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雪解けの清水に溶けて流るるは凍りつきたる我が想いなり
「家族の条件-豊かさのなかの孤独-」春日キスヨ著を読みました。
以前にも図書館で借りたらしく、
見覚えあるなあと思いながら読んでました。
それでも、共感するところが多く、身につまされました。
そこの部分を引用させてもらいます。
「家族とは、老・幼・病・弱者という、
”周辺”に生きることを強いられた存在を含みこんだ集団である。
このような境遇にある人たちに働き盛りの男社会の一元的思考(正論)を
押しつけたとして、関係のひずみは大きくなるばかり。
”呆けさん”はさらに混迷を深め、子どもは不満や怒りや絶望を
抱え込んだまま父親の権力の前に屈服するか、反抗をつのらせるだけ。
”呆けさん”や子どもとのつきあいは、
たとえ相手が間違いだらけに見えようとも、
相手の感情や論理は相手の感情や論理として、
受けとめるところからしか始まらない。
この当然とでも言うべきことがわかるということは、
それほど容易なことではない。
それは、多くの場合、”呆けさん”や子どもとの
具体的な付き合いのなかで試行錯誤をくり返し、
怒りや不安や悲しみや苛立ちを潜り抜けていくことによって
はじめてたどり着きえる境地である。
逆に言えば、この人たちとつきあう役割を妻に委託し続けている限りにおいて、
夫たちは「正論」を吐く位置を保持しつづけることができるのだ。
しかも、妻との関係において上位に立つ夫は、
妻の感情に無頓着であることが許されてきた。
妻の”見るに見かねて”のアドバイスさえも、
夫のコケンが脅かされる時、強者のやり方で封じることが可能である。
怒鳴る、青筋をたてる「ご立派ご立派」とヤユする、など。
相手の意見を受け入れる意志のない夫によって口を封じられた妻としては、
「黙り込む」という形で抑圧された感情は、
「あのときもこうだった!」と、過去の出来事の記憶を呼び覚まし、
その時感じた感情をよみがえらせる。
そうして結び合わされた”感情の記憶”は、
今の出来事に対する悔しさ、悲しさをさらに増幅させる。
妻としては「泣く」か、「黙り込む」か、さもなくば、
「もう別れるしかない!」と「とどめを刺す」しかないではないか。」
うちの場合に似てるなあと思ったりして。
まあ、ここまでひどくはないですが(笑)
主人は、教育評論家みたいに正論、理想を言うのです。
私にも、「教師になるつもりだったんだろう」とも。
そんなこと言うなら、自分が子ども達に教育すればいいじゃないというと、
それは私の役割みたいなことをいうので、頭にくるのですよね。
直接子どもに言わず、私の教育、しつけが悪いと文句を言う。
なんか書いてて、また頭にきてしまうけど、
この本読んでたら、うちだけではないんだな、
なんて思ってしまいました。
この本を主人に読ませたいなあ(笑)
みなさんのお宅ではどうですか?