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モスクワ空港の乗り継ぎ場。ふと見れば見覚えのある顔があった。ネパール人のS-ro Ajit JoshiとS-rino Apsana Giriだった。初めてAjitにお会いしたのはダンス会場。私の前で楽しそうに踊っていた。ザコパネの街を散歩した時には一緒に話をしながら歩いた。Apsanaさん踊りが印象的。小柄な体格だが、気品ある踊りはとても優雅だった。Ajitさんのダンスは素敵だったということを伝え、また会う約束をし、さよならした。帰国し、空港の外へ出ると日本の夏らしいいジメジメ感があった。なんだかとても懐かしく感じた。家に帰り、時差ボケも気にせずに早速写真を現像しに行った。そこには、さっきまで見ていたの光景があった。とても楽しい一時、幸せな一時だった。帰国後、Aleksej からメールが届いた。ヴィエリチカで撮った写真が真っ暗でほとんど写っていないとのこと。かわいそうなので私の写真を送ってあげたいが、私のも暗くて写っていない。だが、思い出はとても明るく写っている。私は今回のUK・IJK参加を通じて多くのことを体験をした。もっとエスペラントが話せるようになりたい。そう思うのは参加したら当たり前に考えること。塩好きのAleksej Korjxenkov 、気持ちよさそうに寝ていたLajos Zahonyi をはじめ、出会えた全てのエスぺランチストに心から感謝したい。ありがとう。
2005年10月19日
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大会5日目のEkskursoは、岩塩採掘場のヴィエリチカとクラクフの街を選んだ。遠足の日の朝、掲示板に書いてあった通りの集合場所へ行ったのだが、バスがどうしても見あたらない。どこにあるのかと探してみると、少し離れた道ばたに停車していた。ちょっとしたことでも、ハラハラさせられる。自分でも小さな人間だなと思ったが、せっかく苦労して申し込んだEkskursoへ行けなかったでは話にならない。現地ではちょっとしたことでもどうしても敏感になってしまう。無事バスに乗って出発を待っていると、Aleksejが隣に座ってきた。ヴィエリチカは1250年頃から1950年代まで稼動してた世界で有数の岩塩採掘場である。1978年にユネスコの世界遺産に指定されている。グループになって採掘場の中へ入ると、本当に長い長い木製の階段を降りていく。下まで降りるとひんやりとした空間に出た。話には聞いていたが、本当に床も壁も、周り全てが塩で出来ている。エスペラントの解説を聞きながら見学をしていると、途中で、一緒にいたAleksejがお腹が空いたとポケットからトマトを取り出し、囓り始めた。「周りは塩だらけなのだから、塩付けて食べてみな」と言うと、何やら壁に指をすりつけて塩を採掘し始めた。心の中で「本当にやるのか」とつぶやいたが、トマトに取りたての塩を振りかけて食べてみた感想は「Tre bongsta!!」とのこと。彼の満面の笑みを見て、私も少し真似してみたかった。気に入ったのか、途中でアレクセイは暇を見つけては壁に指を付けて塩をなめていた。そういえば、彼は長時間どのように潰さずにトマトをポケットに入れていたのか。現地では当たり前のように見ていたのだが、日本に帰ってからとても気になった。ヴィエリチカ岩塩採掘所内には何故か日本のコーナーがあり、刀が飾ってあった。Aleksejに刀を振る真似をして遊んでいたら、参加者の女性のに、一緒に刀の前で写真を撮ってほしいと頼まれた。とにかくそんなことがあった。楽しかったヴィエリチカを後にバスはクラクフの街へ向けて走り出した。バスに乗り今度はクラクフの街へ移動。ヴァベル城の大聖堂や、ヴァベル城旧王宮、龍の像、旧市庁舎、聖マリア教会を訪れた。教会に入り頭上を見上げると、美しいステンドグラスが輝いていた。慣れない環境で、色々と歩き回りちょっと疲れていた心が、ふと安らいだ。街の広場にはたくさん鳩。たまに群れて飛び立つ光景はクラクフの街に似合っていた。美しい広場から鳩がザッと飛んでいく光景は、どこかの絵本の中に出てきそうだった。美しかったクラクフの街を後にバスはKongresejo へ向けて走り出した。帰りのバスは、乗ってみるなり、車内がものすごく暑かった。冷房がまったくついてなく、窓も開かない。あるのは天井の小さなサンルーフだけだった。