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2017.10.20
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カテゴリ: 探訪 [再録]
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今回の史跡探探訪講座の集合場所は天龍寺・中門で、最終探訪地が鹿王院でした。そこで、集合前 (Before) と集合後 (After) についてまとめてご紹介してこのシリーズを終えたいと思います。

== Before ==
冒頭の画像は、JR嵯峨嵐山駅の改札と駅建物です。線路を跨ぐ形で駅舎が建てられています。

エスカレーターで下ってきて、まず目にとなったのが、 二宮金次郎像 です。まだ建てられて新しいもののようですが、 なぜここに?  この地とのつながりが分かりません。学校の校庭などで見かけることはありますが・・・・。
次に気になったのがその背後の建物と車輪。

「トロッコ嵯峨駅」 「ジオラマ京都JAPAN」がここにあるようです 。建物の階段横が 「さざれ石の庭」 なのでしょうか。壁面に銘板が出ています。



この建物の隣に 「19th CENTURY HALL SL&PIANO MUSEUM」 と表示されています。
「19世紀ホール 蒸気機関車とピアノの博物館」 ということから、この建物の前に、蒸気機関車と機関車の車輪で作られたモニュメントが置かれているようです。

ここに鎮座しているSLはかの有名なD5151です。


駅前にある駅周辺の観光案内板兼PR板のようです。この嵯峨嵐山駅を利用したことがなかったので、道順を確かめ、観光客の動きを参考にして、天龍寺に向かいました。

商店街を通り道路を右折します。次の四つ辻の右方向(北)に向かう道のレンガ塀前にこの道標が建てられています。
道標の正面には、「嵯峨御所大本山大覚寺 北八丁」 、最後の「丁」の文字が現在の道路面では埋もれています。 手前の側面には「日本最初の庭園」と刻されその下に、「大沢池」と「名古曽の滝址」

このあと道沿いに行くと、 南無地蔵大菩薩と天道大日如来と記された提灯のかかる小祠 があり、 その傍が「龍門橋」 です。龍門橋は既にご紹介していますので、ビフォーはこれで繋がっていきます。

== After ==
最終探訪地の「鹿王院」前で現地解散となりました。そこで久しぶりに、「渡月橋」を往復してみることにしました。アフターのオプション散歩を兼ねて、ちょっと探訪です。


渡月橋は天龍寺から法輪寺に通じる大堰川に架かる橋 です。この橋は承和年間(834-48)に僧道昌によって架橋されたのがはじめだといわれているようですが、定かではないとか。下嵯峨地域は古くは葛野郡橋本郷と称されていたことから、平安初期頃に架橋されていたことは推定できるようです。はじめは 法輪寺橋 と称されていたとか。 かつては、現在地よりも100mばかり上流に橋が架かっていたと言い、角倉了以が大堰川を開削して水利を計ったとき、現在の場所に架け替えたと伝えるそうです。 (資料1)

「渡月橋」に行くと、何と虹が遠望できました。 「大堰川」は渡月橋を境に「桂川」と呼ばれる ようになります。

渡月橋の北詰、東側にある案内図

虹を眺めながら、渡月橋を往復しました。




結構橋の上から虹を写真に撮っている人を見かけました。


橋を渡って、南詰めから上流側の大堰川を眺めます
古くは葛野川 といい、東の鴨川に対して 西川 とも呼ばれていたそうですが、秦氏がこの地に来たり、堰を設けてこの地域の水利の便宜を良くして 大堰川 という名称が付けられたと言われています。 この川の源は 京都市左京区広河原と南丹市美山町佐々里の境となる 佐々里峠 に発します。その川に、大悲山を源とする川を始め様々な支流が合流して行きます。右京区京北地区の流域では 「上桂川」 、南丹市園部地区で 「桂川」 、南丹市八木地区から亀岡市においては 「大堰川」 、亀岡市保津町から嵐山までを 「保津川」 と言い、嵐山に至って 「大堰川」 と呼ばれます。そして渡月橋から 「桂川」 と呼ばれます。 (資料2)
インターネットで 国土地位理院の地図を見ると、佐々里峠からの本流には「桂川」の表記で統一 されています。 桂川、鴨川、木津川の三川が合流し、「淀川」 となります。

王朝時代には、斎王となる内親王は、この川の畔でみそぎをされたといいます。嵯峨野にある 野宮神社 はその名残とされています。 (資料1,3,4)
「また夏季にはこの川でとれる鮎を天皇の食膳に奉ったので、禁河ともなった」 (資料1) そうです。歴代の天皇がこの嵐山に御幸し、大堰川を船遊地にしたのです。宇多法皇、醍醐天皇、円融法皇、白河天皇の御幸が特に有名だそうです。それら御幸に関連する和歌が残されています。御幸の供奉の折に、詠まれた歌が歌集に収載されているのです (資料2) 。たとえば、

  大井河川辺の松にこと問はむかかる御幸やありし昔も   紀貫之 拾遺集
  波の上を漕ぎつつ行けば山近み嵐に散れる木の葉とや見む 紀貫之 新拾遺集
  もみぢ葉の落ちて流るる大井川瀬々の柵懸けも止めなむ 坂上是則 続後撰集
  朝まだき嵐の山の寒ければ散るもみぢ葉を著る人ぞなき 藤原公任
  大井河古き流れを尋ねきて嵐の山の紅葉をぞ見る    白河天皇 後拾遺集

大堰川で舟遊し和歌を詠むという形の御幸は平安時代末期の世情不安により終わります。往時の船遊びを復元したのが、 車折 (くるまざき) 神社の特別祭事 として毎年5月第3日曜日に行われる 「三船祭」 です。
 渡月橋を北詰に戻ってきて 上流側を見た川沿いの景色
対岸は嵐山から鳥ケ岳に連なっていきます。 嵐山の中腹に、千光寺(大悲閣)があります
黄檗宗に属するお寺で、角倉了以が保津川の開削工事を行った時に工事に協力した人々の菩提を弔う為に創建したお寺です。 (資料2)

渡月橋の北詰には、東側のすぐ近くに、 「琴きき橋跡」と刻された石標 が立っています。その側面には、歌が刻まれています。右の画像の歌です。

      一筋に雲ゐを恋ふる琴の音にひかれて来にけん望月の袖

この「琴きき橋」には、高倉天皇が琴の名手で京都一の美貌の人と言われた小督局 (こごうのつぼね) を寵愛したことから始まる悲恋の物語が秘められているのです。
『平家物語』の巻六、「三 小督の事」がこの経緯を記しています。その冒頭に、「そも、この女房と申すは、桜町の中納言成範( しげのり :藤原成範)の卿の娘、禁中一の美人、ならびなき琴の上手にてぞましましける」と記されています。 (資料6)

小督局の悲恋物語から、室町時代に 金春禅竹 (こんぱるぜんちく) 謡曲『小督』 を創作してくことにつながっていきます。 (資料7)

「保津川下り」のホームページの「琴きき橋に伝わる物語」というページに、詳しい解説が載っています。​ こちらからご一読ください。


また、この石標の傍に、この 距離標識 が設置されています。
この嵐山渡月橋は、上記の三川合流地点から遡ること18.0kmという位置になるのです。
渡月橋北詰から道路を挟んで北東側の商店などの間にある小道の先に、小規模な神社が見えます。駅に向かう方向なので、そこに立ち寄ってみました。
「大井神社」 です。駒札が立っています。



「大堰神社」または「大橋神社」とも呼ばれるようです 。駒札に記載のように、 かつては「大堰神」 が祀られていたのでしょう。 現在は「宇賀霊神 (うがのみたまかみ) が祭神として祀られています。手許の本では「 倉稲魂命 (うがのみたまのみこと) 」という表記で説明されています。 松尾大社の境外末社 となっているそうです。松尾大社は秦忌寸都里 (はたのいみきとり) が社殿を造営したのが神社の起こりです。 (資料1)
つまり秦氏が勢力を持っていた地域ですので、この神社の起こりも秦氏と関わりがあることはうなづけます。
 覆屋の設けられた社殿の傍に、小祠が祀られています。

この後、再び天龍寺の総門前から龍門橋を通過し、JR嵯峨嵐山駅に戻りました。

ご紹介が5回のシリーズとなってしまいました。
ご一読ありがとうございます。

参照資料
1) 『昭和京都名所圖會 洛西』 竹村俊則著 駸々堂  p264-268,p281
2) ​ 桂川(淀川水系) ​  :ウィキペディア
3) ​ 斎王 ​   :ウィキペディア
 ​ 斎王一覧 ​ :「齋宮歴史博物館」
4) ​ 野宮神社 ​ :ウィキペディア
 ​ 野宮神社 ​ ホームページ
5) ​ 京都嵐山 三船祭 ​  :「車折神社」
6) 『平家物語 上巻』 佐藤謙三校注 角川文庫ソフィア p281-288
7) ​ 小督 ​  :「コトバンク」

【 付記 】 
「遊心六中記」と題しブログを開設していた「eo blog」が2017.3.31で終了しました。
ある日、ある場所を探訪したときの記録です。私の記憶の引き出しを維持したいという目的でこちらに適宜再録を続けています。
再録を兼ねた探訪記等のご紹介です。再読して適宜修正加筆、再編集も加えています。
少しはお役に立つかも・・・・・。他の記録もご一読いただけるとうれしいです。

補遺
トロッコ列車について ​  :「嵯峨野観光鉄道」
19世紀ホール ​    :「嵯峨野観光鉄道」
大覚寺 ​ ホームページ
秦河勝の葛野大堰を推理復元する/愛媛県古照遺跡の堰から ​ :「民族学伝承ひろいあげ辞典」
葛野大堰と秦氏 ​  トレジャー・ナビ :「農林水産省 近畿農政局 整備部」
渡月橋 ​  :ウィキペディア
小督 ​  :ウィキペディア
金春禅竹 ​  :「能楽用語事典」
小督 ​  演目の紹介 :「名古屋春栄会」
謡蹟めぐり 小督 こごう ​ :「謡蹟めぐり 謡曲初心者のためのガイド」
大悲閣千光寺 ​ ホームページ

   ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

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Last updated  2017.10.20 20:44:36
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