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2022.11.22
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カテゴリ: 探訪

京都国立博物館を出た後、 歩いた記憶がない通りを歩いてみることに しました。
博物館の表門(西門)は大和大路通に面しています。冒頭の景色は、大和大路通と七条通との交差点の北西角、 七条通に面する築地塀前の作庭景色 。その先(西側)は 「七條甘春堂」の本店 です。
大和大路通から一筋西側の通りを北に 歩いた記憶がありません。コロナ禍での運動不足解消を兼ねて、この通りを北に向かって、タウン・ウォッチングしながら歩いてみました。

今まで通り名も意識していなかったのですが、懐古的な 「仁丹」商標のついた住所表示板 で、 「大黒町通」 だと知りました。
後で地図を確認してみると、この通りの北端近くに「大黒町」があります。ナルホド・・・・。


大黒町通を進むと、 最初に交差するのが正面通 で、 南東角 に見えるのがこれ。

塚の頂部に大きな五輪塔が据えられている供養塔。 「耳塚」 です。

正面通の東方向を遠望すると 突き当たりに豊国神社の大きな石鳥居 が見えます。
もとはその辺りに豊臣秀吉が建立した「方広寺」の門が見えたはずです。つまり、方広寺に至る正面の通りです。
豊国神社と方広寺は拙ブログで既にご紹介しています。


大黒町通正面の北西角にあるのが、 ​「専定寺 (せんじょうじ) 」​
熊谷山と号する浄土宗西山禅林寺派のお寺です。
「寺伝によれば、昔、専定法師という旅僧がこの辺りの松の木陰で休んでいると、二羽の烏が梢に止まり、『今日は、蓮生坊(熊谷直実)の極楽往生の日である。我々もお見送りしようではないか』と語り合い、南の空へ飛び去った。法師が不思議に思って蓮生坊の庵を訪ねたところ、烏が話していた同日(承元2年(1208)9月14日)同刻に亡くなっていた。
 このことから、ここを有縁の霊域と感じた法師が草庵を結んだのが当寺の起こりといわれている。
 かつては、この故事を伝えるため、境内の松の梢に土焼の烏が置かれており、大仏七不思議(方広寺周辺に伝わる七不思議)の一つに数えられていた。
 本堂に安置されている本尊・阿弥陀如来坐像は、後白河法皇の念持仏と伝えられ、金箔による像内化粧が施されているなど貴重なもので、京都市の有形文化財に指定されている。  京都市」  (駒札転記)
通称「烏寺」 と呼ばれているそうです。



                大黒町通に面した築地塀の北端に 地蔵堂 があります。

通りを進むと、 京町家の姿を残す町家 があります。通り過ぎてから撮りました。
 大黒町通は 真っ直ぐの通りではなく、途中で少しズレ ています。意識的な道作りなのでしょうか、どうなのでしょう・・・。


通りの西側に 鬼瓦 が見えます。

門前に 「称名寺」 の木札が掛けてあります。後で地図を確認するとここは 蛭子町北組
錦光山と号し、法音院という院名をもつ、浄土宗のお寺です。 (資料1)

    門前から拝見した境内の景色。本堂に向かう参道のアプローチが良い感じです。


その先の辻のところで再び通りが少しズレています 。やはり意図的なのかな・・・。
この辻の周辺は北棟梁町。

その北隣りの袋町に 「常徳寺」 があります。門の屋根の降棟には鬼板が使われています。
常徳寺は真宗大谷派のお寺です。 (資料2)



お寺の北側に、 古風な外観の町家 があります。 「はり清」 という看板が掲げてあります。
調べてみますと、なんと 創業三百有余年という京料理一筋の老舗 です。
「はり清は江戸時代に入って間もない万治二年(1659年)、方広寺周辺や清水寺、鳥辺野を訪れる客のための小さな茶店として始まりました。江戸中期の明和年間に播磨屋清七と称した当主の名より『播清(はり清)』の屋号を揚げ、以来三百六十有余年、京料理一筋に歩んでまいりました」とのこと。 (資料3)   

 その先で 五条通と交差 します。
大黒町通に横断歩道がありません。東側の大和大路通で交差点を渡り、大黒町通の北側に戻ります。通りの 西側に建つビルには「五建ういろ」 の表示が見えます。 正式には 「五建外良屋」 というお店。
「『五建ういろ』は、牛若丸と弁慶で有名な五条の地で 安政2年(1855年) 、建仁寺、六波羅密寺、清水寺など鳥辺野詣のお客様のために茶店を構えたのが始まり」 (資料4) という、ういろ専門の老舗です。
 北に歩むと、 京町家 があります。

この家の前に 地蔵堂 が祀ってあります。格子扉越しに拝見すると、堂内には厨子風のものがあるようで、お地蔵さまは見えませんでした。町中ではこの種の地蔵堂を最近所々で目にしています。


北隣りはこの建物。ここも 町家風の建物 です。ここは 音羽町
入口の右側に掲げてある 大きな木札 に目がとまりました。 「○○師」 と刻されています。判読できたのは最後の文字だけ。文字の形から篆書字体ということは推測できました。
後日調べてみて 「表具師」 と判明。さらに 「今尾古今堂」という京都の伝統工芸、京表具のお店 とわかりました。北側が東西方向の道路であり、東西方向に奥行の深いお店です。 (資料5)


まず目に留まったのは、しっかりと 金属柵でガードされた小さな社 です。
京の町中の地蔵堂ウォッチングを兼ねていますので、つい目にとまります。
屋根の形から地蔵堂ではありません。 何を祀ってあるのかは不詳
ここは音羽町の北側、 大黒町 です。後で地図を確認しました。

もう一つ、その傍に掲げられた 「舞妓シアター」 という看板。これって何?
「『舞妓さんに、会える』をコンセプトとした、舞台と観客席を備えた小さなシアター。京都観光で姿を見かけることはあっても接する機会のない舞妓さんだが、ここでは間近に見ることができる。予約制」とか。 (資料6)
犬も歩けば棒にあたる、じゃないですが、いろいろと出くわすものです。

さらに 「真言宗醍醐派 八葉教会」 という 大きな木札 を掲げてあるのにも気づきました。


少し北の辻でもおもしろいことに 通りがズレて います。辻を渡ってさらに北へ。

京町家 が目に止まります。通りに面した切り落とし格子戸の前に、 折りたたみの床几 が設えてあります。町家に床几が取り付けてあるのをみかけるのはごくまれです。


表門に 「寿延寺」 と表札がでていて、併せて 「あらいぢぞう」 と記されています。
後で調べますと、興福山と号する日蓮宗のお寺です。 1616年(元和2)の建立 だそうです。 (資料7)
北御門町 に所在。

門前から境内を眺めると、参道の幅だけで、境内はかなり奥まったお寺です。
たぶん、かつては境内地はもっと広かったのではないでしょうか。
オープンな感じなので本堂前まで境内に入り拝見しました。

参道を進むと、右側に社があります。扉の前に吊るされた提灯を見ますと、 稲荷大明神、大黒尊天 が祀られています。(もう一つの提灯は読み取れず)

参道を跨ぐ形で、 浄行大菩薩と墨書した提灯 が一列に吊してあります。

右側を見ますと、 「南無日蓮大菩薩」と刻された石塔 が建立されています。
石塔の右には 「十禅大明神」と刻した石碑 があります。
「当地は十禅師の森の旧跡であり、参道には地主十禅大明神を祀っている」 (資料8) そうです。


「洗心殿」の扁額を掲げたお堂 「あらいぢぞう」と呼ばれる石像 が安置されています。 通称が「あらいぢぞう」 で、上掲の提灯に記されている 「浄行菩薩」の石像 です。
上の厨子には初代の浄行菩薩像が安置され、この画像の石像は二代目の浄行菩薩石像だそうです。

「蛇形大辯才天女」と墨書した提灯 「辯才天」の扁額 を掛けた 、辯才天社 も勧請されています。



一番奥(西)に 本堂 があります。 本尊は一塔両尊(釈迦如来・多宝如来) とのこと。 (資料7)


本堂手前、北東側に 妙見大菩薩を祀るお堂 があります。 妙見菩薩とは、北極星を神格化した天部の尊 。国土を守護し苦悩を除く功徳があるとして、信仰されています。 (資料9)

このお堂の傍に 「南無妙法蓮華経」の題目と「法界」の文字を刻した碑 が建立されています。法界は宗派により様々な意味づけがあるようです。日蓮宗での意味づけは知りません。課題が残りました。
手許の辞書では、「<仏教語>①十八界の一つ。意識の対象となるものすべて。②真理のあらわれである全宇宙。ほうかい」 (『日本語大辞典』講談社) と説明しています。


さて、寿延寺の門を出て、さらに北に進みますと、 松原通に行き着きます
ここがT字路になっていて、 大黒町通は、松原通に合流するところで終点となります
すぐ右側に、北に向かう道があります。これは七条通では一筋東にある大和大路通です。

突き当たりの一隅に祀られた地蔵堂を拝見して、大和大路を北に進むことにしました。
ここの地蔵堂は、覆屋が設けてあるだけでなく、鉄柵の囲いで保護されています。
繁華街に近くなるほど、防護柵を備えた地蔵堂が増える傾向にある気がします。いたずらをする人がそれだけ多くいるということでしょうか・・・・。

つづく

参照資料
1) ​ 称名寺 ​  浄土宗寺院紹介Navi :「浄土宗」
2) ​ 常徳寺 ​  :「八百万の神」
3) ​ はり清 ​ ホームページ
4) ​ 五建外良屋 ​ ホームページ
5) ​ 今尾古今堂 ​  京表具 特選京都伝統工芸:「Luxury Cataalog ラグジュリー カタログ」
6) ​ 舞妓シアター ​ :「じゃらん」
7) ​ 寿延寺(洗い地蔵)とは? ​ :「京都に乾杯」
8) ​ 寿延寺 ​  :「京都観光Navi」
9)『新・佛教辞典 増補』 中村元監修 誠信書房

補遺
七條甘春堂 ​  ホームページ
耳塚 ​  :ウィキペディア
耳塚修営供養碑 ​  :「京都市情報館」
「表」(U+8868) 篆書字体データセット ​:「人文学オープンデータ共同利用センター」
「具」(U+5177) 篆書字体データセット ​:「人文学オープンデータ共同利用センター」
京都で身近に舞妓さんに会えるシアターが誕生! ​  :「旅ぐるたび」
十禅師 ​  :「コトバンク」

  ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

探訪 京都・東山 歩く -2 大和大路通・縄手通の点描 へ ​  

こちらもご覧いただけるとうれしです。
探訪 方広寺と豊国神社、そして京博の庭から
探訪 京都・東山 豊国神社 ふたたび -1 唐門・石灯籠・社殿ほか
    2回のシリーズでご紹介





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Last updated  2022.11.23 17:51:03
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