もしかしたらエアコンの冷風が出るのではないかと皆して風口をくるくると回していた。その光景を後ろから見ていてほほえましかったのだが、本当に暑く、しばらくして私も風口へと手を伸ばしたのは言うまでも無い。引き続き帰りの大半の時間を蒸し暑い車内で過ごした。来ていたTシャツはビッショビショになっていたが、とにかくここは耐えているしかなかった。しばらくすると、運転手と何やら話すひとりの人がいる。で、その後にエアコンがついた。車内には歓喜の声。今まで本当に何だったのだろうか。とにかくそんなことがバス内で起きた。暑い車内で汗をかいたので、Amasiogxejoに戻るなりすぐにシャワーを浴びた。ふと気づくとシャンプーの後にコンディショナーを使う自分がいた。というのも、あまりにシャワー室が汚いので、シャンプーで頭を洗い、身体をサッと洗ったらシャワー室から逃げるように脱出していた。ついに環境へ適応してきたようだった。別に髪は短いからコンディショナーは使わなくても良いのだが。IJKでははじめての体験が多かった。寝袋生活もはじめて。意外と快適でグッスリと眠れる。ある日、暑いと感じたらしく寝袋から半分はみ出し、朝起きたら隣のマットレスまで移動していたこともあった。だが、朝晩が涼しいザコパネでは寝袋は暖かかった。また、はじめてのことはこれだけではない。朝食にお米にイチゴジャムみたいのが掛かっている食べ物が出てきた時もある。何かの間違えだと思っていたが、お皿によそるおばちゃんの表情は本気のようだった。出された食事は残さないで食べるというのが小さな頃からの私のポリシーなのだが、ザコパネでは負けた。このような料理を食べたこともはじめてだった。ちなみに食事には何度か丸ごとのリンゴがお皿に載って良く出てきた。Kongresejoでなんだか見覚えのあるTシャツを着た人がいた。良く見ると、3月に韓国を訪れた際にお世話になったS-ro Lim sung wooだった。見覚えのあるTシャツはその時に彼からお土産としてもらったTシャツだった。sung wooは自慢げに「辛ラーメン」を持っていたので、少し分けてもららうことになり、別室の部屋へ行った。沸ききっていないお湯をラーメンに注いだsung wooは一緒に参加していた少年に文句を言われていた。そんな彼、今回はお父さんになっていた。半年前は奥さんのお腹の中にお子さんがいたが、既に子供が生まれたとのこと。月日は早いものである。皆でラーメンを食べていると、自然とエスペラントの歌を歌い始めた。歌声が聞こえたのか、ラーメンの匂いを書いたのか。次から次へと人が集まってくる。で、集まったみんなで歌を歌った。それにしても、IJKではスポーツでも、歌でも、とにかく何かしていると、人が集まってくる。みんな楽しい事には興味があり、近くに人がいれば一緒になって遊ぶ事が多かった。途中参加も当たり前で、すぐに仲良しになる。夜にはダンスがあり、ふと周りを見れば、手を繋いだり、肩を組んだりしながら踊っている。私はダンスというものをかつて踊ったことが無かったが、遠い海外に来てしまえば別に恥じらいも無いので、経験だと思い踊っておいた。その他、IJKではインターネットを用いた無料電話の「Skype」で知り合った韓国人のS-ro LEE jung kee氏ともお会いすることが出来た。彼は韓国の大学で働いており、韓国で多くの人にエスペラントを教えている。Jung keeとは「Skype」で会話をしたり、チャットをしたり。時には会話中の写真をメールで送ってもらったりした。「会場で会いましょう」と前々から約束してたが、本当にお会いする事ができて嬉しかった。彼とは会場では会うたびにお互い手を振り合っていた。Kongresejoの端には体育館があり、何気なく入ってみると近くでバレーボールをしていた女の子2人と男の子1人に一緒に遊ぼうと誘われた。バレーボールは得意なので、一緒にすることとなった。少し太った女の子は下手で、ボールを渡してもなかなか返ってこないし、来てもすごい方向へボールが飛んでいった。あっちこっち走り回った。おかげでお腹が空き、はじめて一人でザコパネの街を歩いて食事をすることにした。多くの観光客がいるのだがアジア系の人はまったくいない。ケバブを歩きながら食べている人を見かけたので、美味しそうに見え、私も食べることに。一番安いのがあったので、注文したら何やら店員が早口なポーランド語で色々と言ってくる。分からないので、とにかくこれだという感じで言うと、お皿に野菜とお肉が乗っただけのものが出てきた。