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久々に、こちら楽天のブログに戻ってみると・・・ブログ開設日時が、2011年の7月22日となっていて「もう2年経ったんだ」とびっくりです。その2年の間、スペクトラムの子ルイは幼稚園をエンジョイし、涙ながらに卒業して選びに選んだ小学校を、完全に満喫しながら過ごしています。夫は、特性の強かった今までの何十年を経て自分を楽にする生き方を、見つけ始めました。2年で、ますますの幸せへの階段を、どんどんのぼっています。何でも、工夫しだい、楽をしながら、手抜きをしながらも何とか切り抜ける道はどこかにある。それを知った2年間です。アメブロの方でブログを書いていますが時々、過去の自分と家族を思い出しにこちらにも戻ってこようと思います。2013年8月17日
2013.08.17
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Amebroに、同じブログ名でブログを開設しました。http://ameblo.jp/max8ppy/ がブログURLです。 楽天ブログで書いてたんですが・・・最近、仕事に使うソフトをいくつか入れたからか突然、パソコンの動きに連動して書いていたブログが、勝手に「前の画面」に移行します。前の画面って、書いてるときは白紙画面なんですよね~。跡形もなく消えます 友人から、amebroだと携帯からちょこっと書くのも簡単よと言われ、試してみることにしました。 まだ、完全に移動するか決めかねているのでとりあえず、 家族の自己紹介プロフィールに、ルイの作品の写真 を入れておきましたなんか、結構シンプルなデザインにしたからか沢山書く私の習性を見事に調整してくれて結構、書く量が減りそうな感じです。楽天ブログだと、書いている前後がよくわからなくて書いているうちにどっぱ~っと量が増えるので「なぐり書きブログ」で見目悪かったですわ~。 時間があれば、あとでルイが作ったクリスマスケーキの写真もUPします
2012.12.23
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昨日の記事を書き上げてから「あ、ひとつ追記しとかないとマズイな」と思いました。以前、幼稚園の自閉症スペクトラム仲間とお茶会をして情報交換した時のことを思い出したからです。 年少のお子さんのお母さまが「ルイちゃんみたに、うちの子にもやらせてみたらいいんだよね」って言いました。年長さんの自閉仲間全員が、一斉に言いました。「だめだよルイちゃんは、仲間の中でもちょっと違う傾向があるんだよ。同じやり方したら、とんでもないことになるよ。」となはい、その通りでございます・・・ ルイへの支援の仕方ですが、他の自閉仲間の子どもと真逆で、「園ではルイに目立った手助けはしない」ことになっています。このやり方はルイ、私、旦那、幼稚園の先生、主治医と意見交換しながら長年かけて編み出した「ルイ個人のためのオンリーワン支援法」なので他の自閉症スペクトラムのお子さんには、そのまんま応用できない、というか、してはいかんでしょう。危険です。幼稚園の自閉症スペクトラムの子達の中でも、ルイはタイプが違いすぎました。どちらかと言えばみなさん、ルイとは真逆で、丁寧に現場で支援した方が安心感を得るお子さんです。加配があると、とても快適のようです。ルイは、大人の現場支援を「妨害」「じゃま」「余計に混乱する」と嫌がります。後で、大人(私、先生)に説明を聞きたい。園では、自分で解決したい。これができないと、逆にパニックになりその場で混乱して、泣いて固まります。現に、幼稚園の外部講師さんが来園してルイに、優しく声掛けしたり手助けしたりしてくださったことがあるんですが・・・激泣きして、手が付けられなくなったそうですなので、幼稚園の先生が、ルイに都度都度サポートしてくださると・・・ルイはおそらく、登園拒否、不登校になります。「トラブルが発生した時に、親が幼稚園の先生に何かを依頼する」と依頼されたら、先生は介入しないといけなくなります。それはルイの場合、「爆弾を仕掛ける」のと同じ。だから、先生とは情報のやり取りだけ密にしてルイは現場では、自由です。家庭で私、旦那や主治医、心理士から聞いたアドバイスをルイは外では、一人で、試したがります。先生は、すごく手助けしたくても、だいたいの場合はハラハラしながら見守るだけ。で、後で私と先生で「結果報告」という情報交換をします。ルイからも、私に結果報告があります。実はこれが、ルイの強烈な「特性」であり、個性です。ルイは、生まれた時から、自力、自立、自分で、が一番快適でトイレでさえ、1歳から私の手伝いを嫌います。手伝い=干渉、と捉えがちで大人の介入=自分は間違っている、自分はできない奴と、極端に考えます。困った時、ルイはまず説明を求めます。理解できたら、自分でできる。やってできなそうなことでも、とりあえず自分でやりたい。 最初から手伝われたり、親や大人が先回りして支援をしようとした事を知ると憤慨します。もしくは、自信喪失して生気がなくなります。できなくても、泣いても、困っても出来るように頑張ってみる。試して、どうしてもできなかったら、お助けマンの先生に、助けを求める。それでもできなかったら・・・ルイは諦められます。スッキリした、気がすんだ、諦めるわ、と、着地点にちゃんと、自分で落ち着きます。 この辺りのルイの習性は、プライドなのか、単なる流儀なのか、と色々、先生方やお医者様と話しました。ただ、はっきりしているのは・・・ルイは、大人から積極的にサポートされると「自己肯定感」がめちゃくちゃに下がるということです。親は、子どものために何かしたい、必要な時に助けるのは愛情でもあると感じているのでサポートしたいんです。が、ルイにとっては、「余計なお世話」な話。愛情うんぬん、は親側の事情であってルイには、無関係です。むしろ、親の自己満足。 なので、どうしても、ここは介入しないと園側が困る、とか一人でトライさせても、方向性が全くもって間違っている、という時はきちんと、「今回はママの考えで、先生にお手伝い頼むよ。理由は、~だから」と事前にルイに説明し、確認して、ルイが納得した場合だけ私から幼稚園や関係者に依頼ができる(する、じゃなく「できる」)んです。そのスタイルを崩すと、ルイは逆に錯乱します。ルイのこだわり、価値観、存在意義は「ルイが自分でしたこと、納得したこと」だけにあるような…上手く言えないのですが、干渉嫌い、現場での大人の手助けはルイにとっては「妨害」レベル、邪魔、混乱の元そんな感じです。なので、我が家の絶対ルールは、「ルイが自分で解決しようとする」のを了解して、見守ること。「本人に、まずやらせてみる」こと。園生活で、例えお友達と仲たがいし、嫌がらせを受けたとしても「先生がその子に注意して解決する」のも、ものすごく嫌がります。そうじゃなく、教えてよ、ということらしいです。「なんでそういうことをルイにするのか、理由が知りたいから、ママ教えて」「ルイが、やり返せる方法がある?」「ルイが、気にしないで平気になる方法が知りたい」「どうやれば、上手くいくのか教えてほしい」というのが、ルイの要望として挙がってきます。そして、教えて、ルイが試してみて、上手くいった時にルイは満足します。自己肯定感が最高潮になり安定します。一人で完結したい一人で考えながらやりたい職人気質なのかな?パパが、完璧にルイと同じタイプです。他人がよかれと思って・悩みを聞く・手助けを申し出る・アドバイスをすると、とたんに困り、負担に感じ、「余計に悩みが増えておいつめられる」と言う我が旦那。自分が、「聞きたい」と思った時に「彼の思考回路を理解できる人」からの助言なら、聞けます。定型の人の助言やアドバイスは、たとえ支援者(私)でも負担だったり的外れで、いらない、むしろ扱い辛い支援されたら、「受けないといけない」んで、それ自体がもう無理。自分の流れを変えられるのが、最大のストレス、みたいなことを、昔ぼそっと言われたことがあります。なので、我が家の旦那と子どもは、「とにかく話し合いが先、支援は最後の手段」です。 支援が、ストレスや妨害だと感じるタイプ。支援じゃないような支援、ただの「定型とスペクトラムの通訳者」に徹した方がありがたがられる。 所詮、定型が勝手に思ってやる支援、サポートなので旦那やルイには、「そりゃ求めてるものと違う、なんか違う」ってレベルなことも。たまに、「私って家庭内孤独だわ」と思うときあります家族のために何かしたいけど、それが迷惑って、ねぇ 自閉症スペクトラムの子どもの特性も、いろいろ。やっぱり、個々それぞれ。本人の意思の確認と、満足度、自己肯定感。これでマメにチェックして支援の方法を都度判断していくことは、とても大事なのだろうと感じます。 にほんブログ村
2012.12.20
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ルイの機能的な、そして認知的な療育の効果はそこかしこで出ています。これは、明の部分です。喜ばしい部分。 だけど、もちろん、明があれば暗もあるわけで。今日はその部分を書こうと思います。あまりハッピーな話ではありません。 ルイの楽しい幼稚園生活の中でももちろん、苦難はあります。主に、対人関係です。小学校入学前の子供さんの発達は目覚ましく心の成長も著しいです。子どもの正常な発達として、良い部分も悪い部分も芽生えます。 人を抜いて、自分を良く見せたい。他人よりも自分が目立ちたい。イライラやむしゃくしゃを、八つ当たりすることで発散して楽しみたい。悪い事をちょっと試すことに、喜びを感じる。 そんな、心の暗い部分すら、成長してきます。作為的なことや、嘘、ごまかしという戦法や言動での弱者、強者の確認やいわゆる、いじめとは思わず嫌がることをわざとする、などかわいい、おりこう、ではすまされない部分が発露します。 性悪説がある、というのはこの人間の持前の本能について教えられなくても、芽生えてくる感情としてとらえているからでしょうね。 ルイは、そういった子供達の変化の真ん中にいます。・・・ここまで書いて、だいたい想像できると思いますがルイは、ターゲットになりやすい自閉症スペクトラムです。 「その時、その場で臨機応変な対応ができない」ですしまだ、人の悪意というものに、免疫がありません。良いもの、正しいことを、まだ信じています。暗い部分の本能の芽生えが、発達的に遅い。 周囲の子は、同じような発達状況なのでぶつかり合いが対等です。悪意のぶつけ合いや、からかい合いやいじめたり、いじめ返したり、が対等にできます。そこでは、やられたり、やり返したりがある意味、人間的交流の1手段でありかけひきでもあるんですね。 おとなしい子でも、泣いて感情を発露させたり困っている、という様相を周囲に見せられる。ルイは、その辺も不得手なので、この修羅場的な戦いの中では「圧倒的に不利」です。 いくら、先生や幼稚園全体がよい環境でも子どもの成長段階の一つである、この子ども同士の精神的切磋琢磨には追いつくものでも、統制できるものでもありません。 つまり、ルイは自力で対応しないといけない=集団社会の洗礼を浴びている最中です。 ルイは、図太い側面も持っていますが自閉症スペクトラムらしい、繊細な側面も多々持っています。一つの例としては・・・ルイは、1対1などでは、対抗力十分です。が、集団対自分になると、てき面に弱くなります。集団で「ルイはあっちにいけ」とふざけられるともう、ダメです。大きな悪意がそこになくても、「みんなに言われた」という多数の勢力を前にすると、とたんに力を無くします。 悪ふざけの大小ではなく、「多人数」ということで精神的にやられる。相手は、すっかり他の事に気を取られて「あっちいけ」と言ったことすら忘れて遊びを楽しんでいるけどルイは、ショックを引きずって深刻になります。 ここは、どうしても修正していかないといけない。大人数に負けない自我は、生きていくうえで絶対必要。自己肯定感を保持できるのは、多人数と比較しても自分を肯定できるからできるのであって理由如何問わず、大人数に引けを取るようでは・・・この先、やっていけない。 大大大号泣するルイを、何回かなだめながらここが、ルイの今の対人関係上の課題かなぁ・・・と感じます。 基本、ルイは私の対応に「何か」を敏感に感じ取ります。私が、シリアスに、また繊細に受け止めた風を見せるとルイは、そっくりその心情をコピーしてしまう(しようとする)ような部分があります。同一化なんでしょうか。 なので、話は丁寧に聞きますし、慰めますし、絶対的にルイの味方として聞きますが対応策を考える時やアドバイスする際は「図太く、パワーを与えられるように」返事します。ルイに、パワーを得てほしいから。繊細さや、深刻さを凌駕してほしいから。 一緒に、なんでだろうね。ひどいなぁ。それは、仲良く、じゃないなぁ。嫌、やめて、って言っても笑って何度も繰り返してくるなんて、「遊んでいる」んじゃないよ。「からかってる」とか「いじわる」だとママなら感じるよ。 などなど、言いたい放題、私は自分なら、という視点で言います。自分の子ども時代、いじめたり、いじめられたりの経験も話します。その時を例に、アドバイスをします。 「黙っていると、相手は『あ、面白い、これはまたやってやろう』って何度も嫌な事してくるから大声で『いやなの!やめてって言ってるでしょう!』って、クラス全員に聞こえる声で叫んでアピールするのが、一番、味方ができたり、守ってもらえてよかったよ。」 「黙って、仲良くしたいし、って我慢してた時は、何度も嫌なことされたなぁ。それで、もっとひどくなったりした。先生の前では、みんな『そんなことしてませ~ん』とか嘘いうよねぇ。(ルイの悩みがここ)だから、我慢しないの。負けないって気持ちで、『もうやめてよ!』って本気で怒りまくったら相手も、ぎょっとなってやめたことがあったよ。」 「やられて、ごめん、って言うから許してたら、余計ひどくなったんだよね。なら、許さなくていいんだよ。ママは、絶交ってのもしたよ。許して、許して、それでも嫌なことしてくる人とは、付き合わなくていいの。絶交してもいいよ。最後の最後の方法だけど、ルイがもうだめ、って思ったら絶交していい。先生には、ママからちゃんと説明してあげる。ルイには、ちゃんと理由があるし、ママは信じてるから大丈夫。心配しないで、ど~んと、思ったようにやればいいよ!」 などなど、普段は人の話なんて聞かないルイが目にあふれる涙をナミナミとたたえぼろぼろに泣き崩れながら、必死で聞いてきます。 親心としては・・・かわいそうに、という気持ちとルイが傷つくきっかけになった相手への腹立ちと何かたまらない気持で、私こそ号泣したいんですが喉の奥の塊をぐっとこらえてパワーをつけてもらいたい一心で、じっくり話します。 幼稚園には、速攻で電話して、状況だけ聞きます。聞くだけに徹するので、ほぼ詳細を先生は全部話してくれます。依頼は、ほぼ何もしません。後で、家でどんな話し合いをしたか、と今後の方針だけ報告します。その過程での、ルイの見守りだけをお願いします。 幼稚園でも、子どものあれこれに全部目を光らせるなんて無理だし光らせた所で、こんなことは日常茶飯事の小学校へ行くんだし。 これも、準備。ひとつひとつが、生きた教材。社会勉強のための、一番難しい課題。 ルイは、私の前で号泣して泣き続けて私とこれからのことを相談した後はすっきりした顔で、調子を取り戻します。 いつもと違う点としては・・・私への自主的な接触が多くなることですね。やたらと、ひょんな拍子に、キスしてきます。遊んでいる最中、ふと私の横にきて、ぎゅっとハグしては、去っていきます。 私が安全な心のよりどころになっている、というよりは「それだけ、不安が強かったんだな」と思わせられてぐっとまた、喉につまるものがあるのですがそうして乗り越えてもらわないと、免疫もできないし抵抗力もつきません。 絶対無理、という課題は放り投げるつもりですしそうなれば園など行かなくてもいいのですがそこまでハードな課題は、まだないと感じています。多少の、今後もよくあるであろう対人面の問題ばかりです。出来る限り、場数を増やして、なんとか「乗り越えた」経験を増やしていくことで社会人になったときの耐性をつけておきたい。 そう思う、思うというより願う一心です。 あまりこういう内面の葛藤は書かないのですが明があれば、暗もある、ということで書いてみました。 にほんブログ村
2012.12.19
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以前、このブログで紹介した太田昌孝・永井洋子編著の「自閉症治療の到達点2 認知発達治療の実践マニュアル~自閉症のStage別発達課題~」という本ですが、ルイは6歳となり、この本における発達凸凹の療育は終了段階まできました。(私的には。) 地域や役所の療育は、ルイは対象外扱いされて2歳、3歳児の新規(?)の診断児が優先されたのもあり、結局全く何も受けないまま、小学生になります。 なので、この本で、家庭で、適当に療育的な真似事をしていました。毎日かぶりつきで見るような根気は私にはないのでさらっと流し読みして日々、思いついた時に実践してまた、1、2か月たった頃に、課題の到達度をチェックして「今度は空間認知をやってみよう」とか「数字の概念を試してみよう」というようなゆる~い療育方法を取ってました。 で、年末となったので、来年の年初め3か月で残りの課題をやってみよう、と見直してたんですが・・・ ずいぶん、発達凹だった所が、伸びたなぁ・・・としみじみ、感じています。特に、運動協応面。<視覚―運動協応・随意運動の発達を促す>のところは特に随分長い間、めっためたなルイでした。 <ねらい>図や絵カード見本を見て、それと同じに作る。という課題があるのですが・・・簡単に言うけど、単純なものから、複雑なものへ段階的にできるようになるには年少から今までかかりました。途中、今年の初めから、「私だけのサポートじゃだめだ~効果ない~」とビジョントレーニングの力を借りたので伸びが急速にグンと上がってくれましたが。それまでは、究極の凹み具合でした。 ここの凹みがきついと、何に支障がでるかって・・・この本によると<留意点 年長児の場合、この課題は、将来の職業的技能や余暇の楽しみの基礎として重要である>のです。 現実的に、集団生活で見られるケースとしては、 板書きができない漢字を見て書けない数字の6や9を間違え続ける(凹んでいる状態では形の把握力がないままなので)積み木などの立体空間(隠れた部分)を把握できない均等に物を分けられない他人と自分の動作の違いに気がつかない(模倣困難の原因)動作(運動)で鈍さにつながる つまり、模倣ができないので「全員ルール」的なことが自然に身につかない、学校のルーティーンも複雑になれば、追いつけない、発言、給食、移動、タイミングなど全般的な部分でやや、集団生活で一人浮く、テストの解答に時間がかかる、または正確に書き込めず、消しては書き、を繰り返す(思うように手先を使えない、正確に見たものを運動協応で書けないため)体育や書き物、実験などで必要な繊細な動きがぎこちなくて困る、などの将来的な困難に、どど~んとつながっていくことになるのですね。 こんなわずかな、視覚と協応運動に本当に些細な凹みがあるだけで社会生活、集団生活での困難に結びつく・・・非常に、ルイには「社会生活での困難を減らす」キーとなる分野でした。 「治療教育」という定義が、心理学にはあります。発達に障害をもつ子どもの教育は、一般的な教育方法では効果が十分期待できない。医学的、心理学的な治療手段を取り入れて、障害の軽減をめざした教育方法が治療教育である。発達を促すことで、本人に考える力と行動を調節する力、社会に適応するためのスキルを身に着けていくこと。 というものです。目標は、社会に出たときの心身の自立、精神的自立、経済的自立、社会的自立。自力で学ぶ、自然と身に付く、ということが機能的、感覚的な凹みや狂いから成し得ないタイプには、必要な療育。家庭でぼちぼちと療育しているとものすごい、底辺で動いているようで、遠回りで果てしない感じがするけれど・・・この本のめざすところは、結局のところ、正しいのだと感じるのです。 約1年、ビジョントレーニングも含めての療育で得た効果。 ルイの目の動きは、ぐるっと一回転するときに、一か所くくっと戻るぎこちなさがありました。専門家に指摘されるまで気が付かない、本当に些細な、わずかなものでした。ビジョントレーニングでそういった目の動きを滑らかにして家では、ワークなどで楽しんで絵を切ったり選んだりしてバージョンアップしていくごとに幼稚園での運動面も、ずいぶんと伸びていきました。 以前は、ボールを受ける時、目がボールの動きについていかずボールが落ちていく後を目がたどる感じ・・・目の動きの方が、若干遅いのです。そんなワンテンポずれた目と体の運動協応の凹がありましたが今では、素早い目の動きが可能となりボールが上手に受けられるようになりました。きれいに、まっすぐ投げられています。急速に上手になったので、お友達や先生、みんながほめてくれました。 それに、細かい絵図の違いが、ぱっと見つけられるようになりました。以前は、完璧、むり。把握すらできない。どこを見たらいいの。違いを探す以前に、「違いを見つけるとはどういうことか」が目が動かない、神経がつながらない、コツがさっぱりわからない。そんな風でした。今では、ビジョントレーニングで試みる課題ほとんどが満点に近い出来にまで成長しました。板書も、ものすごくスローで紙に書き込む場所が、まず、ずれる。字の大小が目立ち、枠いっぱいか、はみ出す。そんな字が、綺麗に迷いなく、すらすらと「書く場所の把握」ができるようになり絵図も、きちんと特徴を把握して書き込むことができるようになりました。 しみじみ、「ものすごい凹み具合でも、成長するんだ~」と実感。 発達障害は障害だけど、促せば成長する。その確固たる信念のもとに書かれているこの本。今は、<言葉の意味内容をふくらます><多側面からの質問への応答>など、会話面に取り組んでいます。普通に、日常会話する中で、すこ~し気にかけて伸ばしていく部分。 <留意点 子どもは、質問をよく聞かずに思いこみで答えることが多い。ちょっと間をとって子どもに考えるように促したり、パターン的な質問にならないように気を付けたりする。>など、具体的に成長の幅を広げていきます。 その後、お金の概念と、時計、文字を書く、読むという部分を小学校1年生ぐらいでやればルイの「認知発達」部分での療育は、最後になりそうです。 数字の概念は、この本の中のいくつか試しましたが意外とすんなり2ケタ足し算まで理解したので、パパ似かな?大丈夫そうです。むしろ、実生活に非常に密接にかかわっている「時間の感覚・概念」が乏しい。なので、ここを段階的に理解できるようにしていくプロセスは大いに利用しようと思います。 この本は、「ハウツーをそのままやってみたりプログラムにむやみに入れるだけでは効果はない。子どもの特徴を良く理解して、その子その子にあった部分、必要な部分だけを楽しく、効果的に伸ばしていく」のが目的。 ルイは療育という意識を全くもたず、ゲームや遊びの感覚でやりました。これから、「何をしたらいいかわからない」という同じ立場の保護者の方々にはこういう良書をぜひ利用して地道に、気長に、だめそうな部分、障害部分でも「伸びる要因がある」と先を、将来を楽しみにしていきましょう!と伝えたいものです。 認知発達治療の実践マニュアル―自閉症のStage別発達課題 (自閉症治療の到達点)にほんブログ村
2012.12.18
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我が家の幼稚園児、ルイが行っている園はお坊様の素朴~な、というよりかなり質素で建物も古い味のある幼稚園です。 その幼稚園で、成道会のお祝い会がありました。お釈迦様がおさとりを開いた日だそうです。ルイが延々と、先生から受けた教えを私に教え込みます。スジャータちゃんがぁ~お腹ぺこぺこのお釈迦さまにミルクをあげて~(スジャータって会社の名前の由来はここか)おさとりを開いたお釈迦様がぁ~、うんぬん、かんぬん。 で、その日をお祝いするんで、頑張ってお歌や演奏の練習をしているんだと力んで強調するルイ。何の曲を練習してるのか、は知りません。本人たちも知りません。最後まで完結してまだ教えてもらってない~って。スモールステップ、で、ちょっとずつしか教えてくれないらしい。 楽器はピアニカとカスタネットと鉄琴、とは知ってますが家で全く練習しないルイなので、どうなってるか知りません。ルイいわく、「難しすぎて、いっぱい間違うのよね~先生、むちゃくちゃ厳しいのよ~お弁当の後はみんな、猛特訓してるけど『みんなの力は、いつものまだ半分しか出てません』って言われてるよぉお」とのこと。 で、本番を見に行きました。 ・・・先生、マジですか仏教の、おさとりのお祝いに・・・ジャズですか。 しかも、ええと、私の記憶が確かならば・・・それはジャズでも有名な、あの曲、その曲、この曲・・・ 幼稚園児の太鼓演奏が、スイング調ですよ。早くなったり、曲調がゆっくりに変化したり。カスタネットが、踊ってますスイングしております る、るい・・・鉄琴って、あれじゃないんですか普通、ちゃん、ちゃん、ちゃん、って、一打一打叩くあれ・・・ちゃららららららん(高速連打)ちゃららららららららららら・・・右いってちゃらららららららら(超高速)、左いってちゃららららららら(同じく高速) ルイの仲良しさんは、タンバリンを手で叩いたり太ももで叩いたり、リズムとって楽しそうに踊りながら叩いてるよ うっへぇええ~ジャズでした。完璧、ジャズ。大太鼓も、何ですか、両手で叩くアフリカンな太鼓もマーチングで良くみかける太鼓もそれぞれに思い思いの演奏がすごい。 先生、無茶するなぁ・・・でも、どのクラスも、楽しそうでした。保護者は度胆を抜かれて、でも大喝采今年、はじめての試みじゃないかなぁ、ジャズな成道会は。 ルイが帰宅してニコニコ顔で言うには「めっちゃ、間違いまくったわでも、いいノリで楽しく弾けてたって、園長先生に褒められたあ」って、始終ご機嫌でした。 間違い全然、気が付きませんでした。 後日聞いた話では・・・先生は、たくさんの子どもが間違っていたのを知ってたそうです。「でも、どの子もオクターブは間違うけど、音階は間違わないんですよね~不思議と。なので、全体演奏が逆にハモって、壮大な感じになるんですよジャズは間違った方が、迫力が増すんですぅうう~」 と、これまたまじですかな、発言が。なるほど、即興でアレンジするのが、ジャズ。音階さえ極端にはずれなければ、高いドだろうと、低いドだろうと、同じドであればハモる。あとは、ノリ。スイング。それで、あの生の迫力が出るんですね。ルイの高速鉄琴のちゃらららららら連打もオクターブは間違えてたけど逆にジャズとしては満点であるような・・・ いいもの聞かせてもらいました。保護者は、今年は興奮状態。「あんなにすごい幼稚園児の音楽演奏は、はじめて聞いたよ」「先生、もんのすごいチャレンジャーだよね」と子供達の実力を、実力以上に現場で引き出す魔術に恐れをなしました。 ほんと、中学の吹奏楽がやりそうな曲にスイングにアレンジだったです。まだ興奮気味なルイ母でありました。 にほんブログ村
2012.12.13
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ルイが2歳で無認可の保育園に行くようになったきっかけは、私の仕事への復帰でした。けど、数か月で辞めました。ルイの集団生活内での、微妙な大人びた部分と発達凹の部分に気がつき(発達障害の子どもを持つ園長先生の観察眼のおかげです)児童相談所の門を叩き、心理検査を受け、心理士さんと相談して療育部門が満員で2年ぐらいは待たないと受けられない、ということだったので家庭療育をすることにしたからです。仕事をやめて、はや4年。 ルイが幼稚園へ入園してから、年中ぐらいからはぽつぽつと、知人関係から頼まれた単発の仕事は在宅で引き受けてました。 が、ルイの小学校進学先がほぼ決まった時点で本格的に、在宅の仕事をフリーランスとして稼働することにしました。幸い、昨年から今年にかけての心理学の勉強中に、心理学実験等の統計を取らないといけない課題が沢山あり知り合い中心に、臨床のアンケートを取ったりしてたので眠っていた人脈が一気に起き上がりはては、お仕事というお土産まで連れて戻ってきてくれたので満を期して、というか、時期だったのかもしれません。 私は昔から、大学以降はずっと会社勤めのきっかけになったのも、仕事のつなぎも全部人脈、紹介、口コミから。それこそが、身を助く、という感じです。ありがたいです。 なので、つくづく、ルイが将来仕事をするようになる時には人脈を身に着けておくこと、仕事とは、会社に勤めて仕事を持つ形だけではなく会社に自分という枠を入れ込む形だけではなくルイ独自の、自分らしい人間的枠のままで仕事を得て、自分ができるコントロールの仕方でできる仕事を得ることもできる、と知ってほしい。それこそが、最強の武器になる、と信じています。 なので、自宅で仕事をしている時にできるだけ、私がしていることをルイには説明するようにしています。 一番、てき面にルイに影響があったのが、「英語」でした。ルイは、英語のヒアリングが苦手で(音が繋がって聞き取りにくいらしい)小さい頃から、何度か歌や踊り、会話なんかで英語を楽しんでほしいと私なりに、機会を提供しましたがことごとく拒否。 なので、あきらめて、一切英語には触れないでいました。 ところが・・・私の在宅の仕事は、全部海外の知人からいただいているので電話、メールをしていると、英語が家庭に入ってきます。たまたま、「緊急の扱いでお願い」と入ってきた依頼があり電話を切った後、メールで内容をチェックしている時にルイに、「今、~さんから電話があって、日本語がわかる人がいなくて大変なんだって。週明けまでになんとかしてほしいってお仕事が入ったから、メールで見てみるね。」 と言って、メールチェック。ルイは興味津々で私の背中にへばりつき。英語を読んで「うわ~すっごく困ってるって。この前、ママのお勉強のお手伝いをしてくれた人で、ママの苦手な図を作るのも教えてくれた人なの。(図というのが、Excelだったりする)恩返ししなくちゃねママ、頑張るわごめんね、今から仕事するから、ルイは歯磨きと寝る用意をどんどんすすめてね。」 と、ルイの寝支度の見守りを放棄し(ごめんよ~)カチャカチャ、やりはじめました。 ルイは、寝る前に「ママ、頑張ってね助けてあげてね」ってちゅ~してはげましてくれました。 それ以来、ルイは英語を口にするようになりました。電話での会話中に聞こえた言葉について、「ママ、~ってよく言ってるけど、なんていう意味」と聞いてくれて、教えられるようになり(ルイに英語を教えられるというのが奇跡的な変化)、なんと小学校の入学準備クラスの、英会話の授業で1回目から「嫌いな英語だぁ~」と、一番後ろに座っていたルイがこれ以降、前を陣取り、前記事に書いたような「ネイティブの先生にべったり」の状況にまで(極端に、ゼロか百な行動になるのがルイ)発展。 いつもは、海外からお友達が来日した時に、一緒に会う?と聞くと「ママだけ行っておいで~ルイは英語は嫌い」って言ってたのが今度、ママのお仕事してた時のお仲間が日本に来るからルイにも会いたいって言ってるし、会ってみるお友達にも中学生の女の子がいるから、楽しいよ?って誘うと「行く行く~ ルイは学校であいさつを習ったからできるよ」って、積極的なお返事が。 私の願いとしては・・・こうして、私の仲間や人脈の中で、自然に英語を使うようになり仕事というものを、親がしている事を通じて日々の生活の中で知っていき自然に、色んな人の考えや性格に触れることになり全く違う世界の人たちと仲良くなってもらって私の人脈を、ルイにごっそり残していきたい。大人になった時、私の海外のママ的な人の子どもや孫がルイの、良き友人、良き理解者になってくれるだろう。家族として受けれられれば、どこまでも力になってくれる人たちだから。 その中で、日本人として、日本語ができるなら、日本の文化を知っているなら、とルイが手助けを求められる番になったらそれを仕事として、提供していけるといいな、と願ってます。可能なら、中学の後半か高校の前半ぐらいで簡単な仕事のデビュー、体験をさせてやりたいです。 それに人好きなルイ、明るく楽しいことの好きなルイならきっと、海外から来た人を接待することは大好きになる。 気長に、何年も何年もかけてルイの生活の中に「仕事」というものを自然に取り入れて気がついたら、仕事ができていた、という状態になるように置き土産してやれたらなぁって思います。 ルイに、私が培ってきた人とつながることの大切さ人とつながることで、仕事は自然発生的に「自分を求めて」やってくること自分に枠をつくらず、いろんな場所、いろんな人を「自分が好む状況・環境で」関わって生きていくコツ、みたいなものを全部、伝授して代替わり(?)したら 私は旦那と、田舎での~んびり、ホストファミリーでもやりながらゆっくり過ごしたいなぁ。 もう、あと15年ぐらい経てば、実現しているかも仕事をはじめることに、葛藤があったのですが(今度記事にします)やってみて、よい影響が出てきたのを見てちょっとほっとしたので、記事にしてみました。 にほんブログ村
