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1
宰相陣営に痛撃を加えたアルブレヒトの軍勢は、ザンクトブルク方面、マイン川河畔へと進攻する。ユベールたち竜騎兵隊は、反撃の機を見いだせぬまま後退を繰り返した。翌日、王都から呼び戻された近衛騎兵隊の一団が向かう先に、遠くかすんで姿を現したフィアノーヴァ――蒼き杯、ブラウ・ケルヒの異名をもつ、アルブレヒトの牙城。ザンクトブルクとは対照的に、フィアノーヴァは城下町をもたない単独の城塞。もとは中世に、一帯を制圧する攻撃拠点として造られた砦だったという。背後には切り立った崖がそびえ、城の北と西を守る天然の防壁となり、しかも所々の岩肌が削られ、敵を迎撃する砲門が設置されている。東側には深い森が広がり、訪(おとな)う者を拒む。城の周りを二重にめぐる堀は満々と水をたたえ、四つの尖塔をもつ城のシルエットを水面に映していた。「グストー・・・」城の一室で小窓に左手を添え、レティシアは呟いた。彼女と外界をつなぐ数少ない接点から、女王は懸命に状況を探ろうとする。この城に留められてから、もう随分長いこと経った。起き上がれるまで体は回復したものの、部屋を出ることは許されず、事態の成り行きを彼女に知らせる者もいない。グストーが追放されたらと思うと、身を焼かれるような焦燥に駆られる。彼に一目会うこともかなわないまま、永遠に引き離されることになったら――だが、もう数日の間アルブレヒトが顔を見せず、城内の様子も張りつめ、将兵のせわしく行き交う気配がある。少なくとも彼らの予定通りには、事が運んでいないのだ。きっとユベールが上手く立ち回ってくれたのだろうと、彼女は希望をつなぐ。「陛下――」侍女のイルゼが着替えと薬を手に入室すると、レティシアが顔を上げて彼女をじっと見据える。夜着の長くやわらかな裾を床に散らし、窓辺にたたずむ姿は、捕らわれてなお気高い。だがイルゼの後から入室した男の姿に、女王のまなざしは険しくなる。「フォルクマール・・・」王都に駐留していた彼が、帰城したのだ。「陛下の順調なご回復に、安堵いたしました。」フォルクマールの挨拶には何も返さず、レティシアはイルゼを下がらせた。「今日はようやく、よいご報告ができますので――」跪いたまま、彼は女王を見上げる。「北方のジークムント公派の諸侯を完全に鎮圧し、忌まわしい裁判に関わった者もすべて捕えました。陛下を窮地に陥れた宰相はザンクトブルクに逃亡しましたが、アルブレヒトの軍に敗れ、これ以上の抵抗もむなしいだけでしょう。」「ザンクトブルク・・・」「ユベール殿は宰相に味方して、わずかな手勢で奮戦されたが・・・あぁ、実は戦場で興味深い拾いものがあったと聞き、この城に運ばせました。」扉の外に待機する従僕に合図したフォルクマールは、その青い瞳で女王を見据え促す。「どうぞ、窓の外をご覧ください。」「・・・っ!」レティシアのいる上階から見下ろした、ほんの数メートル先の石畳に、黒い塊が兵士たちに引きずられ置かれる。小柄の、黒い装束に身を包んだ姿・・・頭部を覆う奇怪な鳥のマスク。(あれは・・・グストーの・・・!)ヴァレリーは体をわずかに動かしていたが、レティシアの眼前でその様子も弱まっていく。「おやめなさい!何というむごい事を・・・!」批難に満ちたレティシアの声に、フォルクマールの整った口元が皮肉に歪んだ。「我々が当てつけに、あの者を痛めつけたのではありません。宰相みずからが内戦を起こし、戦場で多くの犠牲が出ているのです。」彼は女王の傍らに立ち、至近からレティシアを見下ろす。「明日、あの場に横たわり血を流しているのは、ユベール殿かも知れない。」「・・・・」「今ならばまだ、彼は救えます。あの純朴な青年は、陛下への忠誠心をグストーに利用されただけでしょうから。」「・・・私にできることはないわ。すべて、グストーに託した。」「印章指輪ですか・・・本当に、あれには参りました。大胆な策謀をなさったものだ。」「あの時は、薬を飲まなかったから。」女王の返答に、刹那フォルクマールから笑みが消える。レティシアはその様子をつぶさに観察しながら、言葉を続ける。「もし勝利したとして、どうするつもりなの。私はもう、貴方たちを信用しない。」フォルクマールの唇から吐息が漏れた。「陛下のお心がやわらぐまで、アルブレヒトは何年でも待つつもりでしょう。」「――そうね。アルブレヒトなら、そうするのでしょうね。」だがフォルクマールはどうであろう。彼は状況が変わるのを座して待つ人間ではない。「レティシア陛下――」部屋には余人もいないのに、フォルクマールは秘密の囁きをするように女王の耳元に唇を寄せ、こう言った。「バイエルンとの婚礼は、果たしてかなうでしょうか。今回の内乱騒ぎの理由を、じきオーストリア皇帝も知るでしょう。これだけ大事になっては、バイエルン側から断りを入れてくるはず。勝敗に関わらず、陛下の計画は潰(つい)えたのです。今夜、アルブレヒトが戻る。彼と今後をよくよく相談なさるのがいい。」フォルクマールが立ち去った後も、レティシアは窓の外を見つめたままだった。自分が指輪を託したばかりに・・・彼女はありありと想像できた。ユベールが自分のために危難に飛び込んでいく様も、彼が傷つき斃れ、あの黄金の瞳から光が失われていく様も。「・・・っ」レティシアは恐ろしい想像を振り払おうと、自分を律した。そう、すべてはフォルクマールの語ったことに過ぎない。フォルクマール・・・女王の胸には、疑念がくっきりと影を落とし始めていた。この城に運ばれて数日、銃弾を受けたとはいえ、なぜあれほど意識が混乱していたのだろう。朦朧としたまどろみの中で、自分は軍の統帥権をアルブレヒトに渡してしまった。あの時、呑まされていた薬は――それだけではない。ジークムント公が引き起こした王室裁判で提示された、亡き夫の猟銃、機密の遺体所見も、忠実なはずのイルゼの偽証も。果ては、かつて宮廷でユベールが毒を盛られ、グストーが疑われた一件も。すべてグストーを失脚させるため、フォルクマールならば手配できたことではないか。~~~~~~~~~~~~~~~~~~作者から一言:なんだかんだと大変あわただしかった4月。ようやく久々に更新できました。(=_=;)連休中にもう一話いきたい!にほんブログ村 ←よろしかったらポチっと応援お願いします
2015/05/03
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