私がテイクアウトしたいというジェスチャーをしていたので、「この値段のではパンが無いよ」とでも言っていたに違いない。確かに安いはずだった。なんだか中途半端な食事になってしまった。すこしお腹を満たし、Amasiogxejoへ帰った。走り回ったバレーボールで汗をかいたのでシャワー室に行くと、クラクフの街を案内してくれたAdam Wilkus氏が先に並んでいた。彼にはクラクフの街を案内して頂いたり、町のパンフレットを頂いたりした。紙袋に沢山のパンフレットを持っていたのを覚えている。ポーランド語の他に、英語版など、何種類かに翻訳されたパンフレットを。自分の住む街を少しでも多くの人に知ってもらいたかったのだろう。彼はSkypeを知っていたので、お互いのSkype名を教え合ったりしながらシャワーの待ち時間を過ごした。そんなAdamがシャワーを浴びに入っていったらすぐに出てきた。最初の一言が「水だった」と言っていた。頭まで濡れていたのでよく水なのに我慢してシャワーを浴びたと思う。サッパリしてから寝たかったので、私も入ったが、やはり水。しかし、幸運にも途中からお湯になった。本当に色々なことがある。8月7日が最終日なのだが、Aleksejが6日の夜9時に帰るという。駅までの距離は2キロちょっと。大きな荷物を持っていたので、一緒に駅まで行くことにした。荷物が重そうなので手伝うと言ったら頑なに自分で持つという。自分のことは自分でしたいようだった。けれども、途中で重くなったのか、一緒に持って欲しいと言い出した。小さな体には大きすぎる荷物だった。 駅に着くなり、「ちょっと待ってて」と言い残し、電車の時刻表を見に行った。一度戻って来たが、まだどの電車か分からないようだった。また見に行き、今度はちゃんとどの電車に乗るか分かったようだ。強く握手をして、抱き合った。一緒に最後の写真も撮った。再開を約束して送り出した。帰っていく後ろ姿は、とても小さくもあり、強くもあった。帰り道、一緒に車のメーカーの名前を言ったり、道のポールを避けながら歩いた道。今までのことを考えながら一人歩いてた。駅へ向かう途中、Aleksejが川の橋で立ち止まり、財布からコインを取り出すと川へと投げた。その橋の上で立ち止まってみると、コインの音がまだ聞こえるようだった。Aleksejは弟みたいな感じだった・・楽しいIJKもあっという間に最終日。出発の朝、いつものように寝袋から這い出た。部屋の入り口にはLajosが気持ちよさそうに寝ていた。起こしても悪いので、置き手紙を置いて帰ることにした。裏紙にサッと書いたメモを、枕元に置いて、部屋を出た。またいつか会いたい。朝5時半には起きて出発の準備をし、6時半にはタクシーに乗った。7時発クラクフ行きのバスに乗り、9時半前にはクラクフに着いた。エスペランチストに助けられながらも、ワルシャワ行きのチケットを買った。ワルシャワ行きの電車に乗り込んだが、スーツケースが大きすぎて座席に入らない。仕方なく通路に置いた。車内販売が来ると、私の荷物が邪魔になる。近くにいた人達がみな手伝ってくれた。私も人の荷物を上から降ろしてあげたりした。12時半頃には到着し、途中まで一緒だった3人のエスペランチスト(皆年上だと思い一人に歳を聞いたら20歳だった)に別れをつげ、一人、ホテルに向け歩いた。ワルシャワ中央駅から私の泊まるホテルは影になっていて見えなかったが、近くに居た人に聞き、早いが無事ホテルに着いた。大体13時頃だったと思う。ワルシャワのホテルでは、フワフワのベッド。しかし、かなかなか寝付けなかった。今までの寝袋生活に慣れてしまったのだろうか。あまりに遅くまで寝付けないので、持ってきていたエスペラントのテキストを音読するなりして過ごした。本一冊音読したら疲れたのか朝になっていた。翌朝、目が覚めるともう今日は日本へ向かう日。「よしっ」、と朝食会場へ向かったらまだ開いていなかった。同じく早く来ていたスペイン人のおじさんと片言の英語でフラメンコの話をしながら過ごした。同じく一人でホテルに泊まっていたので一緒に食事をすることにした。食事が済んだら、タクシーでオケンチェ空港まで向かった。無事にチェックをすませ、モスクワへ。あとは成田行きの飛行機に乗ればもうこの旅も終わり。
2005年10月19日
