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2023.11.22
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カテゴリ: 観照 & 探訪
宇治橋

11月12日(日)に、宇治市中央図書館主催の読書週間記念講演会「文学でたどる宇治」を聴講しに出かけました。市政だよりで知り予約申し込みをしていました。
宇治の橋姫に関連した内容になるとのことで関心があったからです。
そこで、 久しぶりに宇治橋を渡り、西詰から宇治橋を眺め、橋姫神社を訪ねてから、中央公民館の講演会場に向かうことにしました。
冒頭の景色は、西詰から宇治橋を眺めた景色 です。

      川の流れは、白波をみせつつ結構早そうです。


「三の間」 が設けられています。
「三間水」 として、かつては山城の名水と言われ、豊臣秀吉が伏見城に在城の時は、常に三間水をここから汲み上げて、茶の湯に使ったと言われています。 (資料1)

『山州名跡志』 (正徳元年/1711)には 「三間」の項 を設けて、欄干の幅一間ばかり張り出す所と延べ、秀吉が伏見城在城の折のことを述べています。 (資料2)
『都名所図会』(安永9年/1780)の著者はたぶんこの書を参照しているのでしょう。
この書の校注者脚注によれば、「ここに橋の守護神(橋姫)が祀られていた」と述べています。一方、「橋姫の社」の項では、「宇治橋の西づめにあり(はじめは二社なり。一社は洪水のとき漂流す。いま、礎存せり)」と説明しています。 (資料1)
上流側の景色


『宇治川両岸一覧』 (文久3年/1863)は 宇治橋西詰の景色 を載せていて、 「橋姫祠」 (資料3)
秀吉は三の間から水を汲み上げるために橋姫を遷座させたのでしょうか。あるいは、洪水もしくは橋の建て替えの理由から、いずれかの時点でこの西詰の場所に遷座したのでしょうか。想像するとおもしろい。

この書は宇治橋の景色を幾つか載せています。

冒頭の景色と同様に、 西岸から東岸を眺める橋景色 がこれ。三の間は描かれていません。

こちらは逆に、 東岸から西岸を眺めた景色 です。そして、

 東詰の通圓茶屋の景色 も載せています。

部分拡大しました 。この絵の宇治橋をご覧いただくと、 橋の親柱等に擬宝珠が描かれていません 。長谷川等伯筆「柳橋水車図屏風」を見たとき以来、擬宝珠について疑問を抱いたままでした。

明治3年(1870)に洪水により宇治橋が流出 したと言います。
この時点で、橋姫神社が現在地に遷座した とのことです。 (資料1)

そこで、

宇治橋の東詰に 設置されているこの 案内板 に、リンクしてきます。


現在の宇治橋は平成8年(1996)3月に建て替えられました
「木製の高欄に擬宝珠があしらわれるなど」というデザインがこの時点で行われた そうです。

それでは、現在の橋姫神社に向かいましょう。
宇治橋西詰は、橋のところから道路が2つに分岐し、さらに東側の道路が3つに分岐します。平等院表参道、府道3号、宇治市街を通過する道路です。
大きな石鳥居が建つ中央の道路が府道3号で、県(アガタ)神社に至る参道でもあります。

この 道路標識 の設置された 中央の道路沿いに 南に進みます。

数分歩けば、 左側の民家の間に木造の外宮鳥居 が見えます。入口近くに幟が立ててあります。


     鳥居をくぐると、 右側に北向きに小祠が2つ 並んでいます。
かなり以前に訪れていますが、その時、橋姫神社の観光案内板が設置されていました。
それが取り除かれていたようです。見かけませんでした。
覆屋の中に小祠が2つ



奥側に橋姫社 が祀ってあります。
橋姫神社の祭神は瀬織津姫(セオリツヒメ) と言われています。 (資料1)

「延喜式」では、瀬織津比咩(ヒメ)と記され、 祓戸(ハラエド)四柱の一神 です。 川の織りなすところに坐(マ)す川瀬の女神。川の瀬にいて人々の罪穢れを大海原に持ち出してしまう女神 だそうです。 (資料4)

辞書を引きますと、 橋姫は「橋を守る女神」 と説明され、特に宇治橋を守る、宇治の橋姫のことといいならわしていたと説明されています。 (資料5)

つまり、 瀬織津姫と橋姫が同一視されている ことになりますね。

一説に、「 市姫は橋姫のこと だと言われる。」「 市姫は市神 (市場の祭神)として祀られる女神で、 市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト) であることが多かった。」 (資料6) とも言われています。



鳥居に近い側に 「住吉社」 が祀られています。 祭神は住吉大明神 です。つまり、筒男三神と息長足姫(オキナガタラシヒメ)命(神功皇后)です。住吉大社からの勧請と思われます。 航海安全の神、和歌の神、農耕の神として信仰されています 。(資料4)

2つの小祠の形式が異なります。 橋姫社は流造(ナガレヅクリ)の屋根 。一方、 住吉社は住吉造の屋根 の形式です。


鳥居のすぐ傍に、 「源氏物語 宇治十帖(一)橋姫」の駒札 が設けてありました。
この駒札は、『源氏物語』「橋姫」の巻との名称での関わりを説明しているだけです。
一方で、この薫君の歌に詠み込まれた「橋姫」のイメージは何か? という点が一つの接点としてそこにあるということになります。



