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今日はこの病院、明日はこの検査…双子が三歳位までは、毎日のように病院と役所と保健所とたまに救急車と入院…の日々。これを読んでくださってる方々も大体同じだと思います。今は違いますが、メインで通っていた病院は、診察カードが各科ごとだったのでトランプのようにシャッフル出来ましたもん。で、そんな生活のなか、確か皮膚科だったかな~1歳ごろ検査に行ったのですが、最初の問診で若い、多分医者になりたて?の女医さんに当たりました。ずらずらと書いてある病歴と入院暦を見て、「あら~小さいのにかわいそうに~。でもママが優しいから大丈夫よ~」とにっこり。主治医の先生は良い方なのですが、仮定される状況の中から最悪のことしか言わない主義だったので逆に、根拠もなく「大丈夫よ」って言われたことが物凄く新鮮でした。(医者としてどうか、は又別の話ですが…)でも、救われたな~。あの先生は今、どうなさっているのでしょう?同じように今入院している病院をはじめて受診したときうん、うん、とうなずきながらカルテに目を通したあと院長先生がひとこと「お母さん、たいへんやったねえ~」途端に私、号泣。「てんかん」だの「心房中隔欠損」だの、書いてある病名や情報をただの「文字」や「記号」や「情報」ではなく、その子や家族が過ごして来た「歴史」として読み取ってくれた先生の言葉に「双子の命、預けます!」と、単純に思ってしまった私…やっぱりね「医は仁術」だと思うのです。たまに、「すっごい嫌な医者だけど腕は一流」な人もいますが、そんな方でもテクノロジーもテクニックも超えて、最後は先生の「治してあげたい」気持ちや情熱が、患者の運命を左右する気がします。
2008年07月08日
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昔、テレビでタモリさんが「気になる言葉」について話していてそのなかに、治療中のお医者様に「あ」と言われたとき「え? なに? なに!? なにっ!?」すっごく気になる!!というのがありました。…確かに気になる。とある大学病院のえら~い教授に「お母さん、残念ですが…」と言葉を始めるのが口癖の人がいてもう、何度「えええっ!?」と身構えたことか…同じ教授に掛かってるお母さんと話して、それがただの癖と解かるまでかなり心臓に悪かったです。(迷惑な口癖…)某看護師長「こんな患者初めてだわ!」「お母さん、困るのよ」連発の人もいました。いつみてもワタワタと忙しそうな方でしたね~病院とか、入院とか普通の人には非日常(私たちには、ほぼ日常)空間では些細な言葉も爆弾になりかねなかったりするので医療関係の皆様、御留意をば
2008年07月01日
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季節外れですが、くまのぷーさんのお話から。100エーカーの森の仲間がハロウィーンパーティーをすることになりました。が、怖がりのピグレットは欠席。そのときのぷーさんのセリフ 『ピグレットが来られないなら 僕たち2倍楽しまなくっちゃ。 そして半分わけてあげるんだ』自ら障害児でありながら、兄弟児でもあるパズー。私が彼に望むことは、まさにこのセリフです。家のなかでは重度のシータに基準をおかれ、ついつい健常児扱いをしてしまいますが社会との接点が多い分、いろいろな思いを抱えています。こがにさんの日記に兄弟児についての記述があり私も書き込みをしたのですが、言葉が足りなかった気がして改めて書いてます。兄弟児の問題はとってもデリケート。某掲示板にある兄弟児のスレはリアルで重いです。こんな世知辛い世の中普通の大人でも、生きていくのに いっぱいいっぱい。パズーが自分の人生を充実させて生きていくことがシータにとって一番だと思っています。シータがパズーの人生の選択の足枷にならないように。逆もまた然り。見放す、とは違うパズーの人生は彼のもの。シータの人生は彼女のもの。そのための準備をどこまでしてやれるのか…私の課題の一つです。あ、あくまでも、家の場合です
2008年06月18日
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『てんかん』という病気がどういうものかシータがそう判定されるまで、私は全く知識がありませんでした。その多様さや症状、そして恐ろしさも。ただの発作が重積発作(発作が止まらなくなること)に移行したらどうなるのかどれだけ脳に深いダメージを与え、時に呼吸困難から死に至る事もあるということも。だからお母さん達は必死で勉強し、薬でコントロールしながらも、どこかで常に緊張しながら生活を送っています。うちは双子父ですら、その怖さを理解出来ないようですが、それは看病した事も、発作の様子を目にした事もないのである意味仕方ない。でも、ここは病院。そして術後で、この三日間発作が出続けている六歳の子供。何事も、どの仕事にかかわらずプロフェッショナルの誇りと自覚を持っていない人と関わると大変。ましてや医療従事者。私はこの病院も先生もヘルパーさんも調理の方も、とても満足してます(以下、個人レベルの話なので病院は切り離して読んで下さいね)プロ意識の低い、こなしで仕事をしてる看護師さんに当たる日は本気で恐ろしいです。発作に対して過敏なモンスター患者親扱いされようと夜中の発作の対応が明らかに不適切な時は不安と怒りでキレそうになります。もう一度言います。病院の体制でなく、個人の資質の問題です。医療従事者の皆様どうか、どうか てんかんが、強い発作からくる呼吸困難で、弱った患者の命取りになりうる事を今一度、思い出して下さい。(ご注意)ちゃんと薬でコントロールされていれば、日常生活に問題ありません。あくまで我が家とその周辺に対する記述です。ブログ冒頭にもありますが、誰かを不愉快にさせてしまったらごめんなさい。
2008年05月14日
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もともとは、アルコール依存症を克服するための団体が祈りの言葉として使っていたいるらしい一文をご紹介します。 神様、私にお与えください。 自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを。 変えられるものは変えていく勇気を。 そして その二つをのものを見分ける賢さを。…好きなのです。この短い文章に、自分に足りないもの、理想とするもの全てが含まれている気がします。ちょっと似たものに、宇多田ヒカルの曲で 変えられないものを受け入れる力 そして、受け入れられないものを 変える力をちょうだいよと、いうのもあります。こっちのほうが勢いがありますが…賢く、なりたいですね。まだまだ修行が足りません!
