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1部2部入替戦の第1戦は、東洋大(2部1位)が4番・池田彪我(3年、三重)のサヨナラ本塁打で勝利。敗れた東京農大は6安打に加え9個の四死球をもらいながらも1点しか取れず、敗戦は必然だったような。ま、春の入替戦も初戦は敗れた。本当の勝負は2回戦から。東農大 000 010 000 =1東洋大 000 001 001X =2(農)●長谷川、(洋)島田-大坪-佐伯-○ 試合を終始支配していたのは東農大だった。 まず3回、2本の安打と送りバントで一死二・三塁の好機を作るもあと一本が出ず。続く4回も二死満塁で無得点。5回は5連続四死球を得るも、牽制死などがあり押し出しの1点のみだった。 これにとどまらない。好機はまだまだ続く。6回は無死二・三塁ながらも後続が三者凡退、8回は二死二塁の場面ではやっと左前安打が出るも、本塁生還を試みた走者が憤死した。さらに9回も二死一・三塁の好機を作ったが得点できなかった。 安打数6、四死球9、得点1、残塁13。これでは、「流れ」が相手に傾くのも仕方がない。9回裏、二死走者なしの場面で東洋大の4番・池田彪我が打った瞬間に本塁打と分かる豪快な一発を放ち、東洋大が勝利した。 東農大の長谷川優也(4年、日本文理)は完投したが、最後の124球目はたまたま甘いコースに行ってしまったようだ。被安打6、与四死球1、奪三振5、自責点2。素晴らしい投球だった。出番はまだ終わっていない、2戦目に勝利して、3戦目の最後の場面で、歓喜の輪の中心にいてほしい。
2024.11.17
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昨日の第4試合は、3回戦の大社(島根)ー早稲田実(西東京)の一戦。結果、大社がサヨナラ勝ちしベスト8入りし、準々決勝へコマを進めました。(延長11回)早実 000 001 100 00 =2大社 100 000 001 01X =3 内野5人シフトあり、夏公式戦出場なしの選手が志願しての送りバントあり、試合終了後に敗れた早実・和泉監督が相手校の選手たちに声をかける姿あり。きっと今後も語り継がれる試合になるでしょうし、何よりボクはすっかり大社のファンになってしまいました。 さて、第1回大会からの「皆勤賞」と云われる大社ですが、ベスト8入りは93年ぶりとのこと。調べてみると昭和6年夏、大社は飯山寿八ー加本一久(のちに東大)のバッテリーで甲子園に出場し、初戦(2回戦)は京城商を12ー11で下し勝利(京城商とは、日本統治下の朝鮮にあった専門学校のこと)。そして準々決勝に進出したものの(1回勝っただけでベスト8とは?!)、小倉工に4-22で敗れてベスト4入りはなりませんでした。 ちなみに、この大会の決勝カードは中京商ー嘉義農林。中京商が4-0で勝利し優勝しましたが、映画『KANO』の題材にもなった伝説のカードです。中京商の投手は、甲子園史上最多の23勝を誇る吉田正男(のちに明治大)。対する嘉義農林の投手は「麒麟児」と称された呉明捷(のちに早稲田大)でした。KANO -カノー 1931海の向こうの甲子園 [ 永瀬正敏
2024.08.18
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SNSでは「東京農大・長谷川優也投手がこれまで対戦した大学数は?」という投稿が目についたので、自分でも調べてみました。結果は、下記の表のとおり。現時点で11大学が正解のようです。 なお、2部以下の未対戦は上智大、一橋大、都市大、芝浦工大、東京工大。 今秋は故障さえなければ新たに1部の5大学と対戦するはずなので、計16大学は見込めます。こんな記録、過去はもちろん未来も絶対に破られることはないはず。連盟最多記録であることは間違いないでしょう。【長谷川優也投手、1部昇格までの軌跡】 年度リーグ/入替部月日相手大学先発/救援勝負回数打者数投球球被安打数四死球数三振数自責点令和3年春季リーグ戦2部4月19日拓殖大②救援 1/3110000 5月18日国士舘①救援 3 1/310380110 5月20日国士舘②救援 1 51620002部3部入替戦(2部残留)6月21日学習院①救援 1 1/35201010 6月23日大正大①救援 1 1/34140000 7月1日学習院②救援 2 8252010秋季リーグ戦2部10月6日国士舘①救援 3 2/316614042 10月14日専修大②救援負 3 14562311 10月23日立正大②救援 3 9351030 11月5日国士大②救援 2 1/37310130 11月8日拓殖大②救援 5 2/318751040令和4年春季リーグ戦2部4月26日専修大①先発 7 26934251 5月24日国士大①救援 ー140100秋季リーグ戦2部9月6日東洋大①救援 1 7143103 9月14日拓殖大②先発 4 1/318702421 9月29日立正大②救援 3 1/313553002 10月23日国士大②救援勝 2 9281210令和5年春季リーグ戦2部4月4日東洋大①先発 5 20613361 4月17日専修大①先発勝11 401433340 4月29日拓殖大①先発負 8 331209142 5月1日国士大①先発勝 7 2/328927051 5月11日国士大③先発 7 1/3291177063 5月16日立正大①先発負 6 271125434 5月17日立正大②救援 1 4100110 5月18日立正大③救援 3 154842232部3部入替戦(3部降格)6月23日大正大①先発勝 7 279351112 6月25日大正大③救援負 9 1/3341264461秋季リーグ戦3部9月24日順天堂③先発 3 2/320729034 10月1日成蹊大②救援 1 3120020 10月7日学習院①先発勝 8 27852290 10月8日学習院②救援 2 8202040 10月28日帝京平成①先発勝 7 24953050 10月30日帝京平成③先発勝10 3812063512部3部入替戦(2部昇格)11月11日大正大①先発負 2 13405333 11月12日大正大②先発勝 9 361375470 11月13日大正大③救援 1/3160000令和6年春季リーグ戦2部4月10日国士舘①先発勝 9 3814473102 4月11日国士舘②救援勝 9 3814473102 4月20日専修大①先発負 5 23848121 4月21日専修大②救援 2 7232010 5月2日東洋大①先発負 3 1/312452120 5月30日東洋大③先発負 5 20836033 5月21日立正大②救援勝 2 92821111部2部入替戦(1部昇格)6月25日駒沢大①先発負 6 25857223 6月27日駒沢大③先発勝 9 331113421計11大学(令和6年6月27日現在)
2024.06.30
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東農大(2部1位)が駒澤大に12-1と大勝。入替戦の対戦成績を2勝1敗とし、1993年秋以来の1部復帰を果たした。東農大 152 300 100 =12 H18駒澤大 000 000 100 = 1 H3(農)〇長谷川、(駒)✖高井-仲井-仲村竜-鯉川-東田 東農大は、1回表に菊地希の中犠飛で1点を先制。2回表には打者一巡の猛撃、2番・江川岳(4年、千葉黎明)の2点三塁打、さらに5番・和田泰征(4年、習志野)の3点三塁打で大量5点、3回にも2点を挙げ、序盤で8-0と勝利を決定づけた。最終的には、計12得点で駒澤大を圧倒した。投げては、エース・長谷川優也(4年、日本文理)が3安打1失点で危なげなく完投した。今季1部に復帰した駒澤大は、入替戦の初戦を制しながら連敗して2部陥落となった。 初戦で6回無得点に封じられた駒澤大のエース・高井駿丞(4年、広島商)を立ち上がりから攻めた。主将の和田は「最後は気持ち。ひとつのボールに食らいつきました」。北口正光監督は「すぐ1部に上がって神宮大会に出ることを、今年の目標に掲げています。まだ中間地点ですが、いい方へ向いていると思う」。31年ぶりに神宮へ戻ってくる緑の軍団は、“寄り道なしの下克上”へ心一つに戦い続ける。 (以上、報知新聞)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 東農大、1部復帰の決め手になったのは、入替戦2戦目だったと思う。以下に2戦目の詳報を。 東農大は初回、駒澤大・東田健臣(4年、西脇工)の立ち上がりを攻めて二死一・二塁の好機を作ると、5番・和田泰征(4年、習志野)が左前に安打を放ち先制した。 続く2回には、一死一・三塁で古川朋樹(4年、神村学園)の適時で2点目。さらに4回には、この古川が打った瞬間にそれと分かる本塁打をレフトスタンドへ。これは公式戦第1号だった。 昨日(1回戦)の1試合チーム2安打が噓のよう。4回までにすでに10安打5点。 そして、ダメ押しは9回。一死一二塁の場面で重政拓夢(4年、関東一)が左前安打。二塁走者がいったん三塁で止まったが、左翼手からの送球が逸れるのを見ると、本塁に生還した。 東農大は、古川の攻・守・走にわたる活躍が目立った。4打数2安打3打点(うち1本塁打)、自慢の守備では再三のピンチの場面でチームを救った。圧巻は8回、5-2、二死満塁の場面で三遊間へ強烈なゴロが飛ぶと何事もなかったようにさばき、駒大の反撃を封じた。走者としても相手の隙を見つけ果敢に次の塁を狙った。(写真)古川。3枚とも。 一方の駒澤大。 2回、東農大の先発・近藤想真(4年、新潟一)の突然の乱調から2つの四球と内野安打で1点を返したが、その後は、2回途中から登板した松村力(4年、敦賀気比)を打ちあぐむ。(写真)松村。 6回、4番・柳野友哉(4年、大阪桐蔭)の左翼線二塁打を足掛かりに1点を奪ったが後続は凡退。7回からは東農大はクローザー・岡部大輝(2年、聖望学園)をマウンドに送る。(写真)柳野。 駒澤大打線はこの岡部を攻め、8回に二死満塁の好機を作ったものの古川の好守備に阻まれ、岡部を打ち崩すことはできなかった。 (写真)岡部。
2024.06.28
