《櫻井ジャーナル》

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2013.06.07
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 バラク・オバマ米大統領は国連大使のスーザン・ライスを安全保障問題担当の大統領補佐官(NSA)に指名、ライス大使の後任にサマンサ・パワーを選んだ。大量虐殺を正当化するために「人道」という看板を掲げるという共通項が二人にはあり、シリアへの軍事力行使に消極的な姿勢を見せてきたアメリカ政府が方針を変えたのではないかと注目されている。

 現在のNSA、トム・ドニロンはビル・クリントン政権で国務長官を務めたウォーレン・クリストファーに近く、ジョン・ケリー国務長官やチャック・ヘイゲル国防長官と同じように、軍事より外交を優先する考え方の人物だ。

 クリントン政権でクリストファーはユーゴスラビアへの軍事介入に抵抗、1997年に国務長官のポストを追われている。NATO軍がユーゴスラビアを空爆したのは長官交代の2年後、1999年のことだった。

 クリストファーの後任に選ばれたのはマデリーン・オルブライト。彼女はアフガニスタンで戦争を仕掛けたズビグネフ・ブレジンスキーの教え子で、そのオルブライトの弟子に当たるのがライスである。

 一方、パワーは空爆の年にハーバード・ロー・スクールを卒業、「人道」を名目とした大量殺戮を正当化する著作を発表している。リビアへの軍事侵攻にも賛成していた。こうした姿勢に対してはハワード・ジンやエドワード・ハーマンといった学者から批判されているのだが、その一方、日本だけでなく、世界的にパワーと似た主張をする「自称左翼」が少なくない。

 「人道」を口実とした大量殺戮を「西側」が大々的に行うようになったのは、ユーゴスラビアを先制攻撃したころから。ソ連が消滅した後、バルカンに対する「西側」の工作が激しくなり、行き着いた先が虐殺だった。

 ユーゴスラビアでは1991年にスロベニア、クロアチア、マケドニアが独立を宣言、翌年にはボスニア・ヘルツェゴビナが続き、セルビア・モンテネグロはユーゴスラビア連邦共和国を結成した。その連邦共和国から分離しようとしたのがコソボのアルバニア系住民。当然、「西側」の支援を受けていた。

 当初、コソボで展開された自治権を求める運動はイブラヒム・ルゴバが率いるLDKが主導、平和的なものだった。そこでセルビア側も運動を容認していたのだが、徐々に状況が変わってくる。「人権擁護団体」のHRWやマスメディアがセルビア側の「弾圧」を宣伝し始め、アル・カイダがアルバニアからボスニアやコソボへ活動範囲を広げてきたのだ。ボブ・ドール米上院議員と関係の深いアルバニア・ロビーも宣伝活動を始めている。

 この時期、アメリカ政府はLDKに冷淡な姿勢を見せていた。KLA(UCKとも表記)を台頭させようとしていたのだ。KLAは1996年にコソボ北部にいたセルビア人を襲撃して活動を開始した。



 アフガニスタンとパキスタンの山岳地帯で生産されたヘロインはEUなどへ流れていくのだが、その主要ルートのひとつがコソボを経由、全取引量の約40%だという。KLAは麻薬だけでなく、武器や臓器の密輸にも手を出している。欧州会議が発表した報告書によると、そうした取り引きのトップはハシム・サチだともいう。

 いわば、KLAとは犯罪者集団なのだが、「親西側」ということで大した問題にはならない。それに対し、「西側」にとって邪魔な存在であるセルビアのイメージを悪くするためには嘘も使う。アフガニスタン、イラク、リビア、シリア、イランなども同じように攻撃されてきた。

 ボスニアの場合、ニューズデーのロイ・ガットマンは16歳の女性が3名のセルビア兵にレイプされたと報道したが、事実でないことが別のジャーナリストによって確認された。当時、ガットマンはドイツのボン支局長で、彼が頼っていた情報源はクロアチアの民族主義政党HDZの副党首で、クロアチア亡命者のプロパガンダ組織CICのザグレブ事務所の責任者だったヤドランカ・シゲリ。ここからレイプ情報が発信されている。

 1993年、ガットマンにはセルビア人に関する報道でピューリッツァー賞を贈られ、シゲリは人権問題のヒロインとなり、1996年にはHRWが彼女を主役にしたドキュメント映画を発表している。ICRC(赤十字国際委員会)はセルビア人による組織的なレイプを示す証拠はないとしたうえで、全ての勢力が戦争で「不適切な行為」を行ったとしているのだが、「西側」には無視された形だ。

 人権や人道は重要な概念であり、そうした目的を達成するための団体は支配層にとって目障りなはずだが、そうした目障りな存在を支配するのも支配層の常套手段。ロナルド・レーガン政権時代に始められた「プロジェクト・デモクラシー」は、「民主化」を装って国内をファシズム化し、外国を侵略しようというものだ。標語が大好きな、ある種の日本人はまんまと術中にはまっていた。

 例えば、スザンヌ・ノッセルの場合、1999年から2001年までリチャード・ホルブルック国連大使の下で働き、2005年から07年にかけてウォール・ストリート・ジャーナルの副社長、2009年から11年にかけては国務省の副次官補を務めていた。2012年1月から今年1月までアムネスティ・インターナショナルUSAのエグゼクティブ・ディレクター、現在はPENアメリカン・センターのエグゼクティブ・ディレクターだ。その間、HRWのCOOや経営コンサルタントのマッキンゼーを経験している。アムネスティやHRWのような「人権擁護団体」が「西側」の殺戮に寛容な理由がわかる。





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最終更新日  2013.06.08 02:54:58


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