必要です。それでは12月の状態をグラフで見てみます。縦軸の単位が上手く入らず、単位は1日あたりのセシウム134と137の合計値(1平方キロメートルあたりのメガベクレル)です。また横軸は12月の日にちですが、32日目は1月1日、33日とは1月2日を示しています。上手くグラフの横軸が触れなかったのですが、情報開示が急がれるので、そのまま出しました。このグラフを見れば、増えてきた12月といえども、暮れから正月にかけてのセシウム降下物は異常な状態であることが判ります。でも、昨日までは少しずつ減っていたので、このまま減っていって欲しいと思っていましたが、それほどは甘くありませんでした。いったん17まで下がったのに、また40ぐらいまであがったのです。これは本日、発表されたセシウム降下量で、また少し上がっています。福島県が発表してくれているので良いのですが、文科省は1ヶ月後になりますから、被曝してからの発表となります。・・・・・・ところで、一番多かった1月2日の約500メガベクレルですが、これは5億ベクレルになります。一方、1平方キロメートルは100万平方メートルですから、一日で1平方メートルあたり500ベクレルのセシウムが蓄積していきます。この程度なら一日で危険ということはありませんが、80日過ぎると、電離放射線障害防止規則第28条で決められているとおり、「危険だから東電が除染しなければならない」というレベルに達します。(法律の適応範囲は別にして、「実質的に危険な領域に達する」と言うことになります。・・・・・・・・・私が警戒を呼びかけているのは、第一に放射性セシウムが空から降ってきているのですから、内部被曝をする可能性があるということ、第二に徐々に増えているので、このまま2月になってさらに増えたら危険になるので何らかの準備が必要だということ、そして第三にこの時期にセシウム降下量が増える原因が見あたらない(人為的なことは別にして)ということです。発表が2日遅れで「被曝してから知る」という時間的なことにも注意が必要で、そのために少し警戒しています。判らないときには弱く警戒するというのがリスクを防ぐ王道ですから、慌てることなく、それでいて慎重に構えて1日10メガぐらいに下がるまで、暫く様子を見ましょう。なにしろ空気中をセシウムがうろうろしているのですから、子供さんの被曝に注意が必要です。また、ものすごい量の放射性物質が原発の近くで出ているというデータ(下の地図で見にくいと思います)もあるので、心配されている方も多いのですが、少しデータがおかしいので、今、問い合わせています。あまりこのようなデータをそのまま受け取って心配する必要はありません。「takeda_20120108no.399-(7:26).mp3」をダウンロード(平成24年1月8日)武田邦彦
2012年01月08日
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緊急速報 データの見方(セシウム降下量は落ち着いて来ているようですが、本日、具体的なデータはもう一度検討します。その間、データの見方について簡単に書きました)今回のセシウム降下物が増えたことについて、どのようにデータを見たらよいかについて、急いで解説をしておきます。読者の方には大変失礼ですが、私がいつも学生に注意していることが中心になります。学生は、科学的な研究を始めて経験するので、どうしても「人間的」にデータをみる傾向があります。主な注意点は、1)自分の意見や損得でデータを取捨選択する、2)最初からデータが間違っているといって除く、3)有効桁(説明します)の意味を理解していない、の3つです。・・・・・・・・・学生が一所懸命、卒業研究をしてきて、おおよその見当がついてきた12月頃、それまで積み重ねてきた結果と違う実験データが出てくると、きまって「おかしなデータが出たので、間違いと思います」と言って来ます。彼(学生)が「間違っている」と思うのは、データを科学的に見て言っているのではなく、「卒業までわずかなのに、こんな時期にこれまでのデータと矛盾するデータが出てきて貰っては困る」ということでもあります。でも「彼の卒業」と「実験データ」は何の関係もないので、本当は心を強くして真正面から「卒業できなくてもいいや。科学が大切だから」と思えば良いのですが、そんな心の強さを持っている学生にはまだ会ったことがありません。実に難しいことです。今回のセシウムのデータでも、「騒ぎになるから」とか、「まだデータが確定していないから」とか、いろいろな邪念がわくのですが、それと科学的なデータの結果を切り離すのはそれなりに訓練がいるようです。第二に、データを見るときには誰でも事前にある「つもり」があります。よくよく考えますと、「判らないからデータをとる」のですから、自分のつもりに合致したデータがでるなら、もともとデータをとる必要はないのです。つまり、どちらかというと、自分が「データはこうなるだろう」という「つもり」と逆のデータがでるときが、もっとも価値のあるときなのですが、人間は面倒だったり、考えるのがイヤだったり、思惑があったりしますので、自分のつもりにあったデータの方を喜ぶ傾向があります。そこで、「つもり」と違うデータがでると学生は「間違っている」と言います。なぜ間違っているのか?と聞きますと、「こんなデータが出るはずがない」と言います。出るはずのないデータがでるのが良いのですが、逆のことを言うのが普通です。学生が「出るはずがない」というのは時々、データに「間違い」があるからです。確かにデータには間違いがあります。間違いというか、データはある意味ではすべて正しいのですが、本人が考えている条件でデータがとれているかどうかが問題だからです。今回のケースでは12月25日ぐらいに測定器を誰かがセシウムで汚れた手で触ったかも知れません。その場合でも、データは正しいのですが、「降下物を測る」という条件にはなっていないということです。データが間違っているかは、すぐに結論を出さず、とにかく最初は「正しい」と思って処理をすること、これが大切ですが、学生はほとんどsの勇気がありません。・・・・・・・・・第三の問題は、「有効桁」の問題です。科学には、単に1ベクレル、2ベクレルというように「一桁」しか判らない場合と、1.4ベクレル、3.5ベクレルというように「二桁」まで判る場合があります。今度の場合、文科省や福島県は、252ベクレルなどと3桁まで書いていますので、測定の精度は3桁までは大丈夫ということになります。その場合は、3桁同士のデータを足したり引いたりできることになります。つまり、自分で測定したデータを示すときには、「測定精度」を考えて、単に3ベクレルとか、5.4285ベクレルなどと示します。でも、学生が、5.4285ベクレルと言うと、私が「えっ!5桁も精度があるの?」と聞きますと、「いえ、38ベクレルを7日で割ったらそうなりました」と答えます。その場合は、38、つまり2桁しかわからないのですから、5.4ベクレルとしなければならないということです。今回の場合、もし、252メガベクレルという数値を私が整理したら、「そんなところまで判らない」という人が出てくると思いますが、示された数値を有効として考えるのが科学の約束です。これを有効桁などと呼んでいます。少なくとも通常は、252メガベクレルと言ったら、最後の2には誤差が入っていても25には誤差はないとしなければなりません。・・・・・・・・・このことから今回のセシウムの場合、•1) まずは、データは正しいとする、•2) 3桁ぐらいまでは読んでも良い、•3) 定時降下物と呼ぶ限りは、定時降下物と思って良い、•4) 従って、8月以来、異常な状態である、と結論して最初は考えるべきであることがわかります。音声付きです。「takeda_20120108no.398-(8:39).mp3」をダウンロード(平成24年1月8日(日))武田邦彦
2012年01月08日
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文科省、明日、明後日のデータの公表を中止?福島、千葉を中心とする異常なセシウム降下物について、文科省は昨日夜遅く、「土日は公表せず」と発表した。その理由は、「値が変わっていないから」という。12月終わりから1月にかけてのセシウム降下量は大幅に変わっている。12月までほとんど「検出せず」というデータが6月頃から出ていたのに、急に大幅に変わった。それなのに「変化がないから」というまったく違う理由を構えた。まったく事実と違うので、しばらく注意をしてください。今、情報を集めていますが、たいしたことはないか、それともなにかしなければならないのか、はっきりするまで注意をしてください。ときどき、大きな値を示すことはあるのですが、それは原因があり、大きな値は健康には影響があります。どうもデータ自身には誤りはないようです。警戒だけしておいてください。(平成24年1月7日(土) 午前0時)武田邦彦
2012年01月08日
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2012議論を要する問題 再生可能エネルギーと持続性社会学生さんから二つの質問がありました。エネルギーは再生できるかということと、持続性社会は成立するかということです。このことについて音声でお答えします。「takeda_20120106no.393-(6:47).mp3」をダウンロード「takeda_20120106no.394-(4:09).mp3」をダウンロード(平成24年1月6日(金))武田邦彦
2012年01月07日
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緊急憤激 東電は日本から出て行ってください事故で引責辞任した東電社長の退職金 2億円事故で電気代を上げる権利があると言った東電役員4万ベクレルを超えるのに掃除に来ない東電と九電力「定時降下物とは何ですか?」と聞く東電記者会見日本人は「悪かった」と謝らなければ許されない社会に住んでいます。交通事故や産業の事故とあまりに違うのに、記者(新聞、テレビ)が低姿勢!!(音声です)(平成24年1月6日 午後7時)「takeda_20120106no.386-(7:27).mp3」をダウンロード武田邦彦
2012年01月07日
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緊急速報 セシウム降下と4号機12月29日、30日と高かった福島市のセシウム降下量は、いったん12月31日、1月1日と下がったものの、1月2日には「4月なみ(4月は福島からのデータはないので、茨城県北部のデータを参照した)」セシウムが降っている。この量が続けば3月、4月と同じだから一時避難しなければならない。ただ、今の段階で間違ってはいけないことがある。それは「原因を追及するのではなく、本当に3月4月なみのセシウムが降っているのか、なぜそれを政府が警告し、マスコミが報道しないのか?である。データは文科省の正式データ(報告は福島県らしい)であり、値は1日で252メガベクレル(1平方キロメートルあたり)だから、十分に警告を出して良いレベルだ。「2,3日、様子を見る」ということかも知れないが、危険な兆候は知らせてくれないと困る。被曝は足し算だから、直ちに逃げなくても良いが、マスク、外出抑制はまずして、学校の開校は時期をずらした方が良いだろう。また、本当ならまもなく水道も汚れてくるはずであるし、半月後には葉物野菜が汚染されるだろう。第二に重要なのは原因の追及より、セシウム降下の事実を調べることだ。たとえば、このように考えたら良い。火事が起きて家族のいる居間に火が移ろうとしている。その時に逃げる準備や火がどこまで迫っているかは大切だが、火元が台所か風呂場かは当面はあまり深く追究しても意味が無い。だいたいの方向が判れば良い。実は、私も「4号機が危ない」という情報があったので、それを調べていたら、どうも「セシウムが降ったのは4号機ではないか」と類推し、4号機の問題にすり替わったらしい。4号機かどうかなどは2,3日後でも間に合う。セシウムが降っているなら、それだけに注目し、逃げる準備が先である。4号機でも1号機でも、福島周辺からの2次汚染でも、同じことが起こる。でも、原因追及より、事実確認をすることが第二だ。もちろん、事実確認をしている内に被曝してはいけないから、ともかく危険なデータがでたら、即、準備をするべきだ。(平成24年1月6日 午後6時)武田邦彦
2012年01月06日
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速報 福島中心にセシウム急増 マスク必要!!文部科学省が1月6日に発表した福島県、並びに他県のデータを見ると、福島県および関東一円のセシウム降下量は、事故後とほぼ同じぐらいのレベルに達しています。原因は不明ですが、とりあえず、マスクをする必要があります。今、緊急に調べています。結果がでたらすぐブログに上げます。念のための措置ですが、お子さんをお持ちの方はあまり外に出ないように。データの信頼性もチェック中です。データは危険なレベルです。マスコミが報道していないのは不思議ですが、1平方キロメートルあたり100メガベクレルを超えていて、かなり危険です。逃げる必要はありませんが、マスクをして外出は避けてください。しばらく後に葉物野菜が汚染されます。(データが正しければ)(平成24年1月6日)武田邦彦
2012年01月06日
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原発安全神話?(1) つなみ「電気が欲しいから危険でも原発をやりたい」というのが政府、自治体、原子力関係者ですが、子供たちの日本、これからの日本の土地を大切にするために、私たちも「事実」をよく知って主導権をとれるようになっておかないと、子供たちを守ることはできません。 私は「安全な原発なら、そこで初めて原発を進めるかどうかを考えることになるけれど、危険な原発なら論外」という立場です。その意味では、私はどちらかというと「反原発」ではなく「反被曝」です。 今回から「誰でも判る原発の安全性」ということを目指して、少しずつ書いていきたいと思っています。まずは事故の起こった福島原発の状態から始めたいと思います。 ・・・・・・・・・ 福島原発は「つなみで破壊されて爆発した」とされています。政府も専門家もマスコミもそのように言っていて、だから「防潮堤を高くすれば安全」としていますが、それは錯覚です。 まず、福島原発の事故前の写真を見てください。「説明や言葉」ではなく、「事実」をゆっくりと自分が理解できる早さで納得することが大切だからです。 手前側が海(太平洋)で、陸には2つの長い建物(発電機が入っている)と、その奥に4つの箱形の建物(原子炉が入っている。白い色)があります。4つのうち、一番奥の建物は少し小さいのですが、これがかなり昔に建てた1号機です。そして煙突が3本見えます。 これが事故を起こした福島原発の肝心なところの「全部」ですが、つなみを防ぐ防潮堤はどこにあるのでしょうか? 「防潮堤でつなみを防ぐ」というのですから、原子炉が入っている4つの四角い建物より高い防潮堤があるように思いますが、実は防潮堤というのは海側にある細い堤防のことなのです。 えっ!と驚かれる人がいます。「防潮堤って、こんなに低いの?!」というワケです。でも、それで驚いてはいけません。さらに奇妙なことがあるのです。 この写真は事故がおこった後のものです。今度は海側の正面から見ていますが、手前が海で、写真の一番上(奥側)がもともと4つの白い箱形のたてものがあったのですが、爆発したので、右から2つめの建物だけが残っていて、残りの3ヶ(1号機、3号機、4号機のたてもの)はすっかり壊れて骨組みのようなものが見えるだけです。 そして中央部に見える2つの長い建物は無事で、元の場所にしっかり立っていますし、このぐらいの大きさで写真を見る限りでは、大きな破壊も受けていません。また長い建物の前にある円筒形の4つのタンクも、ほぼそのまま残っています。 ・・・・・・・・・ さて、この2枚の写真(事故前、事故後)をじっくり見て、つなみが襲ってきた瞬間を想像してみましょう。沖の方からやってきた津波はまず防潮堤にぶつかり、そこでいったん高い水しぶきをあげ、防潮堤を乗り越えて手前の長い建物にぶつかりました。その時には津波の勢いはそれほどでもなく、建物は破壊されませんでした。またこの建物は背が高いので津波は建物を超えなかったのです。 2つの長い建物は間にわずかな隙間がありますが、その向こうには原発のたてものはなく、4つの原発の建物には「つなみ」は襲っていないのです?! 写真を見せずに言葉で「津波が建物を襲って、建物が破壊した」というと、誰もが「建物に直接、津波が来て壊れた」と思いますが、この写真を見て判るように実は「つなみ」というものは原子炉の建物には来なかったのです。 ・・・・・・・・・ 2つの長い建物にぶつかった津波は、そこでいったん止まったのですが、次に建物を迂回してチョロチョロと原子炉のたてものの方に回り込みました。それはすでに「つなみ」というようなものではなく「水位」が上がって建物が「静かに水に浸かった」という状態だったと考えられます。 3番目の写真を見てみましょう。この写真は陸側から福島原発を見たもので、写真の海側にカニの手のように伸びているのが防潮堤で、写真の左が「北防潮堤」、カニの手の右が「南防潮堤」です。だから、もしこの防潮堤を数10メートルにしても、写真の左端の海岸線はなにも防御するものがないので、津波で高くなった海水面はそこから海水が悠々と進入するのは間違いないからです。 ・・・・・・・・・ 「福島はつなみでやられた。だから「想定外」である。防潮堤は5.7メートルだったが津波は15メートルだった」という「言葉の説明」だけで、多くの人は満足していまいした。 そして、テレビや新聞がさっぱり写真や津波が原発を襲った様子を報道しないし、専門家は写真を見せて解説しないので、「つなみが原因では無く、単なる浸水だった」、「浸水を防ぐ設計がされていなかった」、「多重防御と言っていたが、実は一つも防御が無かったようなものだった」ということの議論が起こらなかったのです。 「防潮堤を高くすれば原発は安全になる」という「解決策」は実にばからしく感じられます。でも、このことが国会でも堂々と説明され、議員はすっかり満足しているようでした。また九州の玄海原発の再開問題でも「津波さえ防ぐことができれば良い」ということで納得している人もおられます。 「事実を確認せず、科学的なつじつまも考えずに、言葉の説明だけですっかり納得してしまう」というのは、今から40年ほど前から日本社会に流行している特殊な精神状態のように思います。それはあるいは「大人としての責任感がない」のかもしれませんし、また日本社会が集団的な精神病的状態にあるのかも知れません。 なぜ、「いい大人」がこんなに単純な矛盾に疑問を持たないのか、それについてはおいおい検討をしていくこととして、原発の再開問題では常にこのことに気を配らないと日本の子供や日本の土地を守ることはできないでしょう。(なお、原発関係の写真などは被曝する人の健康に関することになるので、創造的作品ではなく事実そのもののものは一部、お断りをせずに使用させていただいています。) (平成24年1月5日) 武田邦彦
2012年01月05日
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南葛西第二小学校と教育の目的南葛西第二小学校は、2012年2月14日より3泊4日の日程で、福島県国立那須甲子(なつかし)青少年自然の家に児童を連れて行く計画を強行しようとしている。行く先の住所は、福島県西白河郡西郷村大字真舟字村火6-1で、放射性物質が落下した危険な場所である(那須と言えば栃木県だが、この場所はギリギリ福島県)。具体的には空間線量が1時間あたり0.25マイクロシーベルトの範囲にあり(学校では0.14という説明をしているが、児童が最大のところに行く可能性があることを考慮して上げる必要があるので)、外部被曝だけで1年2ミリに相当する。また文科省の土壌調査の結果では日本の法律で立ち入りが禁止される1平方メートルあたり4万ベクレルを超えている地域でもある。よく「福島に住んでいる人は被曝は仕方が無い」という意見もある。私はまったく違う考えで、日本人は誰もが東電のミスで被曝する義務があるとは考えていない。さらに、多くの東京の人が西の方に避難して少しでも被曝を減らそうとしている時に、「苦情を言わない子供だから」という理由で、より放射線の多いところに連れて行くのは、常識外れである。でも、おそらく日本の法律もこれまでの被曝を避ける指導もご存じないのだろう。また教育は政府と独立しているということも、文科省の締め付けの中で、普段の教育活動の中で取り入れにくい(つまりは教育基本法違反だが)と思う。まず第一に、日本の法律では、ここに示すように被曝をできるだけ減らすように努力を求められている。文科省、教育委員会、校長など、教育の主要な人たちは、これまで日本人を被曝から守ってきた法律を無視せず、子供たちを被曝させ無いようにしなければならない。那須よりも南にあり、いくらかは放射線量が少ない日光でも観光客は1日3000人が20人に減少した。つまり大人は自由意思だから日光はわざわざ出かけるなら「行きたくない場所」なのである。大人が行きたくないのに子供を(結果的に)強制的に連れて行くことは指導者としては望ましくない。政府は除染や住民の移動にお金を使いたくないという方針であり、福島県は住民が福島県から出て行くと収入が減るということで、移動させないようにあらゆる手段を執っているが、教育は子供を守るのだから、国家予算や地方財政を守るために使っている手段を子供に適応しないほうが良い。外部被曝はもちろん、食事からの内部被曝で抽象的な文章を保護者に出している。ここで「安全」と言っているのは政府基準だからセシウムだけで1年5ミリシーベルト、全放射線核種では実に17ミリシーベルトなのである。法律は外部被曝、内部被曝あわせて1ミリシーベルトだから不適切だ。事実、昨年11月には文科省が今の食材の基準の500ベクレルを12分の1にした40ベクレルを児童には適切と発表した。この発表は「測定器がない」という教育委員会の反対で実施が遅れているが、児童の健康に対する数値はそんなことでは変わらないのもまた当然でもある。・・・・・・・・・西葛西第二小学校はなぜ、わざわざ福島に児童を連れて行くのだろうか? 福島のお母さんができれば福島から脱出して我が子の被曝を減らしたいと思っておられるさなかである。考えられないが、もしかすると「那須の人の生活費」を確保するために「自分の学校の児童を被曝させる、健康と交換」という論理なのだろうか? 日本は法治国家だから、教育担当の責任者はよく考えて貰いたい。教育とは、一つ一つのことに他人の言動や政府の方針に盲従せずに、また自分の栄達などを中心とせず、善良で人格の高い人材を育てることを目的としている。それは「国家のために個人が犠牲になる」ということではない。独立した人格を形成しようと教育している学校が、みずから法律を犯して政府の短期的な政策に盲従するのは望ましくない。(平成24年1月4日)武田邦彦
2012年01月05日
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国家予算と日本の将来大量の赤字国債を使う2012年度の予算が立てられていますが、今度の予算の問題は、「赤字国債の発行で1000兆円の借金」よりなにより、「日本人の思考力を失わせる予算」が本質と考えています。最近、産業界の人にお会いして「どんな新しい事業を考えていますか?」とお聞きすると、8割程度は「補助金」という言葉がでてきます。自動車でもハイブリッド、家電でもエコポイントと、まるで「世紀末」のようです。なぜ「補助金」が「世紀末」なのか、なぜ、補助金には先が無いのか? それがポイントです。昨日(1月2日)のブログに、今の日常生活で使っているものは100年前はほとんど無かったものばかりということを話しましたが、これから100年後は、自動車、地上波テレビ、お風呂などが無いことは間違いないと私は思います。新しいものが社会に出てきて(たとえばスチーブ・ジョブスのiPhone)、それが革新的にエネルギー消費などを減らして行くこと・・・それが発展性のある新事業です。「補助金」というものは、おおよそ2年前ぐらいから「これをやるべきだ」という議論が行われ、検討され、前の年の7月ぐらいから予算作りが始まり、年末までに予算原案ができ、3月に国会で認められるという手続きを経ますので、「約3年前に官僚が納得するようになった事業」ということになります。もともと発展性のある事業というのは、万人が納得するものではありません。万人が納得するためには「今の考え」にそっていなければならないので、計画を立てて実施する頃には古くなってしまうからです。「大型工業団地」、「大型レジャーランド」など官がやった事業はぺんぺん草が生えるものばかり、国家の事業で成功したのは6%だけと言われるゆえんがここにあります。でも、それが国家だけなら「税金のムダ使い」だけですが、「補助金」という形で民間を道連れにすると、日本全体がムダな仕事に巻き込まれることを意味しています。だから、補助金というと自動車でも家電でも、せいぜい「省エネ」ぐらい、エネルギーでは太陽電池など古いものだけに振り回されることになるのです。国家規模で「やらなければならない」というものは日本を滅ぼすということなので、国家予算は縮小し、補助金を全廃する以外に日本に明るい未来はないでしょう。新年にあたって「補助金を排斥すること」で世論が一致すれば、子供たちに立派な日本を引き継げるのですが・・・(平成24年1月3日)武田邦彦
2012年01月04日