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25日、入替戦1戦目が行われ、1・2部は駒澤大(1部6位)が東京農大(2部1位)に勝利した。駒澤大・香田誉士史監督、試合後のコメント。「言い方は悪いかもしれないが、選手たちにとってはむしろ成長できる。とにかくチームを心技体でいい状態に持っていくことだけやってきたので、あと半分(1勝)。淡々といきたいと思います」。そして先発した高井駿丞(4年、広島商)には「しっかり試合をつくってくれた」と満足そうに振り返った。勝利投手となった高井のコメント。「もうさすがに4回目の入れ替え戦なので。緊張して怖いという感覚から、余裕をもって心の整理の仕方がわかってきた」。 さて、この1戦目を振り返る。 駒澤大の先発はエース・高井。今季の防御率は2.77(1部9位)、チーム3勝のうち2勝(3敗)を挙げた左腕。一方の東農大もエースの長谷川優也(4年、日本文理)が先発、今季防御率は2.15(2部10位)。(写真)駒澤大・高井駿丞。(写真)東農大・長谷川優也。 両エースともに譲らず、試合は0(ゼロ)行進が続く。「これは1点勝負だな・・・」、そんなつぶやきがスタンドで聞こえ始めた5回、試合がゆっくりと動き始めた。 駒澤大の5番・平井友弥(4年、日本航空)がセーフティバントを成功させると、その後も安打やワイルドピッチが続き一死二・三塁の好機に。しかしこの時は後続が外野フライに倒れ、無得点に終わった。途中、渡邊怜斗(1年、相洋)の打席ではスクイズを敢行したが、ファールとなってしまい得点機を逸した。東農大・長谷川はガッツポーズ、そしてホッとしたような表情を見せた。(写真)5回、駒澤大、一死二・三塁の場面。カウント1-1からスクイズ敢行するもファールに。打者・渡邊怜斗。 ”流れ”を相手に渡したくない駒澤大は、続く6回、先頭の渡邉旭(3年、仙台育英)がライト前に安打を放ち出塁すると、一気に長谷川に襲い掛かる。四球と送りバントでまたも一死二・三塁の好機を作ると、4番・柳野友哉(4年、大阪桐蔭)がグラウンドに強く叩きつける遊ゴロに。打球が高いバウンドをしたことが幸いし、一塁送球の間に三走・渡邉が生還。ようやく均衡を破った。 この柳野の執念の一打が打線に火をつけた。駒澤大の攻撃は続き、5番・平井、6番・工藤波音(4年、弘前南)の連打で、さらに2点を加えた。7番・角田蓮(4年、昌平)の安打で二走の工藤が生還を狙ったが、これは間一髪アウトに終わった。(写真)6回、駒澤大。工藤波音が生還を目指すも、間一髪タッチアウト。捕手・小原龍之介。 一方、高井をとらえられない東農大は、6回、この回先頭の9番・小原龍之介(4年、東北)が敵失で出塁すると、続く1番・古川朋樹(4年、神村学園)が三塁線に二塁打を放ち無死二・三塁の好機を作る。が、ここで1点しか奪えなかったことが敗因。時々、球がすっぽ抜けるなど高井の投球が乱れ気味だっただけに後悔が残る。 そして7回、駒澤大は2番・永野陽大(1年、日大三島)が、この回代わった太田遥斗(4年、星野)からレフトスタンドに2点本塁打を放ち勝利を決めた。打った瞬間にレフトは打球を追うのをやめた目の覚めるような打球だった。駒澤大は直後の7回裏から仲井慎(2年、下関国際)に代えて東農大打線を完ぺきに抑えた。(写真)駒澤大・仲井慎。 試合後、1993年秋以来の1部復帰を目指す東農大・北口正光監督は、2安打1点と振るわなかった打線に不満の様子。「打てないことに1部に上がれない。明日は意地を見せてほしい」。
2024.06.26
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入替戦は明後日から。第3試合は駒澤大(1部6位)と東京農大(2部1位)。過去10年間の結果(20シーズン※)を調べたところ、初戦勝利のチームが1部に昇格残留する確率は、なんと65%(13勝7敗)でした。初戦をとることが何より重要です。※H24年~R5年。但し変則開催等のR2、3年を除く。 対戦カード対戦成績(大学名は勝利チーム)昇格残留1回戦勝利が昇格残留1部6位2部1位1回戦2回戦3回戦4回戦H24春日本國學院日本國學院國學院 國學院✖H24秋東洋専修専修専修 専修〇H25春専修拓殖専修拓殖拓殖 拓殖✖H25秋駒澤東洋駒澤駒澤 駒澤〇H26春青学立正青学青学 青学〇H26秋青学専修専修青学専修 専修〇H27春拓殖日本日本日本 日本〇H27秋駒澤東洋駒澤東洋東洋 東洋✖H28春中央青学青学中央中央 中央✖H28秋専修国士専修専修 専修〇H29春専修立正立正専修立正 立正〇H29秋日本駒澤駒澤駒澤 駒澤〇H30春中央日本日本中央中央 中央✖H30秋中央専修中央中央 中央〇R1春駒澤専修専修駒澤駒澤 駒澤✖R1秋駒澤拓殖駒澤駒澤 駒澤〇R4春中央東洋東洋中央東洋 東洋〇R4秋駒澤専修駒澤専修駒澤 駒澤〇R5春駒澤東洋東洋東洋 東洋〇R5秋東洋駒澤東洋引分け駒澤駒澤駒澤✖
2024.06.23
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青山学院大が早稲田大を下し、2年連続6回目の優勝を決めた。また、この結果により連盟別優勝回数は、今日青山学院大が優勝したことにより東都大学連盟が27回となり、東京六大学連盟の27回に並んだ。(写真)NHK。以下も同じ。 優勝を決めた瞬間、マウンドに仁王立ちしたのは青山学院大の鈴木泰成(2年、東海大菅生)だった。 2年前の夏、鈴木はこの神宮球場で苦い経験があった。西東京大会の決勝戦。日大三高を相手に先発、5回までなんとか無失点に抑えるも、6回、内角を狙ったストレートが甘く入り適時打を浴びると、その後は自らのエラーも重なり結局2-6で敗戦した。 「6回から変化球がすっぽ抜けてストライクが入らなくなり、ストレート一本に絞られてしまった」。鈴木は、無念の表情で降板した。 そして今日、高校時代に西東京大会で果たせなかった1等賞、ーいや西東京どころではなくー、大学日本一に輝いた。
2024.06.16
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早稲田大がタイブレークの末、東日本国際大を下し決勝進出を決めた。決勝は昨年優勝した青山学院大と戦う。しかしなぁ、準々決勝の時も思ったけれど、東日本国際大は見る人を惹きつける魅力あるチーム。上武大戦で気力体力を使い果たしたように思ったが、よくぞここまで粘れたもんだ。(写真)J-SPORTS なお、この試合7回には、かつて九州国際大付のチームメイトどうしの対戦があった。打者は東日本国際大の1番・黒田義信(2年)、対する早稲田大の投手は香西一希(2年)。結果は1ボールの後、2球目を叩いて一塁ゴロに。香西に軍配が上がった。(写真)J-SPORTS この2人、九州国際大付時代は、2度甲子園に出場した(2022春夏)。春は準々決勝で浦和学院に敗退したが、この時、浦和学院の投手は宮城誇南(現早稲田大2年)や金田優太(現千葉ロッテ)だった。 そして夏は、明徳義塾に勝利するも3回戦で浅野翔吾(現読売)のいる高松商に敗れた。この試合、高松商の投手は渡辺和大(現慶應義塾大)だった。(写真)NHK(写真)NHK
2024.06.15
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今日の早慶2回戦は早稲田大が大勝し、7季ぶり47回目のリーグ優勝を決めた。早稲田の先発投手は、宮城誇南(2年、浦和学院)。 宮城誇南。思い出すのは2022年の埼玉決勝。浦和学院-聖望学園戦。ー第104回全国高等学校野球選手権大会(朝日新聞社)よりー 宮城が先発完投するも、0-1で敗戦。聖望が甲子園出場を決めた。エースは岡部大輝(現・東京農大)、打撃好調の浦学打線を4安打に抑えて完封勝利した。試合終了後、岡本幹成監督(当時)をして「監督は臆病だったけど岡部が助けてくれた」と言わしめるほどの好投だった。
2024.06.02
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今日の法政大ー東京大2回戦は、1年生の中村騎士(東邦)が7番セカンドで先発で初出場し、7回に初安打を記録した。同じく1年の熊谷陸(花巻東)は9回にショートの守備につき、こちらもリーグ戦初出場を果たし、1イニングだけだが1年生コンビで二遊間を組んだ。熊谷陸。2023夏の甲子園では、佐々木鱗太郎の前(2番)を打った。準々決勝の対仙台育英戦では9回の反撃時、なんとしても佐々木につなぐべく打線が奮起し、この回先頭の4番打者から5・6・7・8・9・1とつなぎ、2番の熊谷も三遊間に安打を放ち、佐々木につなぐことに成功した。一塁ベース上でホッとしたように小さなガッツポーズをしていたっけ。この試合、仙台育英の先発は湯田統真(現・明治大)、捕手は緒方樹人(現・早稲田大)、中堅手は橋本航河(現・中央大)、ほかにも仁田陽翔(現・立正大)らがいた。中村騎士。4回、6-4-3の併殺を完成した。2023センバツでは3回戦で報徳学園と対戦しスコア4-5で敗れた。報徳の投手は今朝丸裕喜、二塁手は林純司(現・慶応大。下の写真)だった。(テレビ画面の写真はNHK)
2024.05.13
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昨日(5月6日)、立教大がついに対慶應大の連敗記録を20で止めた。7回までスコア7-1と大量リードするも8回に4点を返されると一気に浮足立った。苦手意識というものは、これほどまでにチームを支配するものか。最後は吉野蓮(3年、仙台育英)の投入にいたり、まさに薄氷を踏むような1勝だった。 連敗の始まりは6年前(2018年)の秋に遡る。下表はこれまでの連敗の軌跡。 連敗数年月日勝敗スコア立教先発慶應先発※ 2018.10.14〇4ー3中川颯高橋亮 12018.10.15✖0ー2田中誠高橋佑 22019.4.13✖1ー4田中誠高橋佑 32019.4.14✖1ー7手塚木澤 42019.9.28✖3ー4田中誠高橋佑 52019.9.29✖0ー2手塚森田晃 62020.8.12✖4ー6中﨑木澤※72020.10.3✖6ー11中﨑木澤※82020.10.4✖2ー4中﨑森田晃※92021.5.15✖4ー11池田陽森田晃※102021.5.16✖1ー4池田陽増居※112021.10.16✖5ー8池田陽森田晃※ 2021.10.18△2ー2荘司増居※122022.4.23✖2ー4荘司増居 2022.4.24△4ー4島田外丸 132022.4.25✖4ー7荘司増居 2022.9.25△0ー0池田陽増居 142022.9.26✖1ー2荘司外丸 152022.9.27✖1ー4池田陽増居 2023.5.13△3ー3池田陽外丸 162023.5.14✖3ー6沖谷村 172023.5.16✖2ー7池田陽外丸 182023.9.9✖2ー3池田陽外丸 192023.9.10✖7ー11野口谷村 202024.5.4✖0ー2小畠外丸 2024.5.5△4ー4大越竹内 2024.5.6〇7ー5小畠渡辺和 〇は勝、✖は敗、△は引分け※はコロナ特別日程
2024.05.07
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延長12回一死の場面で、リーグ戦初打席の代打・渡辺憩(1年、慶應)がレフトスタンドにサヨナラ本塁打を放ち、慶應が勝ち点を挙げた。 これは、例年ほど戦力が安定しない堀井監督のやりくり上手がもたらした勝利でしょう。 渡辺に限らず、昨日までリーグ戦通算1打席しか経験ない真田壮之(3年、慶應)もスタメンに起用されると、5回表に先制の適時二塁打を放ち、また直後の5回裏にはレフトへの難しい打球をスライディングキャッチするなど攻守に活躍した。 一方の法政は、9回に粘りを見せ同点に追いつくも、延長12回、ついに力尽きた。渡辺のサヨナラ本塁打が飛び出した瞬間は、サードの松下歩叶(3年、桐蔭学園)がその場に突っ伏した。そして、呆然と立ち尽くす投手の宇山翼(3年、日大三)。歓喜の慶應選手たちとは対照的に、まるで東都名物の入替戦クライマックスの様相だった。 結果、勝ち点を失ったことで、優勝争いから一歩後退した。投手陣が充実し「今年優勝できなくて、いったいいつ優勝するんや?」という声も聞こえそう。 あ、そうそう。慶應の最後の投手である木暮瞬哉(3年、都小山台)と森村輝捕手(3年、都小山台)は高校時代もバッテリーを組んだ。サヨナラ本塁打を被弾した法政・宇山翼(3年、日大三)とは、4年前の秋季東京都大会3回戦で対戦し0-1で敗戦した経緯があり、今回は2人のバッテリーにとってリベンジとなった。
2024.04.30
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昨日(4月20日)は、明治大が東京大を相手に1イニング12得点を挙げた。これは歴代最多得点2位タイの記録で、平成24年秋にも明治大が12得点を記録した(相手は東大)。 この時の明大のスタメンが懐かしい。1番上本、2番高山、3番菅野、4番岡大・7番山崎・8番坂本、9番福田。そして岡は4番を打つ一方で、最後にマウンドに立つ二刀流だった。詳しくは、こちらへ。
2024.04.21
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今年1月に助監督から監督に就任した大島公一、そして2月に助監督就任したのは高村祐。実はこの2人、今は消滅した近鉄バファローズのOBでもある。 調べてみると、2人が同じ期間に近鉄に在籍していたのは1993年~95年の3年間。ちょうど鈴木啓示監督が誕生して久しぶりの”生え抜き”監督と期待が高まった時期と重なる。しかし次第に選手らのとの確執が報じられるようになり、94年オフにはエース格の野茂が退団するに至るなど、選手たちは自らのプレーに集中することが難しい時期だったかもしれない。 そのような状況下、2人が同時にスタメンに名を連ねたのは26試合ある。大島は、大石大二郎、吉田剛、水口栄二らとポジションを競い、セカンド、サード、ショートとユーティリティープレーヤーとして活躍、出番を得た。一方の高村は、野茂、小池、山崎慎、吉井、入来らとともにローテーションをほぼ守り続けた。ちなみに、2人が一緒にスタメン出場した試合の結果は、近鉄の15勝10敗1分、勝率0.577だった。 下記表(『スタメンアーカイブ』から一部を引用・編集)をご覧になれば分かると思うが、法政大OBの中根仁も26試合中、16試合にスタメン出場しており、法政大の打撃コーチにでも就任すれば、元近鉄ファンとしてはさらに嬉しさが倍増しそうだ。また、95年7月31日、ロッテの先発は、現在早稲田大監督の小宮山悟投手だった。 №年月日打順123456789近鉄投手相手投手近鉄勝敗11993/7/164大石5大島Dブライアント3石井9レイノルズ7鈴木8中根2光山6吉田剛P高村M白武〇21993/7/314大石5大島Dブライアント3石井9小野8中根7鈴木2古久保6吉田剛P高村M小宮山✖9レイノルズ31993/8/85大島4大石Dブライアント3石井9レイノルズ8村上7鈴木2古久保6吉田剛P高村F武田ー41993/8/185大島4大石Dブライアント3石井9山崎8中根7鈴木2古久保6吉田剛P高村L郭〇9レイノルズ51993/8/248村上4大石Dブライアント3石井7鈴木9江坂5大島2古久保6吉田剛P高村F芝草✖9レイノルズ61993/8/314大石5大島Dブライアント3石井9山崎8村上7内匠2古久保6吉田剛P高村L郭✖9レイノルズ71993/9/65大島4大石Dブライアント3石井9山崎8村上7内匠2光山6吉田剛P高村M伊良部✖9レイノルズ81993/9/214大石5大島Dブライアント3石井9山崎8中根7内匠2古久保6吉田剛P高村L新谷〇9レイノルズ91994/5/58内匠4大島Dブライアント3石井7鈴木9畑山5金村2古久保6水口P高村BW山沖✖101994/5/139内匠6吉田剛8中根5石井4大島7鈴木3スチーブンス2古久保D松久保P高村L石井丈✖111994/5/198内匠4大石9中根3石井7スチーブンスD金村5大島2古久保6水口P高村H渡辺智〇121994/7/274大島6水口Dブライアント3石井9鈴木7スチーブンス5金村2古久保8中根P高村M武藤〇131994/8/34大島6吉田剛Dブライアント3石井9鈴木7スチーブンス5金村2古久保8中根P高村H渡辺智〇141994/8/174大島6水口8中根3石井9鈴木7スチーブンスD金村2古久保5中村紀P高村F芝草〇151994/8/234大島6水口Dブライアント3石井9鈴木7スチーブンス5中村紀2古久保8中根P高村L郭〇161994/9/64大島6水口Dブライアント3石井9鈴木7スチーブンス5金村2古久保8中根P高村M榎〇171994/9/114大島6水口Dブライアント3石井9鈴木7スチーブンス5中村紀2古久保8中根P高村BW高橋功✖181994/9/154大島6水口Dブライアント3石井9鈴木7スチーブンス5金村2古久保8中根P高村H若田部✖191994/9/214大島6水口Dブライアント3石井9鈴木7スチーブンス5中村紀2古久保8中根P高村L郭〇201994/9/274大島6水口Dブライアント3石井9鈴木7スチーブンス5中村紀2古久保8中根P高村BW長谷川〇211994/10/96大島4大石Dブライアント3石井9鈴木7スチーブンス5中村紀2古久保8中根P高村BW野田✖221995/4/184大島6水口Dブライアント3石井7スチーブンス5中村紀9鈴木2古久保8大村P高村M榎〇231995/5/24大島6水口Dブライアント3石井7スチーブンス5中村紀9鈴木2古久保8内匠P高村L渡辺久〇241995/5/94大島6水口Dブライアント3石井7スチーブンス5中村紀8内匠2古久保9藤立P高村H若田部〇251995/5/194大島8内匠Dブライアント3石井7スチーブンス5中村紀9鈴木2古久保6水口P高村L横田久✖261995/6/74大島6水口Dブライアント3石井7スチーブンス5中村紀9鈴木2古久保8大村P高村L石井丈〇
2024.04.19
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今日は準決勝が行われ、第二試合は慶応義塾大が5-1で日本体育大を下し、決勝に駒を進めた。日体大は試合後、ベンチ前で円陣を組みミーティングが行われた。 スカイAで解説をされていた善波達也さん(前明治大監督)は、試合後にベンチ前でミーティングする日体大ナインを見て「この場面(今季最後の公式試合)で、こういったキチッとしたミーティングはあまりないですよ。これをしっかりやるっていうのは、来年新たなチームを作るにあたって本当に良い姿ですね」と感嘆した。 最近はドラフト指名選手数を連盟毎で競う風潮もあるけれど、それは大学野球の一面に過ぎない。無名校出身の選手が見事にレギュラーの座を射止める姿を見るのも痛快だし、また、大学スポーツは巷で様々の不祥事が相次いでいるが、そんな中で整然とチーム作りを目指す姿も、大学野球の魅力だと思う。試合後の日体大の姿にあらためてそのことを教えられた気がする。
2023.11.19
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アベマTVで東京六大学リーグを解説中の広沢克実さんの話が面白かった。「今の時期、神宮は、捕手の影が伸びて打者から見えるため、投球コースがわかってしまう。要注意だ」と。 さっそく翌日神宮で確認すると、たしかに捕手の影が打者から丸見えになっていました。秋の午後、西日が神宮のネット裏(のやや三塁側)から低く差し込むことが原因でしょう。スタンドやテレビで見ていてもなかなか気づきませんが、やっている選手にとっては常識かも。 捕手はこまめに位置を変えることで、打者を幻惑する必要がありそうですね。
2023.10.29
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日本ハム・木村文紀外野手(35)が今季限りで現役引退することが17日、分かった。すでに球団側に意思を伝え、18日にエスコンフィールド北海道で会見を行い、20日の古巣・西武戦(ベルーナドーム)が引退試合となる。投手としてプロ入りし、西武時代の12年途中から外野手に転向。強肩強打を武器に、パ2球団で活躍した苦労人が17年間の現役生活に終止符を打つ。(スポニチ) かつて埼玉高校球界のスターだった埼玉栄・木村文紀(旧文和)が現役を引退する。埼玉栄時代、投手としては最速148kmとキレのよいスライダーが強みであり、さらに打者としても長打力が魅力。彼が打席に立つたび、外野手は一斉にフェンス前まで下がるほどだった。 忘れられないのは2005年夏の”悲劇”。甲子園出場をかけた埼玉県決勝戦。埼玉栄は春日部共栄を相手に4-1でリードし迎えた9回表。投手は木村。二死満塁のピンチながら4番打者を2ストライクまで追い込み、あと一球で優勝が決まるはずだった。しかし・・・(2005年7月29日、県営大宮公園球場)春共栄 001 000 004 =5埼玉栄 001 100 200 =4(春)難波-今井、(埼)木村 春日部共栄の4番・鶴岡賢二郎(のちに日体大)が、走者一掃の適時三塁打を右越えに打たれて同点。さらに5番・射手矢大輔(のちに共栄大)に適時二塁打を浴びて逆転を許し、手の届くところにあった甲子園切符を逃してしまった。 木村にとっては「天国から地獄」の悪夢だったろうが、埼玉高校球界に残る名勝負だった。
2023.09.18
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先週開幕した東京六大学リーグ、今日は法政大ー立教大1回戦が行われた。先発は法政・篠木健太郎(3年、木更津総合)、立教・池田陽佑(4年、智辯和歌山)。(写真)法政・篠木健太郎(写真)立教・池田陽佑 4回表、立教は制球の乱れた篠木を捕えて先制し試合が動いた。法政は5回裏、捕逸で同点に追いつくと、続く6回には3番・今泉颯太(4年、中京大中京)の適時打で2点目。さらに8回裏、二死一・三塁の場面で4番・内海貴斗(4年、横浜)が一・二塁間をゴロで抜ける適時打を放ち、勝利を決定づけた。(写真)8回、法政・内海貴斗が適時打を放つ 篠木は序盤、小気味よい投球で立教打線をほぼ完ぺきに抑えた。3イニングに要した投球数はたったの23球だった。ところが4回表、負傷した二塁手が治療のため数分間中断すると、この時間が篠木のリズムを微妙に狂わせた。再開直後、突然制球が乱れて長打を喰らうと四球と安打で1点を失い、その後も安定せず常に走者を背負う苦しい投球だった。 スコア3-1。投手戦というより「貧打戦」に見えた試合だったが、法政にとっては内容がどうであれ、まずは1勝したことが大きいのだろう。敗れた立教は開幕3連敗。
