遊心六中記

遊心六中記

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

茲愉有人

茲愉有人

Calendar

Comments

ヒフミヨは天岩戸の祝詞かな(「アマテラスの暗号」)@ Re:探訪 [再録] 京都・大原の天台寺院を巡る -1 大原女の小径・大原陵・勝林院(10/16) New! ≪…「念仏により極楽往生ができるかどうか…
Jobim@ Re:観照 インターネットで【龍/Dragon】探しの旅へ -35 中国の龍 (6)(09/18) 中国の彫り物はさすがに手がかかっていて…

Favorite Blog

まだ登録されていません
2022.05.19
XML
カテゴリ: 探訪

青蓮院の北隣りは「 粟田口 あおくすの庭 」という空間になっています。
神宮道に面して鉄柵で仕切られ、扉は開かれています。
この庭はいつも通過点になっていたので、今回は中に入ってみました。
神宮道に面して、 駒札と名称碑 が立っています。
駒札には、「 ここは、市民のみなさんの憩いの場として利用するための場所です

庭の正面に見える景色



こんな緑の広場が鍵型に広がっていました。
私が庭を写真を撮りつつ歩いているときは、男女2人を見かけただけ。
鉄柵には、閉門時間帯「午後5時から翌朝午前10時まで」の掲示があります。

この憩いの場の北隣りの 角地にはお寺の門が残るだけ で、境内は取り壊されて空地になっていました。再開発地になっています。どのように変身するのでしょう・・・・。その案内掲示は見かけませんでした。

「尊勝院庚申堂参道」の道標 が立っています。
庚申堂が少し小さめの文字で刻されています。

ここが今回の第3の探訪目標です 上掲道標が最初の目印 。緩やかな坂道沿いに東に進みます。
南に入る道路

道路には北側に歩道があります。上掲の坂道の少し奥に、 「元三大師」と刻した石標 が立ち、
歩道側には 京都一周トレイルの順路標識 が立っています。
「元三大師」石標が尊勝院への道標 になっています。南に延びる坂道を登り、
​⇒ ​​

⇒  将軍塚への経路でも
道沿いに登って行きます。坂道の勾配は少しずつきつくなり、道幅は狭くなります。

そして、 中腹に境内地が広がります 。  

石段を登ったところ、右側に正面に「 手洗水 」と刻された水鉢があり、左前方にお堂が見えます。
「尊勝院」の 本堂
駒札が立っていますが、残念ながら判読困難な状態に劣化しています。
この本堂一棟は京都市指定有形文化財に登録されています。
この日は残念ながら御堂の扉は閉じられていました。

青蓮院に属する天台宗のお寺 です。青蓮院の飛地境内である将軍塚へ向かう途中、粟田口から徒歩5分ほど登ったところで、粟田神社の背後になります。

保延2年(1136)に陽範阿闍梨が比叡山横川に尊勝坊を開創したことが始まりです。
鳥羽天皇のために横川で尊勝法を修し、その恩賞として同地に尊勝坊(院)の号を賜ったそうです。
僧行観の代に、尊称院の別院としてこの粟田口に尊勝院の別院として堂宇が営まれ同じく尊勝院と称され、青蓮院の院家筆頭の寺となったとか。
応仁の乱で罹災し荒廃。文禄年間(1592~1596)に豊臣秀吉により本堂が再建されたといわれています。
尊勝院の寺地がここに移転されたのは大正4年(1915)で、本堂のみが移築されたと言います。 (資料1,2)

本尊は元三大師 が祀られています。上掲の「元三大師」石標がこの本尊を示すことになります。併せて 地蔵菩薩像、青面金剛と庚申三猿像 が安置されています。

地蔵像 は三条白川畔にあった金蔵寺の遺仏で、俗に「 ​米 (よね) 地蔵​ 」と呼ばれるそうです。
体内に籾粒が納入されていることに由来し、この地蔵菩薩を信仰するものは米の食いはぐれがないと信じられたとか。 (資料1,2)

そして、 今回の探訪目標とした「大青面金剛尊と三猿」 です。
三猿像(見ざる、聞かざる、言わざる)もまた金蔵寺の遺物で、 俗に「お猿堂」「粟田の庚申堂」 と呼ばれていたそうです、 金蔵寺が廃寺となり、明治初年に尊勝院に合併された と言います。

江戸時代に出版された『都名所図会』(安永9/1780年)には「 東三条金蔵寺御猿堂 」という一項が記載されています。重複しますが、引用します。 (資料3)
「青蓮院御門跡の院内なり。三猿の像は伝教大師の作。当寺の本尊は米 (よね) 地蔵と号す。伝教大師唐土より将来し給ふとなり。(むかし貧女ありて、常にこの尊像を崇敬する事、年あり。菩薩これを感応し給ひて、糧乏しき時は米袋を持ち来つて夢中にあたへ給へり。故に永々貧窮をまぬかる。これによつて米地蔵と号すなり)
 尊称院は南の丘にり。本尊は元三大師の坐像にして、自作なり」

この記述で興味深いのは、 庚申信仰という観点では、御猿堂と三猿の像という二語だけ で人々には通じたということです。
また、当時、一般庶民には、金蔵寺の方が有名であり、尊勝院は補足説明するという程度の比重だったような印象を受けます。

この尊勝院が、八坂庚申堂(金剛寺)とともに、京都三庚申のひとつに 挙げられています。 もう一つが山ノ内庚申(猿田彦神社) です。 (資料2、資料4)
八坂庚申堂と尊書院は東山(洛東)にありますが、山ノ内庚申(猿田彦神社)は洛西に位置します。
調べていて情報を得たのですが、『京羽二重大全』(1784)には、 京都の庚申信仰霊場として 上記3ケ所を含めて 7ケ所 が列挙されていると言います。 (資料4)

北西側からの眺め
桁行三間、梁行四間、本瓦葺の建物です。駒札によれば、「正面一間通りを外陣、奥寄りの方三間を内陣とし、内陣には中央に四天柱を立てて、背面に仏壇を間口いっぱいに設けて本尊元三大師像を祀る厨子を安置する。」 (駒札より部分転記)
内陣は常行三昧堂の形式であり、一間四面堂の構成で建てられているそうです。


                      本堂の棟の端部は 獅子口 です。
鬼瓦

蟇股

本堂前には、 一対の石灯籠 が配されています。なぜか 神前灯籠の形式 です。
竿の正面には「 常灯明 」と刻されています。

本堂内部は拝見できませんでしたが、小さなこの境内地を巡ってみましょう。

まず、本堂にむかって右(南)側の奥には、この 覆屋 が見えます。
近づいてみると 「水子地蔵尊」の木札 が掲げてあります。

三体の異なるお姿の地蔵尊 が安置されています。
中央 は合掌されている姿、むかって 右側 には右手は与願印、左手に宝珠を捧げる姿、 左側 は幼児を抱かれる姿です。
足元に小さなお地蔵さまの奉納もみられます。


 本堂の北東よりには 小堂 があります。


小堂内には 7体の石仏と小さな五輪塔の残闕 が納めてあります。お地蔵さまとして祀られているのでしょう。
 ここが 境内の北端 だと思います。
一旦下り坂となった道は、再び登り坂となり、 東山山頂公園・将軍塚・清龍殿へ 向かう登山道です。
清龍殿道 この先の木橋を亘ってお進みください 約30分 」と記された駒札が近くに立っています。


本殿前から京都市内を眺めた景色

岡崎公園 の平安神宮大鳥居や京都市京セラ美術館などが遠望できます。
       ズームアップして撮ってみました。

さて、この辺りで尊勝院探訪を終え、下山します。
まずは、神宮道傍に立つ道標まで引き返します。
 道標から少し北に、
「京都市立粟田小学校」の新しい校門 があり、その北斜め前に 「粟田口」の道標と駒札 が立っています。



奈良時代以前から開かれ、 粟田氏が本拠地とし、粟田郷と呼ばれた地域 です。
平安京遷都以降、 東国への交通の要衝地 で、 京都七口の一つ に数えられました。
三条通(旧東海道)の白川橋から東、蹴上付近までの広いエリアが粟田口と呼ばれます
青蓮院は 粟田御所 とも呼ばれる由来はこの地名にあります。


神宮道と三条通の交差点の南西側のビルの前に地蔵堂が見えます。

        格子扉越しに拝見すると、お地蔵さまはすっぽりと涎掛けに覆われています。
        涎掛けというよりも覆い布という感じです。
 三条通を横断し、北側歩道を西に向かいます。
ここでも 地蔵堂が東面する形で 祀られています。

         こちらのお地蔵さまはいわゆる涎掛けで、お顔が見えます。


粟田口の西端になる 白川(上流側)と現在の白川橋の東詰(南側)の景色 です。

これで、この探訪の当初の目標地を巡ることができました。

最後に、余談です。白川橋東入ル(南側)にパークウォーク京都東山というマンションビルがあります。
そこの北西角に、 「坂本龍馬お龍『結婚式場』跡」という石標 が2009年10月に建てられています。
この辺りが、上記の 金蔵寺が江戸時代末まであったところ です。
三条通南側歩道を歩かれたときにお確かめ下さい。 (資料5)

この時、時間のゆとりがありましたので、京都の三庚申の残り、 猿田彦神社に 足を向けることにしました。別項としてご紹介します。

ご覧いただきありがとうございます。

参照資料
1)『昭和京都名所圖會 洛東-下』 竹村俊則著  駸々堂  p31-32
2) ​ 元三大師を祀る尊勝院 ​  :「天台宗青蓮院門跡」
3)『都名所図会 上巻』 竹村俊則校注  角川文庫  p287
4) ​ 京の三庚申 ​  :「京の霊場」
5) ​ 坂本龍馬お龍「結婚式場」跡 ​ :「フィールド・ミュージアム京都」

補遺
あおくすの庭 ゆっくり桜を楽しむための穴場スポットNo.13 ​ :「まいぷれ」
粟田 尊勝院 ​  尊勝院由緒記 ホームページ
  ​ 米地蔵 ​  
  ​ 庚申さま
良源 ​  :ウィキペディア
疫病退散で知られる「元三大師」をご紹介します。 ​ :「百済寺樽」
第一第7話(7) 小田原教壊上人、水瓶を打ち破る事 付、陽範阿闍梨、梅の木を切る事
                  :「やたがらすナビ」
京都三庚申 青蓮院院家 尊勝院 ​ :「京の霊場」
京の三庚申 ​ ::「京の『ろうじ』を歩く」

  ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

探訪 京都・洛東を往く -1 祇園をぬけて八坂庚申堂(金剛寺)に へ
探訪 京都・洛東を往く -2 八坂の塔(法観寺)へ
探訪 京都・洛東を往く -3 二寧坂~ねねの道:歌仙堂・三面大黒天・月真院 へ
探訪 京都・洛東を往く -4 円山地蔵尊、大雲院、芭蕉庵、西行庵、花月庵(西行堂)へ
探訪 京都・洛東を往く -5 道元禅師荼毘御遺跡塔、持病平癒地蔵尊、双林寺 へ
探訪 京都・洛東を往く -6 東大谷・京都祇園堂・長楽館・花園天皇陵・青蓮院 へ
探訪 京都・洛東を往く -7 植髪堂(青蓮院境内)へ

こちらもご覧いただけるとうれしいです。
​​ 探訪 京都・東山 合槌稲荷明神・青蓮院塔頭金蔵寺跡(龍馬・お龍「結婚式場」跡)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2022.05.19 17:16:10
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: