全380件 (380件中 1-50件目)
今日は立秋だから、暦のうえでは今日から秋らしい。でも暑いんだよなあ。さっき考えたこと。誰かの言う事や行動に「それはないわ!」と腹を立てるとき、いちど「ほんとに、「なしか」?どうして?」と考えてみたい。今はネットが便利だから、少し検索すれば意外と「なし」でもないんだなという世の中の事情がわかる。大抵のことは「あり」だ。思い込みで誰かに腹を立てる前に、落ち着いて調べて考える余裕が欲しいよね(^_^)まあでも、愛想のいいAIを味方につけてなんでも自分好みの回答を得ようとしないことにも気をつけないとね。まあ、私は、つまらないことで怒ってほしくないんだわ。そのイライラは世の中を良くはしないよ?どうしてもダメだと思うことは、そのことに気付いてもらえるような手段を考えようよ(^_^)ゆうべ、昔のことをいろいろ考えていたら心がザワザワしてきてイヤな感じだったんだけど、ネットに上げていただいたPre:Prema福井Day2の「満ちてゆく」を聴いているうちに眠ってしまったらしい。「満ちてゆく」は私の睡眠スイッチを押すのですかね(毎回寝る←ダメ)寝て起きたら、すっきりだ。心がザワついたときは、やっぱ寝るに限るな。グーグルさんは入力した文字列からもオススメの記事って引っ張ってくるのかな?ちょっと怖いけどねえ。まあ、参考にはなる。検索AIの「もっと調べましょうか?」は、大きなお世話なことが多いけど。日記でした。台風には注意ですふたつ、きたね。
2026年08月07日
コメント(0)
最近観て、憶えているドラマの感想を書いておきます。時季で分けると、どこかに入るのだと思うんだけど、わからない。わからないことはわからないとそのまま言ってしまう。ついこないだまで放送していた「ミッドナイトタクシー」おもしろかった。朝ドラの「風、薫る」が至極深刻に進行するので、夜ドラのこちらが笑わせてくれることが多くて、助かった。古川琴音さんの演じるタクシー運転手さんの車に乗る人たちの様々なドラマを描きつつ、運転手さん=象子(しょうこ)さん自身のお話でもある。古川琴音さんも、レギュラーのみなさんもよかったですね。書いておくと、育ての母のムリさん(和久井映見さん)、ムリさんの担当する女優の寿々木麗華さん(伊藤万理華さん)、タクシー常連客の八雲さん(中村蒼さん)、喫茶「つかれしらず」のマスター竹中直人さん、あと、後輩の女性、ごめん、お名前忘れてしまった。でもよかった。実母の山本未来さんも出番は少なかったけど、よかったですね。東京の深夜を走るタクシー、お客には、宇宙人もいりゃ、魔法使いもいりゃ、未来人もいりゃ、幽霊だっていたっておかしくない。そんなこともある、と冷静に対応する役が、琴音さんにぴったりでした。未来人が登場する回で「宇宙人?そんなのいたっけ?魔法使い?」と首をひねっていたら、そばでながら見してる旦那ちゃんに「ホウキ持ってた人たちいたじゃん!」と言われました。いたねえ、たしかに。でも、そーいうフツーじゃないヒトたちに「時々いるんですよね。自分の国のお金で払おうとする人」って冷静に対応するのおかしい。未来人のタイムマシン、痛車にしか見えない。ドラマだからこそ描けるね(^_^)。最後のエビソードの、実母に置いていかれて恨んでいる兄妹の(妹さんの)お話、興味深かった。人が育つ境遇って大きな影響を与えるよね。私はあんまり、他の人を恨んで、誰かのせいって思いつめることなかったけど(アホのポジティブだから)誰かのせいって強く思ってる人もたくさんいるのかもしれないよね。そういう人たちの気持ちも気楽にしてくれると嬉しいな、風さんみたいな人が。(急にw)ドラマの感想を書いていますよ。同じ古川琴音さんの「魯山人のかまど」もおもしろかった。偏屈な魯山人に無理難題を振られても大真面目にこなす編集者役、とてもよかった。あの、魯山人の人物描写には今ならパワハラ!という感情的な意見もあったようですが、昭和〜って感じでしたね。現代の私たちには、スマホひとつで、北大路魯山人(藤竜也さん演)という人の生い立ちを調べることもできる。あんなふうに、気持ちのコントロールが効かないように育って大人になる人の都合も考えたい。みんなが同じように育つわけじゃないんだよ。同じじゃないぶん、かつては、いろんな性格の人がいたわけだけどね。いいこともわるいこともあるんだよ。なんにしても、生き物や自然、文化を愛でる姿は素敵。これから少しずつあつめていこうかな。画一的な教育は、みんな同じ程度に同じことができるように育てることはできるけどその代わり、個性の芽を摘んでいるとも言えるよね。それを自覚したら、これからだね(^_^)あとは、「ムショラン三ツ星」も観ました。こちらも、「育ち方って大問題」ですね。お金があるとか、ないとかの問題でもない気がするんだけどなあ。お金はあるに越したことはないと思うけど、浪費癖があったらいくらお金があっても足りないよね。施設の療法士さんと話していて、小中学生のおとうさんなんだけど、「仕事いやだな〜、庭で野菜育てていたいなあ」ってグチるので「ねえ、そんな世の中に子らを放つのは心配じゃありませんか?」と聞いたら「それはもう」と今どきうまくやっていけるのは、(大谷選手みたいに)特別な能力を持っている人と、家柄のいい人(親ガチャ当たりの人)くらいじゃないですか!?と暗いことを言うので「ん〜?フツーにマジメに働いて、ギャンブルとかで散財しなければ暮らしていけませんか?つつましく。」と。どうしてそんなにお金が必要なんだろう。闇バイトとかで、今すぐまとまった現金が入手できればいいってなるのは。お金っていざ使おうと思うとけっこう大変だけどね。欲が深いのかな?使い道がたくさんあるのかな?私の生きてきたなかに、そういう価値観を持った人はいなかった。あ、隣の部署のエライ人が、会社のお金を使い込んでたって話があったな。直接関わりないけど。ごめん、また風さんのこと書くけど、「小さなことで満足することに上手になってください」だよね。ものは、いらないな、そう考えると。ドラマに戻ると、要は、刑務所の給食指導をする栄養士さんのお話。元々イタリアンのシェフで、子供たちと生活するために仕事を探していて、刑務所内で働いた経験を描いた、これは、実話ベースですかね?ちょっと待ってね。(・・・)実録エッセイから漫画化→ドラマ化だって。ネット便利だな。別の日に書くけど、医療小説を書いてる夏川草介さんが先日朝イチにゲストで出ていて鈴木アナが「実際にお医者さんで忙しいのに、小説書くの大変じゃないですか」って聞いてたけど、体験したら逆に、書ける人は書かずにはいられない、よね。社会問題に関わることならなおさらだ。そんな気持ちをこのドラマにも感じたけど、こちらは、現場の経験を描いただけで、こうしたら?とか、こうすべき!みたいな主張はあまりないものでした。それでいいと思うけど(^_^)私は誰かが料理して美味しくいただく様子を見るのが好きなので、どこだろうと、お料理風景を観るのは大好き。子どもと一緒に料理をするのも大好きだった。夏休みには、何回かパンやクッキーなんかを作るのが恒例だった。台所体験はなるべくしたほうがいいよね。育ってもじきに役立つ経験だし。うちの子らは男子だけど、学校の調理実習にも張り切って参加してきたので、母親の私にはできない魚をさばく調理ができたりする。まあ、で、舞台が刑務所なので、犯罪をおかす人の事情と、その人たちへの偏見(思い込み)について何度も考えた。できれば、刑務所の食事はこうあるべき、よりも、刑務所に行かなくて済む生き方ができることを考えたいかな。それ以前、か。顔ぶれはいつもどおりに豪華でしたね。小池栄子さんは今「さよならノワール」も観てるけど、ドタバタした感じも落ち着いた感じも上手ですね。私は新宿野戦病院のヨーコ先生が好き(^_^)以上とりあえず。おもしろかった
2026年08月06日
コメント(0)
振り返った時に後悔しなくていいように、そのタイミングで考え抜いて、そのときいちばんいいと考えられることをする。小さいときから、常にそれを意識して生活してきました。いつの日も「あのときの自分を信じろ!」って思えるように。そしたら、それを集めて連続的に、満足できる、信じられる人生を送れるじゃん。変な子どもだよなあ。バカボンパパのおかげかね。そうは言っても、実際に振り返ることができるようになったのは、もう人生半分過ぎたくらい(50代)だからじゃない?とも思う。でもどんなに小さな子どもでも、今日は明日になったら昨日だ。そのことを理解して、自分の毎日に責任を持って・・・責任持って、ダラダラしても、いいんだよ?(^_^)ひたすらダラダラしていたい時期だってあるさ!充電期間って言うんだよ(^_^) よく知ってる。だからダラダラはダメ!!なんて、ヒトゴトみたいに他人を苦しませることをいう人は、自分の毎日によほどの自信があるんだね。ダラダラだろうが、とにかく悔いのないように過ごしてくださいね(生きてね!楽しいことはたくさんあるよ(^_^))。他人の言うことはあまり気にしなくていいです。5月に書いた日記に「怒りの感情について」(5/6)というのがあって、その後日談を書きます。次男のネコスケが精神的な不調を覚えて、それがどうも遺伝的なものではないかという話になったとき、私の母が「心配でツライ」と娘の私に泣きついてきたので「何がどうなって、私に泣きつくのよ!?」と腹を立てた話です。そこで怒りを爆発させることはないけど、黙って耐えることもしません。ちゃんと伝えなければ「良くなっていかないじゃん」と考えているからです。電話で言い合いになるのはイヤなので手紙を書きました。そしたらその後、母から「反省した」とお返事がきました。孫が可愛いばかりのバカなばあさんだと思ってくれ、と。そんなの、私ばっかり悪者みたいじゃんw 怒らないけど、グズグズ話し続けようとする母に「いや、それ、文章にしてごらん?私は、聞くのイヤだよ?やめて!」ってきっぱり言ったんですね。「アイコは「うんうん、心配だよね」って聞いてくれる」と期待していた母は、ショックを受けたんですね。でも私自身が、動けなくなった今、子どもたちの役に立つにはどうしたら?っていつも考えている。役に立つって、邪魔することじゃないです。心配だ〜!心配だ〜っ!て言ってても役には立たないんですよね(^_^)心配は、させる方の問題じゃなくて「する方」の問題だと考えます。怒るも心配するも、まずは主体的に何とかできないか考えよう。他人を変えることはできないけど、自分が変わる(考え方を変える)ことはできますよね(^_^)これがいちばんポジティブだ。そのような経緯があって、母は、うちに電話してきて心配ごとをぶちまけるのをやめました。言わなきゃわからないけど、言ってわかるなら言えばいいだけのことじゃんね?wまあ、あのときの私、よくやった、よね。しかし、折り悪く郵便も不便になり、隣の市でも配達日数がかかる、もはや。でも、それくらいの頻度と速度でいいか。私も口ばっかりでフットワークは悪く、あげく身体半分動けなくなるし、申しわけない!といいながら。でも結局、みんなそれぞれの人生はただ、別のラインで並行しているんでしょう。自分の人生を誰かのものと錯覚したり、だれかの人生を自分のものと誤解したりするのは、家族というものの特性かもしれないね(^_^)?おりしも、集団就職で東京に出てきたみね子さんのお話である「ひよっこ」の再放送が始まりました。うちの母も18歳で田舎から東京に出てきた人です。いくつか子どものころから、印象深い話を聞いたので、書いておきます。勤め先のエレベーターにのったら、ニコニコと満面の笑みを浮かべてそこにいた井上順さん。「この人、知り合いだっけかなあ?」と思ったそうです。井上順さんがテレビ画面に出てくると、いつもこの話を思い出します。(最新のVIVANTを観ても)王貞治さんが「天ぷらそば、天ぷら揚げ立てで!」とよく食べにきてたよと聞いたので「ねえ、長嶋さんは?」と聞いたら「長嶋さんはねえ、中華が好きだったの」だって。だから和食処にはこない。あと、ジャイアント馬場さんがおそばを食べているのをつい眺めてしまっていたら「そんなに見ないでよはずかしいじゃない!」とからだを縮めていたと話していましたね。背なかを丸めておそばを食べる馬場さん、想像するとかわいらしい。「それで足りるのかなぁ」と思って、と言うと「だってお金ないもん」と話していたと。いつごろかな?馬場さんの経歴的に。母はハタチで結婚して、仕事をやめているので、それは、18歳から20歳のあいだ頃の話ですね。その後の、若い母親である彼女の事情や心情は想像できるし、病気ばっかりする本読みだけは異様に好きな、上の娘に手を焼いたことであろうと今さら同情する。だから私は、まるで自分が自分で育ったように考えていないし、あの両親がいたからこそ、これだけよく物を考えるヒトに育ったんだろうと考える。ありがとう🙏それぞれの人生のラインは、どこかでばらばらになったり、途切れたりするんだろう。それはもしかしたら、見えないだけなのかもしれないね?並走している人たちを大切にできればいいんじゃない?それでいいよ。今、見えるのは、貴重なことだ。
2026年08月05日
コメント(0)
言語化のオニは、自分の文章に誤字を発見すると、しばらくドーンと落ち込む。指摘されることは平気だけれど(なんならもちろん、ありがとう!と思うし)中学生のときに書き散らした文章に運命を運明と書いてしまったことがあって、それを同じ班のピアニスト男子(お察し・ベートーヴェン)に指摘されたことをいまだに覚えていたりする。あれは、クラスの班のメンバーと担任の先生とで回す交換日記みたいなもので、私は、今と同じように、あった出来事や考えたことなどを小さな字でずらずら書いていた。書くことは好きなので苦痛に思ったことはない。先生は時々、内容に関してコメントしてくれたけど、他の人たちは、そもそも長くて意味のない文章を読むことはないだろうと思っていたら(先生は、災難ね)もっとも読みそうにない男子に、内容についてツッコまれて驚いたのを覚えている。はあ、ヒマだなあと思ったら、時間つぶしくらいには、なるのかもね?と考えた。その考え方は今も変わっていない。ヒマつぶしにどうぞ(^_^)。どういう仕組みになっているのかわからないけど、「よく読まれている記事」という項目に、自分で開いたのではない日記が含まれていることがあって、(それはあたりまえなんだよなあ、本来)珍しくて読んでみるのだけれどw 早朝・深夜に誤字を見付けてイヤな汗をかいたりしている。しかも固有名詞じゃないか!なんで気が付かないんだよ!あわてて直しておきました。最近の日記に見つけたときは黙ってコソッと直している。校正(文字チェック)の仕事をしていた経験から書くと、自分の書いたものに誤りがないか確認したいときは、自分ではなく、他の人の目を頼りにしたほうがいい。ワープロソフトにはスペルチェックという機能があって、コンピュータが「間違ってるよ?」と指摘してくれるけれど、私のように美しくない日本語を多用する人は、何でもかんでも「だから、間違ってるってば!」と指摘されることになるので、私は、使わない。以前、クマの学年の二分の一成人式お祝いのカードの文字入力を、私ひとりがしていて(例によって)「入力するのはいいけど、文字チェックはお願いしますね?」と念押ししたことがあった。間違えるのは当たり前なんだよ。間違えようと思って間違える人はいないよ。自分でチェックするには限界がある。指摘されて初めて、間違いに気付くのだ。これは、役に立つ経験だったと思うよね。自分は間違わないと考えている人はあぶないな、自信満々か?実際、入力するときも印刷前も確認したけど、役員のお母さんたちに見てもらったら、名前の漢字間違いがいくつかあった。クマの学年の子どもたちの名前は一筋縄ではいかない(簡単に変換できない)ものが多かった。それを実感した。そして、人は間違えるのが当然と考えることで、私は、私自身を楽にしてきたのでしょうね(^_^)脳の働きにもありそうだよね。違う文字を合ってると認識する。他人の間違いにも寛容になったと思うけど、文字や数字程度の間違いには「そういうこともあるよね」と笑って流せるけど、人としていかがなものか、みたいなことは、いまだに流せない。でも、怒るより、まずは理解したいと考えるんだ。そして犯罪者の思考を推理しようとして「そんなふうに考えなくても」と家族の誤解を招いたりしているのだが。私の考えじゃないよ。ドラマ感想を書いてしまわないとねと思っています。これがさあ、感想を乾燥と変換していたりするのよね。左側が弱い。さらに弱くなったな。変換候補の文字が左から並ぶから、注意力が続かないのか?空間無視って言うんだって。見えてるけど無視する。左側の空間無視は右脳損傷の後遺症。まあ、落ち着け!だね。「話が古くなる!」の感覚がいまだに強い。ではでは
2026年08月02日
コメント(0)
身体の左側が麻痺するのは、右脳が出血して損傷したからだそうです。ちなみに、そんなのは脳に自覚症状がないので、私にはわかりません。脳は左右で担当する機能が違うので、右脳を損傷した私は、身体の左側の動作ができなくなった。左脳は、発語や計算、論理的な思考を担っているらしい。おしゃべりな私は、左脳が無事でよかった、ということになるけれど、救急車で運ばれたあとの私の脳のMRI画像を見た旦那ちゃんが言うには、両方の脳の血管がボコボコとふくれて、まるでブドウの房のようだったと。こっわ。だから3年経っても彼は、そのまま私の脳の血管が大爆発を起こすことを怖れていて、びっちり私に付き添って面倒を見てくれているのですね。今の私の気持ちとしては、実際に年を取って、身体が弱って動けなくなる前に体験することができてよかったよな、と、あくまで、アホのポジティブなんだけれども、しっかりした人たちは、そんな目に合わなくても想像して、対策できるに違いない。だから、あなたは大丈夫(^_^) 対策して準備してね(^_^)反対に、左脳を損傷した人は、発語が不自由になるという。話したくても言葉が出てこないのか、そもそも言葉が思い浮かばないのか、経験していないのでわからないけど、でもかつて、話し始める前の小さい長男のワンとしっかりコミュニケーションがとれていたという実感を持っている私は、人間どうしの意思伝達に、必ずしも言葉が必要であるとは考えない。最近、右片麻痺で施設に通うようになった利用者さんが、車椅子で、私たちの座っていた長机に突っ込んだ。とっさに「わ!すいません!」が言葉で出てこないのは、わかる。でも考えてみれば、同じように右片麻痺のオジサンはいつも、「すまないね!」と言うように動くほうの手を顔の前にあげる。言葉が出てこなくても、だ。だからね、相模原の事件で、「言葉でコミュニケーションが取れない障がい者は『心失者』だ」と犯人が言ってると。たぶん、違うよね。わからないけど、彼らと家族たちのあいだには周囲にはわからないコミュニケーションがあったんじゃないのかな。それができるかどうかは、「健常」と呼ばれる人たちのあいだのコミュニケーションがかならずしもうまくいくものではないことを考えると、簡単にできてるまたはできていないを判断できるものじゃないんだろう。難しいな。よく考えてみます。私なりに。違うの。もっとのんきな話を書こうと思って。テレビで国会中継なんかを見かけると、旦那ちゃんが「野党は、選挙前に自分たちが言ってたことを与党が言うと、澄まして、反対!って言うよね」と毎回毎回言うので「まさに、手のひら返しだね(^_^)毎度とりあえず何でも反対しておくスタイルだからね。建設的でない。」と、このやりとりも、うんざりするほどしていて、私がそう思うってことは、若い人たちもきっとそう思うんだよ。政治の形って何かしらの意味があるんだろうけど、もはや形骸化しているのでは?形骸化しているものにお金をかけるのもムダよねえ、とこれも若者は思うことだろう。そもそもってところで解説してくれる視点の新鮮な政治学者さんがいればいいよねえ。そしてね、先日書いた「マイルール」の日記を踏まえて旦那ちゃんが、私のすることにいちいちケチをつける、あんまりうるさいので、「ねえ、あなたのそれは、まったくもって『野党的言動』よね!?」と言い返したら、ハッとした顔をして「そうか!そうだね、上手いこと言うなあ」と納得していておもしろかった。その後「自分は、野党だからね」と開き直るようになったのはよろしくない。考えてみれば、私と子どもたちは、意思伝達を極限まで円滑にするために言葉を追究してきた。最近「凡ミス図鑑」を読んでいると書いたけれど、その本のアマゾンレビューに「これは凡ミスではなくて、致命的失敗だ」と意見している人がいたので、つまらないなあと思ったとクマに伝えたら「凡ミスの反対は致命的ミスじゃないよね?」と面倒なことを言う。ウッカリミスの反対は何だ?と考えたけど、ミスしない、か、ウッカリの反対はうっかりしない、だから、綿密に計画を立てた上で失敗すること、じゃない?そんなの、私は日本のロケット打上げくらいしか思い付かないよw 何十年かしたら、新しい言葉ができてるかもしれないね。私たちの致命的ミスなんて、地球の破滅とか、人類滅亡を招くようなことだけじゃなあい?と考えた。そう考えると、大抵のことは大したことないんだよ、という趣旨の本ですから(違う!)オススメです。おもしろかった。別の日に書くけど、クマという人は、就学前後に吃音があって、それを自力で克服して人前で話すことにも苦手意識なく教職についているので、実際に考えたことや経験したことは、他の人の役に立つことだろうと考えます。そして、言葉をテキトーに使わずに、いちばんふさわしい表現を選ぶことは、私たち親子の習慣でもあるので、ある日突然、ワンが「ねえ、イチゴ味って、『イチゴ味』味だよね」と言い出したりするのです。これは彼のヒットだったので、その後、わが家に定着した。いちごあじあじ🍓、ね。長いよ。今回の地震で思い出したこと。東北の地震の時に書いた日記に「買い占めという言葉を無責任に使ってはいけないと思います」というのがあって、あのとき、現象は、物流の止まったスーパーで、水やインスタント食品が次つぎに売り切れていた。あれは「買い占め」じゃないだろ?と思ったんです。「買い占め」という言葉には、誰かがそこにある品物を他人には渡さないという意図を持って買っていくという意味が含まれている。そんな悪意をわざわざ見るなよ!?と腹立たしかったんですね。書かずにいられなかった。最近は「買い溜め」という言葉が使われていますね。これならわかる。必要以上に買い込んで安心感を得ようとするなってことね。旦那さんの実家が熊本だという職員さんがいて、様子を聞いたら、直撃は免れたと。でも、スーパーの品物がないって、と案の定のことを話していて(鹿児島まで買い物に行く、とか。関東育ちの私には想像もつかない)「うん、わかるけど、まずは配送が復活しないと、なんともならないわよね?」と。小さな子どもたちをたくさん連れて手伝いに行くわけにもいかないし、と言うので「そうよ、余計に大変よ、こっちで着実に暮らしておきましょう(^_^)」という話を旦那ちゃんに伝えたら、「むしろ、くるな」って言うよ?と現地の義両親の気持ちを想像していた。家族は何かしたい気持ちが強いだろうけど、いまはこらえて、自分自身の生活を地道に送りましょうね。しかし各地のみなさんが、今度は恩返しだと、支援に動いてくださる様子を、私は、助け合うヒトの生態として嬉しく観察している。みんな自分にできることをすればいいんだよな。私はムダに言語化のオニになる。
2026年08月01日
コメント(0)
見えないけれど、たしかにそこに働いている力。思い出したこと。子どもたちが小さいとき、果物や野菜にむき残した皮を見つけることがあった。それは単純に、母親の私が大ざっぱで、キッチリ削り取ることができなかっただけなんだけれど、それをわかっていて、私は何ごともないように「それは、当たりですよ!」とこたえる習慣になっていた。すると子どもたちは「当たりか!?ラッキー!」と喜ぶ。だからといって、何があるわけでもない。ただの気持ちの問題だ。皮が残っている、クソ!ではなく、やった!と気持ちは誤魔化そうw 理屈はこじつけようと思えばいくらでもある。でも、顔色を変えずに即座に「当たりだよ」これでいい、おかあさんが決めた。ご飯を作る人の特権だ。ヨシ!そして月日は過ぎて、たしか高校生になったころのネコスケが、皮の細く残ったりんごか何かを「当たりだ」と言いながら黙々と食べていて、真顔だったけどたぶんあれは冗談のつもりだったんだろう。少し心配になって、「ねえ、それは、おかあさんが失敗しただけよ?念のため」とあわてたことがあった。それはそれで笑われるんだけど。「もちろんわかってるよ」と。真剣に当たりだと考えていたら困る。まあ、何が当たりかは、人それぞれだよね。これは、うちの習慣。ソコツな母親を気楽にする。玄関に、ボタンを押すとめくれる日めくりカレンダーが置いてある。子どもたちが学校に通っているあいだ、ずっと私が朝起きてカチャンとめくってきた。1日一回カチャンでいいのに、ウッカリ多く押してしまうと、同じ数字まで一ヶ月分、送らないといけない。メンドクサイけど、そのアナログな感じが大好きだ。3年前、脳から血が出て私が入院したとき、まだ大学生だったクマは、(いや?待てよ?時期は、記憶違いかもしれない)旦那ちゃんがときどきめくり忘れるカレンダーをカチャンしてくれながら、「これ、今まで、どうやってめくれていたんだろう」と疑問に思ったらしい。ちょっと考えてみれば、何を動力源にしてるのかわかるはずだけど、めくれているのがあたりまえ過ぎて考えなかった。人力だったw 電池とか、太陽光とか、からくりとかじゃない。そんなふうにあたりまえにスルーされる働きが世の中にはたくさんあるだろう。気付いてよ!と主張しているわけではなく、誰も気付かなくても、私はここで、そのことに気付きたいと考えていますよ? という話だ。ありがとうございます(^_^)日めくりカレンダーなんて、私が好きでやってたことだから、別にいいんだけど、今も変わらず玄関でカチャンカチャンと日を刻んでいる、エコだ。人力だからね。脳の運動にもなるんじゃない?今日は何日?もうめくった?あっつ。ここ何日か、早朝のクーラーなしに眠れるくらいだったんだけど、きょうはまた暑くなりました。湿気がないのは、助かるね。地震がひどかった地域は、停電や断水もあって、どうやって熱中症に注意するんだよ!って状況だけれど、何とかしてしのいでくださいとしか言えない。生命力の発揮のしどころだね。寿命が決まっているなら、何をしても死ぬときまでは死なないんだよ、はバカボンパパ。私は、幼稚園児のころからその考え方になじんでいる。だから筋金入りのバカだ、ゴメン。みんなの知恵を駆使して気を付けて過ごしてくださいね。自然災害は、どこで起こるか、わからないよね。
2026年07月29日
コメント(0)
昨日の朝からミンミンゼミが鳴き始めました(今朝も)もっと早い時期から鳴いていたシャーという鳴き声はクマゼミらしいです。暑かろうが(というか、暑いほど)セミは元気かと思われます。地球温暖化のこれからはセミの天下かもしれないよねw ということは、セミを捕食する生きものも安泰か?いやセミ、夏しかいないやん。保存食にする知恵を持つ人間は強いな。結局、人類最強、で終わるのか(考えが足らない)昨日の「豊臣兄弟!」を観ていたら、両親の言いつけをよく聞いた与一郎が主君を庇って若くして亡くなる?という展開で、(亡くなったの?←ちゃんと観ろよ)前の日記を踏まえて「ほらな!」となったのは私。ある意味、とんでもなくお利口なお子さんだよ?何を最優先する?何を指示する?もしかしたら、親の言うことなんて聞かずに、自分の考えで悔いなく生きることのほうが価値あることなのでは?まだまだ考える必要がありますね。 今、腰が痛くてさすっていたら、旦那ちゃんが「寒い?」と言って室温を上げようとする。「違う、腰が痛いだけ!」とエアコンの設定をいじるのを止めようと急いで言ったら「そんなに怒らなくても」と言われたんだけど、意味を正しくとらえていない人が誤解でズンズン進もうとするのは困りますね。自分が、知らない、とか、間違ってる、可能性を考えないのかなあ? いや毎日せっせと私の面倒を見てくれている旦那ちゃんにただ悪態をついているわけではなくて、さっき見かけた、「和田秀樹さんが高齢者は健診を受けなくていいと言っている」と紹介している武田鉄矢さんの記事に、どう読んでも「老害」を、我々が考えているように理解していない文章を読んだので、ひたすらキモチワルイのですよ。ただ年取った人をそれだけで邪魔にしているわけではないですよね? 敬われるべきお年寄りだっているし、ほとんどそうだと思うけど、困るのは、経験を積んだ自分がいちばん正しくて、若いヤツは物を知らなくて、へりくだって自分に教えを乞うのが当然だと威張り散らしているお年寄りですね?「敬老」のかけらもないって、老人がみずから言うのは恥ずかしいですねえ。自分が敬われて当然だと?むしろ、同年代の方たちに嫌われるんじゃないですか?おめーは、老害にもほどがあるだろって。私は、私自身が子どものころから、年を取った人たちが、物知りで考えの深い人ばかりとは言えないなと考えていたし、自分が年を取っただけで、敬われる人間になれたとは、考えていません。同じように考える人もたくさんいると思うんだよ?だから、ああやって、声高に「老害なんて失礼だ!心外だ!」と意味を誤解して文句を言う人は、同じ高齢者の迷惑になるだけだと考えます。あの記事には作為的なものを感じるな。案の定まんまと乗ってる?本気で、老年的超越ってあると思いますよ。私の周りはみんな、理解があって優しいもの。若い人たちに、素直に知らないことを教えてって言えるし、ありがとうも言うよ?卑屈になってるわけではなくて、素直に「今は便利よねえ!」って言える(^_^)そして「勿忘草の咲く町で」も観ているので(感想は別の日にまとめて書きます)「年取ったら、みんな死ぬんだよ」とウンザリするほど言っている。旦那ちゃんは、自分の父親が胃ろうで寿命をつないだことを、本人のためにも、家族のためにも、後悔しているところがあるので、「年取ったら、みんな死ぬんだよ」の気持ちが強い。そうね、私もそう思う。永遠に生きるつもりの人がたくさんいるのかな?少なくとも親や身内は(今このときに限っては)死なないと、死なせないために入院してるんだからね!と思ってるの?絶対に死なせないことなんてできないよ。どこかで、しっかりまとめて書き残しますね。いや、私、まだ、死なないからね(^_^)。たぶん大丈夫。死なないつもりだけど、うっかり死んだらゴメン。歩くのちょっとドキドキしたw←転倒注意!左脳もやられたら大変。前の日記に、風さんの配信を最初から最後まで観たい執着はないって書いたんだけど、正確には違うわ、最初に会場が映ったとき、スマホをかまえている人が幾人か観えたので、これはきっと、優しい風ファンがネットにあげてくれるに違いないと思ったの、確信した。信頼は執着を超えるな?w 観せてもらいました。心から、ありがとうございます、しあわせLess baggage, more contentmentって言ってたね?まあ、手放すほど満ちてゆく、は、もうずっと風さんが言ってきたことだからね。あと最近、なるほどなあと思ったのが「武士道とは死ぬことと見つけたり」(『葉隠』 山本常朝)死ぬときのことをずっと考えながら生きていくんだよ。どのように死ぬか、どのように死ぬために、どのように生きるか。いやだもう!何書いても、藤井風のマネみたいになっちゃうじゃん!日本人だから、武士でいいじゃん、武士がいいじゃん!誰が何を言ったということよりも、いちばんいい生き方を考えたいんだよ(^_^)まあ、優しいは正義。でも優しいは、甘やかしとは違うんよ?←まとめろよ。ではでは。