2008年03月03日
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オペ年間三百件それだけの数の手術が、この山奥の小さな病院で行われています。それは、取りも直さず 年間三百人の患者さんとその家族の運命や未来が動いているという事です。全国津々浦々、老いも若きも、たくさんの人が訪れます。そして、その中には 子供が産まれてこの方、ずっと障害者の中に身を置いてきて、見慣れている筈の私ですら一瞬、息をのむ様な重度の方、知的に重く、叫ぶ、というより、咆哮、というべき声を上げ続ける方…そんな方々も沢山です。日中は、車椅子で過ごす方針の病院なので廊下は賑わっています。そんな中院長であり、執刀医(メインで三名いらっしゃいます)でもあるM先生七十を過ぎながら一日何時間ものオペをこなされ、日本中から多くの人が治療を乞い、集うその人。その先生が、車椅子の患者の脇に膝をつき、コミュニケーションもままならない患者の手を取り「痛いの治ったね?」「頑張ったね~」「もう大丈夫だから」など話しかけている姿は、見ていて涙が出そうになります。後光が差してそう…抜きん出た天才的な人に有りがちな、「何を考えてるのか解らない…」みたいな所や説明や言葉不足な所が苦手な方もいますがそういうフォローは、本来 サブや婦長の仕事だと思っているので私は平気。素人の目からみても、今回のオペでパズーとシータの人生が大きく変わったのは明らかです。でも、もしかしたらメスを握るその技術より、知的身体的重度の患者の手を握る、その手こそが本当の「神の手」かもしれません…
2008年02月05日
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以前、テレビでオペラ歌手の佐藤しのぶさんがご自身の出産について聞かれた時「誕生日」はその子のものではなく、母のものです!と力説されているのを見ました。あんな大変な思いをし、命懸けで産んだのだから、誕生日は母に感謝するべきだ! と。なるほど~大人になると、折りにふれ視点が変わる体験をする事があるけれど出産はその最たるものですよね今、この病院に入院してる子のお母さんたちはみな、出産のその日だけでなく、その後もずっと(もしくはその前も)安眠する事のない毎日を送っている人ばかりです。「誕生日」は母のもの に賛成!(^O^)/でも、今だに自分の誕生日に、母に感謝を伝える事も出来ず、双子の誕生日にプレゼントを買いに奔走しています。…と、いう訳で双子ザウルス、本日をもって六歳です。六年前の今日、君達に逢いました。これからもよろしくね!
2007年12月06日
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最近、巷では「障害児」という表記を見直そう、という動きがあるようですね。「害」という字が気になるそうです。正直いって、私はあまりこの動きに興味がありません。以前、ある落語家さんの高座の枕で(本題の噺に入る前に世間話のように話ながら客の反応を見て、その日の演目を決めたりする時間のこと)放送禁止用語について話されていたのを聞いたことがあります。その内容を要約すると「かたわ」とか「めくら」という言葉は差別といわれているけど落語のなかでは、決して冷たいニュアンスではなく、それを「体の不自由なひと」と言い換えても、その言葉を口にした人の心の中に侮蔑の気持ちが含まれていたら表現が柔らかくなっている分、もっと差別的なのでは? 問題の本質がすり替えられてしまうのでは?・・・みたいな事でした。私はこの考えに賛成もちろん、言葉が与えるイメージが、大きな力を持つのも解かってます・・・ああ、これって、凄く批判を浴びるかもしれませんが・・・例えば、福祉関係の施設によく使われる名前や「障害児は天使ちゃんよ~」みたいな言われ方にどうしても激しい拒絶反応を示してしまう…清く正しく、障害児やその母は、無垢で「あるべき」。子供は親にとって、どの子も等しく「天使」じゃないの…?ステレオタイプの表現が、やさしい仮面をかぶってお母さんたちを囲い込んで追い詰めてませんか?私は、どちらかというと、こちらの方が大きい問題だと思います「障害児」や「障害者」が、耳触りのいい表現に置き換えられ常に前向きで、明るく、努力の人、という「役」を演じることを無言で強制されることになるのでは…?と。『薔薇は薔薇という名前でなくても その香りに変わりはないはず』どんな表現を当てはめられてもパズーはパズー シータはシータそして障害児母の私も なにも変わらない。ただ、「害」の文字に傷つく方が大勢いるのであればその動きに物言いを付けるつもりはありません。大体さぁ~こんな面倒くさ~いことを議論しなきゃなんないことが世の中、まだまだ、な証拠ですよね~
2007年11月07日
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