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2021.11.30
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カテゴリ: 探訪
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先日、頂妙寺・大光寺・信行寺という仁王門通に面したお寺の紅葉(黄葉)をご紹介した。
併せて冒頭の 新洞学区の寺院案内図 も掲載しています。遅ればせながら、 今春(2021.3.24)に探訪していたお寺 で記事にまとめていなかったものをここでご紹介したいと思います。まずは、頂妙寺と大光寺の間に位置する2つのお寺です。

 最初の頂妙寺からだと東に三筋目 「新間之町通」から少し先に「霊照山清光寺」 があります。浄土宗のお寺です。 (資料1)
山門の屋根の鬼瓦

降棟の鬼瓦 口は阿形、吽形の対に


この清光寺は、山門を入るとすぐ正面に 本堂 があり、正面は格子の障子戸で、左右に花頭窓が設けてあります。
屋根は、私にとってはあまり見かけたことのない二段構えになった興味深い形です。


左の鬼瓦 の右縁には、寄進者の住所氏名が彫ってあり、私には「長兵衛」という名を何とか判読できる程度です。

右の鬼瓦 は、鬼ではなく 龍が彫り込まれていて


 こちらも同様に寄進者名が見えます。



宝篋印塔 が建立されていて、 塔身には「萬霊供養塔」と 刻されています。
衝立の左に安置されているのは ​賓頭盧 (びんずる) 尊者像​ だと思います。

このお寺、冒頭の案内図では29番の位置です。案内図と地図をみると、本堂の背後に寺地があり南北に奥行の深いお寺のようです。


更に東に歩むと、仁王門通の南側に同様に定規筋の入った築地塀のお寺が見えます。
手前に「 碁道名人 第一世本因坊算砂𦾔跡 の石標 が立っています。
山門の右柱に「 顕本法華宗本山 寂光寺 」の寺号札が掲げてあり、左の柱には「 碁道 本因坊 元祖之道場 」と記された木札が掛けてあります。
山門屋根の棟の鬼瓦


降棟の鬼瓦


山門の蟇股には獅子 が丸彫りされています。



蟇股の背面 を見ると、 まったく異なる植物文様 が彫刻されています。

梁の上の板蟇股 はシンプルな彫刻が施されてえいます。
この位置でよく見かけるのは飾り彫刻が一切無い分厚い板蟇股ですが。


本堂 は西に向いています。
山門を入ると、参道は南北方向ですので、直角に左折することになります。


本堂の正面に 「寂光寺」と緑字で記された扁額 が掲げてあります。


参道の角に立つ駒札

こちらは通りに面した石標と門柱の寺号札の間に建てられている 案内駒札 です。


本堂の右側の高欄傍の駒札に、 「寂光寺だより」 のページが掲示されていました。
算砂上人の肖像画 が特集の一環として載っています。文字が小さくて見づらいでしょうが、ご紹介しておきたいと思います。

上掲の諸資料と手許の本とを併せ総合して以下ご紹介します。
寂光寺は「妙見山」と号し、顕本法華宗の寺院 で、京都日蓮聖人門下十六本山の一つ。
顕本法華宗の総本山は、洛北に位置する妙満寺 です。

天正6年(1578)に室町出水(京都御所の西、上京区)にて日淵上人により創建され、 当初は「空中山久遠院」 と号したそうです。日淵上人は総本山妙満寺第二十六世です。
その後、寺町二条(中京区)に移ります。

この移転は、天正18年(1590)に豊臣秀吉が聚楽第を建てるために町割を行い、半町ごとに南北に道路を付け、町中の寺々を「寺の内」と「京極」付近に集めました。この影響を受けたことが原因だそうです。 (資料2)

現在の寺町二条から少し北、寺町通の西側に 久遠院前町 」という町名が残っています
この頃には、東西59間、南北37間という広い敷地で、その境内には本因坊を含め7塔頭が建っていたそうです。 (資料2)

天正の頃 、日淵上人の法弟で、二世となる 日海が寺内塔頭「本因坊」に住んでいて囲碁に優れた僧 だったとか。 本因坊算砂 と号しました。日海は囲碁の基技を仙也に学び敵手がいなかったと言います。 算砂は信長・秀吉・家康に碁を教え、信長からは「名人」の名を贈られました 。「秀吉からは四石を賜り、棋士の俸禄制に先例を残した。また 家康からは幕府の碁所に 補せられ 、将軍家の指南や全国棋士の昇進査定を行なった。毎年3月頃には、旗本格の行列をつらねて江戸に上り、江戸城に於いてお城碁を行ない、金銀を賜って帰洛したという。」 (資料3)
​本因坊の名称は、碁界家元の地位を持ち、技量卓抜な者が襲名継承することになった​ (駒札) そうです。
算砂の没後、本因坊は碁道の家元の姓となり、その門弟によって代々襲名された 。二代目以降は住職ではなかったが、算砂の遺徳を偲び、得度し袈裟を纏って碁を打ったという」 (資料3) とのこと。「二世算悦、三世道悦を経て四世道策の時、本因坊は当寺から江戸に移った」 (駒札) とか。「 昭和14年(1939)二十一世秀哉に至り、かかる世襲制を廃し、日本棋院に於ける試合に勝った実力者が本因坊を襲名することにあらためた (資料3) そうです。

二世日海(本因坊一世)は元和9年(1623)5月、64歳で没します。「それよりのちは、天性囲碁に通ずるものが、当寺の住職となった」 (資料3) とか。

徳川五代将軍綱吉の時代、 宝永5年(1708)3月8日 に、油小路姉小路下ルの民家より出火したことで 「宝永の大火」 が発生しました。寂光寺もこの大火で焼失。そしてこの 宝永5年(1708)寂光寺は現在地に移りました 第七世住職・日證上人の時代 です。本堂・客殿・庫裡・鐘楼堂・山門などが再建されました。
現在の本堂は安永5年(1776)建立の建物。上掲の山門は享保6年(1721)のものとか。

降棟の鬼瓦
向拝の蟇股

向拝の頭貫両端の木鼻


本堂前の右側に、 「仏足石」 があります。傍に「仏足石の由来」説明が掲示されています。
「釈尊ご入滅後、仏陀礼拝の形式として、人々はその御足に対して接足作礼を行い、哀心慕情の誠を示しました。
 <ご参詣の皆さま、お釈迦さまの御足に対して、合掌礼拝をいたしましょう.>」 (説明文転記)

 本堂の北西側に 鐘楼堂 があります。


鐘楼堂屋根の棟の鬼瓦
降棟の鬼瓦 とその右手前に 飾り瓦


山門から真っ直ぐに南に向かうと、 「本因坊歴代墓所」と大きな木札を掛けた門扉 があります。 境内墓地への入口 です。引き戸が閉められていましたので、墓所を拝見していません。
本因坊算砂をはじめ、二世算悦・三世道悦・四世道策・五世道知の墓 がここにあるそうです。 (資料3)


また、山門を入って東側で、近くにこの 石碑 が建立されています。
「第一世本因坊報恩塔」 と刻されています。本因坊算砂つまり日海上をの顕彰する報恩碑です。
序でに調べて見ますと、 本因坊歴代墓所は、東京都豊島区の本妙寺に あります。 (資料5)




3月下旬の探訪でした。山門傍で、 異なる色の花を咲かせる一本の木 を眺めて、寂光寺を辞しました。

最後に、余談ですが調べていて得た事項を孫引きでご紹介します。 (資料6)
第一世本因坊算砂 は、
​碁なりせば劫 (こう) など打ちて生くべきに 死ぬるばかりは手もなかりけり​
という 辞世 を残したそうです。

また、 以下の狂歌を残している とか。狂歌の形で訓戒を詠んだ感じですね。

 1 石立 (いしだて) は相手により打 (うち) かへよ さて劫 (こう) つもりの時の見合 (みあわせ)

 2 作り物ありとをり入り案ずれば 心にそまぬ手をや打つらん 

 3 上手 (じょうず) とてあまりの気過 (けすぎ) 恐るなよ 又おそれぬも悪しきなりけり 

 4 囲碁はただ下手 (へた) と打つとも大事なり 少事と思う道のあしさよ 

 5 わが芸を見かえることは打忘れ 人のくもりをいふぞをかしき 

 6 身の上のまけになるをばしらずして むかふばかりを見るぞ下手 (へた) なり 

 7 番数を勝 (かつ) ほど後をしめてうて すこしも心ゆるしはしすな 

 8 かりそめも諸道の非難無益なり 手前の義理を詮さくはよし 

 9 嗜 (たしなみ) はかげにて絶 (たえ) ずつとむれば 面白き手を見分けうつなり 

10 智案先早きは悪ししこまやかに 始末目算手うちだてすな 

11 他度法度 (はっと) かたくまもらば其外 (そのほか) も 堪忍するは道の道なり

囲碁の世界の訓戒に、人生での訓戒に通じる示唆が含まれているように感じます。

つづく

参照資料
1) ​ 清光寺 ​  :「浄土宗寺院紹介Navi」(浄土宗)
2)「寂光寺だより」第46号 <あの日・あの時 寂光寺のあゆみ>
3)『昭和京都名所圖會 洛東-下』 竹村俊則著 駸々堂 p217
4)「寂光寺だより」第33号 乾坤窟<本因坊をたずねて>のページ
5) ​ 本因坊歴代墓所(本妙寺) ​ :「東京豊島区の歴史」
6) ​ 碁の名手(本因坊算砂)ゆかりの寂光寺(京都)、寺宝の唐桑の碁盤、碁石、碁笥、算砂の囲碁狂歌、とは(2010.8.6)  ​ :「歴史散歩とサイエンスの話題」

補遺
囲碁ブーム再燃を巻き起こした棋士らプロも参拝する聖地[寂光寺] ​:「からふね屋」
本因坊算砂 ​  :ウィキペディア
本因坊 ​  :ウィキペディア
徳栄山惣持院本妙寺 ​  ホームページ
顕本法華宗総本山 妙満寺 ​ ホームページ
日本棋院 ​  ホームページ
日本棋院 ​  :ウィキペディア

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Last updated  2021.12.02 00:08:56
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