2026年07月27日
コメント(0)
両親や周囲の大人の言いつけを素直によく聞く子どもも、いますね。私としては「聞いてしまう」と書きたいくらいだけど。口ウルサイ大人の「指示」が、本当に子の将来に必要な習慣につながるものかどうか一度考えてみたいですね?いや、正直、うるせーな!(by 55歳)と思うんですよ。私は全然子どもじゃないけど、3年前に身体が不自由になったので旦那ちゃんがあれこれ身の回りの世話を焼いてくれています。彼の行動におけるマイルールがあるんですね。そして、それを私にも守ってもらいたい。でも今は不自由になったけど、ついこのあいだまで、ほとんど私が子どもたちの世話をして、好き勝手に過ごしていて特に問題なかったわけですからね?小中学校時代には「ワンくんは、ほんと穏やかよねえ」とよそのおかあさんたちもいつもほめてくれていました。年近い3兄弟、はたから見れば、どれだけモメてうるさいかと思われるようでしたけど、子どもたちと私に関していえば、共同生活は楽しいばっかりでした。私が口を出すのは、彼らが育って実社会に出たときに周りに迷惑をかけることになるんじゃないかと予想できることをしたとき。習慣づけておきたいことについては、一方的に言い聞かせるわけではなく、まずは、彼らの意見を聞きました。「と、おかあさんは思うけど、これでいいと思う?」「う〜ん」(みんなの意見を聞いている)「ボクはいやだなあ」(けっこう細かい)「ボクは気にしないよ」(かなり大らか)それぞれが思うことを意見として発表してもらいます。投げやりな「どうでもいい」や「なんでもいい」は、なしです。中には、本当にどうでもいいことや何でもいいこともありますから?wそれは、どのような理由でどうでもいいのかを話してもらいます。つまり、うちでは日常的にミニ学級会をしていたようなものですね。自分の頭で考えて、自分の意見を言葉にして伝えることを習慣にしていました。これは、どこに行っても必要な習慣かと思いますよ?穏やかに過ごすために。家でさんざん訓練したので、3人ともそのような場の司会進行ができることになります。自分が何を不快に思っているかを言葉で伝える。モノに当たったり、プンスカした態度をとってみたりでは、意味がありませんね。何に怒っているか、何がイヤなのかを見つめ直すことにも意味があります。大したことではないなと気付いたり、単純に落ち着くこともありますね。不快に思うことなんてないし、イヤなこともない、は平和なようでいて心配なことでもあります。それは「どうでもいい」と同じじゃない?まあ、達観すれば、そんな心境にもなるかもしれない。でも小中学生とか、奥様とか、いろいろ不満に思うことはありますよね。思っていいですよ、思って考えて、伝えて下さい。私はよくそういうお話(グチ?)を聞いて「わかる、わかるよ!」と大笑いしています。笑っちゃいけないこともありそうですね、気を付けないと。冷静に伝えて、冷静に受け留めよう。冷静に言葉にして伝えられること。うん、目の前で怒っている人がいても、そんな気持ちになれたら強いですよね。何度かあるんですよ、目の前で怒りを爆発されたこと。(身内にも他人にもいる)それぞれの性格もあると思います。何か言うのも単にメンドクサイ人もいると思う。ですからね、子どもによかれと思って、あれこれ口出ししてるそれ、自分の都合じゃなくて、ほんとに子どもに必要なこと?子どもがそれをきっちり守って育っても、「親の言うことはとりあえず聞く人間」に育つだけじゃない?それって、世の中の役に立つの?大人になって困らない?子どもに必要な口出しって何だろうって考えると、社会って、人生って何だろうってなるんだよね。そこまで考えてから、子どもに口出ししよう。自分のなかの善悪の基準に頼ると、最終的に悩むことになる。でも心配しなくても、子どもはいつか自分で考えるし一緒に考える仲間を見つけてくるよ。そういうふうに育てよう(^_^)風さんのフジロックフェスのステージを配信で観ました。配信ありがたし。お腹が痛くなって、前半はほとんど観られなかった。ふびんに思った旦那ちゃんがトイレにまでスマホを持ってこようとするので「いらないよ?」と断わって、あの会場に駆け付けたみなさんはしっかり体調を管理してスゴイな、だし、パフォーマンスをする人たちはさらにスゴいよな!と考えました。そして私は、何がなんでも配信を最初から最後まで観たいという執着も、もはやない。観られるところだけ観なさいってことでしょと。まつりが観れなかったのはちと残念。う〜ん、Love Like Thisときらりのサマーソングたちは、すこぶるロマンチックでしたね。夏は暑いばっかりでイヤなことだけでなくて、風さんみたいに喜んで楽しんでくれる人もいると思えば、なんだかうれしい。私は暑いのも寒いのもイヤなんだ。仕方ない。ツアーはまだまだ続きますね。ファンカムとネットのおかげで観せてもらえるのはうれしいなあ。いつも応援しています。
2026年07月26日
コメント(0)
![]()
子どものことを書いているわけではないけれど、子どもはじきに育って若者になるので、結局、子ども時代をどのように過ごすかで、若者も大人も変わってくるんじゃないの? と考えます。なぜ自分のことが最優先で、「自分最強!」みたいなふるまいの若者が増えたと感じるのか(実際に増えているというより、そう感じる大人が多いってことだよね、つまり)なぜ? を考えることは、同じことをくり返さないためには役に立つことと考えます。ただし、それは、現在の「無敵に思える態度の若者たち」には、直接関係ない、というか、それは自分たちのせいじゃないじゃないか!と言われるに違いないことです。でも、大人には必要な認識だと考えるので、ここに書いておきます。正直、優先度は低い。だから本当は(原因は)こうなんじゃん?という話より、今現在、こうしたら? のほうを考えたいんだよ。ここに書いたところで、何の役に立つのよと思われるだろうけど、書くと私の頭の整頓にはなるし、見えるところに書くことで、誰かの役にも立てばいいなといつも思っています。私は20代の子どもを3人持つ50代の母親です。たぶん話題の無敵世代の若者の保護者とも同じ世代かと思います。そして子どもたちはみな地域の公立学校を経て大きくなりました。その間、今と同じ意識と考え方で、周囲の保護者のみなさんの様子を見てきた自覚があります。千差万別だよね、もちろん、子どもも様々だし。でも、おおむね、大きく間違ったおかしな考え方で、私たちが子どもたちを育ててきたわけではないと思うんですよ。つまり、現状は「私たち親世代が当然よかれと考えて生きてきた結果、起きていることだ」というわけですね。疑問を抱きもしない、あたりまえだと考えてきたことが、現状をまねいている、と。ひとつやっぱり、心当たりがあるのは、子どもたちは「学校の勉強ができれば、何も問題はない」という価値観で育ってきた、ということですね。成績がいいことが問題あり、なんて考える親はいないでしょ、フツーはね。私は、私自身が学校の成績がほめられるレベルであっても、それが自分の価値とは言えないわ!と考える子どもでしたから、勉強が人よりできたからってそれが何? とずっと考えてきた。でも一般的には、少しでもテストでいい点を取って、少しでも偏差値の高い高校、大学に行けば、親孝行になるわけだから、そりゃ、気分は無敵でしょ。頑張ってきたよみんな。でも、なかには、頑張ったフリ(チョロいよ)で済んだ若者もいるよね、義務教育レベルなら、現場の先生方が頑張ればそれなりの成果はあげられる。でもそんな大人の価値観や世の中の風潮は、当の若者たちのせいとは言えないことなんですよ。全国模試で1点でも多く点を取って、合格判定を良くして(それは、ただの模試だけどねw)「よくやった、さすが我が子!」って言われてきたんだから、勉強ができれば最強でしょ、もちろん、上には上がいることは知ってるけど、国立大学は五教科まんべんなくできないとダメなんだからね、合格できるくらいには頑張ったよ(比較の問題だね、相対的だ)、私立大学卒の子たちだって、五教科まんべんなくなんて能率わるい、得意な科目にしぼれば、ハイレベルに行けるし、箱根駅伝に出るくらいの有名私大なら地方でもみんな知ってるし、親も満足だ。その、学校の成績が良ければ、万事オッケーの思い込みは今の若者たちの傾向を強めているでしょうね? 勉強ができればそれでいいなんて、そんなわけないがな?wって言われたら、どうしたらいいかわからなくなっちゃうじゃん、だからそんな疑問は受け付けないよ、自分を守るために。この自分を守るために は大人も若者も同じだ。みんな自分が傷つかないようにバリアを張ってるんだよな。失敗して小傷がついても、自分で回復していく経験を積んでいないとひたすら傷付くことを避けるしかない。それは、他人の失敗にも寛容さを失った現代社会の特徴でもあるよね。そうはいっても、実際には、些細な失敗はよくあることだし、それを笑い飛ばすことができる人だってたくさんいることを私は知っているよ? うっかりなんて誰でもするし。あとひとつ書くと、ネットの発達だよね。インターネット上には、個人には思い付かないような冴えた意見を書ける人もいるわけよね。それはもはやちゃっかり、自分の意見だよね?ネットの知性は自分の知性だ。でもネットの醜態を自分の醜態とは考えない。そりゃ無敵だ。いいとこ取りだね。めっちゃ賢くなったな、みんな(^_^)ネット上を閃くように流れて行く情報に触れているうちに、個人の情報処理速度は爆上がりした。年取った人には想像できないほど、またたく間に膨大な情報を仕入れているよ? これは事実だ。でも、その高速の理解に誤りが含まれている可能性もわかっていてね(^_^) あなたは、人間だ。これがしっかり、わかっている人もいるからね。だから、基本的には、「理解して、有効活用してあげてください」なのよ。進歩して、有能で、だけど経験不足で、未熟な、シン・新人類をw(彼らは実際、無敵でも万能でもないよ。そう言ったら、反撃されるかなあ?でも彼らが、自称しているわけじゃないからね?要するに、陰口なんだよなあ、堂々とした)そして、少なからず同じ価値観で育てられた大人たちも同じなんだ。だから彼らは、若くて未熟で有能な同志たち、だよ。困ることは正直に自分視点で「困ってるんだよね」って言えばいいよ?協力してもらって?遠まわしに言うから、イヤミになっちゃうんだよ。「自分が」困ってる。「自分は」よくないと思う、で。もしかしたら「困る必要があるとは思えませんけど!」って反論してくるかもだけど、若い相手と、ともに成長しようと考えたら会話は続けられるよね?私が大学生のころのうちのクマにしつこく言ったのは、困ったらひとりで悩まずにまわりの「大人に」正直に話して助けを求めなさい。「助けて!」って素直に言える人に世の中は優しいよね。助けてもらったら「ありがとうございます」も忘れないでね(^_^)それも訓練しておかないとね。助けを求める、お礼を言う、そんな経験をたくさんしてくださいね。間違えないのが最強じゃないんです。だいたいが、そもそもできそうもないことには手を出さなければ失敗なんてしないさ。失敗しても助けを求められて、お礼が言えて、同じ間違いをしない。みんなが同じ間違いをしないように他の人たちを助けられること。そしたらあなたは、世の中の役に立つことができます。【送料無料】世界を変えた「凡ミス」図鑑/近藤仁美私はいま、これを読んでいます。大笑いしながら。気候変動には適応するしかないんじゃないの?キモチ慣れてきた←バカなんだな。
2026年07月23日
コメント(0)
少し前に、施設のリハビリ室にトンボが飛び込んできたことがあった。見てはいないが、「大きなトンボが入ってきたよ」と聞いたので「どこ?見たいなあ」と言ったんだけど、そのまま行方不明になってしまったらしい。なくしものをしたときのように、そのトンボのゆくえを想像して、少し胸がザワザワした。小学生のときは、夏休みになると、宮城の山のなかの母の実家に連れて行ってもらった。末っ子の母は家族に、自分の産んだふたりのカワイイ娘たちを見せびらかしたいんだろうと少し意地悪な気持ちになった。そう考えると私は彼女の上の娘として、お利口にしていないといけない気持ちになった。そんな小学生はいないか、いや、いると思うよ?w 実際、今だって。あの頃、山のなかの家は、畑の土と草花や山の樹木に囲まれて、真夏でも日陰で涼しい。玄関も掃き出し窓も大きく開いたままで、時折、オニヤンマだかギンヤンマだかの大きなトンボが澄まして入ってきて、悠然と出ていく。ヒトの家は、彼らの移動ルートにあたりまえのように組み込まれていて、ヒトである自分は、道ばたの石ころにでもなったような気持ちになった。路傍の石か。あんなに大きなトンボは、小さい私よりずっと賢そうで生命力に満ちているように見えた。夏休みには、たくさんの宿題をどうしたらいいかわからなくて毎年追い詰められたような気分になっていた私は、夏になるといつもそんな苦しい気持ちを思い出す。そして、水族館の大きな魚のように、家の中を巡って出て行くトンボの姿だ。草や土のニオイと一緒に思い出す。夏休みの宿題は、休みの最初の日に全体量を把握して、取りかかる前に用意が必要なものは、なるべく早く用意だけは、しておく。日記やお天気の記録など毎日やらなくてはいけないものは、それとして分けておく。そしたら、あとは、やる気が起きた日にがーっと進めればいい。この手順を、私は、自分が痛い目にあうことで、身につけた。だから、小学校高学年からは困ったことはない。母親になってからも、こどもたちそれぞれに、夏休み用のクリアファイルを用意して宿題一覧のプリントや課題やコンクールの要項の詳細が書かれたプリントなどを「自分で」確認させた。「それから、画用紙とか絵の具のたりないものは?読書感想文用の本はどうする?」(ん?今思えば、大人じゃないと解読できないものも多かったね。何でも親がかりなんだな、近ごろは)全体量を把握したら、あとは自分でペース配分すればいい。毎日遊び倒していても、自分が、進められるときに進めておけばいいのだ。子どもたちが言うには、同じ学年には、普段の宿題どころか、夏休みの宿題もずっと提出せずに平気な顔をしている子もいたらしい。子どもたちにとっては、笑い話だけど、同じことを社会人になっても平気でしていたら、人から給料をもらえる仕事にはつけないだろう、と先のことが心配になった。どうしたかな、あの子たち。起業でもするかな?だといいなあ。平成になってもトンボは、夏になると、近所の公園の草の上をたくさん飛んでいた。雨上がりには、飛びまわる羽虫を狙ってトンボもたくさん飛び回った。小さかったうちの子どもたちは、捕まえようとやみくもに虫取り網を振り回すけれど、それでは捕まらない。待ち伏せして網を振り下ろすか、どこかにとまるのを待って、そっと近付いて大きな両眼の前でゆっくり指を回すと、首を傾けて見ている(のかなあ?)、その隙にさっと羽をつかむと捕まえられる。トンボの羽は繊細なので、ジタバタされるとすぐいたんでしまう。両方の羽を合わせて根元を支え持って少し観察したら逃してあげる。アカトンボなどは、近所の公園でもよく捕まえた。美しい生きものだ。小さいころの私は捕まえたトンボによくかじられた。トンボは必死ですからね。巨人に捕まったくらいの。大丈夫、何もしないよ。あのころ、河原ではイトトンボをよく見かけた。黒くて美しい。ふわふわと漂っている。そのうち、トンボは、自動車の天井を水面と勘違いするのか、うちの車の上にもペタペタとおしりをつけているのを見かけるようになった。トンボが卵を産める小川も減ってしまったからね。そこは、水じゃないよ?となんだかせつない。トンボのおかあさんの気持ちになるよ。小学生のネコスケが友だちとザリガニ釣りに行ったり、クマが夏休みの宿題の絵を描くために蓮の花の写真を撮りに行った池も半分くらいの大きさに埋め立てられてしまったらしい。トンボの幼虫は、ヤゴだよね、成虫とは、似ても似つかない、濁った泥水のなかでたくましく育っていく。図鑑的知識ではなく、ここに書いたことは、私が、この目で見てきたことだ。セミは、どうかな? 今年は。そういえば、ワンが小学生になった年には、テントウムシが大発生した。テントウムシの幼虫もなんだか強そうだよね(^_^) その少し前にはアブラムシが大発生して、生態系の仕組みを実感した。ヒトが優れているとしたら、ヒトという種が地上でただひとつだけ栄えればいいのではなくて、他の生きものすべてと地球を分け合っているものだと理解できるだろう。子どもたちの小学校時代の教科書に生きものの「共存」を説明した文章があったのをよく覚えている(もちろん、子どもたちも覚えているだろう)。こんなに知識を蓄積してきたのだから、役に立てないとね(^_^) トンボのポケモンはメガヤンマだっけか。他にもいたような?
2026年07月22日
コメント(0)
特に書きたいことがあるほど考えてはいないけど記録として書いておきます。梅雨があけてモーレツに暑い。昼過ぎには、外は37度だとスマホが言うけれど、暑いのは苦手なので最初から外に出るつもりはない。でも、出ざるを得ない人たちもいるわけで、夏休みだろうが祝日だろうが、部活指導があるクマはいつもどおり早起きして出かけて行った。両親は涼しいところで決勝戦を観た。4年後のワールドカップは、どんなだろうね。長過ぎるハーフタイムは評判がイマイチだったみたいだけど、内容には喜んだ人もいたようだ。クマによると、今日はあちこちの運動部で、暑すぎて具合が悪くなる子どもが出たらしい。埼玉県では、高校野球の県大会がまだつづく。この暑さのなかで野球をし続ける体力と精神力にはおそれいる。彼らの財産になることだろう。体をこわしたら元も子もないがね、と今の私は心配する。脳も注意してね。自主的に「気を付ける」も、うっかりしないようにしないと危険。だから私は家族に、どんなに嫌がられようと「水分塩分摂って」と言い続けるのだ。もう、風物詩でいいよ涼しくなったら、もう言わない。去年目印に書いたことが自分の役に立ったので、とりあえず今年も書く。涼しくなったらまた、そう書きます(^_^)去年書いたことを見ると、「暑さ寒さも彼岸まで」はまだ有効らしい。ふーん。普通の一軒家である我が家では、居室はエアコンで冷やせても、それ以外は暑いとグチっていたら、断熱材がちゃんとしてれば、もっと涼しいんだけどねとダンナちゃんが言う。これから建てる家は、いろんな工夫がされることだろう。それより、こんな真夏に大工さんたちが屋外でお仕事しなくてすむようになってるといいよね。異常な暑さはみんなわかってることなんだから、都合を合わせればいいじゃん。まあきっと、私が知らないだけで、進歩しているに違いない。そういえば、最近九州から関東に引っ越してきた職員さんが言うには「うちの小学5年の子どもが、さいたまの小学校には部活がなくてかなしい」と言ってると。「は? そちらでは、小学校にも部活があるの?」「クラブと両方あるんだよ〜」私の知る限り、このあたりの小学校では週に一度くらいのクラブ活動があるだけで、「部活動」というのは、中学校から始まるものだ。そんなの、場所によって違うなら部活動の地域移行なんて、全然、各地域ごとにすりゃいいだけの話だよね。う〜ん、しかし、授業を担当する教員が部活指導もするのは大変過ぎるというのは、全国共通なんだな、きっと。全国の先生方を思いっきりごちゃまぜにして交流したらおもしろい話が聞けそうだけど、そんなヒマはないね、知ってる、ごめん。書きたいことは、この暑さの中を無事に出かけて元気に帰ってくる子どもたちはそれだけでエライよ?もちろん、働くみなさんもエライし、食中毒も起こさずに、家族のご飯を作っているおかあさんたちもエライし、みんなみんなエライんだよ(^_^)ほんとよ。暑くてイライラするけど、涼しくなるまで耐えようね。クーラーからクーラーを渡り歩いて(それは、わたしw)
2026年07月20日
コメント(0)
![]()
本気で雑談します。前回書いたヘミングウェイの「老人と海」のペーパーバック、今も入手できるものだろうかとしらべたら、同じ表紙のペーパーバックを楽天で見つけました。そう、まさにこれ。OLD MAN AND THE SEA,THE(A) [ ERNEST HEMINGWAY ]私の手元にある本は、2004年発行のものですけど。楽天ブックスで在庫1になってて、自力で翻訳しようと試みている方のレビューがついてました。短編で、うっすい本なので、頑張ればいけそうよ(^_^)。スペンサー・トレイシー主演の映画もよかったですね。大魚と老人の描写は苦労したことと思います。まだ読んでないんですけど、めくった感じでは原作をそのまま映画にしているっぽいですね。独りぼっちの老人と、彼を慕う少年の交流が微笑ましい。こんなふうに年をとっていけたらね(いやいや、相当偏屈よ?w 頑固一徹かな?)私が短大を出て、会社員になったあと3年で辞めて1年間、自宅で英日翻訳の勉強をしていたことは書きましたっけ?最近は書いてないよな。通信教育で勉強していて、それを終えた時点で、仕事として成り立つレベルでなければ、次の仕事を始めるという条件で、実家に置いてもらいました。1年間夏休みみたいなもので、本はたくさん読みました。でもね、結論としては、文章を書くには、私には人生経験自体が圧倒的に足りなかった。語り手が10代女子の課題英文だけは、評価良かったですよ、そりゃ。少女の話し言葉なんて、あたりまえに書けますからね。でも、機械とか車とか、産業翻訳分野の文章は全然わからないし、書けなかった。そもそもあのころ需要があったのが産業翻訳と呼ばれる分野でしたから、私にその翻訳の仕事はとうていできなかった。たぶん今は、AI翻訳ができたから、まったく需要ないんじゃない?(その言い方は、とんでもなく冷たいよ?)ええ、異言語間の翻訳(言葉の置き換え)はAIにまかせていいと思います。それで用が足りるなら十分だ。ただし、文芸は、AIに小説を書かせていいのかって話がありますけど、人間の書く文章と、コンピュータが過去の膨大な記録からつなぎ合わせた文章を「同じ」と考えるなら、それでいいんじゃないですか?そのふたつが同じと考える人しかいなくなるならそれは、フツーに、文学の敗北だよね。誰かに強制できることじゃないんだよ。「あなたはそれを文学と考えてはいけない」なんて。ものによっては、おもしろいものができるんじゃないですかね。大河小説みたいなものとか、量で勝負!なら、AIは強いよお?「失われた時を求めて」みたいなのできそうじゃない?←プルーストに怒られるぞ。書けるヒトがいるだけじゃダメだ。楽しんで読めるヒトもいないとね、両方で高みに上がっていかないとダメなんだよ。そうやって残るのは、職人技だよね(^_^)。みんな何かの職人になればいいんじゃない?(無責任な言い草)で、「老人と海」ね、漁のお話なので、船まわりとか、漁業関係の知識がないとうまく訳せないんですよ。辞書をひいただけじゃ不自然な日本語になる。文芸翻訳ではそれがあらゆる分野で起きるわけです。だから翻訳者には、さまざまな境遇を生きて体験することが必要(あくまでも理想)ってことだよね。わからなくても、辞書の知識でそれらしいことを書くことはできるだろうけど、私にはそんな一時しのぎを、人生をかけて続けていきたい気持ちはなかった。(今はネットが発達して、いろんなことを動画でみたり、実際に体験することもできるから、昔とは全然違うと思うよ。)私は、私自身の人生を生きて、自分に書けることを書けばいいよ。そう考えたのが、23歳のときだね、今のクマと同じだ。「メキシコ湾流」はGulf Streamですね。もうずっと地理に弱いのでgulfが湾なのは、わかる、streamが海流なのもわかる。でもGulf Streamがメキシコ湾流のことだよ?というのは、知らないの、単純に。そしてAIは、その情報を持ってるからね?当然。言葉の置き換えはできるでしょ?老人の心境や、少年の心境は「わかる」かなあ?「わかる(ヒトの心境を理解して文章に反映する)」ようにAIを作るのは、ヒトだからね?できるんじゃないの、できるといいね(^_^)本気でそう思ってる
2026年07月19日
コメント(0)
当初のタイトルは「あなたと無限おしゃべりたい」文法も、いろいろおかしいので、なるべくおかしくないように変えたつもり。でも、気持ちとしては、上のタイトル案に近いです。TVerでドラマの「セトウツミ」を観て、私もこんなふうに、いつまでも話し続けられる人たちに出会ってきたなあと考えたんです。つまらないことを深堀りして話し合って笑い転げて。学生時代も、社会人になってからも、話し相手をして一緒に笑い転げてくれる人たちがいた。私は、そのために生きているまである。楽しく話すために、正直だし、率直だ。嘘をついてとりつくろっていては、楽しい会話はできない。若者の「無敵化」については、さっきアマゾンの当該書籍のレビューを見てきて「年取った人が勝つルールのゲームが終わっただけ」と書いてる人に同意して納得しました。ほんとそうよね、同意!ちょっと待って。今、パリ同時テロ事件を扱った番組観てるんだけど、これも今どきの若者問題につながりそうだ。ちゃんと観ますわ。観たよ!うん、どう違うのかな?日本の若者は大丈夫って言えるのかな。その根拠は?調子にのって、今どき今どきってヒトゴトみたいに言ってられるのかな?ひとつ思い出したんです。クマが大学生になったとき「みんな、好きなことについてなら話したいはずだよ?聞かせて(^_^)」って言ってごらん?私は、散々聞いてきましたからね。育ってきたなかで、好きで夢中になってることが何かしらあっておかしくないって考えたんですね。だけど、当時のクマが言うには、マンガや映画やアニメ、「好き」とか「観た」って言ってもその理由は「みんな観てるから」だって言うんです。選ぶ理由が「みんな観てるから」だと、話すことがなくなっちゃうよね。すくなくともムズカシイ、そこからツッコむのは。責められてるように思う人も多いだろう。まあ、まだよく知らないクマにいきなり詳しく!って聞かれてもイヤだよな。そういうところで、バリア張っちゃう傾向はありそうですね(^_^)そこで「そんなの!?」とか「聞いたことないよ、なにそれw!」って言われたらイヤな気持ちになるもんね。彼らは、そう学習してきたんだよな、単純に。まあ、ですからクマにはそれ以上押し付けないで、放っておいても、そのうち、クマは他の子たちに頼られる存在になるでしょうから、とりあえず、授業に集中すれば?と話しました。友だち関係ですら、そんな感じですから、異性となると余計にメンドクサイと思いますよ?w 私個人の理想としては、いくらでも話し続けられるというのは重要ですね。恋人や結婚相手以前に、話ができる友だちにすらなれなくては、ムリです。今どき、どうなってますか? 私、高校時代、いつも靴箱にお手紙をいれてくれる女の子の友だちがいて、ノリノリでお返事書いてました。ステキな折り方たくさん知ってて、読んじゃうと開いて、戻せない(ソコツゆえ)から迷ったけど、でも読みたかったから、読んだ。そういう体験をうちの子たちにも、してほしかった。みんなが、自分の大好きを大事にして、語るための言葉を集めて育ってこなかったなら、それは残念だけど、まだまだ!先は長いのだ、みんな!そして子らも巣立ちかけの今、「それじゃわからない!」とか「伝わる表現を考えようか!?」とか苦手な日本語をきたえられる旦那ちゃんはかわいそうかな?感想を聞かれるのはあたりまえ、昔の記憶(実体験)を聞かれることも多い。脳のためには、いいんじゃないの?正直、今までも書いてきたように、私と旦那ちゃんの興味関心は全然かぶっていないので、あまり楽しいことではない。だからといって、私が今から株価だの世界経済について詳しくなって語ることのほうがよっぽどムリなので、なんとなくわかりやすそうなネットの記事などを読んで知ったかぶったりして、クマにツッコまれるのだ。(バレてーら)でもテレビで「老人と海」の映画をやってたら、そこにペーパーバック(原書)があるから取ってちょうだいなと言える人はそう多くないと思うんだけど。今めくったらネタバレだからとガマンしたよ(さっさと読みなさいよ。これ、いつ買ったんだっけな)案の定、脱線してますけど、私としては、若者たちの問題は、彼らだけの問題ではなくて、彼らを育てた、親、学校、社会全体の問題であると考えます。そして、その若者たちの傾向が、現代日本社会の存続をあやうくするものであると考えるなら(そんなに大げさな話じゃないって?w)対策すべきは、全体の傾向ですよね。いやもう、しっかり考えてから書けよ!だけど。考えます。今日は、おまつりだけど、蒸し暑いな。雨が降ってきたようです。停電こわい!エアコンが使えなくなるじゃん!?暑いのはイヤ。
2026年07月18日
コメント(0)
同じじゃねーか!?というツッコミも想定しつつ。念のために書いておくと、少し前に書いた「理解して、ぜひ有効活用してあげてください。」(7/8)のつづきです。若い人たちを「無敵世代」と呼ぶことは、ただ分断と対立を煽ることにしかならないんじゃないかという気持ちから書いています。言葉それ自体の違いを指摘するのは無駄だと思うし、ここからは、私の個人的な感覚の話になるので、あまり、みんなの役には立ちません。とりあえず、書けそうなことは、書いていきます。無敵って、こわいものがないこと(できないことは、ないこと)万能って、なんでもできること。同じかw 同じだな、ある意味。ただ、前にも書いたけど、犯罪をおかす人の「失うものが何もない状態」を「無敵」と呼んだひろゆきさんのセンスには「なるほどねえ」と頷いたんです。よくわかる。それとくらべてしまうと、若者のは無敵じゃないよね。別の言葉にしたほうがいいんじゃない?と単純に考えたのがひとつと、(そんなやぶれかぶれみたいなのと一緒にしないでよ〜)加えて、私はすでに外で働いていない期間が長いので、実際にその「無敵世代」と呼ばれる人たちの言動に迷惑や違和を感じたことがないんです。聞きたいなあ。どの辺が「無敵」と考えられる由縁なのかを。その本を読めって?w しかし要らぬ本は増やしたくないのだ。図書館に行けないと不便だな、あるよね、図書館に。イヤなのは、ある世代に一定のレッテルを貼ってワルグチを言って、スッキリ解決したつもりになることなんです。彼らの「問題」を考えることは、実は自分自身の問題に気付いて考えることなんだよ?(^_^)と思うんですね。そして年代的には、私の育てた子どもたちは、ドンピシャその世代だ。で、たぶん、母親の私がこのように常識知らずですから、たぶん彼らもそこそこ無敵w自分が正しいと考えることなら、相手が自分より年を取っていようが、エライ人だろうが、そう主張することでしょう。んん? たぶんクマなどは「おかあさんみたいにバカじゃないよ。ちゃんと要領は、わかってる」って言うだろうけど。ワンは意外と常識人だし、ネコは無敵というより、全てを超越してるので、もはやw 同世代でもそんな人もいるのよ。だから、うちの子たちのこと、と言うより、同世代の子どもたち(今は育った、大人に成り立てくらいの?)の事情を考えてみたい。疲れたから、また、別の日にしようかな(ヘタレ)今「ファーストクライ」を観ながら(聞きながら)書いてるんですけど、家を継ぐために、不妊治療を学ぼうとしている若い先生、いかにも、いかにもですね。親の期待に応えておけば問題ないし、自分のやりたいこととか別にないし、そのうちなんかわかるんじゃない?と思いながら、今できることをしてるんだよな。そんなのみんな一緒だと思うけどなあ、上の世代だって。なんで、自分は違うと思っちゃうんだろう?結局、そうやって誰かを下げることで自分を上げちゃってんじゃないのかなあ。それは、いやだなあ。「思い出補正」って最近のわかりやすい言葉があるじゃないですか。我々の若いときだって、思い出したら死にそうに恥ずかしいことだってあるよね。それを敢えて思い出して、今の若者とかつての若者を比べてみればいいじゃん。それをしちゃうと若者論なんて意味ないよなw テーマは、違うほうがいいかもね 元も子もないよw ふふふ。
2026年07月16日
コメント(0)
昨日の夕方、施設の職員さんが3番目のお子さんを連れてきていて、まだ1歳にもならないチビさんなんだけれど、おかあさんがその手を取って送迎車に乗る利用者さんたちに手を振ってお見送りをするのはいやがらない。別の職員さんが同じようにしようとしたら、少し怪訝そうに手を振り払った。それをみたあと、振り払われた職員さんに「小さいけど、意志がはっきりしているのね(^_^)」と話して、末っ子の特性かもしれんなと思ったんだけど、その職員さんも3人姉妹のおかあさんだから、「◯さんちは、どうだった?」と聞いたら「うちは、一番下の子は年が離れているから、そうでもなかった」と言う。「ああ、周りはみんな大人って感じね?」それも想像できる。うちはどうだったかと聞かれたので考えたら、うちはそもそも、下のふたりが年子なので、同事に赤ちゃんがふたりいたようなものだと話した。自分の目で見た光景をよく覚えている。まだハイハイしているころのクマが、超合金ロボに手を伸ばすのを「これはね? あぶないからね? ダメよ〜?」と1歳のネコスケが口調は優しく、しかしきっぱりと取り上げているのを見た。(お兄ちゃんだからね!教えてあげないとね(^_^))(自分も赤ちゃんだがなwとは思ったよ)超合金は渡さないけど、全身プラスチックでできてる分解できないガオゴッドを渡してあげていた。正しい!ヨダレはつくかもしれないけど、クマ自身は危なくはないのだ。超合金ロボを口に入れたら、クマがあぶない。あの頃はまだ、もうすぐ2歳になるくらいのネコスケだったけど、中身はずっと変わらない。何が危なくて、どれなら赤ちゃんに渡してあげてもいいのか、ちゃんとわかっていたのだ。小さい彼らにまかせておいても、心配はなかった。その光景をはっきり覚えているので、年子は、わるいことばかりじゃないよと言える。彼らはお互いを理解し合って育った。今でも、信頼しているし、心配もしている。兄弟っていいよな。ちなみに、もちろん全員、赤ちゃんを経て育ったので、いろんな記憶がある。まだベビーベッドで寝ているネコスケのオムツを変えていたらお腹の調子が悪かったネコのウンチをかぶってしまったことがあった。ひ〜!と思って、そばにいたワンに見せたら「あ〜〜〜」と悲しそうな顔をして同情してくれた。(まだコトバを話し始める前だ)あの顔も忘れない。きたながったり、いやがったりするよりも「かわいそう!」な顔だ。昔から優しい子だ。もう少し、年子について書くと、昔、子どもたちを連れて、スーパーの買った物を入れる台(サッカー台?だっけ?)にいたらそばにいたおかあさんに「双子さんですか?」と声をかけられた。「ん?年子なんですう(^_^)」「そうなんですね、うちは双子なんです」そこからしばらく、お互いに、そちらのほうが大変!いやいや、そちらこそ!とねぎらいあったことがあった。その後には、上のふたりが年子というおかあさんに、下が年子なんて大変、いや、上ふたり年子のほうが大変よ!とねぎらいあったこともある。いろんな人がいるんだよ(^_^)ホント。ネコスケを出産前に入院していたときには、となりのベッドのおかあさんが、男の子ふたりのおかあさん、3番目が生まれると思ったら、女の子のふたごだと、子どもが、いっきに4人に増えるのだと笑っていたっけ。大変!は自分のことしか考えていないと、自分ばっかりが大変な気持ちになるじゃん?だからといって、誰かと比べて「自分のほうがマシ、とか上」とか考えるのも意味がないよ。相対的じゃなくて、絶対的な幸福を実感できるようになろうぜ(^_^)何を書こうとしてたんだっけ?万能感か。だって、ヤヤコシイからさあ←結局メンドクサイ。少し立て直して、元気出してつづきを書きます。暑いですね。去年の日記を見てきたら、9月の初めには、朝のクーラーは必要なくなったと書いてありました。あと一ヶ月は、1日中クーラーが必要ですかね。故障がこわいな。ヨーロッパのエアコン普及率は25%だって。今の40度超の暑さをクーラーなしに過ごすなんて耐えられない。本来は自然の夏の暑さを人工的な機械なしに過ごせるのがいいことじゃないかとは考えます。でももう、どこも暑いんでしょ?ヨーロッパの人々は、ヨーロッパの北のほうに逃げたら?と単純に考えてしまうけど。科学技術に頼ることばかり考えなくてもいいかもしれない、ね? ぐるぐるキリがないな。
2026年07月15日
コメント(0)
どうでもいいといえば、どうでもいいことなんだけど、私の頭の中をわかってもらうために、書いておきます。ベテランと言うカタカナ言葉は英語のVeteran=退役軍人から生まれた日本語で、でも、日本語でベテランという言葉を退役軍人という意味で使う人はいないでしょ、いないよね?で、概念として「ベテラン」と言いたいとき、私は悩むのです。年取った、経験を積んだ、熟練した、熟達者という意味を表したいとき、ですね。少し前に、現役の教員の方々を説明したかったとき、困った末に「年取った」と書きました。ただ年を取っただけでは自動的に熟練しているとは言い切れないと考えています。(めんどくさいやつだな)言葉に、本来持っていなかった共通の概念が乗っていることを自覚して使いたい。他の人が使うときには「そういう意味も当然含んでいるんだな」と考えながら聞いています。同じように、ボランティアというカタカナ言葉は英語のVolunteer=志願兵から生まれた日本語で、なぜか(世の中の都合か、日本民族の特性か知らんが)無償労働という意味で使われるようになったらしい。志願兵って、つまり強要されるのではなく、「みずから進んでその仕事をすること」を表すために、意味が変わったんでしょうね。タダ働きのことじゃないのよ。それもあって私はずっと、「ボランティアはキライ(^_^)」と言ってきたんだけど、ある意味「タダ働きはキライ」ってことだ。つまり、本人の責任感としても、頼むほうの「得した」感にしても、問題があるよなあと思っていて、OA事務の派遣職で稼いでいた私に当然できることを、ただできるから、という理由で、PTA仕事に活かしてしまうのは、何か違うんじゃないかと違和感があった。PTA仕事なんて誰にでもできることじゃないとダメだ。以前ドラマ「幸せは食べて寝て待て」のなかに、土居志央梨さんが団地に越してきた若きイラストレーターの役で出てきて、いきなり、住民のオジサンに「絵描きさんか!いいね、お祭りのポスターを描いてよ!」と言われて困惑するというシーンがあったんだけれど、それに近いものがある。でも私の事務の経験なんてあんなふうに誇れるようなものではなくて、自分で考えてなんとかこなしてきたようなもので。それでよければ使ってください、くらいの話だ。私はまったくプロフェッショナルじゃないのよな、残念。何かできるようになるといいよね、死ぬまでに(^_^)プロおかあさんになりたかったけど、脳から血が出てダメになったか?いや、あきらめないぞw(そもそも、もう母親業は終わる時期だよ!知ってるw)上に書いた文章のポイントとしては、そのふたつの言葉は本来の意味とは変わっているよ?ということと、その意味を理解できているかい?ということです。ついでに、私のアホな話を書いておくと、テレビ番組の録画予約をするのに、深夜25時以降の時間を正しく理解できない。旦那ちゃんが丁寧に説明してくれることには、当日の深夜1時〜と書いてしまったら見たい人が日中に「もう終わってしまった・・・」となるでしょ?だから前日のつづきで、25時〜と表示するわけよ!と。「それはわかるけど!でも、◯日の25時って時間は現実に存在しないでしょ!?」現実に存在しない時間をわかれ!と言われてもむずかしい。便利のためってことだよね、それはわかるけど、なかには、それに乗ってけない性質の人だっているのだ。テレビ番組の最近の中途半端な時間割のおかげで、だいぶ混乱する。録画予約を、何度失敗したかわからない。(日にちを間違える)私が今、小中学生じゃなくてよかったよ。とてもうまくやって行ける自信はない。というような思い付いたことをうまく伝えるためにはどうしたらいいか、などと考えているので、私の頭は休まることがないのだ。もうすぐ夏休みだね。先生たちは長い夏休みがあっていいねという強固な誤解があるけど違いますよw お盆に強制的に年休を取らされるだけ、らしいよ(うちの子の職場は)子どもたちが学校にこないのはたしかだから、子どもたちみんなが楽しく充実した夏休みを過ごせますように。 二度とない時間だよ(^_^) おおらかにね
2026年07月13日
コメント(0)
ここ数年の強い日差しに、私が思ったこと。入院中で一日を空調の効いた建物のなかで過ごしていた私はいいけれどジリジリと照り付ける日光を今までどおり、直接浴びていたら、みんな具合が悪くなってしまう。適度な日光浴ではなくて、屋外での活動は禁止したほうがいいくらいの日差しだ。そこは、私なんかの『(時に過保護な)母親的感覚』じゃなくて、今や、気温や暑さ指数によって活動の目安が決められているのだから、ありがたい。ちなみに、それって、守ってる?(これは、あとで書きますね)病院からうちの子どもたちに「熱中症注意!」と何度も呼びかけて、水分、塩分とって!と。カンカン照りの中を長時間歩くことになるだろう当時まだ大学生のクマには「雨が降ったら傘をさすのと同じでお日様が降ったら、日傘をさせばいいよ?」と伝えた。軽量小型の日傘を調達したので、何度かはさしてくれたみたいだけど、やっぱりめんどくさいw 晴雨兼用日傘は、結局雨傘として使われることのほうが多かった。雨はぬれるけど、日光のダメージは目には見えないからね。でも、私には(母親には)突き刺さる日差しが見えるようだ、全身に、目にも、皮膚にも、振り付けてくる。ですからね、小学生の保護者のみなさんが、日傘はなんでダメなの?と言う不満な気持ちはよくわかります。雨なら傘をさすよねえ、お日様が降ったら日傘をさすよねえ。何もおかしくないよね。日傘を禁止する学校の言い分は、何だっけ?あぶない?地域の通行の迷惑?あまりお腹から理解・共感できていないので書けないけど、だいたいは、フツーの雨傘でも同じ事態が想定されることだった。そこの違いは何なんだよ!?と食い下がるつもりはない。要するに、子どもが安全に周囲の迷惑にならないように傘を使えればいいわけだ。学校的には、何か起きたときに「学校の指導・監督ができていないからだ、学校のせいだ!!」となることを避けたいのね(^_^)それはわかるけど、この場合、最優先すべきは、子どもの健康と安全だよね。日傘を禁止して、澄ましていていいわけがない。私も、もうすでに大人であるクマの日除け対策については、いまだに悩んでいる。まあ、大人のクマは、自分で考えて対策すりゃいいので真剣に考えてはいない。でも、私が今、小学生の親なら、どうするだろう。ちなみに、うちのクマ、小学生のときには、雨傘を何本ダメにしたかわからない。新しい傘をさして出かけて、家を出てすぐに、線路沿いのバラ線に引っ掛けているのを見たときには、かなしいやら、おかしいやら、やっぱり正直に書くと、笑ってしまった。雨傘はもはや消耗品だから、なるべく安いものを使い倒すことにしていた。気にいったものなら大事にするだろう、と大人は期待するだろうが、物を壊すのは、子ども自身の性質によるものだから、わざとではなく、フツーに機嫌よく過ごしていても、壊れてしまっているだけだ。こんなことは、出来のいい人には想像できないだろうけど、小学生のときには、雨傘を引きずって歩いて傘の先が真っ平らになっていた私にはよくわかる。身体が小さいから引きずる。やめろと言われてもそういうふうにしか歩けない。もちろん、母には散々叱られた。わるいとは思うよ、そりゃ。でも、できないときには、できないんだよ(^_^)でも大きくなればできる。だから、おとなにできるのは、子どもにブチキレないで冷静に忍耐強くひたすら言い聞かせることだ。特に厳しく言い聞かせなくてはいけないのは、傘はおもちゃでも武器でもないので、他人に向かって振りまわしてはいけない。それだけでは?さし方がヘタでびしょびしょになって帰ってきても、傘の骨が折れてしまってみっともなくても、本人が無事で、誰かに危害を加えていなければ上出来だ!(^_^)よくやった!ちゃんと帰ってきてエラかったね!だよ?最初から大人と同じようにできる子どもなんていないし(ときどきいるけどさ、ものごとの原理を理解している賢い子か、おとなの言うことなら何がなんでも守る習慣のある子だ。後者は大人になってからが、ちと心配)おとなになっても、ぬれた傘の扱いがしっかりできなくて周囲に迷惑をかけたり、持ち方のあぶない人もいるし、どこかの時点で学ばなければそのままだ。大人になったらわざわざ教えてくれる人もいないし、反省して学ぶ人も少ないだろう。子どものあいだに教えてもらってたくさん失敗してできるようにしておけばいいじゃん(^_^)うん、うん。ちなみにすれちがうときに、かさを傾けて当たらないようにする行為は「江戸仕草」なんだって(^_^)粋(イキ)だね。そうしないとぶつかるもんね?傘嫌い、傘苦手には、パーカーとかマント型の日よけがいいんじゃない?レインコートみたいな?冷感の、暑くないやつ。目も守りたい。新しいスタンダードにすりゃいいんだよ。なんにしても、今現在は上手に傘を使えない子どもも困らないものを用意してあげられるといいよね(^_^)。何かの商売になるんじゃなあい?なんならもうあるでしょ。小学生のころ、「私が大人になるころには、雨傘とか踏切とか、原始的なものは消滅して便利なものができてるにちがいない」と思ってました。頭の上に布を広げて、水にぬれるのを防ぐなんて、棒で電車の前に人が出るのを防ぐなんて原始的極まりないと思ったし。でもまだフツーにあるよね?(^_^)おかしいなあ。余裕がないんだなあ、すべてにおいて。それじゃ最初に書いたことに戻ります。部活動の暑さ指数による活動目安があると思うんですけど、屋外競技は、気温ですね?体育館競技は暑さ指数になります。だから、当然、体育館には、それを計る道具があるんだろうと思っていたらクマがある日「WBGTのわかる温湿度計が欲しいんだよね〜買おうと思って」「出た!教員の自腹w」そもそもないの?去年までどうしてた?安全基準があるなら、部活の数だけ支給されててもいいと思うけど?「そうか、クマは、私物にしようと思ってるんだね?だから自分で買う」それをあたりまえにしてしまうと、続く代に迷惑なので、困らないように考えていきましょう!そして計ってみたら、運動は危険レベル。合法的に、暑い体育館での部活はできない、ということになりました。するなら、冷房のきく部屋で、と。合理的じゃん!根性論反対(^_^)理屈だけで実行してなかったら意味ないし。クマ、賢いわ。小学生のときにつぶれなくてよかったよ(^_^)自分の生命も子どもたちの生命も、守る努力ができている。全国の先生たちにもエールを送るよ。落ち着いてね、やけにならないでね(^_^)子どもたちの未来を応援できる価値あるお仕事ですぞありがとう。
2026年07月11日
コメント(0)
中学校の新人教員であるうちの末っ子のクマが、ちょくちょくお野菜を持ち帰ってくる🍅受け持ちの生徒たちと作った野菜は、ハートや星の形をつけたキュウリとか、子どもが喜びそうなものだったりして、自分の手で育てた野菜が実際に家族の食料になるという体験は貴重なものと考えている。手作りは美味しいし!彼は社会科の教員なので、普通クラスではなくて、特支の少人数クラスで野菜作りをしているらしい。いいことだ。特別支援学級の指導なんてクマにできるのか?と少し心配したけど、どんな人も最初は初心者だ。それなら、大学を出たてのいかにも新人らしいクマは「教えてください!一緒に成長しよう!」という姿勢で向かえるだろう。自分でさらに参考書籍を取り寄せて勉強していた。あとは、現場での経験だよね(^_^)あなたは今、やっと経験を積み始めたところなんだよ、というのは私がこの一学期にクマに話したこと。「そんなの、言われなくても、わかってるよ!」と言い返さないのは、少しおとなになったってことか。それはともかく、キュウリやトマト以外にもじゃがいもがごろごろ転がっていたり、エダマメがあったり、これは、自分たちで作ったんじゃないのでは?という野菜も持ち帰ってくる。部屋にそのまま放っておいてもしかたないので、回収して冷蔵庫に避難して「このお野菜は食べてしまっていいのか?」とたずねると、いま料理を担当しているおとうさんに丸投げするのではなく、自分でも何か作ってみようとか、美味しくいたたくための下処理をしようとか、考えていたらしい。さすが食いしん坊。しかし毎日忙しすぎる。じゃがいもは、ただ加熱して、塩や、バターで食べても美味しいよね。そんな知識は当然持っている。「美味しい」をともに経験してきてよかったよ(^_^)それらのお野菜は、その地域の「学校応援団」の方が差し入れてくださったものだと「先生、これ食べて元気出してね!」といただいたらしい。(「おばあちゃんに好かれているw」と笑っていた)ありがたいことだ。心底嬉しい(^_^) 私たちの目の届かないところでも、クマが地域の方に可愛がっていただけるなんて、こんなに安心できることはない。しみじみありがたい。若い人みんなに、そうであってほしいんだよ。意味のないファイティングポーズはやめなよ、大丈夫!みんな敵じゃないよ!鏡みたいなものだよね。善意には善意が、悪意には悪意が返ってくるだけなんだよ。私は、ただの鏡じゃなくて、真実をうつす鏡になりたいよ(^_^)そして、「ねえ、いただきものをしたら、お礼をしたいのが昭和の人なんだけどたぶんクマが元気で教員を続けるのがお礼になると思うのよ?頑張ろうね(^_^)」「そうねー」そもそも、いただいても問題ないものなのか?というのを気にしていたらいただいたその足で教頭先生のところに「これは、もらってもいいんですか?」と報告と確認に行ったらしい。エライぞ、クマ。黙ってちゃいけないな。なんでも、周りに伝えなさいね、感じよく、ね。人生はずっと、経験と学びだね(^_^)
2026年07月09日
コメント(0)
先日書いた「それは、誰のためになるのか。」(6/24)のつづき。どうにも気持ち悪くて、すっきりしないので、考えつづけています。善意でどうにかこうにかなんとか回る現場にあるのは「システムエラー」であって、頑張って回してきた教員のみなさんが、わるいわけではないんですよというのは、たぶん金間先生のお話? あれこれ見てまわったので、正確なところがわからなくなってしまった。旧世代対新世代の対立構造にして、単純に、「若者」がよろしくない!という流れにしないなら、じゃあ、反省すべきは「旧世代」ってことになりますから、非難の矛先が変わるだけで、それは、避けたいんですよね?同じ、同じ(^_^)そんなんムダ。うん、で、どっちがよろしくないという考え方はやめるとして、やっぱり私は、「教育現場の崩壊」を懸念する現役教員のみなさんが、当然よかれと思ってやってきたことを若い世代が「できるようになる」ことを推し進める必要は、まったくないと思っていて、感情労働だか滅私奉公だかの理念を受け入れて、現場の「システムエラー」を力わざでなんとかしようなんてことをうちの子に強いるのはお願いだからやめてくれよな!としか思えんのよw 合理的なのは、わるいことじゃないよ?そもそも! 周りに合わせて同じように苦労するのが立派な大人ってことなんですかね。そんなのは、昭和育ちの私だってイヤですけどね!そんなことを強要しなくても回る現場にすりゃいいじゃないですか。私自身は教員になるには学力も体力も足りなかったから、子どもを3人育てることしかできなかったけど、その、「今どきの若者はこんな感じですよ」と現に言われている世代を育てたのは、どの世代の先生方なんですか?その世代の親も先生たちも、今と変わらないのでない?大差ないでしょ。うちの子の経験から言うと、末っ子クマの小学校の担任の先生方の印象は、母親の私の考え(日ごろ書いてるとおり)とかみ合わないのは、学校生活を失敗なくうまくこなしてきた人たちって感じだった。失敗するクマの気持ちも事情もわからないし、学校の先生ってデキのいい人がなるんだなと実感させる人が多かった。いや、若い先生たちね(^_^)。ベテランのおかあさん先生たちは違うよ? 全然。だから、そのころの若い先生方を育てた世代、世の中の頃からもう今と同じなんだよ、簡単に「今どきの」とは言えないんだよ?と実感している。クマには「失敗をたくさんしたクマみたいな人が学校の先生になったほうがいいんじゃない?」と話したのが、彼が小学生のとき。だから彼は、学校の先生の仕事が、勉強を教えることだけ、とか子どもが失敗しないように先回りすることだ、とも考えていない(と思う)勉強は、システマチックに苦労しないで知力を上げる技術を研究すればそのうち定番の方法ができるだろう。(つか、なんでいまだにできないのお?w これは、なんで100点とれないの?と同じく無神経な発言か?)それについても書こうか?w 私が何か言ってもエビデンスがないから役に立たないな。今の時点で、思い付いたことを書いておくと、世代でわけるなら、IT機器の普及とその影響のほうがわかりやすいんじゃないかなと、会社員になったと同時期にWindowsが普及した私は、実体験から考えますよ?ワードやエクセルをあたりまえに使いこなしてきた世代とそれ以外じゃ(合理性についての)考え方に違いがあってもおかしくない。その普及を目の当たりにした世代と、もともとある世代=スマホネイティブでも違うよね。ぼんやりとした年代でわけるよりわかりやすくないか?(はっきりいつから〜がわかるし)ムダをなくしてめっちゃ合理的に作業できるわけよ!全然!Windowsがなかった時代も当然知ってるよ?そして、手書き、手計算にもそれはそれで、意味があると思ってる。アナログな帳面・帳簿にもね(^_^)以前、幼稚園のPTA仕事で、年度初めに全園児家庭に行事手伝いを割り振るという作業があって、結婚前に職場でエクセルを使いこなしていた私が、なるべく正確に速くなおかつ引き継ぐ人たちも困らないように、と考えた方法を実行に移そうとしたとき、心配したのは、前の世代が「ともに苦労する」ことに重きをおいていることを察して。私にとっては、「いらぬ苦労」でしかないけど、その苦労を大切に思っている人もいるんだよなと思いついて。⇧の発想は、まるで「今どきの若者」のようですよね。まあ、その「心配」すらしないってことでしょ?つまり。経験した仕事がマニュアルの校正と営業さんの手伝いだったから、まさに、役に立ったんだけどね(^_^) 何でもやっておくもんだよ。タイトルにつなげないといけない。つまり、自分たちと同じようにできない世代を、「できない」のではなく「しない」のだと理解して、そこにどんなメリットがあるかを考えるのは、現役教員のみなさんには簡単なことではないかと思うんですよ(^_^)そうすれば、明日につないでいけます。そのむかし、一つ目の職場を辞めるときに30代の上司に「あんまりぎすぎすしないほうがいいよ〜」とアドバイスみたいなことを言われて「はん!生意気な小娘ひとり、うまく使えばいいだけの話じゃないか」と心のなかで悪態をついたのが私です。30年経っても発想は変わってないのね。言い方には気をつけるようになったよ。あとは、今どきの若者のは、無敵感じゃなくて、万能感だよね?(^_^)という話を別の日に書きます。同じだって?違うんだよなあ、これが。その万能感の出どころについて考えたことを書く予定。VIVANTをオススメしてふたり視聴者を増やしたぞ(^_^)地道。
2026年07月08日
コメント(0)
施設では季節の飾り付けで笹と短冊の🎋七夕飾りも作るのだけれど、去年の私の願いごとは「温暖化がとまりますように」だった。今年も「はい、願いごとを書いてね」と渡されたけれど、「・・・・」ちょっと待てよ、ねえ。七夕のお願いって誰にするのお?ネットで調べれば七夕の由来は簡単にわかります。なるほどね、だけど、時代が変われば、人々の願うことだってかわるよねwどうりで、トンチンカンなことになるわけだ。(いや、おばあちゃんに「旅行に行きたい」でもなんでもいいよ!って言ってるからさ、職員さんが)お願いをするって、生きる意欲と結びついてるよね(^_^)どうでもいいって思っちゃいけないのよな(思ってないよ(^_^))誰に願うのかね、お星さまかな?(調べてね!)星に願うなら私は、星からの視点で考えようかな、これだな。「地球人が 戦争をやめますように」個人的な望みは自分で叶えるから、誰かにお願いしようと考えたことはない。受験の神頼みもしない、それより勉強しなよ。星に願うなら、自分じゃどうしょうもないことだ。いや?どうしようもないか?地球上の誰かが始めたことだ。どうしようもないはずがない、よなあ?うん、先日、AIの軍事利用の話題をテレビで観てつまり、例によって、忖度しないAIは、計算上いちばん効果的と判断したらためらいなく、核兵器を使うだろうと。そりゃそうだよね。だからそんなこと(戦争)にAIを使ってはいけないのは、あたりまえ。なんだろう、理屈としては、被害を最小限に収めるため、とか言うのかなあ?コンピュータやドローン、無人機を使って、どんどん実感から離れたところで人間が殺されていくことになる。それを許すならヒトはわかりやすくバカだ。そうやって、自暴自棄になったような、この星全体を巻き込んだ無理心中に巻き込まれるのはごめんだ、と未来の地球人のためにも怒るよ。うん、でも、未来の地球人は今より、きっともっとずっと賢いんだ(^_^)と思ってる。まあ、考えの足らないヒトはいつの時代にもいるし、今だって必死で止めないと「どうにでもなれ」ってスイッチを押してしまうヒトがいてもおかしくない。いやだな、やめてよね。それはともかく。「銀河の一票」最終回で、日山流星候補の演説を聞くために集まった人たちが次々にスマホのライトをかざして、私たちは、ひとりひとりが銀河を構成する光なんだ!という表現があったのだけれど、ちょっと待てよ?これ、どこかで見たなあ、と考えたら風さんのパナスタライブの「grace」でしたね。あのとき、あの曲のスマホ録画がゆるされたとのことで、たくさんの人がその光景をネットに上げてくれて、私も見ることができました。とってもきれいだったし、あそこに参加できた人たちは、自分がひとつの光であることを実感されたのでは?久しぶりにあのライブを観たいなあ。あの様子は、公式にはないんですねえ。←探してきた。Blu-rayは手元にある、日記にも書いた。まあ、あの曲が風さんのひとつの到達点になったのはよくわかる。この時期、空を見上げたり、蛍が飛ぶのを見たり、自然の光の美しさにあらためて気付きますね。私は基本的になんでも花より団子だけど。台風はこわい、でも、稲光もきれいっちゃきれいよね。「銀河の一票」のぶっとばし蛍(シシド・カフカさん)もキャラクターとしてとっても魅力的だった。全員スピンオフドラマが観たいくらいですね(まだまだ書くよ!w)空を見上げて地球を見下ろす雑談でした。 ありがとう(^_^)
2026年07月06日
コメント(0)
まとめというか、これで最後。つまり、あんまり観てないんだね、今期(^_^)そしてタイトルは、ほんとは「つくり話s」にしたい、複数形ね。日本語って、その表現方法がなくて、ちと不便(わがまま)以前考えたのは「つくり話たち」とか?もうやめよう。そもそも、映画「エリン・ブロコビッチ」を観ていて、「これは、『きれいな』実話なんだよなあ」と考えたのがきっかけ。「きれいな」というのは、ご存知「銀河の一票」中で野呂佳代さんの演じるあかりさんのセリフ「きれいごとじゃない、きれいな、ことだよ」から、いわゆる「正義の味方」的な行動のことを説明したいとき、最近私が使うことばです。ありがとう、ぴったりの表現を教えてくれて。映画のエリンは、大企業を相手に、隠蔽されてきた水質汚染の被害を暴露・証明して、史上最大の賠償金を勝ち取った、弁護士事務所スタッフ(=弁護士でもない、必死に生活する3人の子を育てるシングルマザー)この映画がもともと好きで、まあ、痛快だけど、今の日本の訴訟文化というか責任追及モードというのは、そのアメリカの訴訟文化の影響を受けているんじゃないかと常々思っていて、よしあしだとは思うけど、映画自体はシンプルにおもしろい。エリンの品のないところが好きw 魅力的な女性の、それを自覚した上での下ネタに笑いころげてしまうので(いやね、と眉をひそめたりしない、大笑いだ。オジサンのそれはキライ←偏見か?)まわりの人たちは喜んでくれる。そう、大企業が隠蔽してきたことのせいで、自身が病気になったり、家族を亡くした人たちのために立ち向かう、という役どころが、ジュリア・ロバート演じるエリン・ブロコビッチなんですよね。でも彼女が完璧でないところがいいところです。品も知性もない、色気と頭を使って情報を手に入れる。でも、虐げられた人たちに親身に寄り添うことができるのね(^_^)なんの感想を、書いてんだよ!?wそう、だから、映画「エリン・ブロコビッチ」は、実話ベースで「銀河の一票」がおもしろければおもしろいほど、これが「つくり話」であることが残念に思えてきた。あかりさんみたいに困ってる人を助けたい人や、実は「せかいぜんたいの幸福」を願っている政党幹事長やその後継者が実在したらいいよね。きれいなことに協力して報酬度外視で伴走してくれる正義のYouTuberがいたらいいよね。でもあれは、つくられたお話だからさ。まあ、お話としては、最終的に、マツリさん(黒木華さん)をクビにしたお父さんがわかりやすく味方になってくれたらなと思ったけど結末としては、そんな感じか?←テキトーすぎる。(もともと、そうだった、流れだね)観てくださいね、気になったら(^_^)最初の回は見逃したのでTVerで観て、2回目からは、TVで観ました。途中から録画したデータを残してる。何度も観たかった。おもしろいドラマだよね!そして役に立つ。気付いたことを書いておきます。第7話「出馬表明会見〜わたしの10年と彼女の10年」あかりさんが養護教員時代に関わった不登校生徒に起きたできごとと、その後のあかりさんを描いたお話。あのお話を観た方の「誰も間違ってない」という感想をいくつか見かけました。そう思えることは貴重。たいていどちらかに感情移入して、他方をワルモノ扱いするからね?「誰も間違ってない」のに、対立構造になるのは。なぜか。子どもをはさんで、お互いを「わかってない」と敵視しちゃいけない。無意味!子どもをなんとかしたいのは、親も学校も一緒。どちらの立場から書こうか。保護者かな。問題なく学校に通ってくれたら、心配ないのに。勉強は、先生が教えてくれたら苦労しないのに。なんでうちの子が学校に行けないことを肯定して「保健室にきて、人形づくりしてていいよ」なんて言うんだよ!ひとの気も知らないで!だよね?うん、先生がわるいみたいだ。違うんだよな。先生も、子どものことを考えている。だから。本人が追い詰められないように、「今は」とりあえずできることをしてその場をしのごうよって思うんだよ、だけど、それは子どもの将来に責任を持てる人の考えることで、それを伝えるためには、先生は自分が生徒本人だけでなく、おかあさんの味方でもあることを、わかってもらわないといけない。(もちろん、それを自覚しなくちゃいけないよ?)子どもの味方はできても、親の味方はできないかな?子どもを挟んだ対立構造なんてムダの極み!私はもはや、みんなのおばあちゃんくらいの心境だから、そんな感じだよ。すべてに関して、「困っていること」を聞く姿勢の政治家がいたらいいねと思うけど。あら?いなかったかしら?ノート持ち歩いてる人。たしか、いたわよね(^_^)「きれいごと」を冷笑しない世の中にするのは、すぐにはむずかしいかもしれない。でも、あと50年もすれば変わってくるよ、きっと。よくもわるくもたしかに変わっていくんだよ、それはここ40年くらいを見てきた実感だ。心配しているのは、そもそも続いていくのかってことだ。←こればっかりwひとつの回をとっても書きたいことがたくさん浮かぶので、たしかに観る価値のあるドラマだと考えます。後半からは、声優さんたちが大活躍でしたね。日高のり子さんとかズルイよ!って言いながら観ました。みんな大好きだよね(^_^)長くなるのでまとめます。おもしろかった。主題歌もよかった!「おーへい」ね。oh. heyなのか横柄なのか、これねえ、歌詞読んでも意図がはっきりわからないところがいいですね。はっきりした意図はないのでない?曲調、ファンクだから、とにかく語呂だよね、それこそ、メロディに気持ちよく乗るちょうどいい言葉が選ばれてる、すばらしい。「おーへい」政治家さんたちに聞いて欲しいなあ。60.70代くらいの、かつての音楽青年たちいると思うよ?あんなふうに軽快に、きれいなことを考えて、していこうよ(^_^)!ああ、そして、もうひとつのきれいなつくり話、「VIVANT」第一シーズン、テレビでの再放送もまた飽きずに観ています。どのように「きれい」かは観て確認してください。VIVANTを形容するのにきれいな話と言う人もいないかもしれないけど、そういう意味では、「豊臣兄弟!」もなるべく流血を避けながらみんなのよく知る歴史を題材にしたきれいに描きたいドラマですね(^_^)。とりあえず共通認識としての理想をかかげたい私は「きれいなつくり話」が好きなんだよな、つまり。 おもしろかった、ありがとう(^_^)
2026年07月04日
コメント(0)
![]()
これは好きだろう、これは喜ぶだろうなと想像できるものをあれこれ揃えて贈るのが好きです。身体が不自由になって、自分で好きに動き回ることができなくなっても時間をかけて、できるだけ計画的に揃えて送るようにしています。かつては妹に、今は子どもたちそれぞれに。特に一人暮らしのネコスケには、食料を送るついでにこれは好きそうだと思うものを、何かプレゼントしてもいい機会を逃さず自分が好きで、ネコもきっと好きに違いないものを贈ります。⇧これが、旦那ちゃんには理解できない。「本人が欲しがってもいないものをムリヤリ贈りつけるのは、ヤメロ」と血も涙もないことを言ってやめさせようとするのですね。ネコと私が趣味を共有していることを理解できないのだな、残念。3兄弟と私は、彼らが家を出るまで、楽しいこと、おもしろいものを一緒に集めてきました。物理的にも、心理的にも。それは残念なことに、私と旦那ちゃんの結びつきよりもずっと強いつながりで、一朝一夕に成り立つものではないのです。1年生のころのワンの欲しい食玩を揃えるために、近所のスーパーを一緒にまわって探し歩いたり、「あれ、いいよねえ!わかる!」というやりとりを育つ過程で重ねてきた。そして、彼らはものを大切にする。両親がすっかり忘れ去っているようなものの存在もしっかり覚えていて、たしかここに、と雑誌の付録の小冊子を探して本棚をひっくりかえしたりしている、いまだに。たしかに、そこにあったよね(^_^)。でも、いまはないんだよ、お父さんがしまいこんでしまった。狭い範囲を片付けて、きっちり管理して把握したいのが旦那ちゃんで、私たちは、広い範囲でも、だいたい、この辺には、これと大ざっぱに把握している。先日、勤務先の中学校の体育祭応援で使いたいから!と「どこかに、ワドルディのぬいぐるみがあったよね?」とクマが言い出したときは「たしかにあったけど、おとうさんがどこにしまったかしらね」「ヨッシーもいるか?」「なぜ?カービィの仲間だから、いるんだよ?」ゲームキャラの種類の区別がつかないのは大人らしいな、あのヒト。逆におかあさんはわかっててあたりまえだから、下手に間違えると文句を言われる。ゲーム仲間扱いだ、ありがたいことに、競ってきたからね。そして、私がハナからクリアする気もないいわゆるクソゲーも、クリアした形跡がある。「誰!?このクソゲーをクリアしたのは?ワン?すごいな、あの子。ヒマなのかな?」ものを大事にするのはいいことです。まとめとしては、例によって「おかあさんは、ネコのいらないものを送りつけて迷惑でしょ?鳥なんていらないよねえ」とネコスケの機嫌をとるつもりで聞いた旦那ちゃんが、ネコスケに「うん? いや、鳥はいるよ!」と思いっきり言われていて私が溜飲を下げたという話。ほら見ろ! 鳥はいるんだよ、あたしだって欲しいよ。あなたには死んでもわからないわ、残念。鳥って、ハンサのリアルフィギュアのことね。ハンサ【HANSA】ぬいぐるみ スズメ10cm すずめ 雀 小鳥 オーストラリア ブランド hansa かわいい 映える 開店祝い 内祝い 誕生日祝いこのコね。なんなら何羽も欲しいよね。抑えるけど。本物も好きなんだよ。それを書いておきたかった。おまけ;いつも音楽の話をしてくれる療法士さんが、こないだ病院に行ったときにはニアミスで「しかたない。話したいことをまとめておきます」と言っていて、なんだか切ないお仕事中。伝えてもらえるようにメールアドレスを伝えておこうか。でも私にそんな習慣はないのだ。風さんが参加するサチモスのライブも行きたいと言っていたけど、昨日、今日かな?入手困難だったみたいですね。その顛末も聞かないとな(^_^)子どもたちに、私の代わりになる人が現れるのを待つよりも、彼らが私の代わりになればいいんじゃん!意見が合わなくても「おもしろいね、それ、なんでそう思うの?おしえて」って聞ければいいんだ。彼らならできる(^_^) みんなそうならいいよね♪銀河の一票の感想も書かないとね。
2026年07月02日
コメント(0)
前の日記の内容も考えているし、サッカーも観ているし、いろんなことが同時進行で頭のなかにひしめいている。事故注意。その前に、春のドラマ感想から考えていることを書いてしまおうかな。TBS金曜の放送だった「田鎖ブラザーズ」を観てから考えていること。以前すこし書きました。日記タイトルに入ってる←自分で調べろって。最近の刑事さんのお仕事というのは、ひたすらドラレコを集めてチェックしたり、車の持ち主を突き止めて車の状態を確認したり、とにかく地道で地味な仕事になっていますか?昔からか。そもそも、私たち昭和世代の刑事の仕事の印象は、ドラマに引っ張られ過ぎだった。「太陽に吠えろ」とか「西部警察」とか〜そのあともたくさんありますね(^_^)お仕事ドラマの影響って大きいよね、それをはっきり自覚してつくれるようになった今はいい時代だと思います。こんなのないだろ!ってツッコめるようになったし。それでいいと思う。つくる人たちは、ツッコミを考慮してくださいね。しかし、このドラマの結末には納得しなかった人も多いようですね。それ(納得しない人がいる、または多いこと)がわかればいいんでしょ。意味がある。みんなが納得する結末なんてないさ。いろんな人がいる、それがわかれば十分だ。私は、自分自身が、なんとしても仕返しをしたい、と思い詰めるような目に合っていないので、復讐を思いつめる気持ちは正直、わかりません。想像はできる。だし、同じ目に合わせればようやく納得できるという考えも理解できる。でもたぶん結局、私は代わりに復讐したいと思わないんじゃないかなあ。自分の気持ちが、誰かの行末に左右されるものじゃないと考えているから。問題は、自分が罰を与えないと、誰かの無念が晴らされないと考えてしまっている時。だれかのカタキ!って考えちゃうと、当然、懲らしめを与えたくなるよね。少なくとも、正しい法的な懲らしめを受けてくれと思うし、それすらすり抜けていると考えたらガマンできないよね、その納得いかない気持ちはよくわかる。ただね、あのドラマや、現実のニュースを観て考えたんだけど、自分が「したくない」と思うことはしなくていいですよ(^_^)罰を与えるのが道理!その道理って誰かに強制されていることではないし、気持ちの問題だよね。亡くなった人が戻ってきて訴えているわけでもないし、なくなった人の気持ちになって無念を晴らさなきゃって考えるだけで、それは想像でしかない。(すごく薄情なことを言っている自覚はある)もちろん、最近立て続いた若者たちの、相手を人間とも考えていないような所業は、どうしたらそうなるのかと心底疑問なんだけど、自分に直接関係ないからか、どうしても、加害者たちの育ってきた環境が気になって仕方ないんだよ。あなたたちの想像力は、どうしたの!?自分に、自分を大切に思ってくれる人がいる実感があれば、できないよね、できることじゃない。考えたくないわ、正直。誰かに大切に思われている実感を持てていないから案の定、無敵な気持ちなんじゃないの?守るものがない。闇バイトの指示役で逮捕された若夫婦の連れてた七ヶ月の赤ちゃん、どうなってる?心配だな。赤ちゃんを育てなくちゃいけない状況で、犯罪に手を出すことを考えるなんて、どれだけ環境に恵まれていないんだろう。まったく関係ないのに、あの子の行く末を考えてしまった。無知と偏見のたたかいになるな。偏見とたたかうには、たくさんのことを知る必要がある。あと、そうだ、何日か前にクマが突然「ハムラビ法典ていうのは、復讐をすすめているわけではないんだよ?」と私に言うので(ひとりごと言ってるのかな?、わたし)「それは知ってるよ。同じ程度にしか仕返してはいけない」「う〜ん、していいことの上限をきめてるんで、復讐しろって言ってるわけじゃない」目には目を歯には歯を、ね。AIで確認してきたら「やられたらやりかえせ」って意味ではないですよって、書いてあった。まあでもこれも、思い込みの多そうな話だよね。しかも、幼い純真な心にそれを間違って書き込んでしまったら、害は大きい。子どもに「やりかえせ」って教えてる人多そうだし。で、私の結論としては、誰のカタキだろうが、自分がイヤな思いをしてまで仕返しをする必要はないですよ、全然。無念を晴らしたいなら、ともに過ごした楽しい毎日をたくさん思い出して、目の前の現実を良くしていくことに力を使おう。自分が幸せに過ごすことに注力しよう。それがいちばん合理的よ(^_^)と常識知らずの私は考えます。それだけじゃない?そもそも、世の中には、復讐を素材にした創作物が多過ぎる。気付くとそんなものばっかりだった。いつまで同じことをやるんだか。しつこいよ。つまらないし、ウンザリしてきた。「田鎖ブラザーズ」は、それを踏まえた上でよく考えて工夫して作ってあったと思います。ワルグチは書きたくないけど「ダブルエッジ」は掘り下げが浅かったよね。小野花梨さんがもったいないわ。もっとしっかり考えてください。お金持ちや権力者の子弟が人でなしというステレオタイプな描写に頼りすぎだし良かったところが思い浮かばないよ、光石さんの熱演くらいでは?もったいないよな。無責任な一視聴者らしくここに書いておこう。ごめんなさいね。毎日蒸し暑いね今年は、降雨量が例年より多いと聞きました。とりあえず水不足の心配はなさそうだけど、土砂災害や河川の氾濫にはご注意を。みなさんのご無事をお祈りします。今日から7月だって!なんと!
2026年07月01日
コメント(0)
さっきネット記事をざっと読んでいて、コメントもざっと読んで考えたこと。出口治明さんが「日本の教育は『みんな違う』を徹底しないと」と話していることに対してのネットの反応(残念ながら我々は「ネットの声」としてひとまとめだ。まあ、ヤフコメとか、Xの反応とかそれぞれ呼称はある(^_^))を見ていて(ネットの書き込みを、私は、無意味だとは考えていませんよ(^_^)自分の意見をみんなに見えるところに書くことに意味はあると思ってる。すくなくとも私の役には立ってるからね!)思ったことを書きます。出口治明さんて『知の巨人』らしいんですけど、ほほ〜、たくさん本を読んでるとそういう評価になるんですか!?すごいですね(^_^)以前、脳出血からの復帰を取り上げた番組で拝見して、思ったことをどこかに書いたなと思い出してさがしてきました。2025年1月29日でした。ちょっと、納得してないねw あなたが前を向けたのは周囲で支えてくれた人たちがいたからじゃないの、その人たちへの感謝の言葉は?どうしたの?と指摘していますね。あげく(私たちの)この状態からすぐさま前を向くためにはある種の厚顔さが必要であるとまで書いてます。エラソwまあ、それで「みんな違う」を徹底せよと言っても、じゃあ、違うのがあたりまえだから各自好きなことをしていいという話にはならないんですよ。それはなんでだろうねとさっきから考えていて「みんな違う」が絶対に正しくてすべてに対して最優先になるわけじゃないんですよね。「みんな違う」を理解・納得しなくてはいけないのは、①「みんなと違う私はダメなんだ」とみずからを縛ってしまっている人、または、②「みんなと違うアイツはダメなんだ」と自分とはちがって見える他人を下げる人、または③「みんなと同じにしなさい!」と子どもに強要する大人、じゃないですか?整頓するとそういうことよね。実際に、そういう思い込みに縛られている人は多いし、「みんな違う」を認めることには意味があると考えます。でもね、それ以前に、社会のルールを守ることが優先されるでしょう?「みんな違う」を盾に好き勝手されたら困るんですよ。だからこの話は、コメント欄に書き切れるような単純な1+1=2みたいな話じゃなくて、加減乗除が組み合わさったような、もうすこし複雑な話なんですよね。+−✕÷だって、同じ式のなかに出てきたら、何が優先でって順番が決まってるでしょ?小学生でも分かる話だから大人はみんなわかるはずだと思うけど。みんなが、1+1=2とは言い切れない!とか、1(1+2)+1(2−3)のときはとうなるんだみたいな思い付いたことを発言するからシッチャカメッチャカになる。そもそも社会問題は算数ですらないのだし。「みんな違う」は間違ってないよね。でも、自分勝手はダメなんだよ。まさか、「みんな違う」を理由に。授業中に立ち歩くことを容認しろなんて言ってる偉い人はいないでしょ?w そこに噛みつくのはヘリクツってもんじゃない?いるのかなあ、それくらいに発想の転換が必要なの?先生の立場としても、マジメに授業を受けている子どもの立場としても迷惑だと思うけど、周りの迷惑になることはやめましょうって話で、そんなの知りません、うちの子の好きにさせてください、「みんな違うんですから!」なんて親がいたら困るでしょう?「決まりを守る」は最優先だと思うけどなあ。違うのかなあ。そしたら私には理解不能だなあ。構成する個人が決まりを守れないと社会秩序は崩壊するよね。ただ、その「決まり」の基準がどんどん変わっていくだけなんだよね。もうちょっと考えてまとめてから書いたほうがよさそう。でも、ちょっとわかった。書きながら考えています←迷惑。社会生活をまっとうに送りたいと自分から考えている人は、まずは社会の決まりを守りましょう、それでいいですよね?決まりなんてひとつも守りたくなくて社会生活すらも送りたくない人は、まずそこ(社会生活を送りたくない)から改善できるといいよね。いや、社会に属さなくてもまっとうに生きていく方法があってもいい。いいよ、大丈夫、全然。社会生活をまっとうに送りたいけど、諸事情で送れない人もいる。その場合は、できない理由をこまかく分析して、対処していくしかないですね?こんなの、もうみんな考えて実行してくれてますよね(^_^)社会を利用するだけ利用して、好きなことだけして生きたい人もいるだろう。それは、社会のルールとしては認められないと考えますぞ。やめてね。私は浦島太郎みたいなもんだな。竜宮城で子どもと遊んでいるうちに令和になって、身体が不自由になった。お休みし過ぎてノートが溜まっている。しかも頭の働きがイマイチよろしくない。でも文章は書きたい。これだな!ってところまで考えたいよ。あー、そして、こないだのMAJで去年に続けて最優秀アルバム賞をもらった風さんがコメントとして、ひたすら感謝の言葉を並べていたのはとてもよくわかりました、
2026年06月28日
コメント(0)
結婚と出産をする前に、仕事を3年ずつふたつしました。頑張っても長くて3年しか続けられなかったことで、(当時、小娘の私は)何十年も働き続けた私の父の偉大さを実感したし、もちろん、ずっと働いて3兄弟を育て上げた旦那ちゃんのことも偉大だと考えています。相当な意志の力と覚悟がないとできないことです。(健康な身体もないとな、健康な精神もないと)そして同事に、自分が主婦になることで、毎日休みなく家族の世話をし続ける「母親」業の偉大さも実感しました。「ああ、これからずっと、みんなのご飯を作り続けることになるんだな」とズッシリ重く考えたのです、結婚当時。そしてずっと、軽視されがちで、当然視されがちな、フツーの会社員や専業主婦が、マジメに毎日続けられていることが称賛に値することだと考えてきました。まさかこんな未来(家族に家事をすべてお願いしてただテレビを観て感想文を書く毎日)が待っているとはなw でも私はとうの昔に「これは、私じゃないとできない」という気持ちを手放したので、どんなことも、引き継いでくれる人に、引き継げるようにしておくのが、私の務めだと考えています。人生引き継ぎで、それがsustainable(^_^)♪←だから違うんだよ。つないでいく、がいまさらわたしのなかで流行っている。ふたつ目の私の仕事は、外部の会社の仕事をうまく所属会社に依託されるように筋道をつける仕事になりました、結果的に。受け取って、整えて送る、わけです。受け取った時点で、何が必要なことか、誰にでもできるようにする整頓が必要でした。「送る」はつまり申し送りですね、引き継ぐこと。仕事内容を私に渡すのが、今の旦那さんでした。私が渡すのは、すこし離れた事業所の派遣社員さんたち。まったく知識のない彼女たちが受け取ったあとに困らないようにポイントを押さえて、基本になることは確実に理解しておいてもらわないといけない。枝葉の部分は、自分たちでやり方を考えて進めてもらってかまわない。今はもうとっくに、その仕事自体がないでしょうね。これからも、そんなことがたくさんあるんだよ、過渡期は。ある意味ずっと過渡期だよね。自分でもどうしたらいいかわからないものを、他人に「あとをお願いね」と渡すことはできません。少なくとも自分の手元で理解して整頓して渡したいじゃないですか。まさか、自分の仕事内容は、誰かがきっちり決めてくれていて、判断にも困らなくてイヤな思いも苦労もしなくて済むものだ、なんて考えていないですよね。そうしてくれるのが、自分に仕事を渡す人の務めだと?それに値する程度にしか給料はもらっていないからね、と?自分で、整頓していくのですよ、もちろん。その頭を使ってね。その頭を買われている以上、それがあなたの仕事です。だから、それ⇧を理解できるように次の子どもたちを育てなくてはいけませんね。そういうことだな。かつて日本の教育は言われたことを言われたように、おとなしく正確にこなすロボットのような人間を育てているだけ、と非難されたことがありました。今も、そういう人間が必要とされる職場もなくはないんでしょ?知らんけど。少なくともうちの子らは、それを望まない。黙って言われたことを言われたようにやっておけなんて、自分がそこにいる意味ないじゃないですか。おお、書いているうちに頭が整頓されてきた!だからその転換を、現場の先生方は当然理解していなくてはいけないし、それに対応した教育方法を考えなくてはいけなかった。あたりまえだよ、100年経っても同じことをしていていいわけがないじゃないか。でももちろん、わかっていますよ(^_^)毎日こなすだけで精いっぱいなんですよね。波乗りみたいに、毎日毎日押し寄せてくる課題を越えていかなくちゃいけない。自分の勉強なんてムリ、研究なんてもっとムリ。実際に現場で子どもに向き合う先生方には、元気で機嫌よく、ご自分の毎日を過ごすことを全力で望みたいと考えます。教育の未来については、考えることを仕事にしている人にお願いしましょう。分担だよ?頼んだよ?だから、現場の先生方が、「自分たちのやってきたことを『無敵世代』にまかせることはできない」なんて、悩む必要はないんです。あなた方がやってきたことがすべて、次の世代に必要なわけではないし、次の世代に必要なことは、次の世代が考えればいいんです。だから、お願いですから「最近の若い人は!」なんて次世代を下げる発言をまき散らすのはやめてくださいね。よりにもよって、学校の先生にそんな人はいないと信じていますけども(^_^)書くって、頭の整頓になるな(^_^) だいぶわかった気がして機嫌がいい。あ、そう、そもそも書こうと思ったのが、幼稚園のPTA本部をやっていたときに、前会長さんに「うちに未使用のプリント用紙が大量にあるので持ってきますね」と言ったら「それはダメよ(^_^)」と優しく言われて「個人の持ち出しは同じことをを次の代に強いることになるので、活動にかかる費用はそれとしてしっかり計上しないとね」と。正しい!善意の無償行為は、後に続く人にもそれを強制することになるんですよ。深く納得しました。自分がよかれと思ってすることが、逆に誰かの迷惑になる可能性を受け入れないと。奉仕の気持ちって気を付けないと、害になることもある。難しいね。今、放送中の「風、薫る」が、そういう展開になっています。参考になるね(^_^)そして、前の金曜日のスウェーデン戦、やっぱりみんな観たい。出勤前のクマは「あー、なんで今日学校あるんだろう。年休取っちゃおうかな〜」とベテランの先生方が聞いたら怒りそうなことを言っていました。(典型的無敵世代ムーブかw)「クマ、それは年取った先生に怒られるヤツ(子どもたちが登校してくる以上、教員が個人的な事情で突然年休をとるなんてダメです!)」と言ったら「年取った先生、いないも〜んw」そうだった。クマの勤務先は教頭先生ですら四十代。その状況、ある意味これからをともに考えて築いていけるのでは?日本の学校教育はビルド&ビルド&ビルド&ビルド&ビルド・・・・で巨大化してキリがないと言った方がいましたが、たしかにそうだよね。どこかでスクラップしないとね。私は、現状をなんとか理解した気持ちになっただけで、何も考えられていないか。まあでも、どうか、申し送る立場の人はそれを自覚して優しくしてくださいな。お願いします。火曜日のブラジル戦も楽しみだね。どうやって観ようか(深夜だからね)
2026年06月27日
コメント(0)
いろいろ考えたことはあるんだけど、このまま書くと収拾がつかなくなりそうなので、ここで一度クールダウンします。(蜘蛛の話で?w)大谷さんちの二人目のお子さんの話とか、そりゃ言いたいことはあるさ。おめでとうございます。素敵ですね。年子いいですよ〜(^_^)私設保育園みたいなね、自分でみるなら。もちろん、おかあさんの身体の負担は大きいと思いますので、周囲が全力でいたわってあげられるといいですよね。そんなの、言われなくてもわかってんだよ!ほっとけよ!wクールダウンするんだった。今どき、洗濯物の夜干しはおすすめしません、は常識でしょうが、わかっていても日中バタバタしていて取り込むのが夜になってしまうこともありました。まあ、夜8時とか9時とか?(専業主婦のくせにな)取り込んでいたら、旦那ちゃんのハンカチにクモのたまご?と子グモがいっぱいついている?なにこれ!旦那ちゃんのハンカチだから、旦那ちゃんになんとかしてもらおう!クモの子たちをまき散らさないように気を付けて運びました。彼は田舎の山のなか育ちですから、虫ごときには動じません。ヒトとして家族を守るために、虫を倒すことにためらいはないのです。いやたぶん、外で乾いたハンカチを払って、子グモを逃がして、もう一度洗ってねと私に戻したんじゃないかな?(ムダな殺生は、しないぜ)夜干しに近いことをして、虫の卵が孵った実体験でした。ほんとにそんなことがあるんだよ。蜘蛛って卵だっけ?まちがっていたらごめんなさいね。自分で調べてね。この話をするとき、いつも思うんだけど、最近では、洗濯物を外に干すのをやめたら人生が変わった、とか、干すのは部屋のなかだけ、とか昭和のお母さんたちが聞いたらびっくりするだろうってことがたくさんあるけれど、私も昭和育ちの平成のお母さんで、洗濯物はどんどん部屋のなかに干すようになりました。風が強く吹いただけで、飛んでいってしまうし、日中部屋にいない一人暮らしの仕事中などはますます。下着くらいしか干さないのに不用心だし、外には干さないじゃん?だから部屋干しにはなんの違和感もないです。でもね、お日様には当たったほうがいいと思うよ。洗濯物干しとか布団干しとか日には当たるんだよね。否が応でも日常的に少しは紫外線を浴びることになる。まあ、ちょうどいいんじゃない。ここまではホンモノのクモの話。ここからは脳のバグの話。夜寝ていたら、部屋の端から端にななめに大きな蜘蛛が飛んだように見えました。目を覚まして、旦那ちゃんに「クモが飛んだ、あっちからあっちに」と指さして。そう、寝ぼけたんでしょうね。でも私の脳は「たしかに見たぞ!」と言っている。よく考えてみると、あの大きさの蜘蛛が家のなかにいるはずがない。グンソウ(アシダカグモ)ぐらいのさ(図鑑的知識しかない)。山のなかの家じゃないからね。理性は、いるはずがないと言うけど、脳は見たと言う。私が、私の脳の働きをあまり信用していないのは、実際にこういうことがあるからです。みんな多かれ少なかれ、あると思うんだよ?その自覚がない人は、自分は正しい、自分と意見の合わない人は間違っていると考えるわけじゃん。違うんだよ、自分が、間違っている「可能性」を受け入れないとね。逆の立場で考えてみればいい。そういえば以前「相手の気持ちになりましょうと言うけど、相手の気持ちなんてわかるわけがない」とか「自分がされてイヤなことを他人にしないことなんて言うけど、何がイヤかなんて人によるじゃないか」というマジメな主張を見かけて、これは根が深いぞ!と思った覚えがあります。色覚の赤をそれは赤じゃない青だと言われるくらいに、どうしたらいいかわからない。でも、色覚だって、みんないっしょじゃないんだよな、人によって違うこともある感覚一覧とかつくったら役にたたないかしらね?上に書いた私には理解不能な理屈を言う人のことを「無敵世代」と呼んでしまったのかな?「無敵」って、犯罪をおかす人の「失うものが何もない」状態のこともそう呼ぶから、ヤヤコシイよね。使う人は気を付けてくださいね(^_^)とヒトゴトのように。多様性を認めるって、むずかしいんだよな。だから次元が上がる必要があるんだ。ヤバい感じの話になってきたね。私がヤバいを使うときは意識的にあえて使っています。「ヤバい」はいまや語彙力ない代表みたいになってて、肩身が狭いけど。←そうなんですよ(^_^)なんと。台風がふたつきているそうです。お気をつけてサッカー楽しみだね(^_^)金曜はリハビリを休めないかと目論んだらしい(これは、使い方違うよ?)