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明るい未来が来るという原理原則人間には不安や恐れがあるので、時に「社会は悪い方向に行っている」と思うことがあります。確かに、短期的には戦争に突入したり、バブルがはじけたりしますから注意が必要ですが、だからといって「この世の終わり」と言うように悲観的に考える必要は無いように思います。私は良く「1000年後まで考えなくても良い」と言うのですが、それは1000年前、つまり紫式部の時代を考えてみたらわかります。京都に住む一部の貴族は別にして、一般国民はまだ多くが縦穴住宅に近い家に住み、土間で気を燃やし、飢えと寒さに震えていたのです。それは江戸時代になっても変わらず、貧困で食糧不足だった江戸時代の人は平均寿命は短く、体重も軽く、背も低かったと言われています。江戸時代は道徳心も高く、リサイクルもして資源も節約していたと言われますが、そうしないと生きていけない時代でもあったのです.そういえば、現代の日常生活で利用している多くのものは、この100年で発明されたり、実用化されたものです。自動車、航空機、電車、蛍光灯、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、水洗トイレ、瞬間湯沸かし器、ガス風呂、水道、エレベータ、エスカレータ、新幹線、高速道路、高層ビルから、レトルト食品、カップラーメン、電気炊飯器、電子レンジ、コンピュータ、パソコン、ファックス、DNA、原子力、レーザー、インタホン、プラスチック、ポリ袋、割れにくいガラス、携帯電話、電子メール、ナビなど数え上げればきりがないぐらいです。つまり、私たちの生活は100年で大きく代わり、街もすっかり変わってしまいました。ほとんどスギでできた簡単な木造平屋だった町並みにはビルが建ち並び、駅前などはきらびやかな高層ビルが林立しています。さらに平均寿命はこの100年で約40年も伸び、若い内に病気になること自体が少なくなったのです.「昔の生活は良かった」という人に「昔に返りたいですか? でも、そんなにお元気ではいれないかも知れません」と言うことがあります。なぜ、100年前より今の方が良い生活ができるのでしょうか?それは「日本人のほとんどの人が、今日より明日を良くしようと思っているから」というのが私の考えです.だから、誰もが「今日より、少しでも明日を良くしよう」と思えば、必然的に良くなる、そして「何が良いのか」も一人一人が自由に考えた方が良いと思うのです.多くの人が贅沢が良いと思えば、そちらに行くし、質素でも心の満足を希望すれば社会はそうなるでしょう。「みんな」は「じぶん」ではないので、自分から見ると少し不満でも、みんなの平均では良い方向に進むと思います。でも、いわゆる「偉い人」が「こんな社会が良い」というのは当てになりません.それは山片ばんとう(難しい字)の「大知」・・・つまりどんな偉い人の考えも、多くの人に知恵には勝てない・・・の原理があるからです.原子力のように日本人の多くが不安に思っていたこと、それこそ「小知」(専門家の知恵)を重んじ、「大知」(みんなの不安)を軽んじた結果のように思われます. 石油や石炭はまだ十分にあるのだから、なにも原子力をやらなくても、何だったら節約すればよいという判断は正しかったのです.新年にあたって、私は民主主義には欠点もあるけれど、日本は日本人によって作られ、日本人のためにあるのですから、再度、明治天皇の「五箇条のご誓文」に立ち返ることが大切と思います. 五箇条のご誓文の精神を活かした現代意訳を下に示しました.•1. 議論を尽くし、あらゆることを公開で、•2. 誰もが心一つにして、日本が平穏なように、•3. 偉い人を作らず国民が一致して、途中で挫けず志をまっとうし、•4. 風習にこだわらず、論理と正義に基づき、•5. 知識は世界に求め、盤石な日本の将来を作ろう!五箇条のご誓文は1868年に明治天皇が新年に誓約されたもので、戦争に負けた1946年に昭和天皇が日本が民主主義を目標としていたことを強調するために、占領軍(アメリカ軍)に申し入れて入れたものです。多くの人が天皇陛下は民主主義とは違うと思っていますが、私が原発の事故で言って来たことはまさに五箇条のご誓文に基づいていたのです。何でも「公開」、ジャジャ漏れで、明るくさわやかな毎日を過ごしたいですね。(平成24年1月2日)武田邦彦
2012年01月04日
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2011現代倫理論9 除染と補償の関係に関する倫理この倫理シリーズの最初のところで簡単に触れたように、フォードピント事件で示されたように、なにか事件や事故が起こったとき、「かたづける」前に「お金で処理する」ということをしてはいけないのが現代の鉄則です。「一時見舞金」は良いのですが、それは緊急時の処理で、詳しい書類を書くようなものは、かたづけてから実施しないと倫理に反するのです。「takeda_20111230no.373-(6:39).mp3」をダウンロード(平成23年12月30日(金))武田邦彦
