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2022.09.13
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テーマ: 読書(8190)

本のタイトル・作者



他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ [ ブレイディ みかこ ]

本の目次・あらすじ


第1章 外して、広げる
第2章 溶かして、変える
第3章 経済にエンパシーを
第4章 彼女にはエンパシーがなかった
第5章 囚われず、手離さない
第6章 それは深いのか、浅いのか
第7章 煩わせ、繋がる

第9章 人間を人間化せよ
第10章 エンパシーを「闇落ち」させないために
第11章 足元に緑色のブランケットを敷く

引用



「理解できないことがあっても、どのみちそれを考慮に入れなくてはいけない、ということを受け入れること」


感想


2022年235冊目
★★★

ブレイディみかこさんを一躍有名にしたベストセラー、「 ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー [ ブレイディみかこ ] 」。
そこに登場する「エンパシー」という言葉が日本社会で取り上げられ、そのことについて書いてくれと言われて書いた本。
著者は『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の副読本のようなもの、というけれど、この方の本はハードとソフトがはっきりしていて、『ぼくの~』はソフトなエッセイだったけど、これはハードなほう。
『ぼくの~』を読んでこれも読んでみようと思った方は、果たして読み通せるのだろうか…と思った。
専門的であるし、多数の文書からの引用がある。
著者が大好きな金子ふみ子も登場する。

で、「エンパシー」って何やねんっていう話。

けれど「シンパシー」が「感情」であることに対し、「エンパシー」は「能力」であるという。

「相手の立場になって考えなさい」という時、「△△ちゃんが、○○ちゃんだったらどう思う?」とよく尋ねている場面を目にする。
でも私はそれに違和感があった。
それはこう続く。「そんなことされたら、いやだよね?かなしいよね?」
って分からないじゃない。私は、その人じゃないもの。


推し量るだけ。わかったふりをするだけ。
結局のところ、「私があなたなら」の感情を想定するだけだ。
―――かわいそうに。
裏返せば、「あなたに何が分かるの」から離れることはできない。

というのが、「シンパシー」なのだろう。
同情。自分に寄せた共感。
マイナスの感情に対して使われることが多いのもさもありなん。
自分の靴を履きながら、相手の靴の履き心地を想像する。

対して「エンパシー」というのは、この本の中にも引用されていたけれど、「相手の皮膚を剥いでその中に入り、中から世界を見るようなもの」なのだと思う。
実際はできないその行為を可能にするのは、言葉だ。
それを「相手の靴を履く」と言う。

シンパシーは肯定的な帰結を自然と求めているように思う。
「かわいそうよね。だから、こんなことはやめようね?」
許容しているようで、どこまでも排他的な思考トレースの強制ルート。
そこには辿り着くべき答えがあり、その解は共有されるべきものである。
けれどエンパシーにはその答えがない。
結果、解もみな違う。
他者の靴が合わないことも、あるのだ。

そのとき、引用部のように、「理解できないことがあると織り込み済みにする」が大切なのだと思う。
シンパシーが、己の想像力の及ぶ範囲にのみ適用されることに対し、エンパシーはその外を想定する。

著者はそれを「外して、広げろ」と説明する。
認知的バイアス(対象のスポットライト)を外して、考え方・視野を広げること。

私はこれは、「本を読むこと」だと思っている。
ふだん、他者の内面を深く知ることはまあない。
他人が何を考えているかなんて表層的にしか知れない。
けれど本を読めば―――それは他者の靴を履き、その皮膚を被るという行為にほかならない。
私にとっては、「他の人の目で物を見る(色眼鏡を掛ける)」という表現がしっくりくる。

この本の中の、コロナへの各国リーダーの対応で、女性リーダーの国がうまく対処しているという話。
著者は、フードデリバリー会社ChewseのCEO、トレーシー・ローレンスの言葉を引用している。
「勝つのをやめて、聞くことを始めろ」。
価値観がひとつであるという前提のもと、正解がひとつであるという帰着点にむかっていけば、人は争わざるをえない。
俺はお前より正しい。どっちが正しいか戦争。
でも物事は多面的で流動的だ。
正しさもまた移り変わる。

自分のラインはここにある。
けれどあなたのラインがそこにあることも理解できる。
だから私たちは、お互いに話をするのだ。
最終目的は「全員がそれぞれ、少しずつ不満を引き受けながらも、そこそこ幸福になること」なのだから。

他者の言葉を食べる。
他者の靴を履く。
他者の皮膚を被る。
他者の眼鏡を掛ける。

それでも、ゆるせないことがある。
それを、わたしはゆるせないのだと知る。
自分の中の境界線。
私の言葉。私の靴。私の皮膚。私の眼鏡。
それがそこにあることを意識する。
それがなぜそこにあるのかを、その先に何があるのかを、私は知る。

けれど、境界線を超えるものは、変わらず「そこにある」のだ。
私がゆるそうが、ゆるすまいが。

だから私は、それらと何とか折り合いをつけて生きていくしかない。
なるべく穏当に、共存していくしか。
世界はそういうところなのだ。

その中を行くしかない。
自分の靴を履いて。
胸を張って。顔を上げて。前を見据えて。

私は、私のままで。

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最終更新日  2022.12.03 23:40:15
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