320life

PR

プロフィール

ノマ@320life

ノマ@320life

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

2022.05.07
XML
テーマ: 読書(8199)

本のタイトル・作者



養老先生、病院へ行く [ 養老 孟司 ]

本の目次・あらすじ


第1章 養老先生、心筋梗塞から生還ー病気はコロナだけじゃなかった
第2章 教え子医師が心筋梗塞を発見ー養老先生、東大病院に入院
第3章 養老先生の病院嫌いの本当の理由ーなぜ「医療」と距離をとるのか?
第4章 養老先生から学んだ医療の限界と可能性ーなぜ病院に行くべきなのか?
第5章 特別鼎談 現代医療の矛盾と人間的医療ー養老先生、どうして病院に行くのが嫌なの?(養老孟司×中川恵一×ヤマザキマリ)

引用


中川 本当は両方必要なんです。歴史的に生まれたガイドラインのようなスタンダードな治療を認めないで、医者のやりたい放題で治療されたら、これは困る。だけど、治療しないことも含めて、幅広く対応するというのは今の医療にはありません。


感想


2022年111冊目
★★★

病院嫌いの養老先生が病気になり入院した話。そして、愛猫まるの死去。
教え子でもある中川医師からの視点が冷静で、結局のところ医療の介入を否定(臓器移植など)していた養老先生が、入院して治療を受け、その後も投薬治療を続けていること、白内障の手術に人工レンズを入れることは臓器移植とどう違うのかという問いかけなど、私(読者)も疑問に思っているその矛盾を突いてくれていた。


養老先生は、病院にかかることは野良猫が家猫になるようなことだという。
それは生殺与奪の権利を人に与えると言うことだろうか。
しきりに言われているのが、それはもう統計学的な「システム」であって、「養老孟司」の人間ではないということ。
人工物と自然物。すべてのものに意味がある世界と無為の世界。都市と田舎。

ヤマザキマリさんが最後の鼎談で(この方いろんな人と対談しているなあ)、「想像力の欠如と思考への怠惰」と仰っていた。
統計は、システムは、ガイドラインは、「その通り」にするだけ。
命中率は高いかもしれないが、イージーなのだろう。

中川先生も、結局、結論はなく、養老先生はちゃっかりした患者なのだと言っていた。
私もそう思う。
野良猫、ときどき、誰かの飼い猫。
そんな猫みたいに、ふらっとやってきて餌を食べて去って行く。

それと、養老先生の「医療」の使いかたは似ている気がする。

養老先生が繰り返し言われている「一人称の死」「二人称の死」「三人称の死」。
一人称の死、つまり私の死は、私がそれを認識できないので存在しない。
三人称の死はひとごとだ。
二人称の死、親しい人の死だけが「死」として意味を持つのである。


これは私にとって「三人称の死」なのだな。
だから「食べるものがない」と叫ぶ人をみながら夕食をとることができるのだろう。
世界は痛覚を鈍くしないと生きてはいけないのか。

これまでの関連レビュー


世間とズレちゃうのはしょうがない [ 伊集院光×養老孟司 ]




にほんブログ村 にほんブログ村へ







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022.12.04 00:15:57
コメントを書く
[【読書】エッセイ・コミックエッセイ] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: