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★ルチア・アルティエリ (vf) Lucia Altieri本名ルチア・アルティエリ・ナシッロ (Lucia Altieri Nasillo)1938年4月13日ナポリの東北東180kmアドリア海沿岸の中都市フォッジャ生、60年代の歌手。 ジャンニ・アルティエリと結婚後、夫の姓を使ったルチア・アルティエリの名前で歌いだします。1959年フォノコロール(Phonocolor)の文芸監督をしていたジーノ・メスコリ(Gino Mescoli)に新人コンテストで見出され、フォノコロールと契約しレコード歌手になります。61年ナポリ音楽祭第9回秋の特別祭でネリー・フィオラモンティ(NELLY FIORAMONTI)のパートナーで歌った"過去('O PPASSATO)"が入賞し注目されるようになりました。そのお陰で翌62年サンレモ音楽祭にただ一度の出場が出来ました。そして7月に行われたナポリ音楽祭本大会では、クラウディオ・ビルラのパートナーとして"Tu staje sempre cu mme"で出場しましたが入賞できませんでした。しかしナポリ音楽祭第10回冬の特別際に連続で出場し、ジーナ・アルマーニ(GINA ARMANI)のパートナとして"ソレントのセレナード(SERENATA A SURRIENTO)"を歌い第2位となります。ベネルクス国際音楽祭にマルタ代表として"サンクス(Thanks)"で優勝し、この曲で66年の夏のディスク・フェスティヴァルに入賞、69年夏のディスクに"La sabbia nella mia mano"は入賞出来ませんでした。 所属レコード会社は61~63年Phonocolor、63~66年 Silver、66年Jolly, 、68年V.d.P.、68~69年 Prima ルチア・アルティエリの国内盤はありません 前々回 ドメニコ・モドゥーニョ (http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/8331311.html)、前回 ドメニコ・モドゥーニョ 2 (http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/8652546.html)の続きです★ドメニコ・モドゥーニョ (Domenico Modugno) 1928年1月9日、長靴の踵の付け根辺りの小都市ポリニャーノ・ア・マーレ(Polignano a Mare)生、1994年8月6日シチリア島とチュニジアの中間にある保養地の小島ランペドゥーサ島(Lampedusa)没、自作自演歌手、俳優、監督、イタリアの政治家でした。 1961年9月、トリノで初演のモドゥーニョが主演したガリネイ(Garinei)とジョヴァンニーニ(Giovannini)のイタリア統一百年記念ミュージカル「Rinaldo in campo」は、フランスのイタリア国際演劇祭にも披露され、批評家から絶大な称賛を受けます。何度も再演され、"神が望むなら(SE DIO VORRA')"、"ノッテ・キアーラ(Notte chiara)"、"ろばと追いはぎ(TRE BRIGANTI, TRE SOMARI)"や"風になびく旗(LA BANDIERA)"が含まれています。 62年サンレモ音楽祭でビルラと"アディオ・アディオ"で優勝後、63年にライバルのビルラが作った"クラウディオ・ビルラ、モドゥーニョを歌う"は何曲か古典的なプーリア人モドゥーニョに対する解釈を元にアルバムが作られましたが、本来は賛辞が贈られるべきアルバムでしたが余り評価はされませんでした。 62年から63年にかけては映画「太陽、太陽、太陽(Tutto e' musica)」の製作と、エドゥアルド・ デ・フィリッポ(Eduardo De Filippo)の音楽歴史ドラマ「Tommaso d'Amalfi」の舞台に専念しています。 64年第14回サンレモ音楽祭にはアメリカのフランキー・レイン(FRANKIE LAINE)をパートナーに"なげきのタンゴ (CHE ME NE IMPORTA... A ME)"で出場しましたが、フランにー・レインはイタリア系アメリカ人にもかかわらず紙に書いたイタリア語の歌詞を見ながら歌い(レコードは英語版)、ただでさえ若者の曲が優勢な大会だったので、入賞するのが精一杯だったようです。第12回ナポリ音楽祭に初出場し、オルネラ・ヴァノーニ(ORNELLA VANONI)をパートナーに歌った"素敵なあなた(TU SI' 'NA COSA GRANDE)"が優勝し、ヴァノーニはもう1曲"アンモーレ・ミオ(AMMORE MIO)"も第2位となり、彼女の評価も高まりました。この年、モドゥーニョは世界的ヒットを出したフォニットを離れ、彼の曲を管理する音楽出版社(CURCI)の子会社カロセッロ(CAROSELLO)のクルチ・レーベルに移籍しました。 ドメニコ・モドゥーニョの国内盤CP-1124 (1964年3月 VICTOR - 日本ビクター) 17cm CP 音楽野郎/ドメニコ・モデューノ (TUTTO E MUSICA/DOMENICO MODUGNO)詳細は私の過去ブログ 「サンレモの歌手たち 21 ドメニコ・モドゥーニョ」 をご覧ください。FS- 18 (1962年4月25日 FONIT - テイチク) アディオ・アディオ (ADDIO, ADDIO)/いのち (VITA) ドメニコ・モドゥーニョ/ジョルジョ・コンソリ-ニ (GIORGIO CONSOLINI (vm)) FS- 18 FS- 27 (1964年5月1日 FONIT - テイチク) なげきのタンゴ (CHE ME NE IMPORTA... A ME)/ラ・ノビア (LA NOVIA) FS- 27 FS- 28 FS- 28 (1964年7月1日 FONIT - テイチク) 恋の十字架 (IO PECCATORE)/セレネ (SELENE) ULP-3014 (1964年7月1日 FONIT - テイチク) 30cm LP 太陽、太陽、太陽 (SOLE, SOLE, SOLE) 映画「太陽、太陽、太陽」 オリジナル・サウンド・トラック盤として1.ヴォラ-レ (NEL BLU DIPINTO DI BLU)2.僕 (IO)3.セレネ (SELENE)4.太陽、太陽、太陽 (SOLE, SOLE, SOLE)5.剣魚の恋 (LU PISCE SPADA)6..ノッテ・キア-ラ (NOTTE CHIARA)7.ラ・ノヴィア (LA NOVIA)8.チャオ・チャオ・バンビ-ナ (PIOVE)9.今夜はおごるぜ (STASERA PAGO IO)10.夢がいっぱい (TESTA PIENA DI SOGNI)11.鉱山のめくら馬 (CAVADDU CECU DE LA MINARA)12.古ぼけた燕尾服 (VECCHIO FRAK)13.ハレルヤ (HALLELLUJA)14.恋の十字架 (IO PECCATORE)ULP-3014 FS- 29 FS- 29 (1964年10月1日 FONIT - テイチク) ラ・マンマ [伊] (LA MAMMA [I])/ハレルヤ (ALLELUJA) SUW- 10 (1965年1月15日 FONIT - テイチク) 17cm CP これぞカンツォーネ (THIS IS CANZONE)1.ヴォラ-レ (NEL BLU DIPINTO DI BLU)2.ラ・マンマ [伊] (LA MAMMA [I])3.チャオ・チャオ・バンビ-ナ (PIOVE)4.セレネ (SELENE) SUW- 10 FS- 30 FS- 30 (1965年1月15日 FONIT - テイチク) 素敵なあなた (TU SI' 'NA COSA GRANDE)/海の心 (TU SI' 'O MARE) FS- 31 (1965年2月5日 FONIT - テイチク) オー・ソレ・ミオ (O SOLE MIO)/若い恋 (GIOVANE AMORE) FS- 31 UPS-5050 UPS-5050 (1965年4月1日 FONIT - テイチク) 30cm LPドメニコ・モドゥーニョのすべて (THE BEST OF DOMENICO MODUGNO)1.ヴォラーレ (VOLARE)2.チャオ・チャオ・バンビ-ナ (PIOVE)3.ラ・ノヴィア (LA NOVIA)4.僕 (IO)5.なげきのタンゴ (CHE ME NE IMPORTA A ME)6.アディオ・アディオ (ADDIO, ADDIO)7.コメ・プリマ (COME PRIMA)8.セレネ (SELENE)9.恋の十字架 (IO PECCATORE)10.ラ・マンマ [伊] (LA MAMMA [I])11.素敵なあなた (TU SI' 'NA COSA GRANDE)12.ハレルヤ (ALLELUJA) またの機会に(ドメニコ・モドゥーニョ 4)が続きます
2013.04.29
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★ミリアム・デル・マーレ (vf) Myriam Del Mare本名マリサ・テネッジ(Marisa Teneggi)、1939年11月26日ボローニャとパルマの間にある中都市レッジョ・エミリア(Ressio Emilia)生。 Miriam Del Mareと表記される場合もあります。 芸名は水泳が得意だたったのでデル・マーレ(海の)となったようです。ジュークボックス・レコードのオーナー、カルロ・アルベルト・ロッシ(Carlo Alberto Rossi)に見出され、1950年代終わりから歌い始め、60年代初めにレコードデビューしました。幸運にも、ただ一度のサンレモ音楽祭にミルバのパートナーとして"今宵ルナ・パルクで"を歌い5位入賞しました。唱法は流行のロック・ン・ロールやウルラトーレでありませんでした。同時代に"ミルバ"系歌手二人は不要だったようです。 音楽祭後は、故郷のレッジョ・エミリアのダンス・ホールでバンドのシーメン(Seamen)と歌っていました。 Web上でも資料の少ない歌手です。所属レコード会社は60~63年? Juke Box、68年 Cinevox ミリアム・デル・マーレの国内盤はありません ★コッラード・ロヤコノ (vm) Corrado Lojacono1924年1月22日シチリア島のパレルモ生、2012年10月23日ミラノ没、、歌手、俳優、作曲家。 1945年カリシュ(オデオン、パーロフォン)の文芸監督エンツォ・チェラジョーリ(Enzo Ceragioli) を通しベッペ・モイェッタ(Beppe Mojetta)楽団の歌手としてにラジオ・デビューしました。 彼の太った体で遊び心いっぱいの歌い方は瞬く間に人気を得て、ガリネイ(Garinei)とジョヴァンニーニ(Giovannini)のミュージカル・コメディー「Attanasio cavallo vanesio」(52年)、「Alvaro piuttosto corsaro」(53年)でレナート・ラシェルト(Renato Rascel.)共演することが出来ました。また、64年RAI-TVの番組「Biblioteca di Studio Uno」でクァルテット・チェトラ(Quartetto Cetra)が演じた喜劇版「オデッセイ(Odissea)」の人食い一眼巨人ポリフェモスは忘れ難い好演でした。 60年代に彼は多くの場合ペンネームのカミカーシャ(Camicasca)の名前も使って、いくつかのヒット曲を書きました。"I sette zulù"、"Giuggiola"、サンレモ音楽祭に出品し、自ら歌った"小さな指輪(L'anellino)"などです。 サンレモ音楽祭には62年、63年と出場しましたが、いずれも入賞できませんでした。2012年急性じん不全で88才の長寿を全うして亡くなりました。 所属レコード会社は?ODEON、58~61年Fontana 、61~62年Pathé、66年Fox コッラード・ロヤコノの国内盤はありません 前々回(http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/8449281.html)、前回のファウスト・チリアーノ(http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/8934214.html)の続きです ★ファウスト・チリアーノ (vm) Fausto Cigliano1937年2日15日ナポリ生、歌手、ギタリスト、親日家。国内盤でチリアーノ表示の場合もある。 1968年来日した時に録音した木下忠司作曲の"あの人は(ANO HITO WA)"が"私だけの十字架(WATASHIDAKE NO JUJIKA)"と改題、再吹込みされTV映画「特捜最前線」のテーマに使われたり、71年来日時に吹き込んだと思われる、セルジョ・エンドリゴの66年サンレモ音楽祭入賞曲"去り行く今(ADESSO SI')"が山口百恵のTVドラマ"赤い"シリーズ「赤い迷路」の挿入歌になったりと、意外と日本人に名前が知られる歌手となり、今でもCDのコンピレーションに収録されています。 ファウスト・チリアーノの国内盤GXG- 19~20 (1977年9月5日 SEVEN SEAS - キング) ナポリターナのすべて (TUTTE LE CANZONE NAPOLETANE) 30cm2LP2-5.アネマ・エ・コーレ (ANEMA E CORE)2-6.ルナ・ロッサ (LUNA ROSSA)2-8.スカリナテッラ (SCALINATELLA)GXG- 19~20 GXF- 81~90 GXF- 81~90 (1979年2月5日 SEVEN SEAS - キング)サン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO) 30cmLP10 Box4-14.もしも明日 (E SE DOMANI)NFA-91801~10 (1991年 JAZZY - ジャジー・プランニング) エンサクロペディア・オブ・カンツォーネ (ENCYCLOPEDIA OF CANZONE) CD10 Box非ライセンス商品3-9.もしも明日 (E SE DOMANI)5-2.アネマ・エ・コーレ (ANEMA E CORE)8-17.サンタ・キア-ラ寺院 (MUNASTERIO E' SANTA CHIARA)NFA-91801~10 VPCD-81069 VPCD-81069 (1994年10月1日 VAP - バップ) 特捜最前線 MUSIC FILE27.私だけの十字架 [日] (WATASHIDAKE NO JUJIKA [J]) H30P-20100 (1986年10月1日 POLYDOR - ユニバーサル・ミュージック) 特捜最前線 オリジナル・サウンドトラック24.私だけの十字架 [日] (WATASHIDAKE NO JUJIKA [J]) H30P-20100 DNUT- 4 DNUT- 4 (2003年11月26日 DOUGHNUTS - エンターメディア) 俺たちのメロディー4 15.私だけの十字架 [日] (WATASHIDAKE NO JUJIKA [J]) UPCH- 1320 (2003年12月17日 POLYDOR - ユニバーサル・ジャパン) 刑事魂 刑事ドラマソング・ベスト19.私だけの十字架 [日] (WATASHIDAKE NO JUJIKA [J]) UPCH- 1320 UCCU-9056 UCCU-9056 (2005年8月4日 POLYDOR - ユニバーサル・ミュージック) 刑事魂プロファイル~刑事ドラマソング・ベストセレクション 5.私だけの十字架 [日] (WATASHIDAKE NO JUJIKA [J]) MHCL- 638 (2005年10月19日 SONY - ソニー・ミュージック) 赤いシリーズ シングル・コレクションCD2.去り行く今 [日] (ADESSO SI' [J]) MHCL- 638 UICZ-1384~8 UICZ-1384~8 (2011年3月16日 POLYDOR - ユニバーサル・ミュージック) ベスト・ヒット100 70's 5CD Box1-15.去り行く今 [日] (ADESSO SI' [J])
2013.04.27
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★ジャコモ・ロンディネラ (vm) Giacomo Rondinella 1923年8月30日、シチリアの北東端の都市メッシーナ(Messina)生、映画俳優、歌手。 ナポリターナ歌手のチッチッロ・ロンディネラ(Ciccillo Rondinella)を父に、女優のマリア・スポルテッリ(Maria Sportelli)を母として生まれました。両親は自分たちの後を継がせるのでなく、彼を正業の船長になるべく航海学校に入学させました。第二次世界大戦中に海軍のサン・マルコ連隊に入隊、1943年9月8日の休戦後、除隊しボクサーになりましたが芳しい成果を残せませんでした。その後44年、ラジオ・ナポリの新人コンテストに優勝し、芸能入りすることを決心します。45年M.ガルディエリが書いたミュージカル「Imputati... alziamoci!」の中で彼が歌った"サンタ・キアーラ寺院(MUNASTERIO 'E SANTA CHIARA)"は世界的ヒットになりました。こうして50年代初頭までミュージカルやレビューの出演でキャリアを積み、長身の美男ながら豪快な性格の彼は映画俳優、舞台俳優としても活躍していきます。彼はトト(Totò)が作ったナポリの名曲"悪い女(Malafemmena)"を51年にレコード発売し大ヒットさせたことや、二人の女優ヴィルナ・リージ(Virna Lisi)とマリーサ・アッラシオ(Marisa Allasio)を見出したことなどでも賞賛されています。47年アダ・アレーゼ(Ada Alese)と結婚し、49年息子ロベルト(彼も成長して歌手になります)が誕生しました。晩年ジャコモはカナダに移住し、ミュージカル劇場の小屋主としてトロントに住んでいます。弟ルチアーノ・ロンディネラも俳優で歌手です。 (私の過去ブログ「サンレモの歌手たち 48 ルチアーノ・ロンディネラ、ファウスト・チリアーノ 2」 http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/8934214.html) をご残照ください。 所属レコード会社は51~61年Fonit、64年RCA Italiana、68年Cja records、Hello、69年Storm ジャコモ・ロンディネラの国内盤FLP- 1 (1961年4月25日 FONIT - テイチク) 25cm LP 第11回サンレモ歌の祭典 (XI FESTIVAL DELLA CANZONE SANREMO 1961)6.アル・ディ・ラ (AL DI LA') FLP- 1 FLP-10 FLP-10 (1962年4月25日 FONIT - テイチク) 25cm LP 第12回サンレモ歌の祭典 (XII FESTIVAL DELLA CANZONE SANREMO (1962))7.わたしたちの愛 (IL NOSTRO AMORE) FS- 20 (1962年9月5日 FONIT - テイチク) アル・ディ・ラ (AL DI LA')/タンゴ・イタリアーノ (TANGO ITALIANO) ジャコモ・ロンディネラ/ミルバFS- 20 FLP- 6 FLP- 6 (1962年10月10日 FONIT - テイチク) 25cm LP ナポリの思い出 (SOUVENIR OF NAPES)1.オー・ソレ・ミオ ('O SOLE MIO)2.マレキアーレ (MARECHIARE)3.帰れソレントへ (TORNA A SORRIENTO)4.カタリ・カタリ (CORE 'NGRATO)5.遥かなるサンタ・ルチア (SANTA LUCIA LUNTANA)6.オー・マレナリエロ ('O MARENARIELLO)7.プシレコの漁夫 (PISCATORE 'E PUSILLECO)8.ルナ・ロッサ (LUNA ROSSA)FS- 21 (1963年1月15日 FONIT - テイチク) マンドリンとサンタ・ルチア (MANDULINO 'E SANTA LUCIA)/盗賊のセレナーデ (SERENATA MALANDRINA)FS- 21 FS- 32 FS- 32 (1965年2月5日 FONIT - テイチク) 恋のセレナーデ (SERENATA ALL'AMORE)/マリーナ (VIOCOLI 'E MARE)SR- 607~8 (1971年4月10日 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP カンツォニッシマのすべて第1集 (CANZONISSIMA (I))2-14.捧げるは愛のみ ('NA VOCE 'NA CHITARRA E' 'O POCO E' LUNA) SR- 607~8 SR- 615~6 SR- 615~6 (1971年8月10日 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP ナポリ音楽祭のすべて第1集 (FESTIVAL DELLA CANZONE NAPOLETANA(I)1-6. ナポリの星 'E STELLE 'E NAPULE1-9.ガリオーネ (GUAGLIONE)1-10.歌にためいき (SUSPIRANNO 'NA CANZONE)1-11.君に告げる (DINCELLO TU)2-1. ヴリア (VURRIA) SR- 617~8 (1971年9月10日 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP ナポリ音楽祭のすべて第2集 (FESTIVAL DELLA CANZONE NAPOLETANA(II)2-6.ガッペテッラ (GUAPPETELLA) SR- 617~8 NFA-91801~10 NFA-91801~10 (1991年 JAZZY - ジャジー・プランニング) 10CD Box エンサクロペディア・オブ・カンツォーネ (ENCYCLOPEDIA OF CANZONE) 非ライセンス商品9-13.フニクリ・フニクラ (FUNICULI' FUNICULA')9-17.舟人の歌 ('O MARENARIELLO)10-2.帰れソレントへ (TORNA A SURRIENTO)10-4.お母さんどうしたの (COMME FACETTE MAMMETA)10-8.ガッパリア (GUAPPARIA)10-15.太陽の土地 ('O PAESE D''O SOLE)10-16.プシレコの漁夫 (PISCATORE 'E PUSILLECO) BVCM-37063~72 (2000年3月23日 RCA -BMGファンハウス) 10CD Box エンニオ・モリコーネ・クロニクル (THE ENNIO MORRICONE CHRONICLES)3-23. 君と一緒に (SO TURNATO CU'TTE) BVCM-37063~72 ★マリオ・アッバーテ (vm) Mario Abbate本名サルヴァトーレ・アッバーテ(Salvatore Abbate)1927年8月10日~1981年8月 6日ナポリ生・没、歌手、俳優、最も有名なナポリターナの指導者。 ナポリも中心の港町サン・フェルディナンド地区に、父ジェンナーロ(Gennaro)の息子として生まれました。彼は12年間サルヴァトーレ・カフィエロ作、エウジェニオ・フーモ主演の歴史ドラマに本名のサルヴァトーレ・アッバーテで出演していました。 1951年ピエディグロッタ歌祭でトトが作り、有名な音楽出版社ラ・カンツォネッタの曲 "悪い女(Malafemmena)"で優勝、世界的ヒットとなりました。その後歌に専念し、RAIのチニコ・アンジェリーニ(Cinico Angelini)楽団の歌手となり、所属レコード会社ヴィス・ラディオ(Vis Radio)に数多くのレコードを残しました。 ナポリ音楽祭には58年第6回から毎年のように出場し、62、63年とサンレモ音楽祭に出場しましたが入賞することが出来ませんでした。またナポリ系の歌手には珍しく夏のディスク・フェスティヴァルにも64年"今夜眠らないで(STANOTTE NUN DURMI')"、65年"Manduline 'e lacreme"、66年"Mare d'estate"、68年"E' n'amico ll'ammore"、74年"'Na varca a vela"、65年カンタジーロのジローネAに"アモーレ泣かさないで(AMMORE, PIENZEME!)"で出場し、ナポリターナの火を絶やさないために挑戦を続けます。 80年RCAイタリアーナからロベルト・ムローロ(Roberto Murolo)の詩に息子マッシーモ(Massimo Abbate)が曲を作った6枚組のナポリターナ・アンソロジーを発売するなど、戦後ナポリターナ界をセルジョ・ブルーニ(Sergio Bruni)と共に支えました。 マッシーモ・アッバーテも79年サンレモ音楽祭に出場する歌手になり、俳優および監督です。 所属レコード会社は57~68年Vis Radio、68~69年V.d.P.、70~71年M.A.、72~73年Bella、73~74年Zeus マリオ・アッバーテの国内盤KIL-1001(MED・BAR- 003) (2006年 MEDIANE - キング・インターナショナル (MEDIANE,Italy)) CD バー・ナポリ (BAR NAPOLI) 準国内盤16.激しく愛す (TE VOGLIO BENE ASSAJE) KIL-1001(MED・BAR- 003)
2013.04.25
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★ピエールフィリッピ (vm) Pierfilippi本名アドルフォ・フィリッピ(Adolfo Filippi) 1938年4月30日 (35年説もあり) ボローニャとサン・マリノの間にある小都市ルーゴ・ディ・ロマーニャ(Lugo di Romagna)生、60年代初期の歌手。 1957年、新人コンテスト優勝し、ダンス・クラブ歌手からキャリア始めました。61年RCAイタリアーナと契約ができ、翌62年ただ一度のサンレモン額歳に出場しました。64年第2回ローズ・フェスティヴァルに"Da quando ho visto te"、翌65年第3回では"Sarà come una volta"と"大切なこと(Le cose più importanti)"を歌いました。彼のバンド、レ・コパン(Les Copains)に64~66年の間、プー(i Pooh)の初期のメンバー、ロビー・ファッキネッティ(Roby Facchinetti)が在籍していました。RCAイタリアーナから離籍後もイタリアや外国のナイト・クラブでバンド演奏の活動を続けました。所属レコード会社61~65年 RCA ITALIANA ピエールフィリッピの国内盤BVCM-37063~72 (2000年3月23日 RCA -BMGファンハウス) 10CD Boxエンニオ・モリコーネ・クロニクル (THE ENNIO MORRICONE CHRONICLES)7-1.大切なこと (LE COSE PIU' IMPORTANTI) BVCM-37063~72 BVCM-37154~5 BVCM-37154~5 (2000年8月23日 RCA -BMGファンハウス) 2CD Box ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・エンニオ・モリコーネ (ENNIO MORRICONE CHRONICLES)1-10.大切なこと (LE COSE PIU' IMPORTANTI) BVCM-37208~9 (2001年4月25日 RCA -BMGファンハウス) 2CD Box エンニオ・モリコーネ/アルティメット・イタリアン・ポップス・コレクション (ENNIO MORRICONE/40th COMMEMORATION : ULTIMATE ITALIAN POPS COLLECTION)2-20.この雨は上がるだろうか (QUESTA PIOGGIA PASSERA') BVCM-37208~9 ★ロッサーナ (vf) Rossana本名ロッサーナ・カッパルッチーニ(Rossana Capparuccini) 1940年11月24日ローマ生。 デビューは19歳、ミラノのクラブでオルネラ・ヴァノーニの"マントを着た人々(LE MANTELLATE)"のような"le canzoni della Mala (マラの歌)"を歌ったときでした。61年にポップスにレパートリーを変更し、世界自転車競技大会関連イベントの「ミラノ音楽の6日間」、ニース音楽祭に参加し、ジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)の目にとまり、ただ一度のサンレモ音楽祭に出場できました。 名前だけの芸名はWebで検索すると、多くは「黄金の七人」等に出演した映画女優ロッサナ・ポデスタ(Rossana Podestà)など膨大なデータを拾ってしまいます。レコード会社Philipsを加えても、80年代から出てきた有名歌手ロサーナ・カザーレ(ROSSANA CASALE)がおり、絞り込みに苦労をしました。唯一のヒット曲"Latin lover"で絞りやっとたどり着いたジャケット画像です。所属レコード会社Philips (Melchioni) ロッサーナの国内盤はありません ★マリオ・ダルバ (vm) Mario D'Alba本名マリオ・クァルニェンティ (Mario Quargnenti) 1933年3月18日ジェノバ生、2011 年1月 22日ロンドン没。67年以降フランスでもマリオ・ジャッキー(Mario Jacques)、時としてマリオ・マリューロ(Mario Magliulo)を使い歌手活動をし、フランス人歌手ストーン(Stone)と結婚しフランスやモナコに在住していました。 ジェノヴァの富豪実業家の家庭に生まれ、歌謡曲狂が昂じ、ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院で勉強した後、歌手、作曲家を始めます。彼はRAIの見習い歌手の期間、国際のグループを選択し加入します。1960年"Andar lontano/Oh vieni"でイタルディスクからレコード・デビューをしました。60年、61年の世界自転車競技大会関連イベントの「ミラノ音楽の6日間」では決勝戦まで残り、サンレモ音楽祭の出場権を得ました。彼は多くの場所、特に外国で歌手やバンドの活動をすることにしました。66年後半にフランスに行きヴォーグ(Vogue)で歌手マリオ・ジャッキー(Mario Jacques)となります。67年以降フランスで音楽活動を始めますが、60年代、70年代は彼が目指したロック・ン・ロールを真剣に取組んで活動していたとは言えません。74~75年エリック・シャルダン(Éric Charden)とギー・ボンタンペッリ(Guy Bontempelli)のミュージカル"メイフラワー(Mayflower.)"に出演していたストーン(Stone)はストーン&シャルダン(Stone et Charden)※ として夫婦デュオで活動していましたが、75年離婚をします。一方マリオもこのミュージカルに出演していました。77年彼の最大ヒットと思われる曲が出ます。"オートルート A6(Autoroute A6)"でした。フランスの高速道路のことをラテンのリズムで歌った極めて他愛のない曲(高速道路を運転しながら聞くには最適かも)ですが大成功でした。 79年ミシェル ・ ジェラール(Michel Gérard)の映画「Les joyeuses colonies de vacances」の音楽を担当しました。80年代になりマリオはストーンと結婚し、Martinと Daisy二人の子供が生まれました。その後、 陽の光が明るいモナコに転地してからは夫婦でアウトドア・ライフを楽しみ、マリオ・ダルバ人間オーケストラ、著者業、作曲家、歌手、俳優など疲れを知らないそれを生活を送ります。 所属レコード会社は60~63年Italdisc、63年Cetra、65?~66年Ricordi、66~71?年Vogue(France)、?年Polydor(France)、75年Gérard Tournier(France)、77年Ch.Talar(France) マリオ・ダルバの国内盤SH- 231 (1966年5月 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP 第16回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1966)6.君こそすべて (PER QUESTO VOGLIO TE)9.青空に住もう (UNA CASA IN CIMA AL MONDO) SH- 231 HIT-1305 HIT-1305 (1966年1月 SEVEN SEAS - キング) 恋するハート (A POCO A POCO)/ささやき (INSEGNAMI AD AMARE)リコルディ在籍中にこの盤両面の曲をマリオは本名M. Quargnenti名で書いていました。そしてまた、このマリーナ(MARINA)という少女、後に「大化け」します。必ず書く機会がありますので、誰なのか楽しみにしてお待ちください。 ※ストーン & エリック・シャルダン (STONE et CHARDEN,ERIC (duo=f))ニコラ・ディ・バリ(NICOLA DI BARI)の私の好きだった国内未発売ヒット曲"IL MONDO E' GRIGIO,IL MONDO E' BLU (LE MONDE EST GRIS,LE MOMDE EST.. 世界は灰色、世界は青)"の元曲がエリック・シャルダンだったので、彼の国内盤で出ていたので買っていました。 LL- 2552・AX (1972年8月 . COLUMBIA -日本コロムビア) 恋の冒険 (L'AVVENTURA)/運転手の歌 (LA MUSIQUE DE CAMIONEUR) ストーン & エリック・シャルダン LL- 2552・AX
2013.04.23
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★ロッコ・モンターナ (vm) Rocco Montana本名リノ・バルトリーニ(Lino Bartolini)1929年7月9日、フィレンツェの北隣の都市プラート生、1967年2月24日パルマ没、歌手。 彼は仕立屋と理容室を営む父ウルデリーゴ(Ulderigo)の5人兄弟の一人として家庭に生まれました。彼はトスカーナで11勝もした優れたアマチュア自転車選手でしたが、37歳の時、自動車事故で死亡しました。また国際的有名テノール歌手ランド・バルトリーニ(Lando Bartolini)の兄でもありました。1950年代末からトニー・モンターナの芸名でリパブリック(Republic)からレコードを出しましたが、60年ロッコ・モンターナに芸名を変えCGDと契約しました。62年唯一度のサンレモ音楽祭で12位入賞しました。トニー・ダララ(Tony Dallara)に似たウルラトーリでそこそこ人気でした。63年メアッツィ(Meazzi)に移籍、65年再度ラ・ソノール(La Sonor)に移籍後はバンドのカットゥボーリ(Rocco Montana e Cattuboli)と活動します。 所属レコード会社は50年代末 Republic、61~63年CGD、63~64年 Meazzi、65~66年 La Sonor ロッコ・モンターナの国内盤IF- 7 (1962年5月25日 CGD - キング) 25cmLP 1962年サンレモ国際音楽祭 (SAN REMO 1962)2.恋に生きる (INVENTIAMO LA VITA) IF- 7 MH- 191 MH- 191 (1965年4月 SEVEN SEAS - キング) 30cmLP 一緒にカンツォ-ネを歌おう第2集 (LE PIU' BELLE CANZONI Vol.2)6.恋の曲り角 (A MEZZA STRADA) MH- 203 (1965年7月 SEVEN SEAS - キング) 30cmLP 一緒にカンツォ-ネを歌おう第5集 (LE PIU' BELLE CANZONI Vol.5)13.恋に生きる (INVENTIAMO LA VITA) MH- 203 MR- 1~2 MR- 1~2 (1965年11月 SEVEN SEAS - キング) 30cm2LP カンツォーネ大全集 (THE BEST OF CANZONE)1-8.タンゴ・イタリアーノ (TANGO ITALIANO) GXF- 81~90 (1979年2月5日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 10LP Box サン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO)3-15.恋に生きる (INVENTIAMO LA VITA) GXF- 81~90 ★ブルーナ・レッリ (vf) Bruna Lelli 1939 年3月4日サン・マリノの北西20kmの小都市モルドーラ生、歌手。 1957年第1回カストロカーロ新人コンテストで優勝し、彼女の故郷の民俗音楽で、歌を始めます。この間、サンレモ音楽祭の指揮者チニコ・アンジェリーニに師事し、59年、チェトラとレコード契約が出来、テスタ作詞、F.ピサーノ作曲の"Tanto da morire"でレコード・デビューをします。61年に"Un whisky e un blues"で世界自転車競技大会関連イベントの「ミラノ音楽の6日間」に参加しました。またRAI-2放送のマイク・ボンジョルノのクイズ番組「La fiera dei sogni」のアシスタントに選ばれ、歌手の仕事もこなしました。62年、ただ一度だけのサンレモ音楽祭出場をしましたが入賞できませんでした。63年第2回カンタジーロのジローネA(スター部門)に"Verrai verrai verrai"を歌い入賞しませんでしたが、メキシコのアカプルコ音楽祭では優勝をしました。実際に前年はラテン・アメリカ諸国でミーナの"青い泡がいっぱい(Le mille bolle blu)"のスペイン語版をヒットさせていました。 65年スイスのユーロ・フェスティヴァルに"Tu sei"で出場するのを機にチェトラからジョリー(SAAR)に移籍しました。67年には"Che vita la mia"がヒットし多くのTV番組に出演出来ました。70年にアリストのジェット・レーベルに移籍し、その後フォニット・チェトラに再移籍、ヴィットリオ・ブルゲージ(Vittorio Borghesi)の楽団に入り歌手活動を続けました。 所属レコード会社は59~65年Cetra、65~66年Jolly (SAAR)、70~71年Jet (ARISTON) ブルーナ・レッリの国内盤FLP-12 (1962年7月25日 FONIT -テイチク) 25cmLP 第12回サンレモ歌の祭典(1962)第2集 (XII FESTIVAL DELLA CANZONE SANREMO 1962 Vol.2)4.最後の土地 L'ULTIMO PEZZO DI TERRA) FLP-12 ★ジャン・コステロ (vm) Gian Costello本名ジャンフランコ・デ・ファッチョ (Gianfranco De Faccio)、1934年5月11日アドリア海の北の奥の小都市ラティサーナ生、2004年ヴェネチアの西北西30kmの小さな町バトル・テルメ没、歌手。 1958年フランコ & 5G(Franco e i "G.5")のヴォーカルとして加入、歌手としてのキャリアが始まります。60年世界自転車競技大会関連イベントの「ミラノ音楽の6日間」に"Prima o poi"で初出場、翌61年も"愛の魂(Un'anima tra le mani)"※で出場し、彼の最大のヒットとなります(顔写真のジャケット画像)。「Burlamacco d'oro」では60年に"Cinzia"で銀賞、61年は"Per noi due"を歌い金賞を取りました。2年間の実績で62年サンレモ音楽祭にただ一度の出場をします。64年第1回夏のディスクフェスティヴァルに"ポルトフィ-ノの週末(WEEK-END IN PORTOFINO)"を歌い入賞しています。60年代後半、海外に行ったミュージシャンとバンドを作りました。 所属レコード会社は59~66年Pathé (V.C.M.)、69年Popular、71年Polaris。 ジャン・コステロの国内盤HM-1142 (1962年5月 ANGEL - 東芝音楽工業) アディオ・アディオ (ADDIO, ADDIO)/いつの日か (QUANDO QUANDO QUANDO) ジャン・コステロ (vm)/トニ-・レニス (TONY RENIS (vm)) HM-1142 HW-1087 HW-1087 (1962年8月 ANGEL - 東芝音楽工業) 25cm LP サンレモからのプレゼント (SANREMO BEST SONGS)1.アディオ・アディオ (ADDIO, ADDIO) ※"愛の魂(Un'anima tra le mani)"クァルテット・ラダール(Quartetto Radar)のクラウディオ・チェリ(Claudio Celli)作詞、ジャンニ・グアルニエリ(Gianni Guarnieri)作曲の、オリジナルはおそらくドン・マリ-ノ・バレット Jr.と思いますが、70年代以降ロークス(The ROKES)、ビーンズ(I BEANS)などのバンドやジュニ・ルッソ(GIUNI RUSSO)が"とどめ"のスロー・ナンバーとして歌っています。オリジナルは残念ながらこれらの国内盤は出ていませんが、変わった形で発売されていました。 FL- 1091 (1963年9月 PHILIPS - 日本ビクター) 夕陽のボレロ (L'UOMO DI AL CATRAZ)/さすらいのブルース (UN'ANIMA TRA LE MANI) アル・コルヴィン (AL KORVIN (tp))/ルチア-ノ・ダヴィ (LUCIANO DAVI (tp)) FL- 1091 YT-4015 YT-4015 (1977年3月 TAM -東宝) 太陽は燃えている'77 (CUANDO CALIENTA EL SOL [I])/愛の魂 (UN'ANIMA TRA LE MANI) モモ・ヤング (MOMO YOUNG (vm)) 原盤CAROSELLO,Italy
2013.04.21
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★タニヤ {ララ・サン・ポール} (vf) Tanya { Lara Saint Paul } 本名シルヴァーナ・サヴォレッリ(Silvana Savorelli )1946年4月30日、アフリカの旧イタリア領エリトリアのアスマラ(Asmara) 生、イタリアの歌手。1962年サンレモ音楽祭にはタニヤ(Tanya)の芸名で出場、その後ララ・サン・ポールとなる。Taniaの表記の場合もある。 イタリア人の父とエリトリア人の母の間に生まれました。歌の勉強は父の祖国イタリアのラヴェンナに戻ってから始め、好奇心も旺盛でマヘリア・ジャクソン、エラ・フィッツジェラルドとルイ・アームストロングなどの「ゴスペル」や「スピリチャル」に興味がありました。彼女の音楽の先生はミラノ・スカラ座で高齢ながら現役で歌っているティナ・ブリーニ教授でした。彼女のデビューは1960年世界自転車競技大会関連イベントの「ミラノ音楽の6日間」に参加したときです。当時は非常に珍しいソウル、ジャズ、ブルースのレパートリーを歌い評論家の注意をひき、「イタリアの歌う黒真珠」という愛称が付きました。61年レッド・レコーズと契約し芸名タニヤとして"Miracolo"でレコード・デビューします。16歳の時に62年サンレモ音楽祭に初出場し、ウィルマ・デ・アンジェリスをパートナーに"しあわせの花 (幸福の色)"を歌いますが、レコード会社がシート(FLEX)を主力だったので目立った成績を残せませんでした。 64年クラン・チェレンターノに移籍し、「クランの娘(LA RAGAZZA DEL CLAN)」として売出してもらえる筈でした。しかし社長チェレンターノが、ドン・バッキー(DON BACKY)のガール・フレンドのミレーナ・カントゥ(MILENA CANTU')を横取りした見返りに、ミレイナを「クランの娘」にしたため、タニヤは冷や飯を食らいます。 66年彼女の歌に惹かれた小さなレコード会社のオーナーで興行師、またミルバの初期のヒット曲 "フラメンコ・ロック(FLAMENCO ROCK)"の作詞家でもあるピエール・クィント・カリアッジ(Pier Quinto Cariaggi)とめぐり会い恋に落ちました。彼のレコード会社CDIに移籍、芸名をララ・サン・ポールに変えます。カリアッジは以前からイタリアでのプロモーターとしてレコードを出していたポーランドの人気歌手アンナ・ゲルマン(ANNA GERMAN)を67年第15回ナポリ音楽祭で"あなたは望む(TE FAIE DESIDERA')"を歌わせ、そのパートナにララ・サンポールを出場させました。この曲は8位入賞し成功を収めます。 CDI-2008 CDI-2008 (1967年7月 CDI - CDI) TE FAIE DESIDERA' (あなたは望む) ANNA GERMAN/LARA SAINT PAUL 翌68年カリアッジは恋人ララのために最大の難事業を成功させます。以前からプロモーターをしていたライオネル・ハンプトン(LIONEL HAMPTON)をサンレモ音楽祭のゲストに、"サッチモ"ルイ・アームストロング(LUIS ARMSTRONG)とサラ・ヴォーン(SARAH VAUGHM)を出場歌手に招く計画を立てます。サラはだめでアーサー・キット(EARTHA KITT)に代わりましたが、サッチモとララの歌う"歌が出る(MI VA DI CANTARE)"は見事入賞し、カリアッジもララも一躍時の人となりました。この二人は当然のことのようにその年に結婚をします。その後サンレモ音楽祭に72年"瞳にしびれて(SE NON FOSSE FRA QUESTE MI BRACCIA LO INVENTEREI)"、73年"木枯しの家(UNA CASA GRANDE)"で3度の入賞を果たします。出場はカリアッジがCDIを70年に閉鎖したため、イタリア・フォノグラムからでした。76年第5回東京音楽祭のため来日"かもめはどこに飛ぶ(DOVE VOLANO I GABBIANI)"で銀賞を受賞しました。77年カリアッジのサポートの下、彼女は"LASAPA"(LARA SAINT PAUL)レーベルと音楽出版社を立上げ"Saffo music(愛に捧ぐ)"というアルバムを発売しました。70年代後半から他のカンツォーネ歌手同様「冬の時代」に入りますが、82年アメリカの女優ジェーン・フォンダ(Jane Fonda.)が始めたエアロ・ビクスをイタリアに広め"A A AA Aerobica"のシングル盤も大ヒットしました。95年夫カリアッジが企画し、ララがレポーターとなってルチアーノ・パヴァロッティの私生活のドキュメント番組を製作しました。これが夫婦の最後の仕事でした。夫ピエール・クィント・カリアッジは彼女のために88年「ララ・サンポール功績賞(Merit of Achievement Award)」を設立し、1995年6月28日ミラノで亡くなりました。 所属レコード会社は61~62年The Red Record、65年Ciao!Ragazzi (Clan Celentano)、66~70年CDI、73年Polydor、77年Ducale、77年~ LASAPA ララ・サン・ポールの国内盤KW-2006 (1972年6月 RICORDI - ポリドール) 17cmCP サンレモ1972 (SAN REMO 1972)4.瞳にしびれて (SE NON FOSSE FRA QUESTE MI BRACCIA LO INVENTEREI) KW-2006 MW-2068 MW-2068 (1973年6月 RICORDI - ポリドール) 30cmLP サンレモ1973 (SAN REMO 1973)14.木枯しの家 (UNA CASA GRANDE) CM- 21 (1976年10月 SEVEN SEAS - キング) かもめはどこに飛ぶ (DOVE VOLANO I GABBIANI)/チャオ・アモーレ (CIAO AMORE) CM- 21 アルバムにつきましては私の過去ブログ「ララ・サン・ポール(LARA SAINT PAUL)サッチモとサンレモで歌った女」 (http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/3972702.html)をご覧ください。 ★ジーノ・ブラミエリ (vm) Gino Bramieri本名ルイジ・ブラミエリ(Luigi Bramieri)、1928年6月21日~1996年6月18日ミラノ生・没、コメディアン、映画・TV俳優。 14歳で地元のイタリア商業銀行で事務員として働き始め、1948年19歳で結婚、ほぼ 40 年後に離婚します。 演劇のデビューは43年終わり ロヴェッラスカの国内避難民慰問のショーでした。彼はフランコ&チッチョ(Franco e Ciccio)、ニーノ・タラント(Nino Taranto,)、トト(Totò)など一流コメディアンと映画やTVで共演をし、人気コメディアンの一人となります。60年代に入りCGDからレコードを出し、62年サンレモ音楽祭で2曲歌い、入賞した"馬にまたがり"がヒット。 69年ミルバと共演したミュージカル"旗の天使(Angeli in bandiera)"好評でした。 所属レコード会社は61~62年CGD、70~73年Bla Bla、77年Skorpion、78年Cetra、80年Lupus、69年ミュージカル「旗の天使(Angeli in bandiera)」 (Carosello, PLP 327; con Milva) ジーノ・ブラミエリの国内盤IF- 7 (1962年5月25日 CGD - キング) 25cmLP 1962年サンレモ国際音楽祭 (SAN REMO 1962)9.馬にまたがり (LUI ANDAVA A CAVALLO) IF- 7
2013.04.19