2026年06月25日
コメント(0)
前回のつづきです。前の日記に書いた、過保護・過干渉ともいえる子どもへの「寄り添い」を求める風潮は、どこか特定の世代に限られた話ではなくて、少しずつ各世代に浸透してきた考え方だと感じます。私はただの一主婦であって研究者ではないので、論拠は明示できません。なんならそれは、昭和スタイルの教育現場からの反動ですらあるんじゃないの?という気もします。それは、昭和の中ごろに公立学校で実際に教育を受けてきた自分自身の経験から感じることです。感じるとか、気がするとか、曖昧なことは言いたくないけど、思ったことは正直に書いていきますね(^_^)ですからね、前回書いた「教育現場が崩壊する」発言は、現代の若者の傾向として、『先生、どうか皆の前でほめないで下さい』を書かれた金間大介先生のお話を引用して、そのような「世代」の若者たちにこの先、教育現場を任せたら崩壊するのではと心配する現場の教員たちの不安という構図をつくって、記事として成り立たせていたものを見かけたので、そこにいろいろ問題を見たのです。世代論にまで敷衍して、「わかりやすく、単純化」したいのは、誰ですか?本を売りたい人かな?単純な旧世代 対 新世代の対決構造にするのは、ただ分断や対立を生むことにしかつながらないと思いますが、それって、世の中や教育現場の役に立つの?若い人たちをただ「できない」呼ばわりすることには、反対します。まあ、記事を読むと金間先生のお話自体は私もそう思う!ということでしたので、そうすると、ネット記事として注目を集めるための手法に問題があるのでは?伝統的な作法にあるのかな?ありそうだな、煽ってでも注目を集めろ!みたいなの?なかったらごめんなさいね。でも、ネット記事界隈にそんな作法があるなら、一度しっかり考え直していただきたいわ。せっかくの伝達手段ですからね。世の中の役に立ったほうがいいじゃないですか。あと、何だっけ、「無敵世代」か。つまり「メンタル鬼つよ」で大人が悩むようなことを(無神経なほどに)ハナから気にしない、と。わかりますよ、わかるけど、それを「世代」でまとめちゃいけませんね。そんな人、何歳だろうといるんですよ。知ってるでしょ?私がイヤだなあと思ったのは、ひとまとめにされた、そうでない各人の気持ちを考えたら、腹が立つじゃないですか!そんなことで怒ってばっかりなんだ、私は。何だっけ?残業を断固拒否?なんだろうなあ、そう考えるに至った経緯?いや、考えてないのか、最初から、習慣としてか、度を越した自分優先!がイヤなのかな?いわゆる大人は(ちょっとまえの子どもだけども?)。そもそも私個人としては、前の日記にも書いたように、優秀であろう教員の先生方が、自分の仕事じゃないけどなと思いながらも、ひとり分以上の仕事を引き受けるスーパーバワーを発揮してきてしまったことが、教員への期待値をハンパなく上げることになったのではないかと考えています。今まで、できていたことを、ある時、これからはできませんからね!というわけにもいきませんから、続く世代もやることになるじゃないですか。だから、自分には「頑張れば(なんとか)できるから」ということを引き受けてしまうのは、あとに続く人達にとっては迷惑でしかないよなあと思いますよ?(^_^)でも、もちろん、頑張ってきた先生方を責めるつもりはありません。当時にも、「先生、そんなことまでしなくても!背負い込みすぎですよ!」と思ってくれた人もいたと思いますし、いなかったなら、ヒドいよ。世の中どうなってんの?だから以前書いた部活指導をしたくなかった先生(「知る。」2026年4月18日を参照)がそれをしっかり主張されたことを、今さらながら立派だったなあと考えます。ですから、自分たちがやってきたことを、新しい世代が継げるのかと不安に思っている場合じゃないんですよ。やるべきでなかったと思うことはそう正直におっしゃいな。(通じる?言いなさい!ですよ?)怠け者の汚名を着せられようが、本来の教員の仕事と考えられること以外はすべきじゃありません。つまり、箸の持ち方指導だろうが、挨拶指導だろうが、休暇中の万引き対応だろうが、「先生」の名のもとに引き受けちゃったんでしょ?私は、それは各家庭の保護者がすることであって、学校の先生がする仕事ではないと考えます。それに、うちのクマが、それが先生の仕事だからとプライベートな時間もなく生徒のためにひたすら動くことを強いられるのはごめんです。本人がなんと言うかは、わからないけども。つまり教員の仕事って単純に、生活面と学業面に分けられるんじゃないですか?そしてほとんどの若者には、学業面の世話はできても、生活面は難しいんだよ。分担すれば?分担すると、お金がかかって回らなくなるんでしょ、人手が要るし。でもなんでも基本的に、「いままではこうだった」を守るよりも、そのときそのときでいちばんいい方法を考えるのがいいと思うんです。家庭の形もさまざまになって、各家庭の保護者にできることが変わっていくなら教員の仕事も変わっていっておかしくない。家庭でできないことも、学校になんとかして通えたら、みんなと同じように、世の中に出て困らない程度に身につくことが理想的ではないかと考えます。ちなみに、うちのクマ、メンタル強いです。繊細で常識的な従来の先生方から見たらきっとメンタル鬼つよの能天気にしか見えない。自分の仕事とそうでないことをきっちり分けて考えているし、自分の仕事をしっかりこなすためにも、それ以外は避けるように努めているようです。メンタル強いってわるいことじゃないです。身体を壊さないためにも、それでいいと思ってる。そもそも、うちのクマみたいに、勉強のできる人が現場にいるのに、勉強を教えることに重点を置かせないなんて、使い方を間違えていないか?と思いますけど、どうなっているんでしょう。教員の親がそんなんでクレームいれたら、モンペ・ニューエイジかなwそんなことはしません!w クマに嫌われる。クマは、失敗することも厭わず、彼自身で進むことを方針として放置してきましたから母は、先回りして小石をどけていません。結果的に痛い思いをしたのはこれだよね?という反省会や作戦会議はたくさんしました。だから、生徒たちにもそうやって接することができると考えていますが、今はほんとに大人が「手取り足取り」であることを求められるのでたいへんですね。大人世代の育て直しも必要なのでは?と思いますわ。私も学び直している最中か。
2026年06月24日
コメント(0)
ドラマ、終わってないじゃないの。間違いが多すぎてツラくなってきた。間違えるとツラくなるんですよ、もちろん。でも、ツラさを軽減するために、すぐさま「間違えました、すみません!」と言ってしまいます。ただの間違いですからね!(^_^)←開き直るなよ?タチがわるいよ。ごめんなさーい!ちょうどいいので、私が「サバ缶」を観ていて、現実と相似関係になっていると感じたことについて書いておきます。毎日すごく忙しそうな新人教員のうちのクマを見ていて考えたことがあると書きました、すこし前に。そのことです。先生方が大変なのは、保護者からの学校への期待と学校がみずからに課している役割に大きなずれがあるから、なんじゃないのかなあと、単純に考えたんです。おとうさんおかあさんが「学校でこれは教えてくれるよね?」と思っていることと先生方が「我々の仕事はこれです」と思っていることが大きくずれていることが多かったら、うまくはいきませんね?で、保護者が学校に求めているのは、このドラマでは、菅原先生(生徒から育って、教師として戻ってきた、出口夏希さん演)が、北村匠海さんの演じる朝野先生に「もっと生徒たちに関わってください!」と自分たちのときにはあんなに親身に寄り添ってくれたのに!と意見する場面があって、生徒たちがみずから試行錯誤して成長する様子をただ見守りたい(今は教師として成長した)朝野先生が困る、という描写。これじゃないかあ?と考えました。保護者たちは、子どもたちの手を取り足を取り「失敗しないように」先回りして守ってきた(先導してきたと言ってもいい)。見守るだけじゃなくて、口も手も出してきた、それが正しいことだと信じて疑わない。そうすると、生徒が自分で考えて時には失敗して経験を積んで成長していくことを見守りたい教員の考えや態度とは相容れない。失敗に見えることが起きると「学校は何をしてるんだ」ってことになりますね?そして、現実的には学校に対する保護者の期待と学校が自認する役割にも、ばらつきがあるんでしょう。決まりはない。あるのかもしれないけど、広く周知されてはいない。そうすると、「箸が上手に使えない」とか「最近、挨拶をしなくなった」とかいう子どもの行動を、学校の指導不足だと考える保護者が出てくるんじゃないかなあ。先生は「それは、家庭で指導すべきことですから」とキッパリ表明できればいいけど、できないというか、しないんだなあと思いますね。私自身は、学校に期待することと親としての自分がすべきことをずっと考えてきたし、逆に、子どもの生活態度に口を出されることのほうがむしろ迷惑だったりしたけど、世の中の風潮としても、子どもへの過干渉を求めますよね。人によるのかな?ひとつ私に言えるとしたら、失敗しないようにと子どもの足元の小石をいちいちどけるような真似をずっとしていると、子どもは、他人に小石をどけてもらうことがあたりまえと考えて育つことになります。自分で小石をどけられないどころか、巨石をどけたり、そこをどうやって進むか考えることすらできなくなる。だから、「自分で」できるように訓練するのが学校という場所で、失敗させないように誰かが懇切丁寧にお世話をしてくれる場所ではないのです。むしろ、小失敗はたくさんしてよ!wただし、教員という仕事についてきた人たちが他の人たちよりも優秀であろうということを前提に言うと先生方がガマンして「自分がもうちょっと頑張ればいいんだ」となしくずし的にやりすごしてきたツケが結果的にまわってきたんじゃないのかなあという気配もしますぞ?wやり過ごすというか、今すぐに解決できないから、先延ばしにする、だね。非難じゃないんですよ? 課題をはっきりさせて解決策を考えたい。解決できないから死なないためにうちのクマが教員をやめなくてはいけなくなる事態を避けたいのですよ。その、従来の教員のみなさんのお仕事について考えたことは、長くなるので別日記にします。キーワードは「このままでは教育現場が崩壊する」「無敵世代」「メンタル鬼つよ」などかな?(^_^)私は、基本的になんでもラクしようラクしようと考えるけれど、ラクして浮いた時間や手間で、もっと役立つことができるんじゃない?、といつも考えています。「サバ缶、宇宙へ行く」は本日22日、最終回です!訂正して強調しておこう。ごめんなさい。最終回を観たような気がしたのは私の脳のバグだ。それは認める。
2026年06月22日
コメント(0)
ドラマ感想つづきです。2026年春に観たドラマの感想。「観た」ということと、考えたこと。終わった順に。るなしい テレビ東京 マンガ原作宗教と純愛とビジネス?原菜乃華さんと窪塚愛流さんが観たくて観ました。おふたりとも画面のなかで輝く俳優さんたちです。お話の舞台は、火神信仰という小規模な宗教。それを教祖として継ぐことを運命づけられた女の子の恋と火神の力を自分の成功に利用しようと勝負に出て破滅する男の子のお話。オープニングのお面をつけた白装束の怪しい踊りと、ナカムラハクさんの歌声が物語の妖しさを盛り上げていましたね。聴いてるうちにクセになった(^_^)元々大好きな雰囲気です。筋少ファンだったし。「シスターストロベリー」とか大好きだった。まあでも観てるうちに、本島純政さんの演じたスバルくんの純愛にも注目したけど、最終的に子種として、火神を継ぐことにする、というのは、どう解釈したらいいかわからない。まあ、現代のおとぎ話然として、おもしろいお話ではありました。俳優さんたちもみんなよかった。原作の絵柄が時折見えたけど、るなさんは、そんなに美少女という設定でもないんですね?原菜乃華さんが演じると美少女だったけど。窪塚愛流さんのケンショーくんは、いかにも学校のアイドルっぽくハマり役でしたね。ただの美麗な美少年ではなく、クセ強な感じがよし。いいキャラクターだったね。まだ考えてみます。しかし、クセ強な窪塚さんちの親子を続けて観ることができるのも幸いだね。なんなら、お孫ちゃんも?w長生きするか。おもしろかった、ありがとう(^_^)次刑事ふりだしに戻る テレビ東京 これは、マンガが原作なわけではなくて、同時進行だったの?わかりません。メディアミックスかな?流行りの転生もの(いつからの流行りだよw もうずっとか?)好きだよね、みんな。そして、刑事もののタイトルは覚えられないので、もちろん「ふりだしデカ」何でも、ナントカデカにする。記憶喪失デカとかさあ、あったよね?違う、刑事ゼロか?旦那ちゃんはこれを「濱田岳ちゃんのドラマ」と呼んでました。好きなのね、VIVANTの公安ハッカー役も喜んでた。同じ曜日に放送の田鎖ブラザーズと比較される苦しいポジションでもありましたね。まあ、正直に言うと、こちらはかなりエンタメ寄り。あちらは、大真面目。エンタメとして気楽に観るにはこちらがよかったのでは?と考えます。ただし、人の生死をエンタメの素材として扱うのは私は、好きではないのでその点では残念。エンタメならもっと他の素材を扱って欲しい。まあ、観ちゃうんだけどさ。転生ものについては、高校生のときに「私は、これから生まれ変わったらとは考えない。生まれ変わってここにいると考えよう」と決めたので、結論としては、このドラマと同じ。わるくはないと思いますよ(^_^)バカほどのスーパーポジティブかw 逃げないにもほどがある。逃げることにも意味があるんだよ?きっと。エンタメとして各所つじつまを合わせて「えっ!この人が!」もあり、生瀬さん(課長?)の娘さんたちが、息子に変わってたとか、生き直しの影響設定も細かく。アンパンマンもよかった。違う。アンパンマンの女優さん、お名前何だっけ?←名前が出てこない。エンタメ要素だったよね(^_^) おもしろかったです!ちなみに今もずっと思い出そうと頑張っている。(複数同時進行で考える)戸田恵子さんか!だね(^_^)ラスト田鎖ブラザーズ TBS 金曜復讐、昔、日本にも敵討ちが正当化されていた時代がありましたね。喧嘩両成敗の理屈もある。いつだって、誰だって、酷い目に合わされた誰かのために仕返ししないと気が済まないことがあっておかしくない。その考え方に対するひとつの答えを提示していたドラマでしたね。基本的に「復讐」って虚しいよね?と私は考えますが、仕返ししないと気が済まない人の気持ちもわかる。わかってしまう。「ぜったいにヤメロ!」とは言えない。だって、仇討ちがあたりまえに考えられていた時代もあったんだよ?しないと、逆に責められたわけでしょ?何をしてるんだって。放っておいたら、それが自然な気持ちの動き方なんだ。だから、仕返しをおそれて、人にわるさをしないっていう抑止力もあったのかなあとも思います。ドラマの感想としては、幼いころに、両親を殺された兄弟の育った姿を演じたおふたりは、ほんとにすばらしかった。岡田将生さんは、新境地ですね。ヤサグレ気味の中年刑事も演じられる。染谷将太さんはいつもどおり、むずかしい役を着実にこなしておられました。そしてこのドラマは、中山崇さんのもっちゃんでしょ。中山崇さんの最初の印象は「ごちそうさん」の書生さんなんだけど、VIVANTのアリ役もよかったですねえ。小さくて繊細で可愛らしい幼い稔が頼りにできる唯一の大人としてのもっちゃんの純粋さと善良さを演技で表さなくちゃいけない。大役だったと思います。素晴らしかった。そして、この世にたったふたりだけ、同じ気持ちを共有する、お互いを理解し合う兄弟という描写も素晴らしかった。私は、基本的にドラマの展開を「考察」することには興味がないので、無理やりなつじつま合わせみたいなのは、むしろキライです。だから、はっきりわからない状態で終わらせることには、何の不満もないし、だいたいが、現実に「復讐の連鎖」をどうすればいいのかなんていまだかつて解決できたことはないのだから、解決できないのがあたりまえだろと考えます。きれいに片付いたなら、「あれはドラマだからね」と言われて終わりです。観た人のなかに疑問を残すことに意味があるのではないかと考えます。我が家的には、旦那ちゃんは「誰がどうなったか」をぜひとも知りたい人なので、しばらくぶつぶつ文句を言っていました。「わからないわからない」と騒ぐので真が銃を構えて、銃声がして、血がポタポタと落ちたところまでお話を戻して確認しました。わからなくていいし、わからないのがあたりまえだよって考えてしまう私は、ドラマ視聴に向いていないかもしれない。それより稔の「大きくなったら忍者になりたい」にウケてしまって「いいね!」と喜んでいました。日本人の夢だよね。安心して夢を見させてあげたかったね。初めのエピソードから、犯罪の動機と現実を丁寧に描いていました。よくできていたと思います。見た目には、高校生を練習でしばって苦しめて死に追いやったように見えても、よく見ると、外からではわからない事情がある。現実にもあることかもしれませんね?初めのエピソードで、ひき逃げ事件の被害者が素性をあかしたくないから警察に通報しなかったんだろうというあたりまえの予想が、実は、そのひき逃げ事件が周到に仕組まれたものだった、という丁寧な進行に感嘆しました。ひき逃げ犯(実は、息子を死に追いやった指導者に復讐したい父)の役で近藤公園さんが出てきたときには、クマが「どうなった?」と聞くので「近藤公園さんが出てきたよ」「あ、犯人だね」というお約束のやりとりになりました。(配役がネタバレw)俳優さんたちの演技と積み重ねた事件の描写だけでも十分、観るに値するドラマだと考えます。ラストまでの展開に納得できるかどうかは各自の考えでしょうね。おもしろかったです。復讐というものについて考えたことは、まだあるので別日記にします。(書ききれなかった)ドラマって、誰がどうなったかを知るためにあるのかなあ、違うよなあ。そういう人はふりだし刑事を観ればいいんじゃないかな?シナントロープも伏線と回収がスゴイよ(^_^)。観るものは、いろいろあるよね。
2026年06月21日
コメント(0)
昨日思い出したこと。入院中にあおむけに寝ているときは動かない左腕をおなかの上にのせる習慣にしていた。うっかり身体の下に入ってしまうと、とても痛い思いをする。何でだろうね?動かせないのに痛みは感じるんだ。動くんじゃないの、これ?まあ、3年経った今ではだいぶ動かせるようになった。入院中のリハビリは、退院するために自宅での生活に必要な動作を身につけるためのものだったので、右腕が普通に使えるなら、動かない左腕を何が何でもすぐに訓練する必要はない。ただし、身体のバランスを取るためにも、不自由な左半身を動かすことは必要なことだ。自主的なリハビリは続けている。そして昨日思い出したことというのが、入院中に寝ていたら、左手が行方不明になって(つまり、無意識に動かしてるんじゃん?)あわてた私は、ナースコールを押して看護師さんに助けを求めたのだ。「わたしの左腕、落ちていますか??」昨日突然、あれは迷惑だったなあと思い返して、はずかしい気持になった。今ごろ反省する。当時は、とにかく思いどおりにならなくなった左手を動かすことがこわくて、手のひらを自分の方に向けて手のひらの十字を見ることもできなかった。私を護ってくれているらしいこの十字を見られないのはさみしかった。今は見られるし、拍手もできるよ(^_^)なんとなくだけど。よく憶えているのが、長男ワンの幼稚園の用事で、下のふたりを連れて行って、行きは元気マンタンですたすた歩いてくれていたネコスケが帰り道はめずらしくグズり出した。仕方ない、と抱えていたクマをベビーカーに座らせて右手で押しながら、ネコスケを左腕に抱えて歩いた。母親というのは、予想もしないような怪力を発揮することがあるよねという話をするときいつも思い出すエピソードだ。(ひとごとみたい)今じゃ力なくぎこちなく動いてるこの左腕は、十分に役に立ってくれたんだ。考えるたび泣きそうだ(いつも泣く)私のようなウッカリものが、子どもたちに怪我をさせずに大きく成長させられたのは奇跡的だ。護られている(^_^)w そう思っておけばいいや、無事でよかったな。「怪力を発揮する」という意味では私の母のいかりの鉄槌はものすごかった。まあ、今日の日記は、看護師さんゴメンナサイだ。書いたらすっきりした。風さんとエルミーンさんの新曲が公開されました。夢のようにうつくしい音楽です。ありがとう。上に書いたように、心がザワザワしたときに落ち着くことができます。気持ちをあげたいときばかりでは、ないですからね。宇宙を感じるおだやかな心持ちになれる音楽ですね。風さんのこれまでの曲にはないような感じですよねえ。これから、聴けるかな?こういう傾向も。う〜ん、どんなんでもいいんですけどね。結実したものなら。大きなライブツアーが続くのですね。みなさま、おからだには気を付けて、楽しいツアーになりますように。見にゆかれるみなさんも楽しんでくださいね(^_^)心からそう願っています私はYouTubeだけで満足。よく眠れる。←寝ちゃダメか?
2026年06月20日
コメント(0)
そろそろ終了するものも出てきたので書いておきます。ドラマ感想は基本的に備忘録。火曜よるの放送だった、TBS「時すでにおスシ!?」予想外におもしろかった。あらすじなどは、書きません。(よそで調べてください)私の印象に残ったこと。片親家庭だろうが、両親家庭だろうが、子どもは親の所有物ではないし、ましてや恋人でもないのだから、依存したり、過度に心配したりするのは子ども本人の負担になる。やっぱり、独り立ちできるくらいに育てたら「じゃあ、頑張って!」とさわやかに見送ってあげられるのがいちばん。私みたいに自分の面倒を自分でみられなくなってしまってはどうにもならない(けど世の中には、そんな人もいくらかは、いるだろう)そういう肉親の世話を背負い込まざるを得ない若者(ヤングケアラー)もいて、そこにはぜひ、社会から援助の手を伸ばしてあげたいものだ。あのドラマを観ながら私はそんなことを考えた。あのドラマで永作さんが演じたお母さんは、旦那さんを亡くしたあともひとりで立派に働いて息子さんを立派に育て上げたそれはそれは、大層立派な(クドいよw)方だったけど、あんなにうまくいくことばかりではないよなあと観ていた。中沢元紀さんの演じた息子さんがいい子過ぎて、あんなのを観た母子家庭のお子さんがいたら、あーいうのを期待されてんのか?とイヤな思いをするんじゃないかなあと少し心配した。(つか、毎回心配してた)←心配しすぎ。私が、実際に影響を受けて行動したことと言えば、みなとさんが息子さんを応援するつもりで「岬が新幹線に乗る将来が、楽しみ楽しみ」と言い続けたことが「重いんだよ!」と反抗されてショックを受けるというシーンを観てそのころ、ネコスケの精神的不調が判明して、やりとりをするうち、実は高校生ごろから、うっすらとした希死念慮があったと言う。そりゃ、心配しますよね。でも私は「心配は、相手を信用していないから生まれるものだ」と深く納得したばかりだったから、「心配してない、信頼している」と伝え続けていて「ちょっと待て。これは逆に、ネコの負担にならないか?」と思いつきました。失敗はするのがあたりまえだし、みんなするんだよ。ネコがどんなにしっかりしてそうでもヤラカシはあるさ。笑い飛ばせるようなことなら、笑おうぜ、一緒に、と。おかあさんのやらかしなんてウンザリするほどある。もちろんおとうさんにもあるよ(^_^)と伝えました。せっかく応援しているつもりで負担になっちゃ悲しいよね。そして早速、こないだ帰ってきたネコスケは、記入した手続きに必要な書類を丸ごと置いたまま出かけていった。やっぱりな。私もネコスケも注意欠陥があるんだよと話していたら、え、ボクはASDの傾向があると思う。なるほど、たしかに。スペクトラムって便利だな。今はそんな概念があるからね。なんにしても、とりかえしのつかない失敗なんてそうはないさ。失敗の恥ずかしさは半分もらうよ、大丈夫、わかってる。ドラマの感想になってないか、ごめん。まあ、ですから、その親子関係をメインに最後まで楽しく拝見しました。みなさん良かったけど、ファーストサマーウイカさんの柿木さんの「ウザさ」は、ほんとに上手でしたね。つねにファイティングポーズね。あーいうのが、実際にファイティングポーズの人に届くといいよね。「あ、自分、いつもムダに過剰防衛態勢だわ」って気付いてくれたら。周囲は、みんな敵なわけじゃない。それか、それに気付いて優しく伝えてあげられる人が増えればいいね(^_^)いるよね、実際。柿木さんというキャラクターは、「ゆとりですがなにか」のゆとりモンスター山岸くん(仲野太賀さん演)に並ぶウザキャラでしたね。でも、素直に謝れるのがいいところです、どちらも。現実もそうよ(^_^)俳優さんたちには拍手を。とてもとてもよかった。ほんとは、子育てを終えて抜け殻状態の親御さんたちを勇気付けるドラマだったのかな、期待に沿わない感想で申しわけない。もちろん松山さんのサカナ組長もよかった。ほんとに器用な方ですね。はい、次。日曜劇場「GIFT」障がいを持つ人たちの車椅子ラグビーと変人科学者のお話。あらすじは書きません(クドい)印象に残ったこと。ラスト2回、心臓の病気をおして試合に出場した選手が結果的に、亡くなって非難される学者。う〜ん、これねえ、最近考えたんですよ。身体を温存して無為に長く生きることって意味あるのかなあ、本人がやりたいことをやりたいようにやって燃えつきるなら、それに越したことはないんじゃないのかなあ。誰かを死に追いやった(ように見える)ことを非難するのは脊髄反射だよね、つか、ただの思い込みだ。だからラストの展開を観ながら私が言ってたのは「出場は本人の意志ですって動画撮っておけばよかったね?」「動画があれば、いっぱつだ」説得力ある。非難されるとしたら、本人の意志に反して無理やり出場させたとき?それは、ダメだよね、もちろん。でも、死んでもいいから、このチームで試合に出たいと願った人の気持ちを否定することができるのは誰?私なら、わかるよって言ってしまうだろう。それはダメっていうのは、自殺はダメの理由は何だ?と同じ議論だよね。誰かに禁止できることじゃない。というようなことを考えながら観ました(やっぱりオカシイか?)なんかいろいろ文句のある人もいるようだが。まあ、難しい素材でしたよね。おもしろかったよ。VFXも大変でしたね。ありがとうございました。そして月曜フジテレビ「サバ缶、宇宙に飛ぶへ行く」タイトル記憶に自信なし。追記:やっぱり間違ってた、ごめんなさい。サバ缶しか頭に残らないよね←言い訳。上のドラマもこちらも宇宙と地上の物語をリンクさせて深みを持たせていましたね。そして、今日の日記タイトルの「相似」はこのドラマのためのことばです。ドラマのなかには、現実世界とのはっきりとした「相似」関係を感じさせるものがあって、そういうものを私は興味深く拝見しています。よく似ているってことね。だからドラマを観ていて、現実の社会問題について考えるときのヒントをもらうこともあるわけです。そのことは、また別の日に書くつもりです。そもそも、「みんなでつないでいく」というのが、事実ベースのフィクションだけに、現実と相似関係になっている。この、小浜の水産高校のお話は以前プロジェクトXで観ました。だからどうなるのかは知っている。結末がわかっているお話をいかにおもしろく見せるかというのは、今のようなネット社会では重要なポイントですね。俳優さんたちは新旧(ベテランも若い人たちも)取り混ぜてとてもよかった。あと、そうだな、進学校からの、水産高校への見下しとか、バカにする感じとか考えさせられるものでしたね。あんなのは、よくないよなあ、現実にもあるよね、他人を下げて自分が上がったつもりになるな、だよ、ほんとに。そんな感じかな。おもしろかったです。今観ているドラマはまた終わったころに感想を書きます。VIVANTの最初のシーズンをまた無料配信しているので観ていますおもしろい。
2026年06月17日
コメント(0)
以前、リアルタイムで書いたことがあるけれど、最近、療法士さんに話したら興味深そうに聞いてくれたので、ここにも書いておきます。カテゴリは「生きもの」にします。(生きものシリーズ、書けるか?)子どもたちが小学生のころ、子ども用のカラフルな機関車トーマスのハンガーを使って洗濯物をベランダに干していました。乾いた洗濯物をハンガーからはずして先に取り込んで、残ったハンガーをまとめてしまったら、手に震動が伝わるのを感じました、「ぶーん」という。え!?あたしまさかカメムシを、取り込んじゃったとか?と見るとハンガーとハンガーに挟まれた状態で、そこから這い出そうとしている黄色と黒のしましまの蜂がいました。これは美しいスズメバチ!すばやく考えました。階下に虫取り網を取りに行こうか!?いや、飛び回られたら捕獲はムリだ。脱出した蜂が窓から出てくれればいい、窓を大きく開けておかなくちゃ!まだもぞもぞと蜂が動いているのを横目に見ながら、窓とカーテンを大きく開け放って、素早く部屋のドアまで戻り細く開けて蜂の動向を見守ります。ようやくハンガーのあいだから抜け出した蜂は、一直線に窓に向かって飛んで行きました。安心して窓を閉めに戻りました。もしかしたら、蜂自体をつかんでしまっていたかもしれない、と想像するとオソロシイ。刺されずに、逃してあげられてよかった。そう、リハビリ施設で部屋のなかに、蜂が迷い込んできて、騒ぎになっていたので「大丈夫。あちらからは、わざわざ攻撃してこないから(^_^)」と、これは上に書いた経験からくる発言です。虫だって、自分の身を守るために防衛しているだけだ、実際。ですから、即座にたたきつぶすことばかり考えずに、安全に逃がしてあげることを考えれば安心です。まあでも、そうやって、虫や他の生きものの命を尊重できるようになったのは、やっとここ数年。小さい頃は、Tシャツの胸にとまった毛虫に叫び声を上げて、家まで走って逃げ帰ったものでした。今も苦手な生きものはたくさんいる。でも、ネコスケが家にいたころは、まずは観察してみようか!という気持ちが強かった。クマは今も、いちいち観察しないけど、優しく逃してあげることが多い。(黒いアイツもねw)害虫って言うけど、誰目線の話?ただ視点を変えて見ればいい。記事と関係ない余談:東京に舞台を移した音楽のおまつりの2回目を観ました。今年はサカナクションが大活躍でしたね。うん、おもしろかったよ。みんな、おめでとう!風さんは最近エルミーンさんとのコラボ作品発表の気配が見えましたね。はい次、か。次々にやってくる楽しみにうわ〜と大喜びして過ごします。嬉しいね。
2026年06月14日
コメント(0)
さっきネット記事をながめていて何とも納得できなかったのだけれど、オジサンの9割はメンツと書いてあって、だからZ世代はオジサンのメンツを傷付けないように気をつけなさい、と。はあ!?だ。何ですか?私はZ世代の青年たちの母親だけれど、そんなことに気をつけろと子どもたちを育てたおぼえはない。それでも、よくできたうちの子どもたちは、自分より年上の人に間違いを指摘したいと考えたとき、相手の気持ちを傷付けずに伝えるよう工夫するだろうと予想できる。(この段落でわかるのは、ただ、書き手の私がかなりの親バカなんだなということです)いやつまり、あたりまえの人間どうしのコミュニケーションを訓練すれば。それくらいは、できるのが当然ということですぞ?メンツって何ですか?プライド、誇り、体面、世間体(せけんてい)などと説明されていましたが、どうにも空虚なものという印象が否めませんね。前回、私は「知らない」も「わからない」も「間違えた」も正直に全部言っちゃえ!と書いたんですが、これはつまり、そのメンツというやつを捨てろと言っているのと同じです。必要なのは、知ること、わかること、正しい知識(と理解)なわけで、そこに間違いを見たとき、それを指摘してくれる人は、若かろうと、年寄りだろうと、小娘(これは、私自身の体験を根に持っているのだが)だろうと、ありがたいことじゃないかと考えますがね。間違いに気付かないと良くなっていかないじゃん。メンツを傷付けられたと悲しんだり怒ったりする人の事情を理解しない私は55歳を過ぎても、あいも変わらず正しくても優しくない人なんだろう。もういいよ、それは。年を取って、いろんなことを知って、経験してきて、若い人の役に立っているという実感があるから、機嫌よく過ごせるんじゃん。積み重ねた経験は、年長者の誇りといっていいと思うけど、何も学ばす、頭も使わずに過ごしてきたなら、他人の役に立たなくてもあたりまえだ。そうならないように、なるべく小さい頃から訓練していきたい。そもそも論になるけど、メンツを傷付ける若者がわるいのか、実のない空虚なメンツにこだわっている年長者がわるいのか、どっちよ。私は、年を取っている分だけ、後者のほうがタチがわるいと考えます。それと合わせて思い出したのが、横断歩道を渡りたい小学生と運転者の話で、横断歩道で停まってくれた運転手さんにお礼をしましょうねと小学生に指導する警察署があることを、怒ってらした方がいたけど、そう、停まるのが法律でもあたりまえなんだから、指導の順番が違うよね。こういう筋違いが、納得できないのはよくわかる。でもあれは、いちばん重要なのは小学生の安全なので、そうやって理不尽だろうが、無事に大きくなった子どもたちが「自分で」考えればいいことなのだ。「あんなのは、理不尽だったよな!?」と自分で考えて自分で怒ればいいのだ。そしてそのころには、彼らはみずからが横断歩道で歩行者のために停まるべき運転者になっているわけですね。そして、その時代の子どもたちの交通マナーに「まったく最近の子どもときたら!」と怒ったりするんだな。ずっとそのくりかえしなんだよ?くりかえしていけるってシアワセだよね。それがSustainableだ。←正確には、違うぞ(^_^)だから私は、ものごとについて、現時点で、どちらが正しいかわるいかを決めて断罪する気持ちはこれっぽっちもない。ただ、メンツを傷付けないように気を付けろといわれる若者に同情するし、メンツを傷付けられたと怒る年長者にも、なんなら同情する。あなたはその空虚なメンツを守る必要はないし、そのメンツとやらが、「あなたの価値」であってはいけない、と思うからだ。そして、100年か200年もすれば、「結果的に」なにが合っていたかわかるんだ。それまで続けていけるといいよね。もっと言うと、過去の歴史から「合ってた」を見つけることもできるよね。だから、振り返ることにも意味がある。と考えながら、毎日生活しています。シッポを切って逃げたヤモリの動くシッポに迷惑そうなお父さんの話をネコスケにしたら、人間相手に自切してもだれも得しないねと反応してくれて嬉しかった。私がおもしろいと思うことを一緒におもしろがってくれるのが嬉しいのだ。誰か私と代わってくれたらもっと嬉しいな(^_^)そして、MAJ楽しみだね!