2012.12.10
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ルイの進学先小学校での、入学前準備授業でのこと。 ルイは元気に明るく、積極的に参加している様子ですがあちこちで、壁にぶちあたっています。他のお子さんが、全く気にせずスルーできること教えられなくても、雰囲気や状況で考えてわかることに、ルイは「ルイらしさ」ゆえ壁を感じたり、こだわった理解、偏った視野で考えるようになります。そこに、不安や不満が生じるわけです。それを消化(昇華?)するために、私とルイはよく話し合うようになりました。 本当に、ささいな事です。どんな授業でも、先生の質問に答える生徒は、先生が指名します。ルイが3番目に座っている時、目の前の子が一人、二人と当てられた。「次は自分だ」と楽しみに身構えていたら・・・(←完全に勝手に思い込んでる)隣の隣の列の子を先生が当てました。 私は、あっちゃ~、まずいなぁ、とヒヤッとしました。今までのルイなら、思い込んでたことが実現しなかったショックでびっくりして思考停止し、期待したことが適わなかったことから落ち込んで立ち直れずやる気なくして、後半の授業はぐだぐだだろう、と。 ルイ、後ろを振り返って、涙目で私を見つめました。私は声を出さずに(だいじょうぶ。そういうこともあるよ。)と口が読めるようにゆっくり、わかってるよ、という表情を必至で作ってアピール。ルイは、くるっと前を向いて、意外にもその後持ち直しました。 ある時は、「先生との距離感」がマズイ状況に。英会話の先生が好きになったルイはレッスンがはじまると、前に陣取り(英会話は生徒は床に座り、先生のみ椅子に座る海外の授業スタイル)先生の気をひこうと、常に手をひっぱったり手をつないだりします。他の生徒がしないことを、ルイだけがしてしまう。 これらの内容は、ルイが自分と先生の世界しか「見ていない」「意識していない」ために起こっている気がします。お友達が、視界に入っていません。先生が見ているのは「自分という存在だけ」という錯覚を起こしているのではと思わせるような、ルイの様子でした。 先生と自分だけの世界を展開している。だからこそ、先生の一挙手一投足に過敏に反応する。ここを、変えないといけません。家で、ひとつ、ひとつ、解説して、本当に少しずつ身に着けていくのがルイです。幼稚園という組織を理解させるために、同じことしたなぁ。年少の頃と、変わってないなぁ・・新しい環境や組織に入るとき、そのシステムを自分で感じ取れない自分で学んで身に着けていきにくい。やはり、かわらず特性として持っている傾向があります。 ルイが帰宅時に一番聞きたがった、「先生に当てられなくて飛ばされた」ことは 小学校は、幼稚園とは違うということから、きちんと説明する必要がありました。 ・小学校は、「45分の間に終えないといけない勉強の量が決まっている」こと。・全員を当てる時間がないから、前2名、後ろ2名とか、結構適当に数人だけ当てる。・当てるのは、きっちりとした順番やきまりはほとんどない。(適当だと強調) 幼稚園では、平等に、みんなが楽しめるように先生は考えて順番とか気を使ってくれたけど小学校では、勉強をきちんとスケジュール通りに進めることが一番大事なんです。国から、「子どもにこれだけ、勉強を教ること」って小学校は決められているから、そのたくさんの内容を、きちんと「今日はこれだけ教える」って先生たち皆で決めて授業を作ってるからね。 みんな平等に当てる、は時間的に無理なの。なので、先生が数人を「みんなの代表として」当てて理解してるかな~、どんな意見を持っているかな~、って聞きたい時に当てる。同じ意見が2人続いたら、3人目は違う意見が聞きたいからわざと、違う事を言いそうな、間違いを言いそうな子を選んだりもするよ。 それと、何度も質問してた子に、先生が「質問は手をあげてから」とか「その質問は、後でね」」って言って、返事しなかったりしてたよね。あれも、理由があるんだよ。何度も何度も同じ子ばっかりが「あ、言いたいことがある!」ってしゃべりだしたり「もう一回言って~」「あ、今の聞いてなかった!」って、先生が話す度に、クラス全員が毎回、毎回、聞いたり「全員順番にあてて~」って全員が言ってたら、授業は進むかな?(進まないねぇ、とルイが返事) だから、先生は、心の中で時間と相談して「もうあと少ししか時間がないな」って時は、後でね、っていうこともあるし「子どもが話を全部聞かないで、言いたいことだけ言おうとしているな」って時はまず、「きちんと聞く練習をしましょう」と手を挙げても当てないで、聞いてね、聞いてないと当てないよ、と調整みたいなことをすることもあるよ。それは、授業をきちんと進めるためにやっていることで、先生のプロとしてのお仕事なんだよ。だから、当てられる、当てられないはルイが気にせず先生にまかせて、当てられたら答えられるようにしておけばいいよ。 勉強でわからないことはいっぱいでてくるけど、授業中に、ルイのわからない所を、先生は全部聞いたりしないよ。最後に「補修」って時間があってその時は先生がいっぱいいて、みんなが自由に質問して教えてもらえるの。勉強でわからないことは、全部まとめて、補修の時間に聞こうね。勉強以外でわからないことは、ママか先生に聞いてね。 そして、英会話のレッスンのことは私から「注意事項」として伝えました。先生を独り占めしない、先生に触り過ぎないこと。 ルイは、好きな大人(かまってくれそうな人)への距離感が近すぎる時があります。学校という組織では、ほとんどその傾向は見せませんが「椅子に座らない状況」「かなりフランクでフレンドリーな先生」という今までにないリラックスした状況のレッスンでついつい、「遊びモード」に入ったようです。なので 英会話は授業です。(授業で遊びの時間じゃないことを明言)他の子どもがしないことはしない。(誰も先生にべったり触ったり抱きついたりしてなかった、とルイに気づかせた)一人だけ、先生と手をつないだり、べったりすると独り占めになるからね。 そして、鉛筆エピソード。 小学校では筆箱も下敷きも学校指定のものです。鉛筆を、そこに入れます。今はまだ学用品は購入しない時期なので、練習用に学校から貸し出されています。何かと作業に鉛筆を使うようになっていますが「鉛筆の先が減っていくけど、いつチェンジしたらいいかわからない」ルイは絵を描きまくって、先っちょ部分が減りまくった鉛筆で次の算数の授業を受けようとします。そしたら、木の部分があたって、数字がかすれたり、書けなかったり。 筆箱にきちっと入った、新品の鉛筆だからいつもの家での鉛筆を使う場面や「状況が違う」ので「順番に、大事にきちんと使わないと」とか勝手に思い込んだ模様。「新しい環境、学校指定の筆箱、授業で使う鉛筆」という状況では家で鉛筆なんて使いまくっているのに妙に緊張して、「丁寧に大事に正しいやり方で使う」という意識が働いたのか書けなくなるまで使って、次の鉛筆を使おうとしてました。 なので、ルイと相談して「科目ごとにシールを張って、算数の鉛筆、国語の鉛筆を作ろう」「書きにくくなった時の『お助け鉛筆』も作っておこう」ということにしました。きちんと決めたほうが、ルイは混乱しません。「自分でその時に判断して、鉛筆を替える」というのが必至で書字していたり、計算していたりしたらたぶん、書きにくくなっても「鉛筆を替える」ということができないです。頭がまわらないというより一つのことを必死にやっている時は自分で考えて行動することができにくい(鉛筆を取り替えよう、など)。『お助け鉛筆』という役目を与えた鉛筆を用意しておけば書けなくなった時『お助け』してもらう役割の鉛筆なのでただ、使えばいいので、考える必要がありません。 ・・・ということで新1年生の、誰もこんなことでひっかかってないだろうって所で、ルイはえっちら、おっちらと引っかかってます。準備期間中の体験授業でこれだからこれから、山ほどルイが困ることは出てくるはず。 でも、幼稚園で作った「わからないことを一度家に持って帰ってママと考えてみる。解決できなかったら、先生にも相談する」というパターンがこの2年半でできあがっていてそれがルイにとっては、一番うまくいくパターンらしいので小学校でも、おそらく、そうして問題解決していくだろうと思います。 というか、すでにそのパターンで進行してます 報告(ルイから私へ)、連絡(私と先生の連携)、相談(主に私とルイ間で)をきちんとしてさえすればなんとかなるんじゃないかな~と、能天気に考えていますが・・・結構、小学校という組織、環境の壁はルイにとって高いです。 にほんブログ村
2012.12.06
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日々さむくなってきました。朝の冷え込みは、大人でもつらいです ルイは、朝の登園時、髪を三つ編みにしているせいで首がすーすーするから、マフラーをまきつけていきます。これも必須アイテムなんですが・・・ 最近、「さむい。むっちゃさむい。」と、ぶつぶつ文句をいいながらテンション下がりまくりの歩きでした。 これではいけない朝こそ、明るく楽しく登園できないとと、ある最強アイテムをゲットしました。 それが・・・動物さんのイヤーマフです。お耳周辺がふかふかで温かくなれば気持ちも温かくなるかな~と ゲットしたのですが・・・ 命中(かしら??)的中?大ヒット 朝、玄関から出るときに「今日からこれどうぞ、使ってね。」と渡したら・・・「うわ~なにこれ~なにこれ~かっわいい~」とテンションあがりまくりスキップスキップで登園。11月下旬に買いまして、12月上旬の今まで楽しそうに朝の登園時間をむかえられています。 バスに乗るときに、コートやマフラー、イヤーマフは預かるのですが・・・「ママ、帰り道が寒いから、これどうぞ」と、動物イヤーマフを私の頭につけてくれるんですが・・・ バスから外をのぞく園児さんたちが、爆笑して先生も笑いをこらえながら・・・バスは去っていきます。 せっかく、ルイがつけてくれたイヤーマフだから、はずしがたく悩みつつも、そのままつけて帰路を歩いていると・・・道行く人の、視線がイタイ それでも、ルイの愛情に負けてイヤーマフしたまま、毎朝バス停から帰宅するおばかな私です。 アニマル イヤーマフ 猛獣系 乙女 レディース カワイイ あったか イヤーマフラー 耳あて【マラ...価格:819円(税込、送料別) ちなみに、首にしているマフラーはうさぎさんです↓ ★★冬の新作・楽天ランキング3位入賞★★再再入荷♪ベビーアニマルふわもこマフラー841012&84...価格:970円(税込、送料別)にほんブログ村
2012.12.05
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最近は、家で在宅での仕事を増やしているのでルイが幼稚園に行って不在の間はず~~~っと、パソコンの前でカチャカチャやっています。 パソコンに集中しすぎると、肩こりや腰のコリがひどくなったり目が疲れて、やや痙攣ぎみになるので休憩は必須 でも、区切りのいいところまで~って思うとついつい、集中してしまうんですよね・・・肩こりや眼球疲労も、あまりにも度がすぎると体調を崩したり、発熱につながることもあって家族に迷惑かけるから、その辺はシビアに調整しないといけません ということで、私に一番いい方法は「CDで好きな音楽を聴き流しながら仕事すること」です CDの中の全部の曲が好き、というわけでもなく時々、飛ばしたくなったりします。あと、トータルで聞いても1時間ぐらいだから音楽が終わったら、背伸びしてお茶を飲んだり新しい曲をかけるために、CDラックに向かったり。 今一番いいサイクルができているのは「オペラ序曲、間奏曲集」 カラヤン=ベルリン・フィルハーモニーですわ~ 映画やコマーシャル、ドラマのどこかで聞いたことがある・・・というような、劇的でドラマティックな曲ばかり。 カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲、というのがものすごく、泣けるような壮大な響きがあっていいのですよ 淡々と粛々と進めないといけない仕事に壮大な感情を揺さぶる音楽をかけると、ちょっと情熱的になれます。 修道女アンジェリカ間奏曲と歌劇<道化師>間奏曲とマノン・レスコー第3幕間奏曲(ものすごい魂こもった盛り上がりをみせる!)歌劇<友人フリッツ>間奏曲 これらの曲たちを聞いて、魂をゆさぶられない人はいるんでしょうかってぐらい、メロディックで入り込めます。早くサビを聞きたくなります。いらない曲をすっとばしてみたり。いい曲をより集めてあるから、全部いいんですが「あの部分の、あの盛り上がりとあの旋律を聴きたい」というピンポイントな楽しみ方をしてしまいます。 もうすぐ確定申告もしないといけないし・・・肩こり予防に、CDで大好きな音楽をかけながら休憩が強制的にとれる環境作り(?)しようと思います。 ↓ こちら、同じものではないんですが・・・似たタイプのオペラ序曲・間奏曲寄せ集めCDです。 【送料無料】KARAJAN 2008 カラヤン マスターワークス::オペラ間奏曲集 [ ヘルベルト・フォン・...価格:1,500円(税込、送料別)にほんブログ村
2012.12.03
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ルイの進学先の小学校では入学前の準備について、数回にわけて保護者と子供達それぞれが、セミナーというか説明を受けます。 子供達は、小学校の先生(おそらく担任になる予定の先生)と新1年生になったら使う教室で、授業を受ける作法(返事の仕方や座り方、先生への質問の仕方、トイレへ行きたくなった時の対処法など)を教えてもらい、お試しの授業も30分ほど受けます。 毎回同じメンバーらしいので、すでにクラス編成がされているようです。公式発表がないのは、他の国立、私立に合格して辞退した場合に再度クラス編成が若干されるためだそう(先輩ママさん談)。 校長先生、教頭先生、現場の先生方が、かわるがわる色んなトピックで、保護者向けに学習会を開いてくださっています。 先日の説明では、校長先生の思いが炸裂していました。 前どり学習をしないでください!(授業が暇になると、低年齢の子たちは不適切言動につながりやすいから)「もう小学生だから」と、急に要求を高くしないでください!(まだまだ、年長さん。少しずつステップアップさせるのが自信につながる)家庭での、生活の基礎力をつけることに、全力を注いでください! とのことで、この「生活の基礎力」が、重要だそうです。 自分の名前を聞いたとき、きちんとした反応が返せること。挨拶を自然とする習慣が身に付いていること。衣服の着脱と、脱いだものへの気遣いができること。トイレへ行きたくなったり、わからない時に、先生にサインを出せること。(発言でも、側に寄って気を引くのでも、メモを渡すでも何でもいいので)そして、早寝早起きができること! 朝、早く起きて、しっかりとご飯を食べて頭が回転したところで、学校で先生やお友達と会い自分らしい活動ができるように、頭と体がスムーズに動く。それには、2時間ぐらいの猶予がいる。 起きて、あわてて小学校へ行くとその後、頭や体は言う事を聞いてくれないのが、幼児から児童への成長期!ベストな状態ではなく、ワーストな状態だとお友達との会話も、対処力も、学力も最低限にしか発揮できず自分の能力に自信を失うきっかけになる。子どもは、大人とは違います!体の状態が、その日の気持ちや感覚機能の状態に直結します!未熟な体だからこそ、朝の準備をしっかりしましょう。(これはなるほどでした。) 全国一斉テストでも、国語力や算数力のことが話題になります。目指す所は、中学になった時に「長文を読みこなす力」「文章問題を読み解く力」がついていること。そのために、小学校では日々の学習を積んでいる。この力をつけるには、塾で頑張ったり、ワークをいっぱい解くのではなく「生活力をつけるために、家族で話し合ったり、考えたりしているか」が大事だそうです。 家族との毎日の生活の中で生活リズムがだらだらな状態を、親がスルーする。子どもが、改善しない。話し合いや解決法を、両者が考えることなく「早く!早く!」とせかすのは何も思考的、行動的な力がつかない根本の問題。だから、生活を大事にして、良く話を聞く、相談をする、生活を親というサポーターの支援を受けて、コントロールする。 これが、長文を理解する忍耐と、根気と、知恵という学力の伸びにつながっている。 ・・・と、小学校全体で統計をとって調査し、分析した結果なのだそうです。なので、前取り学習に力をいれてひらがなを書けるように~とか言う前に朝、早めにしっかり起きて、朝ごはんをしっかり食べる努力を繰り返す。これほど根気のいることは、ありません!と、断言されてました まあ、そうですね。なので、我が家でも、早起きはできてますが早寝がなかなか・・・なので、そこを頑張ります。 にほんブログ村
2012.12.02
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子どもは、お友達関係が発展してくると色んな耳情報を得てきます。そして、遊ぶ際の話題にのぼるゲームやおもちゃなんかにも興味が出て。お互いの家を、遊びに訪問しあうとお友達が持っていたゲームやおもちゃ、お菓子なんかをお店で見かけたり、テレビのCMで見たりすると・・・「これ!○○ちゃんが持ってた!ルイも欲しい~買って!」と言うようになりました。 ゲームは、私の主義でまだ買いません。私が小学校の頃に兄弟とゲームにはまり成績がその時期、急下降して、子どもながらに通知表を見てショックを受け封印した、といういきさつがあります。 アスペルガーだとルイの主治医から言われている旦那は独身時代に、ギャンブルにつぎ込んだ一時期がありました。その時は、預金をすべて使ってしまい後で「バカなことをした」と、二度とやらない(根が真面目なので)と決意してそれからは、一切ギャンブルはしていません。 ルイは私にも似ているし、過集中なパパにも気質が似ていて、凝り性なので、ゲームにははまるでしょう。せめて、自分をコントロールする力がもう少し。もう少し出てくれば、時間を決めてやっていいと思っています。 ゲーム機は買いませんが従兄弟に教えてもらった、PCのオンラインでできる無料ゲームはしています。パパがいる時限定で。時間を決めてしているのですが・・・すんなりとやめられない。それが、ゲームの魔力。なので、無料ゲームで、時間制限の予告、タイマーをかける、タイマーが時間を知らせたら、潔く終了。これが徹底してできるようになるまで、絶対ゲーム機は買いません 他の、「欲しい!」という欲も、ぐんぐん成長してきました。6歳ですが、あまりお金の観念が育っていません。なので、漠然とですが、我が家のお金の管理について教えています。 まず、旦那が給料日を過ぎると、現金で家庭にお金を入れます。ルイの目の前で、現金がどかんと入った封筒を、私が預かります。「今月もありがとう。大事に使うよう管理を頑張ります。」と宣言して預かります。 その後、ルイが「~が欲しい」と言った場合は「今月は、もうおもちゃを買うお金がない。」と断言「ええ~買って~買って~」とダメもと交渉がはじまりますが「これを買う予定はありません。」とさらに断言 それでもしつこい時には「お金の管理はママがしてます。何に使うか、きちんと決めてます。今おもちゃを買うと、来週はご飯が買えません!ルイはお弁当を幼稚園に持って行くことができません!ママは、そうならないように頑張って考えています。」と言うと、さすがに、しぶしぶ諦めます。 ママのお仕事は、お金の使い道をきちんと管理すること。お家のお金。電気や、ガスや、水道の使った分を払うお金。(時々、こうして使った分を測定しているんだよ、とメーターを見せてます)ご飯を買うお金。おもちゃやお菓子を買うお金。幼稚園に渡すお金。バス代も払ってるんだよ。洋服のお金も必要だし。 と、わからないながらに「お金には限りがある」ということをまず、徹底して覚えてもらおうと思っています。 家庭でのお金の流れや、パパが働いてお金を得てくる。その限りあるお金を、大事に使う。という意識が、まだまだ薄いです。 ルイは、祖父母や親族からたまにもらうお小遣いがあるのでそれを、手元に置いて管理させています。使い方は、まだ自分で考えて、は、無理ですね。私や旦那から、お金を渡されて、その中で物を買うことは一人でできますが。 気長に、でもそろそろ小学校1年生なのだから今までのルイの大雑把なお小遣い管理のやり方を改め、きちんとできるように適切な教え方を、まず研究してから、実行してみようと思います。 にほんブログ村
2012.11.29
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ここしばらく我が家ではルイの日常的なパニックは夫婦共に、あまり意に介していない気がします。 ルイが癇癪を起こした時、パニックした時の泣き叫びようはすさまじく過去には、私がルイの連日の大声での泣き叫びにつきあったら突発性難聴になったぐらいです パニックには、必ず理由や原因がある、とその原因を解決してやりさえすればその後、同じ内容でパニックに結びつくことがないと感じ昔はつられてイライラしていた旦那でさえ、今はクールに対応しています。パニックして泣き叫び転がっているルイを前に私と旦那は「何が原因だと思う」と、堂々と(?)話し合ってたりします。で、上手く説明できそうな方が、ルイを「泣き部屋」に拉致します。泣き部屋に場所を移動させればルイはしばらく泣きわめいて転がっても、落ち着くのが早いです。泣きが穏やかになってきたら、原因と思われる内容について具体的に、工夫や対策、つまり解決法をルイに丁寧に教えます。パニックした後の虚脱感かパニックしたくない自分の気持ちからか親の迫力からか・・・ルイは、パニックした後は、よく話を聞いてくれます。しっかりと、理解したことを確認した後にリビングに戻ってきてルイは、教わった事を実行。もしくは、気持ちも切り替わり、家族全員が楽しく過ごすことができます。 ルイの癇癪や、パニックの原因は意外と細かい内容が多いです。 ・作業が上手くいかない(真面目すぎるゆえの自分に対する怒り・焦燥・失望)・自分が思ったように周囲が動かない・賛同しない そういうのが、きっかけになりますね。なので、結果として教える内容としては・・・セロハンテープのきちんとした使い方を教えたり丁寧な手先の使い方の手順を教えたり他人の心の機微を伝えて、どう全員が納得することができるかなど細かい内容を教えて、マスターしていく感じです。パニックを起こした時こそがルイに教えることができる最大のチャンスだと思って対応してます。ルイのわがままが過ぎた時や聞けない過剰な要求を、親が拒否した時ももちろんルイはパニックになることがあります。親が決めた、守らないといけない一線をルイが超えてしまい、叱らないといけない場面は意外と多いです。パパには大目に見てもらっていても、私は立場上「ルイの基準」となる定規のような役割をしていて私が叱らないと誰にでもやる、私が叱る事は、絶対ダメなんだな、という様な入り方をルイは自然とパターン化して身に着けます。その例としては・・・先日は私に「ママなんて家から出ていけ大嫌い」とかなりの暴言を吐いたので「言った事の責任を取る」という教訓と「言った内容を、しっかりと現実的に理解させる」ために荒療治しました。ママは出ていっても仕事して稼いで一人で何でもできるから、困らない。ママが出ていた後、ルイは簡単なご飯ぐらい作れて、幼稚園の汚れた体操服と上靴を自分で洗えないといけない。パパは仕事で稼ぐので忙しいから、ルイは家で1人でやる仕事がたくさんできるよ。ママが出て行ってからすぐ困るのだから、今練習しなさい。と、泣き叫ぶルイに、上靴の洗い方を説明し、やらせ。(かなり無理やり)でも、上靴を洗うという作業をしているとルイは頭が冷えてきて、真剣に洗いだしました。「洗えた」「うん、大丈夫、ちゃんとできた。」「上出来じゃあ次は、お洗濯だね」と、体操服の泥を、まず石鹸で洗って落としてから、洗濯機に。洗濯機の使い方も説明し、やらせて。最後に、台所に連れていき、簡単な食事を私の指示のもと、作らせました。「ご苦労様。これでママがいなくても、何とかなるよ」と褒めると真剣なまなざしで、私の前に来て「ママの仕事は大変です。ルイは全部してもらってました。酷い事を言ってごめんなさい。」と言いました。それからは、私とルイはより仲良くなり、良い時間を過ごせました。 言葉が持つ意味を、理解してほしいのです。私の気持ちの想像は難しくても言った内容が、どんな結果になるかは、経験して知ってほしい。これがお友達相手だったら、絶交して終わりかも?社会人だったら、二度と相手から振り向いてもらえないかも。 ルイは、他人の気持ちの想像はできなくても原因と結果がはっきりとした内容は、しっかりと記憶します。私はルイの暴言を聞き流さない唯一の人間です。暴力的な行為も、一切許しません。(目には目を、で即反撃します)パパや祖父母、他人は、ルイが何を言っても何をしても最終的に大目に見ることが多いのです。でも、私が暴言、暴力を許すと・・・禁忌というハードルが低くなり祖父母、パパ、周囲の人間誰にでも簡単に言う・やるようになるので私だけはルイの暴言を許さず、暴力を許さずきっちりと指導することにしています。ルイがきちんと納得するまで、時間もかけます。 私が指導体制に入ると、ルイは泣き叫ぶパニックを起こしますがパニックしたからといって、何も免除しません。容赦しません。パニックだから、何でしょう。逆に、自分に、相手に真剣に向き合う良い機会です。パニックは、やっぱり色んな意味で、ルイが大きく成長するチャンスだと思います。 例外としては・・・外出中は、パニックさせません。混乱したり、イライラしたり、失敗しそうな場所へ連れて行かないですしセルフやビュッフェなど飲み物・食べ物を持って動く所は失敗危険率が高いから避ける混んでいるスーパーでの買い物はしない(生協宅配ばかり利用)テーブルの上に装飾品(ガラスの小瓶など)が多いカフェも避けるなど、大丈夫そうな場所であっても危うい、と感じたら、即時撤退をモットーにしている夫婦です。バスや電車で移動中だろうと、特急で指定席だろうと食事中だろうと惜しまず、悔やまず、即時撤退。なので、外出時のパニックはほぼありません。本人にとって、即時撤退は残念なことでもあるのできっと、経験を積んでいく中で年齢と共に、ある程度ガマンと頑張りが利いているのだと思います。 私達夫婦のやることは正しいかどうかなんて、気にしていられない。そしてルイの最後の砦が、私だ、と言う事だけはっきりしているから、私はずっと、砦を守るだけです。 にほんブログ村
2012.11.26
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さてさて、念願だった七五三。楽しみにしていた七五三。当人のルイよりも、私の幸福感が勝っていた、七五三。ものすっごい、私の気合いが入りました。 朝から、ご飯もそこそこに、着物一式をいそいそと用意。髪結いに使う道具一式も用意。 ルイにお子様用下着や長襦袢に着替えてもらいテレビを見てもらっている間に、いざ日本髪を結うのだ ・・・む、むずかしい練習とは違い、見目綺麗にまとめてスプレーで固めないといけないので櫛使いが難しいひぃいいい~ 悪戦苦闘しながら、結い続けること、30分。ルイが「ね~、なんか、前髪がず~っと邪魔なんだけど」と、最後に結う予定の前髪部分がざっぱ~っと顔にかかっていたことにも、私は気がつかず。すまないねぇ。 で、やっとできた時には、結構疲れました。そして、念願の、選びに選んだ着物の着付け。お高いものではなくてルイには悪いけど絵柄と色と印象で決めました。 着物を着せ付けるのは、とても楽しい。どんどん、綺麗になっていくルイを見るのも、楽しい。はこせこを差し込んで、扇を帯締めにさしこんで。そして、最後にルイが選んで購入した、簪3つを髪に挿し。完成感動~ 写真を撮りまくりました。神社に行くまでの道すがら、足袋の親指部分に鼻緒が食い込み「痛いよぉおお~」と何度となく訴えるルイ。 私のわがままで、「神社で写真を撮ったら、お靴にはきかえていいからね」とお願いしました。そう遠くはない神社まで、しゃなり、しゃなりと歩きます。道行く人たちが「きゃ~ちっちゃいのに、着物きてるわ~」とか「か~わいい~」とか「昔風の髪型だよ~時代劇みたい」「髪の毛が舞妓さんだ~」とか言われ続けて・・・ルイ、鼻緒の痛さにテンションが低くておどろおどろしいオーラ炸裂し、すねすねだったのが・・・どんどん気持ちがUPしていきました。ありがたや~ ルイが文句たらたらに、かつ癇癪炸裂ぎみなのにたじろぎつつ(私は見慣れているのでスルーしてるけど、旦那には強烈な刺激)終始大人しく控えめでした。でも、しみじみとルイを「かわいい」と眺めていた旦那は眺めるだけで、気持ちいっぱいいっぱいな様子。(顔はクールに能面ですが) マメに、写真を撮りまくる私。神社でも「かわい~」の褒め言葉にご機嫌でニコニコと、ご機嫌なルイ。 なかなか楽しい七五三でした。 ちなみに、旦那は「ルイが、鼻緒が痛いと言い出した件から、暴走しててひやひやした。今日はもう、これで悲惨な一日になるなぁって覚悟した」そうですわ。 着物の七五三は、ハードルが高いのです。私も経験者なので、着物の窮屈さ、鼻緒の痛さは経験済み。なので、絆創膏を用意しはきかえる靴を用意し神社の途中にある和菓子屋さんで、金平糖を買う約束をしてひっぱり道行く人から褒め言葉をいただくことを期待して(ここが一番助かる部分)一発勝負に出ましたなんて無謀な でも・・・最悪の展開になる場合は、潔く、その場で七五三の着物を脱がせてあげようと日本舞踊のお稽古に使っている、普段着の苦しくない着物も持参してました。 結果的には、和菓子屋さんでGetした金平糖と、神社でもらった千歳あめと道行く人の視線と賞賛が、ルイの気持ちを引き立たせて楽しく、嬉しい思い出になる一日となりました。自分からポーズをつけて、写真も撮らせてくれたし 神社で祈祷を受けて無事に、ルイが七五三を迎えられた感謝をお伝えしこれからの成長も見守っていただきたいとお願いしました。 髪の結い上げから、神社での祈祷を終えるまで午前中いっぱいを使いました。結構大変だっただろうルイは・・・周囲からやれ七五三だ、めでたいね、おめでとう、とお祝いの言葉を、おじさんにもおばさんにも、お姉さん達にも色んな人からあちこちでいただいて着物姿を手放しで賞賛されたルイはこれが「特別な日なんだ」とはっきり自覚したらしく祈祷の後、親指の付け根に絆創膏を張って靴を「どうぞ」と出した私に「絆創膏はったから大丈夫きらきらのお草履の方がいい」と、その後のお散歩と帰宅までの道のりもず~っと着物とお草履、草履とおそろいのバッグも放さずにいました。 お気に召したようで、何よりです。 一大行事が終わり、疲れ果て旦那とルイは、すでに爆睡中です。私は疲れすぎて寝れないで、ブログ書いてしまいました。 帯解の儀も、終わってしまいました。神様の子であったルイを(7歳までは神様の子と考えられていたんですよね)やっと、無事に「ルイの親」と認めてもらって、改めて預かった心地がしました。 もう数えの7歳。あと、二十歳まで13年もない。あと、どれぐらいルイと一緒にいられるのかな。きっと、あっさり「行きたいところがある」とか言ってやりたいことをしに、日本中、もしかしたら海外へさ~っと行ってしまいそう。 ゆっくり、大人になってほしいな。ちょっと、楽しかった後の夜の静かさに、切なくなりました。 着物は、こんな感じでもう少し古典柄のものを購入しました↓正絹で、はこせこも草履も、足袋のサイズも選べたりします!【世話要らずフルセット】七五三 7歳(7才) 【送料無料】レビューを書いたら髪飾りプレゼント!...価格:27,800円(税込、送料別)日本髪はこんなのを、もう少し控えめにした感じ↓おはりばこオリジナル!通常タイプ正絹ちんころ房付き 七五三 日本髪 髪飾り価格:1,365円(税込、送料別)普段着には、このお店で色々買ってます↓【楽天ランキング入り!】【送料無料!】5〜10歳 ちびっこ着物セットちびっこおでかけ着物6点セ...価格:6,800円(税込、送料別)
2012.11.23
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ルイが、幼稚園のバスから降りてきて帰宅途中の道すがら、「今日は嫌なことが6つもあった。」としゃべりかけてきた。 でもそこはルイなので、覚えてるのは3つぐらい。あとは「あれ?忘れた」とな。 今、体操の時間に縄跳びをしてるんだけど・・・ルイだけ、全然飛べない。音楽発表会で、ピアニカとカスタネットとグロッケンをやるんだけど忙しすぎて、頭と手がも~よくわからないよ。カスタネットは、手のお肉をいつもはさんで痛い。 今日は仲良しのナナちゃんと楽しく遊んでたんだけど・・・最後の方はナナちゃん、ずっと先生とお話してた。ルイと遊んでくれなかった と、顔は比較的明るいんですが、ぽつぽつと、「もやもやん」が積もっている様子。 縄跳びはねぇ、飛べなくても大人になれるし大人になってから縄跳びなんてしないよ。ママはもうずっとやってないもん。縄跳びするのも今だけだから、縄跳びは別にできなくても後で困らないし。小学校の体育の時間も、縄跳びはちょっとしかしないよ~。(ふ~ん、そうか~・・・でも・・・もやもやん)やれるだけやったら、それでいいよ。練習したかったら、つきあうから言ってね。(まあ、考えておこう。) 音楽発表会は、できないことは先生に言えばいいけどできると思ってやってて、練習したらやれそうなら練習の回数を重ねると慣れるかも。まだあと1ヶ月もあるし。1ヶ月って、幼稚園をあと22回ぐらい行くのが1ヶ月ってこと。(なっがまあ・・・それなら、なんとか) カスタネットは気をつけようね。手の平をまっすぐ(こうやって、と実演)して叩くとたぶん、お肉ははさまないよ(そっか。了解、了解) ナナちゃんは、先生とお話してたんだぁ・・・先生が、お話があったのかな?(先生に呼ばれてた・・・)ルイと遊ぶ約束をしてても幼稚園では、先生に用事があって呼ばれたら先生が一番、だよね。先生の用事の方が優先されるから(優先順位については事あるごとにNoticeしている今日このごろ)ルイとの遊ぶお約束を、途中で2番目にしないといけなかったのね。先生に大事な用事が急にできたら・・・途中で優先順位の順番は変わることもあるから、しょうがないね。ナナちゃんは、ルイとは遊びたいけど先生の用事が一番目っていうのを、ちゃんと守っただけだよ、きっと。(と話すと、ルイの顔が輝きました) そんな感じで、ルイは、ひとつひとつ五臓六腑に染み渡るじゃなくて・・・腑に落ちるまでは、ずーっと「もやもやん」を抱えて、覚えているので私が「断捨離」をする役目を、なぜかさせられてます もやもやん、が消えるまでず~っと思い返しては、繰り返し私に言って来るルイなのですが断捨離が済めば、ほとんど記憶の彼方に放り出す感じです。いや~、成長しました。 「ママは、いつも誰にもやもやんを話してるの悲しくなることは、ないもうだめだって、ルイは良く思うんだけど(特に工作が上手くいかなかった時)ママは、あんまり叫ばないし、ニコニコさんだよね~」 って、つっこまれました。イヤイヤイヤイヤ、泣いたり唸ったりしてますから(主に一人で、そして旦那の前で)。けど、ルイには、私が一番信じて、心の底から思っていることだけ、伝えました。 「明けない夜がね、なかったんだよ。明けない夜ってね、毎日、夜が来ても、必ず朝が来るってこと。悪いことがあっても、必ずいいことがまた戻ってくるってこと。いや~なことがあっても泣いたことがあってもしんどいことがあってももうだめだ~って思ったことがあっても必ず、いつかそれが終わってず~っとは続かなかったの。いいことや、楽しいことが、必ずまたあったの。だからね~、大人になってそれを知ったから、のんびりしてるのかな~。大変なことがあっても、またその時だけで後で大丈夫になるから、ちょっとだけガマンしてたら、すぐ良くなるよ」 と、できるだけ、ルイにもわかるように(たぶん)話をしたらルイが喜んでくれた。「ママみたいに、なんか大丈夫~って思っとくよ」と、スキップ、スキップしておりました。 ・・・思い込みって、大事です なんとなく、明るい未来を感じてくれたかなそうだといいな。ママは大人で、大人だから教えてあげられることもあるはず。 これからも、こういうお話ができるといいな。ルイ、6歳。かなり、共に人生を語れる年齢になってきました。(かな) にほんブログ村
2012.11.22
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先日、幼稚園の母親の会があり今後の保育発表会の予定や、役割決めなどの話し合いがありました。その話し合いの最中に、子ども達がぞろぞろ~っと講堂に入ってきて「今日は、いつも頑張ってもらっている保護者さまに子ども達からねぎらいの、お歌のプレゼントがあります。」と、サプライズで歌のプレゼントをされました。ふ~ん、デジカメ持ってきて写真とって、録画したかったな~とか思っているうちに、お歌がはじまり。ルイはすぐ、私を見つけて(目ざといのです)ニコニコ笑いながら、歌ってくれたんですが・・・「ママとゴーゴー」というお歌でママ、ママ、明るいママ とかママ、ママ、楽しいママ とかママ、ママ、元気で若くて とか (若くないんですけど)歌詞がかわいらしく、初めて聞きました。で、何気な~く、ほのぼのと聞いてたんですが「う~ちのママ~ せ~かい いち~」ってルイが、背伸びして、得意げに大声あげて歌ってくれた所で「どっぱ~」と涙腺が決壊。あまりに可愛いお歌とうれしい歌詞と子ども達の自慢げな表情とであちこちで、お母様方が微笑みながら涙を流すという・・・とんでもない、不意打ちのサプライズプレゼントでした。子ども達が去った後も余韻さめやらず、ママさん達は「ふだん小憎らしい事言っている子からあんな風に言われたら、泣けるわ~」ってしみじみ言っておられて。我がやんちゃっ子ルイもあんなに表情豊かに、「ママのために歌ってるぞ~」って感じで歌ってくれるなんて、幸せでした。先生が「気持ちをい~っぱい お歌にのせるんだよ~って言うと練習するたびに、子ども達にも力が入ってきて。いい表情して歌ってくれました」と、先生の思う壺。本当に元気がでました子ども達、ありがとう。にほんブログ村
2012.11.20
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先の記事、未就園児対象の、プレスクール。 登園拒否した理由は、「先生への反感」から?に関係した内容です。 ルイが3歳になりたての頃、近所の幼稚園の先生にかなり厳しい反感を持ち、その園への入園を拒否し、そして、自分が絶対ここがいい、と思う園を選択した、という話。 先の記事だけを見ると、「近所の園って、そんなにヘンな園なの」と思ってしまうかもしれません。なぜなら、先の記事は、私達「B面の世界」からの視点だけで書いているからです。 3歳当時のルイが、実はかなり、こだわりがあり子どもらしい大雑把さや天真爛漫さ、未熟さなどに欠けるかなり周囲の人間に対して手厳しい。そんな子どもだった、ということだと思います。 その現実的な例として、近所には本当に沢山のお子さんがいます。ルイと同い年の子も、お隣さんも向かいのお家の子も公園で良く会う子ども達も、どしどし、近所の園に入園しました。そのご兄弟もしかり。私の友人の子ども姉妹3人も、その園に入り何の問題もなく、園生活を楽しみ、上のお姉ちゃんは小学校に上がってこれまた、普通に何の問題もなく過ごしています。 皆さん、楽しくのびのびと、ルイが「嫌だ」と感じたその園の主義の下、何の不平・不満もなくお過ごしです。不満どころか、大満足でいらっしゃいますよ 実際、近所の園の方針である「こどもが、じっと座って、じっと話を聞きたくなる時期を粘り強く待つ」は、定型のお子さんにはうまく機能している、と思います。友人の長女はやんちゃくれで、年少では ばったばたの歩き回る、しゃべりまくる子でしたが同じクラスの子がおちついてくるにつれ「周囲を見て」座るようになり、いつのまにか、先生のお話中もちゃんと聞くようになりました。 しつけは、家庭が主導を持ってすること。園では、しつけはしません。服のたたみ方、片付け方、自分の物の管理についてはご両親が家でしつけて下さい。けれど、おむつはずれができていない、などは「気にせず、気長に」とおっしゃる園でした。身体的な発達の早い、遅いは当たり前の年少という年齢。そこは、園でも協力します。という方針を、主軸にされている園でしたた。 年長になると、小学校への準備もあってそれなりに、子どもは自立してしっかりしてくるもの。立ち歩きも少なくなります。 子どもの大らかさを大事にしてくれる幼稚園で子どもの伸びやかな成長が見られ、本当に真っ直ぐと伸びていくそんな定型的発達が可能になっている、素晴らしい幼稚園です。 が、ルイは定型ではなかったのですね。そこが、根本的に、他のお子さんと違う点で「この幼稚園の先生が、子どもを注意しない所が許せない」と固まって、泣いて叫ぶしかできなかったルイです。心の底で、批判・不満が噴出していた様です。 ルイの幼稚園へ来ている子たちは、もちろん園の周辺の子が多いです。我が家の近くからは、ちらほらと、数人が行っているだけ。なにしろ、バスで40分はかかるので理由は「安いから」とか「やんちゃくれなうちの子には、厳しい園じゃないと」というような動機がほとんどです ルイのように、規律正しさを求めて、なんていう子どもらしくない理由で選ぶ子は、周囲にはいませんでした。 大多数の子どもさんが「A面」で生きていてルイや私達夫婦は、いつも「B面」で生きている。環境選びや、注目する視点や、選択する動機が異なる私達。本当に、立ち位置が違う。 私達はB面な世界にどっぷりとつかっている日々ですがB面の世界が常識だ、当たり前なのだ、と思えないのはいつも、常にA面の世界に生きる人たちに囲まれているからでしょう。 これからも、B面な選択をし続ける私達。遠方の厳しいぼろぼろの古い佇まいの園を選んだり(えらい言い様ですが事実です)電車で通学するような私立小学校を選んだりA面の世界の方々からは、若干(かなり)変わった家庭だなぁとおそらく思われているのだろうけど我が家はこれでいいのです。 B面の世界に生きるお友達も、どんどん増えてきています。ルイが笑顔で過ごすことのできるB面の世界は、私にもとても楽しい世界ですにほんブログ村
2012.11.15
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昨日は、ビジョントレーニングと検査のため幼稚園を休んで、午前中の半日は遠出していました。 そして帰り道。近所の幼稚園の園長先生と、ばったり出会いました。「あら~大きくなったわね来年は小学校ね。」とお声をかけてくださいました。 我が家の至近距離にあるこの幼稚園、ルイが通っている園ではありませんでも、この園長先生のことを、ルイは覚えていました。 ご挨拶が終わって、自宅へ戻る数分の間の会話で新たにわかったことですが・・・ 「ルイ、今の先生のこと覚えてる」「覚えてるよ~最初に会った時、思いっきり泣いちゃったし。 抱っこして離してくれなくて、ものすごい嫌だったもん。」「そ、そうなんであの幼稚園では、あんなに泣いてたの」 という会話になり・・・ルイが言うには、 ・ 一番最初、見学で幼稚園へ行ったとき、4組のママ・子どもさんがいました。 園長室の応接セットでお話していた時、子どもが怪獣のようにどたばた暴れて 遊んでいたけど、園長先生は「この園では子どもの気持ちを大事にしています。 お話の時や、集会の時も、自分から座りたくなる時期を待ちます。」ということで 部屋の中を走ろうと、ソファから飛ぼうと注意なさらない。 そんな状況で・・・ 「あんなに子どもがうるさい中で、お話なんてできないじゃない」 ・・・と、いまだに、あの時の怒りを覚えている様子 ・ 説明会に参加した時のこと。 親が講堂で説明を受けている間は、隣接する大部屋で 保育士の先生が、子ども達に、先生達が演じる劇を見せてくれてました。 途中で、ルイの阿鼻叫喚な泣き声が聞こえ、講堂を出て急ぎ大部屋へ行くと・・・ 園長先生に抱かれて号泣するルイがいました 泣きパニックになっていて、その時は理由が聞けなかったんですが その時のことをおもむろに話し始め、 「子どもがみんな、しゃべるし、立ち歩くし、劇が聞こえなかったし 見たくても見れなかった先生が誰も注意しないんだよ あんなの、おかしい」 ・・・と、これも怒り覚めやらず(ほぼ3年以上前のことなのにさ) その時は、「きちんとルールを守る」タイプのルイには ゆるゆるな、まだ未成熟な2歳、3歳の未就園児達の行動が許せないんだろう、 と思っていました。 が、怒りは、その行動を統率しない「先生方」への怒りだと、昨日判明 説明会で申し込んだプレスクールは、最初の1回目で泣きまくり2回目の参加時に、「辞めます」と早々に離脱したのでした。 当時のルイには、ここは合わない、とはっきりわかったけどうろうろする子ども、トイレに散乱するスリッパ、脱いだ服が床に投げ捨てられた部屋、そういった環境的、構造的な問題が原因だったんだろう、と推測してました。 が、ルイによれば、一番嫌だったのが 「あの、一番偉い園長先生が、子どもが暴れて話も聞けないのに ぜんぜん止めないし、いいのよ~って言うのがすごく嫌だった 他の先生も、いつも全然、うろうろ歩く子を叱らないし。 ご本を読んでくれても、楽しめない。」 と、最初の、見学に行った園長室での園長先生の態度、言葉からもう、ルイは反感を持ってたんだな~とわかりました。恐るべし、3歳児なりたてのルイ。子どもはだから、あなどれない。大人に評価を下すなんて、なんて偉そうな生意気3歳児(ごめん、ルイ) ルイの今の幼稚園では、プレもなく、園庭開放的なお知らせもない園でした。なので、伝手で、通園している友人ママにくっついて園が終わった後の40分の自由遊び時間に園庭で一緒に遊ばせてもらいました。頼めばなんでも柔軟にOKしてくれ、個別園庭開放してくれた園でした。 見学に行ったときのルイは、即決で「ここがいい。」と言いました。そりゃ~もう、それぞれの机はきちんと並び年少さんから全員座ってお歌を歌い絵本を読むときは、先生の前で3列になって前の子、体育座り、2列目の子、膝たち、3列目起立という状態でびし~っと並んで集中して聞いている 「厳しい」とご近所で評判なだけに、たじろぐほどのきちんと感でした。が、入園してみて思うのは・・・先生を尊敬しているから、子ども達は、「先生のお話を聞きたい」「先生の指示を聞きたい」と自主的に動くのであって厳しく無理強いした指導をしているわけではない、ということでした。 どちらかというと、ひょうきんで明るい先生。威圧的な部分はまるでなし。園長先生も、ほんわか、のんびりしたお坊さん。ただ、マンモス校なので、「やり方」が細々と決まっている。 色んなやり方があって、ルイは、この園が合っていたんですね。 それにしても、ルイは人の好き嫌いがあまりない、と思っていたんですが(園のお友達にも、嫌いな子が一人もいないと言うし)こんなに、激情的に怒るぐらい、合わない人がいたとは ・・・私達、親が「まあいいじゃな~い」とか言ってゆるゆるだったら、毎日、泣いて癇癪起こして、阿鼻叫喚な日々だったかも軽蔑されてたんじゃないかしら・・・と、今になって思うのでありました。 礼儀作法に厳しいパパで良かった旦那にあわせて、手を抜きつつも(よく、めんどくさいな~と思う私ごめんよ)「とりあえずちゃんと」しようと頑張ってて、良かった~と、しみじみ思った、ルイとの会話でした。にほんブログ村
2012.11.15
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昨夜は、ちょっと今より稼ぎを増やそうと思って請け負っている仕事先からもらった技能チェックのテストを書きまくってリニューアルしたレジュメと一緒に、せっせと申請手続きしていました。 で、旦那が帰宅。いつもなら、「ただいま~」の後は自分の時間が必要なタイプなので晩ご飯を食べながら、テレビを見たりご飯の後は、新聞を見たりと「嫁の私は完全放置状態」で私がそれとなく、猫のように新聞の周囲を歩いたり何気に腕にすりすりしたりします。が、たいてい、彼は無反応 ところがですよ。私がせっせと忙しくパソコンに向かっていると・・・なぜか、寄ってきてくれるんですよね。普段おしゃべりな私が、物静かにチャカチャカPCしているから静けさが寂しさを呼ぶのか 背中側から、さらさら~っと髪をさわってくれたり(この時はまさにレジュメリニューアル中で忙しく、はいはい、ってあしらった)その次はめずらしく、彼が私の背中に頭をぐりぐりってしてきた。大サービスじゃないですか・・・が、惜しいかな、いったん始めた申請は最後まで完結しないといけないので、せっぱつまっており彼にはニコニコしつつ作業続行。 そしたら、歯を磨いてからリビングに戻ってきてさらに、いつもは絶対自分からしない「世間話」らしきものをしてきた。まあ、今日の些細な出来事の報告である。 一連の行動がかわいくて、かわいくて。いつもはそっけなくて、「かまってかまって」って私の方から大大アピールしないと、全く反応してくれないのにこちら側が しーんとしてたら、近づいてきてくれる。 いつもと違う「変化」に、不安になったのかなだとしたら、多用はできないけれど・・・ とても愛らしい(大のおじさんをつかまえて、旦那バカな私)私の愛すべき伴侶なのでありました。 にほんブログ村
2012.11.13
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小学校についての勉強会の続きです。 科目に関しての話題が出ました。体育が思いのほか、自閉症スペクトラム、発達障害の子供には重荷のようです。 大縄跳び→ クラス対抗の団体戦になると、必死なクラスメートには我が子が足手まとい。親と子供が障害特性をクラスメートに説明して、「大縄跳びは辞退したい」と言わないといけないような状況に。 特性のカミングアウト前のこと。我が子がいると何度やっても「飛び回数0回とか1回」という結果になり・・・頑張りたいけど無力感を感じている生徒達と頑張りたいけど飛べない我が子との間で「苦手だから」としか説明できなかった先生も、板ばさみになった。 いつもは優しいクラスメート達も、「思いやり」とか言わなくなり数人の子達が一生懸命なあまりに、我が子を責める言動があり・・・休み時間もクラスメートに毎日練習させられ、頑張れ、頑張れと追い立てられ本人がとうとう、学校に行きたくないと言い出した。 子供は親には何も言わず、先生から、大縄跳びのことと、本人とクラスメートの関係の悪化を聞かされてはじめて発覚したので、ぎりぎりまで我慢した本人の状態が悪くなってしまった。クラスメートにカミングアウトをする、という親の判断が必要となった例でした。 運動会の競技で大縄跳びがあった時は、本人の精神状態が最悪だったので最終的に、本人の希望で参加辞退した、とのこと。 サッカー、バスケ、バレーボール→慣れると子供たちだけで練習したり、ゲームを進めることが多い。子ども達だけで練習させている間先生が職員室に戻ってしまうこともあったようだ。 ルール記憶が苦手で、不器用なので、審判役で失敗したり競技がどんくさくて自信喪失。先生不在の間に、「いつも試合に負けるのはお前のせい」と責められた。審判を間違ってしまい、チームがもめた。 スポーツは、大多数の子供達が真剣になることが多いので団体スポーツで足をひっぱる我が子に容赦してくれない。「いつもは優しいクラスメートとの、亀裂が入る」と本人が体育を受けたくないと、学校へ行き渋りをしている。 あと、トラブルのトップにあがったのは、やはり「対人関係」でした。 小学校低学年ぐらいまでは、何とか楽しくやれているお子さんが多かったです。中学年から高学年になると、お友達との言動にずれが出てくるのと「今まで仲良しだった子供が、より仲の良いお友達を作って離れてしまう」ことで、だんだん、輪からはずれがちに。放課後の外遊びでも、「自分だけお誘いがかからなかった」という事が多発して、見ている親が切なくなるのも、この時期だとか。 登下校でのからかい、いじめや子どもが話しかけてもスルーされることも多くなり・・・さらに「地域の子がみんな同じ習い事先、同じ塾に行っていたりするので、悪いサイクル入った時は逃げ場がなくなる」こともある、と。 長時間、一緒に接する時間があることが、逆にスペクトラムの子達にはトラブルを増やす原因になっていたりするのかな、と話題になりました。地域の子と離れて、呼吸できるような居場所の確保例えば、NPOの支援室や障害児対象の習い事など、が大切との意見が多かったです。 私立に通学されている親御さん方にも、色々聞きました。独特の世界だと思うので、興味津々です。 登下校は「電車で」「バスで」だいたい、1人で通学するので同じ交通機関を使う小学校の先輩と行動したり、一人でお金を使ったりするので社会生活面で自立の練習になっている気がする、とのこと。親の手を離れた感があり、一番の成長、と感じるそうです。 下校時は、学校に残らずそのまま帰る子供集団を学校関係者が最寄の駅やバス停まで引率するので、登下校でのいじめやからかいは、まだ経験がないそうです。 系列大学の保育科のボランティアさんがいたり先生の部屋で宿題をしていたり、補習を受けていたり大人の目と人手が学校のあちこちにあるという理由でいじめが発覚しやすい、いじめが長期化しにくいので不登校がない、とか 学校での人間関係は、学校内で終わり、帰宅後は近所の習い事先や、NPO支援室でのお友達がいるので「場所で付き合う友達が違う」ことで、お友達の幅は広くなった。 お互いの家に距離があるので、学校の友達とお泊まり合いをしたり本当に気の合うお友達とは、深く付き合える。(そして、偶然、発達障害あり同士と判明したそうです)というメリットも聞きました。 あと、最大のメリットは、職員、先生が長くお勤めで卒業生からの評判やアドバイスがそのまま有効だったこと、入学時に面接して、受け入れてくださった先生チームが卒業まで一貫して責任を持ってくれること。(公立から編入して、先生の責任感の違いに一番驚いた)いい意味でも悪い意味でも、環境的な変化が少ないので不安の強かった子が、安心感を得ていること。 デメリットとしては、 早くから学費がかかること。放課後の預かりや、職員会議などで半日授業の時も学校で遊べたり、春や夏の講習や補習もしてくれる、英会話や文化的習い事などを学校内で無料でしてくれるから保育料やお稽古代、塾代込みと考えて割り切っている。 本音を言えば、いい成績を取って、授業料の免除や割引制度を利用できたらいいなと考えてはいる。低学年の頃は特に子供のサポートのため、学校へ行く機会も多く、仕事がフルタイムでは無理でパートに変更した、4年生になって、やっとフルタイム復帰できた、など。 あと、独特の学習システムが、特性に合うといえば合うけれど強化してしまっている面がある。勉強が好きな子どもの場合はどんどん難しい内容をさせてくれるので子供の中でそれ(理数)が目的となり、得意な勉強に偏重してしまう。定型のできる子との競争で、負けたくないこだわりが出てしまいますます不得意な科目は置き去りになる・・・というような、特性がそのまま、強化されていく気がしているそうです。 また、中学受験を学校全体で進めているので中学受験を希望していなくても、全員がそのカリキュラムに入るので自然と、学習時間は多くなる。 勉強が苦手な子、得意な子、普通な子と習熟度別クラスで勉強するので出来ない子は簡単なクラスが楽で、勉強しなくなる。(内部進学を期待して、楽をしようとする) 勉強が苦手な場合、私立は子供が理解できるまで補おうという意欲がありすぎていつも、放課後や夏休みに補習ばかり受けている。これでいいのだろうか、と思うこともある。 先生や校長先生が自分のデスクに呼んでくれて個別指導してくれるのはいいけど、本人は「宿題を手伝ってもらった」ぐらいにしか思っていない。塾は、聴覚過敏と対人関係が壁となって「補習の方がいい」と数ヶ月でやめた。より甘ちゃんな部分を増長している気がして・・・子供に強さが身につくのか・・・私立の良さを生かしきれていない・・・ また、受験的傾向が子供の成長にどう影響するのか心配。とのこと。中・高校一貫教育の、かなりの進学校への進学を本人は希望していて学業的な強みが身を助けると思いたいが、ソーシャルスキルがないと、学歴だけあっても結局社会では通用しない。得意な勉強だけで、自信をつけてくれるのはいいけど親としては、それですべてをごまかしている気になる時がある。社会性の面をどう伸ばすかが、常に気になっている。 定型で頭のいい子が、嫌味や意地悪な言動をすることは、やはり普通に見られるけれど我が子も障害特性で、思った事をずけずけと言ってしまう。ただ、幼稚園では孤立したわが子だけど定型の子達が結構寛容で、定型でもずけずけ言う子がいるので「勉強のストレスでイライラしてるんだろう」とか「試験の結果が悪くて焦ってるんだろう」などと勝手に解釈して定型の子同様に流してくれるのが、対人面でとても助かっている、という一面も紹介されました。 逆に、「いつも皆と一緒がいい」と、一緒ということにこだわったり、仲良しな子に強く依存(こだわり)があるわが子は、私立という学年を超えた上下のつきあいや大学生ボランティアさんと関わったり、色んな先生に面倒みてもらったり、と日々が浅く・広く、のつきあいがあり他の子ども達はそれを楽しんで交友関係が伸びているのだけど 我が子だけはそれが理解できず、一人か二人の子に「ついてまわりたがる」ことや仲良しな子の交流関係が広がると不安になったり、取り乱したり焼きもちを焼いたり、縛って支配したがるようなそぶりを見せて喜怒哀楽の感情が垂れ流しになるのでウザイ、と思われて、だんだん相手にされなくなる・・・という話も聞きました。 居場所だけは沢山あるので、ボランティアの学生さんに支援してもらったり校長先生の部屋で勉強したり学校内で気が合いそうな他のお友達を紹介されたり、学内カウンセリングや遊戯療法を受けたり色々サポートしてもらっても、「あの子と一緒にいたい」モードから脱出できず小学校生活、あと2年、どうしようかと考えているそうです。このお子さんは、公立で同じ行動で仲間はずれとなり、小学校2年で私立に転校、最初は上手くいっていたけど、4年生、また同じことを繰り返した。とおっしゃっていました。 学校という組織に関係なく、子供自身が「人との関わり方の力」をつけること、STの必要性を皆で強く感じた事例でした。 まだまだ、高機能自閉症のお子さんの事例や公立→公立で転校を経験したお子さんのケースの話、小学校入学前に診断された子と、小学校入学後に診断された子のケース、きょうだい児の思春期のことなど、色々話題はつきませんでしたがルイに関係ありそうな部分ばかりメモりましたとりあえず、こんな感じの勉強会でした。 年末か年始に、また第二回をやろうと話してます。 にほんブログ村
2012.11.12
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発達障害児を持つ先輩ママさんとの、小学校勉強会について続きです。小学校に入学する準備としての心構えや、実際の対策について教えてもらい、メモしましたので書いてみます。 <先生への依頼の仕方、普通級でのサバイバルについて> 支援学級に在籍したり、通級する場合は、子供の特性や特性に対応する方法を書き記したサポートブックには意味がある。でも普通級の場合は・・・ 「サポートブックの内容が正しく理解できる」先生がいるかどうか、がまず問題に普通級のみに在籍する場合に必要なことは、親の支援と、口をそろえての発言でした。 サポートブックには、家庭での対処法(コミック会話、民間療育、STなど)を書き、学校からトラブルの報告や相談を受けたら、「家庭でこんな風に子供を支援します」と、具体的に伝えるようにして先生が、「なるほど、報告・連絡は大事だな」と思ってくれるように先生に負担がかかるのではない、むしろ親は「有効活用しやすい」と思ってくれるように動く必要がある。(先生からの報告に、『要求』で応えると、次回から報告がなくなる恐れアリって) 家庭での子供のサポートなくては、普通級で学ぶ意味も薄れる。先生が積極的に、自発的に報告・連絡してくれる気安さがあれば家庭でのサポートの効果も絶大になる。(毎年、先生が代わる度に、成長に合わせた改良版サポートブックを提出するとのこと) 学校で起こる諸問題については、このように教えてもらいました。 わが子が学校で対人トラブルを起こしたり、授業についていけない、学校のシステムに慣れない、(右往左往する)感覚過敏などで不適切な言動を取る、(本人が困り、苦痛)などは障害特性から生じることが多い。 また、未熟で優しくも、毒もある級友との関係でのトラブルは必須。でも、相手(級友、先生)を変えようと思っては解決できない。期待しすぎてもいけない。まずは、クラスメートにも「未熟という特性」がある、と思って対処しよう。先生は「障害児教育は素人さん」と思って、対処しよう。相手が定型とは限らない、どんな子も未熟さがある(と先輩方ほとんどのご意見)から、我が子自身のソーシャルスキルを伸ばすことに着目して、全力を注いだ方が建設的。 発達障害、自閉症スペクトラムの我が子達でも、凸凹があっても支援すれば伸びるそこに、全力を注いだ方が、逆に周囲から受け入れられやすい。他人がどうこう、と考えるとかえって受け入れられず、親も子も疲弊する。そして、頑張りすぎず、時には逃げや避難することも必要。 <担任の先生との関係、親の役割について> 定型教育が基本にある普通級の担任が、即時に対処できることは少ない。障害児育児である程度慣れてきている親とは、次元が違う現実がある。対策としては・・・ 親が主導を取って、現場(教室)に足を運び状況を観察し、子供と対策を練り、(子供の成長のため、子供自身とよく対話して、共に考える姿勢が大事)実際に試してみるために「子供専用対策スキル」を学校へ持ち込む。 「適切な対応をすれば、子供が安定する」実際の場面や言動を先生に見せて、『このようにお願いします』と最後に依頼する。そういう姿勢であれば先生も対応しやすい。 子供の特性の理解をお願いします。子供が不安にならない対処をお願いします。子供が不適切言動が出た時は、最善の対処をお願いします。 と言葉、手紙、電話で依頼してばかりでわが子を熟知している親が現場に全く貢献しない状態では、子供が順調に小学校生活を送れる機会を遅らせたり、逃してしまう。 あと、子供本人にスキルがつかないと、根本的な解決にならない。もぐら叩きのように、「形を変えて」根が同じ問題が噴出する。だから、子供がやりやすい独自の工夫を、支援で考える必要がある。(新1年生や転校初期の時に、失敗、苦労されたことから実感されたこと、ほとんどの先輩方が言われるのが、『親の支援参加が必須』とのことでした) 経験から学んだこと。全く障害児教育に関わっていない、30人の生徒を受け持つ担任には本を読んで勉強してもらっても、「自分の発達障害の生徒は本の内容とは違う」ととまどわれ、独特な個性ある子どもの障害特性を観察して、対策を考えて、支援するだけの余裕はないし、実際、なかった。(勉強会に参加したママさん達全員がうなづく。子供がみんな個性的だから。) 仕事の都合や家庭の都合などで、普通級の担任の先生にほぼすべての現場での対処、支援をお任せする必要がある時はやはり子供を知るための観察や、対子供のオリジナルな対応を習得するまでの時間に半年以上、もしくは1年はかかる、と、気長に親も、わが子の育児の大変さを振り返って、先生の立場を理解することが必須。それでも、最低月に1回は、学校へ足を運ぶべき。(この点、私立だと土曜日に授業があるので、参観や面談も可能。また、平日でも夜間7時~とかに面談してくれたりするので助かるとのこと) やっと担任や校長先生が子供の事がわかってきた頃に、公立では先生が変わる、転勤される、というこはざらなので先生の努力も、無に帰すことが多いのも、また事実。 それに対するアドバイス。担任の先生が困ったり、迷走したり、定型の子供が基準にある指導方法での間違った関わり方をしたり、が、ダイレクトにマイナスに影響するのは、わが子。だから、その結果は、先生だけの責任ではなく、親が支援で関わろう。 子供が成長するためには、先生のサポート以上に、子供と親がタッグを組んで子供にも工夫させるとか、子供がサバイバル能力を身につけるために毎日、こつこつと話し合ったり、一緒に絵カードを作ったり、自分だけの手帳を作ったり、学校の困った事例を聞いて、こどもが見て何度も確認できる「自分の対策マニュアル(絵付き)」を作るなど家庭での子供の学びが、一番大事。 とのことでした。 この、家庭で「親と子供が一緒に、小学校生活の困難のひとつひとつを考えて、自分でできる対策を練って、試していく」というスモールステップでの対策法は、事例が沢山聞けて、とてもためになりました。 支援級に在籍するお母様によると、学級内でこれが積極的にされているそうで普通級の発達障害児を持つお子さんには、支援級の先生がすることを親が家庭でする必要があるんだ~、と感心されてました。普通級の子供には、より必要なことだろう、とご意見もされていました。 普通級に親が気軽に足を運べるのは小学校1年生ぐらいまでで、2年になると、子供もプライドがあり、親がクラスを見に来るのを嫌がるそうです。ですが、トラブルがあった日や翌日の昼休みなどに子供にわからないように職員室へ顔を出して「今日あったこと」を、できるだけ詳しく先生から聞き、その対策を家で考える。対処方法を、サバイバルスキルを考えて子供や、学校に還元する、というやり方をずっと続けている、という保護者さんもいました。これを続けた効果としては、「10歳の壁」は確かにあったけれど特性がきついのに、思ったよりスムーズに乗り越えられたように思う、とのこと。 そして、日々かわる「クラス内、現場」を確認すること。想像だけで動いたり、クラス内の現状を見ていないのに耳情報だけで動いてはいけない。クラスの子達、先生の物事の見方を知る努力をしたりPTA役員やクラス役員、ボランティア要員にはすすんでなろう、とすすめられました また長くなったので、その3に続きます。 にほんブログ村
2012.11.12
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週末、自閉症スペクトラムの子供を持つ仲間と、交流がある発達障害児を持つお母様方とで勉強会を開きました。 現在、小学校に在籍中の発達障害児を持つ先輩ママさん方と中学1年生のママさんからこれから入学をする後輩ママが学ぶ、という趣旨です。場所は、先輩ママさんのお子さんが通う小学校の、大学部のカフェテリア。土曜日だったので、学生さんも少なく、ゆったりとお茶しながら勉強会を楽しめました。小学校は、公立・私立両方で、地域は、3県にまたがります。先輩ママさん達のお子さんは、2年生、4年生、5年生、6年生、中学1年です。後輩ママさん達の子供はそれぞれが、先輩ママさん方のお子さんと同じ学校へ行くことになるので、結構、白熱した情報交換会にもなりました。 自閉症スペクトラム、発達障害といっても子供の特性はそれぞれ、かなり違います。ママ達からの、子供の紹介から引用すると・・・ ・不安が強く、いつもネガティブな言動に流れやすい子・勉強に強い興味があるけど、対人関係への興味は薄い子・人付き合いが好きで、「いつも皆と一緒がいい」子・自主的な発語がなく、絵カードでの交流がメインだけど理数が優秀な子・勉強が苦手で、楽しいことが好きだけど、めんどくさがりな子・いつも、なぜか誰かとトラブルを抱えていて、自己肯定感が低い子 などなどでした。特性の紹介だけでも、すごい時間がかかりそうな感じでした。 小学校の現状も、地域によってかなり違うことがわかりました。普通級=発達障害に特化したサポート不可、と言いきる学校通級=知的障害中心で、情緒の子は普通にも通級にも居場所がない学校普通級+通級=普通級では勉強、通級では対人関係を学び、トラブル処理は通級の先生が担当する学校。普通級+サポート=普通級在籍だけど、困ったら通級の先生がサービスでサポートしてくれる学校(翌年に通級した方がいいか見定めるため)支援級在籍=特性に合わせたSTなどを個々に計画書まで作って支援してくれる普通級も通級もない=外部の民間療育でSTを学ぶ などなどで、現場の先生方も「障害児教育に関わったことのない先生が通級の先生」だとか、「普通級は30人子供がいるから、授業中は1人2分ぐらいしか配慮できない」と言いきる先生とか「通級ができるのに、普通級のみに在籍するのだから、障害に特化したサポートは期待しないでください」と宣言する先生とか仰天な情報も出てきて、制度と人の配置もぐにゃんぐにゃんなんだな~と実感。いい面では、「たまたま当たった先生が、発達障害の勉強をされていて1年生のスタートが良かったから、2年生から転勤で先生がいなくなっても学校にサポート方法という財産が残って、その後も助かった。」例なども。 障害を持つ子供は、どこの学校、どんな環境にいても、やはり定型のお子さんもそうだけど、未熟で思春期でもあるからどたばたもあり、トラブルもあり、悩みもあり、そして喜びもありの激動期という感じ。卒業前のお子さんを持つお母様は「親が自分の『親としての面子や期待』、または先入観にとらわれてこだわると、子供は逆に苦労する。その時、その時に状況を見定めて、善処するしかない。」と言われてました。小学校生活で、先生や同級生との出会いは「当たり外れがある」現状も踏まえ「子ども自身の力」が、結局、どんな時にも求められる集団社会だから親が、ある程度「ハードルを越えさせる場面」と「一歩引いて、休憩させる場面」をきちんと判断して対処できないと、「自分ひとりでは対処が難しい」子供は自滅する、という厳しい見解も述べられていました。 あと、共通しての意見が「先生に求めすぎてはいけない。定型の親も含め、全学生の親が未熟な子供を心配し、数多くの要求をしていて、先生も疲弊している。そこにある種、特殊な技能を必要とする発達障害児のサポートを依頼するのは普通級では、時間的・能力的にも不可能な場合も多い。親が、外部や家庭でSTをしたり、学習支援をしないと、先生は心理士やカウンセラーではないから、1対1の特別なケアは難しい。」ということで、障害部分の社会性や、級友とのトラブルは「通級で」または「学校カウンセラーと」対処していくのが、一番現実的とのことでした。必ず、親が主導的にサポートを担い、先生にはそれを「補助」してもらう、ぐらいの意識で共に動かないと、「先生お願いします」では何にもならない、と。 普通級の現状として、発達障害児童の数も増えていることと、診断されていない定型と思われる生徒さんでも手のかかるお子さんは、本当に沢山いる。その中で、30人分の1人でしかない自分達の子供のことを「良く見ていてほしい」と依頼されても、先生は「善処します」としか言いようがなく親の学校への不満が、現場の現状に見合ったものなのかも冷静に見ていかないと「パンク状態の先生と、不満と要求過多な家庭との間に大きな壁ができる」ともおっしゃっていたのが印象的です。 あと、小学校で充実した6年間を過ごした、とおっしゃる保護者の「リスクがあった。子供自身が成長しなかった」という視点が画期的でした。普通級で6年を過ごして思うこととして、「周囲のお子さんの成長、成熟度は6年間で著しいものがあった。障害のあるわが子への心遣いもしてくれ手助けも良くしてくれた。学年を追うごとに、上手にクラス内で関わってくれた。『自分の子供が成長した』と錯覚したほど。結果的に、周囲の子供の対応能力が伸びれば伸びるほど、『わが子が努力しなくても良い状況』となってしまっていて、中学までに身に着けなければいけないソーシャルスキルが伸びていなかった。卒業してから思うのは、楽しく平和な小学校生活ではトラブルがあっても上手に解決してくれた先生やお友達がいたからで、周囲のお子さんの忍耐や好意が勝っていただけで子供の社会性が伸びたわけではなかった。『普通の子ともまれてほしい』と思い普通級を選んだはずが、能力の高い子供たちに『大目に見てもらってサポートされている』状況に甘んじていることに、中学に入るまで気がつかなかった。中学に行く前に、もっと早く、子供の精神的成長を促す場面や状況を作って本当の意味で、力をつけてやるべきだった」と、しみじみ語っておられました。数々の行事や、経験は沢山させてもらったメリットも強調されてました。 その楽しい経験が、何だったのだろう、と思う現実にも悩まれています。良い環境にいるだけでは、「自然と対人関係、ソーシャルスキルが身につくわけではない」という現実を、中学でがっつりと経験し、せっかく得た自己肯定感が中学の数ヶ月で、あっという間に消えうせた、という苦労をされています。中学や高校、社会に出た時の事を考えて「自分の子供に力をつけてもらう」ことが、小学校入学前に知っておいてほしいこと。小学校で、楽しく平和に暮らすことだけが目的にならないように。そう語られました。 長くなったので、<その2>では各小学校での現状と対策的なことについては続きを書きます。 にほんブログ村
2012.11.12
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ルイは今月、七五三です。レンタルも結構高い上に、11月は激混み状態なのでギブアップ。で、着物や小物を求めて、夜な夜なネットサーフィンしましていつも購入しているショップさんで、今回もお買い上げ。 色んなものが、ネットで買えるので楽ですねぇ。日本舞踊している関係で、新年会もあるのでこの着物を、七五三、新年会、じいじばあば宅の訪問時、桃の節句と使いまわそうと思います。11月に入ってから購入したので、特価だったからかなりお安い。 簪だけは、自分で選びたいというので幼稚園の後、デパートに行き、購入。簪の方がコスト的に高いような気が・・・まあ、これも、お稽古の時に部分的に使ったりしたらいいか、と自分に言い聞かせました。 私は独身時代、自分が子どもを持つ、という事に実感がなかったので「子どもを産んだらこうしよう」みたいな夢を描いたことがなかったのですが・・・ルイを産んで、じわじわと娘を持つ楽しみ、というのを今、ちょっとずつ、経験しています。 日本舞踊の時に楽しそうに踊っているルイを見てまた、年齢相応のかわいらしさ(親バカ)が出てきて私もぐ~んと欲が出てきました自分で、着物を着せたい、髪を結いたい、などなど。 七五三の着物が届いてからは、浴衣で一度肩上げ、腰上げを経験してたので七五三着物も、ちくちくと肩上げ、腰上げを自分でしました。長襦袢に半襟もつけました。それで、何回もルイに着てもらって(ルイは着物を着るのは大好きなので付き合ってくれる)Youtubeなんかで、七五三の着物の着方を見ながら着付けの練習をしましたまあまあ、慣れてきたかな~。 で、今のマイブームは日本髪を結うこと。七五三の時は、日本髪を結ってやりたいと突如思い立ちこれもyoutubeを見ながら、ルイがテレビを見ている間にせっせと練習を重ねています。本番までに、手早く・綺麗に結えたらいいなぁ、と。 上手に結えるようになったら、七五三や新年会、じいじばあば宅へ行く時、桃の節句にも可愛く着飾ってみたり・・・と、1人にやけております。 最近は近くに呉服店がなくてデパートは高すぎて呉服コーナーには近寄れないしネットで購入できて、助かりました。お稽古着も、3000円~5000円ぐらいで着物と長襦袢と、草履にちょっとしたポーチがついたりしてお手軽に購入できます。洋服並みに安いもちろん、6歳の子どもだから、品質は追及せず稽古着で、洗濯ができないといけないので見て可愛い、着ごこちが良ければそれでいい、ぐらいの品です。 今ちょこっと芽生えている野望は、自分でルイの着物を縫うこと。針と糸を持つことがほとんどなく今まで来たのでこんな風に違う分野にやる気がでたのは久しぶり。でも、お稽古があるから着せ甲斐もあるのでやってみたいなぁ~と。 実母は洋裁、和裁のプロだったので教えてもらわなかったのが、今更ながら後悔しております我流で、頑張るぞ~にほんブログ村
2012.11.09
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忘れないうちに、記録しておこうと思います。本日、2つめの記事。 来年入学するだろう、という小学校の体験授業を2回、3回と受けていく中で、感じたこと。 定型のお子さんの適応能力って、やっぱりすごい!何がすごいって、徐々に周囲にあわせて、自分の立ち位置を見つけていける。最初は、小さい声で消極的だった子。笑ってごまかすけど、よくわかってない感じの子。ふざけてぐだぐだになって、周囲を巻き込みがちな子。最初は、人数の半分ぐらいがためらったり、恥ずかしがったり在校生の兄弟がいるので、勝手知ったる、で元気な子が仕切ろうと頑張ったり。 それが、2回、3回と回数を重ねて「新しい友達の人となり」を知るとそのグループ全体の雰囲気に合わせて、自分を出し始めたり出すぎた時は、ちょっと「ふざけすぎたかな」と自分でひっこんだり。笑ってごまかしていた子は、しっかりした子と友達になってすっかり安定してたり。ほんと、周囲にあわせて「身の振り方を知っている」感じがしました。他人の雰囲気を感知する能力の高さに、かなり感心しました。初顔合わせから、わずか3回、共にいただけでこの成長。 小学生になるって、こういう基礎が自然とできている子達と過ごすってことかぁ・・・一言で言うと、幼くてやんちゃで、未熟ながら「社会的な賢さ」が育っている感じ。子供ながら、新しい環境で精一杯、自分を安定させようと工夫しているあたり・・・わずか5歳、6歳というのに、すごいですね。 で、ルイはというと・・・マイペースです2回、3回と回数を重ねての「変化」というものが、定型のお子さんほどはなく、どちらかというと「いつも一定」です。周囲を見て、知らない動作は真似しますが「社会的に溶け込もう」という意識は、皆無に見えました。沢山の子供たちの中に、確かにメンバーとしてそこに居ますが・・・個々それぞれの個性ある子を知っていこう、という興味はやはり、定型のお子さんに比べると、ないですね、本当に。 真面目な子が結構多くて、最初は緊張してるのもあり「二人組みになって」と当たり前に先生に指示されると第1回目の準備授業では「うっ」とためらって、知らない者同士だし、不安そうにする子達もいましたがルイはその辺、鈍感で適当に近くの子を「ぐいっ」と手つなぎして勝手気ままににグループになる、というのを毎回、繰り返してます。 でも他の子達は、回数を重ねると、兼ね備えた機敏さで「私はこの子と組むと居心地がいい」と感じ取るらしく自然に気の合うグループや、相棒がそこ・ここに出現してきて「二人組み」「三人組み」になって、とまた先生から指示されたらその居心地のいい相手を探す仕草が、良くみられるようになります。ルイは、相変わらず、適当に男女気にせず、一番手近にいる子とぱっと組むだけ。 この気安さが良い方向へ行くのか「気がついたら、皆仲良しさんグループができてたわ~」ってことになるのか。(もう、だいぶそうなってますが)本人は、いたって楽しそうでどの子も優しく面白くつきあえる、とご機嫌です。・・・いつまでも、あちこちに適当に顔出してて、単独行動が平気な子になりそう ルイの幼稚園で培った強みとしては・・・一斉指示についていけてるので、まあいいかな、と安心感は持ちました。知らない事を習う、というルイ最大の苦手な行為を今のところ、小学校ではやろう、やるんだな、という意識が見えました。おそらく、幼児教室に通っていた・通っているお子さんも多いので知識がたくさんあるみたいで英語や、音楽や、国語の授業でも、かなりの速度に平気でついていきます。でもルイは、科目的な勉強は全くさせてないので初めてのことが多くて。英会話すら、私が何度か、2歳ぐらいから教えようとしたら拒否しました。英語はルイの耳には聞き取りづらく、(フランス語ならわかりやすくOK)好んでやりたくはない、と、お友達から何度も「英語の習い事一緒に行こう!」とさそわれても、「私、英語は好きじゃないのよねえ~」と、拒否。 そんなルイですが、みんなが挨拶程度の英語は幼稚園のアフタースクールや幼児英会話教室で習っているらしくいきなりネイティブの先生が登場しても、平気でやりとりしてるのを見て・・・ルイ、「しまった、英語だ。うっへぇえ~」と苦手だ~って顔しましたが結構、頑張ってくらいついて授業を受けているのがわかりました。音が聞き取りにくいからこそ、遊びを通じてネイティブのわかりやすい、でっかい声の英語のシャワーを浴びて1年生から楽しく英語に身をひたしてくれていれば中学で高度になった時に、焦って極端な苦手意識を持つのを防げるかも・・・という期待も出てきました。 小学校のそれぞれの科目の先生は、専門性が高いので教え方が上手です。それが、ルイにとっては助かる面だと感じます。音楽ひとつにとっても、リトミックを使って次々と飽きのこない授業をされる。英語も、リピートアフターミー的な退屈さではなくゲームをしていて自然とリズムとフレーズが身につく方法で教えてもらえる。 ただ、どの科目も授業内容が濃い分、生徒1人1人の感情的なあれこれにはやはり、小学校という場では幼稚園ほど感知しないのでゲーム的なことをしても、「できなかった」子にはその子が結構気持ちが沈んで引きずってても「また頑張ろうね」とさらっと流す感じでどんどん進むので自分の感情にとらわれたり、切り替えが難しいタイプの子は大変だな、と思いました。 逆に、落ち着きなく常にしゃべってしまう、先生の言動に割り込む、答えを先に先に大声で言ってしまう、というタイプには、先生は上手にふざけない相手をパートナーにしたりあらかじめ、全員に番号を与えて順番を決めてから質問し、回答させたり慣れた対応をされていて、授業進行が上手だと感じました。 ルイは、何度か「1人だけ」組めなくて立ってたり、1人だけ知識が全くなかった場面が良くありちょっとヒヤッとしましたが落ち込んでも先生の「次がある」という一言で先生が急ぐそぶりをすると、そっちに、「次何をするんだろう」と気を引かれたので意外と、速度がテンポ良く、様々な知識や学習をするというのは「気持ちにこだわる」時間を与えない、という意味でよいかもしれない。そう思いました。 ルイ自身が「小学校ってかなり難しいんだね。頑張ったよ。」「でもいっぱい、教えてくれるんだね。楽しかったよ。」と自覚する程には「勉強する場であって、悩む必要はないんだな」と理解することはできたようです。 嬉しいことに、お友達になれそうなお子さんがたくさんいました。見たところ、生徒さん全員の共通点が「知識欲が強い」風なので(授業中は全員、ものすごく集中してます。一丸となる感じ)性質的には合いそうな気がしました。それに、ルイの今の幼稚園のお友達と似たタイプのお子さん達がいましたので(ルイをわざわざ選んで、組もうとしてくれていました。でもルイはそれに全く気づかず)きっと、しばらくは大丈夫だなぁ~と思うことができました。 それにしても、お母さん方の姿勢の良さと、落ち着きに私はそわそわ、はらはら、どきどき。準備授業がはじまる5分前ぐらいから、私語が一切なく。授業中は、壁際で見ているわけですが、じっ・・・とされてます。授業がはじまる前は、にこにこと和やかな感じでしたが・・・子供の成長をじっと熱心に観察されていて・・・保護者一同、静粛にと空気を合わせる感じが高度でした 地域の小学校では、就学前健診の時の校長先生のご挨拶とお話も小学校準備のためのお願いを話す先生の声も全く聞こえないほど、年長さんの保護者の私語がすさまじかったのであまりのギャップに、タジタジになりました仏教系の朴訥とした学校だからかなぁルイの幼稚園も、マンモス校で、300名越えの生徒の保護者が集ってもお参仏、園長先生のお話の時は「し~ん」としてて正座がしんどくて動きたくても、ごそごそできない感じ小学校の保護者の皆さんも、お話した感じ、結構、いや、よりいっそう、古風なように見受けられます。 集団の社会でサバイバルしないといけないのはルイだけじゃない親もなかなか、頑張らないといけなさそうですにほんブログ村
2012.11.07
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明日から、またちょっと忙しくなるので・・・昨日と今日で、連続3つの記事を投稿しました さて、うすうす気がついていましたが・・・ルイは、歌を正確に覚えることや、聞き取ることが難しいみたいです。 幼稚園の園歌は、もう2年半も歌っているのですが一番、二番、三番の歌詞がごちゃまぜになります。正しく、一番だけを歌う、ということがまずできません。皆で歌うのが園歌なので、つられて歌うから、全く問題ないんですけどね ルイは、園歌が大好きなので、よくお散歩中に私と歌います。が、毎回、「ルイ作・替え歌」みたいになります。 そして、ついこの間、幼稚園から帰宅したルイが「ママ~この歌の意味教えて」と、習ってきた歌の歌詞を歌い始めました。「こけええが~ ないた~よおぉ~があ~むにゃむにゃ」 「このねぇ、こけええ~とか、よぉおお~がなんとか、とか全然わかんなくて」と、私が聞いてもさっぱりわからないかつ音痴気味のルイの旋律ではさっぱり推測できず。ちょうどいいので、立ち上げたままのパソコンで、かろうじて聞き取れた「ぴよぴよひよこ」と打ち込んで、検索。 きっと、これだという「てあそびうた」がすぐ見つかりました。ああ、ネットってなんて便利なんでしょう ころころ ぴよぴよ こけこっこ こけこが ないたら よが あけた 「ねえルイ、コケコッコーって泣くとりさん、鶏のことが『こけこ』でその鶏さんが泣いたら、夜が明けて、朝が来た。っていう歌みたいよ。よって言うのは、夜のことで、あけたっていうのが、夜が終わって朝が来たってことね」って説明すると「ほえぇええ~・・・(なんか、全然想像してたのと違う)」って顔しながら一生懸命、ぶつぶつ歌詞を覚えてました。 先生のお話は聞き取りやすいみたいだけど歌になって、音楽が伴奏でついたり単語が歌独特の、詩みたいな歌詞になったり(夜がよ、となったり)皆で歌ったりフレーズのように全部つながって聞こえたりで音が拾いにくくなるみたいです。 夜明け、って言葉を知っているルイですがよがあけて、になるとわからない。かつ、「あけて」はちゃんと聞き取りできて歌えていてもそこから推測して「よ、って夜かな」とかあてずっぽうの推測もききません。コケコッコーという歌詞が入っていても「こけこ」という言い方が変わると、鶏=コケッコッコー=こけこ?という予測もできない。聞き取った空耳的な歌詞そのもの、が前後の歌詞や歌全体の意味とつながらないまま「このことばは、なんだろうなんだろう」って考え込むんですね。 ルイは空耳はそれほど多くないので(旦那は空耳大王)たぶん、伴奏の音と、間延びしたフレーズにひきずられるのかなと思いました。 にほんブログ村
2012.11.07
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いや~、つくづくルイは好きな食べ物だと「あっ」と言う間に食べるなぁ・・・と実感しております。好きでもないメニューでは、文句は言わない(言わせない)けど1時間以上かけて、だらだら~っと食べます。 たまに、出かけた先でお子様ランチしかチョイスがない場合(結婚式会場で、大人はフレンチとかの場合)急に食欲がなくなるようです。ルイが嫌がるメニューは、ケチャップ色のスパゲティ、同じくオレンジ色のオムライス。ハンバーグ、油っこい海老の天ぷら、固い唐揚げ、甘いプリン。思いっきり、お子様ランチのメニューですね 逆に、日本食屋さんでの食事では、ノリノリです。日本食屋さんのぷりぷりの海老の天ぷらはOK。ぱりっさくっとした白身魚とかも好き。串焼きの揚げてくれるお店では何でも食べる。うどんも大好きお寿司屋さんではえぴ(ゆでたオレンジ色のやつ)、あなごが好きです。じいじ、ばあばと外食する時は和食がほとんどなので、立派に大人一人前を完食してしまいます。いつも、ばあばと同じメニューで、同じ量まあ、祖父母は一緒の席でもりもり食べるルイを見てデレデレになってるので、よしとして。 で、我が家では、こんなメニューが好かれます。 ぶり大根鶏と白ねぎの照り焼き鶏、ごぼう、人参、蓮根の煮込み焼き魚(特にカレイのみりん干し、西京焼き、ほっけ、さば) キュウリとイカ(または蛸)の酢の物モズク酢あえ春雨ときゅうり、人参の酢の物セロリと温野菜のサラダほうれん草とオカカの和え物おかひじきのポン酢あえ さしみこんにゃくごぼうと人参のきんぴらひじきと大豆のごま油入り煮物 で、一番大好きなのが、お味噌汁。にらと玉ねぎが、最高らしい。次に、舞茸と玉ねぎ(舞茸は量が少なく高いから困る)わかめと豆腐わかめとお麩。(お麩も高いから主にもらい物) で、たまにしか作らないけど、熱狂的に迎えられるのが水菜のおすまし。しゃきしゃき感がいいのかなぁ? これらのメニューが出たときは、作っている最中から「ママ、運んであげるよ」と、作ったものからさらっていきさらに、ガマンできず「ママ~食べはじめてもいい」と勝手に前菜(?)から食べ始めます。きゅうりと蛸の酢の物とか、目がありません。 で、次におかず、ご飯、味噌汁と運ぶとお味噌汁を見て「うっひょ~大好きなニラだ」と、まだ熱いってのに、ハフハフ言って食べ・・・「お味噌汁おかわり」 ニラ系、わかめ系のお味噌汁の場合は、大目に作ります。必ず、ルイがおかわりするから。 もずくも好きですね~ちょびっとずつ、かみしめて食べます。 魚は、切り身を多く出します。秋刀魚以外は、一匹で出すことはほとんどないかな。大人と同じ大きさの切り身をペロッと食べます脂がのってしっとりして、塩気のある鯖が大好きなようです。 ただ、スーパーに出ている魚の切り身を出すと、美味しいと言わないので生協さんの、一工夫されている(みりん干しとか、さばの氷温熟成とか)魚だから美味しいのかなぁ?と思ったり。 野菜は、旦那もルイも、生協の味の濃い人参が、生でも煮ても美味しい、と言います。生で薄切りにして、サラダ菜と一緒に出すともりもり食べます。たまに、火曜市で黙って購入して出すと(ポトフとかにして)「なんか、味うすいにんじんだねぇ」って・・・(ぎくっ)パパは農家の人だったので「これ、買ってきたでしょう」って(ぎくっ) 生協のまわしものではないですが和食にすると、そのまま焼くか、ちょこっとの調味料で煮るか茹でるかなので素材の味だけが全面に出てしまうから食材選びは大事なんだろうなぁ~と思ったりします。 ちなみに、朝は手抜きで、パンとかおにぎりとか。夜だけ、なんとか頑張ってます。(これでも) 食欲の秋、なので食生活について書いてみました。 にほんブログ村
2012.11.06
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今年は2度目となる、発熱です。私は熱をあまり出さない方なので、自己管理が悪かったなぁ~とちょっと反省しました。 寒くなったのに、外に出て遊びすぎたり休日も楽しくて、ついつい、ルイと大暴れしたり。なのに、平日の昼食はルイも旦那もいないから、手をぬいちゃった。栄養が足りなかったんだろうな~と反省。 熱が出たところで、40℃にならなければ私は平気です。小さい頃、扁桃腺がはれて、しょっちゅう40℃超えの熱を出してたので慣れか、38℃、39℃ぐらいでは、しんどくならない。熱の上がり際に「ああ、きたな」とわかるので薬を早めに飲んで、ひたすら寝ると、だいたい1日で下がります。 ルイは、私が寝込むと嬉々としてお世話をはじめます。最初は、「ママ、だいじょうぶ?しんどそう、かわいそうに」って心配してくれますが・・・私がそれほど、大変そうじゃないな~とわかると本当に嬉々として、「ママ、まずお熱はかりましょうね。はい、体温計」「ママ、保冷剤持ってきたよ脇に入れますよぉ~」(ぐりぐりと入れられる)「ママ、お茶を飲みましょう。どうぞ」(とコップをずずいと押し付けられる)「おでこをひやしましょうね」(とルイ箪笥にあったガーゼをべちょべちょに濡らして頭に)「ママ、ご飯は宅配でいいよ~はい、携帯」(と、携帯から注文してね、してして攻撃) そして宅配が届いたときのためママの財布を持ってきて、私が取り出した数千円をいそいそと自分のお財布に入れなおす(お買い物感覚を楽しんでる) ピンポーンと宅配が来たらちゃんと、インターホンで相手を確かめてから、ルイ財布を持ち、いそいそと玄関へ。がちゃーんと扉を閉めて、ふんふん鼻歌うたって戻ってきます・・・「ママ、おいしそうよ~」「・・・ママは食べられないから、残しといて先食べて」って言うと、これまた嬉々として1人で食べてくれます。1リットルの作り置きのお茶を、ぷるぷるしながらコップに注ぐのを布団の中から、はらはらして見つめる私 ふんふんふ~んと鼻歌歌いながら、一人食事するわが子。途中でテレビなぞつけて、すっかりおくつろぎ。 食べ終わったら、ゴミ箱にごみを捨てて「ママ、はいお茶。はい、保冷剤。はい、頭冷やしますよ~」と、かいがしく私のお世話を続行し、「もう9時だから、歯磨きとシャワーと寝支度してね」と言うと「は~い」とお返事し(私が病気の時は一回で聞く、素直なルイ) いそいそと、歯磨き。そしてルイ箪笥から、パジャマと下着、パンツを選び出しバスタオルをおっさんのように肩にかけて、お風呂へ。「ふんふんふ~ん」と、シャワー浴びている間中、鼻歌が聞こえてきます・・・ルイ、絶好調。日本舞踊のお稽古のため、髪を結い上げるのでかなりの長髪なんだけど泡立ててごしごしやるのが得意なルイ。仕上げは、お風呂の中の鏡で見て、全体の泡がなくなるまで洗う人なので基本、いつも綺麗に洗えてます。コンディショナーもするから、洗い流すのは結構しつこく頑張ってます。 で、洗面台の方で「ぶおぉおお~」ってドライヤーかける音が。・・・そこまでやるか、1人でやれるのね。。。ああ、寂しい(ドライヤーはいつも私がさせてもらっているのに・・・) 着替えて、枕にひくタオルをセットして、布団を整え体にぎゅ~っと圧迫するようにタオルケットを巻き(ルイの安眠法らしい)「じゃあ、ママ、しんどかったら言ってねお茶持ってきてあげるからね」 で、すこーっとお眠りに。 私は10時ぐらいに起きだして、ちょっとだけご飯をお腹におさめて薬のんで、軽くシャワー浴びて、再度寝ました。 旦那も、ルイと同じで手間いらず。仕事帰りに外で外食して、朝のパンやらサラダやら私用にドリンク剤やらヨーグルトやら購入して冷蔵庫に入れてくれてました。 朝起きたら、すでに旦那とルイは朝ご飯をすませルイは園服にお着替えもすましていて。「ああ、お寝坊した。ごめんよ~」と最後に起きだす私です幸い、給食デーだったので、お弁当もいらず。旦那は先に出勤。ルイは「1人でバス停まで行けるから大丈夫よ~」って・・・無理ですママが無理あんな、民家をぬって、飛ばしている車が多い道路を1人で歩かせるなんて~ムキ~っと、着替えてあわててルイを追いかける私は、すっぴん状態車の行き来の多い交差点で、ルイを捕獲。ちゃんと、立ち止まって右左を見ている所でした。 はあ~。すごく、休めたので1日で熱は下がりました。下がりましたが・・・なんとなく、意気消沈。私って、いらんよなあ 小さい頃から、自分で自分の面倒を当たり前のように見るルイ。自分のことは、全部自分でできる旦那。・・・ちょっと寂しくなりました。 体が元気になれば、心も元気になるでしょうまた今日から、私なりに頑張るのです にほんブログ村
2012.11.06
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年長さんになってから、ルイの特別なお友達が2人、お引越ししました。一番、仲の良かった子が、梅雨明けにお引越し。そして、先月10月に、もう1人の仲良しさんが、お引越し。 ルイの一番の親友とは、長い付き合い。年少の終わりに、私の幼馴染の子の運動会を見に出かけ小学校を訪れた際に、その幼馴染の兄弟つながりで知り合いになった結構長いつきあいのママさんとお友達でした。年中になると、小学校でPTA役員をされていたママさんが校長先生を紹介してくれたり、小学校の行事に招待してくれたりと(年中で診断されてから、カムアウトはしなかったけど特性は伝えていた)とてもお世話になりました。 小学校へ上がる前に、小学校を選びたいから家を建てて、お引越しされるとのことでした。この地域、昔はとてもいい地域だったんですけど。最近は、慢性的な不登校やいじめも多く、あまり評判は芳しくありません・・・我が家と違い、兄弟が2名、3名いるというご家族がほとんどなので真ん中や、末っ子が入学するタイミングで、引越しを・・・というケース。 ルイの園はマンモス校の幼稚園というのもあり年長になってからのお引越しが、他のクラスでもとても目立ちます。 ルイは、とても残念がってました。一番仲の良かった子は、はじめての「親友」でした。(正確には、年中終わりになって「親友」になった)とても勝気で、子供らしい、駆け引きも良く知っている頭の良い子でした。年中になった時、ルイが一番やりにくかった相手でいざこざやトラブルはしょっちゅうでした。(ルイの中で、のことで、相手の子は喧嘩もへっちゃら)「仲良くしたい子を、あの子がいつも取っちゃうの。」「いつも、意地悪してくる。横にいると押してくる。」「オモチャを貸してくれなかったりする。」「ルイがブランコをしよう、と思って移動すると、さっと走ってきて取るの。」 ルイが、すごく対応が難しいと感じているお友達でした。その頃は、頻繁にコミック会話を多用して「子供ってね・・・」と、いつもいつも、人はルイの都合よく動いてはくれない。特に子供は、ルールもまだお勉強中。やりたいことは、どんどんやっていく子もいる。遠慮しない子もいる。それが子供ってもの。お友達は正直だから、ルイも正直になるとやりやすいよ。自分が「やりたい!」とか「ちょっとそれは嫌!」と思ったらどんどん、口で言わないといけない。言えない時は、先生に相談しようね。というお話をしたものです。 もう1人の仲良しさんは、喜怒哀楽がはっきりしたパワフルなお子さんでルイの前で、拗ねたり、怒ったり、はっきりと意思表示をしてくれる子でルイが、はじめて「他人の気持ち」を意識するきっかけとなった貴重な体験を、いっぱいさせてくれた子でした。ルイは、そのお子さんから、たくさん学びました。生れ落ちた時から理路騒然としていたいルイには、理屈なんてない、子供らしい感情が根源のお友達の理解不能な言動は「自分にはない」もの。今ある「自分の気持ちは自分ではっきり伝えないといけない」という自覚は、お友達に押して・押されて、理不尽を感じてでも、お友達にも「こうしたい気持ち」があって、という自分と他人を理解した所から得られました。 個性的な子供が集まるルイのクラスは年中・年長と持ち上がり年中では、ソーシャルスキルを家で復習することが多くていつも「ママ、今日は~があってちょっと嫌だった」から始まってあーかな、こーかな、お友達はこう考えたかな、ルイはこう思ったんだよね、次はこんな風にするのはどうかな、なんて会話が多かったのが年中の終わりにぴたりとおさまり。年長では、大の仲良しとして、対等に付き合えるように。 頻繁に、園後も公園で遊び大きなスーパーやモールで出会ったら、お互い抱きついて離れず一緒にお買い物をして回ったり。 親友が次々とお引越しをしていって「寂しいなぁ」とは言うルイですが彼女達2人がルイに残して行ってくれた「お友達づき合いのスキル」は財産となって、今、とても花開いてます。 夏休み明けから、本当に頻繁に、色んなお友達から「遊びに行きたい」「遊びに来て」とお誘いがかかり 「ルイは、場所が変わると固まったり、上手く対処できないから」と、十分な対人スキルができるまで無理に園外では遊ばせないと決めて、年中終わりぐらいまでお誘いも断ってました。 それを解禁にして、「もう、大丈夫のようだ」と安心できたのは親友二人との、外遊びで自信をつけたルイが自分から、どんどん「園の後も誘われたら遊びたい。」と思えるようになったこと。今までは、「関心がない」とか「自分の遊びをやりたい」とかで園後は自分ひとりのペースで、工作やお出かけすることが好きでした。 今は、「お友達と遊ぶことが楽しい」と言います。特に、夏休み前後、親友との別れから急成長。園後なので、最長でも3時間程度。それぐらいの時間は、ルイも楽しいモチベーションを維持できて上手に遊べています。良い経験の積み重ね・・・ルイ的には、そうなんでしょう。「今日も楽しかった。ママ、お友達を招待してくれてありがとう」と言ってくれますが・・・ 「いやいや、ルイのお友達のママさんから、子供が遊びたいって言ってるってメールが来たからルイが遊びたいならってママはOKって返事しただけだしルイは、年長になって、お友達が増えたんだね。」 「うん。すごく楽しい明日は幼稚園で、家族ごっこと鉄棒する約束なの」 良かったねぇ。先はどうなるかわからない、爆弾を抱えた発達障害の子。親は、心のどこかでいつも、不安を抱えていますが・・・今が楽しければ、それが一番。幼稚園最後の年を、ルイも満喫しようとしているようです。「幼稚園最後の遠足は、すごく楽しかった。」とルイも、よく「最後の」って言います。進学予定・候補の小学校での準備登校が始まり小学校での新一年生の付き合いがスタートした今。新しい生活が始まろうとしているのが、同時進行でわかるからでしょう。 ・・・なんだか、切ないです。今を、幼稚園での一日一日を、大切に過ごしているルイ。幼稚園の仏様に、いつもありがとうございます、そして、長い間、本当にお世話になりましたと、手をあわせよう。そんな気持ちにさせられる過ぎていく秋の日々です。 にほんブログ村
2012.11.02
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毎朝のことなのだけどルイを、幼稚園のバス停に送っていく直前にあわてて口紅を塗る私。 メイクは、朝起きた時にするんだけど。ルイが、とうとう今朝になってこんなことを言いました。「ママ、出かける前にバタバタしないの!(私の口調そっくり)もっと早めに、ぬりぬりしておきなさいね」 ・・・と言われたので、なんで外出直前まで口紅だけ塗ってないかを恥ずかしながら、説明することに。 「えっと、あのね、実は・・・ルイとパパにいっぱいちゅ~したいからわざと、ぎりぎりまで塗ってないの。パパに、起きた時と~、すれ違った時と~、お着替え終わった時と~(スーツ姿がカッコいい)、いってらっしゃいの時と~・・・(延々と説明) ルイにも、朝起こす時と~、お着替えしてる時と~髪を編んでいる時と~、靴はいている時と~・・・かわいいなぁって思うと、ついついちゅ~したくなっちゃうから・・・ほっぺに口紅がくっつかないように、出かける直前にぬりぬりしたいの」 って言ったらば 「ぶっは~ママは甘えんぼさんねいいよ、わかったよ。(げはははは、とずっとゲラ笑いされた)」 ・・・という訳で、出かける直前にバタバタしていた私はルイからの叱責を免れたのでした。旦那とルイへのキスだけは、どうにもやめられないです。 にほんブログ村
2012.11.01
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小学校入学にあたっての、試行錯誤について、続き。実は、小学校受験も、まだ続行中です。 すでに合格した学校の中には、合格発表がされると入学前の準備授業、プレ教室がすぐ開始される学校もあります。ルイも参加します。幼稚園から帰宅して、すぐお出かけして、小学校へ。土曜日の開催もあります。新1年生になるお友達と先生で、今から遊ぶ機会もたくさん持つようです。 こういう取り組みは、とても助かります。ルイは、小学校へ行くというより「習い事へ行く」感覚みたいです。行った先で、みんなで運動をしたり。ネイティブの先生との英会話や歌や踊りで遊んだり。宝探しゲームで、学校探検をしたり。来年の4月に同級生となるお友達と、ルイの様子を観察しながら先生とのやりとり、学校での様子を見ながら不安材料の検討もできます。そして、ルイには事前のスモールステップで、自信へつながります。4月の新学期、すでにお友達になったみんなと、勉強を開始というのはとても理想的です。 心理士の先生や、お世話になっている発達専門の教授のおすすめ校も加味して旦那も、独自にルイに合いそうな学校を見学・相談会へ行きました。ルイの興味の度合い、やる気、元気、安定度をチェックしながら、吟味。年度末か明けの入試もまだ一校残ってます。1校受けたら、2校は慣れて、2校受けたら3校も4校も、どんとこい~って感じです ルイは、私立の校長先生がとても好きだそうです。どこの校長先生も、ルイの話を一生懸命聞いてくれます。そして、具体的な相談ができる。ここが、大きいと思います。 こんな会話がありました。 先生:「ルイちゃんが、小学校に入ったら困りそうなことあるかな?心配なこととかでもいいから、教えてくれるかな。」 ルイ:「片付けが苦手です。物を忘れたり無くしたりして困りそうです」 先生:「幼稚園では、どうしてますか?」 ルイ:「幼稚園では、たまに忘れ物します。でも先生が貸してくれます。失くしても、名前を書いてあるので、返ってきます。」 先生:「小学校でも同じように、すべてのお道具には、名前を絶対書いてもらうようにしているよ。忘れ物は、忘れ物ボックスが職員室にあるから、そこを探せば見つかると思うよ。」 ルイ:「お目めのトレーニングに行ってる時に、小学校は黒板を見てノートに字をうつすけど、それが苦手かもって言われています。ゆっくり書いても大丈夫ですか。」 先生:「書き写すのが苦手な時は、聞いた言葉を書くのでもいいよ。宿題とか持ち物は、どの先生も、小さいひとつの黒板に書いて、教室に置いておきます。家に帰る前にまとめてノートに書く時間があるし、書き写すのが大変だったら写真を撮ることもできます。携帯で写真を撮る許可をしている生徒がいますよ。」 などなど。 ルイが、ひとつひとつ、心配なことを、聞きなおして下さったり、私に解説を求めたりされて返事は、ルイに直接わかるようにしてくださる。 私立小学校の多くは、先生の専門が決まっているケースが多く国語の先生、英語の先生、音楽の先生、などそれぞれの先生の宿題や持ち物は、教室の一角に書いて残されています。発達障害のあるお子さんも、入学後にわかる事があるみたいで対応として、慣れている感じがしました。 携帯電話の使用は禁止されていますが遠方からも通学してくるので、親との連絡取りに必要だから、学外ではOK。その携帯で、板書が極端に苦手なお子さんは心理士さんや主治医や、誰でもいいので専門家の一筆があればクラスメートに、なぜその子だけ撮影OKなのか根拠をきちんと示したのち、板書せず写真に撮る、ということも許可されているそうです。 ルイは、見るからに安心してました。 私が安心したのは、常に専科の先生達がそれぞれにルイの評価をしてくれる、ということ。教頭先生や、校長先生や主任の先生が総括の取りまとめとして参加される、つまり現場に立たれているのも驚きですが一般の公立小学校と同じ学期ごとの通知表にプラスして各教科それぞれに、日常の得手不得手の部分を全部、全教科の先生が度々評価してくれて独自のレポートを作成し、それを、保護者に提示してくれるということ。 だから、幼稚園から小学校に入ってから、子供の理解・習熟度に差が出てもそれぞれの不得手な部分を補習や、適切な副読本などでカバーしたり夏や休暇中に、個別相談に乗ってもらえるということ。 教科書が簡単すぎる子には、より高度な副読本と課題を。教科書が難しすぎる子には、より簡単なわかりやすい副読本と、違うやり方を。とにかく、教科書以外の、よりわかり易い副読本や取り組みが多いのです。 感覚過敏で参加が難しい時にはその時々で、一緒に対処法を考える。別室やカウンセリングルームでのクールダウンも、どの生徒でもOK。 うちの地域では、就学前の子供は療育や心理士の指導が受けられますが小学校に上がると、公的サポートは事実上、卒業です。主治医の定期的な面談のみ。学校の先生はそれをご存知で「学校から依頼して巡回してもらえれば、学校で引き続き、担当の心理士さんに相談できますよ。」とタネ証しも 今までお世話になった先生に、学校から定期的に様子を見てアドバイスもらえるように依頼することもできる、という外部サポートにも、抵抗なく、むしろ取り入れていくという「餅は餅屋」的な、専門的なことは専門家の手を借りて、という発想が先生方にあるのが、話がしやすく、嬉しい驚きでした。 そんな指導の仕方があるんだ~、と感心しました。独自のノウハウを持っているから、個別対応が当然の前提としてくれているから沢山の先生の目が、視点が入っているから普通級だ、支援級だ、とわけなくても、学校全体でおおらかに見てくれる。 最もびっくりなのは、先生方全員のチームワークでしょうか。見学の時、体験のとき、受験の時、面接の時、あらゆる時に感じたのはあ・うん、の呼吸での団結力。どの小学校でも「校長をはじめ、すべての教員が全生徒をすぐ覚えますし保護者さんも、すぐ覚えられてしまいますよ~」って。在校生の保護者さんもそうおっしゃってました(在校生保護者の座談会みたいな機会もいただきました)。長い先生では、何十年もその小学校でお勤めだそうで何年も何年も、一緒に仕事していたらこうなるのかなぁ・・・と職場環境としては、家族的でいいなぁ、と思わせるものがありました。 まあ、おそらく都心部のバリバリ超進学校とかだとまた体質も違うのだと思いますが・・・ あと、発達障害の知識がかなりある、と感じました。話をした私立小学校の先生方は、先入観よりもまず、自分達でルイを見て、判断して、提案してくるという主導権を持っておられ今までの経験から、どう対処できるかを明確に述べてくださる感じです。なんでしょう、親が育児をする時の「当然の覚悟」というか、責任というかそれに準じるような、生徒を受け入れる時の毅然とした姿勢を感じました。 ルイが、いち早くそれを感じ取ったようです。笑顔で、「ここの先生大好き」発言が、ぽろぽろ出ます。仏教系の小学校では、応接室で話している最中にお庭で5、6名の生徒さんが仏様の像に向かって参仏しているのを見て 「あ、ルイのところと一緒だ」と校長先生と話がはずんだり。 祈りと、作法と、心の教育、という話をじっくりとルイにもしてくれました。ルイは、「幼稚園の園長先生も、困っている人に優しくっていつも言ってます」と元気良く発言してました。仏教の成道会、涅槃会、花祭りの行事は、幼稚園、小学校共通ですね。こういう教育が、ルイには必要だしそういう環境がルイの居場所の、平安でもあるのだなぁ、と。この先、いろんな困難やアクシデントに遭遇してもなんとかなりそう・・・という見通しと安心感を得られました。 最後に、予想外の嬉しい情報が。私立は、遠方からも通学者がいます。だから、放課後は学校を開放して、夕方6時まで自由に遊べたり夜7時まで学童保育があったり学校内で大学・院生と遊ぶ会があったり。学園内図書館で、お話会があったり。「保護者は共働き家庭も多いですから。半数以上の子供が、学校でお友達と沢山遊んで帰りますよ。」とのこと。どの私立小学校も、「保護者の皆さんの希望でこうなりました」と保護者の意向が、どんどん学校の体制を変えている様子でした。持ちつもたれつ、なんでしょうね。私立は経営がありますから。 私と旦那は、小学校は公立が当然だと思って育ちました。知らないということは、こういうことなのだ、と今回、つくづく、思い知りました。正直、驚きが隠せません。旦那は、深く感じ入ってました。ルイは、私達が知らなかった世界や、知らなかった人の思いを教育には色んな方法があるし、それを実践しようとする先生たちがいることを知る機会をくれました。 そのチャンスにむくいるべく、親二人、まだまだ色々頑張りますよ にほんブログ村
2012.10.30
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10月は、そこはかとなく忙しかったです。来年の小学校入学に向けて、次々と、手続きがありました。住まう地域の就学前健診や、就学相談もありました。 基本、私はいつも単独で児童相談所の心理の相談室や主治医、大学付属の発達相談センターに可能な限り出入りしているのでルイの状態は、専門家のネットワークの中で、それなりに把握されています。(狭い地域なので、人と人がつながっているんですよね~)幼稚園から小学校への情報提供も、ずっとやってます。なので、就学相談も、就学前健診も、かなり、あっさり。 年数かけて、公立とやりとりしていた理由としては・・・公立に進学するとなると、かなりの困難があると言われていたのです。(知的中心の支援級しかなく、情緒級を作るのは相当大変みたいで)我が家の地域の公立小学校3校を、年少時から見学し続け変わりに変わる、支援級の先生や校長先生とも毎年会い成長するルイの、その都度、その都度の状態を話して相談してきました。 公立の普通級に入学する場合は、絶対に支援級のサポートがいる。最低でも、支援級への通級は絶対必要。これは、私達夫婦の絶対的見解でした。私と旦那が通っていた頃の公立より、さらに放任化(?)が進んでいます。ぽいっと、あの環境に入れられたらルイは、あっという間に不安と混乱で崩壊するだろうな~・・・と、毎回、訪問する度に、思い知るのです。 なにしろ、ごちゃごちゃしすぎる。休憩時間だけならいざしらず、授業中も先生、生徒ともに廊下にうろうろ・・・先生も、時間通りに教室に入らない。コピーをとり続けて、授業開始から5分以上遅れてばらばらに出入りしていたり。 校長先生に会う前は、たいてい職員室に通されるのだけどルイが、「ここはいつ授業がはじまるの?あのチャイムは何の合図?」と聞いたぐらい、人と空間の動きにメリハリがないので・・・このだら~り感、まったり感は、ごく普通の子供ならリラックスできるけどルイには、時間の流れの区切りがわかりにくく、不安を増長します。「なんとなく、不安がつきまとう」と、ルイは自信なさげになりあらゆることが上の空になります。または、急に神経質になる。普段、大雑把で神経質になることがない子ので「ルイが急に神経質になる」時がルイの、二次障害の入り口である、と、夫婦で確信してしまっています。 毎回、公立小学校へ行くと、年少の時のルイの表情と態度に戻るのがものすごく、親としての不安をかきたてました。 「何が」という決定打のある、デメリットはありません。その「何が」と特定できない所が、ルイの最大の不安要素なのでした。近所には、仲の良いお友達もいます。そのメリットを凌駕するぐらい、ルイの神経質な面が全面に出る。仲の良い自閉仲間と一緒に小学校に行ったこともありますが、友達がいようと上の空になります。自分の中に閉じこもりがちで、神経質、全開。 「わかっている困難、課題には対応できる」けれどぼや~っとした、何だかわからない「特定できない不安要素」がルイを黙らせる。曖昧な不安、つかみにくい流れ。神経質になり、公立小学校に行く度に、私からルイにする事前予定予告の念入りな周知がさらに過度に必要になります。これは、私にとっては、ルイの異常事態。そこまでルイを不安にさせる環境に、連れて行くことの、親の不安。 年長になって、今の今の時期まで、ぎりぎりまで何度も公立小学校を理解させようとしてきました。そして、運も悪いのか、毎回、ルイはストレスで能面になって帰宅します。 時間を予約し、先生との面談を設定して出かけても・・・「ちょっと、先生がおられないので、探してきますから待っててくださいね~」と10分、15分、応接室で待たされる。ルイは「どうして、お約束してきたのに、先生は時間を守らないの」「どうして、いつもお兄ちゃん、お姉ちゃん達は見てくれないの。ルイが透明人間みたいで嫌」「どうして、先生がお教室でお話してるのに、お兄ちゃん達は廊下で遊んでるの」 先生にも急な用事が入ることがある。忙しい中、ルイとママに会ってくれてるから。幼稚園の制服着てるから、この小学校の子じゃないって思ってるからかな?知り合いになれば、きっとご挨拶してくれるよ。うーん、何か、廊下でやらないといけない用事とかあるんかな? と、毎回毎回、説明するんですが・・・幼稚園では、こういうことは一切ないですし各小学校に知り合いの子もいるんですが、その子達いわく、みんな結構ドライらしい。自分の遊びに夢中だし、と。そりゃそうですよね。幼稚園児の訪問客なんて、とりたててめずらしくないし。幼稚園だと、部外者への関心は高いですからね~小学校との温度差かな。 他の、訪問した私立小学校はすでに5校に及びますがどこも、先生方は時間厳守、ともすれば、校長先生、副校長先生、新入生担当の先生や補助の先生、カウンセラーさんまで待機してくれてたりして放置される経験がないのと新入生候補への在校生さん達の挨拶、親しみのこもった言動や積極的に自主的に案内してくれる雰囲気を味わっているのでルイはどうしても「同じ小学校なのになぜ?」と納得がいかないようです。もう、これは運というか、その時の状況が、たまたまそうだっただけ。だけど、連続して、何年もそれを味わうと・・・それが「固定化」された概念になります。 私の不安要素もここにあるわけで。どんなに相談しても、その環境のムードにルイが合わなければ崩れまくる子供の、後手後手になるサポートは正直、焼け石に水になる。そうなると、頼りは先生方なのですが・・・ルイの本質に関しての理解を、はじめの時点でなかなか、いただけません。 ルイは「見た目普通、幼稚園で問題ないと聞いた、診断はあるが、大丈夫でしょう」と頭っから、この小学校の状況では、このような崩れ方、迷い方が予測されます。と私と、サポーターである主治医や教授からの意見書を出しても真剣みがない。要するに、「崩れてから考えましょう」が、3校の公立の見解。まあそりゃあ、2年後、3年後に崩れた時には先生方は移動していないかもしれないから、その時に、どうぞ、新任に相談を。ってことでしょうかみたいな、言い回しを丁寧にして優しく聞いたら「そうそう、そういうことです」みたいな反応。ぐは~っ 心理の先生に報告したら「自分達も、同じ様な対応されること多いです」って、これは制度の問題。 今月、これでもかってぐらい、公立小に足を運びましたがルイは、ここでは、無理です。ストレッサーが多すぎる。「入りのタイミング」で、ルイ自身が「いける」って思っていたらかなりの困難にぶつかっても、ルイは努力し、頑張れます。それが力になるタイプ。だけど、「入りのタイミングで、だめかも・・・」って思っている時はどんなにサポーターや友だちがいても、条件が良くても自滅していくタイプ。 それだけ、「今現在の自分の気持ち」にこだわって未来につなぐタイプです。未来を見通せない特性だけど、未来を考えないわけではない。不安だから、人一倍、未来をみとおそうと必死になりだからこそ、「今自分はやっていけそうと感じるか」がルイの、唯一の、「将来私は頑張れるか頑張れないか」の決定材料になっている気がします。 きっぱりと、公立を、完全に意識から除外しました。年少からの長い準備期間でしたし、迷いに迷いましたが、冷静にルイの2年半の反応記録(公立小学校訪問時の、私の日記の記録)を読み返して「ここでは無理だというサインが多すぎる」と判断しました。 たった今より、迷いなく、私立への進路へ集中して取り組みます。にほんブログ村
2012.10.30
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今日、ルイのお風呂上りの髪を、ドライヤーしていたときのこと。ルイが突然、うれしそうな顔をして「ママ、また綿菓子食べようね。」と言いました。 綿菓子前に食べたのは、確か桃の節句のときのような・・・お雛様の包装紙に入った、綿菓子を飾った後食べたはず。でも今頃、思い出す話かなぁ? 私 「なんで突然、綿菓子の話なの~?」ルイ「ほら、ママと大きいプールの所で、食べたでしょ楽しかったじゃない」 プールプールで綿菓子・・・私の頭の中には、近所のプールの購買部とか近くの大型スーパーのプール教室がある近くのお菓子売り場とかが浮かぶけど・・・綿菓子が売ってたはずはなく。 私「ええ~綿菓子、最近食べてないよ~。お祭りの時のこと?」ルイ「違うよ、お祭りじゃない。」私「ええと、イオンモールみたいに、お店の中で買った?それとも、外で買った?」ルイ「外で買ったよ。」 外かぁ・・・お祭りでは高くて買わないしなぁ。駄菓子屋で、外で売ってる店って、近くにないしなぁ。はて。どこだと、さらに聞き込みした私です。 私「お外で買ったって、どんなお店だった?いっぱいおやつ売ってた?」ルイ「違うよ~。ママが、こうして、くるくるって回して作るんだよって教えてくれたでしょ。すっごく楽しかったんだから~。こう、くるくるって(格好を真似して)」 私、そこでやっとわかりましたプール、自分で作る綿菓子。そうそう、昨年の夏、旦那の出張についていった時のことですね。旦那が出張先で仕事している間、私とルイは観光しまくりで。その時に行った、ちょっと寂れた山の上の遊園地。その遊園地には室外プールの大きなのがあって、そこのプールサイドに昔ながらの、綿菓子製造機があり・・・なつかしくなった私が、ルイに、「これで綿菓子が作れるんだよ!」ってさそって、一緒に割り箸で、くるくる~って綿菓子をからめとって作りました。 あんな、わずか数分の出来事を・・・なんの拍子か、1年と2ヶ月ぐらい経った今思い出すなんて。ルイ、5歳の記憶なのに、恐るべし。 でも、あんな些細な出来事が「楽しい記憶」として残っててまたやろうね、って嬉しそうに言ってくれるなんて。私は超ハッピーになりました やろうね~絶対また、やろうね~でもあんな遠方の遊園地にはなかなか行けないから綿菓子製造機があるところ、探さないといけないね~最近はどこにもないからねぇ。って話をしながら、ぎゅーっとハグして、嬉しくて、幸せ満喫。大人になった時、「ママとカラッと晴れた夏の日に、プールサイドで綿菓子作って食べたなぁ」って、思い出してくれるのかな。そうだといいな ルイの些細な一言が、私をとてつもなく幸せにした一コマでした。 にほんブログ村
2012.10.28
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子供を育てていて思うのが「親の判断力」「影響力」が、子供の人生にダイレクトに関わってくるということ。 責任の重さを、痛感させられます。幼稚園や、小学校を選択しサポートするときの判断や決断もそうだし子供をどう育てていくか、という「視点」をどこに置くか。その判断や見解が、子供の成長に大きな影響を与えるなぁ・・・と。 特に、我が家の場合は、ルイの成長の早い過程で(2歳)「発達相談」に行く、という決断をしたり診断予約をして、医師の正式な見解を求めたりしたのでそれをせず、誰からも指摘されず(見てわかりにくい障害なので)そのまま、今の年齢を迎えていたら、どうなってただろう・・・とか時々、考えます。 自分のことなら、すぱっと決められることをルイに関わる、あらゆることでは、悩み、吟味に吟味をしてしまう。 取るにたらないことです。例えば、フッ素塗布。日本では公的にフッ素塗布が無料で奨励されているんですが大学の化学の授業の時に、教授に教わったフッ素に関する内容と自分で調べた結果、「フッ素塗布には不安要素が結構ある」と私自身は感じ、「虫歯にしない」という目的ならば親が、虫歯菌をうつさないように、箸を共有しないなど対策してきちんと、歯磨きをすればいいのではないか。わざわざ、神経系に良くない物を口に入れる必要はないのでは・・・と、私自身が「勝手に判断」して、ルイはフッ素塗布をしていません。 結果、いまだに一つもルイは虫歯がなくきらきらの白い歯で、生えてきた永久歯も綺麗なのでそれでよし、と、胸をなでおろしているのですが・・・。 親の判断は、ともすれば「親が間違った判断をしたせいで、子供が割を食う」ので、自分の判断が、本当に正しいのかどうか。いつも、自分に問いかけて、問い詰めて。悩んで悩んで、決断する感じです。 一つ一つがその調子なので「子育てって、一緒に生活して、育てていくのもそれなりに労力・経済力がいるけど親として、子供の将来に関わることを判断するのが一番大変」というのが、正直な感想。 幸い、我が家は旦那が、よく話しを聞いてくれる人で一風変わった、違う視点から意見をくれるので冷静でいられるし、夫婦間の齟齬がなくて、心強い。「それでいいと思うよ」と、背中を押してもくれます。 そんな感じで、私がルイを育ててきた中でも、色んな事で紆余曲折。任意の予防接種のどれをチョイスするかから始まり、(高額だけど、ヒブは認可されてすぐ接種)授乳の時期をいつまでにするか(むちゃくちゃ長い間授乳してました)離乳食はいつから始めるか(ものすごい遅かったです)お友達と遊ばせる時期(かなり下準備したので遅かったです)何からなにまで、保健師さんや、祖父母の意見や世間一般の指導に、大人しく従ってこなかったなぁ・・・と。いまさらながら、何て親だと思われてるんだろうなぁとひやひやものです。 しかーし、今のところ・・・それで不都合がなかった、という結果が出ているのでやはり、我が家は、悩みながらも独自路線をいくしかない。ルイが楽しく笑って、心身ともに健康でいてくれたらそれでいいよねそう感じております。必死の、私の親としての、自己肯定かしら にほんブログ村
2012.10.24
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お天気のいい日は、家族分のシーツを全部はいで洗濯して朝から外に干してます。 夜、寝るときに、お日様でぱりっと乾いたシーツをルイと一緒に、お布団にかぶせていきます。 「ルイ~、パパとママの枕カバーをつけておいて~」ってお願いもしちゃう。ルイが、えい、えい、と 枕カバーに枕をぎゅっぎゅと入れ格闘している姿を横目に、私は布団をかぶせていく。 そしたら、ふっと・・・なつかしい、胸がきゅっ、となるような気持ちがした。 結婚したり、子供を持つということは、絶対ない。と確信していた私。それが、今、こうして二人で、寝支度をするような母・娘のやりとりをしていて、胸きゅんしたのかな・・・?そんな感じもする。 そこはかとなく、じんわりと、幸せを感じてちょっと感動していたから。 もっと考えてみて、気がついた。自分の母親と、昔、遠い昔に、同じ様に布団を取って家族で楽しくおしゃべりしながら、寝る用意をしていた。あの頃の、幸福感が・・・たぶん、ルイと私の同じ動作、行為で呼び起こされたんじゃないかな。 じんわりと、幸せにつつまれて・・・今日も、幸せに眠ることができそうです。 にほんブログ村
2012.10.22
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ルイの最近の過集中・マイブームは「科学センター通い」です。 それほど遠くなく、最寄り駅から電車をちょこっと乗ればすぐに科学センターに到着するので幼稚園の代休や、先生の研修で半休になった日などは・・・必ず「ママ、科学センターに行くよ(断定口調)」と、ものすごい勢いで出かける準備をして、玄関でスタンバイされます 毎月、実験やイベントの内容がHPで発表されるのでそれをチェックしてカレンダーに書き込んでありまた、ルイの大好きな虫さんの館ではさなぎが蝶になったり、卵から成長するあれやこれや、の虫のその後が気になるようで、いつもトキメいているルイです。 しかも、恐竜さんもいますし・・・ ルイの興味あるすべてが、ここに集結されているので朝から行った日には、夕方の閉館まで居座りますあらゆる実験に参加するルイ。あまりに実験の先生と顔なじみすぎてちょっとレベルの高い、小学校低学年向けの実験も危険なものでなければ、やらせてもらえるようになりました たぶん、「ここは自分にあう」と感じているんだと思います。不思議と、実験の先生のアドバイスは、とても納得できるようです。実験って、失敗の繰り返しです。どの先生も、「とっても偉い、世界で一番偉い人でも小さい頃から、何ども何ども失敗して、何百回、何千回も失敗して最後に、1回だけ、たった1回の成功をしてるんだよ。その1回が、とっても素晴らしいんだよ嬉しいんだよ学校やお家では、失敗したらダメっ、上手にしなさいって言われるかもしれないけど(先生、はっきり言うなぁっていつもぎょっとします)ここでは、失敗をたくさんしてくださいね。最後の1回の成功があればいいんです。最初はできなくても、先生のお手伝いがあればできるようになりますあきらめないでね」 って、毎回、毎回、実験前の説明の時にお経のように唱えられてます 先日、ノーベル賞を受賞された山中先生のことをテレビで見てルイは「この偉い人も、たくさん失敗して、最後に成功したんだよね。」って、尊敬のまなざしで見ていました。「うん、でも、まだいっぱいやりたいことがあるって、言ってらっしゃるね。すっごく、研究が好きなんだって。」っていう会話を、しみじみと、母娘でしました。業績はもちろん、すばらしいですが・・・その、人としての魅力がすばらしい。その、ひたむきさが、すばらしい。とっても、まぶしい。 ルイには・・・やりたいことを最後まで、つきつめていく好奇心や自分の、心の中の、自然に沸き立つワクワク感や好きだという知識欲みたいなものを追求することをやめないでほしい。 工作にしろ、科学センター通いにしろ、日本舞踊にしろ自分がしたい!やりたい!と思ったら色んな友達から「ええ~そんなのが好きなのお?」って言われても(特に日本舞踊は、大多数のお友達から、ええ~?って言われている)平然と、「うん、面白いよ!」って即答しているルイ。 他人の評価や、価値観を綺麗にスルーしている今のルイが私はとっても大好きです。そのまま、自分らしい、自分がいい!と思ったことを迷い無く、心のおもむくままに追求していってほしい。 思うに、人って、一番強い知識欲、好奇心が満たされている時というのはびっくりするほど輝けるし内側から、満足感に満たされる。自分という存在を実感できる。しっかりとした満たされている感があると言動もハツラツとしてきて自然と、周囲を巻き込めるだけの力もついていく。 毎日の生活の中で、ビビッドにはつらつと、てかてか、ニカニカの笑顔で個性あふれるルイだけの成長をしてくれたら、と思います。 母は、ルイと一緒にいると、とても楽しいです独身時代、仕事していたときもすっごく楽しかったけどルイと一緒にいるときは、その経験すら凌駕するぐらい、楽しいと思ういろんなことに・・・ありがとうにほんブログ村
2012.10.17
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学習の取り組み方について、続きです。 学習方法は簡単です。「教えられるのが嫌い」なので、教えずに・・・私がしたのは、教材作りと、提供と、答え合わせと、ご褒美シールや絵の作成だけ。丸つけはします。が、ルイが、ほぼ絶対に「間違わない」「不正解とならない」ように、教材の使用方法の変更と、難易度の調整をしました。小学校入試のワークブックを、コピーしたり、拡大コピーしたりして使い方を変えました。 例えば・・・図形の分解、という問題は、ルイが最も嫌う、苦手な分野です。空間認知が、障害の凹の部分なので、当然です。そのまま、ワークブックをさせたら、1分ともたず、脱落します。やる気ゼロ、集中せず、鉛筆で遊び始めるのがオチ。なので、ルイの大好きな「工作」に変化させました。 円形の図形が、2、3個のパーツにわけてあり、プラス、もう1個、2個、当てはまらないパーツがまじっています。それを、普通のやりかただと「目でみて、頭で組み立てて、円形の図形になるパーツだけを選ぶ」課題なのですが・・・ この問題用紙を、拡大コピーして渡し、「これと、これかな~って思うパーツをはさみでくりぬいて、図形の上にのせて、確認していいよ。」と、自分でちょきちょき切らせてパズルをさせました。そうすると・・・さっぱり解答できなかったルイが、得意の工作なので、すごい集中してやってくれます。「確認作業」なわけだから、「解答を間違う」ということがないので恐れもなく、爆走です。「このパーツだと、大きさが丁度だから、図形どおりになるわ」とか「三角って、背中合わせにしたり、小さい所には小さいものを入れたら完成するんだ」とか、自分で、ぶつぶつ言いながら切っては試し、切っては試し。 最終的には、この課題は30分くらいで、「見ただけで、頭の中で想像して組み立てられる」ようになりました。仕上げに渡した、やや簡単な「図形の分解」のワークシートを見て、考えて、選んだパーツを鉛筆で丸で囲み、すらすらと解答。次に、ちょっとだけ難易度をあげて、選択するパーツ数の多い、図形の複雑なのを渡してもなんとか、仕上げられました。「パターンを覚えこむと、経験からパターン化した解答ができる」の典型なのかな、と感じます。 課題の出し方も、ワークブックを最初にチェックして、私が下準備することが一番大事だな、とわかりました。目の前に、1つ、また1つ、と問題用紙を順番に置いて、ルイがそれを仕上げていく。そういうスタイルが合うようです。ドリルをどん、と1冊をそのまま置くと、量や次のページが気になり、集中できません。ちょっとした工作作業やご褒美シールなどを用意して本当に、ちょっとづつ、小出しにして渡すと、一気に集中力が上がりました。 課題の種類も、短時間で変えないと続けて学習ができません。数字的な問題、間違い探し、図形課題、常識問題などを1課題につき、5分や長くても15分ぐらいのペースで取り組める分量にして1課題終わったら、内容が全く異なる課題を次、また次、と順番に出していくと、目先が変わり、飽きないのがわかりました。何かの本で読んだやり方ですが、ルイには合うようです。小学校に入ったら、「家庭で学習サポートをする際は」この形式で、算数、国語、英語、とくるくるローテーションすれば何とかなるかも、と思いました。 国語の、漢字の書き取りなんかが宿題に出たら筆で、1文字大きく書かせてみたりノートに、連続して書かせないで数種類の漢字を、ランダムに升目に穴埋めしていく、とかとにかく、ゲーム感覚や工作感覚での取り組み方をしようと思います。工夫の仕方を考えるのが、私の仕事。そのやり方で、取り組んでみるのが、ルイの仕事。教えるんじゃなく、方法だけ考えて提供してみる。 これが、私とルイの関係性では、一番適当かな~と思いました。 ちなみに、今まで一度も成功したことのない「親子で一つの本を見ながら、私が読んで聞かせる」読み聞かせ。次のページが気になって、ぺらっぺらめくるし聞き続けるのが難しくて集中力は切れるし、夫婦共に、成功したことなし。寝るときなら、私が読んでるのを聞きながら寝れますが。昼間に、一緒に本を読む、というのは、まず不可能でした。が、方法を変えてから、今のところ、4回ほど成功してます。 読み聞かせの前に「話の内容に出てきたものに、丸をつけましょう」という問題を出すよ、とあらかじめ、用意しておいたペーパーワークを裏返しにして置いておくと気になって気になって、仕方がないらしいです。「ちゃんと話を聞いて、挿絵を見て覚えておかないと、正解しない」と思うらしく、私がお話を読んでいる間、神妙に本を見て黙って聞いてます。 お話が終わったら、すかさず、ペーパーワーク(猿かに合戦なら、猿、蟹、柿、苺、臼、蜂、いのしし、トンボなんかを適当に描いた紙)を見せると「これと、これと、これ」と、鼻息荒くして、丸をつけます。 同じやり方で、日本昔話は、結構読むことができました。・・・ということは、小学校の国語の教科書も、似たような感じで対応できる可能性もある、ということで。パズルにしてみたり、クイズにしてみたり、方法はなんでもいいので「内容を学習してくれりゃあ、それでいい」かな、と思っています。 学校の先生の好意で、現在使用している実際の教科書を見せていただけました。どんな内容が、入学してから要求されるか、確認しましたのでその内容に沿って、「勉強方法のアイデア」を考えるのが、来年春までの、私の宿題。 九九は、カードゲームにしてみようか。穴埋めクイズにしようか。英語は、チャンツにしてみようか。なんだか、楽しくなってきましたにほんブログ村
2012.10.16
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8月から10月頭は、ずっと「学習の取り組み」というものをどう、ルイに促していくのが適切か。を、考えながら過ごしました。 小学校受験をしよう、と決めてからゆるい受験なので、文字も使う必要もなくただ、ペーパー試験といっても、発達検査みたいな項目が多く「学習」とは、内容的にはまた違うのですが「座って、自分の意志、やる気だけを武器に取り組む」という点では学習する姿勢は同じです。 来年の春、小学校へ入学したらすぐに、算数や国語、英語、理科、社会等の勉強がはじまります。ルイが楽しみにしている、文化教育や放課後コミュニティー(趣味か補習)は別段、幼稚園の延長と捉えても大丈夫と思いますが・・・ 座って、鉛筆を使う勉強は、6年間、生きてきて、初めての体験。しかも、いきなり45分授業、休み時間は5分~10分。このスケジュールのスタンスに、適応しなくてはいけません。1日の流れも、家を出てから帰宅まで、より自立性を求められます。「勉強を教わる」ということはどういうことか。教科書ってどんなもの?すべてにおいて、ルイにとって「新しい」のが、小学校という教育機関。 周囲の子達は公文に行ってたり、そろばんをしてたり小学生の兄弟がすでにいて、家で毎日、宿題している姿を見たりいらなくなった教科書をもらったりしているのである程度のイメージができている子達もいるのです。その中で、「小学校」の会話が幼稚園で出てくると・・・ルイは、何も知らないプレッシャーがかかることが予想できます。今は、「ルイの行く小学校を探し中」と言っているみたいですが年末頃には、皆ランドセルをそろえ、机を購入し、就学前検診も終了して、話題は「小学校」で持ちきりになることでしょう。 ルイなりの「気持ちの余裕」を、自信を持たせることが必要だ。そう感じました。ルイの自信に直結すること、それは「知識で満たされること」です。ルイは、彼女の「なんとなくわかる」という満足基準を満たすことで、「できる」と錯覚しがちです。「なんとなく、わかならい」と感じると、周囲がいくら「できてるよ、大丈夫」と言おうと、0か100のうち、実際は80%できていても、「できない」と思い込み、そのまた逆で、実際の中身が20%ぐらいしかできていなくても「ルイの満足基準」でやり方を理解していたり、気持ちに余裕があると失敗し続けても気にならず、「気分は100%」で前向きモードになれる子です。 なので、「小学校の準備のための学習する」ということを強化するのは、今、とても意味があります。 さてさて、「勉強を教える」ということに関して、今までのルイとの関係から「私が教える」というのは、不可能に近いだろう、と感じていました。「教えられる」のが、生まれてからずっと嫌いなルイ。トイレも、歯磨きも、身支度も、何でもしまじろうのDVDで自分で学び身に着けた人。親からのアドバイスを、「うるさい」と、干渉するな、と感じる子です。 なので、色々、模索してみました。受験用の問題集ワークブックを購入して、やらせてみました。夏に参加した幼児教室2箇所の、指導の仕方も観察したり。明らかに、一方のやり方は、ルイは好ましく思っておらずもう一方の幼児教室の指導は、「面白い・楽しい・わかりやすい」と、毎日楽しみにしているのが明らかでした。 そこから、考え出したこと。まず、オーソドックスに横に座って、間違えた所を「説明」するのは一番ルイの嫌うこと。これは、今後も無理だと思います。 ところが、ある方法で試したら、ぶっつづけで2時間、がっつり勉強してくれました。私との連携も、今までで最高という感触でした。その方法を、忘れないようにさっそくノートに控えて今、こつこつ、定着するように取り組んでいます。 長くなったので、分けます。 にほんブログ村
2012.10.15
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旦那と、ルイの部屋(工作の作品と道具、おもちゃ置き場なのでごっちゃごちゃ)の整理と小学校に上がってからの、服やカバン、身の回りの品を定位置に定めてルーティーンを作るために玄関に帽子、カバンなどを置く棚をよりシンプルなポールにしようか、とかルイ部屋は、あくまで「収納」を前提にして作業や勉強は、これまで通り、目の届くリビングでさせようか、と相談しています。 ルイは、目の前に本棚やおもちゃ、カラフルなポスターがあるとついつい、目が行き、気がそれて興味の赴くままに、脱線するタイプ。本人もそれが本能でわかるのか、工作や絵画をするときは絶対、自分の部屋でしません。道具を一式リビングに持ってきて、作業台で集中してやります。だらだらと、気の赴くままに遊ぶ時はルイ部屋でごろ~んとなって、おもちゃまみれになって遊びますが。 リビングだけは、構造化してます。食事をするダイニングテーブル以外はバランスボール、鏡、長方形の大きな作業台のみ置いてます。本棚はありますが、蓋付きで、中は見えません。ルイは、正座かあぐらで、作業テーブルに陣取って作業をします。床には物を置かないように(それでも工作に夢中になると置きますが)正方形のマットを敷いた範囲だけを、追加作業スペースにするルールにしてます。 小学校に入学したら、増えるのは教科書と以前、しすごんさんに教えていただいた、お道具達(しすごんさんありがとう!)を収納しなくてはいけません。見えない棚に入れると、『無い』状態になるみたいだから透明な見えるケースを探そう、ということになりました。透明ケースの収納棚なら、教科書のケース習字道具のケース工作道具のケース家庭科用品のケース などなど分類しておけば、見てすぐ自分で取り出し、直すこともできそうです。 今は、百均で購入したボックスに、ざばっと大雑把に入れているので 透明ケースは見た目がうるさいかもしれないので、使わない時は布で全部覆い隠して準備する時に、カーテンのように「シャッ」と開けば一目瞭然みたいな感じにしようか~、と。ちょっと安っぽい感じになりそうですが背に腹は変えられません。 当分の間、学習机は購入しないことにしました。ルイが、今の1m以上ある作業テーブルですら、スペースいっぱいいっぱいに使うので教科書のせて、鉛筆、消しゴム、ノート、辞書、もしかしたらパソコン(書字障害がひどい時はパソコン入力させるつもり)もしかしたらDVDやカセット(読字障害があったら、音声聞きながら勉強の予定)がのっかるので、学習机だと固定されてしまうなぁ・・・と。 何より、集中力がこの作業テーブルだと続くのです。低めの木製テーブルで、どっしりしてるし、色合いが目になじむのですよね。 それでも、旦那や私は、兄弟がいたけれど自分の勉強机を買ってもらっていた派なので・・・悩みました。そこで、旦那のクールな分析が炸裂 「逆に、今まで定着していたこのスタイルを変化させてルイ部屋で、子供机で勉強させるようにしてしまったらどう転ぶかわからない。浮かれて気が散るんじゃないかなるべく、培った習慣を継続させる方がいいんじゃないか。ルイ部屋は遊び道具を置くところ、服や用品をしまうところ、作業する部屋はリビング、という部屋の役割がそれぞれ明確なんだからとりあえずこのままでいいんじゃないの」という旦那の意見が無難かな、と現状維持ということになりました。 最近、ランドセルを買いたいとか、机はどうした、とか双方の実家から言われるのでルイは好みが煩いので(実際、気に入ったものしか欲しがらない)素敵な家具をそろえたいという時期になったらその時に、ルイと一緒に選んで買おうということにしている、と説明しました。けど、その時の絶対条件は、「ルイ部屋がゴミ箱状態ではなく最低限、透明ケースの中に物が収納できるようになったら」ということで。 お友達が遊びに来たり、友人宅に遊びに行けばまた「こういう部屋にしたい」というルイ独自の希望が出るかもしれません。そうなれば、ルイの意志でルイの趣味で部屋を整えられるルイの個性が見たいのでゴシック調になろうと、きゃりーぱみゅぱみゅ調になろうとおっさん系になろうとだま~って、眺めようと思います 小学校が決まったら、すぐ制服購入となるのでそう遅くない時期に、部屋の模様替えに突入予定です。 にほんブログ村
2012.10.15
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昨日の夜、帰宅した旦那と毎晩恒例の、情報交換トークをしておりました。(旦那の調子が良い時限定です) メイントークは、やはりルイのこと。最近の運動会での様子で感じたことや(お互い考えることが色々あり)その日、先生から聞いた話や家での様子などを2、3日分まとめて報告しました。 その時の旦那の、しみじみとした言葉が・・・「なんなのだろうな、その、ルイのたくましさは・・・俺にはないもんなぁ。自己肯定感が、上がってるんだろうな。前とはえらい違いだなぁ。成長できてるんだね。」 旦那には、ルイが羨ましいそうです。どんなにでっかい失敗をしでかしてもこてんぱんに、私や旦那に叱られても(たまにすさまじい雷落としますので)前を向いて、さっそうと歩いていきます。自分に、迷いが無い。自分に、曇りが無い。自分に、よいところを大事にする。 「愛されてる自信があるからじゃないかなぁ。週末、こてんぱんにパパに叱られた時は、この世の終わりってぐらい絶望感にひたって、絶叫してたけど週明けは、パパが大好き、早くパパのお休みにならないかなぁ(月曜だよ)って、ニコニコしながら言ってたよ。」 「うーん、あの壮絶な俺への執着が、いい方に出てるってことか・・・」と、しみじみと、嬉しいような、どっと疲れるような、顔と声色でした。 ルイに対して、パパは「悪い言動」はこっぴどく叱りますが愛ゆえの激しい抱きつき、嘗め回し、つきまといなどは全面降伏して許してます。余裕のある時は、ルイの一方的な求愛表現にも応えてますそれはもう、過激・過剰な、スキンシップにアイラブユーの言いあいっこ。海外の恋愛映画も顔負けの、濃厚な愛の交わし方(見てると腹が立ってくるメラメラ) ルイ唯一の、過激で過剰な「こだわり行動」は、パパへの偏愛だけ。その「こだわり」が、満たされたからかなぁ。パパを起点にして、「他人への関心」が広がったように思うし。パパを起点にして、「人」と「愛情」、「人」と「楽しい」がデフォルメになったような。私では、それは完全に無理でした。私は、生後3年半ぐらいまで、ルイの「関心の対象外」でしたので。 3歳のルイは、人への関心が全くなかったので自立したがりの性質とはいえ、幼稚園の集団生活では緊張。無言。ちょっとした失敗で、1人号泣。相談しないし、手助けを嫌う。そんな子でした。 年長の6歳で、たくましくなったものだ。運動会で派手に失敗しようが、(障害走りでとんでもない失敗しましたよ~)あまりの派手な(というかトンチンカンな)やりように、マイクもった先生が「ル、ルイちゃ~んそれ違うよぉおおお」と叫んでしまったほど。具体的には、ルイの名誉のため(笑)、省略。テントのあっちこっちから、「ルイちゃーん負けないで~」って声援をもらったら、失敗も吹き飛んでニッコニコして、1人やり直して、ゴール。 旦那と私、祖父母、ぼーぜん・・・ 「皆が心配してくれて、嬉しかったぁ~すごい目立っちゃったよ。てへ。ちょっと恥ずかしかったけど、まあいいよね。」と、そっちかい声援が嬉しかったのかい旦那、「すごいな、ルイは。俺なら立ち直れないわ・・・」と、しみじみ言ってました。 私の怒号が響き渡る、ネガティブデーな1日もあります。どうしても、教えなきゃいけないこともある。その時は、1日がかりで親子共に苦手な「教える・教わる」をやる日もある。 それすら、乗り越えていけるようになった最近のルイ。どことなく、ネガティブで弱い自分も、すんなり認めてでも「いつもの自分はこうだ」と、自分の基本フォームであり、型に戻れるようになったルイ。お陰で、ようやく、本当にようやく、「教える」ということができるようになり始めました。 そしてやっと、旦那は、感じていた不安がなくなったようです。私がたまにやる、雷落とし。ルイを叱責し、説明する過程で、旦那がさざ波のように感じる不安。ルイの自己肯定感を低くしてしまうんじゃ・・・と。自信を喪失させるんじゃぁ・・・と。それぐらい、直球な時があります。 自己肯定感を低くしないため、腫れ物に触るように遠慮して、教えなければいけない事を教えずに社会に出したら無知ゆえ罪のないルイが、将来、残酷に傷つけられることになる。その方が、よっぽど怖い。親なら、ルイを傷つけない程度がわかる。責めていない、知っておかないといけない。その一心で話しているということが、わかりはじめている。 そう、ずっと旦那には伝えてきて、頭は納得しても気持ちが全く納得していなかったのは明白ですがこの点だけは・・・ 人との関係の中で、してはいけないこと。共同生活の中で、絶対これだけは、大事にしないといけないこと。自分を守り、相手も守ること。 そういうことは、学校でも友人からも他人からも、学びづらいから。 このまま、定着した心身の安定フォームを弱さを、自分らしさ、肯定感でつつむスタンスを身から離さずにいてほしいものです。 にほんブログ村
2012.10.12
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運動会も遠足も小学校受験もほぼ終わりやっと普通の日常生活がもどってきました。小学校は、第一希望校があと1校残ってますがとりあえず、1校はOK出たので、選択肢が残りました。運動会も、今までで最高の楽しさと出来でした言う事なし、です さてさて、運動会の練習中は、どうしても「体調管理」が優先となるので疲れている時は、普段はやらない手助け(ルイ的には干渉される感覚)をします。例えば、頭を綺麗に洗うため、普段は1人でシャワーして仕上げの確認だけ私ですが、運動会練習中は砂だらけになるのもあって、私が頭を洗います。身体の怪我を確認する必要もあるので・・・本人が全く気がつかない「打ち身、擦り傷、切り傷」が出没します。手当てもちゃんとしないといけません。 あとは、夕食時も、いつもは自分で食べますが疲れている時は、ご飯を口に運んであげる時もあります。 朝の支度も、いつもは、ルイ専用箪笥のそれぞれの引き出し(服棚、ハンカチ棚、パンツ棚など)に収納してますが、運動会練習期間中だけ、服の棚を開けた一番上に次の日に着る体操服、ガウン、ハンカチ等をまとめて入れます。 朝、疲れて寝ぼけているルイは「なんでまとめて置いてあるか」を深く考えることも無く洋服の引き出しを開けたら、ぼさ~っと着替えをして登場。 片付けが一番、ルイにとってはしんどいし「できない」部分なのですがいつもの、「とりあえず放り込んでおけばOK箱」に工作用具やオモチャを放り込むことも忘れ、床に散らばせたまま寝入ってしまうこともあり。いつもなら、必ず片付けさせてから寝かせますが運動会練習中はもう、夜は朦朧としているので、免除。とにかく、決まった時間に寝かせます。(いつもより30分早めの就寝) 帰宅した時はハイテンションでフィーバーしててダンスの練習したり、工作したり精力的です。が、頭とは別に、身体がそろそろ・・・体力限界だな~って時は全身マッサージをして、昼寝させます。全身マッサージしてると、気持ちがいいのか自然に爆睡なさいます。 こんな生活を過ごした後が、一番ルイの生活パターンがだらだらになります。自分で服をそろえることを「忘れる」しどこに、何がしまってあったかも「忘れる」しお片づけの段取り(片付け時間、片付け箱)も「忘れる」し自分で食事するペース配分や三角食べも「忘れる」し寝る時間を自分で確認する習慣も「忘れる」のです。 毎日、続けてやっていることを「習慣化」すると、苦労なくやれます。が、一度、その習慣がなくなると(例えば運動会練習期間中、例えば祖父母宅に母抜きで1週間泊まるなど)もとの完成された、ルイのペースに戻れなくなります。思い出せない。記憶にないから、まったくやれない、やらなくなる。まさに、ゼロ状態やるか、やらないか・・・というより、パターン化しててやれるか、パターンを忘れて記憶ゼロでになりできないか、の状態が、ルイなのでした。ゼロ状態になると、もう一度、身に着ける「やりなおし作業」がいります。これが、結構、骨が折れます。高速で、ゼロから元の状態に戻しますから ルイ専用箪笥のそれぞれの収納場所の記憶からやり直し。朝の、洗顔や着替え、食事、歯磨き、ハンカチ・ティッシュそろえなどパターン化のやりなおし。帰宅後の遊び、片付け、晩ご飯、寝る支度、の怒涛の流れパターンの記憶やり直し。 ただ、今までと違うやり方で、修正をかけてます。今までは「私が作り上げたパターン」をそのまま身に着けてましたが今は、多少の省略をOKとして、ルイが楽に手抜きで準備できるようにルイが主導で、パターン作りをしてます。私の関わりを減らし、「頼まれたらやる」形式にしてます。 棚は聞かれたら、聞かれた場所だけ教える。髪の毛は、みつあみにしてほしいと言われたら、結ぶ。出発時間まで「髪を結ぶ」ことを失念していた場合は玄関で、「あ!髪結ぶの忘れたあああ!」の時にバス停での待ち時間に、ゴムで一つ結びすればいいので。ハンカチも、バス停で忘れたことに気がついたら私のポシェットに入っているママのハンカチを借りていく。気がつかなければ、そのまま忘れて、園の「置きハンカチ(寄付でもちよったもの)」を借りる。(わざと忘れていき、学習させる練習である、と先に先生の許可を得てます) などなどで、「あ、これ必要だった。」と自分でその場で気がついて「明日は用意しよう」と、記憶に少しでも残るように・・・放置プレイ?してます。 今のところ、試しにやったこのやり方は4歳や5歳では無理でしたが、6歳の今ではそれなりに「困ったことは、後で改善する」という意識がでてきてます。でっかい、ママのハンカチを何度も小さいポケットから取り出して使うのは・・・えらい大変だったとか、借りたハンカチは、ヘンな感じがして、使いたくないと、朝、ぶつくさ言いながら、自分の小さいハンカチをポケットに押し込みました。 園に水筒を忘れて帰宅したときの翌朝は小さい頃に使っていた、ストローのボトルにお茶を入れて持参させ「赤ちゃんの時のだ~ってみんなに言われたわやっぱり水筒じゃないと、お姉ちゃんじゃない」と、恥ずかしさで、その後は必死で水筒を持ち帰ってきます。バスの座席に置きっぱなしにして下りてきたときも「ああ!水筒!」と、焦って席に戻るという・・・赤ちゃんストローボトルの効果バツグン ハンカチ、入れ忘れてるな~、とか水筒、手にもってないな~と気づきながらルイが気がつくまで、言わない。気がつかなかったら、そのまま忘れてもらう。(ルイには効果ある学習方法なので、先生も協力してくれてます)というのは・・・私は「言いたいけど、待つ」「言いたいけど、見て見ぬふりをする」んでものすごい、わきわき、するんですけどね。手が、口が、勝手に「次は~するんでしょ~」とか「~忘れてるよ」とか、言いたくなる 言うと、5回でも10回でも忘れるのを繰り返すルイ。でも、自分でうっかりさんをした時は、1回または2回ぐらいで「しまったぁああ~!」と、修正がききます。 そういう年齢になったんだなぁ。頑張れ、ルイ。母は、じっと我慢です にほんブログ村
2012.10.10