2012年01月03日
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2011現代倫理論8 汚染米と外食産業1年20ミリ問題と似ているものに、「ビジネス倫理」問題も起こりました。その典型的なものが「汚染された野菜を売る」ことや、「汚染米が外食産業に流れた」こと、さらに「牛乳や粉ミルクのベクレル表示をしない」などがあります。いずれも大切なお客さんに聞いたら、「そんなことは困る」と言われることが判っていてやったことです。「takeda_20111230no.372-(7:19).mp3」をダウンロード(平成23年12月30日(金))武田邦彦
2012年01月03日
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現代倫理論(補追) 真の正しさと役割としての正しさ原子力作業者の被曝に関する「倫理違反」について書きましたが、実は「正しさ」には「真の正しさ」と「役割としての正しさ」があります。この問題は倫理を考えるときに大切ですので、ここで追加しておきます。「takeda_20111230no.371-(6:52).mp3」をダウンロード(平成23年12月30日(金))武田邦彦
2012年01月02日
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2011現代倫理論7.原子力作業者の自主規制・・・自分とお客さんを裏切る倫理違反 これまでの数々の「技術倫理問題」で、「自分の会社を守ったり収益を上げるために、自分の製品を買って貰ったお客さんを裏切る」ということがしばしば見られました。製品表示に偽りがあったり、パジェロのブレーキの問題、それに今回の1年20ミリ問題などがその典型的なものです。「takeda_20111230no.369-(8:23).mp3」をダウンロード(平成23年12月30日(金))武田邦彦
2012年01月02日
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2011現代倫理論6.日本のマスコミが「理想とした社会」とはなにか?日本のマスコミがなぜ環境問題、原発事故、年金や国債などで十分な報道をしなかったのか?「なぜ、ウソをつく必要があるの?」という質問を多く受けます。おそらくは、1)正義感、2)販売量(視聴率)、3)お役所からの締め付け、4)記者クラブ意識(上から目線)、5)広告費を貰わないとやっていけない、などが基礎的にあり、その上でこの複雑な社会で、「そのまま伝えては影響が大きすぎる」とか、「どのような反響があるかわからない」、「理不尽な攻撃を社会から受ける」などの心配があったものと思います。「takeda_20111230no.368-(8:52).mp3」をダウンロード(平成23年12月30日(金)武田邦彦
2012年01月01日
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2011現代倫理論5 個人の批判、誹謗のルール・・・バッシングを私はどう感じたか?今回の原発で私自身もバッシングを受けました。でも、それはまったく問題がありません。なぜなら私の活動の目的は「いかにして子供たちの被曝を減らすか」ということであり、私の立場、名誉などはそれに比べれば小さいものだからです。私はすでに人生の大半を終えた人間ですが、子供はこれから60年、70年ある日本人なのです。私たちはできるだけ正直に、熱心に議論を重ね、どうしたら子供たちを被曝から守ることができるかに知恵を尽くさなければならないからです。その点で、特に2人の方の例を挙げて、個人の誹謗がなんの役にも立たないこと、それは倫理に悖る行為であることを指摘し、来年には誠意、礼儀を守り、実りのある議論になるようにしたいと思います。「takeda_20111230no.367-(8:14).mp3」をダウンロード(平成23年12月30日(金))武田邦彦
2012年01月01日
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