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前回字数制限で書き残した分の続きです。 ★ジョニー・ドレルリ (vm) Johnny Dorelli本名ジョルジョ・グイディ (Giorgio Guidi) 1937年2月20日ミラノの北隣の小都市メダ(Meda)生、歌手、俳優、司会者。 68年TV版オペッレッタ「メリー・ウィドウ」でミーナの出演交渉がうまくいかずカトリーヌ・スパークと共演することになり、すでに女優ロレッタ・マシェーロ(Lauretta Masiero)との間に長男ジャンルーカがいたのですが、ドレルリはカトリーヌと恋に落ち、結婚し次男ガブリエレ、、長女グェンダリーナが生まれました。しかしドレルリは1979年、女優グロリア・グイダ(Gloria Guida)に一目惚れし、またの再婚をしています。 ★ベティー・クルティス (vf) Betty Curtis本名ロベルタ・コルティ(ROBERTA CORTI)1934年3月22日ミラノ生、2006年6月15日ロンバルディア州のフランス国境に近い山間の小都市レッコ(LECCO)にて没。クァルテット・ラダール(Quartetto Radar)のクラウディオ・チェリ(Claudio Celli)夫人。 1960年代後半は毎年カンツォニッシマのような主要なTV番組に出演し、人気を維持しています。70年デビュー以来のCGDとの契約を終了します。理想的な音楽生活は終了しますが、その後10年間は色々なマイナー・レーベルからレコードを出しています。 詳細は私の過去ブログ ベティー・クルティス(BETTY CURTIS)、早過ぎた日本デビュー 1http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/5186399.html ベティー・クルティス(BETTY CURTIS)、早過ぎた日本デビュー 2 http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/5208813.html をご覧ください。 ベティー・クルティスの国内盤(#)、 ジョニー・ドレルリの国内盤(※)GW- 283~4 (1976年1月 SEVEN SEAS - キング) ヨーロッパ不滅のポップス・ダブル・デラックス (OLDIES BUT GOODIES EUROPE) 30cm2LP1-1.アル・ディ・ラ (AL DI LA') #GW- 283~4 GXF- 31~5 GXF- 31~5 (1976年6月21日 SEVEN SEAS - キング) カンツォーネの歴史 (LA STORIA DI CANZONE ITALIANA) 30cm5LPBox1-6.光りさす窓 (FENESTA CHE LUCHIVE)#2-13.バラのタンゴ [伊] (TANGO DELLA ROSE)#4-10.アル・ディ・ラ (AL DI LA') #5-3.涙に咲く花 (L'IMMENSITA') ※K19P- 305~6 (1982年12月5日 SEVEN SEAS - キング) ヨーロッパ・ヒット・パレード1966-1969第3集 (EUROPEAN HITS PARADE Vol.3) 30cm2LP2-10.マミー・ブルー (MAMY BLUE) ※K19P- 305~6 KKCP- 176 KKCP- 176(IRMA-494501・2) (1999年5月8日 LA DOUCE - キング・インタ-ナショナル(IRMA,Italy)) イルマ・カクテル・ラウンジVol.1/イルマ・ラ・ドゥース・コレクション (IRMA COCKTAIL LOUNGE Vol.1/IRMA LA DOUCE COLLECTION) CD 1.アリーヴァ・ラ・ボンバ (ARRIVA LA BOMBA) ※WQCP- 910 (2011年10月1日 WARNER - ワーナー・ミュージック・ジャパン) 逢いびき~魅惑のイタリアン・ポップス~ (L'APPARTAMENTO~ITALIAN POPS COLLECTION~) CD 5. モンテカルロ (MONTECARLO) ※ WQCP- 910
2013.04.17
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★ジョニー・ドレルリ (vm) Johnny Dorelli 本名ジョルジョ・グイディ (Giorgio Guidi) 1937年2月20日ミラノの北隣の小都市メダ(Meda)生、歌手、俳優、司会者。 68年TV版オペッレッタ「メリー・ウィドウ」でミーナの出演交渉がうまくいかずカトリーヌ・スパークと共演することになり、すでに女優ロレッタ・マシェーロ(Lauretta Masiero)との間に長男ジャンルーカがいたのですが、ドレルリはカトリーヌと恋に落ち、結婚し次男ガブリエレ、、長女グェンダリーナが生まれました。しかしドレルリは1979年、女優グロリア・グイダ(Gloria Guida)に一目惚れし、またの再婚をしています。 ★ベティー・クルティス (vf) Betty Curtis本名ロベルタ・コルティ(ROBERTA CORTI)1934年3月22日ミラノ生、2006年6月15日ロンバルディア州のフランス国境に近い山間の小都市レッコ(LECCO)にて没。クァルテット・ラダール(Quartetto Radar)のクラウディオ・チェリ(Claudio Celli)夫人。 1960年代後半は毎年カンツォニッシマのような主要なTV番組に出演し、人気を維持しています。70年デビュー以来のCGDとの契約を終了します。理想的な音楽生活は終了しますが、その後10年間は色々なマイナー・レーベルからレコードを出しています。 詳細は私の過去ブログ ベティー・クルティス(BETTY CURTIS)、早過ぎた日本デビュー 1http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/5186399.html ベティー・クルティス(BETTY CURTIS)、早過ぎた日本デビュー 2 http://blogs.yahoo.co.jp/cnz27hrio/5208813.html をご覧ください。 ベティー・クルティスの国内盤(#)、 ジョニー・ドレルリの国内盤(※) SR- 607~8 (1971年4月10日 SEVEN SEAS - キング) カンツォニッシマのすべて第1集 (CANZONISSIMA (I)) 30cm2LP1-1.二人の夜 (NOTTE PER DUE) #1-7.明日あなたは (DOMANI CHE FARAI) ※2-2.バンブーの茂みの中で (FRA LE CANNE DI BAMBU') #2-13.ローマよ今夜はふざけないで ('NA VOCE 'NA CHITARRA E' 'O POCO E' LUNA) ※ SR- 607~8 SR- 609~10 SR- 609^10 (1971年5月10日 SEVEN SEAS - キング) カンツォニッシマのすべて第2集 (CANZONISSIMA (II)) 30cm2LP2-3.太陽の明日 (VEDRAI... VEDRAI) #2-7.雪 (LA NEVE) ※SR- 611~2 (1971年6月10日 SEVEN SEAS - キング) 夏のディスク・フェスティヴァルのすべて (UN DISCO PER L'ESTATE) 30cm2LP1-2.青空の幸福 (LA CASA PIU' BELLA DEL MONDO) #1-7.秋風の頃 (PROBABILMENTE)2-6.ブランコ (L'ALTALENA) #2-14.もっと願って (CHIEDI DI PIU') SR- 611~2 SR- 615~6 SR- 615~6 (1971年8月10日 SEVEN SEAS - キング) ナポリ音楽祭のすべて第1集 (FESTIVAL DELLA CANZONE NAPOLETANA(I)) 30cm2LP2-12.あなたはメランコリー (TU SI' A MALINCUNIA)#2-14.泣かないで (NUN CHIAGNERE) ※SR- 623 (1971年2月10日SEVEN SEAS - キング) 第6回ヴェネチア音楽祭 (VI VENESIA MOSTRO INTERNAZIONALE FESTIVAL) 30cmLP14.喜びのシンフォニー(L'INNO DELLA GIOIA) ※ SR- 623 SR- 748~9 SR- 748~9 (1972年4月5日 SEVEN SEAS - キング) カンツォニッシマ1971~72 (CANZONISSIMA 1971~72) 30cm2LP1-12.目を閉じて君を想う (E PENSO A TE) ※2-3.マミー・ブルー (MAMY BLUE) ※GW- 273~4 (1975年4月25日 SEVEN SEAS - キング) カンツォーネの歴史/民音第一回イタリア音楽祭 (1゚ FESTIVAL DELLA CANZONE ITALIANA/THE HISTORY OF CANZONE) 30cm2LP2-6.涙に咲く花 (L'IMMENSITA') ※GW- 273~4 GW- 169~70 GW- 169~70 (1972年3月 SEVEN SEAS - キング) サン・レモ・ゴールデン・ヒッツ・ダブル・デラックス (SAN REMO GOLDEN BEST HITS DOUBLE DELUXE) 30cm2LP2-2. アル・ディ・ラ (AL DI LA')# MAX- 13 (1972年6月10日SEVEN SEAS - キング) サン・レモ・ヒッツMAX20 (SAN REMO HITS MAX20) 30cmLP10.涙に咲く花 (L'IMMENSITA') ※15.今宵あなたが聞く歌は (STANOTTE SENTIRAI UNA CANZONE)# MAX- 13 GEM- 25~6 GEM- 25~6 (1972年6月10日SEVEN SEAS - キング) サン・レモ・ヒッツMAX20 (SAN REMO HITS MAX20) 30cm2LP1-13. アル・ディ・ラ (AL DI LA') #GW- 233~4 (1973年1月SEVEN SEAS - キング) 忘れな草 から ガラスの部屋 まで/カンツォーネ・シネマ・ダブル・デラックス (CANZONE ON CINEMA DOUBLE DELUZXE) 30cm2LP1-14.すべてこの世は金次第 (SOLDI, SOLDI, SOLDI)#2-13.マリウ愛の言葉を (PARLAMI D'AMORE MARIU') ※ GW- 233~4 NAX-016 NAX-016 (1973年2月SEVEN SEAS - 国文社(キング)) サンレモ・フェスティバル (SELDOM IN SAN REMO) 30cmLP 特販物1.アル・ディ・ラ (AL DI LA') #2.ロマンティカ (ROMANTICA) ※GW- 239~40 (1973年3月SEVEN SEAS - キング) ラヴ・ミー・トゥナイト/くたばれサンレモ (NON FINALISTE DI SAN REMO) 30cm2LP1-9. 強く愛して (E' PIU' FORTE DI ME) GW- 239~40 GW- 247~8 GW- 247~8 (1973年3月SEVEN SEAS - キング) ラヴ・ミー・トゥナイト/くたばれサンレモ (NON FINALISTE DI SAN REMO) 30cm2LP1-12.アル・ディ・ラ (AL DI LA') # MAX- 34 (1973年9月SEVEN SEAS - キング) ベスト・オブ・カンツォ-ネ (THE BEST OF CANZONE) 30cmLP8.今宵あなたが聞く歌は (STANOTTE SENTIRAI UNA CANZONE)14. アモール、モン・アムール、マイ・ラヴ (AMOR, MON AMOUR, MY LOVE)15.チャオ・チャオ・バンビーナ (PIOVE) ※20.アル・ディ・ラ (AL DI LA') #MAX- 34 GEM- 137~8 GEM- 137~8 (1973年SEVEN SEAS - キング) GEM不滅のポップス/ヨ-ロッパ篇 (GEM OLDIES BUT GOODIES) 30cm2LP2-3. 愛のシャリオ (CHARIOT)#2-9. ゴンドリエ (IO TIAMO CON TUTTO IL CUORE)#2-11.コメ・プリマ (COME PRIMA) ※GW- 259~60 (1974年2月 SEVEN SEAS - キング) カンツォーネ・ゴ-ルデン・ベスト・ダブル・デラックス (CANZONE GOLDEN BEST DOUBLE DELUXE) 30cm2LP2-5.アル・ディ・ラ (AL DI LA') # GW- 259~60 GW- 261~2 GW- 261~2 (1974年6月 SEVEN SEAS - キング) サン・レモ優勝曲のすべて (I VINCITORI DI SAN REMO) 30cm2LP2-2.アル・ディ・ラ (AL DI LA') #2-3.ロマンティカ (ROMANTICA) ※
2013.04.17
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★ワンダ・ロマネッリ (vf) Wanda Romanelli1935年3月7日ローマ生、歌手。 1953年、彼女の恩師フランチェスコ・フェラーリの楽団からのスイング歌手としてラジオにデビューし、その後59年サンレモ音楽祭で指揮者となったウィリアム・ガラッシーニ(William Galassini)の楽団で歌い始めます。55年に彼女はメッシーナ音楽祭で"Il ponte sullo stretto"を歌い2位を獲得しました。また57年のピエディグロッタ祭に"Giangiacomomaria"と"Ciuffetto rosso"の2曲で参加し大きな成功を収めました。59年古巣チェトラ(CETRA)から前年に歌手ブルーノ・ロセッターニ(Bruno Rosettani)の作ったサブリナ(SABRINA)に移籍、61年ナポリの大作曲家C.A.ビクシオ(Cesare Andrea Bixio)の息子たちが興したチネボックス(CINEVOX)に再度移籍しました。61年第9回ナポリ音楽祭秋の特別祭ではフランコ・リッチのパートナーで"次の日曜日(N'ATA DUMMENECA)"を歌い入賞、クラウディオ・ビルラのパートナーで歌った"LL'ONNE"は入賞できませんでした。62年唯一のサンレモ音楽祭に出場し、ネリー・フィオラモンティ(Nelly Fioramonti)のパートナーとして"空の花(Fiori sull'acqua)"を歌いましたが入賞できませんでした。63年、ナポリ近郊で開かれた第2回エルコラーノ市音楽祭で彼女は"Cha cha cha d'ò seiciento"をルチア・ヴァレリ(Lucia Valeri)のパートナーとして歌い第3 位になります。 彼女の経歴の中でジャズ・トランペッターのヌンツィオ・ロトンド(Nunzio Rotondo)とジャズ・シンガーとしての仕事をしていました。 所属レコード会社は55~59年CETRA、61年Sabrina、61~62年CINEVOX、66年BEAT、67年KING UNIVERSAL ワンダ・ロマネッリの国内盤はありません
2013.04.15
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+ エミリオ・ペリコーリは先週4月9日故郷チェゼナーティコで亡くなりました。お悔やみ申し上げます。 存命のサンレモ音楽祭最年長優勝者の件は抹消します。★エミリオ・ペリコ-リ (vm) Emilio Pericoli1928年1月7日~2013年4月9日、サン・マリノの北30kmアドリア海沿いの小都市チェゼナーティコ生・没、歌手。2012年4月のジョルジョ・コンソリーニ(Giorgio Consolini)亡き後、存命のサンレモ音楽祭優勝者最年長者です。 ピアノとギターを弾くことを学んだ後、1947年に巨匠エンツォ・チェラジョーリ(Enzo Ceragioli)楽団の歌手として数年間イタリアや海外公演に参加しました。チェラジョーリがカリシュ(CARISCH)の文芸監督をしていた関係でオデオン・レーベルからレコード・デビューをしたようです。1954年レリオ・ルッタツィ(Lelio Luttazz)の興味のおかげで、ラジオ・コンテスト「Dieci canzoni da lanciare」に参加できました。翌年ステファノ・カルツィオ(Stefano Canzio)の映画「マスクの理由」で俳優としてデビューしました。それはペリコーリが回答者として参加していたマイク・ボンジョルノが司会をする同名ラジオ・クイズ番組に触発された映画でした。またイーザ・バルツィッツァ(Isa Barzizza)主演のミュージカル・コメディ「ヴァレンティーナ (I Valentina))」に舞台俳優として参加します。59年にリコルディと契約をすることが出来、彼の最も成功した期間となりました。30年代40年代の懐かしのカンツォーネ曲や"アネマ・エ・コーレ"や"スカリナテッラ"のようなナポリの歌を集め、イレール・パタッチーニ(Iller Pattacini)が編曲した2枚のアルバム、61年のLP"Amori d'altri tempi"、翌年のLP"Amori dei nostri anni ruggenti" を発売しました61年10月に始まったTV番組"スタジオ・ウーノ"にはレナータ マウロと共演をしました。 所属レコード会社は56?~58年 Odeon (CARISCH)、59~64年Ricordi、66年~ Warner Bros.、69年Globe Records エミリオ・ペリコ-リの国内盤WB-20 (1961年5月10日WARNER Bros. - ニッチク) アル・ディ・ラ (AL DI LA')/サッシ (SASSI) エミリオ・ペリコーリ (EMILIO PERICOLI)/ジーノ・パオーリ RICORDI原盤 WB-20 IS-1050 IS-1050 (1962年5月20日RICRDI -キング) クァンド・クァンド・クァンド (QUANDO QUANDO QUANDO)/悲しい17才 (SEDICI ANNI) 7B- 1 (1962年8月 WARNER Bros. -東芝音楽工業) アル・ディ・ラ (AL DI LA')/ローマ・アドヴェンチャー (ROME ADVENTURE) エミリオ・ペリコーリ (EMILIO PERICOLI)/ジャンピエロ・ボネッシ楽団 (GIANPIERO BONESSI (orch)) 映画「恋愛専科」サントラWARNER Bros.原盤 7B- 1 7B- 10 7B- 10 (1962年10月 WARNER Bros. -東芝音楽工業) ロマンティコ・アモーレ (ROMANTICO AMORE)/タンゴ・イタリアーノ (TANGO ITALIANO) MH- 10(Y) (1963年3月20日RICRDI -キング) 30cm LP ジューク・ボックス・トップ・カラー (JUKE BOX TOP COLLOR)8.クァンド・クァンド・クァンド (QUANDO, QUANDO, QUANDO) MH- 10(Y) 7B- 16 7B- 16 (1963年5月 WARNER Bros. -東芝音楽工業) ローマよ、さようなら (ARRIVEDERCI ROMA)/マティナータ (MATTINA) 7B- 17 (1963年5月 WARNER Bros. -東芝音楽工業) 帰れソレントへ (TORNA A SURRIENTO)/アネマ・エ・コーレ (ANEMA E CORE) 7B- 17 B-1004(SB-1004) B-1004 (1963年8月 WARNER Bros. -東芝音楽工業) 30cm LP Mono 恋愛専科 (恋愛専科) オリジナル・サウンドトラックSB-1004 (1963年8月 WARNER Bros. -東芝音楽工業) 30cm LP Stereo 恋愛専科 (恋愛専科) オリジナル・サウンドトラック1.アル・ディ・ラ (AL DI LA') HIT- 190 (1963年9月1日 SEVEN SEAS -キング) 星空のマンドリン (MANDULINATA BLU)/夜のヴァイオリン (VIOLINO TZIGANO) HIT- 190 HIT- 210 HIT- 210 (1963年9月 SEVEN SEAS -キング) クァンド・クァンド・クァンド (QUANDO QUANDO QUANDO)/恋のひととき (UN'ORA SOLA TI VORREI) 7B- 30 (1963年11月 WARNER Bros. -東芝音楽工業) 夜のローマ (ROME BY NIGHT)/マリオリーナ (MARIOLINA) 7B- 30 MG- 3(S) MG- 3(S) (1963年 SEVEN SEAS -キング) 25cm LPサンレモ音楽祭1963 (SAN REMO FESTIVAL '63)1.ぼくの選ぶ人 (UNO PER TUTTE)4.水の上 (SULL'ACQUA) BR- 7027 (1964年2月 WARNER Bros. -東芝音楽工業) 30cm LP ワーナー・オール・スター大行進16.アル・ディ・ラ (AL DI LA') BR- 7027 MH- 154 MH- 154 (1964年4月 SEVEN SEAS -キング) 30cm LP カンツォーネを聞こう第4集 (CANZONE! CANZONE! CANZONE! Vol.4)1.クァンド・クァンド・クァンド (QUANDO, QUANDO, QUANDO)2.ぼくの選ぶ人 (UNO PER TUTTE)3.あなた (TUA)8.夜のヴァイオリン (VIOLINO TZIGANO)9.愛のカンツォーネ (LA CANZONE DELL'AMORE) BP- 4018 (1964年8月 WARNER Bros. -東芝音楽工業) 17cm CP1.アル・ディ・ラ (AL DI LA')2.マリア・マリ (OH MARIE)3.マティナータ (MATTINATA)4.ローマよ、さようなら (ARRIVEDERCI ROMA) BP- 4018 17M-1015 17M-1015 (1964年10月1日 SEVEN SEAS -キング) 17cm CP サン・レモのすべて第6集 (TUTTE LE SAN REMO Vol. 6)2.クァンド・クァンド・クァンド (QUANDO QUANDO QUANDO)3.ぼくの選ぶ人 (UNO PER TUTTE)4.あなた (TUA) またの機会に(エミリオ・ペリコーリ2が)続きます
2013.04.15
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あるいはネリー・フィオラモンティの"空の花(Fiori sull'acqua)"も現物が見つからないのか、何かの間違いか、悪意を以ってか分かりませんが69年のカテリーナ・カセルリ(Caterina Caselli)のヒット曲が使われています。オリジナルに拘る方はよほど気を付けないと、セルフ・カヴァー曲を買わされます。(リンクしているサンプル音声も気を付けていますが、聞いた事のない曲は比較対象が出来ません) またカヴァーした歌手の方がヒットしオリジナルの存在が希薄になってしまうことも起きています。 このような場合、往々にしてカヴァー歌手が資料にはオリジナル歌手として残されてしまうことが考えられます。私の「サンレモ音楽祭出場曲・歌手等のデータ」は国内盤リーフレットに付いていた一覧表を基にし、イタリアのサンレモ音楽祭データ本を元資料にしています。データの扱いは基本的に「最新資料が一番正しい」という前提で作業を進めいています。 第12回 1962年2月8日(木)~28日(土)、2月18日(月) サンレモ市カジノ付属劇場司会:レナート・トリアーニ (Renato Togliani) と ラウラ・エフィキアン(Laura Efrikian)とヴィッキー・ルドヴィージ(Vicky Ludovisi)楽団指揮: チニコ・アンジェリーニ (Cinico Angelini)、ジャンニ・フェッリオ (Gianni Ferrio)オーガナイザー:サンレモ市ホテル観光協会 (ATA-Azienda Turistico Alberghiera)、監督ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)形式:出場曲数32曲。1曲2歌唱で2夜に16曲を歌い、各夜6曲ずつを入賞曲を選出し、宝くじ組合せカード投票の受付後、9日後の最終夜に優勝以下得票により順位をつけ決定する。 出場歌手は45歌手(グループは1歌手)で、初出場19歌手、出場レコード会社19社で、初出場5社 FONIT CETRA 9; CGD (CGD;GALLERIA DEL CORSO) 5;V.C.M.( V.d.P.;COLUMBIA;PATHE') 5; MELCHIONI (PHILIPS;FONTANA) 4; CAR JUKE BOX (JUKE BOX) 3; VIS RADIO 3; DURIUM 2; RICORDI 2; RCA ITALIANA(RCA ITALIANA;CAMDEN;EUROPA) 1; MEAZZI (MEAZZI ;HOLLYWOOD) 1; ITALDISC 1; CARISCH 1;CAROSELLO 1; RI FI (PRIMARY) 1; 新THE RED RECORD 1;新CINEVOX 1;新CELLOGRAF (PHONOCOLOR) 1;新SABRINA 1;新ACQUARIO 1 トレブルーノ (ACQUARIO) エッダ・モンタナ-リ (Fonit) <参加曲>◆ 最後の土地 (地球のかけら) L'ultimo pezzo di terra (M.Zanfagna - N.Gallo - G.Conte - A.Forte) 出版社 VIS RADIO ブルーナ・レッリ (vf) Bruna Lelli (CETRA - FONIT CETARA) SP-1105 [45] : ヌンツィオ・ガロ (vm) Nunzio Gallo (VIS RADIO - VIS RADIO) VL・MQN-056115 [45] SP-1105 VL・MQN-056115 ◆ 赤い洋服 (赤い衣裳) Vestita di rosso (A.Testa - R.Cozzoli) 出版社 LEONARDI ファウスト・チリアーノ (vm) Fausto Cigliano (FONIT - FONIT CETRA) SP-31036 [45] :マリオ・アッバーテ (vm) Mario Abbate (VIS RADIO - VIS RADIO) VL・MQN-056118 [45] VL・MQN-056118 ◆ わたしの人生 (いのち) Vita (B.Cherubini - C.Concina) 出版社 MESSAGGERIE MUSICALI ジョルジョ・コンソリーニ (vm) Giorgio Consolini (FONIT - FONIT CETRA) SP-31037 [45] : ナルチソ・パリージ (vm) Narciso Parigi (PATHE' - V.C.M.) 45AQ-1188 [45] FS- 18 1962年 第12回大会 は以上32曲です チネボックス・レコードは色々サントラ盤が出ていましたが約10年後、75年のホラー代表作のような「サスペリア(SUSPIRIA)」、「サスペリア2(PROFONDO ROSSO)」がヒットし、この音楽をプログレのゴブリン(GOBLIN)が担当していました。 EOR-20264 EOR-20474 「サスペリア2」は、プログレ・グループ、ゴブリンの出世アルバム"赤い深淵(PROFONDO ROSSO)"ともなりました。 EOS-80951 EOS-81107 80年代に入ると会社も大きくなり毎年サンレモ音楽祭入賞曲を出し、88年にはリッキとポーヴェリも移籍して"イエスが生まれ(NASCERA' GESU')"が入賞、95年まで毎年のように出場していました。元々は映画音楽が主力の会社だったので、本業回帰して現在も健在です。 ・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。
2013.04.13
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イタリア生まれのスペイン人歌手トレブルーノは前年のロッコ・グラナータと逆ケースですが、外人ソロ歌手の初ケースかもしれません。本当に外人歌手の出場は全曲必ず外人パートナ制をとった1964年第14回大会からになります。 この12回大会の出場歌手データは少し古い資料やイタリア版ウィキペディアとは少し違うところがある筈です。前年のセルジョ・レンダの"十二月の海(Mare di dicembre)"のようにレコードは作られながら発売はされなかったとか、ジーノ・ラティルラの"ひきだしの中の海(Il mare nel cassetto)"のようにミルバだけが大ヒットしラティルラの盤の存在感が無く、資料が見当たらないこともあります。有料ダウン・ロード・サイトでは二人がデュエットしたように扱っています。 第12回 1962年2月8日(木)~28日(土)、2月18日(月) サンレモ市カジノ付属劇場司会:レナート・トリアーニ (Renato Togliani) と ラウラ・エフィキアン(Laura Efrikian)とヴィッキー・ルドヴィージ(Vicky Ludovisi)楽団指揮: チニコ・アンジェリーニ (Cinico Angelini)、ジャンニ・フェッリオ (Gianni Ferrio)オーガナイザー:サンレモ市ホテル観光協会 (ATA-Azienda Turistico Alberghiera)、監督ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)形式:出場曲数32曲。1曲2歌唱で2夜に16曲を歌い、各夜6曲ずつを入賞曲を選出し、宝くじ組合せカード投票の受付後、9日後の最終夜に優勝以下得票により順位をつけ決定する。 出場歌手は45歌手(グループは1歌手)で、初出場19歌手、出場レコード会社19社で、初出場5社 FONIT CETRA 9; CGD (CGD;GALLERIA DEL CORSO) 5;V.C.M.( V.d.P.;COLUMBIA;PATHE') 5; MELCHIONI (PHILIPS;FONTANA) 4; CAR JUKE BOX (JUKE BOX) 3; VIS RADIO 3; DURIUM 2; RICORDI 2; RCA ITALIANA(RCA ITALIANA;CAMDEN;EUROPA) 1; MEAZZI (MEAZZI ;HOLLYWOOD) 1; ITALDISC 1; CARISCH 1;CAROSELLO 1; RI FI (PRIMARY) 1; 新THE RED RECORD 1;新CINEVOX 1;新CELLOGRAF (PHONOCOLOR) 1;新SABRINA 1;新ACQUARIO 1 マリオ・アッバ-テ (Vis Radio) ジェシ-・セベ-ナ (Sabrina) ピエ-ルフィリッピ (RCA Europa) <参加曲>◆大きな雨傘 L'ombrellone (L.Chiosso - P.Calvi) 出版社 MESSAGGERIE MUSICALIグロリア・クリスティアン (vf) Gloria Christian (VIS RADIO - VIS RADIO) VL・MQN-056119 [45] : ジョニ-・ドレルリ (vm) Johnny Dorelli (CGD - CGD) N-9339 [45] ◆ あなたも私も捉まえる (君が魚をとれば私もとる) Pesca tu che pesco anch'io (B.Cherubini - E.Di Lazzaro) 出版社 MESSAGGERIE MUSICALI トレブルーノ (vm=sp) Torrebruno (ACQUARIO - ?) AN-303 [45] : ジーノ・ブラミエリ (vm) Gino Bramieri (CGD - CGD) N-9340 [45] N-9340 ◆最初の楽園 (天国を前にして/パラダイスの前に) Prima del paradiso (Pinchi - R.Vantellini) 出版社 NAZIONALE エッダ・モンタナーリ (vf) Edda Montanari (FONIT - FONIT CETRA) SP-31040 [45] : フロー・サンドンス (vf) Flo Sandon's (DURIUM - DURIUM) Ld・A-7145 [45] Ld・A-7145 ◆ 四月の風が吹く時(四月の季節) Quando il vento d'aprile (A.Vian - S.Palomba) 出版社 CURCI クラウディオ・ビルラ (vm) Claudio Villa (CETRA - FONIT CETRA) SP-1100 [45] : アウラ・ダンジェロ (vf) Aura D'Angelo (CAROSELLO - CAROSELLO) CI-20057 [45] SP-1100 CI-20057 ◆ トビーア Tobia (A.Testa - Mogol - C.Donida) 出版社 RICORDI コッキ・マゼッティ (vf) Cocky Mazzetti (PRIMARY - RI FI) CRA-91857 [45] : ジョー・センティエリ (vm) Joe Sentieri (RICORDI - RICORDI) SRL-10・238 [45] CRA-91857 IS-1051 SRL-10・238 最後がチネボックス(CINEVOX)です。ビクシオ出版グループ(Gruppo Editoriale Bixio)傘下の会社として61年に設立。日本でもお馴染で、プログレとサントラ・ブームのお陰でしっかり儲けたと思います。私の知る限りでは1966年の「悲しみは星影と共に(OLTRE LA NOTTE)」が日本初登場でしょう。 FON- 1058SFON- 7074 次回に続きます ・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。
2013.04.13
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宝くじ付き投票券の販売は前年の5割弱増しの大成功でした。ただ圧倒的にモドゥーニョ、ビルラ組が強く、得票率は34.8%、勝負になった対抗のミルバ、ブルーニ組は29.2%で、他の曲は皆シングル%、この2曲でほぼ三分の二の得票をカッ攫いました。正に「勝ち馬に乗れ」状態だったようで、ただ他の曲のその後の週間ヒット・チャートはトニー・レニスが1位、ブルーニの"ゴンドリ・ゴンドラ"が10位、ブラミエリが28位と健闘したようです。初参加の歌手もその後活躍した人たちがいます。前回紹介したララ・サン・ポールとなる黒人歌手タニヤとしてサンレモ音楽祭初出場、これから書いていく「サンレモの歌手たち」を読んでいただきたいのですが、すぐに有名作曲家となるジーン・コロンネッロ("夢みる想い"の本当の作曲家です)、数年後イタリアを捨ててフランスに行き、フレンチ・ポップス歌手となったマリオ・ダルバ(この人は調べると大変面白い事実が出てきて驚きました)など、ある意味、当時は考えられなかった面白い話題を提供してくれています。またイタリア生まれですがスペイン人歌手トレブルーノのレコードは皆目見つかりません(どころかレコード会社が今イチわかりません)。顔写真が見付けたから良いようなもののロッサーナ。この手の名前だけの芸名は困ります。検索をかけるど大体は「黄金の七人」のロッサーナ・ポデスタ、絞り込みをかけるにしてもレコード会社がフィリップスなので、ロッサーナ・カザーレがいて彼女は見つけ出せません。 第12回 1962年2月8日(木)~28日(土)、2月18日(月) サンレモ市カジノ付属劇場司会:レナート・トリアーニ (Renato Togliani) と ラウラ・エフィキアン(Laura Efrikian)とヴィッキー・ルドヴィージ(Vicky Ludovisi)楽団指揮: チニコ・アンジェリーニ (Cinico Angelini)、ジャンニ・フェッリオ (Gianni Ferrio)オーガナイザー:サンレモ市ホテル観光協会 (ATA-Azienda Turistico Alberghiera)、監督ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)形式:出場曲数32曲。1曲2歌唱で2夜に16曲を歌い、各夜6曲ずつを入賞曲を選出し、宝くじ組合せカード投票の受付後、9日後の最終夜に優勝以下得票により順位をつけ決定する。. 出場歌手は45歌手(グループは1歌手)で、初出場19歌手、出場レコード会社19社で、初出場5社 FONIT CETRA 9; CGD (CGD;GALLERIA DEL CORSO) 5;V.C.M.( V.d.P.;COLUMBIA;PATHE') 5; MELCHIONI (PHILIPS;FONTANA) 4; CAR JUKE BOX (JUKE BOX) 3; VIS RADIO 3; DURIUM 2; RICORDI 2; RCA ITALIANA(RCA ITALIANA;CAMDEN;EUROPA) 1; MEAZZI (MEAZZI ;HOLLYWOOD) 1; ITALDISC 1; CARISCH 1;CAROSELLO 1; RI FI (PRIMARY) 1; 新THE RED RECORD 1;新CINEVOX 1;新CELLOGRAF (PHONOCOLOR) 1;新SABRINA 1;新ACQUARIO 1 ジーノ・ブラミエリ (CGD) ルチア・アルティエリ (Phonocolor) ジーン・コロンネッロ (Carosello) <参加曲>◆ 恋は無益 (無駄なこと) Cose inutili (U.Tognazzi - G.Meccia) 出版社 ARISTON ファウスト・チリアーノ (vm) Fausto Cigliano (FONIT - FONIT CETRA) SP-31036 [45] : ジェニ-・ルナ (vf) Jenny Luna (JUKE BOX - CAR JUKE BOX) JN-2129 [45] ◆ 二本の糸杉 Due cipressi (G.C.Testoni - P.Pizzigoni - A.Camis) 出版社 FLAGロッサーナ (vf) Rossana (PHILIPS - MELCHIONI) 363-583・PF [45] : ジャン・コステロ (vm) Gian Costello (PATHE' - V.C.M.) 45AQ-1189 [45] 45AQ-1189 ◆ 空の花 Fiori sull'acqua (V.D'Acquisto - G.Fallabrino) 出版社 LEONARDI ネリー・フィオラモンティ (vf) Nelly Fioramonti (GALLERIA DEL CORSO - CGD) GC-048 [45] : ワンダ・ロマネッリ (vf) Wanda Romanelli (CINEVOX - CINEVOX) SC-1006 [45] ◆ 君に恋してInnamorati (M.Panzeri - G.D'Anzi) 出版社 CURCIグロリア・クリスティアン (vf) Gloria Christian (VIS RADIO - VIS RADIO)VL・MQN-056120 [45] : ジーン・コロンネッロ (vm) Gene Colonnello (CAROSELLO - CAROSELLO) CI-20058 [45] VL・MQN-056120 ◆ 赤い微光 Lumicini rossi (G.C.Testoni - Fabor) 出版社 TITANUS - ESEDRA ウィルマ・デ・アンジェリス (vf) Wilma De Angelis (PHILIPS - MELCHIONI) 363-581・PF [45] : ルチア・アルティエリ (vf) Lucia Altieri (PHONOCOLOR - CELLOGRAF) MS-1170 [45] 363-581・PF MS-1170 ◆ 二人の恋 (わたしたちの愛) Il nostro amore (Pinchi - V.Panzuti) 出版社 CIELO - GIRI ジャコモ・ロンディネラ (vm) Giacomo Rondinella (FONIT - FONIT CETRA) SP-31038 [45] : ジェシー・セベーナ (vf) Gesy Sebena (SABRINA - SABRINA) MS-328 [45] SP-31038 MS-328 ◆ 涙なき瞳 Occhi senza lacrime (E.Macchi - A.Gretticci) 出版社 SETTE BELLO コッキ・マゼッティ (vf) Cocky Mazzetti (PRIMARY - RI FI) CRA-91857 [45] : ピエールフィリッピ (vm) Pierfilippi (RCA EUROPA - RCA ITALIANA) PM-3057 [45] CRA-91857 PM-3057 参加曲の残りは次回に続く 今回初参加のレコード会社でフォノコロール(PHONOCOLOR)は出版会社チェログラフ社の傘下のナターレ・シャシア(Natale Sciascia)<*1>が58年に設立したレーベルで、62年新たに興したスタイル(STYLE)・レーベルに吸収されました。歌手はルチア・アルティエリのあとヴァンナ・スコッティ(Vanna Scotti)<*2>、フランコ4世とフランコ1世(Franco IV e Franco I)、そして最大のスター、ジョン・フォスター(John Foster)が世界的ヒット"アモーレ・スクーザミ(AMORE SCUSAMI)"のヒットを出すなど一時代を作りましたが、71年頃活動を停止しました。 ブルーナ・レッリ (Cetra) ジャコモ・ロンディネラ(FONIT) * 1 ヴェデッテ(VEDETTE)を設立したアルマンド・シャシア(ARMANDO SCIASIA)とは関係がなさそうです。* 2 スタイル原盤の国内盤が出ていないと思っていましたが、1枚出ていました。HIT- 287 (1964年2月 SEVEN SEAS - キング) 女ともだち (LE AMICHE)/禁じられた肉体 (CARMEN DI TRASTERVRE) オリジナル・サウンドトラック/ヴァンナ・スコッティ HIT- 287 STMS-536 STMS-536 (1962年 STYLE - CELLOGRAF) CARMEN DI TRASTERVRE (禁じられた肉体)/DONDO DONDOLANDO ヴァンナ・スコッティ/ジーノ・メスコリ楽団 (GINO MESCOLI) ・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。
2013.04.11
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この第12回は書く前から苦労することは予測されました。案の定相当な努力が必要でした。その話は追々書くとして、音楽祭史上一番多い歌唱数となりました。出場曲32曲でダブル・キャストなので64歌唱となります。80年代、90年代に出場曲40曲もありましたが、シングル・キャストでした。これは新パトロン、ラヴェーラの意図するところで、以前の11大会で最高の結果を出した作詞、作曲家の順位に加重ポイントを付けランク付けをして提出曲を決めてい行くという方法を取ったようです。歌手の顔触れはナポリターナの歌手始め、芸歴の長い中堅歌手の初出場も多く、前年と違った「大人の雰囲気」を漂わす歌手が大勢出ています。また新人歌手は知名度が低い歌手が多く、音源も写真も探し出せたのが奇跡のような人もいます。その中でもタニヤ(後のララ・サン・ポール)はアフリカの旧イタリア領エリトリアで生まれた黒人ハーフ歌手として、有色人種の初出場となりました。アメリカの公民権運動が盛り上がり、「ワシントン大行進」が63年8月28日キング牧師の有名な演説「I Have a Dream」(私には夢がある」が行われピークとなります。一方11月22日にJ.F.ケネディーが暗殺されます。サンレモの方が一歩先んじていたようです。今更ながら時代の流れを感じさせます。 第12回 1962年2月8日(木)~28日(土)、2月18日(月) サンレモ市カジノ付属劇場司会:レナート・トリアーニ (Renato Togliani) と ラウラ・エフィキアン(Laura Efrikian)とヴィッキー・ルドヴィージ(Vicky Ludovisi)楽団指揮: チニコ・アンジェリーニ (Cinico Angelini)、ジャンニ・フェッリオ (Gianni Ferrio)オーガナイザー:サンレモ市ホテル観光協会 (ATA-Azienda Turistico Alberghiera)、監督ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)形式:出場曲数32曲。1曲2歌唱で2夜に16曲を歌い、各夜6曲ずつを入賞曲を選出し、宝くじ組合せカード投票の受付後、9日後の最終夜に優勝以下得票により順位をつけ決定する。 出場歌手は45歌手(グループは1歌手)で、初出場19歌手、出場レコード会社19社で、初出場5社 FONIT CETRA 9; CGD (CGD;GALLERIA DEL CORSO) 5;V.C.M.( V.d.P.;COLUMBIA;PATHE') 5; MELCHIONI (PHILIPS;FONTANA) 4; CAR JUKE BOX (JUKE BOX) 3; VIS RADIO 3; DURIUM 2; RICORDI 2; RCA ITALIANA(RCA ITALIANA;CAMDEN;EUROPA) 1; MEAZZI (MEAZZI ;HOLLYWOOD) 1; ITALDISC 1; CARISCH 1;CAROSELLO 1; RI FI (PRIMARY) 1; 新THE RED RECORD 1;新CINEVOX 1;新CELLOGRAF (PHONOCOLOR) 1;新SABRINA 1;新ACQUARIO 1 コッラ-ド・ロヤコノ (Pathè) ロッサーナ (Philips) ロッコ・モンタ-ナ (CGD) <参加曲>◆ 小さな指輪 L'anellino (Nisa - C.Lojacono) 出版社 ARISTONコッラード・ロヤコノ (vm) Corrado Lojacono (PATHE' - V.C.M.) 45AQ-1187 [45] : ルチアーノ・タヨーリ (vm) Luciano Tajoli (JUKE BOX - CAR JUKE BOX) JN-2125 [45] 45AQ-1187 JN-2125 ◆ 千回 (10万ボルト) Centomila volte (S.De Bernardi - S.Censi) 出版社 FONO CINE ヨランダ・ロッシン (vf) Jolanda Rossin (CARISCH - CARISCH) VCA-26146 [45] : アルトゥーロ・テスタ (vm) Gino Arturo Testa (PHILIPS - MELCHIONI) 363-582・PF [45] VCA-26146 363-582・PF ◆ 大空は廻るIl cielo cammina (P.Tombolato - U.Bertini - M.Ruccione) 出版社 BIXIO CEMSA ルチアーノ・タヨーリ (vm) Luciano Tajoli (JUKE BOX - CAR JUKE BOX) JN-2127 [45] : ベティー・クルティス (vf) Betty Curtis (CGD - CGD) N-9337 [45] JN-2127 N-9337 ◆ しあわせの花 (幸福の色) I colori della felicità (L.Ranzato - E.Sciorilli) 出版社 MASCOTTE タニヤ {ララ・サン・ポール} (vf) Tanya (THE RED RECORD - THE RED RECORD) RR-10177 [45] : ウィルマ・デ・アンジェリス (vf) Wilma De Angelis (PHILIPS - MELCHIONI) 363-581・PF [45] RR-10177 363-581・PF ◆ 星を数えて Conta le stelle (U.Bertini - E.Di Paola)出版社 DURIUM ジェニー・ルナ (vf) Jenny Luna (JUKE BOX - CAR JUKE BOX) JN-2130 [45] : シルヴィア・グイディ (vf) Silvia Guidi (FONTANA - MELCHIONI) 270-583・XF [45] JN-2130 ◆ 恋は無益 (無駄なこと) Cose inutili (U.Tognazzi - G.Meccia) 出版社 ARISTON ファウスト・チリアーノ (vm) Fausto Cigliano (FONIT - FONIT CETRA) SP-31036 [45] : ジェニ-・ルナ (vf) Jenny Luna (JUKE BOX - CAR JUKE BOX) JN-2129 [45] 参加曲の残りは次回に続く 初参加のレコード会社の内後年(現在も)残っているのは、CINEVOXぐらいでこの会社は日本でもサントラ盤の会社でよく知られていると思います。まずはタニヤ(ララ・サン・ポール)がいたレッド・レコード(THE RED RECORD)は日本でも当時可なり出回っていた「ソノ・シート」フィルム・ベースの簡易レコード(今ではFlexと表記されているようです)が主力の会社でした。日本で言うとソノ、コダマ・プレスのように少数ですがハードのビニール盤も出していた会社です。50年代後半にでき、文芸監督はエロス・ショリルリ(Eros Sciorilli.)で、主力のシートはIL MUSICHIEREのレーベル名で一部オリジナル音源もあったようですが、多くは各レコード会社の音源で作っていたようです。セルジョ・エンドリゴはじめ無名時代にお世話になっていたり、人気が落ちたベテラン歌手が細々とだしていたケースもあるようです。 サブリナ(SABRINA)は55年のサンレモ音楽祭出場歌手ブルーノ・ロセッターニ(Bruno Rosettani)が59年興した会社で66年頃まで活動していましたが、日本には契約もなく馴染みのない名前でした。 ジャン・コステロ (Pathè) タニヤ {ララ・サン・ポ-ル} (The Red Record) 次回に続く ・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。
2013.04.09
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前年が余りにも若者を対象としたポップ・ロック傾向が強すぎ、何らかの「抵抗感」を示されたことがあったのかどうか分かりませんが、前回と反対にサンレモの主、チニコ・アンジェリーニ楽団を60年から、ジャンニ・フェッリオ楽団を59年から再び起用し、出場曲も大人の曲(いわゆる歌謡曲)で、出場歌手も保守に回帰した印象を与えます。 第12回 1962年2月8日(木)~28日(土)、2月18日(月) サンレモ市カジノ付属劇場司会:レナート・トリアーニ (Renato Togliani) と ラウラ・エフィキアン(Laura Efrikian)とヴィッキー・ルドヴィージ(Vicky Ludovisi)楽団指揮: チニコ・アンジェリーニ (Cinico Angelini)、ジャンニ・フェッリオ (Gianni Ferrio)オーガナイザー:サンレモ市ホテル観光協会 (ATA-Azienda Turistico Alberghiera)、監督ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)形式:出場曲数32曲。1曲2歌唱で2夜に16曲を歌い、各夜6曲ずつを入賞曲を選出し、宝くじ組合せカード投票の受付後、9日後の最終夜に優勝以下得票により順位をつけ決定する。 出場歌手は45歌手(グループは1歌手)で、初出場19歌手、出場レコード会社19社で、初出場5社 FONIT CETRA 9; CGD (CGD;GALLERIA DEL CORSO) 5;V.C.M.( V.d.P.;COLUMBIA;PATHE') 5; MELCHIONI (PHILIPS;FONTANA) 4; CAR JUKE BOX (JUKE BOX) 3; VIS RADIO 3; DURIUM 2; RICORDI 2; RCA ITALIANA(RCA ITALIANA;CAMDEN;EUROPA) 1; MEAZZI (MEAZZI ;HOLLYWOOD) 1; ITALDISC 1; CARISCH 1;CAROSELLO 1; RI FI (PRIMARY) 1; 新THE RED RECORD 1;新CINEVOX 1;新CELLOGRAF (PHONOCOLOR) 1;新SABRINA 1;新ACQUARIO 1 エルネスト・ボニーノ (MEAZZI) ミリアム・デル・マ-レ (Juke Box) <入賞曲>6位 馬で去った男(小馬に乗って) Lui andava a cavallo (Nisa - N.Ravasini) 出版社 CURCI 194,990票 アウレリオ・フィエルロ (vm) Aurelio Fierro (DURIUM - DURIUM) Ld・A-7144 [45] : ジーノ・ブラミエリ (vm) Gino Bramieri (CGD - CGD) N-9340 [45] Ld・A-7144 N-9340 7位 軽やかな心 Un'anima leggera (P.Rolla - F.Bergamini) 出版社 CONNELLY Mus. 143,354票 ヨランダ・ロッシン (vf) Jolanda Rossin (CARISCH - CARISCH) VCA-26146 [45] : アルトゥーロ・テスタ (vm) Arturo Testa (PHILIPS - MELCHIONI) 363-582・PF [45] VCA-26146 363-582・PF 8位 太陽のおしろい (太陽の香り) Cipria di sole (G.Marotta - S.Mazzocco) 出版社 R.P.D. 118,826票 アウレリオ・フィエルロ (vm) Aurelio Fierro (DURIUM - DURIUM) Ld・A-7144 [45] : ジョー・センティエリ (vm) Joe Sentieri (RICORDI - RICORDI) SRL-10・238 [45] Ld・A-7144 SRL-10・238 9位 君を待ちつつ (あなたを待って) Aspettandoti (V.D'Acquisto - S.Seracini) 出版社 MESSAGGERIE MUSICALI 111,785票 トニーナ・トリエリ (vf) Tonina Torrielli (CETRA - FONIT CETRA) SP-1103 [45] : ネリー・フィオラモンティ (vf) Nelly Fioramonti (GALLERIA DEL CORSO - CGD) GC- 048 [45] SP-1103 10位 恋人よ今日は Buongiorno amore (M.Panzeri - J.Dorelli)出版社 MESSAGGERIE MUSICALI 91,750票 ジョニー・ドレルリ (vm) Johnny Dorelli (CGD - CGD) N-9339 [45] : ベティー・クルティス (vf) Betty Curtis (CGD - CGD) N-9337 [45] N-9337 11位 時は過ぎ (時は過ぎゆく) Passa il tempo (U.Bertini - S.Taccani) 出版社 DURIUM 80,848票 フロー・サンドンス (vf) Flo Sandon's (DURIUM - DURIUM) Ld・A-7145 [45] : マリオ・ダルバ (vm) Mario D'Alba (ITALDISC - ITALDISC) MD-109 [45] Ld・A-7145 MD-109 12位 恋に生きる Inventiamo la vita (G.C.Testoni - V.Mascheroni)出版社 MESSAGGERIE MUSICALI 72,964票 ヌンツィオ・ガロ (vm) Nunzio Gallo (VIS RADIO - VIS RADIO) VL・MQN-056116 [45] : ロッコ・モンターナ (vm) Rocco Montana (CGD - CGD) N-9341 [45] VL・MQN-056116 N-9341 古株VIS RADIO、CARISCHが復活、初参加は5社でTHE RED RECORD、CINEVOX、PHONOCOLOR (CELLOGRAF)、SABRINA、ACQUARIOです。最後のACQUARIOはトレブルーノが出場している会社(レーベル?)なのですが、実態が全く分かりません。というのか彼自体58~60年CGDから、60~61年LUXUS(これも資料が見つからない謎のレーベルです)、62~63年はどこに所属していたのか不明で、そして唯一見付けた資料にあったのが「ACQUARIO」でした。manifestazioni 62:Sanremo をご覧ください。スペインではずっとヒスパ・ボックスのCGDレーベルから出ているので、LUXUSとACQUARIOはCGDに関係あるのかもしれません。 次回に続く ・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。
2013.04.07
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オーガナイザーを2回続けたエンツォ・ラダエリ(Ezio Radaelli)から、ATAが表に出ていますが、実質的な運営はジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)に代わりました。しかし前回の宝くじ付き投票券を販売する方式はそのまま引き継いでいます。ラヴェーラは我々日本人にとって一番接していた68年まで運営をし、69年にはラヴェーラに交代します。なにしろ屈指のイタリア興行師のすることですから、イヴェントとしては第二期の頂点となります。しかし、前回ロック・ン・ロールとジェノヴァ派カンタウトゥーレ、ローマ楽派(RCA ITALIANA)の出場を促した目新しさはありませんでした。 第12回 1962年2月8日(木)~28日(土)、2月18日(月) サンレモ市カジノ付属劇場司会:レナート・トリアーニ (Renato Togliani) と ラウラ・エフィキアン(Laura Efrikian)とヴィッキー・ルドヴィージ(Vicky Ludovisi)楽団指揮: チニコ・アンジェリーニ (Cinico Angelini)、ジャンニ・フェッリオ (Gianni Ferrio)オーガナイザー:サンレモ市ホテル観光協会 (ATA-Azienda Turistico Alberghiera)、監督ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)形式:出場曲数32曲。1曲2歌唱で2夜に16曲を歌い、各夜6曲ずつを入賞曲を選出し、宝くじ組合せカード投票の受付後、9日後の最終夜に優勝以下得票により順位をつけ決定する。 出場歌手は45歌手(グループは1歌手)で、初出場19歌手、出場レコード会社19社で、初出場5社 FONIT CETRA 9; CGD (CGD;GALLERIA DEL CORSO) 5;V.C.M.( V.d.P.;COLUMBIA;PATHE') 5; MELCHIONI (PHILIPS;FONTANA) 4; CAR JUKE BOX (JUKE BOX) 3; VIS RADIO 3; DURIUM 2; RICORDI 2; RCA ITALIANA(RCA ITALIANA;CAMDEN;EUROPA) 1; MEAZZI (MEAZZI ;HOLLYWOOD) 1; ITALDISC 1; CARISCH 1;CAROSELLO 1; RI FI (PRIMARY) 1; 新THE RED RECORD 1;新CINEVOX 1;新CELLOGRAF (PHONOCOLOR) 1;新SABRINA 1;新ACQUARIO 1 エミリオ・ペリコーリ (RICORDI) ワンダ・ロマネッリ (Cinevox) マリオ・ダルバ (Italdisc) <優勝> アディオ・アディオ Addio... addio... (F.Migliacci - D.Modugno)出版社 CURCI 1,496,411票 クラウディオ・ビルラ (vm) Claudio Villa (CETRA - FONIT CETRA) SP-1100 [45] : ドメニコ・モドゥーニョ (vm) Domenico Modugno (FONIT - FONIT CETRA) SPM- 22 [45] HIT- 96SP-1100 FS- 18SPM- 22 <2位> タンゴ・イタリアーノ Tango italiano (B.Pallesi - W.Malgoni)出版社 SOUTHERN 1,255,805票 ミルバ (vf) Milva (CETRA - FONIT CETRA) SP-1101 [45] : セルジョ・ブルーニ (vm) Sergio Bruni (V.d.P. - V.C.M.) Ld・A-6974 [45]FS- 20 SP-1101 HM-11417MQ-1687 <3位>ゴンドリ・ゴンドラ Gondolì gondolà (Nisa - R.Carosone) 出版社 RICORDI 29,5049票セルジョ・ブルーニ (vm) Sergio Bruni (V.d.P. - V.C.M.) 7MQ-1688 [45] : エルネスト・ボニーノ (vm) Ernesto Bonino (MEAZZI - MEAZZI) M-01134 [45] HM-1141 7MQ-1688 M-01134 <入賞曲>4位クァンド・クァンド・クァンド (いつの日か) Quando quando quando (A.Testa - T.Renis) 出版社 RICORDI 224,686票 エミリオ・ペリコーリ (vm) Emilio Pericoli (RICORDI - RICORDI) SRL-10・236 [45] : トニー・レニス (vm) Tony Renis (V.d.P. - V.C.M.) 7MQ-1689 [45]IS-1050SRL-10・236 HM-11427MQ-1689 5位 今宵ルナ・パルクで Stanotte al luna park (V.Pallavicini - Biri - C.A.Rossi) 出版社 C.A.ROSSI 208,573票 ミルバ (vf) Milva (CETRA - FONIT CETRA)SP-1102 [45] : ミリアム・デル・マーレ (vf) Myriam Del Mare (JUKE BOX - CAR JUKE BOX) JN-2133 [45] SP-1102 JN-2133 入賞曲の残りは次回に続く 出場レコード会社もますます増え、前々回12社、前回14社で出場歌手が増えたとはいえ19社になりました。優位を保っていたフォニット・チェトラは6人から9人へ増加、前年は不振を託って新人ミルバが気をはいているのだけでしたが、今年はモドゥーニョ、ビルラの最強コンビで実力を見せつけました。前年カンタウトゥーリを出し4人だったRCAイタリアーナ、、リコルディは1名、2名と大幅な減員、優勝者を出したCAR Juke Box、CGDは其々1名の増員されています。次回に続く ・優勝・入賞曲と参加曲を含め全体を言う場合、出場曲と表現します。・順位をつけない入賞曲の頭には"◇"を、参加曲の頭には"◆"を付けます。・太字は国内盤で出ていた曲と歌手。・サンプル音声ファイルは著作権侵害を避け、なるべくAmazon MP3のサンプル音声を利用します。昔のイントロは長く、歌が出ないまま終わる曲があります。全曲聞きたい方はYou-Tubeを探してください。見つかることもあります。
2013.04.07
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この名前をご存知ですか? 61年サンレモ音楽祭の「サンレモ音楽祭の歌手たち」を書き、(多分、以前に聞いたか?)初めて出会った人でした。歌手でなく、音楽プロデューサーです。 日本人の耳慣れたカンツォーネに関わった人が知られてないかった(私が知らなかったでけかも)ので、この後の「サンレモの歌手たち」を書き進めるにあたり、一度紹介すべきと思いました。 62年サンレモ音楽祭は、この後になります。前回61年が60年代、70年代のカンツォーネの基となる総ての要素が開花した大会で、62年は大きな展開もないので、その後に大きな影響を与えたヴィンチェンツォ・ミコッチを先に紹介します。 晩年の顔写真をのせましたが、イタリア音楽界のドン、常人は一睨みで身動き出来なくなるくらいの凄味があります。 ★ヴィンチェンツォ・ミコッチ Vincenzo Micocci1928年5月22日~2010年11月5日ローマ生・没、イタリアの音楽プロデューサー。 彼は子供の頃イタリアに届いたジャズをラジオで聞き、音楽への関心が芽生えました。大学(文学部にいた)の学費を稼ぐため、綿密な検討後レコード店(ローマ中心部にある「音楽とラジオ」)で働くことにしました。特に仕入れ、レコード会社の関係者と直接接するRCAエージェントとして、彼はヴァチカンからRCAの再建を託されたエンニオ・メリス(Ennio Melis)の目を引きました。彼は他の店舗の平均以上を販売し、特にハリー・ベラフォンテ、ペリー・コモ(RCAイタリアーナの主力商品)や後にヒットを出す僅かなイタリア人歌手のように多くのプレス数が必要なレコードをかぎわける「嗅覚」が秀でていました。そして56年RCAイタリアーナに雇われています。 メリスが与えた最初の仕事は海外のレコードのプレス数を定量化することでした。初回プレス数(ベラフォンテの販売数は、56年と57年で約50万枚)の決定に直面します。翌年文芸部長になり、新しい録音スタジオ(61年に完成するローマ郊外の新本社)の建設を着手する今後数年間の経営計画をたてました。 また新しい才能、編曲者となる若い音楽家(丁度ローマ・サンタ・チェチリア音楽院卒業したエンニオ・モリコーネ(Ennio Morricone)やアルゼンチン生まれで、既に経験のあるルイス・エンリケス・バカロフ(Luis Enriquez Bacalov))を採用し、全国に通用する3人の主要歌手、彼の造語カンタウトゥーリを初めて使ったジャンニ・メッチア(Gianni Meccia)と最初に契約し、ニコ・フィデンコ(Nico Fidenco)、エドアルド・ヴィアンネロ(Edoardo Vianello)の獲得したことでした。彼らは「ローマ楽派自作自演歌手」(una "Scuola romana" dei cantautori)とも呼ばれます。もう一方ジャズへの情熱も忘れませんでした。ジェリー・ロール・モートン(Jelly Roll Morton)のような有名人とイタリア・プレス契約を結び、イタリア・ジャズメンのロマーノ・ムッソリーニ(Romano Mussolini)やイル・ロマーノ・ヌンチオ・ロトンド(il romano Nunzio Rotondo)などのレコードも手掛けています。62年録音スタジオやプレス工場まで備えた新本社が稼働すると共に、新たな才能を加わえました。リタ・パヴォーネ(Rita Pavone)とジャンニ・モランディ(Gianni Morandi.)です。 ミラノでは新しい音楽を目指すリコルディ家の御曹司ナンニ・リコルディ(Nanni Ricordi)がジェノヴァ派自作自演歌手を集めて立上げたリコルディ(Dischi Ricordi)がありすが、本体リコルディ家(G. Ricordi)とナンニとの確執が生じ、彼はミラノを去り、62年末RCAイタリアーナの最高幹部エンニオ・メリスはナンニを同社文芸部長に迎え、反対にミコッチをリコルディに送込みます。