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突然ですが、思い立ってブログを引っ越しました引越し先はこちらです。http://lifeinsweden09.blog65.fc2.com/題名もいっしょです。中身もコンセプトも一緒です。引き続きよろしくおねがいします。
2009年01月12日
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そうそう。カメラなんだけど、コニカミノルタのDimageZ5てのを使ってる。売りは光学12倍のレンズ。しかし、スポーツの撮影となると、どうやってもうまくとれない。ニコンやキャノンの、天体望遠鏡のようなレンズのついた一眼レフが欲しい、とも思うんだけど、あれって大きくて旅行とかには大変そうだけどね。ちなみに、さきほど写真をアップロードしようとしたら「一日の登録容量を超えてます」というエラーが出た。というか、残り5MBしかスペースがない。いちいちフォトショップで写真サイズをかえるのもめんどくさい。昔の削除するのも、使ってルンかどうかもわからん。となると、楽天さよなら、他のただブログこんにちは、てのがてっとりばやいのか??さておき、再スタート。コーナーキックが続き、結局アンリが決めた。僕の位置からではまさに人が重なってみづらいのだが、彼が左足を振り切ったのは見えた。あとでニュースでみたら、右足でトラップしてからの動作が速い!!ちなみにこの試合もYoutubeでたくさんありますので、興味のある方は検索してみてください。やはり世界トップクラスのFWは違うね。これはその後しばらくしてのFKで、ハーフタイム。トイレいって、ホットサンドを食う。豚のすらいすを目の前で焼いてるのをはさむだけなんだけど、うまい。で、後半。しばらくして、スタジアムが沸いた。そして「いにえええすた いねえええすた」コールがおこる。そう、スペイン代表イニエスタ8番がアップをはじめました。後半、8番と20番が投入された。これで本来のベストメンバーに近い。め、めっしさんは、、、?で、その8番、いやーああ、うまいよね。結局得点したのも彼。試合後さんざん流れてた検証番組では、オフサイド、という結論になってた(とおもう、スペイン語わかりまへん)が、これは遠いゴールでの出来事だったので、最初は7番のゴールかとおもった(というか最初にガッツポーズしてた)けど、それを8番があわせてた。というわけで、勝ち越し。後はメッシ、、と思ったら、16番が入った。場内はブーイング、だった。理由はわからん。しばらくして、8番が深くえぐってさらに個人技で相手DFを抜き去ろうとしたとき、相手のファールそして退場。試合終了間際、24番が突進してきめた。この24番はでかくて、攻撃でも試合のなかでも重要な位置を占めてた。後で調べたら、すごい選手だった。というか、すごい選手しかバルサにいないんだけどね。相手チームも一度カウンターでチャンスがあったのだが、センタリングが悪かった。強いチーム相手には少ないチャンスをいかさないとね。で、試合終了。「バルサ!x3」とみなさんと一緒に歌って、みんなすぐさま退場。僕は記念写真とって退場。で、メッシ。ニュースでみたら、マラドーナといっしょに、スタンドから観戦してました。。数日後のカップ戦で彼はハットトリック。彼の生プレーをいつかどこかでみたいと思います。そう、思ったのが、観戦マナー。こちらのファンは、はたを振る。選手のコール、ブーイング、拍手、と、極端でない応援。多くの子供が試合を見に来ていた。日本のJの酷い危ない見苦しい応援はどこから習ったんだろうね?確かに、インテルの応援は発炎筒もひどいし、怖かった。イングランドのサポーターは、試合前に路上でたむろしてビール飲みまくってるんだが、見ただけでどんなかたがたか想像つくってかんじではあった。試合後、歩いてホテルに戻る。寝て起きて、バルセロナ観光モードへ。////////////////////////////どうぞこちらのクリックよろしくお願いします。人気blogランキング参加してます。他のヨーロッパの美しい景色の情報、ヨーロッパサッカー情報などもいつもここからほかの北欧ブログのチェックはこちらからどうぞ////////////////////////////
2009年01月03日
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そうそう、スペインリーグの試合、土日ともスウェーデンで放映してて、じつはけっこう見てるんですが、いつもネットしながらのながら観戦で、あまり印象もありません。しかし、2006年のクラシコの、ロナウジーニョの大活躍の試合だけは忘れられません。なぜかとういと、そのとき、ストックホルムにあるスペイン料理屋アンドバー、「Bar Barcelona」で観戦していた、というのもあるでしょうし、彼のプレーの凄さにあきれたって感じだったからですかね。で、バルセロナに行く前に、Number 718、の記事をチェック。20番アウベスってのがいい、という情報をえたが、ベンチスタート。あと、90年代前半のバルセロナドリームチームとの比較って記事だったのだが、そこで、ラウドルップの名前があった。で、これは自慢なのだが、97年僕は、昇格を目指すビッセル神戸を応援していて、スタジアムにも何度か足を運んで、ラウドルップのプレーも生でみたことがある。プレーの印象はいまではもう記憶にないのだが、見た、ということだけは覚えている。で、これが大事である。実際は元ガンバの永島選手を激しく応援していたのではあるが。昇格決定の試合もスタジアムで見てましたよ。今思うと、J開始当初はワールドプレーヤーが結構日本にきてたのよね。リネカー、ラモンディアス、ピクシー、ドイツ勢、イタリア勢そして、スウェーデンに来る前には、基本はガンバを応援していたのだが、カズをみるために神戸にも通う。ああ、トルコのいけめん、イルハン、怪我でほとんどでれなかったのだが彼のプレーもみたよ。ついでにシャツもかったな。大阪であった試合では城もがんばってたね。脱線ついでに、神様ジーコのプレーも生で見たことがあるのもいい思い出である。こっちスウェーデンにきてからは、初年はせっせとスウェーデンリーグの試合を見に行ってた。2005年の楽天日記にはその日記がけっこうある。さらに、イタリア旅行ついでに、ミラノでインテルの開幕戦、アドリアーノのハットトリックを見た。で、2006年、ワールドカップ、日本の試合3試合と、スウェーデン対イングランドの試合を現地で観戦できた。これで燃え尽きて(笑)、2008はついに生観戦0となった。EUROはテレビでみてたけどね。で、2008年年末、スペイン旅行ついでにクラシコをみにいくかどうか悩むも断念。旅先でセビーリャの試合を終了間際テレビでみたくらいか。で、2009年、ついにスペインリーグの試合それも現在首位を走り、ヨーロッパでも強豪のひとつのバルセロナの試合を間近でみることができた。で、試合開始から、右サイドを5番と21番がえぐる。で、屈強なDF5番がここまでハーフラインを超えて攻撃参加するってのは実はしらんかった。さらに、21番の選手、誰かしらんかった。しかし、うまい!するするっとドリブル、外に展開うちにきれこむし、他の選手とのコンビネーションもいい。帰国後調べたらドイツのリーグでも活躍してたいい選手なんだよね。6番の動きや攻撃の組み立てももちろんいいし、9番もいい。で、そのうちゴールも決まるか、とおもってたら、なんと最終ラインの横パスが相手にインターセプトされて、そのままもちこまれてゴールを奪われる。てのは、試合中に知ったのではなく、あとで死ぬほど流れていたニュースで繰り返し見たから。そんときはアンリの写真をとってて、突然ピンチになっててびっくりした。ループシュート、しっかり拝みました。スタジアム静まる。しかし、試合はこれでおもしろくなるに違いない再スタート続く////////////////////////////どうぞこちらのクリックよろしくお願いします。人気blogランキング参加してます。他のヨーロッパの美しい景色の情報、ヨーロッパサッカー情報などもいつもここからほかの北欧ブログのチェックはこちらからどうぞ////////////////////////////
2009年01月03日
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1月3日夜7時過ぎホテルを出て、歩いて向かった場所とは。。カンプノウそう、サッカー、スペインリーグの試合を観戦。FCバルセロナ 対 マジョルカで、バルセロナは強くて有名なチームですが、最後に試合をまじめにみていたのは、スウェーデンのヒーロー、ヘンリクラーションが背番号7を背負ってチャンピオンズリーグの決勝でアンリ率いるアーセナルと戦っていたころかなあ(遠い目)で、そのアンリがいまやバルセロナ。マジョルカといえば、、大久保選手がいたチームだなあ、としか知らない。というわけで、とにかくメッシがみたい、と思ってチケットをスウェーデンでネットで購入。飛行機の中でスポーツ新聞の予想スタメンみたら、ななんと、メッシはでないだろう、と。おいおい。まあ、それでも出て欲しいなと思いつつ、スタジアムへ。そもそも、この旅の計画は、この試合をみることが最重要であり、ホテルも歩いていけるところを予約。スウェーデンのサイトで、飛行機航空券と自分で選択できるホテル宿泊がセットでお手ごろ価格なのがあったのでそれにした。で、いちおう、防寒対策もばっちり、だるま状態。スタジアムの入り口もスムーズにはいる。まずはコーヒーを買って、ソレを手にいざ、スタジアムへ。ちなみに、前から5列目。もちろん、サッカー観戦は近ければいいかというとそういうわけではないが、今回は、つよいチームの選手を間近でみたかったので、うれしい。スタジアムはでかいが、ミラノとドルトムントにある巨大スタジアムにもすでにいってるので、まあそれほどビックリしたわけではない。選手のアップがおわり、いったん退出して、入場。子供達らと記念撮影など。これが今日のスタメン。メッシはやはりでてない。。しかし、アンリとエトーがでてるのでそれはうれしい。ちなみに、サッカー観戦の興味といえば、攻撃しか頭にないので、バルセロナの選手といえでも知ってるのは、9番エトー、14番アンリ、7番グヨンセン、(以降背番号だけを記す)そしてスペイン代表の6番5番。くらい。にわかなもんで勘弁してください。アンリさあ、キックオフ6番5番前半は僕の右側にバルセロナが攻めるので、目の前では右サイドの21番、5番がよく動き、反対側の7番14番はちょっと遠いですな。続く////////////////////////////どうぞこちらのクリックよろしくお願いします。人気blogランキング参加してます。他のヨーロッパの美しい景色の情報、ヨーロッパサッカー情報などもいつもここからほかの北欧ブログのチェックはこちらからどうぞ////////////////////////////
2009年01月03日
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1月3日土曜日午後3時過ぎのアーランダ発の便に乗る。6時30分くらいに到着。その地は。。スペイン、バルセロナ。またスペインかよ!てかんじですが、前回の旅でアンダルシアに憧れて回った結果、バルセロナを日程にくめなかったんですよね。ほんとはスペインといえばバルセロナ、ってくらい憧れてたんですが。というわけで、マイナス10度の北欧の国さようなら。プラス2-10度のまともな(笑)冬の国、スペインこんばんわ。そして、タクシーにのって、ホテルへ一直線。チェックイン。そして、荷物をおいてすぐホテルを出発。その行く先とは。。。続く
2009年01月03日
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日付がかわるあたりから、うらの空き地で人があつまって花火を上げはじめた。僕はベッドの中から窓越しにその花火をみつつ、すやすやと眠った。そして1月1日がきた。そう、初日の出をみた。9時に。勤務先の窓から、となりの森をみてたら、ちょうど太陽が顔を出すところだった。で、緯度が高いので、日本のように真上にあがらず、その森の木を右になめるようにあがっていく。日本人らしく拝みました。はんどんで働いて帰宅してぞうにくって、これで今日の食事で思い残すことはなくなった。で、しばらくして昼寝して起きた。年末年始もスウェーデンのテレビは、ちっともおもしろくない。いや、まじで。まあだからこそ、昨日は司馬遼太郎の新史太閤記を読み終わり、今日は仕事ができたわけだが。で、明日は通常勤務だが、日本人の知人邸での新年会にも参加予定。皆さん今年もよろしくおねがいします。2009-01-01 スウェーデンにて。Q2000////////////////////////////今年もみてやるか、と思っていただいてる方、クリックよろしくお願いします。人気blogランキング参加してます。他のヨーロッパの美しい景色の情報、ヨーロッパサッカー情報などもいつもここからほかの北欧ブログのチェックはこちらからどうぞ////////////////////////////
2009年01月01日
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こちらの時間ではまだ1835なので大晦日。去年のこのころは、ブダペストの日本人宿アンダンテさんのところに泊まっていて、カウントダウンは川の横で今年を迎えた。今年は今日も明日も仕事でさらに風邪気味なので、年越し蕎麦くってすぐ寝ると思う。こっちの大晦日は打ち上げ花火が「怖い」よっぱらいが水平発射するし、火事もけんかもおこる。というわけで、部屋で静かにすごします。さようなら 2008年
2008年12月31日
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今日、昼くらいから雪が降り、ホワイトクリスマスとなりました。祝日扱いなのだけど、僕は勤務がありました。上司は今日は、豚とポテトを食べないと!といっておりましたが、僕はスウェーデンの食生活の伝統には興味がないので、食べませんでしたが。イブの町の風景。ちなみに、クリスマス25日をはさんだ3日は、家族と過ごす日だそうです。夜、写真を撮って回りました。電飾つきtree橋からの景色。お城店も閉まってゴーストタウンのメインストリート教会に集い始めた人たち。11時からミサだそうです。メリークリスマス!////////////////////////////たまには、クリックしてくださいな~人気blogランキング参加してます。他のヨーロッパの美しい景色の情報、ヨーロッパサッカー情報などもいつもここからブログ村の住人にもなりました。
2008年12月24日
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ヘンリックラーションといえば、スウェーデンのみならずヨーロッパサッカー界のスーパースターなのだが、現在シーズンオフで、インネバンディというスポーツをやってる。これは、室内アイスホッケー、もちろん氷なし、という感じのスポーツで、冬の室内スポーツのひとつとして、アマチュアもけっこうたのしんでる。で、その国内リーグで、今日の試合、ヘンケが所属するヘルシンボリは、7-7においつかれ、サドンデスの状況でヘンケが無人のゴールに決勝ゴールを叩き込んだ!ちなみにアシストも1つ決めており、今日の勝利の立役者といっていいだろう。て、ニュースで知っただけなんですけどね。すぐネットの記事も配信されてたので写真もらってきました。日本ではマンUが話題で、こちらのニュースやCNNでももちろん取り上げられておりました。実はガンバファンなんで勝てば面白いなと思ってたんですが、まあ、無理でしたな。
2008年12月22日
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12月17日 水曜日朝チェックアウト、朝食くって11時のバスでマドリッドへ。まず、ゴヤの遺体が安置されている教会へ。そしてホステルにチェックいん。それから町にでて、昼食。侍という名前の日本料理屋。実は、ここでの食事が僕にとって、今回のたびで一番おいしかった。やっぱこぶたの丸焼きよりも、おいしく揚がったトンカツだよね。あと寿司とうどんと天ぷら。しみじみと味わいました。で、満足してそこから歩いて王宮へ。王宮は、豪華でよかったが、バッキンガムのほうがおもしろいかな。他、武器博物館などもあった。で、そこからでて、夕方のおやつとして、棒状のあげたお菓子チュロスにチョコをつけて食べる、はやってる店にいった。これはあつあつでさくっとしてさらに甘さも濃厚でなかなかいけた。で、その後、歴史博物館に歩いていったら改装閉鎖中でした。この日はスーパーで最後のみやげのかいこみ、そしてハムとパンとチーズとビールをかってホステルで最後のばんさん食って、ねておきて12月18日、無事スウェーデンに帰国しました。帰国してすぐラーメン食いました。おわり。////////////////////////////旅行記、面白かった、と思ったらクリックよろしくお願いします。人気blogランキング参加してます。他のヨーロッパの美しい景色の情報、ヨーロッパサッカー情報などもいつもここからほかの北欧ブログのチェックはこちらからどうぞ////////////////////////////
2008年12月17日
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セゴビア行きの電車がマドリッドのチャマルティン駅でのりかえないといけないというのを車掌が言ってまわってたようだけど、スペイン語でもちろん理解できず、どれに乗り換えたらわからず、人に聞いてもとんでもない方向指差されてあせりました。バスでの移動の方が安心できます。で、セゴビア駅。しかし、高速鉄道の駅とローカル線の駅が違うみたいで、地球の歩き方の説明とはどうやらちがう。不安になりながら待ってたらバスがきて、それにのって町へ。で、今回の旅行で一番いいホテル4星にチェックイン。水道橋の横でロケーションも最高。部屋からの景色そして、その後、早足であるいて、お城へ。ディズニーの白雪姫のお城のモデルにもなったといわれているお城。6時にしまるのだが、5時に到着。お城からの景色お城の外観で、お城のなかをみてまわって、外へ。この町も寒く2度くらい。丘をおりてコーヒー飲んで、バスターミナルにいって次の日のバスチケットかって、ホテルにもどって、8時にレストランが開くので時間を合わせていく。今晩のメインディッシュは、有名な子豚の丸焼き。しかし、実際はちょっとはなれたところでウェイターがとりわけて、なまなましい子豚ちゃんの顔を拝むことはなかった。まあよかったというべきか、物足りないというべきか。で、お味のほうは、生後15-20日くらいのこぶたちゃんの肉はまさに鶏肉のようなやわらかさだった。しかしもちろん味は豚の味。まあ、一度は話のネタに食べておいてもいいかも。で、この日は終了。ホテルにかえって、ねた////////////////////////////クリックよろしく~人気blogランキング参加してます。他のヨーロッパの美しい景色の情報、ヨーロッパサッカー情報などもいつもここからほかの北欧ブログのチェックはこちらからどうぞ////////////////////////////
2008年12月16日
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コルドバでは、次の日の高速電車AVAのチケットをかってから、宿へ。バスで近くの広場までいってそこからあるく。旧市街の町自体が世界遺産。チェックインして、歩いてすぐのメスキータへ。遅くて中には入れず。川をわたったり写真を撮ったり。メスキータと花のこみち橋の上から町の風景そしてうろうろしてスーパーでビールなどかって、ホテルでまずビールとたこ缶で一杯。その後で夕食。といってもカラマリとサラダとビールだが、カラマリが揚げたてですばらしかった。かえって寝ておきて、12月16日火曜日朝メスキータの中をうろうろして、チェックアウト。歩いて駅へ。そして、AVEでまずマドリッド、アトーチャ駅へ。そして乗り換えてセゴビアへ。続く////////////////////////////クリックよろしく~人気blogランキング参加してます。他のヨーロッパの美しい景色の情報、ヨーロッパサッカー情報などもいつもここからほかの北欧ブログのチェックはこちらからどうぞ////////////////////////////
