前回
■元・近鉄バファローズのエース・ 鈴木啓示
さん(育英高)は、 西本幸雄
さんと 三原脩
さんを比較して 「西本さんは選手を技術、体力、精神すべてにおいて育ててくれた監督、三原さんは選手をうまく使う監督」
と評した。
鈴木さんの詳しい比較評は『パ・リーグを生きた男 悲運の闘将 西本幸雄』(ぴあ刊)に詳しく書かれている。
■まず西本さんについて。
「初対面の時『20勝するのもいいけど、同じするなら負け数をひと桁にしろ』と、いきなり注文をつけられた。西本さんは不器用やけど、ひたすら熱心に情熱を傾ける人なんです。私も不器用な男です。お互い純粋で不器用やったから、、『わかった』と打ち解け合うまでに時間がかかる。でも、不器用なもん同士やったから、いったんできた絆が深いんやと思いますね」
「初めて見た印象では稲尾(和久)君より素晴らしいなぁ、と言われた。もし、心のレントゲンを撮る機械があったら、三原さんは最高機能のレントゲン機器をもってらっしゃったんでしょうね。選手の心を見透かし、やる気が高まるように持っていく。100の力がある選手が120の力が出るように持って行くのがうまかった」
事実、鈴木さんは三原さんの言葉に乗せられるように、投げて投げて投げまくった。 「ここはあんたしかおらん。あんたと心中や」
と言われると意気に感じずにはいられなかった。三原さんが監督に就任した1968年、鈴木さんの登板イニングは359回。翌69年は330回。結果、69年は万年Bクラスだった近鉄を初優勝まであと一歩のところまで躍進させた。
※昨年(2011年)、 ダルビッシュ有
が232回、 田中将大
が226回だったことからも、当時の鈴木さんの凄さが分かる。
この三原評、西鉄ライオンズ時代の教え子、 稲尾和久
さんも同じことを言っていた。稲尾さんも西鉄の黄金時代は、三原さんに乗せられて投げまくった。ベンチで 「ここの場面はエースに投げてほしいなぁ」
と三原さんのつぶやきが聞こえると、例え先発完投した翌日であっても、リリーフ登板を厭わなかった、稲尾さんの述懐である。57年と58年は373回、59年は402回を投げ抜いた。これはもう驚異的な数字である。
今日も1クリックお願いします
PR
Keyword Search
Calendar
Comments