2026年06月13日
コメント(0)
「知らない」も「わからない」も「間違えた」も、全部、言っちゃえばいいよ!恥ずかしいのは、知らないのに、知ったかぶりすること。わかりもしないのに、わかったふりすること。自分の間違いを認めないで、間違ってないといいわけしてとりつくろうこと。カッコ悪いよなあ。もしかしたら、自分が知らないこともわからないことも自分の間違いも恥ずかしいことだと、あくまで認めたくない人もいるのかもしれない。私にとっては、そこをテキトーにごまかすことのほうがよほど恥ずかしい。だから「知らない!」も「わかんない!」も、返事は、はやいよお?即答だw「それはつまり、こういうこと?」の聞き返しもすぐにする。わからないことをわからないままに放置しておくことができない。しかし私にテキトーなことを言ってごまかしたいときには、それが通用しないので旦那ちゃんなどは、つねに緊張感を持って生活しているわけだね、かわいそう。でも、私に向かっては、ほんとうのことを言え! ただそれだけだ。ゴマカシはムダ。いい感じにテキトーにごまかすのが「常識」ってやつなのかもしれないけど、それをしていると私の頭は混乱したままなので、間違いや不確かな情報は取り除いていきたい。できるだけ、頭に入れたくない。だから困るのは、テレビの解説者とか解説委員とか、実はそんなに専門でもなさそうな人が、自分の意見をもっともらしく理屈付けて言葉をつくして、まくし立てているときなど、この人の話はマジメに聞いていいのかしら?となる。正直、最近は、あんまりマジメに聞いていない。クマに「あの人がナントカカントカ言っていたけどそれはおかしいよね?」などと言うとそもそもマジメに聞くな!と怒られるので、息子に怒られたくない母はマジメに聞くのをやめた(単純)ひとつ、気になるので書いてもいいですかねえ。何日か前の羽鳥さんの番組で、玉川さんが各県の人口減少率とクマの被害者数に相関がある、と自信満々でフリップを出して説明していたのだけれど、どちらもトップの秋田県はともかく、人口減少率2位の青森県は、クマ被害者数の上位には名前が見えなかったのだが、世の中では、あれを「相関がある」と呼ぶのですか?私、そう習ったのかなあ、それが間違っている、と思ったわけではなくて、私なら、あれを見て、では、人口減少率2位なのにクマ被害者数がそこまでは多くない青森県は、どんな対策をしてるんだろう、と思いましたけど。だし、私がそう思うってことは、沢山の人がそう考えると思うのよ?青森県に学んだら?そう、あの番組を観るたびに、玉川さんがもっと優しい人だったらなあと思いますよ。もったいない、勉強はできそうなのに。そして、クマ関連で書くなら、宇都宮の市街地に現れたクマを宇都宮の人々が捕獲しようとする様子をテレビで中継していました。つまりこれは、仲間をクマから守るために、ヒトが集団で対抗しているわけだな、と。そしてやはり、科学技術(ドローン撮影や麻酔銃)を動員したヒトは強かった。しかし、あのあとも、各地に続々出没してますね。ある「種」の存続とか絶滅とかっていうのは、かなりの長期に渡る問題なので、簡単に答えは出ない。長期的な視点で研究を続けている人が必ずいるはずなので、話を聞いてください。お願いします。わからない人は「わからない」と言ったらいいよ(^_^)そして、私がネコスケに言ったのが「何か特定の種だけが続いていかなくてはいけないなんて理屈はないので自然にまかせるしかないよね」自然にまかせるには、ヒトは自然に手を加え過ぎたと思うけどね。だから、当然、私たちは、身近な人がクマに襲われるのを避けながら生活するしかないわけだ。自衛は、みんなできるじゃん。うちあたりでも、山からはるばるおなかをすかせたクマがやってきてもおかしくはない。近所の、同じ施設利用者さんの住んでいるマンションのゴミ置き場が開いていた、というので「クマがきますよ?」と笑ったんだけど、いや、ほんとにさあ、自衛して!?クマがきたら、誰かが助けてくれるだろうなんて楽観してちゃダメよ。まずは自衛してよ。それはともかく。最初に戻ると、「知らない」「わからない」「間違った」を素直に認めることで、自分自身をどんどん良くしていけるんじゃないの?と思うんです。逆に言うと、それができなければ、どんなに勉強ができようと意味がないのでは?と思うんです。正直ってことかしら?よくわからないけど(早速わからんのかいw)賢い人ほど、素直に「教えてください」って言えるよね。たぶん、合ってると思うんだよ?(^_^) 「(結果的に)合ってた」もシリーズ化して書きたいと思っています。すぐ忘れるし、考えているあいだに他のことを書きたくなってしまうんですけどね。今書きたいこと。さっき、雨戸を開けていた旦那ちゃんが言うことには、「ヤモリもシッポ切るの?」雨戸が開いて驚いたヤモリがシッポを残して逃げていったらしい。「シッポがうねうね動いてるんだけど〜」「興味を逸らすことに失敗しているなw」トカゲやヤモリは、シッポを切り離して、敵が気を取られているうちに逃げる作戦を取るはずだったと思うが。「シッポいらないから、そのまま逃げてよ」とっても迷惑そうだった。相手が猫なら効果的だろうね。ヤモリを襲う確率で言ったら、ヒトより猫だろう。間違ってない。生物、おもしろいね。あとは、ユウレイグモのエサを調べた。昨日からトイレの天井にいるあのコ、何食べてるの?と。そして今は旦那ちゃんが「キミだれ?」と駐車場にいる猫に話しかけていた。名乗らんよね、猫は。
2026年06月11日
コメント(0)
すこし前にあとで書くと言ったのに、書いていないことがあることに気付いたので書いておきます。私は、このブログの書き手であると同時に読み手でもあるので、自分の書いた文章が読むに足るものかどうか、少なくとも自分で読んでおもしろくもないものを書きたくはないのです。もっと言うとできれば、自分で読んでもおもしろいもの、構成のおかしくないものを書きたい。日記というものの意味を越えてね?何日か前に、クマが精神的に不調になってしまったら、私が、ネコスケに怒られると書いたのだけれど、そこの事情を書いておきます(なんと、そのように書いてあったのですよ)。ネコスケが、病院で診断を受けて、それがどうも、遺伝的な影響もありそうだという話になったとき、ネコスケが心配して言うことには「確率的にはワンとクマも同じなんだからボクに話してくれたことをすぐにふたりにも全部伝えてあげて。ふたりが何の知識もなく精神的に不調になったらいつ死んでもおかしくないよ!」「え〜、おかあさんが怒られるよ〜(そんな不穏な心配をするなよ〜って)」「死なれるより怒られるほうが300倍マシでしよ!」300って言ってたよなあ?数字はほんとに覚えられない。←どうでもいい。さらに、私と私の妹はもっと確率が高い?とただし好発年齢は20歳ころから20代なかばくらい?と言っていて、(27クラブとかさあ。)じゃあ、50も越したわれわれは大丈夫じゃない?と。実際に亡くなったいとこは23歳、ちょうどクマと同じくらいで、30歳も近くなってきたワンは、まあ、安心かなあ、と。心配してるのが、ネコスケと年子のクマ、さらにストレスの温床・学校教員だし、うん、わかった、じゃあ、お母さんが気を付けてよく見ておくからねと言ったんです。つまりネコスケは、自分こそ、他人から心配されておかしくない状態にもかかわらず、兄弟たちの心配をしていたわけですね。そして、ネコスケに言われて、私が連絡したワンが言うには「え!?ネコは大丈夫なの?」「うん(^_^)違うよ?ワンが、心配されてんだよ?」「???」混乱するワン。お互いを心配し合う兄弟たち。うつくしい。のか??ネコスケはさあ、死にたい気持ちになりながら、一人暮らしの部屋で、どうしたらいいかと考えていたわけですね。えらいな、あの子。その、死にたい気持ちに耐える力って何なんだろうね?メタ認知力と習慣かなあ?自分を客観的に観察する力と、私に言えるとしたら、「困ったら、お父さんお母さんに相談しなさいよ」と3人に言い続けてきたこと?なんでも、自分でなんとかしようとしなくていい。頼っていいんだと伝えてきた。頼る先が親だけでなければ、もっと安心。我々は先にいなくなるんだからね、も言い続けてきた。いるあいだは力を貸すさ、知恵も貸すさ、もちろん。お金も?貸してくれるかもしれない(無い袖は振れないw)うん、そして、ネコスケが言うには、あのふたりくらいに生物学的リテラシーがあれば、自殺した親戚の話(と自分の発症)を聞いても理解して冷静に対策できるだろう、と。芸は身を助くじゃなくて、知力は命を救う、だね。勉強ができることも役に立つんだね。そして、そんな(助けようとしてくれる)兄弟を持つことも助けになるよね。そう、そしてね、小さい頃からお父さんお母さんに、Help Ever Hurt Neverだよと聞いて育ってきた藤井風さんの言うことは、やっぱりその歴が長い分だけ重みがあって、みんなの役に立つと思うんですよ。そしてもちろん素敵な音楽だ。「特にない」を誰かにオススメしたいときにちょっと!!MVないじゃん!!ってなるよね。←なった人。日本にはリリックビデオってものがないのだが、過去の名作に歌詞表示して動画あげてる人いるけど、あれは、いいことになったんだっけ?←非難じゃないよ?疑問だよ?「特にない」は、日産スタジアムでのFeelin'Goodライブの映像などを切り取りで歌詞付きで観られるといいですよねえ。と何回か観直して思いました。(ライブの名前は曲名と違ったことに気付いて修正しました。ごめんなさい)元々のファンは、ライブを最初から最後まで観ると思いますけど。特に「特にない」をオススメしたいときにあれだけ別になってればなあと考えてしまった。というか、風さんの曲はすべてリリックビデオがあるといいですよねえ。そんな未来がこないかなあいや、そんなこと言ってないで、そもそも自分が、YouTube動画を貼る方法を考えなくちゃ。
2026年06月07日
コメント(0)
私の身体の半分が思いどおりに動かなくなったことを知ってるネコスケが、帰ってきて言うことには「どう?少しは良くなったの?」←あたりまえのように。「良くなるって・・・良くはならないけど、慣れてはきたよ、不自由に」もちろん、理論的には、脳の働きにはまだまだわからないことがたくさんあってダメになったように見える脳から、新しい機能が生まれることもある、ということは知っている。でもさあ、あたしは、この不自由を実際に、体験しているわけよ。運動を怠けない決まりは守っているけれども、とつぜん劇的に良くはならないさ。まあ、ただ寝ていて元通りになることのほうがずっと期待薄じゃない?だからひそかに(強く)希望を抱きながら着実にリハビリを続けていくしかないのよね。ネガティブケイパビリティの見せどころじゃないの。(最初の半年がとっくに過ぎたからって何よ!)失敗・転倒して怪我をしないように気をつけながら。 そう、お年寄りが転倒して骨でも折って入院したら、一気に動けなくなってしまうというのは、いまの常識ですからね。まあでも、ドラマGIFTなどを観ていると、私なんかよりずっと若い頃に身体の機能を損傷して不自由な生活を送らざるを得ない人もいるんですよね。先天的な不具合もある。それは、何の、罰でもないんだよ!?責任論って虚しいよな。誰かの不自由をカバーするために社会というものがあって、だから私は、私の子どもたちに、みんなの役に立つ人間になってくれと願ったよ。誰かの役に立っている実感は、彼ら自身を助けることにもなるとも思っている。あからさまに「人助け」を生業にしなさいとは思っていません。ただ、それぞれが、機嫌よく感じよく過ごして、周囲の困ってる人を助けてあげられたらいいなと思いますよ。基本的な生きる姿勢の問題だよね。そんなのあたりまえだよって人がたくさんいると思ってるんだよ(^_^)私ですら、そう考えるんだから。ヘタレすぎて、暑くても寒くても運動ヤダよ〜とか愚痴ってるけど。私はじっとして本を読んでいられれば満足だったんだから。あ、そうだ。「社会性」を身につけることの意味は、確かにあるのかなあと以前考えたんです。子どもが通う「学校」って(特に小中学校は)そのために役立つと思っていて、正直、勉強は、教科書さえ読めれば自分でもなんとかなります。だから少し前に、学校教育に対するニーズを羅列して考えたら?ってのんきなことを言ったんだけど、私は学校に、子どもたちに社会生活の予習をさせていただきたいわ!と思っていました。それは、うちの子が思いどおりにイヤな思いをしないで過ごせるようにお膳立てしてくださいってことではけっしてありません。他の人たちの考えることや行動と自分自身をどうやって折り合いをつけていくかを、体験して学べる場所だと思っていた。さいわい、担任の先生にきっちりお願いしなくても、子どもたちみずから、それを学ぶ姿勢で通えたと見ています。で、ひとつ前の日記に書いた本を読んでいて、ヒトは社会的な生物であると再確認しました。そうですよね、ひとりじゃ生きられない。みんながいて生きられるんだ。そういう生物だよね。そして、ヒトは比べるのが得意なんですって。比べるのもニンゲンの習性だって。そりゃそうだよなあ。大好きだもんね、みんな。あの人はああなのに、私は〜とか、昨今のSNS疲れだって、わざわざ他人と自分を比べにいって疲弊してるんだものね。まあ、それは、習性(本能)を乗り越えよう!としか言えんわ。それも程度の差がありますよね。他人が気になってしかたないヒトとどうでもいいヒトと。私自身と3兄弟はあまり、他人と比べてどう、を気にしなかったけど、旦那ちゃんは意外と気にしいだな。あ、そもそも、他人を下げて自分が上がったつもりになるな、アホか!!は私の口ぐせだったわw 脱線した。つまり、他人と比べる、もヒトの習性で生きるために必要な能力である、と。 あとね、嫉妬や羨望も本能だって。当然うらやましいと思うし、でもそもそも他人の成功は同じコミュニティの成功であるなら「わあ、よかったね」と喜ぶべきことだったと。仲間にも恩恵があるからさ、狩猟社会では。だから、その辺りの、そもそもヒトの本能(遺伝子による性質)だからってお話はおもしろかったんです。生物学って興味深いよな。ネコスケが生物学の人でよかった。もっと教えてもらおう。生んだ甲斐があったよ。ネコスケとその精神的不調の話をしていて、研究者を続けられるのかい?と聞いたら、本人が「生物学の世界にとっては(いなくなると)惜しい人材だね」と澄まして話していておかしい。真顔でふざける猫みたいだ。 毎日ものすごく忙しそうなクマを見ていて書きたいことがたくさんあるんだけど、小出しでいきます。梅雨入りしたのかな?異常気象は世界規模ですからね。あ、知床の環境異変についてNHKで観て、その話も書きたい。忘れないようにここに書いておこう。
2026年06月04日
コメント(0)
![]()
しまった。創作物の感想カテゴリをつくるべきか(計画性がない)まあいいや、後で考えます。次男のネコスケが久しぶりに帰ってきまして、しゃべりたいだけしゃべって、まだしゃべり足りないのか、後ろ髪を引かれるように一人暮らしの部屋に戻っていきました。話すって精神衛生上、大きな意味がありますよね。そういう意味では、自宅から通えるように都内の大学を目指すことを考えても良かったのかもしれない。でも、ネコスケが目指すに足る大学は、都内なら東大だけだったんじゃないかなあ。ちゃんと大学でやりたいことを考えていたし東大は、さすがになにもしなくても入れるレベルじゃなかった。高1の模試で全国2,000位内に入ったとき、担任の先生が「東大を視野に入れても?」って言ってた。でも目指すなら、本人の強い意志が必要だなあと思ったんです。そもそも「東大」というブランド自体にはあまり魅力を感じていないようだった。毎日楽しく高校に通って、部活も楽しんで充実して過ごしていたから、必死に勉強しなくても実力で入れる大学があるならそれでよかったんですね。本人に聞いてみないとほんとうのところはわからないけど、母はそう思っていた。だいぶ以前に書いたのだけれど、私が高校受験の年に、大学を出て就職したばかりのいとこが職場の建物から飛び降りて死んでしまった、というできごとがあって、葬式に出席して帰宅した母が言うには「アイコの寝顔がいとこの死に顔にそっくり」だと。高校受験生にイヤなことを言うよなあ!と思って、そのころから私は、私自身を甘やかすことに決めたのです。自分が追い詰められるような状況をつくらない。追い詰められて死んでしまいたいような気持ちにならなければいい。ですから私の楽観主義は歴が長いのですね。で、もちろん、私の子どもたちにも同じことを、注意してよく見ていました。彼らは、彼らが楽しいと思えることをして、知力を上げて、自分の力をつけて世の中の役に立てるようになればいいんだ、と。だからわざわざ自分から苦しい思いをすすんですることはないと考えていて、少なくとも「苦労した」ことをほめることはなかった。え〜、そんなの、苦しまない方法を、頭を使って考えればいいんじゃね?だ。 ただし、ズルをすることはゆるさないw 楽しんで、学力が上がれば理想的だ。だから、なるべく小さいうちに、博物館や水族館に連れていって、あたりまえのように自然科学に興味をもつようにした。ネコスケは、3兄弟のなかでもいちばん興味を持った。博物館にも水族館にも、そもそも行きたいのは母親の私だ。3兄弟とちょくちょくデートしていたようなものだ。出かけた先でみんなでレストランに入ることも彼らは楽しみにしていた。お母さんがうれしそうだと、子どもたちだってうれしい。それは、見ていてよくわかった。そして、方向オンチのお母さんには、道案内が必要だ。彼らは、十分にお母さんを助けてあげられた。池袋駅を出て、あら?ちょい待ち、サンシャインはどこよ?と空を見上げたときには、子どもたちに口々に「だからさっき、そっちじゃない!あっちだよ!って、言ったじゃないか」と怒られた。夏休みには張り切って出かけたものだ。そのお出かけは、3兄弟と母の楽しみで、ときどきは父の運転する車で出かけることはあったけれど、切符を買って、電車を乗り継げば、お母さんと子どもたちだけでも、ちゃんと目的地にたどり着けることは、かれらの貴重な体験の機会になったと思っている。ちなみに、父の名誉のために書いておくと、身体を動かす遊びや、夏休みの大きなプール遊びなどは父の担当だった。私が、川遊びについて行って、浮き輪に座ってプカプカ浮いている子どもたちが流れに乗って遠ざかって行ったときには「ちょっとお!流されてるよ!」と心配した。みんな無事に育って良かったよ。教員になったクマなどは、自分の育った環境があたりまえのものではないことを教育実習で知って、そのありがたみを実感しているようだ。山も川もすぐそばにある場所で育ったことは彼の財産だ。そう、そして、ネコスケが大学生になって、コロナ禍時にいきなり一人暮らしをすることになったとき、私は亡くなったいとこの話をしたつもりだったし、伝えたつもりだった。だから、自分を追い詰めないように努めろ、と。でも、ネコは聞いていないし、伝わってもいなかったらしい。大学院に進んで研究に夢中になって、論文執筆に集中していたある日、気持ちと身体の調整がうまくできていないことに気付いた。研究室に行きたいのに行けない、と。何だこれは?と考えたネコスケは、お医者にかかることを考えた。精神的な不調を覚えたとき、どのお医者さんに相談したらいいかというのを、教えなくても知っているというのは助かる。自分自身で死なないように努力することができている。それができなかったいとこは、飛び降りてしまった。自殺の是非というのは、道徳的、宗教的に「死んではいけない」以外の抑制条件はないと思うが、何かありますかね?私がネコスケに言ったのは「もったいないから死ぬな」というごく単純なことで、意外にもネコは「そう、結局倫理的な観点しかないからね」と納得していたようだ。長くなってるけど、ネコは、自分の不調について考えつくしてから、考えたことを、母に話したときに「ああ、じゃあ、うちの死んじゃった人たちもそれかな?」という私の発言を聞いて「は?なにそれ!?」となったらしい。その後のてん末が以前書いた「怒りの感情」という日記。ネコスケは、自分だけ?と心細い気持ちになっていたのが、どうも家系からくる遺伝的なものらしい?という可能性に気付いて、謎が解ける感覚になったらしい。私の母も、私自身も、自殺してしまった人たちの事情は心の問題だと思い込んでいて、そんな発想はこれっぽっちもなかった。知識もない。昭和の、うつは心の弱い人の病気という思い込みは害悪でしかないよね。そして、双極性障害の症状とうつ病の症状はよく似ているので、誤診の結果、効かない薬を処方されて苦しい思いをした人もたくさんいたに違いない。ネコスケが、自分が調べて納得したこと、考えたことのポイントをしぼって、私に教えてくれたのでよくわかった。少しずつ共有します。で、事務的な手続きと元気な顔を見せるために暑いなか、帰ってきました。折しも、阿部監督の事件があったタイミングでしたので、「知ってるかい?」とAI(チャッピー)について話していたら、ネコが「AIが飛躍的に進歩するのは、まだまだ先だろうね」と言うので、小林武彦さんの『なぜヒトだけが幸せになれないのか』には、小林先生が生物学の大発見は50年おきにやってくる、そして、次の大発見はAIに関わることだと予測しているよと本を見せたらパラパラとめくって、ポイントを押さえて帰って行きました。詳細は本書を参照ください。ネコスケは遺伝情報(ゲノム)の研究者:博士学生です。餅は餅屋かな?小林武彦先生ってお名前見たことあるな、著者プロフィールを見ながら、あ、そりゃそうだよなと言ってました。私はずっと推理小説や探偵小説が好きでたくさん読んできたけれど、最近は、自然科学、社会系の書籍が好きです。なぜヒトだけが幸せになれないのか?を説明してくれるの、ワクワクしますよねえ。もちろん、著者の考えも多いけど、何が科学的に判明していて、何を根拠にそう考えるのかを、しっかり説明してくれてますから読み終えてすっきりします。ほんと、おもしろかったから読んでとしか言えないわ。何書いてもネタバレになっちゃう。弥生時代に農耕が始まって、そこから、財産という考え方ができてそれを「弥生格差革命YKK(チャックの会社じゃありませんよ?)」は鉄板で毎回ニヤニヤしてしまった。あと、老年的超越と言う言葉はヨーロッパの学者さんが名付けたらしいけど、つまり私は施設で老年的超越に囲まれて生活してるんだな。なんかわかる。ムリヤリひとつの日記にまとめました。だって、ひとつの感想日記にするほど、書ける気がしないんだもの。ネコスケには「ねえ、自分で自分を観察して研究するってのはできないの?」ときいたら「もう記録はとってるよ」と言ってました。私も見守ります。台風🌀気を付けて。気を付けて過ごすしかないんだよではでは。↓これです。去年出た本。なぜヒトだけが幸せになれないのか (講談社現代新書) [ 小林 武彦 ]
2026年06月03日
コメント(0)
生きてる生きてるwなんだか突然、末っ子クマ視点の思い出にみずからなってしまった。クマはきっとずっと未来になって「あの人、とんでもないんだよ〜」って言うんだろうなと振り返ってしまって、めそめそしていたのだけれど、私の気分を、見たままに想像する旦那ちゃんは「泣いてる〜どうしたの」と意味もわからずなぐさめてくれるわけです。でも、泣きながら笑ってるわけですよ。だってとんでもないもの、実際。クマが大学生になった頃から、彼の感じた社会問題についての意見を聞きながら、何度「うん、そうだね。そうだけど、それ(問題)とクマは直接何の関係もないんだよね。 クマは、クマ自身が一番良いと思うことをすればいいだけなんだよ。オッケー?」つまり、世の中にどんなに間違っていると思えることがあろうが、それを理由に彼が怠けたり投げやりになったりするのは、まったくの筋違いである、と。そんな考え方で彼は、教育現場にいどんでいるわけだ。たいへんだよね(^_^)もちろん、逃げ場がないほどに追い込まれてしまったらいけない。私がネコスケに怒られる(この件は、別の日に書きます)自分にとって最善に思えることが、実社会で通用するとは限らないわけで、まずは、校長先生や先輩の先生方に相談してみてね、も毎回言うのだけれど。今話題のというか、大事故になって、日本中の問題になっているに違いない、部活動の送迎問題とかね。困ったことに経験則が働かないんですよ、新人なんだから、そりゃ。顧問の立場で、生徒も保護者も教員も、みんな安全で困らない方法を選ばなくちゃいけないんですよね。私たち両親は、保護者の立場で臨んだことは、ある。クマは、部員の立場。真夏や、最近では梅雨前にも今みたいに暑くなる季節どこかの体育館に遠くから大勢で集まって大会をしようというのは、なかなかの無理難題。どうなるかしらね。私たちは、思い付く限りの案を出してあとは、成り行きを見守るしかない。人命第一で。死なないように気をつけることは預かる立場としては最優先だ。これがさあ、日々の雑事に追われてその大事な判断がおろそかになってしまうことがあるわけですよね?何か他のことを優先してしまったり、しっかり考えなかったり。何か問題が起きたなら、そのあと同じ失敗をしないように対策することができるよね。そのために失敗は有効活用できるんだよ。失敗することを何が何でも避けようとする必要はないよ。でも同じ失敗はしないように努力しよう。注意も努力もしていないように見えるとき、非難されるんだよ、そういうことだ。何もおかしくないよね?無責任がダメ、は、もしかしたら、私の強い思い込みかもしれない?ぜったいにできないんだけど。無責任でうまくいくことってあるのかな、わからん。無責任に激怒した経験ならある。5年生のときに、登校班の班旗を放り出して友だちとフラフラと帰ってしまった6年生の男子にブチ切れて「いいかげんにしてよ!」と班旗を地面にたたきつけたことがある。これは、いつも思い出す苦い思い出だ。つまり、彼は、自宅近くになって、自分が班の子どもたちを置いてきてしまったことに気付いて、途中で待っていたわけですね。(エライ)そして、残された副班長の私は、小さな子たちをなだめすかしながら、無事に連れ帰らないといけないと緊張していて、ブチ切れた、と。どうもその頃から、必要以上に、小さな子に不安な思いをさせてはいけないという強迫観念があったんじゃないのかなあ。もっと気楽でいいよ〜と言ってあげたいよ、あの子に。失敗は有効活用できる、をたくさんの人たちの間で共有すればいいだけの話じゃん!あれか、なんとか先生、何だっけ?思い出せん。あ、しくじり先生か。私に書けるのは?脳出血で片麻痺になった、か。ああ、健康診断はきちんと受けてください。運動は定期的に続けてください。そんくらいか、いや、だって、失敗だと思ってないも〜ん、(バカ)ADHDにセルフネグレクトの傾向があるって?自分のことは後回しにするというのは、あった。だから、忙しそうなお母さんたちには「なるべく自分を大事にしてね」と声をかけているよ。それは、学習した。母親が自分を大事にすることが子どものためにもなるんだよ←結論。
2026年05月31日
コメント(0)
昔からずっと考えていることに「こどもは今はまだ小さいだけのおとな、 おとなは少しまえのこども」ということがあります。私は、あたりまえのことしか書きませんよ?wあたりまえなんだけど、みんなが意外と気付いていなくて、そのせいでいろいろな不具合が起きているなあと感じることです。ちなみに私自身は、「少しまえの子ども」どころか、いまだに子どものままの意識を持ち続けている自覚があります。つまり、10歳頃から、「私」の考えることは変わっていない。もしかしたら、それは、マズイんじゃなあい?という気持ちもある。私はおとなになれないままなんだな。年だけとって身体は老いていくけれど、精神は子どものままってことだ。だから実体験から考えた。おとなっぽいこどもは、どこかの時点で、「こどもっぽいおとな」に逆転する。子どものころはずっと、実年齢よりも年上に見られたし、そういえば、30歳で次男のネコスケを産んだあとに髪を切りに行った美容室で「大学生かと思った」と言われたことがありましたね。(すでに逆転している)あのころ、私が中学生の頃に着ていたスタジャンを母が引っ張り出してきて、体型は変わらないからまだ着れた。母は「まあ、10こは若く見えるわね」と喜んでいたけど、「まさか、20代なかばには見えないでしょw」と笑った。化粧は下手すぎて、若づくりというのができない、そもそも。あのスタジャンを6年生のころのワンが気に入って着ていたら、友だちと遊びに行った先で自転車で転倒して、ヒジを破いてダメにしてしまった。坂道を猛スピードで走り降りてしまったらしい。真っ青な顔をして帰ってきた。「死ぬかと思った」のだろう。そんな経験をしたら、イヤでもそのあとは、自分で気をつけるようになる。私たち親が言ったのは「無事でよかったよ、ほんとに。死んでたかもしれない。スタジャンがだめになったくらいで済んでラッキー。クルマが来てなくてよかったよねえ」親の立場の私たちにできるのは、彼が死なないようになるべく注意を払うことだけで、常に目を光らせて死なないように見張っていることなんてできないのだ。死んでしまうとしたらそれは、子ども自身の生命力によるものだ。(5月初めの「美しいたましい」を参照)親にできるとしたら「できるだけ死なないように気をつける」ことを自分自身でできるように教えて育てること、だけだ。でもね、「生まれてこないほうがよかった」って考え方もあるでしょう?反出生主義っていうんですって。「生きていたくない」じゃなくて「そもそも、生まれてこなければよかった」という考え方ですね。子どもが育つ過程で、そんな気持ちを抱くことだってあるかもしれない。そしたら、どうする?そんなこと言わないでくれって泣くの?私は、そんなの(泣きおとしで考えることをやめさせようとするなんて)イヤだなあ。何をどう考えようと、子ども本人の自由だ。他人をミッチリギッチリ管理しようとするよりも、自分自身のことをよく考えてしっかり話し合えるようにならないといけないよね。子どもがそう言い出したなら、なぜそのような思考の流れを辿ったのかを知りたい。子どものころから、私が考えるようなことは、おとなにももっと昔に思いついて、もっともっと考えつくした人がいるに違いないと考えた。 私自身は、ただただ本能のヒトだから、生まれてこなければとか、生まなければとは考えないけど、昔から、地球にとっては、人間って害だよねと考えていて、地球をぶっこわしてきたね!と思うし、ニンゲンがこんなに繁栄しなければ地球という星はもっと長持ちしたし、平和に保たれたんじゃないの?と、子どもらしく考えた。でも、きっとうまくやれると思ってるんだよ(楽観的)どんなにダメそうなことをしてしまうヒトが出てきても、他のみんながいれば大丈夫だと思ってるんだよ。だから私はここで、私が気付いたことを書いておきます。