2008年12月15日
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12月14日日曜日朝チェックアウトして、荷物を荷物室におかせてもらって、アルハンブラ宮殿へアルハンブラ宮殿とは、異なる時代に建てられた建築物の複合体らしいが、主に、イスラム教国家、グラナダを首都としたナスル朝(1238-1492)の時代のものが多いそうです。しかし、雨が降ったりやんだりで寒くて、まあ今回のたびのメインイベントといってもよかったのだけど、早足で駆け抜けたってかんじかな。昼飯はバーガーキングバスで移動。セビーリャへセビーリャに夕方ついて、次の日のバスチケットかって、宿へ。トラムにのって中心へ。そこからあるいてちょっとの地球の歩き方にものってる宿。他にも日本人宿泊客あり、そして日本語環境のネットも使い放題だった。朝食もついてた。部屋はちょっと古い感じもあったが清潔でした。晩飯は、受付の人にきいた、地元の安いバールにて、ビールとサングリアとチョリソ。2軒はしご。寝ておきて 12月15日月曜日朝チェックアウト、町を歩くも大きなスーパーでせっせと買物。昼過ぎのバスで移動。コルドバへ。というかんじなので、セビーリャはとまって夜歩いただけだな。続く////////////////////////////クリックよろしく~人気blogランキング参加してます。他のヨーロッパの美しい景色の情報、ヨーロッパサッカー情報などもいつもここからほかの北欧ブログのチェックはこちらからどうぞ////////////////////////////
2008年12月14日
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今回のフラメンコは、場所が洞窟というのがひとつのポイント。で、マサキさんのパンフレットによると「伝説のフラメンコ婆」が踊る、とあり、パンフにも彼女の写真がのってた。もうひとつツアーがあったが、こっちのほうが安く、婆さんはともかく、洞窟の中というのに引かれてこっちにした。待ち合わせ場所でマサキさんとあい、ピックアップの車にのる。ここで彼とはおわかれ。いろいろ情報をいただき、ありがとうございました。「ここがモロッコ人街で、歩くと首しめ強盗にあいます。その向こうのストリートは、よるになると薬やってる人たちたむろして退廃的な雰囲気です。」なんて情報までおしえていただいた。で、車でいった。先着のお客さん。1杯サングリアをのみつつ開始をまつ。で、他何組かお客さんがきて、10時過ぎフラメンコがはじまった。踊り子は女性4人、男性一人。いちばんわかいこ赤と黒の服をきて情熱的な踊りをみせてもらいました。まさに、カルメンのイメージぴったりでした。ほんとの名前はしらんけど。たぶんこの店の看板のダンサー。後ろ向きになった時、その引き締まった筋肉質のヒップにはびっくりしまいた。四人そろい踏み。一番手前が伝説のフラメンコ婆。彼女もしっかり踊ってました。で、踊りが終わって、小雨の中マイクロバスで夜景観光日付も変わった頃、ふもとの町でバスを降りました。クラシコはすでに終了しておりました。2-0でバルサというニュースを夜みました。サッカーは見ることができなかったけど、フラメンコは堪能しました。なにがいいって、そのせつない表情と、はげしいステップそして踊り。生の手拍子の迫力、中尾ミエ激似のおばさんの熱唱、フラメンコギターなどなど。そして、次の日はこの旅のメインイベントともいえるアルハンブラ宮殿つづく。////////////////////////////人気blogランキング参加してます。他のヨーロッパの美しい景色の情報、ヨーロッパサッカー情報などもいつもここからほかの北欧ブログのチェックはこちらからどうぞ
2008年12月13日
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12月13日 土曜日宿をチェックアウト。この日はピカソ美術館にいって、そこで朝食もとった。バスの待ち時間がちょっとあり、サンドイッチをバスターミナルで食べた。バスに乗っていたら、雨が降ってきた。夕方、グラナダへ。グラナダは、スペインの歴史においても重要な場所で、そして有名な宮殿がある。近藤真彦の歌で「アンダルシアに憧れて」アンダルシアに憧れて バラをくわえて踊っている地下の酒場のカルメンと 今夜メトロでランデブー実は、スペインの南部をアンダルシア地方って言うこと、知らんかった。スウェーデン人の知人と話していてしった。いーぞーアンダルシアはああといってた。というわけで、今回のたびのテーマは「アンダルシアに憧れて」であった。実際は、とにかく温かいであろう地域に逃げ出したかっただけなんだが(笑)帰国してマッチの歌を聴いてみると、アンダルシアの青い空、グラナダの歌、などの歌詞があった。残念ながら、グラナダでは青い空をみることはできなかった。バスでまずは、地球の歩き方にものっている、日本人の観光案内所へ。そこで、セニョールマサキさんにいろいろ町の歩き方を教えてもらった。フラメンコも予約できるよといわれたけど、ちょっと考えさせてくださいといって退室。この日、クラシコ(レアルマドリッド対バルセロナ)の試合があり、それをバーでみようかなんておもってた。チェックイン。荷物を置く。小さなバスで、山に登り、宮殿を反対側からみる場所にいって写真。雨が降ってちょっと陰鬱ではあった。またバスでおりて、町でまずビール。ビールを飲んでたら、気分も上向いてきて、フラメンコいきたくなって、セニョールマサキさんのところにいって、チケット購入。それから、パエリアくって、9時待ち合わせ場所へ。カルメンにあいにいこう。つづく////////////////////////////人気blogランキング参加してます。他のヨーロッパの美しい景色の情報、ヨーロッパサッカー情報などもいつもここからほかの北欧ブログのチェックはこちらからどうぞ////////////////////////////
2008年12月13日
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マラガまで3時間。ちなみにマラガはスエーデン人には人気のリゾートである。夏はビーチで、年中ゴルフが暖かくできるというのがいいらしい。僕はしないけど。で、駅からバックパッカーの宿まで結構距離があり、バスで移動したのだが、そのバス停を探すのでひとくろうだった。金曜日夜、バスの窓からみると、すごい、人人人!観光客か地元民かわからんけど、うじゃうじゃいた。で、しょぼい宿にチェックイン。で、町を歩いたちょいうかれたかんじレストランへ。目の前で切ってもらったイベリコ豚の生ハムと魚フライをたべた。これはうまかった。さすがスペインはちがう!で、人ごみをあるいて宿に戻ってたら、どうやらもっていたリュックサックを開けられてた。完全に油断してたのだが、やはりリュックは持って歩くべきではないね。カメラしかはいってなかったのだけど。宿に戻って寝た。つづく////////////////////////////クリックよろしく~人気blogランキング参加してます。他のヨーロッパの美しい景色の情報、ヨーロッパサッカー情報などもいつもここからほかの北欧ブログのチェックはこちらからどうぞ////////////////////////////
2008年12月12日
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12月11日、木曜日、夜スペイン再上陸明日移動するバスターミナルと時間を確認、ホテルに戻って、遅い夕食へ色々歩いて、結局、メキシコ料理屋に入った。揚げ物のセットなど。やや脂分おおいもうまし!バーに移動して、ギネスを飲んだ。バス移動、フェリー移動などと続いたので、良く眠れた。12月12日、金曜日、朝チェックアウトバスで30分のある町へむかう。そしてそこから歩いたらそこに英国の領土がある。ジブラルタル。バスからスペインがいまでも北アフリカに飛び地があるように、英国もこの要所の領土を手放さない。当然パスポートチェックがある。町にはユニオンジャック。通貨はジブラルタルポンドそして、町の広さと平地面積の関係で、空港を歩いて横切る構造となっている。丁度目の前で飛び立つ飛行機をみることができた。で、歩いたらメインストリート。観光地モード。で、さらにあるいて、ロープウェイ乗り場へ。ロープウェイにのって、山へ。この山はサルがいることで有名。写真をとった。で、別の展望台に移動。そこにもサルがいた。で、しゃがんで、喉が渇いたのでペットボトルをとりだして、飲んだ。で、ちょっとカロリー補給と、ちょこをリュック取り出した。完全に、油断していた。数メートル先にいた2匹のサルのうち、いっぴきが僕に向かって猛然とダッシュしてきた。それをみて、自分がしたことと状況を把握した。僕に出来ることは、うしろむきになって固まることだけだった。そのサルは、みごとに僕の背中にタックルをかましてくれた。そして、しばらく、2mくらいの距離をおいてにらみ合いとなった。これは、威嚇しているのか、威嚇されているのか。戦うべきか、逃げるべきか。もちろん、サルとの戦闘の過去はない。方法もわからん。すごすごとゆっくり逃げた。くそ~サルめ!!で、気を取り直して、移動。稜線沿いに別の山頂まで。晴れていて景色は最高によい。昔の砲台や軍事施設などもある。そして写真をとって山を下りていると、雨が降ってきた。。で、山の中腹の駅から下りのロープウェイにのってやまをおりた。で、昼食。せっかくの英国なので、フィッシュアンドチップスを食うことに。で、適当にひとつすじがはいったところにあった店にはいった。で、おいしそうな魚のフライとポテトがでてきた。で、おいしそうなのはみかけだけで、ちっともおいしくないということを知るのにふたくちで十分だった。ストックホルムのHotorgetの地下にある魚スープで有名な店のフィッシュアンドチップスのほうがはるかにおいしかった。別のお客は家族で入って、パスタを3つ頼んでいて、なんと2つを「おいしくない」とてをつけづに店につきかえしていた。そりゃあ英国領でパスタはやばいでしょう?しかし、店のおやじがなんか僕は気に入ったので、チップをおいて店を出た。雨の中、繁華街をぬけ、スペインにもどって、コーヒーのんで、夕方、バスで移動。移動先は、マラガつづく。////////////////////////////人気blogランキング参加してます。他のヨーロッパの美しい景色の情報、ヨーロッパサッカー情報などもいつもここからほかの北欧ブログのチェックはこちらからどうぞ////////////////////////////
2008年12月12日
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12月11日、木曜日、アフリカ上陸バスに乗って、いきなり、モロッコとの国境へ。ここでなんとツアー客みんなのパスポートを預けることになる。で、モロッコがわにはいると、景色が変わる。空の色、山肌、海などの自然が変わるわけではない。「貧しさ」が町に如実に顕れるということである。そして、ヨーロッパが投資したリゾートマンションなどはいくらか建築中である。お約束の貧富の差である。で、世界遺産の町、「テトゥアン旧市街」へ。白い家並みが密集して、迷路のような道、そこで屋台がたくさんでている。剥いだばかりの羊毛つき皮が路上につんである。清潔とは無縁であろう肉やでは、羊やらとりやらの肉をぶつぎりにしてうってる。白い飲み物を売ってる。お菓子やは、観光客相手にどうみても高いレートで売りつける。ツアーは、カーペットやで話を聞かないと昼食にありつけないシステムとなっている。金持ちそうなギリシャからの夫婦がなにかかった。僕は不機嫌まるだしの顔で座って、話しかけられても無視して英語は話せないのかときかれたら話せないと答えた。僕はこのやり方がきらいである。まあ、ツアーが安い理由のひとつがこれなので、はじめからわかっていたのではあるが。いままでこんなシステムでうんざりした記憶がある。そう、韓国ソウルへ仕事でいったとき、空港からの送迎がなぜか、キムチ屋や、にせものブランド品屋を経由しないとホテルにつかないシステムになっていて、あきれてものがいえなかった。カーペット押し売りに耐えたら、屋上で町の景色をながめるも、大音量のコーランが聞こえてきた。これはキプロス以来である。で、ランチ。くすくすとチキン。まあ、悪くない。その後さらに町を歩き、みやげもの押し売り、現地ガイドがしつこくチップを要求してきたけど無視。そういえば、レストランから出るとき、なにやら奇妙な音楽を演奏していた連中の前をとおったとき、チップだせといわれて無視したら、たぶん、これだから中国人は、、みたいな会話をしてた。「俺は中国人だ」といったわけではないので、いままでの中国人の評判がそのままでただけだろう。