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エスペラントを知ってからちょうど一年。はじめてUKとIJKに参加した。一年でUKとIJKに参加できる機会を得たことは本当に恵まれている。私は普段、日記を書いた事がなかったが、IJK滞在中に初めて日記を書いてみた。今になって目を通すと、本当に貴重な体験をしていたのだと改めて実感する。どのような環境でどのような生活を送ったのか、日記をもとに書いてみたい。実際に私が肌で感じたことを少しでも伝えられればと思う。カラバーノでご一緒に参加していた方々とお別れをし、夜8時発のバスに乗った。ちょうど7月30日だった。一週間ほどUKに参加し、開会式・様々なプログラム・閉会式と体験してきたが、今度は一人でIJKへ参加する。ちょうどここが折り返し地点となる。終わりでもあり、始まりでもあるというなんだか変な感じがしたことを覚えている。UKとIJKを合わせると20日間、これで人生2度目の海外となる。今年の3月には3日間ほど韓国を訪れ、韓国のエスペランチストと交流した。その時は日程的にも短く、同行者も顔なじみの人達ばかりであった。今回は地理的にも日程的にも、参加する人達も全然ちがう。IJK会場はポーランドのザコパネ。参加者は若者を中心に456人にも及んだ。ザコパネは参加すると決まるまで聞いたこともない場所。どんな国なのか、どんな大会なのか。もちろん行くまでまったく分からなかった。方向音痴の私がザコパネから一人できちんと家まで帰れるのかなど、不安に思うこともたくさん持ち合わせての参加だったが、この先何が起きるのか考えると、ワクワクする自分もいた。UK会場のヴィリニュスからIJK会場のザコパネまではバスで移動。15時間くらい乗るという話は聞いていたが、実際には18時間乗っていた。途中、国境でバスを2時間も止められ、仕舞にはポーランドに入国出来ない3人が降ろされるなどのハプニングもあったが、他の者は皆はザコパネへと無事着いた。バスでの移動中には簡単な休憩はあったものの、長時間のバスには疲れた。エコノミー症候群というのがあるが、こうしてなるのかと納得するところもあった。おかげで帰国してから普段乗るバスは苦でなくなった。思わぬ副産物となったと思う。バスがKongresejoへ到着したのは7月31日のお昼の2時半くらい。やっと着いたと思ったら、受付には長蛇の列。しばらく休む暇は無いなとあきらめた。ふと辺りを見れば一面には外国人。国籍も入り交ざっている。今までこのような環境に身を置くことは無かった。「俺何してるんだろう」って思うほど、普段の生活とはかけ離れていた。会場に着いたのは良いが、何をするのか分からない。取り敢えず分からないことは聞くしかない。近くにいた優しそうな人に声を掛けた。名前はLajos Zahonyi。ハンガリー人で役所勤め。年齢は聞き忘れたが見た感じ30才くらいだろうか。とても面倒見がよい。初心者と言わなくても私は初心者と分かるので、ゆっくりと丁寧に話してくれた。手続き等を教えてもらい、別れ際には私の泊まるAmasiogxejoの部屋番号を聞かれた。初日には、エスペラントの翻訳家の父親を持つロシア人の少年、Aleksej Korjxenkovとも出会った。彼はまだ16才。一人でIJKへ参加していた。Aleksejはなぜかよく私のそばにいた。私を見つけては近づいてくる。Aleksejとは後々、バスケットボールをしたりするなど多くの時間を一緒に過ごした。全然エスペラントを話せない私に親切にエスペラントを教えてくれたりもした。私がザコパネ滞在中に泊まるAmasiogxejoにはいろんな国の人が同じ部屋で寝泊りする。古い建物で、中に入ると普段は小学校なのか、壁には簡単な数式や絵が飾ってあった。各階にシャワー室、トイレがあるのだが、結構汚れている。食堂は暗い地下にあった。夜になると不気味な感じがする。そう感じたのも慣れない最初の2、3日くらいであったが。自分の部屋番号を探し、教室のような部屋に入ると、一人の女の子がいただけでまだほとんどの人が到着していないようだった。とりあえず自己紹介をし、名刺を渡すと喜んでいた。寝床選びは早い者勝ちのようなので、私は荷物を置ける棚のある部屋の隅を選んだ。部屋にはボロボロのマットレスが並んでおり、触ってみたらベタベタしていた。用意されていたタオルケットを敷き、持参した寝袋を敷いた。夕方になるとIJKの開会式。これからまた新たな大会が始まる。UKの開会式とは大きく異なり、世代が若いので会場は熱く盛り上がっていた。開会式の最後には、盛大にエスペラントの垂れ幕が下がったのだが、ロープが片方取れてしまった。だらしない光景だった。熱い会場に突如割りいった拍子抜けの光景が、心を和ませた。2日目の朝、目が覚めると、同じ部屋にLajosがいて、こっちを見ながらご飯を食べるジェスチャーをする。そういえば昨日の別れ際に私の部屋が何号室か聞かれた。同じ部屋へ移ってきてくれるためだったのだろうか。部屋の入り口の宿泊者リストに彼の名前は無かったので。一緒に食堂へ向かい、朝食を取った。Lajosは柔道やバイクに興味があり、食事をしながら、どんなメーカーのバイクが好きかなど話した。大会中の午前中には初心者向けのエスペラント教室が良く開催されていた。UKでもエスペラント教室に参加したが、IJKでも教室を開いているとは思わなかった。授業は教室内だけでなく、青空の下、芝生の上でゲームをしながらエスペラントを学んだ。ゲームの解説はもちろんエスペラント。周りの人たちは初心者ながらルールをきちんと理解しているらしく、先生の発言に対して笑ったり、うなずいたりしていた。初心者の私にはエスペラント語での説明でルールを完全に理解出来るわけもなく、近くの人に聞けば、親切に教えてくれるのだが、もちろん全部エスペラント。分からないルールは皆の行動をよく観察し、とにかく真似て行動するしかなかった。やってみると簡単なルールで、すぐに理解することが出来た。芝生の上で丸くなってお互いの膝の上に座ったり、伝言ゲームのジェスチャー版を行った。「星」だったり、「バンパイア」だったり、「リンゴ」だったり、「エスペラントを話せない人」だったり。身振り手振りで伝えていく。相手のおでこに動物や有名人の名前を書いた紙を貼り、自分が何かを当てるゲーム。私のおでこには「ブッシュ大統領」と書いてあった。初心者の私には、当てるのは難しいと思っていたが、有名で、男で、アメリカ人というのを何とか聞き出して、適当に答えたら当たった。自分でも驚いた。勉強会に参加して思ったのは、エスペラントをエスペラントで解説されるのは、本当に勉強になる。必死に解説を聞くし、分かれば周りの人に試しに使ってみる。右も左も分からない環境で、「右」も「左」も単語を知らなかった私だが、ゲームが終わる頃には単語は覚えていた。実際に会場に来てみると、本当に簡単な会話も出来なくて苦労した。辞書を引いて調べても良いのだが、会話中に辞書を引いていてはなかなか会話も進まないので、辞書はほとんど引かずに、知っている単語だけでどうにかしようと思った。後に一人になった時に辞書を引いてみると、本当に簡単な単語だったりする。大会中では朝・昼・晩と食堂で食事をしていると、必ずと言っていいほど相席となる。「どこから来たの?」「今日は何するの?」など簡単な質問をすると、ザーッと答えが返ってくる。とにかくそれを必死に聞いた。質問したからには答えを理解しないといけないから。答えの中で少しでも分かる部分があれば、それについてまた聞く。それの繰り返し。本当に生きた勉強になったと思う。ついさっき夕食を食べたと思えば、それは昨日の話。もう朝になっている。そのような食堂で時間の流れを早く感じながら、流れるように色々な人とも話をした。
2005年10月19日
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最近雨。 先週の金曜は大阪、土日は京都にいた。 最近、色々な所へ出かけるようになってきた。 先月も京都、そして松山へ行ってきた。 夏目漱石の『ぼっちゃん』にも出てくる「道後温泉」へも行った。 7月から8月にかけてはリトアニアとポーランドに 20日間ほど行ってきた。 外国人まみれのところにずっといたわけだが 日本は日本。なんだかホッとする。 京都では野菜作りを学んだ。 早速畑に行こうとおもったのだが 最近雨。 今月から小田原で一人暮らし。 ずっとバタバタしながらも物件を探し なんとか住めるようになってきた。 私は掃除、洗濯、料理はあまり苦にならないのだが アイロンだけはどうしてもやる気が出ない。 何故なのかよく分からないが、アイロンは苦手。 どうしてなのか。 もう部屋にはコタツを出した。 寝る前にコタツに入って、焼酎を飲むのはいいのだが やはり、話し相手がいないとなんとなく寂しい。 『酒道』は以外とむずかしいものである。 今日は久しぶりに実家に帰る。 これからバスに乗り、電車に乗り、駐輪場に停めっぱなしの原付で。 だいたい1時間半くらいかな。 久しぶりに父親と飲みたいと思う。
2005年10月18日
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