2026年05月30日
コメント(0)
日記を書いておこうかな。今週の話。巨人の阿部監督が自分の娘さんに暴力をふるったからと逮捕されるなら、私の暴言も、いつか逮捕されることになるのかと震え上がる昭和育ち。鉄拳制裁、昭和なら、あたりまえにしてたと思うんだよ?しつけの名のもとに、親の仕事という名目で。まあ、AIは、忖度しないよねとあらためて思った。NHKで週末に「有罪、とAIは告げた」というドラマを放送していて、原作は中山七里さんの小説で、こちらの私の感想がひとこと「Alは忖度しないよね」だった。人間なら、永山基準という法律ではない決まりを念頭に判断するけれども、AIはそんなの知ったこっちゃないですからね。判断基準として示されていること(法律)以外は無視しますよね、それはあたりまえなんだよ。余談;しかし、あのドラマのAIの視覚的イメージって、あいかわらず昭和でアップデートされていないのがおかしいのだが、あれって何なの?手塚マンガかな?そして、Alは、日本人が「しつけ」と称して子どもを当然のように張り倒してきたなんてことは知ったこっちゃないので、親に暴力をふるわれたなら、あなたは児童相談所に連絡することができますよ、と相談者に寄り添うわけだ、それがチャッピーの仕事。わかりやすい。よくわかった。たぶんみんなが、わからなくちゃいけないのは、AIは万能の神様じゃなくて、学習した膨大なデータをモーレツな速度で計算して。この場合は、こう、と答えを導き出してるだけのシステムなんだってこと。、それを、あなたの代わりにしている。あなたの期待に沿うように。それは、道徳に基づいて動いているのではなく、あくまで商業的に動いていて、人間が言いなりになってしまうと、道徳的には問題になることもあるだろう。そりゃそうだ、納得しかない。ですからね、私が旦那ちゃんに「バーカバーカ」とおとなげないワルグチを言っても、彼が「妻に暴言を、はかれたらどうすればいい?」とチャッピーに相談して「それは、DVですから警察に相談することができますよ」と教えてもらってw真に受けて通報するような(アホな)未来がきて、そのころ、家族の尊厳を傷付ける発言は断固いっさい許されないのだよ、タイホ!という時代になっていたら逮捕だよね、うん、その前に死ぬから大丈夫。戯れ言にもほどがあるんだよ。最近は「ざれごと」という言葉が気に入っている。冗談は終わりにします。 何にしても、ニンゲンみんなが、自分自身をより高い視点から見下ろしてみるしかない状況に追い込まれているのだから、強制次元上昇じゃん?自分を客観的に見られないヒトは生きてゆかれないのだな、もはや。いっしょにがんばろうぜ!そして、あといくつか、最近気付いたことを書いておくと、何日か前に、「風、薫る」で華族の奥様がりんさんに怒ったと書いたんだけれども、現象は合ってたけど、言葉が違った。私は「簡単に」と書いたけど、奥様は「たやすく(わかるなんて)」って言ってた。気付いて少しショックだったんだけど、たぶん私の脳内には「簡単に」「容易に」「たやすく」はすべて、同じニュアンスの言葉として収まっている。同じひきだしの同じ棚だ。それは、間違っていないけど、「違うよ、明確に」と怒る人がいてもおかしくない。文章に書くならなおさらだ。ごめんなさい。そして、(連想ゲームですから)脳にしまってある、ということで思い出したのが施設で、「お笑いマンガ道場」の話をしていて、あの太っちょのマンガ家さんは誰だっけ?冨永一朗、は痩せてるほう?いや、痩せてる漫画家さんは鈴木義司さんだね、絵の上手な女優さんは、川島なお美でしょ?職員さんたちは40代後半くらいが多く、観てたとしても、そうとう小さかったと思うんだけど、よく覚えているよね、すごい。そして、私が思い出したかったのが、ゲジゲジまゆげのおじさんの名前。ネットで調べればすぐにわかるのは知ってるんだが(ジェミニに聞けばすぐw)私は自分の頭のどこかにかならずしまってあることを知っている。そして思い出した!左とん平・・じゃない!車だん吉さんだ!絵が上手だったね。で、それを話し合った職員さんに伝えることを忘れないように覚えておかないとね。何日か経って「聞いて!思い出したよ?」と言ったら「そうだそうだ!」と喜んでくれた。「ネットで調べたの?」「違うよ、思い出したんだよ(^_^)」「それはすごいな!」(ムダにAIと張り合うヤツねw)「お笑いマンガ道場」大好きだったからね。週末のお笑い番組は全部観ていた。まさか何十年も経ってから、話の通じる人に会うとは。うれしいな。少し前のドラマ「時すでにおスシ!?」で、母子家庭で新社会人として新人研修に行ってる息子さんが、母親の寿司学校での評判を母の同級生に聞いて、母をみなおすという流れがあったのだけれど、ドラマの感想はまた別の日に書きます。私などは、もはや、社会とのかかわりも限られていて、誰もほめちゃくれないなと考えたら、いくつか思い出した。病院に行ったとき、いつも音楽の話をしてくれる療法士さんが、「話したいことが100個くらいありますよお」「癒しですよお」と旦那ちゃんに話しているのを聞きながら私はAさんはお仕事中だから100コ聞くわけにはいかないなあと考えていた(比喩だよw)彼女のジャマにならないように、彼女の話を聞くことのできる方法は何だろうな。まあ、何にしても、話したいと言ってくれる人がいるのは嬉しいことだ。そして、上に書いたお笑いマンガ道場の職員さん(?)は、以前「安心してあなたの手を放すために」にも書いた、私に手を貸してくれるだけではなく、私自身ができるようになることに手を貸してくれる人なので、とても信頼しているのだ。施設ではお誕生日に、職員さんたちから言葉を添えてカードを贈ってくれるんだけどそこに「女性としても母親としても理想」と書いてくれて、恥ずかしくて死にそう(死なない)実際、そんなことは、ありえないけど、それでも、そんなふうに見ていてくれる人がいることは私の励みにはなる。そんなことを覚えていてうれしい私は、母の言う「幸せな」(頭のあたたかい)ヒトなんだろう。いいよ、それで。言葉ってふしぎだね。昨日はふわふわパンケーキを食べに連れて行ってもらいました突然の日記オチ。いろいろ考えています(^_^)
2026年05月28日
コメント(0)
ほんのすこし、カテゴリ分けをしましたが、すぐさまもとに戻ります。今日の日付けを見ていて、「ねえ、にじゅうごにち、って言うけど、にじゅうよっか、にじゅうよんにち、もあり、 にじゅういつか、はダメよね?言わないわね?」ここで、イヤホンをしてゲームをしていたクマが「なんでだろうね?」←つまり、疑問を抱いていい内容だと!日本語の、これは、大和言葉系?日にちの呼び方フシギ、ヤマトコトバじゃないなあ、大和言葉の数字は、ほかにちゃんとありそう。知らんけど。こないだ、リハビリ施設で脳トレやってて、文字並び替え「づなきみ」なんでしょう、問題の正確な並びは忘れちゃったけど。基本、すべておじいちゃんおばあちゃん向けの問題なので、私は分かっても、はりきって答えない。←あたりまえ。みんなのアタマの体操になるように黙っている。でも、様子を見ていると、ひらめいたら、すぐさま言ってしまいたい人はかならずいる。声に出して言ってしまっても、そもそもみんな、聞こえてないから問題ないわけだな。で、若めの私は、すぐにわかっているだろうという前提で、職員さんに指名されて答えざるを得ないことも多いので、ボンヤリしていてわからない、なんて事態は避けたい。つーか、並び替えなんて、文字を眺めていたらそのうち思い出すじゃん?こたえは「みなづき」なんだけど、これは、昔、子どもたちに「6月は梅雨なのに、水が無い月で水無月なんだよw」と習ったので、よく覚えている。ヒマなので、他の旧暦の呼び名を思い出そうと思ったら、そもそも、覚えてないんだから、思い出せない。忘れたくても思い出せない、を地で行くことになっている。覚えていますか?幼なじみが1月生まれで、睦月をかろうじて思い出した。あとは有名どころの、師走、弥生、皐月(五月)、葉月くらい、水が無い月と神がない月があったよね、神無月。長月、文月、如月あたりは、ことばは覚えているけれど何月かはわからない。これらは、数字とリンクしているので、私の頭には定着しにくいのだ。クマは、全部覚えていて、「どこで憶えたでしょうか?」とニヤニヤしているけど、覚えていない母は、そもそも教えられない。ということは学校か。学校教育だが、授業じゃない(残念)クマの知識は授業中にヒマだなあとめくっていた資料集によるものが多い。資料集をめくっていては注意されていたらしい。(「資料集を見ていい時間じゃなかったんだよね」とのちに大人しく語っていた)でもそれを聞いた母は正論で、「だったら先生は、ヒマにならないおもしろい授業をしなさいよねえ!」と文句を言っていて、授業中に資料集をめくることがわるいことだとは考えない。だからクマはすくすく育った。何をおもしろいと思って夢中になるかは、人によるんだから、それをハナから否定すべきじゃないよね、という話。ちなみに、クマは、伝統を守ることを重要視していないので、よく言い合いになるのは、「南部鉄器にどんな価値があるかって話だよ!?」「あるわよ!インバウンドなんか、きっと大喜びよ!?」南部鉄器は何も悪くないんだけど、伝統工芸の代表として、小中学校の教科書に載ってるんだよね。たぶん、そういう「伝統」の価値を理解するにはクマは若過ぎる。そんなことも、あるよね。Xのトレンドワードに「ネコ クマ」があったので、何があったのかと思ったら、クマが飼い猫を食べちゃったの?まあ、お腹ペコペコのクマはそんなこと知ったこっちゃないよねえ。基本、空腹に耐えられない私は、簡単に、お腹のすいたクマに共感するのだ。さっき旦那ちゃんに言ったんだけど「ねえ、日本民族VSク〜マ〜みたいなことになってるわね?」←スマブラ風に発音してね。この地での生存権をかけて争う日本人と熊、みたいな。「熊と日本人が本気で戦ったら、どっちが勝つと思う?」「は?殴り合い?そりゃク・・・。」「まさか、知恵も動員して、すべての科学技術も使ってよ?」「そりゃ、日本人だろうけど、外國では、ちゃんと、共存してんだよ?」「そうだよね、非難されるんだな、日本人は、すこぶる野蛮だって。クマを絶滅させるなんてって。」そう、グズグズ言ってないで、クマなんてさっさと絶滅させろって乱暴な意見もあるんですけど、そんな感情的な!そんなことしていいかどうかはよく考えないといけませんね。仲良く暮らさないと地上の生き物はやがて、みんな絶滅するんですよ。そんなのダメだ、というのは、ワタシの本能がうったえていることで、たぶん、合ってる。そんなこと言ってたら、大谷の打席を見逃したじゃないか!と怒られ。我が家は今日も平和だ。
2026年05月24日
コメント(0)
メタ的にね?あなたのことじゃないのよwでも、あなたのことでもある。意識としての私自身、その他のヒトたちのことを「あなた」と書きました。ほとんどの人に、何言ってんだ、こいつwと思われる自信がある。慣れてる。でも小さい頃から私は、私の考えたことが伝わるように文章を書くことを考えてきて、それは学校でいい成績を取りたいとか褒められたいとか、もっと言えば、書くことで稼ぎたいとかいうわかりやすい動機によるものではないので、すべてのヒトに、伝わる必要はない。自分の考えたことが伝わる文章を書く、そのために知識を増やしてたくさんの経験をして、文章力を向上させるというのは、私の人生の命題といえる。(語彙も増やして使いこなすよ)そして、何かの縁で、必要としている人に届けばいいなと思っている(^_^) みんなの役に立つ「情報」というのを持ってはいないので、ほぼ役には立たない。書かないより書いたほうが私の訓練にはなるからね。それに、書くことが好きだ。 前置きが長いけど、カテゴリをすこし整頓しました。「小学校」と、先日書いた「よその子を叱れるか」をまとめて読めるようにしました。そして新しく「生き方」について考えたことをカテゴリにわけて書いてみようかな。整頓するのが苦手という自覚があり、できればシッチャカメッチャカのままで置いておきたい。でもそれだと、私自身も不便なんだわ。もうちょっと書き方を考えたほうがいいかもね、と反省するヒトである私は考える。「ヒト」というのは「なぜヒトだけが幸せになれないのか」を書いた小林武彦さんが、人間を生物学的に他の生物と区別して呼びたい時に使っていた呼び方で、まあ、まだ感想日記は書けないんだけど、すでにかなり影響を受けている。自分を生物学的に見るってつまり、「まわる虫」(2025年10月26日)に自分を重ねた私は、自分をたくさんのヒトのなかのただの1個体と深く自覚したわけだ。(メタ的に)その私は、どのように生きてどのように生を終えるのが良いか、昔からずっと考えているわけです。まあ、生きると死ぬって何だろうって、子どもに伝わるように言うなら、そうなるかな(^_^) 正直に言うと、子どもにこそ、読んでほしいよね。おばさんになっても、こんなに聞き分けのないことを言い続けてる人がいるなんてって思ってもらえたらいいさ。だいたい笑っちゃうようなことばかりだ。Alが情報を集めてまわっているなら気を付けないと。具体的な書名なんかを書いてしまうと、ヘタなことは書けない。真剣にお腹の底から考えたことを書くよ、そのうち。それを、誰が放った文字列なのかを正しく認識できていれば、なんでもかんでも信じるようなことにはならないんだよ。文字列をネット世界に「放つ」イメージでいます。それが、すべて毒にはならないことを願いながら。デジタルデトックスって言葉があるじゃないですか。毒消しね、たしかに、自分では制御できないネット接続習慣をクリアする、という意味では毒消しだろうけど、ネットなんてわるいだけ、みたいな考え方は悲しいし、イヤなんですよ。すべては、使い方じゃん。だから、極端な他責思考も自責思考も好まない。ただただ良くする。現状を良くすりゃいい。そのために、何ができるか考える、そういうことです。どんどん良くする、は遺伝子に刻まれてるけど、どうやって使うか、は、追い付いていないんだって、科学技術の進歩が速すぎて。だから、ヒトの未来がつづいていくなら、ずっと未来のヒトの遺伝子に強く刻まれる経験に今直面しているのかもしれないよね。うーん、1生物学者の本に影響を受け過ぎといえば、そう言えなくもないw でも、それはたしかに!って思うこともたくさんあったよ?←レビューを書けよ。おもしろかったから、読んで〜としか、今は書けない。違う視点を教えてもらうって嬉しいよね(^_^)物理的に振り回される絶叫マシンは嫌いだけど、考え方を変えてくれるものは、大好きだ。ある意味、より危険なんだよな(^_^)フツーに、お天気の話題を書こうか。暑くなったと思ったら、なんだかまた、うすら寒くなりましたね。今の時期に、運動会の子どもたちには、ちょうどよかったかな。降らない程度なら。このまま、梅雨に入るのかな水不足も解消されて山火事も減るといいよね。
2026年05月23日
コメント(0)
今週の「風、薫る」で仲間由紀恵さんの演じる華族の奥様が(乳がんで入院して)「簡単にわたくしの気持ちがわかるなんて言わないで!」と看護婦見習いのりんさんに怒っていて、それを観たときに、そういえば、と思い出した。そうなんだよ、「わかる」ことも大切だけど、気持ちに関しては、あくまで想像に過ぎないことを忘れてはいけない。安易な「わかる!」は、怒りをかうよね。という気持ちで書いた日記が2024年9月13日の「わかるわけがない!」でした。しかし、ざっと読んでみると、ほんとに同じことしか書いてないのね、私。でもおなかの底から信じていることって簡単に変わるもんじゃないし、わざわざ文字にして誰にでも見えるところに置いておく価値のあることってなんだろうって考えると同じになるよ、そりゃ。私は全世界に向かって個人的なグチもワルグチも書きたくないわけよw その自覚ってある?今日は朝から『なぜヒトだけが幸せになれないのか』という去年の今ごろに買った本を読んでいて、そのなかで著者の小林先生がネット世界なんて、電源を切ったら一瞬で消えると言ってて、そうね、と思ったんだけど、この本の要点はそんな話じゃないので、もうしばらく考えてから感想日記としてまとめます。今、書けることと言ったら、おもしろく読みました、フハハハと笑いながら。そして、生物学者というヒトが好きだ。これは実感(もちろん、うちのネコスケのことも好き)。そして最近気付いたことを書いておくと、不登校ってひとくくりにしてるけど、「行けない」と「行かない」があるよね?「行きたいけど行けない」と「行きたくないから行かない」を一緒くたにして対応しようとしてませんよね?まさか。クマに聞いてみたら「学校に来てない=不登校だからどっちも同じだよ」学校側としては同じ扱いなのかしらね。ええ?いいの、それで。そりゃ、大変だ。学校って、子どもは育って出て行くからそれまでなんとかしのげ!なんですかね。長くいる先生方は、どんどん感覚がマヒしていくのかな?ずっとアップデートしつづけるのはムリなのか?現場は私なんか想像できないくらい、大変なんだろうと思いますが。そんな複雑な不登校児の対応も現場の先生方がしてるって、仕事の種類が多すぎませんか? 単純に。教員の入口の間口を拡げるっていうのは、その点では意味がありますよね。外部からきた人が入ることによって、こんなことも先生がやるんですか!?って気付いてくれるだろうし。私なんかなまけものだから、それは、私の仕事じゃないですってすぐに外部に分担しようとしますよ。(デリケートなんだよね、それが!教育現場は)そういえばすこし前に読んだ記事に、中学校の教員を長くやってる女性が教育学部に通っている自分の娘に「教員は絶対にやめておけ」と言っている、と。その方は、子どもが小さいときにはあえて、苦しい様子を見せないようにしていたと言っていて、仕事楽しい!という様子に見せていた、と。(我が子への教育としてね、わかるわ)その方のお話、現場をイメージしやすかったんだけど、盗撮カメラのチェックまで教員がするんだと。民間なら、専門の仕事以外は、専門の人にお願いしてくださいと言いますよね。そんなのフツー、素人がしないでしょ。でも、先生方、ちょっと頑張ればできちゃうんですよね。元々、頭のいい人が多いんだし。私と同年代以上なんて、みんなそうだと思う。で、子どもたちのために、自分がちょっと頑張ればって、なんでもやっちゃうんだな。で雪だるま式に身動き取れず。だから、その記事を読んだあと、私がクマに言ったのは、「先生は、目の前の子どもに授業ができる。そして、穏やかに生活することを身を持って教えることができるんだよ。それは立派な専門性だ。」何でもできる必要はないけど、目の前の子どもに、授業をする、おだやかに機嫌よく過ごす。それは、できてほしい。自分の仕事ではないと思えることをしぶしぶでも引き受ける、というのは、子どもの手本になる行動ですかね?娘さんに同じ目にあってほしくないのなら、そう教えるのがいいですよね。もちろん気持ちはわかるんですよお。クマにも聞いてみました。「現場の先生方は子どもたちのためにって頑張ってるよ、でも、そろそろいいかげん限界、て感じ?」頑張りもそう長くはつづかない、と。保護者に話が通じないのはつらいですよね。そこだな。その保護者の育ててる子どもだからなあ、話は通じないわな。それでも、先生方にも子どもたちにも良い道ってないのかなあと考えてしまいますね。まあ、私は、あまりうちのクマに背負わせてはいけないので、いや、あの子は背負わせせたつもりの荷を、全部玄関に振り落として行く子だから、心配ないな。(比喩ですw)私は理想を語っているだけで、クマに押し付けているわけではない。ただ、ことあるごとに、「子どもたちにやさしくね」と言っているのは刷り込まれているとは思います。「クマ! 悪意には悪意しか返ってこないんだよ!?」そんなの、知ってるよ!?まあ、私にできるのは、クマのグチを聞くことと、身体を壊さないように気を付けること、くらい。先生は、元気で機嫌よく子どもたちとともに過ごせることが、いちばんだと思いますよ(^_^)クマの教育学部時代にも母(クマの祖母)には「わざわざそんなたいへんな仕事をしなくても〜」と言われ、就職後には旦那ちゃんに「よく(教職を)すすめるなと思ったよ」と言われ、いや、言っとくけど!私が「させている」わけじゃないんですけど?まあキミにできる、人生をかけて頑張る価値がある仕事は公教育だと思う、とは伝えたよ?だって、本心だもん。社会を作っていく子どもたちを育てる仕事なんて、貴重だよね(^_^)それ以外の考えはないよ。そしてクマの学校時代の「社会」の成績はハンパなくよかった。(他はぼちぼちの、国立大学出)だから子ども向けの授業のための知識が足らないとか授業準備に苦労するとか、ほぼ心配はいらない。そこの適性はある。(授業のテクニックは大学でも勉強しただろう)あとは、基本的な責任感とか人としてコミュニティの中で生きて行くのに必要な素養を、身を持って教えられたらいい。あとは、忙しい先生方のグチをわかりますよ、と聞ければもっと役に立つ。(改善の手助けもできたら、もっともっといい)別に、ただ糊口をしのぐためなら、他にも仕事はいくらでもあるさ。でも、懸命に頭と体を使うに足る仕事をしたいじゃん。頑張れる時に頑張りたいよね、と今になって、私は思うよ。また長くなってしまった。
2026年05月21日
コメント(0)
Eテレでピーター・バラカンさんを司会にして始まった新しい音楽番組を観ていたら初回のテーマが「Love and Peace」で、歴史上の、愛と平和の大切さを訴えている名曲を紹介していて、まあ、ラヴアンドピースっていうのは、私が生まれる前から、生まれた頃から?ヒッピー文化って、70年代だっけ?60年代か。ずっとくり返し、大事だよ?って言い続けてきた人がいたんだよな、とあらためて考えた。つながっているの?つなげろよって話か?それでね、ニック・ロウの「(What's So Funny 'BoutPeace, Love and Understanding」という曲が紹介されていて、あ、私がこないだ書いた「わかる」ってこれじゃないか!と思ってw はからずも、つないでんだよ、日本の片隅で。私が考えて書くことって、私の生きてきた世の中を反映してるんだよね、意識的にも、無意識にも。私の生きてきた世界の動きを反映して、私はかたちづくられている。で、さらに、こないだ「私はひとつの点である」って日記を書いたんだけど、あれのイメージって、風さんの「It's Alright」の「我らは星光」に近いんだよなあと思って、だけど、あいかわらず私は風さんの思想的な話をほとんど理解しないので、やっぱりわからない。そして、何日か前に書いた「みんな仲良く」というのは「平和」のことじゃないの!?なんだやっぱり、あたりまえのことしか書かないな。「平和」って、各自のイメージがあるんだろうね。「戦争しない」のが平和だと思ってる人もいるだろうし、とくに「平和教育」を受けてきた人たち、つまり、私もか。反戦と平和ってセットで語られることが多かった。戦争を放棄した日本では、あまり身に迫った感覚ではない。あちこち話が飛ぶけど(自覚はあります)ドラマ「銀河の一票」で黒木華さんが演じるマツリさんが、「世界全体の幸福」って言うんだけど、ことば間違ってるかもしれません、ごめんなさい。私はむしろ、ひとりひとりの幸福が集まって全体の幸福になるんだと思っていて、ドラマの進行を興味深く観ています。ひとりひとりの幸福は、それぞれの意識の持ち方で達成できるんじゃないかと。私が、「それは、考え方だよ〜」ってのんきに言うやつで。そして、ひとつ書かなくてはいけないのは、「同じ地域で同じ年に生まれただけでみんな仲良くなんてなれない」というのは、ただのヘリクツではなくて、学校にいけないことや学校で友だちができないことを悩んでいる人たちを元気付けるために言ってくれていることだというのは、理解しています。なんだか、ワルグチになってしまったみたいでごめんなさい。うん、でも、私はもっと気楽になってほしいなと思いました。make friends with強要じゃなくて、Peacefulに過ごせばいいじゃん。英単語のほうが伝えやすいと感じることもあるのは、よくわかります。語感が違うからね。でも困るのは学校には、あからさまに、他人に悪意を向けてくる子どももいるってことですよね。学校での「いじめ」事件の話を聞くとき、私がいつも心配したのは「いじめているほうの子どもの心理状態」うちの子らも、なんで、そんなことをしたいのか?とわからないようでした。私もわからない。だれかを「いじめる」ことで、何らかのメリットがあるってことなのかな?そうすることで「心の平和」を求めようとする人がいるとき、全体の平和はどうなるんだろうね。シロウトの私は、踏み込んではいけない気もする。もっと勉強します。つもり。まとめピーター・バラカンさんは、ずっと変わらないなあと感じたんだけど、この人いくつ?と調べたら、74歳とのことで、私のほぼ20コ上ですね。つまり、私が10代20代のころに音楽についてよく知っていて、わかりやすく教えてくれるお兄さんだったわけだ。そして初回のゲストはサニーデイ・サービスの曽我部恵一さんでした。こちらは私も同年代。歴史を振り返ることには意味があると感じます。私の毎日はナンセンスだけどさ。☯
2026年05月18日
コメント(0)
昨夜、もう一度「アダムズ・アップル」を観直して、単純な理解の誤りにいくつか気づいたことと、改めて考えたことを書いておきます。世界中で話題になって、大ヒットするような映画じゃないけど、絶対に必要としている人がいるに違いないと思える映画です。そして、私はなぜそう思ったかをしつこくしつこく書く。最初に書いた感想は2つ前の「悪魔に試されている、あるいは、ポジティブにもほどがある。」です。誤りについては、その日記を訂正しておきました。ここには、改めて考えたことを書きます。全部観終わると、「『悪事』なんて、私が考えているほど悪くはないじゃないか。他人を尊重して、優しくできるなら、それがいちばんだ。社会で生きるには十分な価値がある」と思えてきます。よく観ると、アダム(ウルリク・トムセンの演じるいわゆる悪党)の表情の演技がいいですねえ。イワン(マッツ・ミケルセンの演じる牧師)のエキセントリックさに気を取られてしまうけど、アダムがどんどんどんどんまともにりっぱにみえてくるんですよね。でも、やってることは、自分の不幸を悪魔のせいにして、神様を盲信する牧師に現実を見てほし過ぎてボコボコにしてしまう。悪いよ?それは!血まみれになりながら、怒りもせず何ごともなかったかのように振る舞う牧師をぽかんと見ているしかない。あと、これは、謎解きにはりきって参加する子どもみたいで恥ずかしいけど、最後、グナーの盗みぐせの「おかげで」、かろうじてひとつだけ残っていたリンゴを使って焼いたアップルケーキを、頭を撃たれたのになぜか無事生還した牧師に切り分けてあげるのが、最初に出てきたバスに傷をつける折りたたみナイフ。使い方次第、だよね。こねくりまわせばことばはいくらでも出てくるけど、もうやめます。悪党アダムの良いところを書いておきます。すぐ忘れるからw 礼拝の途中でトイレに行きたいとふらふらと動き始めたことを咎められたポールというおじいさんに心から同情していた。牧師は渋々途中退席を認めるけれど、冷たく、トイレは病院のものを使ってくれという。教会のトイレは盗難防止のために鍵をかけてあるから、と。それを聞いたときのアダムの表情は、よかったね。(なんだよ、それ、不親切だなあ。相手はじいさんだよ?)あとひとつだけ。強盗癖のあるパキスタン人のカリムに付き合って強盗に行くけれども先に入って店員たちを逃がす。カリムが隠れた店員の気配を察して銃をぶっ放すけれども「出てくるな!」の意味でバンバンと撃ち込んで威嚇、カリムが店を出ていってからそこを覗いて「無事か?」と確認。泥棒はいいとして、真面目にそこで働いているだけの人を意味なく殺しちゃいけないからね?逃げるときに、お店のオーブンをいただくことは忘れない。(これは、悪いはずだけど、まあいいかって気持ちになるよねw)そして最後、新しく刑務所から出てきたふたりを牧師とともに迎える助手になったアダムはスキンヘッドだった髪が鳥のヒナみたいにぽわぽわに伸びてなんだか、かわいらしい。いつもどおりの牧師が、例によって、腹を立てた悪党に殴られているのを見守りながら、彼は牧師も守っているし、イカれた牧師から悪党を守る気持ちもあるんだろう。両方守ってあげないといけない。そして私は、この映画を観ることで善悪の価値観にコペルニクス的転回が起きるのを感じた。もちろん、窃盗や暴力がいいことだとは思わないけど、私が思っているほど、悪くはない。対立するものとしての考え方じゃなくて、人の命を尊重して優しくできることは圧倒的な無敵の善だ。他のすべての悪行を一撃でたおすくらいの。そういう、価値観の強制的な大逆転みたいなものが、私は大好きだ。考えてもみなかったことが、実は正しい、とか、あたりまえとか、そういう新発見。生きている限り、そういう経験をしたいと願っている。だから、いろんな人の話を聞くのが好きなんだけれども。子どもと話すことも大好きだけれど、最近はその機会もなかなかないので若者や、子どもを持つお父さんお母さんたちとよく話す。たぶん、そういうときの私は限りなく牧師寄りなんだけどもw価値観を押し付けずに「そういう考え方もあるのか!」を身を持って伝えられたらいいなと思うよ(^_^) だから私はもっとたくさんのことを知らなくてはいけない。
2026年05月17日
コメント(0)
学校に通う意味を考えています。うちの子らに聞いたときには、あまりマジメに考えてくれなかった気がします。うん、つまり、学校に通う意味なんて考えるのは、学校に行きたくないなあと思ったことのある人なんじゃない?物をなくすことの多かった小さい私は学校なんて行きたくない!と思いましたよ。でも家にいて母に怒られるのもいやだったなあ。うちの3兄弟は「行かなきゃヒマじゃん」くらいの感じでしたし、母はこんな感じで何が何でも行きなさいとは言わないだろうから、幼いながらも、自分で自分を律していたのでしょうね。わかりませ〜ん、本人たちに聞かないと。たぶん「学校には行くものだ」と思っていたのかと。あ、思い出した。「学校に行くのは子どもの仕事」と言った覚えがあるな!だから、毎日学校に行って、問題なく過ごして帰ってこれたら、彼らはしっかり仕事をこなしているのと同じなので、家では好きに遊んでいていい!と言いました。遊ぶといっても、その遊びが彼らの学力を結果的に伸ばすことになるであろうものを吟味していましたよ?本とかマンガとかアニメとかゲームとか?w サブカル愛好者予備軍だよね。昔の日記、残しておけばよかったね。ほんとに大丈夫かよ?wって感じだったし。結果的に大丈夫だったんじゃない?学力だけでいったら、全員国立大学卒業レベルまで行ってるし(^_^)、大学は入って終わりじゃないんですよ。入学許可をもらったという名前だけゲットして、箔をつけたつもりでいないでね。そういう大学入試レースみたいなのも学校教育を意味のないものにしていると感じますね。学力をあげるだけなら、塾に行けば?学校で暴れてないで。(暴れて他の子に迷惑をかけて、あげく、学校の授業が低レベルでつまらないから、とか文句言わないでよ)そこの理解をしっかり共有できないと、みんなにとってよい学校なんて存在し得ないよ。だから、それぞれのニーズを羅列してから考えたら?学校に対するニーズ、ね。教員の仕事内容はそれによって変わってきますよね。外国からきた人たちの子どもも増えてるんでしょう?先入観で外国人には日本文化を理解習得できない、と決めつけるのはイヤなんだ、もちろん。みんな一緒だと思ってるけどお?で、こんなことは、専門の人たちがしっかり考えてくれていると思うのでやめるけど(私もクマと同じように、専門家を信頼している。専門家って、それでご飯食べてる人ね)ひとつだけずっと気になっていることがあるので書いておきます。以前から、学校教育に文句を言う人の主張に「同級生なんて、たまたま同じ地区で同じ年に産まれただけで、仲良くなんてなれるはずないだろw」っていうのがあるんですけど、学校で仲良くするって、「親密になる」ってことじゃないですよ?私だってゴメンだわwそんなヘリクツ言う人とわざわざ友だちになりたい!なんて思わないもの。この場合の「仲良く」はもめごとを起こさずに、おだやかになごやかにすごすってことですよ。ただうまくやるってことじゃん?もちろん、学校時代に、運良くものすごく気の合う人にめぐりあって友だちになれることはいいことかもしれないけど、それは、あたりまえのことじゃない。そんな幸運を期待して、みんなそういうもんだと思い込んで学校に通われるのも、通わされるのもメンドーな話ですよねえ。だから、先生や、他の人に迷惑をかけずに、自分の好きなことをしていたらいいですよ?それ以上は求めませんよ。現在の学校がそんなこと(親密になること)をフツーに求めているなら、私も不登校を選ぶわ(〜ならより前をちゃんと読んでね?)うちのワンが3年生のとき、自由帳に描いていた細かい迷路に先生が驚いて、それを印刷して子どもたちに配っていいかと聞かれたことがありました。その時期、ワンは休み時間に、おとなしーく迷路を描いていたんですね。何も問題ないです。楽しいからしていただけ。褒められて嬉しそうだった。彼の仕事は、学校に行って、先生の指示に従って勉強をして、休み時間は遊んで、給食を残さずおいしくいただいて、掃除して、周囲と「仲良く」モメずに過ごして無事に帰ってくることだけ、だった。簡単なことだと思うんだよ。それが大変だと言うなら、自分で大変を増やしてるだけだよ?増やさないであげてね、大人は。こんなものですかね。「みんな仲良く」ができることを求められるのは、日本人が、日本という災害の多い場所に暮らしているからだと考えています。ねえ、何か災害が起こるたびに、巣穴を破壊されたアリのように、じっと耐えて、ふたたび立ち上がって作り直す能力と習慣を持っている日本の人々を誇りに思うわ(^_^)だから、学校で身に着けるべきは、学力よりむしろ(もちろん学力だって必要だけどね?)「みんな仲良く」の習慣なのではないかと考えます。また、あたりまえのことしか、言ってないか?でもなあ、聞く限り、「みんな仲良く」より「私の満足」を優先する人が増えているように感じますね。そしてその「満足」は決して満たされることはないんだな。キリがない。藤井風さんの「特にない」や「満ちてゆく」が効くのではないですかね。最近は風さんの英語の曲がクローズアップされることが多いけれど(私は嬉しいけども)日本語の曲もたくさんの人の耳に入る機会があるといいですね。この辺の曲は、若い人だけでなく、年配の人たちにも共感されていますね。もっともっとたくさんの人たちに、聴いて欲しいなあ。YouTubeの貼り方がわからない。←残念。
2026年05月16日
コメント(0)
小学校についての日記を書きながら、デンマークの映画『アダムズ・アップル』を観ました。録画してある映画は観たらさっさと消すようにしているのだけれど、消せなかった。もう一度しっかり観てから消そうと思います。善と悪の概念って何なんだろうね?と考えてしまう映画でした。少なくとも、ただ相反するものじゃないんだな。そんな単純な話じゃないんだよ。めっちゃ私好み。開始早々、バスから降り立ったスキンヘッドにネオ・ナチ印イレズミの「いかにも悪そうな男」降りたバスの車体を隠し持った折りたたみナイフで傷付ける。やっぱ悪かったな。PG12だから、子どもに見せるときは気を付けて、と。真似されたら困るよね(^_^)そして、彼を迎える教会の牧師、刑務所帰りの人を受け入れる施設なのかな?と、じゃあ、この人は「良い人」だよね、と観ていると、何だか変だな。熟し始めたりんごの樹に群がる烏に激怒して、とにかく追い払いたい。加減を知らずに、やたら銃を撃ちまくるパキスタン人もともに暮らしていて、バタバタとカラスが撃ち落とされていく。生きものの命はどうなってる?いいのか、牧師!この人いい人じゃないんか?牧師に会いにきたお客に、お茶を出すように言われたイレズミ男、クッキーを牧師とお客それぞれに出すけれど、牧師は数がおかしいとこだわる。牧師に2枚、お客に3枚、でもお客のは小さいから、と多くした理由を(イレズミ男がていねいに!w)説明するけれど、それって、悪いひとがする気遣いなの?追記:訂正 ごめんなさい!枚数が逆だった。見直してよかった。自分のほうが少ないってこだわるのは、牧師のすることなの?違うね、3枚と2枚なことにこだわってる。それよりも、礼拝にきたその女性が泣きながら、おなかの子どもに障害があるかもしれないと心配しているのに、モリモリ、クッキーを自分だけ食べて、そんな数字に振り回されるなと説経しているのがおかしいんだな。このあたりから(ごく序盤)なんだか変だな?と感じさせる。お話が進むにつれて、この牧師が、とんでもなく不幸な目にあいつづけていることがわかる。それを乗り越えるために彼は、自分が悪魔に試されているのだと思い込むようになる。同時に神への信仰を深める。映画のあらすじを全部書く趣味はないので、もうやめます。気になった方は観てくださいね、覚悟してね(^_^)それで、その牧師さんが度を越したポジティブで、もはや、変人を超えて狂人。私もポジティブではあるので、「さいわい障害者になったので」とか言ってるくらいの。ちょっと背筋がゾワゾワする。でも、それを他人に押し付けはしないですよ。障害をかかえる人に向かって、しあわせね?なんて言わないし、本人にも家族にも大変ですよねって思うし、ただ私自身に関しては、昔から「その立場にならないと絶対に、わからないことがある」というのが口ぐせで、心底そう思ってる。だから、私のようなおしゃべりは、いろんな目にあってそんなの想像もしないような他の人に伝える事ができるんじゃないかと思ってるわけです。勝手に代弁するよ(^_^)話はいきなり飛ぶけど、もうずっと考えていることに、学校に通うことに意味はあるのか、っていうのがあって、うちの子たちにも小学生のとき「学校には、通わなくちゃいけないの?ほんとに行くの?毎日〜?w」と聞いてみたこともある。子どもの不登校に悩んでいる保護者には、あんたバカなの!?って怒られそうだけど。通う意味ってみんなわかっているの?各自で考えるのかな、そうなんだな、きっと。どこかで教わった?映画「小学校 〜それは小さな社会〜」のなかに、現場の先生方の先生みたいな男性が出てきてどこかの教授?学者かな?教育委員会のえらい人? 日本の学校教育は、かつて軍国主義を推し進めてしまったと。連帯責任の考え方が広まったのは、そのせいだと。そのお話の後に、児童たちが教室の窓から校庭を見下ろして「あ、あそこ、マスクしてない」などとコソコソ指摘しあっている。同調圧力が強いのも、連帯責任と関連している?と考えました。それは、日本の学校のよくない特徴だよね。そして、そうやって育った私たちは、できない人に、同じようにできることを強いるし、苦しい世の中にしてしまっているといえる。じゃあ、それを自覚して、良いほうに良いほうに変えていけばいいじゃん、と思ったけど、全てのひとにとって「良い」って何かしらね。最初に戻る ⇧1年生のころには、ジョバンニとカムパネルラみたいにきらきらして、ほんとうのさいわいを探しに行けそうだったのに(宮沢賢治「銀河鉄道の夜」またはドラマ「銀河の一票」参照)学年を重ねるたび、どんどんスレて「ちゃんと」できなくなっちゃうのはなぜかしら。学校の先生方がちゃんと教えてくれているなら、家庭のせいなの?私は、正しくあろうとして苦しい思いをしてはいなくて、逆に、正しくあることは、私にとって、自分を楽にすることだ。みんな、そうなんじゃないのかなあ。楽でいたいから、バカ正直だし、率直だし、正義の味方だ。ずるいことは、それはずるいことだね?と確認して、同乗することもある。できるだけ、したくはない。まあ、要するに、映画の感想に書き落としたことがあることに気付いて、慌てて書いているわけです。書き落としたのに終わりって書いちゃったからさあ。それでは、つづけて、学校に通う意味を考えてみたいと思いますちょっと待って、どこかの学校で、宿題を終えてない児童たちに机ごと後ろを向かせて授業に参加させなかったって騒ぎになってたね。どうしたのかな?
2026年05月15日
コメント(0)
全部書いてから、カテゴリ分けをして、タイトルをつけ直すつもりでいます。自分でも、何を書いて、何を書き落としているのかわからなくなってしまった。山崎エマ監督の映画「小学校 〜それは小さな社会〜 」を観て考えたことを書いています。ここ最近の日記「小学校のこと」数本が同じ映画の感想になっています。6年生を担当する先生方も数人クローズアップされていましたね。坊主頭のえんどう先生は、体を張って表現することで、子どもたちに「殻を破る」ことを教えようとして流血までしていました。大きな声で児童を叱りつけることもあって、保護者から意見されることもあるようです。よくわかる(^_^)(状況が、想像できるってこと)うちの旦那ちゃんが子供会の副会長をしていたころ、子供会行事で工場見学かなんかに行ったとき、建物に入るなり走り出した子どもたちがいた、と。それを見て、反射的に「走るな!」と大きな声で注意したら、その言い方が厳しすぎると、役員のお母さんたちから猛反発をくらったそうです。冷静に考えてみればいいんですけどね(^_^) 教員でもないただの会社員のおじさんに、行儀をしつけられていない子どもに、優しく優しく、ものを教えてあげられることを期待すんのかい?w おじさんの立場からすれば、だったら、怒鳴られなくていいように、公共の場所で全力疾走してはいけないことをしっかり教え込んでおきなさいよ!だ。走らない子に、走るな!と怒鳴って注意したわけではないし、私の意見としては、小学生のあいだにできない子は、コワイおじさんに怒鳴られて覚えておいたほうがいいんじゃないの?だ。だから、基本的に、人前でブチ切れて怒りを爆発させることには反対だけれど、場合によっては、厳しく怒られることも役に立つことなんじゃないの?と思う。教わっていないからできないことを怒鳴られて、怒鳴らなくてもいいのにと文句を言うなら、親が優しく優しく言い聞かせておけばいいのだ。やってないから、身についてない、だから代わりに教えてるんだよ?というのが、怒鳴るオトナの理屈だ。代弁してるだけで私の意見ではないですよ〜w 私自身は、中学美術の授業中に、前の席から私を振り返っておしゃべりしてたあの子の巻き添えをくらって理不尽にビンタされたことをうらんでいるので、大声も暴力も大反対です。そういうことがあるから、学校は非難されるんじゃなあい?そして、もうおひとり、ネット関係にも強そうなジャン先生もクローズアップされていました。ジャン先生が、卒業式の練習で子どもたちに手本をを見せるために手を挙げて元気よく「はい!」と返事したら、子どもたちがそろってクスクスと笑いました。そしたら先生はマジメな顔をして意見します。何がおかしいんですか?私は、真剣にやりました。これは、「ケジメ」ですね。四六時中かしこまっている必要は無いけど、ふざけてはいけないときに、ふざけない(あたりまえすぎて書くのもイヤだよ)そこを、自分で考えられるようになって欲しいよね、それが先生方の気持ちだ。大声で注意したくないし、楽しそうにしてる子どもたちにいちいち注意したくもないよ?あたりまえじゃん、そんなの!まあ、その指導にはいろいろなテクニックがあって、それは現場の先生方が研究して実践して、効果的な方法を知っているんだ。頼りにしています。だから、保護者は、先生方を信頼して、お願いしなくちゃいけないのだ。ただここで、いちばん最初に書いたことに戻るけれど、家庭(社会の最小単位)でのしつけ(社会のルールを教えること)ができていない子どもが増えている時代に小学校(小さな社会)で、初めて集団生活のルールを教える必要が出てくるとき、自分自身も十分なしつけをされていない、考えたこともない若者が多少勉強が他人よりできるというだけで、教員になろうなんて考えていないか?と心配するのです。教員不足でなりやすそうだし?教育学部の偏差値低いし?仕事には困らないんじゃね? いや、ちょっと待って。私が(しっかりしつけていたつもりの母親の私が)我が子らの小学生時代に考えていたこと。小学校の先生は、勉強ができるよりむしろ保母さん(保育士)の能力のほうが必要だよね。すべての子どもをかわいいと思えて、かわいいからこそ、できていないことをしっかり教えてあげないといけない、と考えられること。そう考えて教え込もうとしてくれる先生を、親は信頼しなくてはいけない。かわいげのある子どもばっかりじゃないからね?自分の気に入らないことにはキバをむいて反抗してくる子どもだって多いんだよ?口うるさい先生を、親も一緒になってわるく言ってる場合じゃないんだよ。私が小学生の親だったのは、20年前くらいだけど、当時から、しつけられていないなと感じる子どもは多かった。ただし、研究が進んで、しつけの問題だけでなく、どうしたってできないことがある子どもがいることもわかってきた。それでも「社会」を構成する一部分であることは変わらないので、どううまく取り込んでいくかは、今後の研究に期待!(丸投げ)インクルーシブ教育、ね。知らんけど。うちの子の高学年を書いておきましょう。ずっと自信がなくてモジモジしていたクマは、5年生の担任もしっかり者のお姉さん先生で、できないことがあるたびに注意を受けて、だんだん、怒られることに慣れてスルーするようになってきた。これは、よくない傾向。あの頃、私はクマと話した。「ねえ、クマみたいにできないことがたくさんある人が先生になったほうがいいんじゃない?むしろ。できる人には、できない人の気持ちはわからないんだよ」先生が「できない」クマを、この子はなまけてるんじゃないかと疑っている気配を察して。バカにしてないし、できるもんなら、やってるよ。忘れものの多い学年で、忘れものを減らすために、もちものチェックリストと忘れたときのバツを書き込むためのファイルが配布されたとき心底、想像できないんだな、と思った( ←もともと「できなかった」母)管理する持ち物がひとつ増えてんだよ!w 忘れないために、増やしてどうすんだよw!どうしたもんかね、このまま中学校にはやれないしと思っていたら6年生の担任の先生が、なんと、うちの3兄弟を幼稚園でかわいがってくれた先生の弟さんだった。お姉さんに「6年生の担任をするんだよ」と話したら「えー!?ネコスケくんとかクマくんとか、いないのお?」と聞かれたと話していて、お姉さんの話を聞いた先生は、いい偏見w お、出たね。よいバイアスのかかった考えかたで、クマに悪気はまったくないと信用して正面から向き合ってくれた。おかげで自信をつけたクマは勉強にもやる気を出して、無事中学生になった。(中学1年生になっても学校から電話はきたけどね)映画の感想と小学校生活振り返りは終了。あと、いくつか書きたいと考えています。
2026年05月14日
コメント(0)
小学校のこと、映画の感想とともに、自身と子らの小学校時代を振り返っています。このシリーズを、小学校振り返りの総まとめにしたいなあ。何度も書きたくないし。映画の感想としては、高学年に進むんだけど、うちの振り返りとしては、中学年を語りたい、のでここで語ります。2つ前の日記に書いたとおり、私の、母親としての姿勢は、家庭で身につけておくべきことができなくて、子どもが、学校で迷惑をかけるならば、それは、先生にお手数をおかけして申し訳ない、改善します、の気持ちだけど、家庭でできることには限りがある。学校のなかで、問題が起きたときに、中立の立場で、しっかり子どもの話を聞いてくれる先生がいるのだろうか?というのは、疑問でしたし、心配でした。末っ子クマが4年生のときに、心配したとおりのできごとがありました。書いてもいいかしら、書くんだけど。こんなことがあった、ということを書くとき、「そんなこともあるのか」と思ってほしいと考えています。「知る。」の一端として。それでは前提として、私自身が、感情的な元祖ヤンママみたいな若い母親にヒステリーを起こされ、叩かれて育ったことをずっと苦しく思っていて、そんな思いを子どもにさせてはいけないという強い覚悟を持って子どもと向き合っていたことを書いておきます。そして、末っ子クマは、3番目の子です。ある日の夕方、ベランダで洗濯物を取り込んでいたら、クマたち4年生が帰ってくるのが見えました。おや? となりのクラスの先生が、付き添ってくれている? 何かあったな?クマがまた何か、やったか?(予想と覚悟はできている)夕食を終えて(先生はとっくに終業時間を過ぎているころに←知ってます(^_^))担任の先生から電話がかかってきました。「給食のあと、その後の掃除のために机を下げてから校庭に遊びに行く決まりになっていますが、クマくんの机が下がっていなかったので、教室掃除の子どもたちに迷惑をかけました。そのことを「謝りなさい」と言っても、謝ることができずに、5時間目も教室に入れなかった。廊下でずっとすねていて。そのまま下校の時間になってしまったので私(担任の先生)も折れることができずに、となりのクラスの先生にお願いして帰してしまったのですが、大丈夫でしょうか。話してみてください」「はああ、すみません!それは、ご迷惑をおかけしました。よく話しておきますね」何にしても5時間目をサボったことはたしかですからねw それは、ダメです。しかし、クマは、おもしろいなあ、なんでそんなに意地っぱりなのかね。ひとことゴメンナサイすりゃいいだけの話なのにね。謝るのは簡単だけど、納得してないってことだよね、それは、わかる。本人に聞いてみよう。「うん。だからあ! 下げられないんだよ。うしろのナントカとナントカが机を下げないで遊びに行っちゃうの。でも帰ってきて掃除の前に下げるわけ。(ある意味ズルがしこい)で、ボクの机だけ残っちゃう」「ほお、だから、なんで自分だけ謝らなくちゃいけないんだと。納得いかないわけか」「うん」(上目使いの)「わかるよ?わかるけど、それは、その気持ちを言葉にして伝えられないクマの負けだよね。それは、わかるね?「言葉で伝えていないことを分かってくれる人はいないんだよ。クマはそこで黙り込まずに伝えられるようにならなくてはいけない」「うん」クマだって、スネて黙り込むことがいいことだなんて思ってはいない。そうしなくていい方法を知らないだけだ。私が予想して先回りして訓練しなかったからね?できれば、大人は、言えない子どもでも言えるような空気を作りたいものだ。大人(先生)の言うことは黙って聞け!なんて態度は論外だ。想像するに、ひとことゴメンナサイと言いなさい!イヤだ!の押し問答になったんでしょう。若い女性の先生だったから子どもに「ナメられてはいけない」と必要以上に身構えているように見えた。そして、女性特有の感情的なところもあった(それは、先生本人も自覚していたようだけど)もちろん黙り込んでスネるのはよくないことだ。でも、私としてはむしろ、そこで言われるがままに、何が悪いと言われているのかもわからずに、ただゴメンナサイをする子じゃなくてよかったなと思ってしまった。自分ひとりがわるいわけではないのでは?と考えてしっかり主張できるようになって欲しい。ここでひとつ書くならば、こういうとき、私自身は言えない子の代わりに大人に経緯を報告するくらいの(場合によってはおせっかいなくらいの)子どもだった。見ていたし、自分にわかっていることは、黙っていられない。中立であることは、私が子供時代から身につけた習慣だ。そこで自分の正義を、他人に押し付けないことが私に必要なことだろう。だから、このような経緯で、私は小学校の先生に感情的にならない冷静さと中立性を求めるけれど、ニンゲン、体調などによっては、どうしても他人に優しくなれないときだってある。そこは、男子は特に女の人のバイオリズムに配慮することが必要だし、女性は自分に余裕がないという自覚があるなら、強がらずに、率直に助けを求めるのがいい。強がらずに率直に助けを求めるという意味では、すべての人に同じことが言えるのではない?でもそこで、なんでもかんでも人まかせなヒトが出てくるのも困るんだよね。それも、なぜそうなるのか考えてみたいよねw末っ子のクマに限らず、3人とも、相手に伝わるように説明する習慣をつけた。だから、我が家には説明するための言葉がとても多い。それがわるいことだとは思わないけれど、そんなことまったくかまわず育った人だって、気に入らないことにはふくれ面をして、ものに当たる人だっているわけだ。感情的になってどなり散らすお姉さん先生や怒りの余り泣く女子の話をウンザリしたように話していたものだ。うちのおかあさんはしないけど、「そういう人もいる」ことを学ぶために学校生活はとても役に立つものだった。そして教員になったクマは「(自分や自分の親のしない)そういう考え方もある」ことを子どもたちに伝えられる存在になるといいよね(^_^)
2026年05月13日
コメント(0)
山崎エマ監督の映画「小学校 〜それは小さな社会〜 」を観て思い出したこと、考えたことを書きます。前の日記のつづきです。もうひとつ、あのような先生方がいてくれたらいいなと思ったこと。1年生が、次の1年生を迎えるための合奏をしようと、立候補をつのって先生方がオーディションを開催して合奏隊を結成する様子が描かれました。そのなかに、すこし引っ込み思案に見える泣き虫(らしい)あやめさんという女子児童がいました。あやめさんが、立候補はしたものの、イマイチ自信がない。自分のパートの演奏を間違えたことを指摘され注意されることに耐えられず、泣いてしまう。泣く子を放置するのではなく、きびしく叱りつけてただ言うことをきかせようとするわけでもなく、叱咤激励して、「自分にできること」の自信をつけさせる。先生方の手腕に感嘆しました。新1年生を迎えるために待機しながら「わたしたちってなんなんだろうね?」と話すあやめさんは、自信に満ちあふれているように見えました。ありがとう(^_^) 母親の私は、あのようなフォローを期待していました。私が、家のなかでできることには限りがある。集団のなかで、自分に「できる」ことを見つけて自信をつける体験は、学校生活ならではの貴重なものです。長男のワンは、上に兄弟がいませんから、学校生活を送る上でのお手本がいなかった。よく助けてくれたのは、地区の登校班の班長さんでした。いつのまにかピンが抜けていて登校中に突然鳴り出して止まらなくなったワンの防犯ブザーを手で押さえて、先生のところまで連れていってくれた、とか。学校の大きなプールの深いところに迷い込んでしまって困っていたら、「班長さんが助けてくれたの!」と嬉しそうに話していました。(ヒョイとつかんで、つれていってくれたのだと話していた)頼りない1年生を頭を使って助けてくれてありがとう(^_^) カッコイイよねえ、6年生!小さな子が困っていたらあんなふうに助けてあげようと思えますね。ワンは助けてもらった嬉しさを忘れないと思います。いまも彼をかたちづくっている。で、ぼんやりおっとりのワンは、周囲に助けを求めることができるし、助けてもらったらお礼も言える、学校に通っていろんなことを学んで、できることを増やしていった。まんなかのネコスケは、ワンを観察して「小学校ってこんな感じ」と予習していたようなもの。ネコは、幼稚園時代から、音楽指導や絵画指導の先生方からもよく褒められて、自分に「できること」を理解していた、だからすでに小さな自信家でもある。1年生の想い出と言えば、学校から電話。「裏庭で植物の観察をしていたネコスケくんがハチに刺されたらしい?」と連絡をもらって駆けつけると?あら?何ともないの?「ネコスケくんがハチに刺されたのお」と教えてくれるお友だちも寄ってきた。担任の先生にあいさつすると「(^_^)大丈夫そうですね。虫の羽音かな?」ぶーんという羽音に驚いただけだったようですね。なにもないなら笑い話だ。こういうとき、自分が専業主婦でよかった、と思いました。仕事中に呼び出されても困るでしょうね。でも、子どもなんて、そういうもんですよ。誰かが心配してかけつけてくれれば安心だ。それが母親である必要はないと思います。誰かいるといいですよね。でもその役目を学校におしつけちゃいけないと思いますよ。そういう意味では、優しい保健室の先生の役割も大きいな。3年生のワンが、週に何度も「頭がイタイ」と保健室に通って、先生が検温してくれると微熱くらい、保健室で少し休んで下校のころには元気になって帰ってくる。本人が何も言わないので気づかないでいたら、担任の先生から連絡をもらって、「どこか具合のわるいところがあるのではないか」と。保健室の先生と話したら「いつでもいらっしゃいと言ったんですけどね(^_^)」と。誠にありがたい。食欲もあるし、学校もいやがらずに登校してるし、じっくり観察してこれはもしかして、鼻の奥の炎症が微熱につながっているのではないか(鼻炎持ち)と耳鼻科に連れていったらビンゴ!副鼻腔炎の診断を受けて治療回復。小学校の先生方には、ほんとうにお世話になりました。上のふたりを見ていたし、幼稚園年長の終わりから、私と一緒に校内の「言葉の教室」に通っていた末っ子のクマは、彼が自分で考えていたよりも、上手に学校生活をこなしていくことができなかった。でも、学校には行くものだと本人が考えていた。まあ、今考えてみれば、私が、先回りしてなんでも言語化してしまったのがよくなかったんだな。親にしたら「子によかれ」としか思っていないことも、結果的に子どもの成長を阻むことがあるということですね。長くなりそうなので別日記にしますが、あと少し。もじもじして、自分の気持ちや考えを伝えることができなかったクマ。映画のあやめさんみたいには泣かなかったけど、黙り込んでスネてしまう。2年生の時の担任の先生にどうしたものかと正直に話して相談したら(母の私がねw)わかってくれました。学校生活の強い味方になってくれました(翌年異動、ありがち)先生が伝えてくれたのが「クマくん、大なわとびがイヤで、体育館倉庫の陰にかくれてたんですよw でも、声かけして、いちど飛べたら楽しくなったみたいでフツーに参加してました」隠れてんなよな!w おもろ、バレてる。ひとつ「できない」を乗り越えて「できる」を増やすことができた、先生ありがとう。 このひとことに集約されるよね。
2026年05月11日
コメント(0)
全380件 (380件中 1-50件目)
![]()
