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葉っぱの陰に梅坊や葉っぱが生い茂り始めた梅の枝を見遣ると、葉の陰に隠れて、そっと、小さな梅の実が膨らんでいるではないか。親の庇護の元、葉っぱを雨除けにするかのように、葉っぱと同じ色をしながら、初々しい坊やの顔が、敵から狙われないように、隠れるようにしている。
2007.04.30
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若き命の水の脈
2007.04.30
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春を奏でる水の音
2007.04.29
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今日も陽が差していい天気かな、と思っていたら、天龍が襲来したかのように、空は掻き曇り、風が戸を叩いたあと、雷鳴、そして、大粒の雨が降り出し、昼とは思えぬ、陽の遮られようだった。
2007.04.28
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春の心を滔々と
2007.04.27
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半月さやか地を照らす鬱陶しい雨降りだったが、夜に入り、とこかに月が輝いているのであろう、白く広がった雲が次第に切れ、覗き始めた空は、暗いながらに、青味がかって見える。やがて、半月が画然たる姿を現し、暗く濡れた地上に、穏やかな光を投げ掛けている。平和な春の夜が広がった。
2007.04.25
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太陽さんまた明日(あした)
2007.04.23
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押し退けにけり春疾風
2007.04.21
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聞こえるような貝の色
2007.04.19
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声の交錯選挙カー
2007.04.18
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爺がセブンG7
2007.04.17
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目覚めの春の白昼夢
2007.04.16
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あなたにあげる春の花
2007.04.14
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一昨夜、“NHKスペシャル”で、歌手の松田聖子さんのことを取り上げた番組をやっていた。松田聖子さんと言えば、“自分の思い通りに生きている人”と言うイメージが浮かぶ。メディア、なかんずく、週刊誌、と言っても、私は該当記事を読んではいないが、新聞の雑誌広告、あるいは、電車の中吊り広告等、すなわち、売らんかな、読んでくれんかなと、度肝を抜くような、売り込み、呼び込みの、うたい文句から連想された彼女の人間像は、華々しい芸能生活の末、“道を踏み外して行った、とんでもない女”の扱いだった。すなわち、日本の、女性に対する既成概念を物差しにしたバッシングが彼女に、唾棄でもするが如く、浴びせられ続けていた。しかし、彼女は、自分の信念のまま、子育ても、仕事たる芸能生活もやりこなして来たのだった。その彼女を目撃し続けた女性たちは、自分の子育てや仕事との両立に悩む自分自身の姿にダブらせ、いつしか、松田聖子像は、自分たちのお手本のように浮かび上がり、まさに、同時代を生き抜いた、実行力ある女性の理想的シンボルとして祭り上げられるに至ったのである。しかし、彼女は言う、私に対するイメージは一人歩きして、勝手に作り上げられている、私は、ただ、自分の思うようにやって来ただけだと。陰に陽に守り育てた一人娘が一緒に歌う姿を、目の当たりにし、生きた証を、勝ち抜いた証を、そこに見るように、涙する彼女、それは普通の人間と言うより、人間尊厳の姿と言わなくてはならない。さて、問題は、マスメディアだ、新聞や週刊誌、テレビ等で、蟻が餌を見つけて、たかるが如く、彼女の“破廉恥”ぶりを書き立て、流したわけだが、その責任はどうなるのであろうか。かの杜子春が、栄華の時は群がり、落ちぶれれば立ち去った人々を見たように、人間の通例として見逃していいものなのだろうか。松田聖子は、あのバッシングに惑わされず、自分らしく生き抜いたからよかったようなものの、デマや噂に翻弄される人だったら、どうなっていたことだろう。時代を波切る人には、それなりの抵抗があるのだと言えばそれまでだが、無責任な風説は、やっぱり流した者たちの罪過と言わざるを得ない。
2007.04.13
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13日の金曜日日本じゃ、特別、どうこう言わないが、西欧では、やはり、特別なのであろうか、向こうの通貨、一斉に下落、現時点では、いやな週末となった。しかし、ものの原理は、人為の範疇にあらざれば、海路の日和りをぞ待つべし。案の定、23時30分頃から、急激に復帰した。
2007.04.13
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枝に溢れる春の精
2007.04.13
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春を咲くなり薫るなり
2007.04.12
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青き命の今もなお幾百、否、恐らく、幾千星霜にも渡って、潮の香漂う、この岩盤の上に、繰り返し生きて来たであろう木々が、今また、青々とした葉を生い茂らせ、優しく清らかな水面に、その陰を落しながら、佇んでいる。
2007.04.10
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溢れ零れる花盛り車で通りかかった道の脇に、幹も枝も小振りとは言え、日の光を満身に受け、満開、鈴なりの桜花、これが精一杯です、と言わんばかりの咲きっぷりだ。みなぎるエネルギーが感動を呼ぶ。
2007.04.10
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心もうらら身もうらら
2007.04.09
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ふと、外を見遣ると、耳をそばだてないと、分からないような、 控えめな音で、春の小糠雨が降っている。
2007.04.08
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昨日、縮んで見えた桜の花も、何と、伸び伸び、歓んでいるように見える。
2007.04.08
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おーい、まだかい、こちとら、スタンバイOKだよーと、痺れを切らして待っている。
2007.04.07
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あれほどの暖冬だったので、当然、ソメイヨシノの開花も早まると期待していたのに、三月に入ってからの、猛烈な寒波に、さすがに、花もたじろいだ模様、この若狭の海べり、いつもより、しおらしく、顔を見せている。高台の方では、蕾も、先のアラレの急襲で、顔を出せないとか・・。桜にとっては、酷な春の訪れだった。
2007.04.07
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このところの不穏な天気模様で、気分も晴れ難かったが、どうだ、この、煌々たる陽光の前に霧散し去る思いがする。やっぱり、人間、否、命あるもの、太陽の申し子だ。ちょっと嫌な出来事のわだかまりや後味も、これでもか、これでもかと、闇をつんざく、眩しい光が、圧倒的な力を持って、押し流してしまうのだ。そして、命の中から、呼び覚まされた大いなる力が、滔々として、生まれ出て来る。万歳!万歳!と、歓呼の声を浴びながら、次々と、新しい命が生まれ出て来る。悲しみの涙は、歓喜の涙と変わり、慟哭のすすり泣きも限りない希望の叫びに変転する。魂の勝ち鬨が、凱旋門を埋め尽くして行く。宴は命の広場に広がり、勝利の美酒は、甘露の味となって、心身を癒すのだ。友よ、祝おう!この勝利を!友よ、讃えよう!この命の歓びを!
2007.04.06
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いやぁ~、惜敗だ。選抜高校野球決勝、O高、初出場で初優勝?!と期待したが、先制で乗っていたのはよしとして、ちょっと、浮かれたのであろう、もう、勝ちは決まった、と言う浮かれが油断となった。敵も必死だ、ちょっとした隙が最後にえぐられた感じである。守りのミス、疲れもあったろうが、コースの決まっていたエースの投球、大事なところで、真ん中に行った二球!が悔やまれる。あの2つが外角に行っていたら、また、あの捕球ミスがなかったら、同点に継ぐ逆転はなかったであろう。これが勝負の運というものかも知れないが、最後の引き締め、これが必要だった。しかし、タガを締めれば力が出ない、難しいところだ。一方、相手K高は、さすが巧者、最後、水も漏らさぬ鉄壁の攻撃だった。連戦、連戦の高校野球、やっぱり、勝ち抜くには、投手一人の負担は大き過ぎる。
2007.04.04
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テレビのドキュメンタリータッチの番組で、沖縄のコザのロックバンドグループの活動ぶりを紹介していた。以前にも、他局で見たことがある、もう高年のグループである。米軍の嘉手納基地近くの街の通りで、米軍の兵士相手に、演奏し続けている。グループの中心者が言うには、ベトナム戦争の頃、当時(60年代)のロックが米軍基地の放送から流され、街でも演奏され、それを聴いた当人は、それに魅せられ、この地でのロック演奏の道へと進んだ由。この、コザと呼ばれる街に息づくロックは、やがて、コザロックと呼ばれ、当地独特のロックミュージックとなったようである。米軍基地から繰り出して、この演奏を聴きに来る兵士たちは、明日はどうなるか分からない、この前の人、どうしましたか?と聞くと、死んじゃった、と言う返事が戻ることもある、言わば、生と死の狭間にいる人たちだ。そういう歴史の中で鳴らし、歌われ続けて来た“コザロック”、それは、生を喜ぶ音楽であるとともに、更に、死をも乗り越えねばならない音楽なのである。人間がこの世に生を受け、死んで行く物語を、音楽の中で消化しなければならない、生も死も100%肯定し得る歌でなければならない。ギターの音も、ドラムの響きも、そして、魂から叫ぶ歌声も、戦場に赴く人々を励まし続け、心のわだかまりを燃焼する力がなくてはならない響きなのである。戦争と言うテーマに、戦争と言う不条理に対して、投げ掛けられる疑問や不安、憤りなどの不完全燃焼物に回答を与える響きが鳴らなければならないのである。それは、戦争の悲惨さと残酷さの修羅場から、蘇った沖縄だからこそ奏で得る音楽かも知れない。
2007.04.02
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見くびれば後の祭りの試合かな選抜高校野球、準々決勝のO高対K高の対決、O高は初出場ながら、ベテラン監督が手塩に掛け、実力を養って来た、伸び伸び野球チームだ。方や、K高は、甲子園ではお馴染みの強豪で、この前の試合では、ヒット17本とかの活躍ぶり。しかし、勝負は時の運もあるが、何と言ってもチームワークのゲームだ。初出場で、益々機運盛り上がるO高、チャンスをしっかりものにしながらリードする。それに対して、K高は、勝つのが当たり前、しかも、相手は初出場チーム、と甘い油断や手抜かりがあったのではなかろうか、リードされても、いや、まだ、まだと高を括る(?)うちに、大差となり、最終回の反撃も空しく、敗退した。結局、振り返ってみれば、強豪チームの自力過信の負けであり、伸び伸びチーム野球の実力発揮の勝ちであったと言えよう。とにも、かくにも、油断は禁物である。
2007.04.01
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