2023.09.16
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開幕前、U18の馬淵史郎監督は、守備力と走力を重視した選手を選び、佐々木鱗太郎(花巻東)や真鍋彗(広陵)らのスラッガーを選出しなかった。 これに対し、U12の井端弘和監督は苦言を呈した。「先日閉幕したU12大会では4位に終わったものの、ほぼバントせずパワーで世界に通用できたと実感する。WBCでもパワーで優勝した。従来のスモールべースボールの踏襲ではなく、トップクラスからU12までJAPANの一貫した野球スタイルを貫くべきではないか」と。 馬淵監督は、これに真っ向から反論した。「プロとは別物。参考にならない。日本の高校生は他国に比べて守備やバントなどの野球の基本がだきている。生かさない手はない」と断言。内野陣は強肩で守備範囲の広いショートをそろえ、外野陣は自チームで1番を打つ俊足の選手で固めた。 選手たちには「つなぐ意識」が徹底された。そして確実に1点を取りに行くスモールベースボールは初優勝へと結実した。決勝戦を終えて、馬淵監督は語った。「感無量です。スモールベースボールを掲げて、やり遂げてよかった。いろんなやり方があると思うけど、私が監督だとそれしかできないので」と。 優勝が決まった瞬間、馬淵さんは涙を流していた。今頃は”高笑い”でもしているのではないか。 そもそも世代によって自チーム(JAPAN)の強み弱み、そして相手チームの特徴も異なる。そのような状況下、世代を超えてJAPANの戦略戦術を統一することに何の意味があるのだろうか、たぶんないだろう。(写真)JSPORTSより。
2023.09.12
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高校日本代表はライバル米国を4―3で下し、開幕3連勝で1次リーグ突破に大きく前進した。エース・前田悠伍(大阪桐蔭3年)が先発し、強い風雨の悪条件の中、5回2/3を4安打無失点、8奪三振の力投だった。 見逃せないのは4回裏、米国の攻撃中の出来事。(以下、スポニチより)高校日本代表の馬淵史郎監督が不可解な判定に約10分間の抗議をした。4回無死二塁の守備で投ゴロから二、三塁間の挟殺プレーになった。二塁走者と打者走者が二塁ベース上に同時に立ち、三塁手の山田が打者走者をタッチ。自身がアウトと勘違いしてベースを離れた二塁走者にもタッチして併殺完成…と思われたが、アウトがコールされず、野手陣が主張する間に二塁走者が生還した。一度は球審が生還を認め、馬淵監督が抗議に出た。結果的に併殺が認められたものの、馬淵監督は「2人が塁につけば優先権は本塁に近い方にあるわけですから」と苦笑いだった。 結局、審判員たちがルールを知らなったことが原因だったようだが、この試合を中継していたJ-SPORTSの解説者は小倉全由さん(日大三高前監督)。約10分間の中断中、審判員たちへの不信感を露にした。「このプレーで、審判がこれだけもめるというか(ジャッジに時間がかかるのが)、ルールの中で判断できるのだから、2つアウトと明確にジャッジしていいと思うのですが」「このプレーで審判がしっかりしたジャッジを下せないのは、情けないですね」「正直、これは誰が見ても2つアウトなんですよ」そして試合開始後、小倉さんは、「米国は、自分たちのボーンヘッドなのに、へんに熱くなって、また嫌なプレーが出たりしたらイヤだなぁと思います」とも話した。 この発言は、今から11年前のU18世界野球で起きた日本対米国戦を指していたに違いない。 日本は藤浪晋太郎、森友哉の大阪桐蔭バッテリーをはじめ大谷翔平(花巻東)や田村龍弘(光星学院)らが出場していた。米国選手たちの常軌を逸したラフプレーには大いに呆れたものだったが、この時日本代表を率いていたのが小倉さんだったから、この発言は強くボクの耳に残った。
2023.09.04
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慶応(神奈川)が仙台育英(宮城)に勝利し107年ぶりの優勝を決めた。(決勝/8月23日)慶應義塾 210 050 000 =8仙台育英 011 000 000 =2(慶)鈴木-小宅、(仙)湯田-高橋-田中 今大会を通じて一躍「時の人」になった慶應・森林貴彦監督は、勝利後のインタビューでこう話した。「エンジョイベースボール」を掲げてきた慶応野球部。「うちがこう優勝することで、高校野球の新たな可能性とか多様性とか、そういったものを何か示せればいいなと。日本一を目指して、常識を覆すっていう目的に向けて頑張ってきたので、うちの優勝から新しい人が生まれてくることがあれば、それは本当にうれしいと思いますし、高校野球の新しい姿につながるような勝利だったんじゃないかなと思います」と。 これまで100年以上続いている選手権大会。この大会が、高校野球の新たな世界へ向けた分岐点となるのだろうと思った。ただ決勝戦の録画をゆっくりと見たが、以来、ボクの頭の中でずっと「若き血」が反響しているのは困ったことだ(苦笑)。 さて、前回慶應高(当時:慶應普通部)が優勝したのは、今から107年前の大正5年のことだった。場所は甲子園ではなく豊中グラウンド。全国12代表が参加した。(決勝)市岡中 000 200 000 =2慶應普 005 100 00X =6(市)富永、(慶)山口 市岡中は、松本投手と富永捕手が本来のバッテリー。しかし準決勝で松本が右肩を痛めたため、急きょ富永が先発するも失点を重ねた。対する慶應の主将にしてエースの山口昇は、抜群の制球力で被安打3、奪三振11の完投勝利、チームを優勝に導いた。この山口、実は中学生ながら慶應大の試合にも出ていた猛者。一方、市岡中のコーチに、のちに高野連会長となる佐伯達夫がいた。 少々話は逸れるが、豊中グラウンドは球場ではなかった。一周400メートルのトラックのある運動場で、外野にフェンスがあるはずもなく、ホームから100メートルほどのところにロープを張っただけのお粗末なものだった。
2023.08.27
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1984年夏、取手二は茨城県勢で初めて全国制覇を果たした。桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」を擁するPL学園を決勝で破った。その歓喜の中にいた9番打者の三塁手は、優勝後の取材にこう語った。39年経った今年の夏。監督として5回目の甲子園で初めての勝利を挙げた。(朝日新聞)その人は、土浦日大(茨城)の小菅勲監督。今夏の甲子園では上田西(長野)に初勝利後、九州国際大付(福岡)、専大松戸(千葉)、八戸学院光星(青森)を次々に撃破し、準決勝で慶應(神奈川)に敗れたもののチームをベスト4へ導いた。(写真)土浦日大・小菅勲監督 ~ NHKより さて冒頭の記事にあったとおり、1984年夏の甲子園は、木内幸男監督率いる取手二高が優勝した。PL学園を破った決勝戦、小菅は9番・サードを守っていた。(決勝)取手二 200 000 200 4 =8PL学園 000 001 021 0 =4(取)石田-柏葉-石田、(P)桑田-清水哲 9回裏、取手二は、あと3人を抑えれば茨城県勢初の優勝が見えていた。しかしさすがに「逆転のPL」も黙っていない。 取手二のエース・石田文樹(のちに早稲田大中退-日本石油-横浜)が、この回先頭の清水哲(のちに同志社大)に同点本塁打を浴びた。その後石田は、いったんマウンドを柏葉勝己に譲ってライトへ。柏葉がアウトを一つとると石田が再びマウンドへ戻って4番・清原和博、5番・桑田真澄を打ち取った。 そして直後の10回表、ランナー2人を置いて中島彰一(のちに東洋大-住友金属鹿島)が3点本塁打を打ち、PL学園を突き放して取手二が優勝を決めた。この時、大会終了後は木内監督の常総学院への転任が決まっていたため細かいサインなどはなく、また大会期間中に海水浴に行くなど「のびのび野球」と評された。(写真)決勝戦の延長10回表、取手二・中島が3点本塁打を放ち優勝を手繰り寄せた。 ~ 『夏の甲子園 熱闘の記録』(ベースボール・マガジン社)より【取手二】6 吉田4 佐々木7 下田3 桑原2 中島191 石田9 平岡(19 柏葉)8 塙5 小菅 1番打者の吉田剛は、のちに近鉄や阪神で活躍した。この決勝戦では桑田から本塁打を打ったが、2000年の阪神時代には巨人・桑田からサヨナラ安打を放ち、お立ち台で「桑田からは(取手二時代に)甲子園の決勝でカーブを本塁打したことをよく覚えている」と話した。(写真)取手二時代の吉田剛 ~『全国高等学校野球選手権大会100回史』(朝日新聞社)より
2023.08.26
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仙台育英(宮城)が「友情演奏」で2校分の思いをグラウンドに届けた。専大松戸(千葉)の応援団が新幹線の遅れで3回戦の試合に到着できず、敗退した。両校の応援団に交流はないが、報道を見た仙台育英の3年生が相談し、無念を少しでも晴らそうと、19日の準々決勝前日に急きょ楽譜を用意。ほぼぶっつけ本番で専大松戸のチャンステーマ「エル・ティグレ」を演奏した。(日刊スポーツ) この心温まる記事を見て思い出したのが、昨年の東京六大学・春季リーグ戦。コロナ感染の影響で早稲田大応援団が不参加のため、早稲田大の校歌「都の西北」を法政大応援団が友情演奏した。
2023.08.24
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慶応が沖縄尚学に逆転勝ちし、4強入りを決めた。ベスト4進出は1920年(大正9年)以来103年ぶり。神奈川勢8年ぶりの4強。(準々決勝)慶應 000 006 100 =7沖縄 000 200 000 =2(慶)鈴木-松井-小宅、(沖)東恩納-儀部-伊波-照屋 大和さんの著書に、こんな記述を見つけた。 「1920年(大正9年)の第6回大会に問題が起きた。九州代表の豊国中学の投手として、前年は法政大学の投手として対早稲田大戦のマウンドを踏んだことのある小方が、選手名簿に記載されていたからであった。どう考えても大学投手が中学投手に戻るのは合点がいかぬと第8回大会からは出場選手資格が厳格になり、年齢、転学、落第などに条件をつけるようになった」。 調べてみると、小方とは豊国中(現豊国学園)の小方二十世(おがた・はたよ)投手のことだとわかった。1回戦で鳥取中(現鳥取西)を相手に、背番号「1」を背負って先発したのだが、この小方、実はその前年に法政大の投手として慶應大や早稲田大相手に計4試合登板していたのがわかった。 大会が始まってから「大学から中学に転校するのはおかしい。出場する資格はない」という声が上がったが、当時の出場規約は曖昧で当該校の校長が認めていれば、主催者側は文句を言えなかったようだ。 小方は青山学院中(東京)出身で豊国中とは何の関係もない。なぜユニフォームを着て試合に出場していたのか分からないが、甲子園(正確には、当時は鳴尾球場)で勝利するために学校が”助っ人”を頼み、小方も”お気軽に”応じたことが真相なのかもしれない。それだけ当時から野球熱が高かった証と言えるだろう。
2023.08.19
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17日、八戸学院光星に続き、仙台育英、花巻東がベスト8進出を決めた。過去、夏の大会において東北勢2校がベスト8入りは、昨年まで10度あったが、3校が勝ち残ったのは初めて。(春は2004年に一度だけあった。秋田商、東海大山形、東北)。 今日行われる準々決勝では仙台育英と花巻東が対戦する。夏、準々決勝以降での東北対決は、2003年準々決勝の東北○2―1●光星学院、15年準々決勝・仙台育英○6―3●秋田商、昨年準決勝・仙台育英○18―4●聖光学院に次ぎ4度目。 これまでは、すべて宮城県勢が勝利している。今回は果たしてどうなるか? ボクは、地元の花巻東を応援するけれども、できるならば両校の対決を決勝戦で見たかった。 ともあれ、過去にあった3度の”東北対決”を振り返りたい。(1)2003年夏 準々決勝光星学院 000 001 000 =1東 北 001 000 01X =2(光)桑鶴、(東)真壁-ダルビッシュ 光星学院に勝利した東北は、次の準決勝で江の川を6-1で破り決勝に進んだ。東北勢初の優勝を目指した東北だったが、常総学院に2-4で敗退した。「木内マジック」で知られる木内幸男監督が取手二高に続き、常総学院を全国頂点に導いた。 敗れた東北の将は、若生正廣監督。翌04年準々決勝の対済美戦では、7回のピンチの場面でダルビッシュを登板させなかったことが物議を醸した。(2)2015年夏 準々決勝仙台育英 000 131 001 =6秋田商 000 010 002 =3(仙)佐藤世、(秋)成田翔-斉藤-成田翔 3回戦も同じ東北の花巻東を4-3で破った仙台育英は、準々決勝は秋田商に6-3で勝利すると、準決勝では早実を7-0で下し決勝進出。しかし決勝の東海大相模戦は打撃戦の末、6‐10で敗退した。※仙台育英の主なメンバー。エースは佐藤世那(元オリックス)、3番・平沢大河(現ロッテ)、4番・郡司裕也(現日本ハム、慶應義塾大)。なお、早実には清宮幸太郎(現日本ハム)がいた。東海大相模のエースは小笠原慎之介(現中日)だった。(3)2022年夏 準決勝仙台育英 0112 002 201 =18聖光学院 100 003 000 = 4(仙)高橋-湯田-仁田、(聖)小林剛-佐山-小林聡 宮城県勢と福島県勢が甲子園で対戦するのは春夏通じて初めて。また、準決勝で東北勢の対決も初めてだった。なお、仙台育英は決勝戦で下関国際を8-1で下し、東北勢として春夏通じて初めて全国制覇した。
2023.08.19
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八戸学院光星(青森)が文星芸大付(栃木)を破り、4年ぶりの8強入りを決めた。同校は夏の甲子園12度目の出場で8度目の8強入り。夏26勝目(11敗)を挙げた。文星芸大 100 000 020 =3八戸光星 400 110 00X =6(文)渋谷-堀江-工藤、(八)岡本-洗平 終盤に2点を返され、、いよいよ文星芸大付の反撃か? この攻防を見ていて、7年前の悪夢を思い出さずにはいられなかった。そう、最大7点差をつけていたにも関わらず、9回に大逆転を許した東邦戦である。東北出身のボクとしては、どうかあの時のスタンドの盛り上がりが再現されないようにと願うばかりだった。(2016年8月14日/2回戦)八戸光星 103 020 300 = 9東 邦 011 000 215X =10 東邦は終盤に驚異的な粘りを見せた。エース藤嶋健人(現中日)が3回途中で降板するも、7回、8回に加点すると、9回は高木の左中間への適時打などで同点に追いつくと、最後は鈴木理がサヨナラ打を放ち、東邦が大逆転勝利した。 この時、八戸光星にとっての敵は東邦選手だけではなかった。9回裏、東邦が攻撃に入る直前、ブラスバンドが演奏を始めると、その曲調に合わせて球場中から手拍子が巻き起こり、球場全体が東邦の勝利を後押ししているようだった。次第に観客は手を叩くだけでなく、そこかしこでタオルをまわすなど異常なほどボルテージが上がった。 甲子園には”判官びいき”という観客心理が時々見られる。ふつうは弱いほうに肩入れするものだが、八戸光星と東邦を比較するならば、弱者は八戸光星だろう。この時は、単純に「大逆転劇」を見たいという観客の心理が球場中に蔓延し、試合の流れを大きく変えてしまった。 昨今の球児は「相手」だけでなく「尋常でない暑さ」にも負けず、さらに「観客を敵にまわさないよう用意周到でなければならない」し、「万一そういった事態になった場合は負けないメンタルをもつ」必要もあるようだ。
2023.08.16
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夏の最多出場校は40回目の北海高(南北海道)とか。明治34年創部。大正9年、第1回北海道中学野球大会に優勝し甲子園に初出場した。初戦の対戦相手は長岡中(新潟)だった。 ボクがよく覚えているのは7年前(2016年)の夏、エース大西健斗(のちに慶應義塾大)を擁して準優勝した時のこと。準決勝で秀岳館を接戦で破ると決勝にコマを進めたが、作新学院に1-7で敗れた。作新 000 510 100 =7北海 010 000 000 =1(作)今井、(北)大西、多間 北海は、準決勝まで全4試合を一人で投げ抜いた主将兼エースの大西健斗が4回に突然崩れて降板したことで苦しい展開になった。一方の作新は、最速152㎞右腕の今井達也(現西武)が完投し北海打線から9つの三振を奪い、54年ぶり2度目の全国制覇を果たした。この試合、4番打者は入江大生(現横浜、明治大)だった。 さて、かつて北海には辛い経験もあった。1971年春、センバツに選出され、選手たちが甲子園へ向かう途上、在校生の暴力事件が発覚した。やむなく出場を辞退して青函連絡船を降りることなく、そのまま青森から引き返した。いわゆる「涙のUターン事件」である。暴力事件を起こしたのは野球部と関係ない生徒だったから、連帯責任といわれても納得しがたい一件ではあった。
2023.08.07
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楽しみにしていた浦和学院ー仙台育英戦は大荒れだった。浦和学院 000 400 500 = 9 仙台育英 405 015 04X =19 このカードは10年前にもあったけれど、この時も荒れに荒れた試合だった。振り返ってみたい。(2013年夏 1回戦)浦和学院 108 100 000 =10仙台育英 600 004 001X =11 同年センバツで優勝し春夏連覇をねらう浦和学院。だがエース小島和哉(現ロッテ、早稲田大)が大乱調。1回裏、5つの四死球と3安打で大量6点を奪われた。小島の青ざめた表情は埼玉大会では見たことなどなかった。 追いかける浦和学院は3回表、4本の二塁打を含む7安打で大量8点を奪って逆転し、まったく先行きの読めない展開に。仙台育英は6回裏に4点を奪い同点に追いつくと、8回は無死満塁の好機をつくり一気に突き放しにかかったが、ここで小島が踏ん張りを見せて上林誠知(現ホークス)などを三者連続三振に。すべてストレート勝負の圧巻の投球だった。 そして同点で迎えた9回裏、足をつった小島に代わり山口瑠偉(のちに東洋大)が登板したが仙台育英の1番・熊谷敬宥(現阪神、立教大)がサヨナラ二塁打を放ち、仙台育英が勝利した。 ちなみにこの大会で優勝したのは、2年生エース高橋光成(現西武)を擁する前橋育英だった。高橋はほぼひとりで6試合を投げ抜き、計50回、防御率0・36の成績を残した。準優勝は、春夏通じて宮崎勢初の決勝進出を果たした延岡学園。
2023.08.07
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岩手大会を制したのは花巻東だったが、公立勢の活躍も目立った。盛岡三、盛岡四、盛岡商、そして県内随一の進学校盛岡一も健闘したが、準決勝で花巻東に敗退した。(岩手大会 準決勝)盛岡一 000 004 000 =4花巻東 101 100 70X =10 盛岡一を率いたのは國保陽平監督。3年前、岩手大会の決勝戦でエース・佐々木朗希(現千葉ロッテ)を登板させなかったことで物議を醸した、当時大船渡高の監督だった。今年春、大船渡から盛岡一に転勤となっていた。今度こそはとリベンジを期したはずだが叶わなかった。 今でこそ花巻東、盛岡大附、一関学院などの高校があり”準強豪”の末席ぐらいには名を連ねると思うけれど、岩手は花巻東が台頭するまでは”野球後進県”のひとつに過ぎなかった。当時甲子園で勝利を期待できるのは、盛岡一ぐらいだった。少なくともボクにとっては。 忘れられないのは、昭和43年夏の盛岡一の快進撃だ。初戦で徳島・鴨島商を4-2で下すと、3回戦は大分・津久見を9-2で圧勝、あれよあれよという間にベスト8まで勝ち進んだ。残念ながら準々決勝で主将で4番の我喜屋優(のちに興南高監督など)がいる興南高に4-10で敗退した。盛岡一 000 010 021 =4興南高 000 424 00X =10(盛)小笠原-三浦、(興)安次嶺 たしかボクはこの興南戦を、盛岡駅の待合室にあるテレビで見ていた記憶がある。当時は甲子園の1回戦負けが岩手県勢の常だったから、ベスト8まで進出した盛岡一の戦いを興奮しながら見ていたはずだ。ただ、本土復帰前の沖縄チームが相手ということもあって、少々微妙な空気が漂っていたことは後から知った。
2023.08.02
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勝利を決めた共栄学園・原田健輔監督(37)の目に涙はなかった。「本当に甲子園に行けるのか。まだ実感が湧かないです」。12年から監督に就任。当時は夏の大会で1勝もしていないチームを、12年目で史上初の甲子園出場に導いた。「楽しくやる」ことを意識し、野球でのミスは怒らないよう心がけている。「自分でも緩いと思うが、なるべく大会で力を発揮させてあげたいので、あまり厳しいことを言わないようにしています」。浦和学院OBで「最後の夏だけは背番号もらえました。19番で」。当時指導を受けた森士前監督(59)から「努力家で、ずっと真面目にやっていたのでベンチ入りさせた」と評される。(日刊スポーツ)共栄学園 201 011 007 =12東亜学園 100 300 020 = 69回表、共栄の攻撃も二死走者なし。あと一つのアウトで東亜の優勝が決まるはずだった。しかしそうはさせじと共栄が驚異の粘りを見せて、大逆転を果たした。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 共栄学園の原田健輔監督は埼玉・浦和学院の出身と聞いた。調べてみると、漆畑雅彦、須永英輝(のちに日本ハム)らが同期のようだ。 2002年夏、(原田はベンチ入りしていなかったようだが)浦和学院は甲子園に出場した。初戦でエース・大谷智久(のちに早稲田大-トヨター千葉ロッテ)を擁する報徳学園に逆転勝利。続く2回戦は須永投手が川之江高に13安打を浴びて、サヨナラ負けを喫した。川之江の投手は、プロ注目の鎌倉健(のちに日本ハム)だった。浦和学院 010 000 400 =5 川之江高 000 100 041X =6(浦)須永、(川)鎌倉-武村-鎌倉
