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1969(昭和44)年7月といえば、かなり活躍の場が狭められているとはいえ、まだまだ蒸気機関車が元気だった時代です。というわけで、本日の「思い出の1枚」は、敦賀機関区で撮影したC58 278号機です。どのようにして敦賀機関区へ行ったのか、今となっては思い出せないのですが、フィルムの並びを見た限りでは、帰りの列車を待つ間、一人で訪ねていったようなのです。このときは敦賀機関区の扇形庫の中に並んでいる7両ほどのC58や、庫の外で憩う数両のC58を撮影しています。C58 278号機は庫の外に留め置かれたC58の中の1両です。1泊2日の海水浴では、いっしょに行った弟が、冗談で妹にクラゲをぶつけたところ、そのクラゲに刺されて大騒ぎをしたことなどは覚えているのですが、そのほかのことになると記憶の彼方に霞んでいます。敦賀で撮影したカットのあとには、帰路の途中、京都駅の山陰線ホームから発車していくC57牽引客車列車を車内から撮影したり、向日町の電車区を通り過ぎる際にボンネットを撮影したカットなどが並び、それで1本のフィルムが終わっています。1週間ほどに亘って37年前に撮影した1本のフィルムを解析してきましたが、1本のフィルムを延6日間、少しずつ大切に使ってきた幼きころの自分が、今となっては、ちょっぴりいとおしく感じられます。自己満足ではありますが、たまには、こうしたOld Day Tripを企画するのもいいかな、と思っています。
2006/06/20
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1週間近くにわたって続けてきたキューロクシリーズですが、ひとまず本日をもって一段落をつけたいと思います。2つ目、切り詰めデフ、門デフ、大型デフとバリエーション豊かなのがキューロクの特徴ですが、デフなしも忘れてはならないタイプです。水曜日にご覧いただいた門デフのキューロク(19626号機)と同じ日、同じ場所、つまり、1972(昭和47)年3月24日に直方機関区で撮影した49664号機が本日の「思い出の1枚」です。扇形庫から出てきたのか、入るのか、今では思い出せませんが、筑豊の一大拠点であった直方機関区で、数多くの蒸機にまじって大正機が現役として活躍していた古き良き時代の1カットです。
2006/05/19
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北海道の2つ目79616号機からスタートし、九州へと話題を転じたキューロクシリーズですが、本日の「思い出の1枚」は、1972(昭和47)年3月25日に豊肥本線の立野駅で撮影したキューロクです。立野駅はスイッチバックの駅として有名ですが、この当時はキューロクが貨物等の運用にあたっており、阿蘇の外輪山にブラスト音を響かせていました。立野駅にはC12も配属されており、1ヵ所で二度おいしい思いをできますので、楽しみに訪れました。このとき、夕闇迫る立野駅でバルブ撮影をしているのですが、34年あまりの時間が経過した今となっては、前後の記憶が遠い彼方にかすんでいます。大型の九州デフをつけた59670号機と門鉄デフをつけた69665号機がホームをはさんで停まっています。霧も出ていたようで、どことなく幻想的な雰囲気が漂う立野駅の夕暮れのひと時です。
2006/05/18
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関西に住んでいた私にとって、9600はあまりなじみのある機関車ではありませんでした。中学、高校生が手軽にいける範囲にすでにキューロクは存在しておらず、初めて撮影したのも九州遠征のときでした。九州の機関車といえば、キューロクに限らず、門鉄デフがあこがれの的です。シリーズ第4弾は1972(昭和47)年3月24日に直方機関区で撮影した19626号機です。太いボイラーに小さめのデフレクター、これはこれで格好良いものです。モデル化されたら、これも手元に置きたい逸品です。
2006/05/17
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本日の「思い出の1枚」は、留萌駅構内で入換え作業に精を出す59614号機です。撮影したのは1971(昭和46)年8月8日朝のことでした。留萌本線といえば、当時、ここにしかいなかった総数6両のD61があまりにも有名で、私の訪問目的もやはりD61を撮影することでした。つまり、初めて北海道を訪れた若輩者にとって、キューロクはあくまでもお副え物(そして、これが結局、北海道で現役蒸機を撮影する唯一の機会になってしまうわけですが、当時、そんなことには思いが至るべくもありませんでした)。このときも「ま、やってきたから撮っておこうか」くらいの気持ちしかありませんでした。しかし、35年が経過した今、この写真をながめてみると、(自画自賛にはなりますが)なんて良いシーンを撮影していたのだろう、と思います。ガッシュ、ガッシュというブラストの音にあわせ、駆動部が複雑に共鳴しあって、おそらくカラン、カランというような金属音も流れていたに違いありません。北の機関車を象徴する切り詰めデフの前で前方を見つめる鉄道員の視線は、このうえもなく印象的です。機関車の一番前に立ち、近づき、かつ流れ去る足元の線路をながめてみたかったと、この写真を見て改めて思いました。もとより、それがかなわぬ夢であるのは十分判っているのですが……。
2006/05/16
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天賞堂の新作発表を契機に9600型蒸機の写真を探してみたところ、北海道と九州でいくつかタイプの異なるものが出てきましたので、折角ですから今週は9600シリーズにしてみたいと思います。昨日は倶知安機関区の中で休む2つ目玉のキューロク、79616号機をご覧いただきましたが、同じ2つ目玉のキューロクとして、私は79615号機と79618号機も撮影していました。今は廃線となりましたが、倶知安から積丹半島の付け根まで伸びていた路線の中にあった駅の1つ、岩内駅構内で休憩する79615号機が本日の「思い出の1枚」です。撮影日時も昨日の写真と同様、1971(昭和46)年8月6日です。バックに写っている日本航空の鶴丸マークに懐かしさを感じる人もいるのではないでしょうか(このマークが懐かしいと思う人、年齢が分かりますよね。笑)。昨日の写真と見比べると、空気だめの位置など、細部の違いもお分かりいただけると思います。模型では当然、このあたりは作り分けられるようです。
2006/05/15
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少し前に鉄道模型の天賞堂からプラ製HOゲージモデルの9600型蒸機に関する新作情報が発表されました。C62、C57・C55、キハ20・22、EF15・16と続いてきた同社のプラ製モデルシリーズ第5弾(蒸機だけで見れば第3弾)となります。これまでのシリーズと同様、バリエーションに富み、北海道、本州、九州と大きく3グループに分けられ、全部で10種類が来年の上半期に発売される予定です。私の手元にはすでにプラ製モデルのC62とC55とC57がありますので、9600もぜひとも一緒に並べてみたいと思っています。今回のラインナップのなかでは2つ目玉の79615号機と79616号機のどちらかは入手したいですし(本音を言うと、どちらも欲しい!)、九州仕様のデフなし、デフ付、門デフ付もそろえたいし……と望みはつきません。今のところ販売価格は未定ですが、これまでの経験から、おそらく1両4万円程度になるのではないでしょうか。来年の販売開始までにがんばって貯金をしたいと思います(笑)。というわけで、本日の「思い出の1枚」は1971(昭和46)年8月6日に函館本線倶知安の機関庫で体をやすめる79616号機です。2つ目のヘッドライトに切り詰めデフ、大正機らしい複雑なパイピングと、キューロクの魅力が凝縮された機関車で、モデル化されるのも、けだし当然かなと思います。
2006/05/14
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今日もC57「北びわこ号」は走っていますが、天気はおとといと大きく変わって雨模様です。昨日のブログで5日の行動を大まかに書かせていただいたように、1号は虎御前山から俯瞰撮影をしました。この場所は午前が順光、午後が逆光となります。視界がクリアーなときは琵琶湖に浮かぶ竹生島もはっきり見えるのですが、5日は少し霞んでいました。本日の「思い出の1枚」は、虎御前山から見たC57「北びわこ号」です。水田には水が張られ、至る所で田植えの準備が進められていました。おかげで水田に映った列車の水鏡もきれいに収めることができました。田植え前のほんの一瞬、まさに今しか撮影できないシーンです。煙がないのは少し残念ですが、それを差し引いても満足のいくカットとなりました。
2006/05/07
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昨日は、東京にいるC57フリークの友人に誘われ、「北びわこ号」の撮影に行ってきました。本来なら山口線の運用についているC57 1号機が、珍しく「北びわこ号」を牽引しているのと、春の風物詩である田村の菜の花が満開だと聞いたからです。友人と米原駅で落ち合い、まずは菜の花畑の位置を確かめることにしました。およその位置は見当がついていましたが、菜の花は、田村と長浜の間に広がる田んぼの中で一際色鮮やかに咲いていました。午前の「1号」にとって、この位置は逆光となるのですが、朝の9時過ぎから数多くのファンが立っていました。午後、順光となる「3号」では、おそらくものすごい数に増えるだろうと予想されましたが、かなり広いエリアで菜の花が植えられているため、何とかなるだろうと思い、私たちは当初の予定場所である虎御前山へと移動しました。昨日は晴天に恵まれ、湖東地域では至る所で田起こしが行われており、虎御前山から見下ろした田んぼでも、かなりの場所で水が張られていました。まだ水が入っていない田んぼと、すでに苗代かきが終了した田んぼがパッチワークのようになっており、視覚的におもしろいリズムを奏でていました。そして定刻に虎姫駅を発車した「北びわこ1号」は、気温がかなり上昇したこともあって、正直者にしか見えない爆煙を出しながら河毛駅へと軽快に走っていきました。その後、「1号」の回送列車を姉川築堤の西側にあるレンゲ畑で撮影してから、田村へと移動しました。菜の花畑は、午前中より一段と人が増えていました。サイドねらいの人、正面斜め前からの編成写真をねらう人、みんな思いおもいにアングルを決めています。真夏を思わせる日ざしと気温でしたので煙は期待できないと思っていましたが、やってきた「3号」は予想をくつがえす黒煙です。ものすごい数のギャラリーに対する機関士さんの心づくしだったのでしょう。「北びわこ号」は明日、7日も運転されますが、天気は下り坂のようです。私も仕事のため、今春の「北びわこ号」には行くことができません。1日限りでしたが、C57の牽引とあわせて、とても思い出深い撮影行となりました。
2006/05/06
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ここ1週間あまり「桜の宴」シリーズとして、4月ならでは、の桜情景写真をご覧いただきましたが、わが家のまわりに植えられている桜はそろそろ若葉を出し始めており、季節は確実に、そして足早に移ろっています。そこでこのブログも、本来の日替わり状態にもどしたいと思います。本日の「思い出の1枚」は、1972(昭和47)年3月24日に筑豊本線折尾~中間付近で撮影した石炭列車です。先ごろ発売された雑誌『国鉄時代』5号にも「蒸機王国筑豊 複々線の思い出」という記事が掲載されていますが、蒸機牽引列車日本随一といわれる列車密度は、昨日のことのように思い出されます。ところで、この写真はずっとD60が牽引する貨物だと思っていましたが、D60の次位にD51がつながっているのに、スキャニングしてから気づきました。なんだか、ちょっぴり得をした気分です。
2006/04/18
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桜週間の第3弾は、大井川鉄道で撮影したC11です。大井川鉄道も、春には沿線で桜がたくさん咲きます。本日の「思い出の1枚」は、そうした桜の名所の1つ、家山で撮影した写真です。このときは生憎の雨天でしたが、鉄道ファンが所有する「さくら」のヘッドマーク(レプリカ)を掲げて駅に進入してくるC11は、満開の桜にとてもよく似合っていました。その昔、長崎の方でC11が特急「さくら」を牽いたことがありましたが、この写真はそうした過去の栄光の姿を髣髴とさせてくれます。
2006/03/28
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蒸機が現役時代、加古川線のC12を何度か撮影に行った経験から、タンク機関車の中では今でもC12が好きです。C12といえば真岡鉄道ですが、残念ながら一度しか行ったことがありません。そのときは2日間の撮影で、1日目はC11、2日目はC12が牽引する列車を撮影できましたので、短期間とはいえ、ラッキーでした。通称NTT踏切と呼ばれる場所で正面ドカンをねらったカットが本日の「思い出の1枚」です。西日を正面に受け、磨き込まれたナンバープレートやボイラーが光り輝くさまは印象的でした。
2006/03/21
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本日は蒸気機関車がテーマの日です。お手軽に手元の写真を探した結果、本日も「北びわこ号」の写真をご覧いただこうと思います。長浜から木ノ本にかけては、湖東三山をはじめとして、お寺が多い地域です。「北びわこ号」とお寺の写真を撮られている方もいますので、以前から「北びわこ号」とお寺をからめて写真に収めたいと思っていました。でも、長い間お寺の場所が分かりませんでした。今回、ようやく線路に程近いところにお寺を見つけましたので、お寺の方に許しを得て、鐘付堂から回送列車を撮影しました。
2006/03/14
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本日は蒸気機関車(日本)がテーマの日ですが、今日も「北びわこ号」関連のブログを書かせていただきます。朝の「北びわこ1号」は毎回、木ノ本駅まで追いかけ、乗客のみなさんがホームで記念写真を撮るさまをスナップさせてもらうのが、私にとってのお決まりコースだったのですが、この冬は木ノ本駅の改修工事が行われており、「北びわこ号」が停車しているホームの反対側へは立ち入ることができませんでした。本日の「思い出の1枚」は、昨冬、C57が「北びわこ号」の先頭に立ったときに撮影したものです。ちびっこモデルが入れ替わり立ち代りヘッドマークのところに立ち、それを撮るお父さん、お母さんで先頭部はいつも大混雑するのですが、それも一段落し、C57自体がモデルとなっている状態のときの1カットです。こうしてみると、集煙装置を外したC57の顔立ちは、やはりすっきりしています。不調が伝えられ、本線への復帰が心配されましたが、山口線にも復帰できそうなので、とりあえずは一安心です。
2006/02/28
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春夏秋冬、四季折々に湖東路を走る「SL北びわこ号」。冬場は煙の上がり方が良くなるため、ファンもたくさん集まります。19日(日)は3週間、日曜ごとに走った「冬の北びわこ号」の最終日でしたので、久々に長浜へ行ってきました。午前中は晴れて伊吹山がきれいに見えていましたので、伊吹山バックの構図が頭に浮かび、姉川の築堤(西側)へロケハンに行きましたが、午前中は逆光になるため、そのまま伊吹山が午後もはっきり見えていることを念じつつ、順光側となる田村の山に登り、琵琶湖バックの構図を選択しました。田村山にはすでに20人近いカメラマンが三脚を構えており、私は一番右側に入れていただきました。1号は、田村駅の発車から白煙をたなびかせながら、長浜へと軽快に駆けていきました。撮影後、すぐに撤収して木ノ本へと向かいました。長浜市内を抜けるのに思いのほか時間を取られましたので、追いつくことは無理だろうと思い、いつものように木ノ本駅でスナップでもしようと思って車を走らせたのですが、木ノ本の手前で列車を追い抜いていることに気づき、急遽、車を停めて撮影準備に取りかかりました。カメラを構えると同時に1号がやってきて、とりあえず1枚だけシャッターを切ることができました。ラッキーでした。返しの回送は木ノ本駅と高月駅の間で撮影し、その後、朝一番でロケハンした姉川の築堤(西側)へと移動しました。すでに「鉄」ぐるまが10台以上停まっており、三脚も結構な数が並んでいます。その後、時間が経つにつれて車の数は増え、最終的には50人近いカメラマンが築堤と平行に横一線で並んでいました。冬場とはいえ、午後から気温が上がるせいもあって、3号はしばしば正直者にしか見えない“爆煙”を上げて駆け抜けることが多いのですが、このときはきれいな煙をたなびかせて築堤を上っていきました。午前中に比べて雲が広がり、露出は下がりましたが、伊吹山も依然はっきりと見えており、何とか予定どおりに伊吹山バックの写真を撮ることができました。返しの回送をどこで撮ろうかと思案した結果、虎姫駅の近くにあるお寺の梵鐘を取り入れたワイドの情景写真で締めくくることにしました。回送列車を見送ったあと、もう一度、坂田駅の近くに移動し、デジカメで流し撮りの練習をしました。何度か繰り返すうちに、徐々に成功率が増加、要領もつかめてきました。今後の修練を楽しみにしつつ家路をたどりました。本日の「思い出の1枚」は、朝の1号を田村山から撮ったカットです。後方の琵琶湖には、独特の漁法である「えり」の杭が見えています。
2006/02/21
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実は今から36年前の1970(昭和45)年8月3日、私は原田駅の筑豊線ホームに停まっているD60牽引の客車列車を撮影していたのです。本日の「思い出の1枚」はそのときのカットですが、この列車が停まっていたホームの雰囲気は、今もあまり変わっていません。懐かしい情景だと感じたのは、こうした理由があったからです。この写真には、かなり後方にですが、ホームの覆い屋根も写っています。それから原田にはターンテーブルもあったんですね。筑豊本線の終点ですので、考えてみれば当然のことですが、このネガをスキャンするまでは、きれいに忘れていました。ターンテーブルがあったあたりには今、駅前マンションが建っています。時の経過をしみじみと感じます。
2006/02/11
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このブログを始めたのが今年の1月1日、元旦でしたので、丸1ヵ月が経とうとしています。おかげさまで、ひと月、1日も欠かすことなく更新を続けることができました。これからも肩に力を入れずに続けていきたいと思いますので、よろしくお願いします。さて、本日の「思い出の1枚」は、1970(昭和45)年8月3日に熊本機関区で撮影したC57151号機です。原板のポジが色あせて、ほとんどモノクロ写真のようになっていますが、この151号機には緑のナンバープレートがついていたと思います。なお、今日(31日)から、しばらく九州へまいります。現地でこのブログを更新できたらと思い、向こうへパソコンを持っていきますが(もちろん、仕事でも必要なのですが、笑)、宿泊を予定しているホテルの部屋はどうやらLANに繋がっていないようです。首尾よく更新できれば、おなぐさみ、というところでしょうか。このブログをご贔屓にしていただいている方には、引き続きチェックしていただければうれしいです(万一だめな場合、次の更新は2月4日(土)の夜になる予定です)。
2006/01/31
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昨日は蒸機の後ろにディーゼル機がくっついた重連をご覧いただきましたが、本日は蒸機と電機の組み合わせです。本日の「思い出の1枚」は、1970(昭和45)年8月4日に鹿児島本線の上伊集院と薩摩松元の間で撮影したものです。この時は鹿児島本線が電化される直前で、蒸気機関車が牽く貨物列車や客車列車に混じって電気機関車の慣熟運転も行われていました。このカットには、D51 1024号機のあとに交流電機機関車がついていますが、パンタグラフが下がっているところを見ると、蒸機にぶら下がりの回送かもしれません。
2006/01/25
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昨日のブログで、中国の無煙化が猛烈なスピードで進んでいることを書かせていただきましたが、かつての日本でも、国鉄の無煙化直前には蒸気機関車とディーゼル機関車(もしくは電気機関車)がカップルになった重連を見かけました。本日の「思い出の1枚」は、そうしたころの写真です。撮影したのは1968(昭和43)年12月29日で、場所は四国の高松駅です。四国は比較的早くに無煙化が達成されましたので、ほかの地域ではまだまだ蒸気機関車が元気に走っているのに、四国ではディーゼルばかりという時代が、このあとすぐに訪れます。私が四国の蒸気機関車を撮影したのは末期のころのようで、前にC58、後ろにDF50がついたこの貨物列車も、そうした過渡期の記録と見ることができます。土讃線の山岳区間などではD51が運用されたようですが、残念ながら私自身は四国のD51には遇わずじまいでした。四国で最後まで残ったのはC58ですが、集煙装置がついた厳つい格好をしています。それにしてもこの編成、前が蒸機(C58)、後ろがディーゼル機(DF50)の並びでよかったと思います。逆だとがっかりしたでしょうね。
2006/01/24
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わたくし、写真を撮るのは大好きなのですが、そのあとの整理がなかなかできないという困った性格です。折角撮った写真も、整理をしておかないと、時間が経つほど何が何だか分からなくなる、というのは身に沁みているのですが、1日延ばしにするうち、気がつけば1年以上が経過しているということもざらではありません。そこで、昨年秋から一念発起し、撮ったポジはその月のうちに整理すること。これまで未整理のままになっている写真も、できるだけ早くに遡及整理をすること。この2点を自らに課しました。おかげで随分片づいてきたのですが、それでも今なお、かなりの数のポジが未整理袋の中に眠っています。最近整理したのは、1年2ヵ月前に撮影した「SLやまぐち号」です。このとき撮影した写真は、このブログの本館である「鉄道幻灯館」にもアップしていますが、ポジは未整理のままだったのです。整理にあたって久しぶりにポジを見てみると、それはそれで楽しいものです。本日の「思い出の1枚」は、平成16(2004)年11月27日に山口線徳佐のカーブで撮影したC57「やまぐち号」です。サイドから見たC57、やはりラインが流麗です。なお、このブログのお気に入りリンクの中にも入れていますが、「鉄道幻灯館」の本館へはこちらからどうぞ。http://kumahiroki.hp.infoseek.co.jp/index.htmlGallery2の山口線特集の中に収められています。
2006/01/17
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今日はディーゼル機関車がテーマの日ですが、昨日、ナンバープレートの拓本でブログを書かせていただきましたので、本日もそれの関連ネタをご覧いただきたいと思います。なお、昨日のブログに関し、わが畏友品川530さんから「ナンバープレートは交通博物館の壁面に保存されているよ」とのご教示を受けましたので、これに関する記述については訂正したいと思います。さて、昨日のブログを書いているうちに、確かナンバープレートの拓本を採っている所を記録した写真が残っていたはず、と思ってネガを探してみました。本日の「思い出の1枚」は、1972(昭和46)年8月9日に北海道・石北本線の常紋信号所で撮影した1カットですが、当時の拓本はこんなふうに採っていたんだという記録写真としてご覧ください。49673号機のナンバープレートの拓本を採っているのですが、よく見ると、実際に作業をしているのは機関士さんと機関助士さんのようです。北海道とはいえ、真夏はそれなりに暑いもの。拓本採りを見守る鉄道ファンのいでたちからも暑さが伝わってきます(かぶっている帽子や身につけている服装から、時代を感じますね)。運用と運用の間の休憩時間とはいえ、機関士さんたち自らが拓本採りに協力してくれるなど、今では考えられないことです。大らかな時代でした。
2006/01/16
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