これは、 『都名所図会』に載る「橋姫社」の解説部分 です。
橋姫については、『古今集』に載る人々に知られた歌を取り上げて、江戸時代に様々な解釈とその結果のイメージが持たれていることを列挙しています。古今和歌集に載る歌とは、
さむしろに衣かたしくこよひもや我をまつらんうぢの橋姫   詠み人しらず 
1) 僧顕昭の解釈  『袖中抄』
 住吉大明神が橋姫にかよって詠んだ歌と解釈して橋姫を捉えているそうです。
2) 藤原清輔の説  平安後期の歌人
 山ニは山の神、橋には橋の神がいますので、佐保姫、竜田姫などと同じ。旧妻のこと。
3) 一条兼良の説  関白太政大臣
 離宮の神が夜毎に通い給うので、暁毎におびただしく波の立つ音がするという。
 この解釈、私にはうまくつながりませんが・・・・・。この主旨が載っています。
4) 玄恵法師の説  ⇒講演会で講師が『平家物語』に描かれた橋姫とされた解説と同じ。
 むかし嵯峨天皇の時代に、男に妬みをいだく女が、貴船の社に七夜丑の時参りをして
 宇治の川瀬に髪を浸して悪鬼と化した。それが橋姫であるととらえています。
 『都名所図会』にはこの説明止まりですが、物語として記されているのはさらに具体
 的です。貴船大明神は、本当に鬼になりたければ、姿を変えて21日間、宇治川に浸れ
 と告げたのです。女は都に戻ると、人のいない所にこもり、長い髪を5つに分け、5本
 の角にし、顔には朱を塗り、体に丹を塗り、鉄輪を逆さに頭に載せて、その3本の脚
 に松明を付けて燃やし、両端を燃やした松明を口にくわえ、夜更けに大和大路を宇治
 へと走り抜けて行き、宇治川に21日間浸ったというのです。行きながら鬼に変身!
 橋姫は嫉妬深い神というイメージの起源がここにあるようです。このイメージが人々
 に受け入れられていたのでしょう。だから、簡略な説明で意味が通じたのかも。
5) 宗祇の説
 思いかわした妻と別れてしまい、恋しいままに、お前も私のことをそう思っている
 のだろうと、橋姫を妻になぞらえて、恨みごとを言っている意味だとします。

 また、 『源氏物語』の「橋姫」の巻は、単に橋姫になぞらえただけ と藤原定家が語っていると解説しています。

今回講演会で、文学から眺めた橋姫についてのイメージの変化を、興味深く拝聴しました。
講師は京都文教短期大学の千古千恵子教授でした。

『平家物語』に描かれた橋姫は、嫉妬深い女、嫉妬深い神というイメージ で捉えられていたのですが、 『新古今和歌集』の時代 に入ると、橋姫について、貴族層の間では嫉妬深さというイメージやとらえ方は消えて、 歌に詠んだ叙景と恋の匂いを伝える位に変化 してきていると説明されていました。
橋姫にも、時代の嗜好が反映し伝えられていく という説明でした。

『平家物語』(屋代本)の剣の巻 には、上記の玄恵法師の解釈内容が出て来ます。
これを典拠にして、 能百番に含まれる演目「鉄輪」 が創作されたと言われています。この演目の作者は不詳。四番目物(鬼女物)です。 (資料7)
嫉妬に燃えた女の姿が橋姫のイメージに残るのは、ここにも一因があるかもしれません。


講演の中で、『新古今和歌集』(元久2年/1205年)に載る次の三首の紹介と解説を拝聴しました。ご紹介します。

さむしろやまつよの秋の風ふけて月をかたしく宇治の橋姫   定家 秋上・420

はしひめのかたしき衣さむしろに待つよむなしき宇治の曙   後鳥羽院 冬・636

あじろ木にいざよふ浪のおとふけてひとりやねぬる宇治の橋姫   慈円 冬・637

現代の橋姫観はどのようなイメージが強いのでしょう・・・・・。
宇治橋西詰の紫式部像のある辺りの観光客の多さに比べて、そこから5分程度の距離にある橋姫神社は訪れる人なき感のあるスポットでした。


境内地の奥に、この石碑が建立されています。
歌碑かと思いますが、私には判読できません。


最後に、 こんな駒札 が建ててあることに触れて起きましょう。
以前にここを訪れたときにも既にこの駒札がありました
その主旨は何? 橋姫との関わりは何でしょう・・・・。いまも謎めいたままです。

ご覧いただきありがとうございます。

参照資料
1)『都名所図会 下巻』 竹村俊則校注  角川文庫  p123,
   安永9[1780] 初摺
2)​ 山州名跡志 白慧 撰 ​ :「古典籍総合データベース」(早稲田大学)
   正徳元[1711]  巻15 24コマめ
3)​ 『宇治川両岸一覧』 ​:「人文学オープンデータ共同利用センター」
    暁/晴翁 著述 ||松川/半山 画図、 文久3[1863]
4)『日本の神々の事典 神道祭祀と八百万の神々』 園田稔・茂木栄監修 学研 p46
5) ​ 橋姫 ​  :「コトバンク」
6)『日本の神様読み解き事典』 川口謙二 編著  柏書房  p247
7)『能百番を歩く』 京都新聞社編 杉田博明・三浦隆夫   京都新聞社 p108-110 


補遺
橋姫 ​   :ウィキペディア
橋姫 ​  :「京都通百科事典」
宇治の橋姫~嫉妬に狂って鬼と化した女の情念 ​  :「歴史人」
鬼女?宇治橋の守り神?「橋姫伝説」の真実 ​   :「KYOTO SIDE」
「宇治の橋姫」恋人から鬼になったワケ ​     :「日経ビジネス」
柳橋水車図屏風 ​   :「香雪美術館」
『平家物語』剣の巻 現代語訳(途中まで ​   雨音みなと  :「PiXiV」
演目事典 鉄輪(かなわ) ​  :「the能.com」
鉄輪 ​  冊子  :「無辺光」

  ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

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Last updated  2023.11.22 21:53:29
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