2023.08.01
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西東京では日大三が日大鶴ケ丘との“日大対決”に勝利し、2年連続19度目となる夏の甲子園出場を決めた。夏の全国制覇2度、甲子園通算37勝を誇る名将・小倉全由(まさよし)前監督(66)から4月にバトンを受け継いだ三木有造監督(49)が初となる夏采配で、激戦区の頂点に導いた。(スポーツ報知) 日大三のエース・安田虎汰郎は昭和の名球会を愛し「村山実さんの闘志と小山正明さんの制球力を兼ね備えた投手になりたい」と理想を掲げる18歳とか。なんとも頼もしい高校生だ。 さて、日大兄弟校同士の対戦というと、昭和47年センバツの決勝戦、日大桜丘ー日大三高戦を思い出してしまう。日大桜 010 100 021 =5日大三 000 000 000 =0(桜)仲根、(三)小曽根、待井 この試合は、のちに近鉄で活躍する”ジャンボ仲根”こと、190㎝の長身エース・仲根政裕を擁しての甲子園初出場・初優勝だった。2連覇を狙う日大三は吉沢俊幸(のちに早稲田大ー阪急)や待井昇(のちに西鉄)らの好投手がいたが、桜丘打線が5点を奪い、仲根が完封勝利した。
2023.07.31
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「怪童」の異名をとった中西太さん。この中西さんの同世代の選手とはいったいどんな人たちだろう?と思い、中西さんと甲子園で対戦した選手を調べてみた。 高松一高時代、中西さんは甲子園に3回出場している。 1回目は昭和24年春。準々決勝で小倉北と対戦しスコア0-4で完封負けを喫した。小倉北(この年だけ小倉から校名を変更)には、前年夏の甲子園で5試合すべて完封し「無失点優勝」という大記録を達成したエース福嶋一雄(のちに早稲田大ー八幡製鉄)がいた。 2回目の同年夏は準決勝まで進むも、延長10回の熱戦の末、湘南にサヨナラ負けした。湘南には1年生でレフトを守る佐々木信也(のちに慶應義塾大ー高橋、大毎など)や、のちに高野連会長となる2番・三塁手の脇村春夫(慶応義塾大ー鐘紡)がいた。この大会では、創部4年目だった湘南が優勝し、初めて優勝旗が神奈川勢にもたらされた。監督の佐々木久男は信也の実父。高松 000 001 010 0 =2 湘南 000 110 000 1x=3 雨が降る中、湘南は一死後、3番・根本が二塁打で出塁、その後に安打と四球で一死満塁とすると6番・宝性が三遊間を抜ける適時打を放ち、2試合連続のサヨナラ勝ちを決めた。高松一はエース北村-小原の継投策も勝利につながらなかった。※なお、この大会から相田暢一さんが甲子園の審判員となり、2試合の球審を務めた。 3回目は昭和26年夏。戦時中に供出された甲子園球場の「鉄傘」が、アルミ製の銀傘で復活した。高松一は、初戦で秋山登(のちに明治大-大洋)と土井淳(のちに明治大-大洋)のバッテリーがいる岡山東(初出場)にスコア12-3で大勝した。岡山 100 020 000 = 3高松 007 400 10x =12 この試合、高松一打線は制球のままならない秋山を捕らえて序盤に大量得点し、7回には4番・中西が左中間にランニング本塁打を放ち、ダメ押しした。その後、福島商、芦屋を破り準決勝に駒を進めるも、平安にスコア3-4で惜敗した。
2023.07.09
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現役引退後はヤクルト、日本ハム、阪神、近鉄など数多くの球団で監督やコーチを歴任した中西太さん。その”熱血指導”ぶりは有名で「褒め上手」とも評された。 中西さんの指導法は、師と仰ぎかつ義父でもある三原脩が実践した”遠心力野球”の伝承と云われている。遠心力野球とは、三原の言葉を借りれば「選手は惑星である。それぞれが軌道を持ち、その上を走ってゆく。この惑星、気ままで、ときには軌道を踏みはずそうとする。その時発散するエネルギーは強大だ。遠心力野球とは、それを利用して極限まで発揮させる・・・」。 具体的には・・・、中西さんは言う。「簡単に言やぁ、人の長所を見て、合ったところで使うちゅう野球ね。それで自信を持たしてあげて、その中で短所を見つけてやれば、短所もスムーズに消えてゆく・・・」。 と言っても短所の改善が一番難しい。それは選手本人が自覚しているから。しかし短所について指導を請う選手に、短所から説明してはいけないと。「(そんな時は)じゃぁ、オマエ、何ができるか言うてみいと返す。で、コーチはそのあとに、なぜこれならできるのかちゅうことを説明できればいいわね」。 人は自分の得意なことや、何らかの気づきがあればグーンと伸びることがある。そんなときはコーチが放っといても、自らの推進力をもって成長するものだ。自分の”強み”を言葉にして伝えることが何より大切ということだろうか。 掛布雅之からは師と仰がれ、「中西さんは選手のいいところをどんどん引き出してくれてね。それで欠点を補っちゃうんだよ」と話したことがあった。 <参考/『伝説のプロ野球選手に会いに行く』(高橋安幸著、廣済堂文庫)>
2023.07.08
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2部優勝の東洋大が1部6位の駒大に競り勝ち、2連勝で21年春以来、5季ぶりの1部昇格を決めた。就任1年目の井上大監督(49)は初の1部昇格。駒大は粘り及ばず、17年秋以来の2部降格となった。試合後、ベンチ前に集まった選手たちを前に、井上監督の目から涙がこぼれた「おめでとう…ありがとう…」。今年1月に監督就任し、わずか6カ月にしての1部昇格。私生活から「厳しく」見直す井上監督のチーム改革が実を結んだ。(以上、日刊スポーツ)6月24日 1・2部入替戦 2回戦東洋大 001 100 100 =3駒沢大 000 000 000 =0(東)〇野澤‐島田‐石上祐、(駒)●高井‐東田 試合は中盤まで東洋大のペースで進んだ。3回、二死二塁の場面で2番・石上泰輝(4年、徳島商)の左前適時打で先制すると、続く4回には4番・水谷祥平(4年、龍谷大平安)の右翼線二塁打を皮切りに捕逸などで2点目を挙げた。7回にも1点を加え、1部昇格に向けて着実に試合を進めた。 守っては先発の野沢秀伍(4年、龍谷大平安)が6回まで無安打無失点の好投。唯一ピンチの場面は7回だった。3本の安打を浴びて二死満塁に。ここで降板し、救援の島田舜也(2年、木更津総合)が次打者を三ゴロに抑え無失点でこの回を乗り切った。 実はこの7回、一死一塁の場面で平凡な二ゴロを4-6-3の併殺で終わるところを、二塁手から遊撃手へのトスが乱れて走者を残してしまうミスがあった。小さなミスが天国から地獄へ突き落す入替戦。続く打者に連続安打を喫してピンチが拡大したが、なんとかここを無失点で抑えたことがこの試合の勝利を呼び、東洋大の1部昇格を確実なものにした。 勝敗が決した後、マウンド付近で歓喜する東洋大ナイン。一方、敗れた駒沢大は泣き崩れる選手たちも。入替戦恒例の場面だが、駒沢大応援団の挨拶では「今日負けて秋は2部になるけれども、もっと応援を強くなって、再びこの神宮に戻ってきます」といった趣旨のことを話していた。その声はたまたま内野席にいた私にも聞こえた。よくある”学生注目”風の力強いものではなく、学生やOBたちに切々と語りかけるような語り口は、私まで心打たれるものがあった。
2023.06.25
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1937年(昭和12年)9月11日、小石川砲兵工廠跡に近代設備を整えた後楽園スタディアムが開場した。これまでは交通の便の悪い上井草球場や、高汐になると水浸しになる洲崎球場が主な球場であったことから、やっと安定してリーグ戦を開催できる見通しがついた。そして、時期を同じくして新球団後楽園野球俱楽部イーグルスが誕生した。 そもそも後楽園球場の新設を目論んだのは、かつて職業野球の芝浦協会で失敗した河野安通志や押川清ら。「球場と所属野球チームは一体であるべし」が彼らの理想だったが、資金がないため球場建設は他の資本家に頼り、球団経営だけに閉じ込められた。
2023.06.20
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今日は法政大-東京大2回戦が行われ、法政がスコア2-0で連勝し4つ目の勝ち点を挙げた。この結果をもって両校とも今季を終了し、法政大は2位を確定させた。 法政は尾崎完太(4年、滋賀学園)が初の完封勝利をした。132球、被安打2、奪三振12、与四死球3。今季は昨季まで見られた突然崩れる様子は見られず、今日も安定した投球だった。 「打」は、相変わらず寂しい。ただニューフェースが活躍した。ゼロ行進の中、5回、均衡を破ったのはリーグ戦初スタメンの7番・姫木陸人(3年、日大藤沢)だった。直球を待っていたもののカーブに反応して、ライトスタンドに運んだ。打った瞬間に本塁打とわかる強烈な当たりだった。 この回、さらに後続がチャンスを広げると、二死一・二塁の場面で、この東大戦からスタメンに名を連ねた2番・藤森康淳(1年、天理)がセンター前にはじき返して2点目を挙げた。 恥ずかしながら姫木のことを知らなかったが、「日大藤沢から法政」と聞けば、ボクと同世代だったエースの和田護さんを思い出す。プロに進んだ田中富でもなく、池田親でもなく、川端でもなく、背番号17の小さな右腕和田が当時法政のエースだった。 和田さん、いま何しておられるのか?気になって調べてみたら、法友倶楽部(法政大野球部OB会)の副会長をされているらしい。ちなみに会長は小早川毅彦さん。(写真)均衡を破る本塁打を放った姫木。(写真)5回、藤森が2点目となる適時打を放つ。
2023.05.21
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春季リーグ戦は、明治大学が3季連続43度目の優勝を決めた。明治において3連覇は1937年春~38年秋の4連覇して以来、85年ぶりのこと。 当時の主力は、”中京商四天王”と呼ばれた杉浦清、吉田正男、村上重男、恒川道順ら中京商を3連覇にけん引した中心選手たちだった。吉田は明石中を相手に延長25回を投げぬいた伝説の投手。 明治4連覇における最大の熱戦は38年春の早稲田との優勝争いだった。4番・呉明捷(嘉義農林)の長打力が光り優勝決定戦にもつれたが、谷沢監督のもと堅実な戦いをみせた明治が優勝を決めた。 この頃、法政大には鶴岡一人(広島商)、早稲田大には呉明捷や南村不可止(市岡中)がいた。「不可止」という名前に今ひとつピンとこなかったが、改名後の「侑広」ならば解説者として、ボクの記憶に微かに残っている。(写真)”中京商四天王”。吉田は左から2番目。~『東京六大学野球80年史』(ベースボール・マガジン社)より。以下も同じ。(写真)鶴岡一人。(写真)呉明捷。
2023.05.20
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中西太さんが亡くなられた。享年90歳。 伝説と呼ばれる「10・19」。ボクが忘れられないのは、二走の鈴木貴久が懸命に駆けて生還すると、中西さんと抱き合い転げまわる感動的なシーン。 涙なしでは見られないが、今から10年前の10月19日に開催された「近鉄バファローズ『10.19』25周年トークアンドライブ」の会場にゲストとして登場した中西さんは、「いや、あの日は気管支の病気で体調が悪かったのに、鈴木貴久が二塁から駆けてきた勢いそのままにしがみついてきたから、押し倒されてしまっただけ」とこともなげに話した。 あのシーンに涙したファンは少なくないはずだけど、その素っ気ない言葉に一瞬会場は静まり返り、その後どっと沸いた。そんなわけはない、下の写真を見れば分かる、照れ隠しだろうか。 中西さんがどうこたえようとも、あの日のダブルヘッダーの異様な空気を操り、演出していたのは中西さんだったと、今でもボクは思う。
2023.05.20
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すでに東洋大が2部優勝を決め、次の注目点は最下位争いになった。現在、立正大、東農大、専修大の3大学に最下位の可能性がある。優勝校はあっさりと決まったものの、こちらの争いは最終週までもつれるし烈な戦いだ。 さて今日、等々力球場の第2試合は、その渦中にある立正大と東農大の一戦。立正大 002 003 000 =5東農大 001 100 010 =3(立)梅田(東)長谷川、上原、松原 勝敗を分けたのは6回表、立正大の攻撃だった。二塁打と四球で二死一・二塁の好機をつかむと、7番・岩本翼(4年、東亜学園)が打席に。すると、ここで東農大・北口正光監督がマウンドへ。バッテリーとの協議の中味は岩本と勝負するか、それとも岩本を歩かせて次打者・田近介人(2年、大阪桐蔭)と勝負するかの意思確認だったろうか。 結果、東農大バッテリーは、今季初スタメンの田近との勝負を選択したようで、岩本を敬遠気味に一塁へ歩かせた。そして田近。投手・長谷川優也(3年、日本文理)は初球にストライクを奪うも、次の2球目。内角に入った直球を田近が叩くと、打球は左翼線に転がり、これが走者一掃の決勝打となった。 さて、最下位争いだが、今日明日の戦いで勝ち点をあげたチームは争いから抜け出せる。立正大が1勝し、今日の第3試合では専修大が東洋大を下した。したがい、いま現在、最下位の可能性が濃厚なのは東農大である。明日以降の挽回を期待したい。
2023.05.16
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三原の「バット事件」は1938(昭和13年)11月27日、巨人と阪神の優勝決定戦で起きた。 第2戦、無死一・二塁の好機を得た巨人は三塁線に送りバントをするも、投手が三塁へ送球してアウトに。微妙なタイミングだったが、烈火のごとく怒ったのは巨人監督の藤本定義。審判団と揉み合うなど一時は退場の恐れもあったが、その場はいったん収まった。 しかし、試合後も怒りの収まらない藤本は、血相を変えて審判室へ向かい、「おーい、タイガースからいくら貰っているんだ」と叫んだ。それを知った三原脩が帰り支度のまま藤本の後を追ったが、連盟は藤本の言動を問題視して処分を下す。さらにたまたまノックバットを持っていた三原を指して「ノックバットをもって審判室へ殴り込んだ」という話になってしまい、三原も球団から処分をうけるハメになった。 「私はただ居合わせただけなのに、罰金と出場停止は納得できない」は三原の述懐。そして最も腹が立ったのは居合わせただけの三原をまったく庇おうとしなかったことだと。「もう辞めてやらあ」と愛想を尽かして、同年暮れには野球を辞めて報知新聞社に入社した。(写真)三原脩(右)と、左は水原茂。~『日本プロ野球偉人伝』(ベースボール・マガジン社)より。
2023.05.16
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1938(昭和13)年は、既存の8球団に加えて、秋のリーグ戦から南海が新加入した。注目は明治大から、東京倶楽部を経て入団した、「神主打法」の岩本義行だったが・・・、大和球士さんは、こう記した。「岩本は春季キャンプを終えるとすぐに軍隊へ召集されてしまったため、岩本を除いて魅力ある選手もなく、南海が好成績をあげられるわけがなかった」。試合数40、勝利数11、敗数26、引分け数3で勝率.297の不成績だった」。そして、「南海はスタートが不運であった。翌14年には法政大出身の大物鶴岡一人が入団したのだから、岩本、鶴岡と並べば、ゆうに優勝候補たるの実力を備えて、あるいは戦前に一度ぐらいは春か秋のリーグ戦の王座についていたろうに」と続けた。 岩本は2年間兵役に服し、青島にいた。球界に復帰すると、1942(昭和17)年7月に対名古屋軍戦で1試合3本塁打のプロ野球新記録を達成した。戦前に記録した唯一の選手である。(写真)真ん中のサングラスが岩本。~『東京六大学野球80年史』(ベースボール・マガジン社)より~
2023.05.14
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前年まで成績が上昇したイーグルスだったが、1939(昭和14)年は9チーム中最下位に落ち込んだ。原因は明確。2年前に最高殊勲選手賞を獲得したバッキ―・ハリス捕手が突然帰米したためだった。 好守好打、特にその強肩ぶりは評価が高く、チームにとって貴重な戦力だった。また、日本語の勉強に熱心な親日家であり、ユーモラスなキャラクターの人気者でもあった。小学校の国語の教科書をいつもバッグに入れては「モモタロサン、モモタロサン」と大きな声で音読を繰り返すほど。その熱心さは試合中にも。打者がが打席に立つと、ハリスはマスク越しに「モーモタロサン、モモタロサン」と茶目っ気たっぷりに歌い出して打者の打ち気をそらしたことも。大和球士さんは「これも捕手のインサイドワークの一種だろう」と記した。 しかしこの年、臨月の妻が帰国してお産をすることになり、ハリスもやむなく突然帰国することになった。送別試合の際は、マイクの前に立ち、別れの言葉を述べたが、途中から涙が先にたち、満足に挨拶ができなかった。帰国の理由は妻のお産だけでなく、当時の日米関係の悪化も微妙に影響したのかもしれない。当時イーグルス代表だった河野安通志が翻訳してくれた原稿には、次のようなことが書かれていたそう。「職業野球は、皆さまのお引き立てがなければ立ちゆきません。今後ともごひいきに願います。私はこの際、別れを告げます。皆様のご壮健とご幸福を祈ります。さようなら」。(写真)バッキ―・ハリス(左)、右は亀田忠投手。~『激動の昭和スポーツ史 プロ野球(上)』(ベースボール・マガジン社)より。
2023.05.07
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1940(昭和15年)、戦争の靴音が次第に高くなる中、”弾丸ライナー”という言葉がうまれた。打球を放ったのは巨人軍の4番・川上哲治、命名者は大和球士さんだった。 4月1日、後楽園球場。この年著しい飛躍をみせた名古屋軍と巨人軍の激突。9回裏、走者をひとり置きフルカウントから川上が剛速球を叩くと、左翼手の守備位置前に”弾丸ライナー”となって飛び、あまりに当たりが強すぎたためにワンバウンドした球が吉田のスパイクに当たり、ファールグラウンドへ飛んでいく二塁打となって、巨人軍がサヨナラ勝ちした。 大和さんは「川上の壮絶な弾丸ライナーは、いまだに筆者の眼底に焼き付いて離れない。打球が強すぎて野手がボールを一瞬見失い、スパイクに当てて高くハジクなどは稀有の出来事に属し、筆者の知る限りにおいては2回あるのみ」と記している。 写真は『激動の昭和スポーツ史 プロ野球(上)』(ベースボール・マガジン社)より。
2023.04.30
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法政大先発の篠木健太郎(3年、木更津総合)は、終始安定したピッチングを見せました。今日の成績は8回、被安打5、奪三振8、与四死球2、そして今日の最速は155キロ。できるならば9回も!と思ったけれども投手交代。二番手として吉鶴翔瑛(3年、木更津総合)がマウンドに。スコア2-0、法政にとっては連勝して勝ち点1を目前にした余裕の継投に見えましたが・・・2回戦(4月9日)慶應大 000 000 003 =3法政大 200 000 000 =2(慶)谷村、〇小川琳、外丸(法)篠木、●吉鶴、塙【試合経過】法政は初回、三塁に走者を置いて、4番・内海貴斗(4年、横浜)が右翼スタンドへ放り込み、2点を先制した。その後は法政・篠木、慶應・谷村然(4年、桐光学園)の好投で両者ともに「0」行進が続いた。そして迎えた9回表、法政ベンチは篠木に代えて、吉鶴を救援に送った。慶應この回の先頭打者は、4番・廣瀬隆太(4年、慶應)。昨日からまったく当たっておらず、今日も篠木は廣瀬から2三振を奪うなど完璧に抑えていた。そんな経緯ゆえ廣瀬は投手交代を聞き、胸を撫で下ろしていたのではなかったか。案の定、廣瀬は初球をたたくと、打球は左前に転がって出塁した。一死後、代打・佐藤一朗(4年、慶應)は左中間を破る適時二塁打を放ち1点を返すと、続く水鳥遥貴(3年、慶應)が初球にバントを敢行。しかし急速に押されてファールにすると、すかさず慶應ベンチは動いた。カウント0-1、打席の途中に村上真一朗(4年、城北)を代打に送る。そして直後の2球目、村上の打球はグングン伸びてスタンドイン、逆転の2点本塁打となった。法政にとって悔やんでも悔やみきれない一球となった。 投手の継投はむずかしいものだなぁ・・・としみじみ思います。せめて9回、廣瀬までは篠木に任せていればなどとも思うけれど、それは結果論ですね。 さて、今日の注目選手は慶應・斎藤快太(3年、前橋)。今日の試合は2安打を放ち、ショートの守備もうまい。見ていてワクワクする選手です。(写真)法政・内海貴斗。この直後、ボールは右翼スタンドに消えて2点本塁打に。(写真)慶應・斎藤快太。
2023.04.09
