がく のぼ てんか しょう みず ほこ い き ごう
岳に登って天下を小 とす、 自ら誇る意気の豪なるを、
そ さんじょう やま いか これ あお いっそう たか
其れ山上 の山を奈んせん、 之を仰げば一層 高し
詩文説明
山に登って下界を見下ろすとと天下も小さいものだと思われ、自ら意気の豪なることを誇るのである。しかし、今登りつめた山の頂上でも、まだまだ高い山がある。これはどうしたらよいであろうか。自分の登った山はかなり高いと思うのだが、山上を見渡すと更にいっそう高い山が聳えている。人間もこれと同じで、いくら登っても自分よりいっそう上の人間がいますこれを仰いでもっと上を目指し、決して慢心などすべきではない。
(題名からして自戒を述べた詩ですが、人類すべてに対しての教育の神髄だと思います)。学問だけでなく、すべての事に対して頂点を極めたつもりでも上には上があるので慢心せず向上心をもってもっと上を目指しなさいよ)と言われてます。以前に述べました草場佩川作の 「山行示 二
同志 一
」
の内容と似てますね。(偉人の素晴らしく有り難い御言葉です)
作者 杉浦重剛
(1855~1924)安政2年~大正3年
明治・大正時代の教育者。幼名謙次郎。梅窓・天台道士と号した。父杉浦重文母八重の二男として近江(滋賀県)で生まれる。初め藩校遵義堂に入り、ついで経史を藩儒高橋坦堂・洋学を黒田麴盧に学び更に京都の儒者岩垣月洲に入る。16歳の時選ばれて藩の貢進生として大学南校(現東京大学)に入り英学を学び22歳で英国に留学教授ロスコ-・ショーレマン両教授に従って化学を研究。在位5年病によって帰国、その後、大学予備門(第一高校の前身)の校長、文部参事官兼専門学務局次長を歴任、この間称好塾を設け、同志と共に東京英語学校を設立、また新聞記者の社説を担当、雑誌「日本及日本人」・「日本新聞」の発刊に尽力、欧化主義に反対し日本主義を唱えた。明治22年外相大隈重信の条約改正案を批判猛烈な反対運動を起こした。翌年滋賀県選出の代議士となるも1年で辞職した。43年国学院学監、大正3年東亜同文書院院長となり東宮御学問所良子女王殿下の御学問所に出仕、御用掛倫理科の御進講にあたった。大正13年病により東京淀橋の自邸で没した。享年70歳。
1、山に登る(人は上を目指し勉学・修行に勤しむ。
2、高い処から下界を見下ろす。
3、更に上ると下界はちっぽけに見え、自分が大きな者に見えてくる。
1、一つの山の頂点に登ってもまだまだ高い山は沢山あり聳えています。
(写真人物はは作者、杉浦重剛)
2、一層上を目指し慢心せず向上心を以って勉学に・仕事に勤しまなければなら
ないと自戒する