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精神医学、終了。 単位を取ることができました。この学問範囲は、「今、とても必要なこと」をすべて網羅していて非常に有益でした。 精神に関わる病気、障害、投薬、治療、原因や予防など幅広いけれど詳細に叩き込まれました。発達障害も、その対応や二次障害、その他の精神的症状の併発など「障害がある」だけではなく「この要因も考えないといけないのでは」と他の視点、他の分野からの関わりができることも知りました。 一番、「今、とても必要なこと」として有益だったのは小学校入学前準備の必要性が、とても大事だと再認識したことでしょうか。 発達障害のある子供は、幼稚園時代まではなんとか無難にすごせても小学校で困難になる子が多いのはなぜか。特に、10歳の壁が立ちはだかるのはなぜか。この辺りが、きちんと説明され、対策が取れる、ということを知りました。そして、そのためには「小学校」という環境についても学ばないといけないとあり「環境としての学校」を、同時並行で学ばせられました。 「環境移行」「仲間関係」「友人関係」という概念は、目からウロコでした。 分離不安や、「遊び空間から学習空間へ」「空想空間から現実空間へ」突然、6歳になると「もう適応可能な能力があるから」と環境移行させられる。それによる、内面の葛藤や成長。定型も障害ある子供も、環境移行での困難は顕著であること。小学校での問題発露には「家庭の文化と、学校や先生や級友が持つ文化に大きな開きがある」場合最も顕著になること。 ゆっくり、のんびりで自分が納得いくまで自分で考えるタイプの子は迅速に、機械的に暗記して集団統合させられる学校教育についていけない、不登校になる可能性もある、これが「文化の開き」という意味であるとか のんびり、のびのびの学校を選んだけれど家では家長制度がまだ根強くあって自分を出すと「わがまま」と取られ易い家庭で育ったのに「自分を表現すること、個性をよしとする」学校では内面の文化の開きから、価値観の矛盾、孤独、自己否定などにつながるとか・・・。 だから、学校選びや環境調整は障害ある子供にとってはより大事なのだ、と再認識しました。私の家庭のあり方と、学校教育、そこに集う教育者との間に大きな文化の差があれば、その矛盾でうまくいかないだろう、ということになるので今チョイスしている小学校が、はたしてルイの身についている価値観と極端に違わないか照らし合わせる用心は、必要なようです。 なので、私と旦那の見学時の意見もあわせて(数回訪問して色んな面を別の視点で見るため、別々に行ってます)進学先小学校の最終決定をさらに吟味することにしました。 入学前の準備としての、厳しい指摘も「精神医学」にはありました。小学校へ入学させる以前に、「自閉症児の情緒障害(二次障害)は基礎ができていないのに学習させられたり、環境移行させられるため。不適応は、対人関係を円滑にするのに必要な技術がまだ学習できていないのに急速に要求されるため起こるのだ」とだから、そのための基本的学習を、(つまり療育的なこと)を積み重ねて、スモールステップで「ある程度免疫のある」状態にしてから小学校という環境に入れないといけないのだ、ということ。 ひとことで、「ともだち」と私達は言っていますが「仲間関係」と「友人関係」が、全く違う意味を持つと知りました。「仲間関係」は、クラス内、集団の関係性で「他人からの受け入れと評価、義務的つながり」があり「友人関係」は、個々の相性だけで成り立つ「子どもの主観だけで評価されるつながり」という、ある意味ま逆の2つの関係性が、6歳の「ともだち関係」にはできている・・・ってことです。 仲間集団は、基本、学校から与えられたクラスメート。同じ年齢の子独自のルールや帰属意識があり、安心感を得る成長の足がかり、定期的に、年単位で組がえなどある、与えられた場。そして、仲間から「仲間うち、同年齢集団」の枠にそっての評価が生じる。「あの子、いつも場を乱す」とか言い始めるのは、グループ内意識が育っているから。 逆に、「友達」というのは仲間うちの人気とか、役割とか集団内での評価にに関係なくただただ、「自分が主となって」好き嫌いでつながりあう。親しみから秘密を打ち明けたり、愚痴を言い合ったり「仲間」と上手くいかない部分を補って、支えあう貴重なもの。 だから「仲間関係」と「友人関係」は、全く違う。「仲間関係」の難しさ、ストレス、疎外感などを「自分が選んだ、特別な友人」で回避、解消しているってことになる。ここが、学校生活のキーワードになるんだろうな、と感じました。 だから、対人コミュニケーション力を丁寧に療育していくことはそれが一番、学校生活の支えとなる「友人関係」の芽生えを促して将来的に、乗り越えていける強さを身に着けることができる・・・。 幼稚園でしている準備は、まさにこれですよね。年少では、個々ばらばらに遊んでいたのが年中で好き嫌いでグループができはじめ年長ともなると、仲良しで外でお遊び、習い事も一緒に!とか園外でも付き合いたい、遊びたいと「仲間」から「友人」の関係へ。こうして一歩すすむことが、仲間の中で見せている「無難な」ルイのペルソナが剥がれてやんちゃな「ルイらしい」ペルソナに変わるとき。ペルソナの使い分けも、処世術のひとつだからルイらしいペルソナを失わないで、小学校も生活してほしいなぁ。 小学校に入学してから、目新しいシステムの習得とはじめての学習とはじめての友人、先生と自分の混乱とを「同時処理」しないといけないと、当然、キャパがいっぱいになった時にはパニック、不安定、不適応を起こすという理路騒然とした説明も、医学書にはありましたので、参考にして残りの半年を、この部分の先取りにしたいと思います。 「まだ半年あるわ~」という気持ちが、今はもう「あと半年し。有効に使わないと!」という気持ちに切り替わりました。今、この時に、この学問に出会って学習しているというのも運命を感じます。ルイのために、神様から操られている母は神様の掌で転がされながら頑張ろうと、決意新たにしています。 <いただいたコメントへのお返事が大幅に遅れたりしそうです。ごめんなさい>にほんブログ村
2012.09.27
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今月は、幼稚園の年長さんは精神的な綱渡り状態です。 運動会が目前に迫りお遊戯に組体操、リレーに障害走とレベルアップした年長さん。この幼稚園では、当たり前にこなす課題であり年少から、先輩のお兄ちゃん、お姉ちゃんを見てきて「あこがれ」があり、あんな風にかっこよくやりたいと心待ちにしてきたけれど・・・実際、やってみると、大変・・・と園児たちが、みんな悲鳴をあげてます 定型も自閉症スペクトラムも関係なく精神的にきつくて、だだ崩れしてますね。同じバス停の年長のお友達も、バスに乗る前に号泣して登園しぶりしてます。 親は、園での運動会の練習の様子はのぞいてはいけないので(園児達の集中力をとぎらせてしまうから)幼稚園に、補助員としてお手伝いに行く時はお参仏のタイミングで(園児は全員講堂で正座・参仏してるので)園に入りすみやかに、役員室に入室 お遊戯の練習、組体操の練習が園舎の2階、役員室からは見えるんですが皆、真剣に頑張ってます。頑張りすぎて、帰宅後、登園前に、ぷつん、と親の前では泣いてしまうんだろうなぁ・・・。 役員のお母さん方は、卒園した上の子達もいるので「毎年、この時期は先生も親も子も大変だわ」と。それでも、先生との信頼関係があるので嫌だとか、逃げたり、泣いたりして拒否する子達がいない。それが本当にすごくて親が、先生の優しく強い姿勢を尊敬し子供達が期待に応えようとする気持ちのつながりに、感嘆する。たとえ、登園しぶりで泣いてバスに乗っても下りてくる時に、子供達は満面の笑顔で「楽しかった!頑張った!ほめられた!」とはしゃいでくる。 課題をこなすことは、辛く苦しい。なのに先生とお友達と頑張って、やった!という達成感を充実感を感じていることを、全身でアピールしてくる。 ストレスを避けていると性格は変わらない、ストレスを経て、回避方法や処世術が身に付く性格がより現実と適応できるように変容すると精神医学にも書いてあったけどある程度の課題と「乗り越えられる」ストレスを適切なサポーターの下で与えられることは人を強くする。これが、この絶妙なバランスが「教育」なんだなぁ・・・と思う。 さてさて、その「適切なストレスを与える」一般標準からちょっとずれるルイのケースです・・・自閉症スペクトラムのルイには、一般標準そのままをどーんと与えるのはリスクがあります。障害を抱えているので。 ルイは、今年のお遊戯がテンポが早すぎるため手足の協調運動の問題から 左右を間違え意識を集中しても、おいつけない・間違うことが重なり年少、年中のように「考えて、工夫して実行」する余裕がなく早い曲の中では、順を追って完璧にするルイ流が通じません。音・リズム・手足、身体運動が 瞬時に操れません。 さらに・・・多数の先生がマイクを持って指摘してくるので必死で自分で音と動きを調整し、失敗している中割り込みの声(指導)による混乱は、さすがにパンク状態みたいで。 限界が来た時に「わざとじゃないって、先生にお手紙書いて欲しい」とルイ自ら、私にお願いしてきました。手紙を書いて欲しい、と言ってくるのは、ほとんどないことです。 先生に「完全な演技は無理だと自分で自己申告してきました。どうしても手足がおいつかない箇所があるそうなのでそこだけ大目に見てもらえると助かります」と連絡。その後、できる範囲で頑張っている様子です。 その後は、割り込みの指摘もなく「自分で動きを調整して、できるように努力する」ことができちょっとずつ、間違えないようになってきているそうです。 ここで、またひとつ思ったのは・・・見た目、全く障害がわからないルイですがこうして、凸凹のある部分がわかっているため先生に伝達して、本人に「過剰な」ストレスを与えることから回避できて「適切な」ストレス範囲内に調整できます。そして、一般標準よりさらに緩めのスモールステップを許されて結果的に目標達成できることも多いです。そして、疲れがたまると特性が全開になる事も知っているので帰宅後はたっぷり休養を取らせ週に1回は、ビジョントレーニングや検査など園を休むことで、神経も身体も休ませるという手法が取れます。 一方で・・・定型のお子さん達も、発達途上で発達に凸凹がある未熟な年代。「年長さんにできる前提」のお遊戯を、先生は選択しているのもあり定型の子には、ハードルは一律に置かれています。これが一般標準。一般標準だからこそ、定型の子も、やってもできない不得手な分野があり運動能力の一般標準より、やや下回る子供達は大変。頑張ればできる、という前提で、努力を、向上を求められています。できるこはニコニコ楽しくしているけど運動が苦手な子は、やはりつらい時間になっている様子。できない子はストレスで、登園渋りしたり。定型だって、精神が強いわけではない。ただの、6歳。未熟なお年頃。それでも毎日、ぎりぎりの体力で登園してます。 特別な配慮が必要という通達と診断があるため一般標準より、さらに大目に見てもらえる選択肢があるルイ。休息も、親が調整して、園にも了解してもらえる前提。ある意味、理不尽な状況でもあるなぁ、と考え込んでしまいます。 毎年、運動会の最後のトリで年長さんは演技したあと、誇らしげにクラスメート達と抱き合って喜び(演技中は先生の指導が一切なく、年長さんだけで演技完墜します)それを見て号泣する先生や保護者。ひとつの達成感、1人ではできない人生の学びのためにこうして、長い時間をかけて頑張っているんだなぁ・・・ルイは、大好きな先生達と大好きなクラスメートと一丸となって頑張るこの行事を「大変だけど、もうちょっとだしみんなで頑張るの」とみんなで頑張る、励ましあう、を支えの言葉にして、燃えてます。 傍観者の母は、どきどきはらはらしながら見守っています。にほんブログ村
2012.09.20
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9月、なんだか忙しいです 工作教室、いつもは月に2~3回だったんですがルイの熱望、切望により、週に2回行く日もあり・・・それに日本舞踊。習い事で週2日、3日は出かけてさらに、ビジョントレーニングも月に2~3回行ってるしこれがまた、幼稚園を休んで一日がかり(遠方だから)。 で、私の方も、幼稚園の行事やお手伝いに出かけ空いた時間で、心理の履修の追い上げしてるんで・・・1週間が「あっ」という間に過ぎていきます。毎日外出している気がする 家事が、むちゃくちゃ滞ってます。お風呂洗いなんて、すごい手抜きで掃除機も回数が減り洗濯も、まとめてがーっと一気にやっては干しっぱなし 朝早く出勤し、日付が変わる頃に帰宅する旦那は一言も、この荒れ放題の我が家について文句もなく・・・ありがたし さて、話がいきなりずれましたが今、勉強中の心理の科目の中には「精神医学」も含まれてます。精神に関する病や障害について治療や薬の種類も学びます。 学べば学ぶほど、精神世界の医療や治療、薬は「発展途上」にありまた、限られた診察時間で患者を診察することの難しさがあり病なのか、障害なのか、共通する症状や特性がかぶりにかぶるためこれは・・・本当に、難しい。診断材料が、なにしろ「見て明確にわかる」わけでもなく話さない、表現しない患者の場合より、診断は困難になるわけです。 内科的な症状(吐くとか、頭痛とか)があればそれについての投薬治療を行えるようですが薬の種類も、この症状にはいいけど、あの症状には・・・なんて記述もあり、ある症状に対して、ピンポイントで治療できるような抗精神薬に到達できるような診断を、いかにして下せるのか・・・数回投薬を試して、合う薬を決める、という慎重な経過が必要なのも頷けます。 旦那がきつい鬱になった時にさっぱり薬の効果が出てない気がしたのも私がうつ病になった時に投薬治療ではなく、完全休息、という方法で回復したのもある意味、異世界のような漠然とした世界観のある精神の病を相手にするなら「これという確実な治療」が行いにくい、というのもわかる気がします。しかも、当時は抗精神薬の変革期だったみたいであの頃使った薬は、今は・・・みたいな事を知ってぐは~アメリカでの投薬との違いも結構激しい。 診断についても、色々考えさせられる。旦那のことを詳しく掘り下げて、知っているはずなのに精神医学の本を見て、あてはまる所を各箇所読んでいくと安易に、障害、だけではすまされない。まだ、ルイの方が、顕著に診断できる・・・だから、旦那は長期にわたり、精神科や診療内科に通院しても「自分自身のことを話さない」タイプの患者であるし躁うつ病だの、統合失調症だの、ACだのと紆余曲折し結果、本人にプラスになるような治療ができなかったんだなぁ・・・と、奥深さを感じたのでした。 診察では、これからは今まで以上に詳細に、困っている点や気にかかる点、身体的な症状や日々の生活サイクルで気がついたこと、精神医学の本を参考にしながら診察のメリットになる情報を「家族側から」提供して適切な治療に至るように、自主努力していかないといけないな・・・と再認識しました。 正直、本人、家族側から与えられなかった情報や症状に対しては医師側は知る術がなく診察室で診る際に得られる情報が さらに少なければ少ないほど「ごくごく、万民に一般的な」診断および治療、アドバイスしかできないので症状が重くて「話せない」状態だったり(なのに、表面上は旦那のように、顔は平然としてて、血圧も普通だったり)障害特性が顕著に出て「自分自身が把握しずらい」場合は医師と患者本人の間に、どうやっても手ごたえのない結果にしかならない・・・それを避けるための、家族もしくは医師・心理士とのチームワークで総括的に当人を把握することが必要になるんだろうなぁ・・・と、再認識しました。 本当に、時間が、かかりますね。精神医療は、診てすぐどうにかなるものではない。医師の試みや、治療のために必要な患者との距離感を患者側がイライラしたり、疎外的に感じたり医師の、先を見据えた治療について「今現在の対処が不十分でもやもやする」と誤解して医療不信になるようなケースも多いようだから本当に、精神医療は課題も多い。 思うに、精神科や診療内科ではいきなり、はい診察、はい、聞いたところでは、こんな感じ。というようなすすみ具合ではどうにもならず治療の一番初めに、医師側の診断と治療に必要な時間と理解のために、診断・治療についてどういう風に取り組む予定かという事前予告と何を今、患者側から知りたいか、患者からの情報提供が今後の治療にとってどれだけ大事か今後どういう治療予定をしていて、どういう変更の可能性があるかなど、一般的でいいから、患者側に見通しができるようにインフォームしたら、こういう医療不信は少なくなるんじゃないか。と思ったり。されている所もあるんでしょうね。 診察する側の医師にとっても難しい立場。診察を受ける側の当人にとっても、難しい事情。両方が難しい状態では、何も適切な進行が望めない・・・ 私が旦那のことを相談したり、自分が行った心療内科は合計4件だけどそのうち、1件だけが、正常な状態へ誘っていただいた実感がとてもあります。あとの3件は、10分ちょろっと話を聞いたか聞かないかの状態で診断、いきなり投薬(薬盛りだくさん!)治療ね、という運びでした。妊娠希望期間や授乳期間に診察を受けたので結局、その時の薬は飲まず、投薬は最小限の医師を探しました。 旦那のアスペルガーという検査結果と産んだばかりのルイの育児と仕事とで、頭だけがついてこない状態の時に駆け込んだ診療内科(カウンセリング室併設)が、一番しっくりきました。自分が正確に治療されている、という実感があり回復がものすごく早かったですし。 そこは、初回診療の数日前にドクターから電話が来て診察で行う内容の説明書きとアンケート用紙(問診)がファックスされました。さらに診察当日は血圧や身体的診療をした後に1時間以上かけてのヒアリングがありました。その後、問診とヒアリング、内診の結果から、先生の見解についてと今とりあえず優先する治療(頓服処方)と長期にわたって診てチェックする内容など説明がありました。 今、私が平和でおちついて生活できているのはもし、自分が最悪、精神的に追い込まれてギブアップしそうになっても奥の手で、このお医者さんに相談できるから。という気持ちがどこかにあるからかもしれません。それだけ充実した医療を受けられた、という経験でもあります。 だから、医療に関しては、旦那についてもルイについても妥協せず、必ず当人達にドンピシャになるような相談先をアンテナ張り巡らして探してきました。今でも、アンテナはまだ必要です。ルイの相談先は、医療以外にも読字障害などの相談先が必要だと感じてますし・・・。特に、旦那に関しては・・・まだまだ、難しいです。 当人達の「もやもや」や「困り感」や「どんずまり」やパニックを引き起こすほどの要因を理解できて対策を一緒に考えてもらえるような相談先を得るにはやはり、第三者的な視点の情報収集もして自分もポイントを見逃さないようにして治療や対策に生かしていく必要があるんだろうなぁ・・・と思います。 知っていくと、何だか「何か」に近づいてきている。そんな気がするときもあり、学ぶことは有意義だとつくづく感じる今日この頃です。 にほんブログ村
2012.09.11
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夏休みの後、幼稚園がはじまってから絶好調のルイです。 運動会の練習が毎日入っているので組み体操や、踊り、リレーで身体を動かしているからかストレス度合いが低いです。もう運動会も、保育園時代を含めれば5度目。運動会という、わかりやすい「課題」があるとその日の予定を深く考える必要もないからか、毎朝るんるんでご出発。 年長さんの踊りは、苦手な左右対称、合図で動く複雑なダンスなので「かなり苦手~できないわ~」と言ってますがこのダンスは、年長さん全員が通過する儀礼みたいなものなので年少、年中と運動会で眺めてきたからか、自分の出来は気にせず参加。 大好きな組体操が、一番の励みになっているようです。大胆で高さや技のある動きが好きなので三角の頂点でポーズを取るのが、お気に入り。高かろうと、下が崩れて落ちようと、「怖い」意識がありません。 昨日は、友人ママがお茶作りのヘルプで幼稚園に行ってました。園の門をくぐったらちょうど運動場で、ルイが組み体操をしている時だったそうで子供達の2段お馬さん状態の3段目でポーズとってた時だというのに目があったとたん、満面の笑みで、友人ママさんに手をふったそうなぎょぎょっと「落ちるんじゃぁ」と心配をよそにぴっ!という笛の合図でいそいそと、段を降りて、次の技をやったそうです。ママさんが、その様子を知らせるメールをくれました。 「ルイちゃん、年少、年中に比べて いつも笑顔ね」と、書いてありました。 本当にそうです。年少は「能面ルイ」でした。年中は「固まった顔・困った顔ルイ」でした。年長は「笑顔炸裂ルイ」なんです。 いろんな、マイナーなこざこざはあるようですが「そんなこともある」とスルーできるようになり「にこにこしてると、いいことが沢山起こることに気がついた」が口癖になってます。 にこにこ笑顔のルイは、ものすごく可愛さ倍増雰囲気も、ほんわかして天真爛漫そのもので外出しても、ものすごくいろんな人に声をかけられるようになりました。ルイは、そんな見知らぬ他人との会話も、楽しめるようになりました。極端に他人を警戒したり、話さず固まっていたのが今では嘘のように、「他人と世間話」してます。 そして、以前は、朝起こす時に私が「ぶっちゅ~」っとほっぺやおでこにキスをしまくりここぞとばかりに抱きしめたり好き好きってすると「ぐい~っ」と、うるさそうに手で払われてた私。 それが、いつからか、ぱちっと目を開けてにっこおぉおお~と笑顔を見せてくれます。ルイから、ぎゅっとハグしてくれることも最近は、頻繁に私の頬にキスしてくれるようにもなりました 私が喜びのあまり、デレデレになってもだえていると(完全におバカママ)にこにこして、見守って(?)くれてます。 そう、なんだか、「愛にあふれた」ルイなんです。人を幸せにするオーラ、満載です。笑顔パワーがすごいです。 習い事から帰宅して、夕飯作りをあわあわとガシャンガシャン音をたてながら慌ててたら「ママ、あわてなくていいよ。ゆっくりでいいからね」って・・・ ほっ~っ・・・もう、べた惚れです。もう、可愛くてかわいくて、最近は(も、かな)しょっちゅうぎゅ~ってハグしてちゅ~ってキスしてしまいます。一日、いったい何回好き好き言ってるだろう・・・たまらん、かわいいです。 寝顔も、ぷくぷくのほっぺと 赤ちゃんの時のままの目や口に萌え萌えしてしまい起こさないように、手をわきわきとしながら触らないように、可愛さ堪能してしまう、変態ママ(?)です。 毎日、帰宅が待ち遠しい~今は何してるかなぁ・・・お弁当を、あのぷくぷくほっぺを もむもむしながら食べてるかなぁ・・・ 妄想(?)の止まらない、私でした。 にほんブログ村
2012.09.04
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今、振り返って思うこと。 2歳から心理士さんとアスペルガー疑い、ということでアドバイスを受けながら家庭で療育的なことをしてきたけど最も、いただいたアドバイスの中で、威力があったと感じたのは5歳の時の、医師の診断時の言葉でした。 色々言われたけどとにかく、明るく楽しい家庭であればいい。ちょっと変わった特性を持つけど、いい方に伸ばして。本人が「理解できる方法」が何かあるはずだから、それを注意深く見つけて。そして、「集団に放り込んで、学んで欲しいと思わないで。」 「まず、この子を良く知るお父さん、お母さんが、1対1でコミュニケーションのとり方を、ゆっくり教えてあげて」 「教えたことは、経験を重ねて身に付いていくからそれを、比較的優しくて、おおらかに受け入れてくれる子供達の中で試させて成功体験を、楽しいという体験をさせてあげて」 「成功体験が多ければ多いほど、後から強くなっていくから。自己肯定感さえ、しっかりとしていれば困難にぶつかっても、周りの人達の手助けを借りてそれなりに上手くやっていけるから」 その時、私は微妙に、この内容を受け入れてなかったです。 まず、最初は1対1で、子供にコミュニケーションのとり方を教える・・・って、マンツーマンでって・・・なんて気長な。幼稚園、小学校の頃には、お友達との遊ぶ経験値、少なすぎって状態じゃないかしら。小グループから、じょじょに大きくしていくって言っても・・・「成功体験」に「自己肯定感」とやらを育てていくように、と言われしかも、それがさも、ものすごく大事なように今後の人生を左右するかのような一大事のように言われ・・・ 正直、理解しづらくどうなんだろう、そんな、段階的に対人能力って身に付くもの「つきあう友達」を、最初だけとはいえ、ある意味選ぶようなこと・・・正しいんだろうか。色んなやんちゃな子や優しい子、クールな子達の中で生活して知っていくことの方が自然じゃないのかな 私の中には、ずっとそういうブレーキ、というかなんか、違う気がするんだけどな・・・という、もやもや、がありました。それを実行することに自信がないというか・・・ 無認可保育園ではしゃべらない固まる2歳児の時期だったしとても優しい、良い保育士さんと少人数のお子さんに恵まれ「集団に入れて成長させよう」と思っていましたね、完全に。スモールステップなら大丈夫だろう、と思っていて実際に、保育園から幼稚園のステップアップは成功でした。 幼稚園の面接はだんまり、固まるけどシャイね、ということでパスし年少は、身辺自立ができていて皆より一歩前に出ていたので無口ながら、自信を持って行動していた様子も見せてくれて。 けど、それは集団の「生活」に順応できているというだけで、別に「コミュニケーション能力が成長している」のではなかったわけです。 医師の言う事が、的を射たのが、年中の頃。皆が急成長し、言葉でのコミュニケーションや優しさ、気遣いなどが重要視されるようになる年頃。ルイは、集団の中で年少と同じ調子で言動し周囲の子より「何か、ちょっとやり取りに違和感がある」と先生方も感じていた時期。 その頃に、運よく診断がおりて医師からのアドバイスを受けたのでいまいち、ぴんとこないながらも、医師の必死な説得(?)というか、「このピンときていない親にしっかり言っておかないと」という使命感からか、上に書いたような内容をゆっくり、丁寧に解説されてたから・・・現実、ちょっと、他の子よりも あ・うん の呼吸で遊べてないしだんまりで、「ルイちゃんお返事してくれない!」と良く言われているし。 その療育の仕方を信じるしかなかったです。私としては、旦那が社会生活できているしその時、その時にサポートしたら大丈夫かな~なんて思っていたんだけど。 年中の頃のルイとは、良く話をしました。そのルイとの会話で感じたこと・・・「ああ・・・本当にこの子は、自分から自然に、見て学ぶことが難しいんだ」と実感しまくりました。先生から事細かく、お友達とのやり取りをヒアリングしてどうも、対応能力がない。と実感できたから、というのもあります。 周囲の子供は、喧嘩したり、何度か同じやり取りを経験すると上手なやりとりをするお友達のまねをして成長し先生の仲介があって、上手く乗り越えていく。 でも、ルイは、色んなことが、些細なことが理解できずコミュニケーション以前の問題でした。貸して!と言われたら「どのぐらいの量を貸したらいいのか」すら「わからない」状態で固まっているからそこでつまづいていて、先にはすすめないし皆ができることが、ルイには何日かけても、できない。 それから、対人コミュニケーションの面はこつこつと、感じたままに伝えることを意識しました。家で練習して、学んだ結果を園では頭の中の引き出しから取り出して、やってみることができるように・・・ マナーとけいご絵じてんを読んだりコミック会話を私が書いたり子供がでてくるアニメやドラマを見ているときに「なんで泣いたと思う?」「この人、すごくいい人だねぇ。こんな風に優しくしたいね」って聞いたり知らせてみたり。 そうしないと、いつまでも「お友達と自然なやり取りができないまま」なんだなぁ・・・と 障害の凹面を、はっきり自覚しました。 旦那の場合、小学校時代の対人関係は全く相手を意識せず、好きなようにふるまっていたから誰がどう思っていたかなんて全く知らないそうです。だから、中学ぐらいから友人関係が難しくなり高校以降、坂を転がるように人間関係で悩む人生を送ってきたと。 主治医の言う事も一理ある?と聞いてみたらうーん、わからない。でも、説明されたら、ああ、そうなんか、と気づくことはあるからムダではないと思う。 という意見だったのが、ちょっと気休めになりました。 1対1で、命令口調だと「偉そう」で「優しくない」と感じるよ、こうしようよ、とか、こうしない?って 聞けばなんだか、わくわくするいい感じよね?なんて会話を どんどん増やしていって・・・ 今のルイは、旦那もびっくりするぐらいの記憶力で約1年間に覚えた「ベターな会話、コミュニケーションの法則」を対人関係に応用している気がします。 いつも良く遊んでいる子のことも昨日、こんなことを言ってました。「しーちゃんは、いつも自分がやりたいことばっかり言うしわざとルイのマネして、嫌な気分になったりするんだけどルイはよく人のお聞いてないしみんな、無視した!って怒るでしょ?でもしーちゃんは、ルイが、ごめん、聞いてなかった、って言うといいよーって言ってくれるの。だから、『お互いさま』なのよ」 って・・・そんな話をしてくるとは意外で私がびっくりしちゃったんだけど 「いやなところもあるよ。でも、好きだよ。ルイも、いやなところあるらしいもん。だからお互いさまで、ちょうどいいと思う」 と、語るのです。友達との関係を、語るようになりました。 「お互い様」とか「ママにも嫌なところ、ダメな所はある」とか「ルイのこういう所は、ママは嫌。苦手」とか私や旦那が、いろんな場面で使ってきた言葉をそのまま、聞いたまんま使っているけどあきらかに応用して「自分流に」かみくだいて、使ってます。 すごく、感激した部分です。 この夏に、お友達関係や、従兄弟・従姉妹との付き合い方や祖父母宅での様子を聞いたり「成長したなぁ」と言ってくれた、両親の言葉を聞いてトータルしてみて・・・ちゃんと、ホントにお医者さんが言ったみたいに・・・段階的に、成長してる。そう感じました。 そして、心理士さんの「毎回、会うたびに、会話が高度になってきてます。人間模様がちゃんとルイちゃんの中でできていてくったくがないと感じます」 という、人との付き合いの中でも暗さを感じない、という言葉が何より嬉しかったです。 お医者さんのアドバイスを疑心暗鬼・・・のように、迷いながらも信じてやってきて、よかったなぁ・・・と、実感してます。 学力は、正直、大人になっても勉強したければいつでもできるけど人間力、対人コミュニケーション能力は「いま、この瞬間にも」必要になる技能。そして、心に、すごく堪える結果にも、活力を与える結果にもつながります。お医者さんが、力んでニブい私に釘をさした意味がようやく、実感として、じわじわとわかってきた今日この頃です。遅いですね。 笑顔、とにかく笑顔で生活できますように。 人とのつながりが、良いものでありますように。縁結びの神様にも、祈りながらルイのこれからの成長の、一助になれたらと願う母です。 にほんブログ村
2012.08.28
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夏休みも終わり、元気に幼稚園に出かけて行きました。 さて、今年の夏休みは、今までと様変わりしました。何が変わったか、というと・・・ ひっきりなしに、ルイのお友達から「遊ぼう」のお誘いの電話が来ます。夏休みは、創作工房や日本舞踊へ行く日付を増やしたし私と旦那の実家両方に、お泊りに行き小学校入学準備のための夏期講習も入れたしビジョントレーニングと対人コミュニケーション面の確認のための心理士面談予約も入れてびっちりなスケジュールの中「遊ぼう」コールは、結構、私には「ひ~」って感じでした。 年長さん同士で遊ぶので親は必ずついてないといけないのが暗黙の了解です。そりゃあ、朝から遊んで、ランチ、午後遊びと一日遊ぶことがほとんどなので代表の親だけでは見られないですしね。 ルイのお友達は、ルイに似たタイプが多いです。結構きついタイプの、リーダー格の女の子や幼稚園では全くしゃべらない、大人しいタイプだけど家では怪獣になる「隠れおてんば」タイプの子が親友。 正直言って、お行儀が良く、しっかり者のお友達にはルイは興味がなく(ごめんね~お友達)個性的なお友達と、ものすごくラブラブです。 なので、親同士、遊ばせるとなると「今日は、叱らないように目をつぶろう」という会話になることも。家で遊ぶと、あちこちにおもちゃをちらかしてお布団を入れたクローゼットまで開けて布団に乗って遊ぶこともしばしば。親は「そういうことはするな」と言い聞かせているんだけど同じタイプの子が2人、3人とそろえばテンションMaxで、聞くわけがない。 ということで、お互いの家に到着したらまず、綺麗な服にお着替えしてから「野に放つ・・・じゃなく部屋に放つ」状態です。ランチは、親も力尽きるので、ピザを頼んだりお好み焼きを持ってきてもらったりします。 でも、食事やおやつのときのマナーはみんな、幼稚園ゆずりでちゃんとしてます。ちょっと脱線しそうな時に「幼稚園ではどうしてるの?」と聞くと効果バツグン。担任の先生に言いつけられたくない私達は、年長のおりこうさんとプライドがあるようです。 遊ぶ間だけは親はおしゃべり、子はきゃはははは~と駆けずり回る状態。最後は全員でお片づけ。どのお母さんも、おおらかなのと、同じような悩みがあるので子供がのびのびと楽しく笑顔で遊んでくれるのでそれでよし、としています。 ルイの場合は、どたばたしてるけど、悪さや意地悪はしないし(能力的にできないし)私や旦那と家で学んだスキルを実践する大事な機会になってます。外でしゃべらないお友達は、家では楽しくはしゃぐので、ママは喜びリーダー格のお友達は、幼稚園では叱られることが多いけどルイやもう1人のお友達は、多少の嫌味や意地悪を全く気にしない(というか、気がつかなかったり、気ぜわしく遊んでいるので意地悪な言動に全く注視してない)ので、平和で楽しく遊べるのが奇跡だと、ほっとされてる。(いつもは、相手が言い返してヒートアップして喧嘩になるから) それぞれに、それぞれの悩みがあるので「楽しく平和に遊んでいる」状態を見るのは、親としてはこの上ない安心です。 遊び方は適当みたいだけど、年齢相応でしょう。療育の成果も出てきてます。 対人コミュニケーション面のチェックを心理士さんに時々お願いして見てもらい「家庭でこんなゲームをして、こういう心理を経験させてください」と言われたような内容を、たまにやってます。 私が負け続けたら「負けてばっかりで楽しくない!もうゲームしたくないって気持ちになる!」とわざと言葉にするとルイは、自分が勝ってばかりだと、遊び相手は嫌がるんだな、と知ってたまに、自分から勝ちをゆずるようになりました。あと、ルールを自分流に曲げて作り上げてしまうと私やパパが「ぜんぜん、ルールがわからないから、つまらない。やーめた。」と、遊びをやめてしまうので共通ルールの説明を、ちゃんと聞くようになったり。 あと、ゲームで絶対勝つ、という緊張や気負いがあるとゲームの楽しさを理解できないので「ゲームは気楽に、負けてもいいや、という気持ちでやるもの」と先に言っておいて、必死になりすぎる時はゲームじゃない、違う遊びをやろう、じゃないと、一緒に遊んでて楽しくない。と、はっきり「遊んでいる相手は、こういう理由でこんな気持ちがする」と伝えるようにしてました。 理論で何事も理解するルイなので、そうか、と理解すると次回から私やパパのやる気がなくなってくると「しまった」と気づくようになってくれました。対人コミュニケーションの心理士の先生と1時間、1対1で遊びながら、私達親と遊んだ時と全く同じ様に説明を受けてるのも効果的なんだろうな、と思います。(親の教える事を素直に受け入れにくい性質だから) お友達と遊ぶ時には親や先生と遊んだ時に聞いた、記憶の引き出しから応用できるスキルを取り出して意識して、調和を取っているのがわかるようになりました。療育と実践のたまもの・・・。まずは、大人と1対1でスキルの基礎を身に着けてから受け入れてくれやすい子供2人、3人の少人数と遊ぶといいよ、受け入れてくれない子供と遊ぶと、逆に誤学習するから気をつけてね。と初めての診断の時に主治医から言われた内容がやっと、6歳になった今、実現してきた気がします。夏休みは、少人数の気心しれたお友達との遊びの中で交流スキルをつける絶好の機会でした。 あとは、従兄弟、従姉妹から馬に乗りに行こう、釣りに行こう、川遊びしよう、遊園地や室内遊技場で遊ぼう、というお誘いを受けていそいそと、メールでやりとりし(私の携帯を借りて、従姉妹・従兄弟にメールするルイです)楽しくお出かけしました。 今年は、私の実家にはルイは1人でお泊りに行きました。お泊り前に、ルールとマナーを再度確認して必ずそれを守るように、予習しました。祖母には特に、言葉で指示したり、調子にのって叩かないように「次もお泊りしたいなら、また来てほしいと思われるようにじいじ、ばぁばに優しい話し方をすること。~して!じゃなく、~してほしい、とお願いすること。わからないことがあれば、何でも聞くこと。困ったことがあれば、ママに電話すること。」 等々、色々、毎回実家を訪問する時に言ってある内容を「こども マナーとけいご絵じてん」でいつものようにおさらい。本当に、この本は役に立ちます。親は作画したり、表つくる必要なく、見せるだけでいいし、手抜きできるお友達の家へ行く時も、毎回、くどいけどこの絵本でおさらいしてから出かけてます。忘れっぽいのがルイだから。 旦那の実家には、旦那と子供だけでお泊りに行きました。従兄弟が大勢いる大家族の大所帯なので全く心配いらないです。ルイより激しいやんちゃ小僧の男の子達を相手にしていたツワモノである義理兄姉、旦那のご両親なのでルイ程度、楽勝のようでした。 創作工房では、集中力全開で、普段できない万華鏡やイス、巨大な人形を作ったりと楽しめたようだし日本舞踊では、振り付けがどんどん増えて姫袖やら、縦袖やら、かわいい首をかしげる仕草やらをマスターして自分の可愛さを誇示できる場を得て、満足な様子でした。自己満足できる場、というのも、子供には必要なんだなぁ・・・とお師匠さんと話しました。子供の、自分に対する自信や、陶酔はとても大事だとおっしゃってました。お師匠は厳しいけど、ストレートに褒めてくださる方なのでルイは、お師匠の言う事は素直に信じます。自分に対しての、「踊りを上手く踊れている」という自信に満ち溢れてます。とても楽しそう。 この夏は、ルイにとっては充実した夏となってくれたようです。中耳炎の後遺症で、すぐこじらせる恐れがあるのでプールに入れなかったのだけが残念ですが。 私のサマースクールにもついてきてくれてホテル暮らし、外食暮らしも楽しんでくれました。機会があれば、またその話も書こうと思います。 <いつもお友達と遊ぶ前日や、お出かけ前、旅行へ行く前などに前学習として利用している本です> 【送料無料】こどもマナ-とけいご絵じてん [ 三省堂 ]価格:2,520円(税込、送料別)にほんブログ村
2012.08.27
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<つづき> さてさて、この塾付属の幼児教室では生徒さんのお母様、お父様である保護者さんはいつも通塾しているので、お茶室でおしゃべりしていたりお買い物にお出かけされてました・・・ まあ、お勉強にも慣れていてスイスイ。運動系テストも、スイスイされているお子さんばかりなので気にならないでしょうね。 しかし、我が家は違います。私はモニターにかじりつきで食い入るように、ルイの作業を見ていました。 先生から指示された問題を解いて、全くわからない時は手を上げて先生を呼べている。よしよし。 勉強は、すごい集中できている。しかも、結構楽しそう。お手本と同じ図形を、折り紙を切って張って作る作業の時は笑顔でルンルンでやってる。よかった。 解けない問題が出たときもすねず、あきらめず、色々考えている様子。最後はちゃんと、先生を呼んで、説明を聞いている。よしよし。 面接の練習では、きちんと応答できている。へえ~。完全にだんまりだった、幼稚園の面接の時からずいぶん変化したなぁ。 運動面では、すごくくやしそう。皆ができるのを、見ながら待っているの、辛いんじゃないか・・・とこのときだけは、私の方が胃腸が痛くなりました。最終日の、運動のテストが全滅で(他の日は、一つはできるものがあった)悔しさのあまり、初めて講習で泣きました部屋から出てきた第一声が「ママ、特訓して」悔しそうにむせび泣きしてました。・・・凹むだけじゃなくて、よかった。 私にとって、このルイの学習の様子を観察できた1週間で私の知らないルイを、良く知ることができました。小学校でも、こんなだろうと予測がついたし得意分野、不得意分野もはっきり理解できました。なにより、ルイの意欲が良く理解できた。人より一番劣る状況での夏期講習参加でしたが(周囲のお子さんは本当に、良く出来る子ばかりなので)気にせず、自分のペースで追いついていきました。そこが、意外でもあり、嬉しい誤算でした。 もうだめ、もう嫌、と言われた時は小規模で、繊細な子供でも優しく教えてくれる教室があるのでそこに、数ヶ月通わせてやろうかな・・・と考えてましたが今回の結果を見て、やめました。だって、もんのすごい高いんです丁寧なお教室は、費用も対価として、しっかりされています。 運動系は、「特訓して」と言ってくれたから「教えられることが嫌い」なルイが「教えて」と言うのだから、棚からぼたもちですゆっくり時間をかけて小学校1年生までに、できればマスターさせてやりたい。そのためには・・・これから半年、できるだけ、私の教え方を変えていきたい。 今回、非常に雑で、指導も気遣いなど少なく「ここ、違うよ。間違ってるよ」とつっけんどんな感じで集団を効率的に一気に教える、というスピード重視でした。ルイも、「前のお教室とぜんぜん違うわ」って言ってましたがこの塾のすごさは、「教え方にバラエティーがある」ということでした。 小学校と同じで、問題を解いている時には、先生が机を周ります。他の生徒さんへの指導の音声もモニターからは聞こえます。他の生徒さんには、概念の解説が中心でした。ルイの場合は・・・先生はやり方を明らかに変えてました。他にも数人、ルイ的な覚え方をさせた子もいましたが。 鏡絵を、180℃回転させたものを選ばせる問題がありましたがもちろん、最初の授業でルイはできませんでした。あれこれ、指でまわす仕草したり必死で考えている様子のルイ。そしたら、先生が、すっと近づいて「コツ」をただ、2つ、教えました。そしたら・・・残り4日間、全問正解。 つまり、私なら「私自身が苦手」なので教えらなかっただろう問題をおそらく、これはこうで・・・と、概念から必死で教えてただろう問題を先生は、どんな生徒にも慣れているのでルイのように、くどくど説明してもわからないだろう生徒には最初から「回答のコツ」を、最短距離を教えることであっという間に、手品師のようにルイを笑顔にすることができました。 塾のテクニックとは、こういうことか、と。納得。私と旦那は、塾へ行ったことがないのです。私は兄弟のお下がりの通信教育と参考書で対応。旦那は授業を聞いたら覚える人なので学習努力がいらない人だったから、塾は当然不要 勉強にテクニック・・・「学習することの意味はあるの?」「考える力は育つの?」という疑問もあるかもしれないけれどルイのように、考えて理解できない分野(ルイは図形系)では質問と回答パターンを「方程式」のように教えることで考える必要もなく、正解することができます。これも、発達凹のある子には、サバイバルのひとつなんじゃないかなぁ・・・と納得することにしました。 そう言う意味では、「教える側の私の意識改革」がかなり必要なのでは、と今回、ルイよりも私にどっかりと課題が生まれました。正直、気分はブルーです。 ボールつきも、今まで、手の使い方、姿勢、力の入れ方あとは練習回数を増やすなどして、あれこれ教えてみましたがなかなかできませんでした。今回の夏期講習の経験で、私も考え方を改めてみてネットで調べてみました。違うやり方を試しました。まず、親と子で、1回ずつ、ついてみてゆるいラリーのようなやり方をする。それができるようになれば、ボールをコントロールできるようになってくる・・・と書いてあり・・・ その練習を先日やりましたがラリーの練習の後では上手く、3回、4回、自分でつけるようになりました。たまに、7、8回連続といういい結果が出るように10秒間の連続てんてんてん・・・はまだまだ無理ですがルイが、4回連続できて嬉しそうなので前進できてれば、いいんだ、と思いました。 そして、つまり、やっぱり、私の教え方に問題が・・・ルイには効果的な教え方がある・・・と、再確認したようなものでさらに、どーんと課題というプレッシャーが ちなみに、数学的な概念がある、というのは嬉しかったです。旦那が数学的には飛びぬけているのでルイが、遺伝したかな~とちょっとルンルンです私は完全に文系人間なので・・・数学は、どんなに努力しても教えられそうにない 小学校の入学前準備はとしても遊び中心、行事中心だった幼稚園という場所から脱皮して座って、学習し、知識を増やす場へ行くのだという理解もできたようだし収穫でした。 さて、次は、習い事やお友達関係のことなど書こうかと思います。にほんブログ村
2012.08.24
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この夏休み、ルイは小学校入学の準備として幼児教室の夏期講習を1週間受けました。年長さんが対象のコースで、小学校受験対策もされています。ルイを受講させた目的は 1. 幼稚園と小学校の違いを肌で感じてもらうため(事前予告)2. 小学校と同じ条件で勉強できそうか、観察するため3. 勉強に対しての興味や姿勢、アレルギーを知るため4. 苦手分野、得意分野を知るため5. 先生との関係の築き方、会話の様子を知るため という、正直、私のために行ってもらったといっても過言ではなくルイは、前回、違う幼児教室で小学校受験の模擬試験を受けたらかなり楽しんでいたので、今回はもう少し安価で、公立小学校に近い雰囲気の、塾付属幼児教室を選びました。 この塾付属の幼児教室では、モニターが完備されていて授業の様子を保護者が見ることができます。ここが重要 全く知らない同年代のお友達と初めて出会った先生の指導の下で勉強はプリントを中心に、どんどんすすんでいきます。 前回の模擬試験を受けた幼児教室はとても、1人1人の子供を大事にしていて入室してから先生との対話もあり気遣いもあり、言葉遣いも丁寧でしたが今回の教室は、ごく普通の、15名の生徒を淡々と、「勉強させる」塾です。一斉指示、一斉に同じことをします。入室してから、自分で名前の書いてある座席を探しカバンから「出してください」と言われたのり、はさみ、クレヨン、えんぴつ、けしごむを出し指示があるまで、イスに座って、プリントにはさわらない。 そういう、ベルトコンベヤー式の授業をやります。他の生徒さんは、年少からずっと通塾されているので慣れたものです。ルイは、ぽいっと入れられたので周囲をきょろきょろと観察し皆が取っている姿勢を、まねして、手はお膝、で動かず。家にいる時では考えられない、姿勢のよさです。緊張してました。 授業は普通に、指示に従ってプリントをめくり書いたり、切ったりしてました。「ひらがなは習っていない」前提なので、数字の概念や、お話の理解、グループ化、パターンの理解など一般的な概念が身に付いているか が試されます。 ルイは、犬、毛糸、トンボの絵を見て「最初の文字を、さかさまから読んで同じ音になる絵」を探すのは得意。とけい、に丸をつけました。単語を知っているか「最初の文字」という指示がわかるか「逆さまからつなげて言葉にする」という ひねりが理解できるか。 おたまじゃくしは かえるにさなぎは ちょうちょに、という絵を見て答えるのも、OK。 お決まりの、季節の問題。春夏秋冬の絵に、○をつけなさい、は、半分ぐらい。秋のさつまいも、こすもす、十五夜が良くわからず冬の、クリスマスはわかっても、門松や鏡餅の絵は冬とわからない。 あと、細長いビーカーに2メモリ水が入っています。それを、ぶっといビーカーにうつすと、水は1メモリになります。ほそ長いビーカー6メモリとすると、ぶっといビーカーは何メモリ?というのも、絵を見て丸するのは、全問正解。栗が4つと、3つあるお皿の絵があり数の多い皿から、2つ、隣の皿に移動させたら、どっちが多くなった?多くなった方には、栗はいくつありますか?も、正解。 シーソーにかめが一匹のっていて 反対側には、みかんが2つ。じゃあ、かめさんが3匹のったら、反対側はみかんいくつ?も、正解。数字の概念は得意な様子。 物語を聞いて、質問に答えて絵に○をする問題も得意。 さらに、1週間全問正解をとり続けた問題は・・・「悪い子はどれですか」の問題です。滑り台を逆に昇る子や花壇を踏んでいる子泣く子に砂をかける子が、公園の絵の中にちょこちょこ、書かれていていい子がたくさんいる中で、その3人を見つけるのですが・・・毎回、ストーリーや状況が変わっても「悪い子探し」は正解してました。 折り紙がたたんである絵を、開くとどの絵になりますか。(折り目に点線がついている)は毎日工作しているので、簡単にわかったようです。 「重ね絵」という、複雑な絵柄2つを重ねると4つのうち、どの絵になるか、の選択はかなりスイスイやってました。 そして・・・完全に、ダメなのは積み木の絵をみて、「上から見たら、どの絵になりますか」とか記号の規則性を読み取る問題。記号は○、△、□、◎と20個ぐらい同じパターンで書いてありところどころ、空欄にしてあって「その空欄に入る記号を書き込む」のですが・・・どんなに単純な記号パターンでもずら~っと連続して書いてあると、たぶん視覚的に把握できずほぼ、ぐちゃぐちゃな回答になります。 さらに、升目(縦横5つ)に、○が書いてあり15秒で場所を覚えて白紙の升目に、覚えた場所を○するという「位置の記憶」、つまり短期記憶も1週間の講習の間、全滅です。 ○や△の形を分割して、パーツを3つ選んで○や△にするという問題もさっぱりわかりません。パズルはできるのですが、紙面で、「想像して分割されたパーツをくっつける」は、どんなに頑張ってもできないようです。 それなのに、鏡図形・水に映った絵は理解できます。要するに、ある絵が「鏡に映ったときの絵」を選ぶことができます。右手で籠を持っているこの絵があれば左手で籠を持つ子を選ばないといけないのですがなぜだか、できます。上下逆さまの絵も理解できます。鏡図形を、さらに180℃回転させたら混乱するのではと思うのですがなぜかできる。私はこういうの苦手です 運動系のテストもありました。ボールを10秒間、連続してつく。縄跳びを10回。平均台でポーズを取って、手を5回叩いて降りる。けんけんぱ、を、手を叩いてけんけん、ぱ、で3秒とまる。 これは全滅です。家でも、ボールつきは、まだ練習中。縄跳びは、2回しか飛べません。が、年長さんの参加者、全員、すべてできるんですよね。モニターは3つあって3クラスありますが50人近くの年長さん、ほぼルイ以外全員できてました。しかも、かるーく、らくらくとやってます。うーん、ルイ、今後大変だなぁ。 つづく
2012.08.24
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前回記事にした、海外の友人達が自閉症の療育と両立して治療をしている内容についてです。友人達から聞けば聞くほど、不思議に思う。 友人の子供のショートムービーを、見せてもらった。治療前、治療後。 わずか、数ヶ月の間に言葉が・・・目の視線の持っていきかた、雰囲気、(閉じこもる雰囲気→にこやかにふりかえる!)手のばばばばばーの動きの癖が、パタリと止む。パパとママが、もう、嬉しそうだ。嬉しそうに、かけよる子をハグしている。 これは検査の結果をもとにして(髪の毛と、血液、尿、便の検査と言っていた)通常の数値よりかなり高い数値が出た部分をターゲットにして(詳細すぎて英語訳考えるのが面倒で省略。メタルとかアレルゲンとか色々)食事の改善(主に乳製品や小麦製品の除去)とアメリカではポピュラーな、サプリ(ビタミンとかの不足を補う)を飲むという単純な方法で出た結果。 うーん・・・まあ、アメリカの食生活がどれだけすごいかを知っているので食事に気をつけたら、落ち着いた。みたいなもの??とも思うのだけど・・・(イギリスとかの家庭料理を食べ続けたら、貧血になるほどすごいよ)日本の親は、ものすごく手間隙かけたご飯を用意しますから。お弁当なんて、芸術ですよね。 海外の場合、ベジタリアンが結構大勢いたり食事に制限のあるアレルギーの人用の食品店があったり特定の食品に変わるもので代用したり(セブンスデーの中学高校なんかだと、お肉が出ないのにお肉そっくりの、豆腐でできたものが出てきますよ!)食の種類にバラエティーがあるので除去食に切り替えやすいのもあるのかなぁと思います。 でも、日本は基本的に完全除去は難しいけど(調味料なんかに少量の小麦が入ってたり、といちいち確認が難しい)100%でなくても、60%ぐらいの意識で自己流で、できるんじゃないでしょうか。もちろん、栄養素の摂取には気をつけて栄養士の友人なんかに聞いて、ちゃんとサプリなんかも取ればいいかと。健康は肌色、唇や目の色、つめの質なども良く観察しながら、です。このいずれかが良くないという状態は不健康な状態ということで、そこからの改善が必要という考え方だそうです。「痛い」「不調だ」をいえない自閉の子だからこそ見た目の健康チェックから、体調管理することが大事というコンセプト。 ちなみに、偏食大王の友人の子はラビオリ?とパスタ、麺、が80%~90%近い食事だったそうで。これを全部除去となると・・・食べる物がない!でも、座っていられないほどの、手や足の回転やばばばばばーがひどく前後にゆれる、言葉がでない、コミュニケーションが全くとれない、で4歳前まできたので治療は早期であればあるほど、効果が出るということで最後の勇気をふりしぼりナイアガラからバンジーの気分でやったら(1週間食べてくれず、飲むだけだったそうだ。医者の健康管理の下で。)落ち着いたそうですよ。気が抜けるほど、あっさりと、だそうです。(ただし、彼らがしたのは100%の完全除去です。検査結果のデータを基にした、子供独自の除去メニューで微量な小麦すら摂取しないというような徹底した除去法。) 元気がなくなった、というのではなく目に光がブライト、つまり、きらきらしてきたそう。 で、親のカンで、目力が出たのだから身体に悪影響であるはずがない(この時点で、目の下にいつもあったクマが取れたそうだ)と、続行し2週間目ぐらいで、突然食べなくても毎回、テーブルに載せていた食事を(除去食ではあるけれど、今まで一度も食べなかった食品を)食べ初めて今では、除去食のほとんどを、おいしい(ちゃんと話せました)と言って、にこにこしながら食べるそうです。視線はまだ合わないそうですが揺れ動く動作が減り手足の運動がなくなり会話ができるようになった(やっと単語からセンテンスへ)ので、療育のプログラムレベルも一気にアップしたそうです。 親がここで、一番冷静にならないといけない点として彼らが指摘するのは・・・「自閉症」が治るのではなく「自閉症の三つ組み」が、ライトになる、目立たなくなるということ。特に、会話や笑顔が出る、表情に気持ちを出す、他人とやりとりをはじめる、積極的に関わろうとするという一切見られなかったような自閉にまつわる特性が人対人のコミュニケーション力が、格段に上がるというのがほぼ全員のパパ、ママさん達の意見でした。 表に出すぎていた常同がなくなり聞く、話すができるようになったそこの土台がやっと整った、ということです。なので、今現在の課題は、学習、対人スキル、運動能力などこつこつと、身に着けている最中、ということ。 一番年上のお子さんの例では(同じ除去プラス腸治療の投薬)生まれてからのスタートがと同じ言葉なし、コミュニケーション取れず、とにかく動く状態から今がミドル、中学生になる子ですがほぼ、お友達関係も問題なく学習が好きで成績も良いので二次障害もなく、ノープロブレムな状態にまで行った子です。興味の隔たりや(原色が好き、キルトに熱中して寝るのを忘れるなど)得意学科の隔たりがあるのは変わらず、ということでした。 ということで、ルイは今のところ対人コミュニケーションは2歳の無言・固まる状態から3歳、4歳、5歳、6歳と成長して特定の人(パパ、ばぁば)以外との関係では問題が少ないのであまり適用できる例ではない感じです。が、こうした取り組みがアメリカではすでに何年もされていてコミュニケーションに凹みのあるお子さんがコミュニケーションが取れるようになることで療育の意義が際立っているのに親が、一番苦しむのは「わが子とコミュニケーションが取りづらいこと」なのに、その手がかりが、すぐそこにあるのにどうして、今現在の私達は、その治療がここで受けられないんだろう・・・。「自閉症は脳機能の障害です。直りません。」で、療育にまわされる。(我が家は療育すら満員で参加できなかったよ~。)それで納得できてたのが不思議なくらい、今は納得できません。直らない、それはわかるけどコミュニケーションが取れて、会話ができて会話ができるから、パニックも少なくて親子で楽しくごせる。幼少期って、どれだけ、自閉の親にとっては貴重であることか。切望することであることか。そこの、苦しみを解消するために死に物狂いの努力で向こうのドクターと保護者が可能にした道があるのに・・・。 話をもどして、我が家のケースでは前回の記事に書いたように中耳炎と抗生物質の関係上で、ルイが2歳児まで後退したような自閉症状の極端で急激な強まり(?)を「予防する」意味では避けた方が良い薬、食品がある、ということでしょう。 ルイが後退したのは「コミュニケーション」の部分であり友人の子供達に共通して見られた、手や足、回転、横目などの身体の不自然な使い方・動きの発生なのでここはヒントとして捉える必要がありそうです。 旦那に応用はできない感じですが・・・。 腸環境と治療の方の話は、ちょっと難しい(特に治療関係がわかりにくい)のと、あれこれ投薬も関係してきてそれを旦那に実行する自信は私にはまだないのでとりあえず、知識として、ぼつぼつ、把握していきます。しかし、こちらの方が、旦那の不具合には関係してそうです。 にほんブログ村
2012.08.20
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先日、久しぶりに漫画を買いました。旦那は飲み会。ルイは祖父母宅にお泊りなので私は1人でフリーな夜。 昔は結構、休日にごろごろしながら漫画を読んでたものだ。 で、何を買おうかな~と思っても今の私は、なぜか育児関係の本に目が行く。 そういえば、昔、たまごくらぶか ひよこくらぶに「育児なし日記」って面白い漫画を連載してた逢坂みえこ先生の本があったな~逢坂先生は、女性誌の漫画の中でも結構好きだった。なかなか話にもバリエーションがあってハズレがなかったし、よし!続きを読もう!と探してたらば・・・その逢坂先生の漫画で「プロチチ」という漫画を見つけた。おや~イクメンパパの本じゃないの!面白そう、とお買い上げ。 この「プロチチ」、私には衝撃的な出会いだった。強烈なデジャヴと心臓をえぐられるようなシーンと沸き上がる共感とほっこりする、子供の優しさや愛らしさ。 ・・・イクメンパパは、なんと。アスペルガー症候群だった。なんたる偶然・・・<以下、ネタばれしていくので、漫画を読みたい方でネタばれ嫌な方はご注意!> 話のしょっぱなから、衝撃だった。専業主夫のアスペルガーの旦那さんなのだが(話の最初では、アスペルガーとは全くしらない設定)泣く赤ちゃんに途方にくれている。静かなる、頭の中での怒涛のパニックで過去の苦しい記憶がフラッシュバック。仕事中のあれこれを、再現して止まらない。 <さらに、この漫画を読む上でのご注意> このフラッシュバックのページ、私が読んでても我が旦那と重ねてしまって、かなり心臓にきた。正直、衝撃がすごいのでアスペルガーのご本人は、自分と重ねて同じくフラッシュバックする恐れがあると思います。必ず、隣に伴侶か家族にいてもらい先に読み進めてもらって「この次のページは、こんなことが書いてあるけど、読める?」と確認してもらいながら、読んだ方がいいです。私は、最初旦那にも読んでもらおう!と思ってたけど(我が旦那はイクメンだから)今は、かなり心身が絶好調の時なら読んでもいいけど仕事で疲れていたり、ちょっと悩んでそうな時は不調の後押しをしそうなので、絶好調な時で、休暇が続くスケジュールまで封印しておくつもりです。 話をもどして・・・そのアスペルガーの旦那さんに惚れているワーキングマザーの奥さんの感情が私には、とても共感できて嬉しかった。「私は旦那のこういう所に惚れてる!」という所がこの奥さんも同じで、しかも絵になって表現されてて「そうそう、そうなんだよ!」と、涙が出た。 苦しいフラッシュバックの後誰かが「それ発達障害じゃない」って言ってたことを思い出しネットサーフィンして、本人が確信する。僕はアスペルガーだったんだ!と。病気じゃなかった。怠けてたわけでも、性格が悪いわけでもなかった。発見だ!と、このイクメンパパは、ほっとするのだ。 そして、奥さんはその後、過去を回想してそうか~あれはこういうことだったのか~と夫婦で話をする。そして、彼を愛したきっかけも話す。 それからが、我が家とのデジャヴのしどおし。そうそう!と奥さんのセリフに共感したり。 彼が、奥さんと話をしたその日の夜のフラッシュバックは・・・結婚後の、楽しい、あの場面、この場面が次々と浮かぶ。今日の記憶の再生は「楽しいもの 美しいものばかりだった」と感じて寝入る。 旦那が、昔、言ってくれたセリフだ。このブログにも書いたことのある、私が願っている旦那の記憶をすべて「楽しい記憶で塗りつぶす作戦」がこの漫画の彼には、実現されている。 涙が出た。嬉しかったり、感動したり、旦那とこのパパを重ねたりもう、感情が、ぐちゃぐちゃ。 細かいエピソードも、旦那とかぶるところがありうんうん、と うなづきながら超高速で読んでしまう。 そしてまた、号泣。親子3人で出かけた公園。公園デビューやママ友づきあいをしないと、と頑張るパパ。ぎこちない「間」や、失敗が重なり挙動不審になるのだけど雨が降りそうになり、その場はそこそこで、ひきあげることができた。が、カバンを忘れた奥さんが公園に引き返したところ・・・ママさん方が、パパの事を色々陰口たたいている。 ここで、奥さんが啖呵をきる!「あの人はね、あんたらと違って裏も表もない人だからね!あの人が口に出すのはホントの事だけお世辞もなければ 陰口もないのヘンどころじゃない 特別まともな人なのよ そんな人が必死で話そうとするのは本気で仲良くなりたい相手だけよ それを陰で笑うあんたたち将来どんな 母親になるつもり子供の顔見て 考えるがいいわ!」 って・・・ あ~ぜんぶ、セリフかいちゃった・・・でも、ここ、私がぜーんぶ ぜーんぶ 何回か思ったことのある内容。同じことを、何度、心の中で言っただろう。 他にも、このパパの友人のセリフで新郎である友人が、新婦の奥さんに 世界中の奴が嘘をついてもこいつだけは絶対信用していい、ということを言う。 私が、旦那を綺羅星のように感じ得がたい、世界でたった一人の人のように感じたそのエピソードが・・・そのまま、この漫画のこのシーンに凝縮されていた。 もうね、他にも、自分の気持ちがかぶるところ旦那がかぶるところ満載のエピソード。 まだこの本の赤ちゃんは生まれて4ヶ月ぐらい。でも、いまだにルイと旦那がやっているトイレにパパが安息を求めて逃げ込みルイが追いすがって号泣しパパがキレる、というエピソードがそのまま載ってたり。しかも、私と奥さんが同じでどんなに赤ちゃんと一緒に遊ぼうとしても、赤ちゃんはパパを追いすがりママを無視状態っていう所まで・・・奥さんの「なんで母ちゃんじゃだめなの~」がまた・・・かぶります。 アスペルガーとわかる前に旦那にキレて、彼を誤解して傷つけた思い出したくもない苦しい記憶も漫画に出てきて、涙した。本当に、ひどいことを・・・ 子供のことを思って言ったことだけど彼には、通じてなくて衝撃を与えただけだったなぁ・・・とか。 本当に、良く書き込まれた本だ。私と旦那の記録みたいに。 ルイが動きが激しくて机の角で頭を打ったりこけて頭をうつからとダンボールで衝撃を吸収するカバーを作ろうとしたり角という角をなくそうと細工したり今だに、スライド式の戸を閉めた時に ルイが指をつめないようにばーん!としめても1cmは開くように、ドア上にクッションがはりつけてある(ティッシュを丸めて、ガムテープでとめてるよ) そんな、究極な工夫まで、このイクメンパパと一緒。愛がわからなくても世話を一生懸命する。 イクメンパパと旦那の思考が、重なる。 久々のヒットです。しばらく、忘れられそうにない存在の漫画です。これ、我が家の記録として、残しておける漫画だなぁ特に、結婚-アスペルガーと判明 という流れも 私が、彼に強く思う気持ちも子供とパパの関係もパパの混乱と、努力と成長も全部、そのまま、そっくり、そのまま。 逢坂みえこ先生の本、やっぱりすごい。そして、本との出会いって、やっぱりすごい。本好きでよかった~。この本と出会えて、よかった。 【送料無料】プロチチ(1) [ 逢坂みえこ ]価格:590円(税込、送料別) にほんブログ村
2012.08.18
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