《櫻井ジャーナル》

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2013.12.31
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 ボルゴグラードでの自爆攻撃とダゲスタンとの関係が指摘されている。ダゲスタンはカスピ海に面した北コーカサスにあり、アゼルバイジャン、グルジア、チェチェンなどに囲まれた共和国だ。カスピ海の周辺は昔から有名な油田地帯で、アゼルバイジャンの首都、バクーはその中心的な存在として知られている。

 ノーベル賞で有名なアルフレッド・ノーベルが兄のルートビッヒとバクーで製油所を建設したのは1875年のこと。ルートビッヒはロシア政府へのライフルの販売で既に財をなしていた。1879年にノーベル兄弟産油会社を設立、石油を輸送するためにカフカース山脈を越える鉄道をノーベル兄弟は計画した。その資金を提供したのがパリのロスチャイルド家だ。

 1883年にカスピアン・アンド・ブラックシー石油(BNITO)が創設され、同社の石油を販売することになったのがユダヤ系イギリス人のマーカス・サミュエル。スエズ運河を使い、石油をバンコックやシンガポールへ運んでいる。

 マーカス・サミュエルの父親(息子と同じマーカス)は1833年にロンドンで店舗を開き、貿易を始めた人物。息子のマーカスは弟のサミュエルと横浜にサミュエル・サミュエル商会という会社を1876年に創設、ロンドンと横浜の会社を兄弟は取り引きの拠点にした。

 バクー油田の石油を扱い始めていた兄弟が石油や天然ガスの取り引きを目的としてロンドンでシェル輸送貿易を設立したのは1897年。サミュエル・サミュエル商会は1900年に石油部門を独立させてライジングサン石油を作っている。

 ロックフェラーのスタンダード石油に対抗するため、1903年にサミュエル兄弟はロスチャイルド家やヘンリー・デターディングと手を組んでアジアチック石油を設立。1907年にはシェルとデターディングのロイヤル・ダッチが合併してロイヤル・ダッチ・シェルが誕生、ライジングサン石油は日本における拠点になった。

 1917年3月にロシアでは「二月革命(ロシア暦では2月にあたる)」によってロマノフ朝が崩壊してイギリスと結びついた資本家の「臨時革命政府」が樹立される。これを嫌ったのがドイツで、亡命中のウラジミール・レーニンなどボルシェビキ幹部の帰国を助け、11月の「十月革命」につながる。二月革命と十月革命は本質的に違うということだ。

 十月革命で成立したボルシェビキ政権はバクー油田の制圧に乗り出す。イギリス軍やトルコ軍が革命軍を一旦は押し返したが、1920年には制圧され、ロスチャイルドは利権を失った。

 それから70年余り後にソ連が消滅するとカフカース地方で「独立」の動きが強まり、バクーを含むカスピ海周辺の油田に欧米の巨大石油会社が群がる。チェチェンやダゲスタンでの戦闘もそうした流れの中で起こったわけだ。ボリス・エリツィン時代に巨万の富を手にしたイスラエル系のボリス・ベレゾフスキーはチェチェンのマフィアや反ロシア勢力と結びついていた。



 そのバサーエフに率いられた部隊が1999年に攻め込んだ都市がダゲスタン。同じ時期にモスクワ、ブイナクスク、そしてボルゴドンスクで爆弾攻撃が続いた。その翌年、 オサマ・ビン・ラディンの側近と言われるアブ・ダウドはチェチェンの反ロシア勢力に対するアル・カイダからの支援を公言 している。彼によると、アル・カイダが戦闘員、武器、資金を提供し、チェチェン人がアフガニスタンでアル・カイダから訓練を受けているのだという。

 アル・カイダを動かしている黒幕はサウジアラビア。 ウラジミル・プーチンがサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官に対し、「ここ10年の間、チェチェンのテロリスト・グループをあなたたちが支援していることを知っている」と口にした というが、既に明らかにされた情報から見ても事実である可能性が高い。

 今年4月、アメリカのマサチューセッツ州ボストンで開催されたマラソン大会で爆弾が仕掛けられ、3名が死亡、百数十名が負傷するという事件があった。その容疑者としてタメルラン・ツァルナエフとジョハル・ツァルナエフの兄弟が浮上、兄のタメルツランは射殺され、弟のジョハルは拘束された。

 それに対し、ふたりの母親は冤罪を訴え、FBIは3年から5年の間、息子たちを監視下におき、彼女にもしばしば接触、「過激派のウェブサイト」を息子が利用していると警告していたと主張している。

 兄弟のおじ、ルスラン・ツァルナエフは1992年から2年間、CIAとの関係が指摘されているUSAIDの「顧問」としてカザフスタンで働いているのだが、この当時、彼はダゲスタンで生活していた。兄弟の父親はアメリカへ渡らず、ダゲスタンに残っていた。

 また、ルスランが結婚したサマンサ・フラーの父親はグラハム・フラーというCIAの幹部だった人物。CIA時代にトルコ、レバノン、サウジアラビア、イエメン、アフガニスタン、香港を担当、1982年に近東・南アジア担当の国家情報オフィサーとなり、86年には国家情報会議の副議長に就任、88年には国防総省系のRANDコーポレーションへ移っている。

兄のタメルランは2012年の1月から7月にかけてロシアに滞在、ワークショップ/セミナーに参加 しているのだが、主催したコーカサス基金はジェームズタウン基金というワシントンDCを拠点とする団体と協力関係にある。ジェームズタウン基金は1984年に創設された際にウィリアム・ケーシーCIA長官が支援、2010年からズビグネフ・ブレジンスキーも理事として名を連ねている。

 USAIDは昨年、ロシアから追い出されているのだが、その理由は言うまでもないだろう。





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最終更新日  2014.01.01 00:35:25


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