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東都2部が4日に開幕しました。 東洋大-東京農業大は、初戦から延長戦(タイブレーク)にもつれる接戦でしたが、東洋大が10回に3点を挙げて先勝。そして、続く第2戦も好ゲーム。スコア3-3の同点で迎えた9回裏、東洋大が二死一・三塁の場面に、東農大の松村力(3年、敦賀気比)がまさかの”サヨナラ・ボーク”。三塁走者が生還し、あっけない幕切れに。結果、東洋大が辛くも勝ち点1を挙げました。2回戦(4月5日、UDトラックス上尾球場)東農大 000 100 200 =3東洋大 003 000 001X =4(農)高野、長岡、石森、小島拓、林、府川、●松村(洋)岩崎、〇野澤【試合経過】東洋大は3回、制球の安定しない農大投手陣から4つの四死球と2本の安打を絡めて3点を先制すると、農大は6回、代打・重政拓夢(3年、関東一)の左中間越えの適時二塁打で1点。さらに7回には二死二・三塁の好機に3番・井口真之介(4年、東農大三)が左中間を破る適時二塁打を放って同点とした。 そして迎えた9回裏、東洋大の攻撃。農大の投手は7回途中から登板した松村。一死一・二塁の場面に5番・橋本吏功(4年、花咲徳栄)に左前へ安打を浴びるも、レフトから本塁への好返球で生還を狙う二塁走者はタッチアウトとなり(二死一・三塁)、いよいよ延長戦突入かと思われた。しかし次打者が打席に入ったその直後・・・、松村は一塁へ牽制を試みたが、一塁手がベースについていないのに気付き送球せず。この時、松村の足がプレートに触れたままだったためボークと判定されて、三塁走者が生還しゲームセット、あっけない幕切れとなった。 この試合でボクが注目したのは、東農大の松村投手。7回裏二死満塁の場面で登場し打者を三ゴロに打ち取ると、派手なガッツポーズとともに「ウォーッ!」と雄たけびをあげるなど気合十分。最後は”サヨナラ・ボーク”を招いてしまったけれども、今後もぜひ見てみたいと思える投手でした。(写真)松村力(3年、敦賀気比)
2023.04.08
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25日行われた東邦ー高松商は、東邦が岡本のソロ本塁打など12安打で高松商に6―3で逆転勝ち、選抜大会の通算勝利数を中京大中京(愛知)と並ぶ歴代最多の58としました。 古豪どうしの対決。この両者の対決はこれで4度目と聞き、調べてみました。 1度目は昭和18年春の準々決勝、東邦(当時は東邦商)はエース松本貞一(のち木下姓、阪神ー名古屋)を擁して8-0の大勝。 2度目は昭和36年春の、これも準々決勝。この時東邦が1-4で敗退しましたが、現・大垣日大監督の阪口慶三さんが背番号12をつけてベンチにいました。 3度目は昭和52年夏の2回戦、この時は東邦が6-2で高松商を降しました。東邦のエースは1年生エースの”バンビ”坂本佳一(のちに法政大ー日本鋼管)と大矢正成(のちに法政大ーJR東海監督)。大矢さんは長期間にわたり、NHK高校野球中継の解説者をされていました。ちなみに・・・。東邦は高松商に勝利した後も順調に勝ち進んだものの、迎えた東洋大姫路との決勝戦にドラマがありました。伝説となった試合です。東邦 010 000 000 0 =1東洋 000 100 000 3X =4(延長10回)(邦)坂本ー大矢(洋)松本ー安井 10回裏、決勝戦史上初のサヨナラ3点本塁打を打たれて、東邦は優勝を逃してしまいました。この後、坂本は二度と甲子園の土を踏むことはなく、そして法政大に進学後も公式戦に登板することはありませんでした。 法政だし入学後は、いつも神宮の応援席から声援を送るのみ。坂本は「もし、あの決勝戦でスタンドから応援する部員の気持ちを分かっていれば、サヨナラ本塁打を打たれた不用意な一球は決して投げなかったろう」と語っていたのが印象的でした。(写真)坂本佳一投手。~『高校野球熱闘の世紀』(ベースボール・マガジン社)より~
2023.03.26
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エンゼルスの大谷翔平と藤浪晋太郎両投手が28日(日本時間3月1日)にアリゾナ州メサで行われるオープン戦で投げ合うことが決まった。アスレチックスのマーク・コッツェイ監督が明言したもので、MLB公式サイトのマーティン・ガレゴス記者が伝えた。同じ1994年生まれの両右腕の投げ合いは9年ぶりだ。2014年3月8日のオープン戦(甲子園)では大谷が5回2安打1失点、藤浪が5回9安打5失点だった。同年7月19日のオールスター(甲子園)でも投げ合い、大谷は1回3安打1失点、藤浪は2回4安打4失点だった。(以上、FULLCOUNTより) 大谷翔平と藤浪晋太郎。この2人といえば、プロ入り後よりもそれ以前の高校時代を思い出す。 特に2012年18Uワールドカップの対米国戦。エース格は藤浪、一方の大谷はDHか外野手として4番を打っていた。 で、米国チームのプレーがあまりに酷かったので、ボクはこの試合を鮮明に憶えている。米国の走者は、三塁を守る田村龍弘(当時、光星学院)や捕手の森友哉(当時、大阪桐蔭)へ意図的に体当たりして、彼らがグラウンドに倒れこむ姿を見ると、奇声を上げて歓喜していたのだ。 とても見ていられないシーンの連続。間近でこんな滅茶苦茶なプレーを見ていたのが大谷翔平だった。きっとメジャーへ行く希望は失せたろうと予想していたが、なんのなんの、その数日後に「高校卒業後はメジャー入りを希望する」と堂々の宣言。ボクは驚いて椅子から滑り落ちそうになった。<参考>対米国戦のスタメンを備忘録として。2 森 友哉 (大阪桐蔭、その後西武、オリックス)4 伊與田一起(明徳義塾、その後専修大、JR西日本)5 田村 龍弘(光星学院、その後ロッテ)D 大谷 翔平(花巻東、その後日本ハム、エンジェルス)7 高橋 大樹(龍谷大平安、その後広島)3 金子 凌也(日大三、その後法政大、HONDA鈴鹿)9 笹川 晃平(浦和学院、その後東洋大、東京ガス)8 水元 弦 (大阪桐蔭、その後亜細亜大、東邦ガス)6 北條 史也(光星学院、その後阪神)P 城間 竜平(光星学院、東北福祉大、パナソニック)
2023.02.26
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▽駒大8―1専大(11日・神宮)1勝1敗で迎えた3回戦。2部1位の専大は1部6位の駒大に完敗し、2017年春以来の1部復帰を逃した。 先発マウンドに立ったのは、ロッテにドラフト1位で指名されたエース・菊地吏玖投手(4年=札幌大谷)ではなく、2回戦で完投勝ちを収めた西舘昂汰投手(3年=筑陽学園)だった。2回3分の1を4安打2失点。大学最後の登板を終えた菊地は「悪いなりに、どう抑えるかという頭の使い方をしたシーズンでした。どんな状態でも最後まで投げ切る力は付いたと思いますが、こういう試合で『最初から菊地』とはならなかった。自分はその程度の選手だと思ったので、とにかく練習して自分を高めたい」と新たな決意を口にした。(以上、スポーツ報知)駒澤大 320 101 001 =8専修大 000 001 000 =1(駒)〇松村-東田、(専)●西舘-松下-菊地吏 両校1勝1敗で迎えた第3戦、専修大の先発はエースの菊池吏玖(4年、札幌大谷、Dロッテ1位)と予想していたが、マウンドに立ったのは西舘昂汰(3年、筑陽学園)だった。菊地は1回戦に先発するも安定感なく、4回、被安打2、与四死球3、失点3だったことが、大事な第3戦を任されなかった理由か。「こういう試合で、最初から菊地、とはならなかった。自分はその程度の投手だと思った」とは菊地本人の弁。秋開幕前は「悔いのない形で終わりたい」と話していたが、残念ながらそうはならなかった。プロの世界でリベンジしたい。
2022.11.13
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2部6位の国士舘大が、3部1位の帝京平成大にサヨナラ勝ちし1勝1敗とした。2回に先制されるも、4回に相手投手の暴投で同点。その後も追加点を挙げ2点リードで迎えた9回。2死二塁から帝京平成大・山本大介内野手(2年=高知中央)に2点本塁打を打たれ、土壇場で試合を振り出しに戻される。しかしその裏、2死二塁で河野真大外野手(4年=横浜隼人)が決勝打となる中越え適時打で試合を締めた。試合後、辻俊哉監督(43)は「首の皮一枚つながった」と安堵(あんど)の表情を浮かべた。公式戦初のサヨナラ打を放った河野は「うれしかった。今日のように1点ずつ取っていきたい」と次戦に向けて意気込みを語った。(以上、日刊スポーツ) 4日、東都2・3部入替戦の2回戦が行われ、国士館大(2部6位)が帝京平成大(3部1位)に勝利、1勝1敗のタイになりました。 実は3日、スタンドで観戦した際、帝京平成大の新監督の身体の大きさに驚いたのですが、その監督がかつては國學院大のエース・村松伸哉さんだったことを先ほど知りました。 大学時代は1年生ながら、同じ年だった早大・斎藤佑とともに日米大学野球の代表選手に選出され、さらに斎藤を押しのけてMVPに輝いた本格派の投手。187㎝の長身から投げ下ろす150㎞台の速球が武器で、米国では斎藤佑よりも評価が高かった。 それでいて喜怒哀楽の感情をストレートに表現する選手でもあって、私にとっては興味の尽きない大好きな投手でした。大学卒業後はかずさマジックに進み、その後は清和大(千葉県リーグ2部)のコーチを経て、今季から帝京平成大の監督に。 今週11日(金)は国士舘大と第3回戦を行い、勝てば2部昇格が決まりますが、急に帝京平成大が身近に思えてきました。
2022.11.06
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3日は東都の入替戦を観戦しました。 第1試合 成蹊大(4部1位)6-1上智大(3部6位)、 第2試合 今春から新規参入した帝京平成大(3部1位)が国士館大(2部6位)に9-1の圧勝、国士館は3部転落の危機。多くのプロ野球選手や高校野球指導者を輩出してきた国士舘ですが、3部転落となれば部史上初めてかも? 第3試合 駒沢大(1部6位)が専修大(2部1位)を5-3で先勝。専修のエース菊地吏玖(ロッテ1位)は5回持たず降板。そんなさなかスタンドで試合観戦していた某大学(2部リーグ)野球部員たちの会話。A「(スタンド後方にいる大柄なおじさんを指さして)あ、あそこにいるの、前の横浜DeNAの監督じゃね?」B「そうだ」A「だれだっけ」B「ナカハタだよ」A「そうだ、ナカハタだ」C「なんでここにいる?」B「わかんない」・・・その後スマホで検索して、A「ナカハタは駒大OBらしいよ」BC「へぇそうなんだ」・・・って、とてもジェネレーションギャップを感じた瞬間でした。
2022.11.06
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