このナンニの移動でジーノ・パオーリ、ウンベルト・ビンディ、セルジョ・エンドリゴがリコルディからRCAに移籍、ルイジ・デンコ、エンツォ・ヤンナッチはジョリー(SAAR)、ジョルジョ・ガーベルは2年後65年にリフィに移籍します。 リコルディの新文芸部長ミコッチは二面戦略を採用します。一つは既に成功しているオルネラ・ヴァノーニ(Ornella Vanoni)など歌手と新たな即戦力となる新人歌手ボビー・ソロ(Bobby Solo)やウィルマ・ゴイク(Wilma Goich)などを育て売出すことでした。幸いサンレモ音楽祭も若者向けで世界進出を目指しており、新人をサンレモでデビューさせていきます。彼はまた一流の嗅覚でビートニックなバンド(グループ・サウンド)に着目し、ディク・ディク(i Dik Dik)、クェッリ(i Quelli)などと契約、他社ヴェデッテ(Vedette)からエキペ84(l'Equipe 84)を引抜きます。しかし彼にはミラノの水(霧?)が合わなかったのか66年春にリコルディを辞めローマに戻りました。 彼の計画は新たな才能を映画のサウンド・トラックに起用し売出すことでした。そして元部下の歌手ニコ・フィデンコ、作・編曲家エンニオ・モリコーネ、作詞家カルロ・ロッシ(奥さんは歌手ルイゼール)と新会社パレード(Parade)を設立します。ナポリの新人エドアルド・ベンナート(Edoardo Bennato)、アルンニ・デル・ソーレ(gli Alunni del Sole)を発掘し売出しました。しかし70年突然パレードは倒産。一発勝負的な経営で資金が枯渇した結果です。 71年古巣RCAのエンニオ・メリスと提携して「IT」を興します。有望な新人はRCAが売出せることとし、当面は元部下のヴィアンネロの持つスタジオで録音、彼の会社アポロから歌手を売出します。ここからローマ楽派(Scuola Romana)のように70年代の自作自演歌手が巣立ちます。,アントネッロ・ヴェンディッティ(Antonello Venditti)、ロン(ロッサーノ Rosalino Cellamare)、リノ・ガエターノ(Rino Gaetano)、ジャンニ・トーニ(Gianni Togni)、80年代のアマデオ・ミンギ(Amedeo Minghi)、マリオ・カステルヌオーヴォ(Mario Castelnuovo)、パオラ・トゥルチ(Paola Turci)。時代の流れと自作自演歌手の動きが解っていただけたでしょうか。 2009年彼の自叙伝「VINCENZO, IO T'AMMAZZERO'」の表紙に使われた若き日の姿です。 +本文中に出ているエンツォ・ヤンナッチ(Enzo Jannacci )は2013年3月29日亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。
2013.04.05
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1月下旬に「インテルメッツォ」を入れて、2ヶ月以上にもなりますのでこの辺りでもう一度「インテルメッツォ」にしてみます。 随分前から探していたレコードを手に入れる事が出来ました。スアンの"オルゴールの恋唄"というシングル盤です。発売時期からして東京音楽祭の曲だと、ズッと思い込んでいました。1975年第9回ヤマハのポプコンで渡辺真知子(PIAというデュエット・グループ)が歌って、審査員特別賞(川上賞)を受賞した曲のイタリア語盤。B面の"ティ・アモ"は75年ヤマハ世界歌謡祭の曲(この時はアンナマリア・バラッタ名)で出場しています。 スアンことアンナマリア・バラッタを紹介していきましょう。 スアンの国内盤DSP- 105 (1976年7月 DISCOMAIT - ビクター音楽産業) オルゴールの恋歌 (NINNA NANNA D'AMORE INCARILLON)/ティ・アモ (TI AMO) DSP- 105 KICP- 572 (1997年4月9日 SEVEN SEAS - キング) CD アヒルのオレンジ風味 (N L'ANATRA ALL'ARANCIA)1.アヒルのオレンジ風味~メイン・テーマ(ヴォーカル・ヴァージョン) (CANARD A'L'ORANGE)3.いずれきっと (PRIMA O POI)5.エンファド (ENFADO)8.ターニング・ミー・オン (YOU KEEP ON TURNING ME ON)10.アヒルのオレンジ風味~メイン・テーマ(ヴォーカル・ヴァージョン) (CANARD A'L'ORANGE)KICP- 572 KICP- 607 KICP- 607 (1997年9月26日 SEVEN SEAS - キング) CD エスプレッソ【昼】 (ESPRESSO/CINEMA ITALIAN STYLE)2.ターニング・ミー・オン (YOU KEEP ON TURNING ME ON)KICP-3214 (2007年7月11日 SEVEN SEAS - キング) イタリアン・ナイト・ジャズ・ボサ・ラウンジ (ITALIAN NIGHT JAZZ-BOSSA LOUNGE)24.アヒルのオレンジ風味(CANARD A'L'ORANGE)KICP-3214 NKCD-6412 NKCD-6412 (2008年3月17日 KING - 星光堂(キング)) オーガニック・カフェ ORGANIC CAFE')14.アヒルのオレンジ風味~メイン・テーマ(ヴォーカル・ヴァージョン) (CANARD A'L'ORANGE) ★スアン {アンナマリア・バラッタ} SUAN { ANNAMARIA BARATTA } (vf) 本名アナマリア・バラッタ(ANNAMARIA BARATTA) 1950年10月1日~1996年12月5日ローマ生・没、歌手、声優。 スアンの芸名は74年以降に使われ、デビュー当時はANNA MARIA BARATTAの表記をしていた。 1967年ローマのパイパー・クラブ※で有名振付師ドン・ルリオ(Don Lurio)とめぐり会ったのが歌手になるきっかけでした。彼は彼女のダンスを見て、ミタ・メディチ(Mita Medici)の対抗馬にしようとしますが、彼女はその気がありません。 実際はイタリアで撮影の米女優ラクエル・ウェルチのスタントをしています。その後、女優をしながら学校も続けます。RCAの新人オーディションでは「試験採用」ので入社をすることが出来ました。.68年夏に自分が出演した番組主題歌で歌手としてデビュー、"Stanotte sognerò"は良い曲でヒットしました。TL- 11 (1968年TALENT - RCA ITALIANA) STANOTTE SOGNERO'/E STRINGO IL VENTO ウィキペディア・イタリア版ではTL- 11がデビュー盤として紹介されていますが、レコード番号としてはそれより若いTL- 7 (1968年TALENT - RCA ITALIANA) CIAO NICOLO'/QUANDO GUARDO I TUOI OCCHIが出ています。翌69年サンレモ音楽祭に"なんて寒い(Ma che freddo fa)"を歌うべくイメージ・チェンジを図りますが、1年後輩のナーダ(Nada)にその座を奪われてしまいます。この事辺りから彼女の運気逃します。 69年男の子を出産し産休の1年です。RCAに違約金を払い、70年SIFのRAREに移籍後 "Ciao devo andare" を出し注目されますが、トラブルに巻き込まれ、その間またもや第2子を妊娠し活動停止します。72年復帰後フォニット・チェトラからアルバム(顔写真に使った画像)を出します。レベルの高い盤ですが、レコード会社がプロモーションをせず売上は良くありません。 74年運気を変えるため白鳥(Swan)を連想させるスアン(Suan)を芸名にしました。そしてニコラ・クロワジールのカヴァー曲"Pazzia (Il ne pense qu'a toi) "とシコ・フアルキのカヴァー曲"Canto di ringraziamento (Partido Alto)"をマーキューリーから出しました。75年"愛の宿命 (Ti Amo (I Love You))"、76年"ドンナ・リベーラ (Donna Libera (Free Woman))"で日本のヤマハ世界歌謡祭に連続で出場しました。(細部の正確さを欠きますが参考になります)。日本でしか"愛の宿命 (Ti Amo (I Love You))"は "ティ・アモ"として発売されませんでした。76年、前年契約したYEPとトラブルが起き、別にカムのリッツォーリから映画「アヒルのオレンジ風味」のサントラ盤を残します。挿入曲"ターニング・ミー・オン (YOU KEEP ON TURNING ME ON)"は76年冬のディスコ曲として評判となったそうです。77年WEAイタリアーナのエレクトラから"Pelle (sigla di "Auditorio A") / Flas"を出します。これが彼女の最後の盤となりました。78年サント・カリフォルニアとのツアー途中でキャンセルし、ローマに戻ってしまいます。その後ラジオ司会者をし、アニメの声優となりました。 色々見ていくと本人の責任も大きいのですが、運の悪さも感じる歌手でした。 日本でもサンレモ音楽祭やユーロヴィジョン・ソング・コンテストを真似て、世界歌謡祭が開催されていました。ヤマハ世界歌謡祭は70年から秋に開催し、昭和天皇重篤のため89年開催中止になるまで続き、その後はユニセフ協賛の音楽祭となります。もう一つがTBS主催であった東京音楽祭です。 72年から92年まで年前半に開かれました。バブリ-でした。 サンレモ音楽祭が51年から途切れず毎年開催されている事は、凄いことだと言えるでしょう。 ※パイパー・クラブ(Piper Club)65年2月17日からローマで営業を始めたイタリアを代表するクラブ、地元ではパイパーで通じる若者向けのクラブ。当初からイタリアやヨーロッパの有名歌手やバンドが出演し、名が知れ渡っていましたが、特に所属する代表女性歌手が「パイパー・ガール(La ragazza del Piper)」と呼ばれ、開店当時の初代がカテリーナ・カセルリ(CATERINA CASELLI)でブロンドに染めたショートカット・ヘアだったため「黄金のヘルメット(Casco d'oro)」と仇名されました。また2代目も「お人形さん(LA BAMBOLA)」パティ・プラヴォー(PATTY PRAVO)も大スターとなり、その次がミタ・メディチでバラッタは4代目になっていたかもしれません。
2013.04.03
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今日は4月1日新年度です。もう1つ新しいシリーズを始めましょう。 これまで「サンレモの歌手たち」の国内盤紹介でも、数多くのコンピ盤を載せましたが、特に日本で発達したのは各年度盤や、総集編的な「優勝曲集」、「ヒット曲集」などでした。案外軽んじられたり、邪魔者扱いにされているのですが、これらはシングル盤で発売されなかった曲が収録されている貴重な存在なのです。国内盤は1961年から作られました。年度盤は回を追って書いていく予定です、総集編的ベスト盤は多分発売された時期に従って書いていくことになると思います。年度盤アルバムはこの61年から始まり74年まで何処かのレコード会社が出していましたが、75年(第25回)はジャンル別で競い、しかもメジャー・レコード会社がほとんど出場せず、国内盤も発売されていません。また60年代のカンツォーネ・ブームも去り、またイタリアでは経済状態悪化し、サンレモ音楽祭自体の規模も縮小し、人気が薄れ参加曲も激減しました。国内盤は76~79年までキングからアルバムが出ていましたが、ついに80年から発売されなくなりました。しかし時折85年にLP盤と、89年CDで出ています。「サンレモの歌手たち」で紹介できないオリジナル歌手でないカヴァー物や演奏物の盤も出ていましたので、その時々に紹介していくつもりです。 FLP- 1 (1961年4月25日 FONIT - テイチク) 25cm LP 第11回サンレモ歌の祭典 (XI FESTIVAL DELLA CANZONE SANREMO 1961)1.24,000のキッス (24 MILA BACI)2.レイ (LEI)3.闇夜 (月なきノクターン NOTTURNO SENZA LUNA)4.レディー・ルナ (LADY LUNA)5.小つぶのジャガイモ (PATATINA)6.アル・ディ・ラ (AL DI LA')7.海は玉手函 (ひきだしの中の海 IL MARE NEL CASSETTO)8.マンドリ-ノ・マンドリーノ (MANDOLINO MANDOLINO) 1,5 レナティーノ (RENATINO (vm) e sou i SCUGNIZZI); 2ファウスト・チリアーノ (CIGLIANO,FAUSTO (vm)); 3ピエロ・チャルディ (CIARDI,PIERO (vm)); 4ルチアーナ・ゴンザレス (GONZALES,LUCIANA (vf)); 6ジャコモ・ロンディネラ (RONDINELLA,GIACOMO (vm)); 7エッダ・モンタナーリ (MONTANARI,EDDA (vf)); 8 ジョルジョ・コンソリーニ (CONSOLINI,GIORGIO (vm)) FLP- 1 (FLP- 0) 実はこの盤の前に、もう1枚出ているのです。私は便宜上「FLP- 0」と名付けていますが、ジャケットは流用し、B面をFLP- 2として発売したフランコ・スカリーカ楽団が演奏するサンレモ曲を入れた試聴盤があります。 FLP- 0 (1961年FONIT - テイチク) 25cm LP第11回サンレモ歌の祭典 試聴盤 (XI FESTIVAL DELLA CANZONE SANREMO 1961) 非売品試聴盤1.24,000のキッス (24 MILA BACI)2.レイ (LEI)3.闇夜 (月なきノクターン NOTTURNO SENZA LUNA)4.レディー・ルナ (LADY LUNA)5.24,000のキッス (24 MILA BACI)6.カロリーナ・ダイ CAROLINA DAI7.小つぶのジャガイモ (PATATINA)8.音楽熱 (FEBRE DI MUSICA) 1 レナティーノ (RENATINO (vm) e sou i SCUGNIZZI); 2ファウスト・チリアーノ (CIGLIANO,FAUSTO (vm)); 3ピエロ・チャルディ (CIARDI,PIERO (vm)); 4ルチアーナ・ゴンザレス (GONZALES,LUCIANA (vf)); 5~8 フランコ・スカリーカ楽団 (FRANCO SCARICA e il suo Compl. (compl)) FLP- 2 FLP- 2 (1961年4月25日 FONIT - テイチク) 25cm LP 24,000のキッス (24 MILA BACI)1.24,000のキッス (24 MILA BACI) フランコ・スカリーカ楽団2.カロリーナ・ダイ (CAROLINA DAI)3.小つぶのジャガイモ (パタティーナ PATATINA)4.音楽熱 (FEBRE DI MUSICA)5.レイ (LEI)6.アイ・ラブ・ユ-・ラブ (わたしもあなたも恋してる IO AMO TU AMI)7.12月の海 (十二月の海 MARE DI DICEMBRE)8.マンドリーノ・マンドリーノ (MANDOLINO MANDOLINO) 1~8フランコ・スカリ-カ楽団 (FRANCO SCARICA e il suo Compl. (compl)) ドメニコ・モドゥーニョ(DOMENICO MODUGNO)のシングル盤は"ヴォラーレ"からアメリカのデッカ・レーベルでテイチクから発売されるようになりましたが、61年サンレモ音楽祭の盤からイタリアのレコード会社としては初めて独立レーベル「フォニット(FONIT)」として国内盤が発売されました。 ただオリジナル歌手の曲(太字で表示)はファウスト・チリアーノの"レイ"のみと少し淋しい状態です。これは1957年12月にフォニットとチェトラが合併しフォニット・チェトラとなったのですが、米デッカの販売契約はフォニットのみ、チェトラはおそらく米コーラル(CORAL)がもっていて、テイチクとの初契約でこフォニットのみだったと思われます。 翌年62年度からはチェトラの曲も入って2枚の10インチ盤アルバムが発売されることとなります。ですからミルバの"ひきだしの中の海(海は玉手函)"は紹介されず、62年の"タンゴ・イタリアーノ (TANGO ITALIANO)"と"今夜ルナ・パルクで(今宵ルナ・パルクでSTANOTTE AL LUNA PARK)"が日本デビュー曲となりました。 この続きは1962年(第12回)サンレモ音楽祭の紹介が終わってからとなります
2013.04.01
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