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2022.11.11
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テーマ: 読書(8189)

本のタイトル・作者



年寄りは本気だ はみ出し日本論 (新潮選書) [ 養老 孟司 ]

本の目次・あらすじ


第1章 この国にはそもそも「モノサシ」がない
第2章 お金と頭は使いよう
第3章 AI化する人間
第4章 非戦闘的有事に備えよ
第5章 安全保障としての環境問題
第6章 環境問題と経済成長は表裏一体
第7章 流域思考とカーナビ思考


引用



人間以外の動物は差異性については敏感だけれども、同一性を捏造できないので、言語も科学も持つことはできない。概念を共有できないのだ。ひとり人間だけが同一性を捏造できるが、同一性の措定の仕方は恣意的なので、措定方法の違いによって、社会や人生は幸せにもなれば、不幸にもなる。すべて異なるということが分かるだけでは動物と同じだし、すべて同じというのはただのバカである。


感想


2022年291冊目
★★★★

1937年(昭和12年)生まれの養老孟司さんと、1947年(昭和22年)生まれの池田清彦さんの対談。
池田さんは存じ上げなかったのだけど、生物学者で、お二人は1968年の柴谷篤弘が主催した構造主義生物学 第一回国際ワークショップで出会う。
以来、虫好きとしても交流を続けてきたお二人。

碩学(学問が広く深いこと)の二人の対談なので、次から次へと移り変わる話題がどれも興味深く知らないことだらけで、とても面白かった。
頭がよい、というのはこういうことを言うのだろうなあ。
自分で知識を仕入れ、咀嚼し、蓄え、それを使って考えることが出来る。
そういうひとたちから見た世界はどんなふうなのだろう。

・環境問題とは日常性(現在の都市生活)の維持問題である。
・斎藤幸平(哲学者)はSDGsを「大衆のアヘン」と呼んだ。
・メディアアーティストの落合陽一さんが言った「質量のある自然」(物質)と「質量のない自然」(情報=理論)。この二つの世界の対応こそが学問なんじゃないか。科学は「質量のある自然」を「質量のない自然」に変換してきた歴史。
・1932年に国際連盟がアインシュタインに「人間にとって最も大事だと思われる問題を、一番意見を交換したい相手と交わす」と提案し、フロイトと往復書簡を交わした『ヒトはなぜ戦争をするのか?』。

・東洋人の前歯の裏側は少し抉れている(シャベル歯)。この形を作る遺伝子は黒髪を作る遺伝子と同じ。
・池田さんの座右の銘は2つ。経済人類学者のカール・ポランニーの名言「愚かな人には、ただ頭を下げよ」。自分で作った「人生は短い、働いている暇はない」。
・養老さんの座右の銘は、ピーノ・アプリーレ(イタリア人ジャーナリスト『愚か者ほど出世する』)「どん底まで落ちたら、掘れ」。
・専門分野からドロップアウトして部外者が本や論文を書くことを、養老さんは「塀の上を歩く」と言う。塀の内側では埋没して見えなくなるもの。

SDGsについては、最近しきりにテレビで取り上げられている。

メディアのいうそれはファッションであり、ただの流行語だ。
同じ番組の中でSDGsの取り組みを紹介した後、明らかに食べきることが出来ない量の食べ物で「実験」をしたりしている。

SDGS、持続可能な開発目標。
それは裏返せば、「今やっていることは続けられない」ということを目の前に突き付けていることでもあるのに。
私たちの「持続不可能な日常」。
この本で、環境問題は現代の都市生活(=日常)の維持問題であると言っていた。
無理だと分かっていて、それに目を瞑って、問題を先送りしてきたこと。
でも、本当にもう無理だよね?ということを、言葉を濁しつつも全世界が共通認識として掲げたのが「SDGs」という標語なんだろう。

養老さんは里山の暮らしや、小規模な水力発電の可能性に触れていた。
スローダウン。ペースダウン。サイズダウン。
これまでの考え方をがらりと変えないといけなくて、コロナはその転換の一端になったんだろうな。
グレートリセット。
には、至らなかった気もするけれど、何かを強制的に変える力はあった。
変えられないと思っていたことが、外圧と不可避の状況下では「やらざるを得ない」から変わること、を知った。
なんだ、出来ないことないじゃないか。やらなかっただけで。
数々のしがらみや、前例や、旧弊は、「コロナだから」で抑え込めた。
これから私たちは、その変化を続けられるんだろうか。
「コロナだから」の印籠の有効性が、薄れてきた「日常」の中で。

バーチャルリアリティーやメタバースに違和感のある旧世代の人間だったけれど、「質量のある自然」と「質量のない自然」の話で腑に落ちた。
それは、人間がこれまでやってきたことと同じ。
実在の世界を形而上学的にとらえること。
と、思えば、バーチャルの世界はリアルを「目に見える形」にしただけなのだと―――「質量のある自然」と「質量のない自然」の架け橋であるのだと理解できた。
それは「質量のない自然」(架空・抽象)を見るためにかける、眼鏡のようなものだ。

これからきっと、私たちは変わっていく―――良い方に。
口先だけの「持続可能」を脱して、新たな生活様式を、真に「持続可能」な日常を模索して。
質量のある自然を大切に、質量のない自然を活用し。
そうできると思わなくちゃ。

若い世代が、上の世代の欺瞞に怒るのは分かる。
都市生活の利便性を享受しながら、自分が生きているだけで多大な害を及ぼしていることを自覚しながら、それに気付かぬふりをして大人は生きる。
自分たちが生きている間は、まあ大丈夫だろうと言う根拠のない自信。
後に残された者たちが何とかしてくれるなんて、甘い期待。
年寄りは逃げ切って、若者に多大な付けを背負わせて。

―――コロナ前の日常が戻りつつあります。

ニュースの言葉に、ふと立ち止まる。
そこに戻ってはいけないのだ。もう。
私たちは別な所を目指さなくては。

この本で出会った言葉メモ


墨痕淋漓(ぼっこんりんり)
墨で表現したものが生き生きとしているさま。筆の跡がみずみずしいさま。

浚渫(しゅんせつ)
河川、湖沼、海域などで、広い面積にわたって水底を掘ることをいい、局所的な工事のために水底を掘る水中掘削とは区別される。

中原(ちゅうげん)に覇を唱える
武力や権力によって国を統一し、治めること。
※中原…中国の地名。転じて、政権を争う舞台。

韜晦(とうかい)
自分の才能、地位、形跡などをごまかしてわからないようにすること。
他人の目をくらまし、隠すこと。

措定(そてい)
定立(ていりつ)ともいう。
何かをそれとしてたてること、事態や対象の存在を想定したり肯定したりすることをさす。

以上すべて「 コトバンク 」より。

これまでの関連レビュー


世間とズレちゃうのはしょうがない [ 伊集院光×養老孟司 ]
養老先生、病院へ行く [ 養老孟司×中川恵一 ]
ヒトの壁 [ 養老孟司 ]
地球、この複雑なる惑星に暮らすこと [ 養老孟司×ヤマザキマリ ]






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最終更新日  2022.12.03 23:20:46
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