まあ、けちなのは悪いことではない。町の入り口。で、バスで、タンジェへ移動。この間も、貧しそうな町並みを見る。リオデジャネイロに去年いったときもスラム地域があったが、ここでは、町の大部分がそんなかんじ、ってところもあった。しかし、いま検索したら、アフリカの中では豊かな国だそうだ。まあ、たしかに、下には下があるのだろう。タンジェは明らかに豊かな町だった。タンジェを歩いて、なんとかホテルで休憩。ユダヤ人経営だそうだ。ホテルにある骨董やを眺めていたら、オーナーがやってきて、お前は日本人か?東京か?などと話しかけてきた。適当にながしてたら「おまえは本当に日本人か?100%日本人なのか?」とまでいわれた「たぶん」と答えた。いままで彼があってきた日本人はきっともっと愛想よく、日本のことをいわれて笑顔で対応したのだろう。ちなみに、僕はどうやら日本人よりは中国人にみえるらしい。まあ、どうでもいいのだが。で、タンジェからセウタにもどる海辺のドライブは最高にいい景色だった。対岸にスペインが見える。自分がいる大陸を別の大陸から見るというのはなかなかおもしろいものである。で、再入国の場所はやはり緊張。無事パスポートが手元に戻ってスペインに戻ったときの気分は、まさにほっとした、というかんじである。そして港に到着。ガイドからチケットをもらう。チップを受け取りたいというそぶりもみせずにさっさと彼はきえた。船にのって、アフリカを去る。日帰りでいけるアフリカの旅。まあ、いろんなところにいってその町と様々なひとたちの生活ぶりや活動ぶりをみるのは、悪くない。旅はまだ序盤。続く////////////////////////////人気blogランキング参加してます。他のヨーロッパの美しい景色の情報、ヨーロッパサッカー情報などもいつもここからほかの北欧ブログのチェックはこちらからどうぞ
2008年12月11日
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マドリッド、12月10日水曜日、夜知らなかったというか、まともにチェックしてなかったのだが、この日、レアルマドリッド対ゼニトの試合がマドリッドでありました。知ってたら日程かえたか、、というとよくわかりませんが。夕食食べてたら、店員とお客がテレビにくぎづけ。で、バスターミナルに移動したら、そちらでもテレビの前に数人熱心にみてました。で、22時にバスは出発。バスは、2時くらいにサービスエリアで休憩、そして、目的地へ6時くらいに到着アルヘシラスこの地名を知ってる人はすごい。そう、地中海への港なぜここにきたか?そう、アフリカにいくため。知らない人がほとんどだろうし、僕もしらなかったのだけど、アフリカにスペイン領土(飛び地)があります。セウタという町ですが、その町にフェリーがでております。で、検索したら、セウタにはいって、そこからモロッコに入ってさらに日帰りというツアーがあることをしり、それに行くためにこの港町につきました。で、12月11日、木曜日、朝、いい天気。ツアーに申し込み、チケットかって、ホテルにいったら7時前なのにチェックインもできました。で、荷物おろしてふたたび港に戻り、コーヒーのんで、10時に出航。それほど揺れるわけでもなかった。船のなかでマドリッドで買ったドーナツを食べた。で、1時間くらいでジブラルタル海峡をわたり、アフリカ大陸への第一歩。これで、北米、南米、ユーラシア、オーストラリア大陸にはいままでいったことがあるから、ついに最後の未踏の大陸に足を踏み入れた、ということになります。(南極大陸は現実的でないので除く)おなじツアーの外国人の人も、アフリカにきたぞ!と感慨ぶかげでした。しかし、そこはアフリカとえどもスペイン領。不思議な気分でした続く////////////////////////////人気blogランキング参加してます。他のヨーロッパの美しい景色の情報、ヨーロッパサッカー情報などもいつもここからほかの北欧ブログのチェックはこちらからどうぞ
2008年12月11日
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朝、宿をチェックアウトして、バスターミナルにいって、チケット購入そしてバッグを預けて、朝食、コーヒーとパンくって、さあ、プラド美術館へ。今年は、ウィーンの美術館、パリのルーブル美術館、大英博物館といっているのだが、後はプラドとサンクトペテルスブルグの美術館にいかねば、と思っていた。で、今回そのひとつに今回くることができた。3つの美術館の共通チケットを購入。まずは、プラドへおすすめは、ゴヤでした。これ以外も、彼の多くの異なった作風の作品を楽しめました。同じ構図の裸体の方はなんと貸し出し中でみられませんでした。エルグレコの絵は、現在の漫画のようなかんじでした。ちうか現在の漫画が影響をうけてるんだろうけど。ベラスケスの絵もたくさんあったけど、なんといってもボッシュの不思議な絵「快楽の園」は、これが数百年前の絵?ってかんじでした。ランチは、日本食屋。おかわりしまくり。午後はまず、ティッセン美術館ティータイムそして、夕暮れ、ゲルニカを見に行きました。実はうしの顔の部分くらいしか印象がなかったのだけど、製作の過程をとった写真があり、絵、構図の変遷を知ることが出来ました。夜、ビールと海産物(これが旅の目的でもある)をくって、午後10時のバスで移動、目的地は、、(続く)////////////////////////////たまには、クリックしてくださいな~面白かった、続きが読みたい、などなどと思った人よろしく!人気blogランキング参加してます。他のヨーロッパの美しい景色の情報、ヨーロッパサッカー情報などもいつもここからブログ村の住人にもなりました。
2008年12月10日
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ごぶさたです。これを書いてるのは22日ですが、9日から18日までスペインなどにいっておりました。その旅行記を不定期にかこうかとおもっております。12月9日火曜日アーランダ空港からマドリッドの空港へ。午後3時くらい発、4時間の空のたび。時差はなし。マドリッドの事前情報すりだらけ首絞め強盗こんなもんしかなく、地下鉄はこわいか?とかおもったけど、安いので、地下鉄で市内へ。2回乗り継いで、事前に予約していた日本人経営の安宿へチェックイン。安さと安全性がおすすめです。夜は、宿にとまってた人ともいっしょにバールへ。さっそくハムとビールとマッシュルーム焼を楽しんだ。マドリッドの印象は、、寒い、だった。やはり12月のヨーロッパはどこいっても寒いのよ。物価は明らかにスウェーデンより安いが、旅行者むけの、日本語でメニューがかいてあるようなレストランはまあ、割高だったね。
2008年12月09日
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週末から本格的に降り出した雪は、勢いが弱まることなく昨日の夜から今日にかけてもがんがん降って、除雪車が走り回ってもまた積もるって感じ。部屋から外を見ると、まるで自分が志賀高原のゲレンデの山小屋にいるかのような気分を味わうことが出来ました。朝、自転車で走ったら、除雪できてないところでは車輪が埋まってしまって押しました。ストックホルムにいくのに駅にいくのに大事をとってバスを利用。帰りのバス、バス停で停車した後、除雪が不十分な場所なのか、後輪が空回り。数メートルバックしてやっと動きました。ところで、スウェーデン語コースでつかっている教材Språkportenこれ、比較的新しい本なんだけど、Komvuxなどでも使っていて、CDも自習しやすく、非常にお勧めです。ただし中上級向け(SAS A,Bクラス)この教材、いろいろスウェーデン社会への切り込みがあるのですが、今回はいろいろな同居形態についての新しい単語の学習ちなみにboというのが、住む、という意味のこっちの単語Samboが、一緒に暮らす、同棲といった意味。事実婚。Mamboは、ストックホルムなど大都市で住宅事情が悪くて、通常なら18で親元をはなれるところが離れられない、そして、そのいごこちのよさにずるずる親元にいる、いわゆるパラサイトシングル。ママと男の子供をさすことが一般みたい。それは知ってたのだが、Delsbo, helgbo,kvarbo, provbo, exbo, komboなどが登場とくに、kombo,これはコンビネーション+住むで、先生も説明できなかった。謎だ。。この教材にもしっかりかかれているが、毎年、スウェーデンカップルは5万人わかれるとのこと。2万が結婚して分かれる、3万がサンボで分かれる。この数字はヨーロッパいや世界で最高の率であろう、と。前の日記で「スウェーデン人は待つことに関してはすごい!」といったのだが、「恋愛関係における我慢、忍耐はする必要なし」という感覚なのだろうか。ちったあ子供のことも考えろよといいたい。この教材にあった話で連れ子をもつ男性と女性がくっついて、その子供同士(他人だわな)が何とか仲良くなる。で、仲良くなったところでまたその男性と女性が分かれて、子供同士、もしくは子供とそのいまはまったく他人になった祖父祖母とこっそり交流してるって話。たぶん、これに似た話はいくらでもあるんだろうね。Bonusburn, いわゆるつれごBonusmorfar ぎりのお母さんのお父さん(あたらしいおじいさん)ボーナス、と言葉だけ飾ってもなんだかなあ、って思います。男女同権、女性の社会進出、父の育児休暇など、世界でも突出した成果があるとは思いますが、それにひきかえて失ったものがあるのではないかと思います。それをどう評価するかは、実際この国で恩恵を受けている女性と、乳母車をひいている男性、わりをくってる子供、そして僕のような部外者では異なることはあらかじめ明記しておきます。
2008年11月24日
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今朝起きて窓の外をみたら銀世界だった。10cmくらい積もってる。気温はもちろん氷点下。すでにやんでいて、空は晴れていた。気分がいい。午前中に、初めてフィットネスにいった。雪の道を自転車で走る。除雪車は走り回っていたが、まあ完璧ではない。朝から子供達がそりをもって外にでてた。子供もうれしいのだろう。フィットネスは2階にあるのだが、そこからの景色が非常によかった。昔は「なんでわざわざ寒いところに人間が住むんだろう?暖かいところに住めばいいのに」とおもっていたが、夏のすごしやすさはいいし、寒いのは人間は(部屋の中の暖房がしっかりしてたら)なんとかなるもんである。しかし、ま、暖かいところがすきなんだけどね。知人の日本人妻に「スウェーデンは好きですか?」ときいたら、「私はハワイに住みたい」っていってた。ま、どっちがいいかといわれると僕もハワイの方がいいんだけど(笑)
2008年11月22日
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いつもは面倒なので写真はアップしないけど、なんとなくhttp://kojii.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/ng-ng-4e29.html【速報】グリペン NG は NGノルウェー国防省が、F-16A/B の後継機として F-35 の採用を決定しました。負けたのは Saab の Gripen NG です。既報のように、Typhoon については「ノルウェーは F-35 が欲しいみたいだから」といって、すでに降りてしまっていました。ノルウェー国防省の説明によると、F-35 の方が Gripen NG より安価な提案を行っていたというのですが、にわかには信じがたいものが…これを受けて Saab の株価は 12% も下落したそうです。いよいよスイスやブラジルの商談を落とせなくなってきました。・・・・・・・・・・・・・・・・・この記事、こっちの新聞で見ました。政治的なことではなく、性能、値段、産業の協力が大切だ、というのがノルウェーの公的な声明だけど、実際、政治的な問題、アメリカとの関係が重要なんだろう、てな解説がありました。まさにその通りだと思います。で、日本も戦闘機の選定で、アメリカから買うかヨーロッパから買うか、今後決まると思いますが、スウェーデンから買うことはないでしょうね。しかし、戦闘機を国産できるってのはすごいことですよ!余談ですが、こっちに来たとしに、アフリカの某国の大使館員の奥さんとスウェーデン語学学校がいっしょだったのですが、週末なにしてたの?ときくと、うちの国がサーブから戦闘機かうから、ヨーテボリに旦那とパーティーにいってきたわ、と楽しそうにいってました。それって国防上重要なことなんじゃ、、って思いましたが。
2008年11月21日
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スウェーデン社会をひとりの日本人が体験したことをありのままかいてあるだけなんですが、そのインパクトで伝説のブログがあります。スウェーデンとほほま、ひまなときにじっくり読んでみてください。今日は、前回の続きで、なぜ移民は仕事が得にくいのか、ということに関してひとつの答えがここにあります。抜粋(というかコピペ)しますと。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 「日本名を使ったら仕事見つかんないよ。」かれこれ10年近くになるけど、学校の先生が「あなたはこっちの人と結婚するから問題ないけど、外国人は名前がスウェ―デン人や西ヨ―ロッパ人とは違うものだと、就職活動の時に履歴書すら見てもらえないのよ。外国人名、特にイスラムの名前だったりするとごみ箱行きだから、あなたが結婚するときは名字を変えることを薦めるわ。」と言ったの。イスラム教徒の友人がたくさんいる私ははっきり言ってものすごく気分を害したのよね。ところが最近職安に行って係のおじさんと喋る機会があったんだけど、まずわたしの顔と経歴書を見て「あ、スウェ―デン人と結婚しているんだ。よかったな。日本の名前で履歴書を出しても、紙ヒコ ―キにして遊ばれるか、ごみ箱にポイだよ。」と言ったの!何それ、どういう意味!?「紙ヒコ―キ、分かる?紙でヒコ―キを作って飛ばすの。」、、、スウェ―デン語は通じています!そうじゃなくて、失礼じゃない??「いや、つまり外国人には就職のチャンスが少ないけれど、きみはスウェ―デン人の名字だからチャンスがある、ラッキ―って意味だよ。」わたしの名前がスウェ―デン人のものでも、面接でスウェ―デン人じゃないって判明すれば同じじゃないんですか?「面接に呼ばれるだけでも、ラッキ―だと思わないか?スウェ―デン人ですら失業しているのに。実際に中近東出身の移民はこぞって名前をスウェ―デン人名に変更しているよ。そうでもしなきゃ、仕事が見つからないってこと。」雇用における外国人差別はなにも日本だけじゃないのね。でも、職安の係自らこんな差別的発言をしていいのかね?なんかさ、自分がひどい事言われてもヘコまないけど、他の外国人を悪く言われるとまるで友人を中傷された気分になって、一日中悲しい思いをしてしまう 。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ようするに、名前がスウェーデン人でないと履歴書が紙ヒコーキになってしまっていたわけです。もちろん、いろいろな理由がありそのひとつなんでしょうけど。こちらが長い日本人さんによると「ここはスウェーデンですので、当然仕事か何かで経済的なものが関わってくる場合には、スウェーデン人が移民よりも優先されるのは当然です。」とのことです。ちなみに、スウェーデン人がEUのほかの国の国民より、そしてEU外の国の国民より優遇されるのは当然といえるでしょうけど、移民でもすでに国籍がスウェーデン人になってたらスウェーデン人だと思うんですけどね。まあ、ふつうに競争原理が働いて新スウェーデン人よりスウェーデン原人が勝つことがおおいのはわかります。というわけで、移民の仕事として多いのは掃除婦、ケバブ屋などの飲食店、そしてタクシーの運転手、という印象です。またまた余談ですが、以前、こちらの日本人がよくみる掲示板で、すでにもうその記述がないので記憶をたどると「日本人がつけるスウェーデンでの仕事としては、日本人相手の食料品店か飲食店くらいしかない」という趣旨の書き込みがあり、それにたいして「くらいしかないとはなにごとか!」とくってかかってる人がいました。実際のところ、上記のことくらいしかない、という発言はまあ妥当なところだと僕は思ったんですけどね。つづく
2008年11月17日
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まず、グーグルで検索「スウェーデン 移民 問題」でヒットするのは、この、清瀬市議会議員石川秀樹氏のスウェーデン訪問記10年以上前のインタビューではあるが、現在でも問題が解決されているとはとてもいいがたい。スウェーデンの政策担当者の意見なのでまた重みもあるであろう。抜粋すると////////////1996年5月 スウェーデンの第2の都市ヨーテボリに行き、当時の政権党であった社民党のヨーテボリ地域の支部を訪ね、政策担当者である Julio Abreuさんに話を伺った。インタビューは、移民外国人政策を中心に伺ったものであるが、スウェーデン社会の特色についても話は及んだ。 ちなみにスウェーデンは2006年6月に12年ぶりに政権交代があり、社会民主党から、穏健党を中心とする中道右派の連合に政権が移った。このインタビューでも感じられるように当時から社会の閉塞感は漂っていた。 ただし、問題を抱えるにせよ、いまだスウェーデンの試みは日本がすすむべき方向の参考として決して色褪せているわけではない。石川 スウェーデンは移民を積極的に受け入れ、参政権をはじめ外国人政策が充実している国と聞きます。その評価と問題点を教えてほしい。Abreu 外国人にスウェーデン語を教えるための教育制度を整え、教師を養成したが、移民には若い人ばかりではなく中高年の方もいて、当初考えていたよりもうまくいかなかった。制度は大変良く整っている。移民教育は充実していて、次はこのコース、それが終わればまた次のコースと、何年も勉強ばかりしているが、それを生かして富を得ていくことができない。制度はできていても、その結果としての現実はうまくいっていない。言葉ができても働く場がないのだ。石川 そのことに対して、一般のスウェーデン人から反発は起こっていないのか?Abreu 移民の子どものために「母国語教育」や「民族教育」を行なうことは法律にも明記されており、実際に実施されている。しかし教育に費やす国のお金だけが出て行き、国として期待していた成果を生むに至っていない。そして、これに対し反対の意見、つまりもっとスウェーデン社会に溶け込むための教育に力を入れるべきだという意見が強くなっている。 これまでは移民に対しても寛容な気持ちであったのが、一般市民の生活も苦しくなってきたので、移民に対するネガティブな感情も起こっている。移民受け入れも制限していかなければならないだろう。イスラム圏やアフリカからの移民とはうまくやっていくのが難しい。もっともイタリア移民についても、最初のころは「スパゲッティばかり食べてて…」といった無理解もあったが、時間とともに共に慣れていくものなのかも知れないが。石川 制度はできていても現実にうまくいっていないとはどういうことか?Abreu 根本的な問題はスウェーデン社会のメカニズム(機構)にある。この社会は平等であり、階級がない。そこに移民として入って来た人たちは、どんなに高い教育を持っていても、大金持ちになるとか、大きな成功を収めるためのアメリカのようなサクセス・ストーリーの手段がない。私はブラジルに住んでいたが、ブラジルの日本人移民はバイタリティー・上昇志向が強く、彼らが新しい仕事を創り、雇用を生み、それがブラジル社会にも歓迎されている。石川 税金の高いことが企業の国際競争力を妨げたり、勤労意欲を削いでいるのでは?Abreu それはある。これ以上税金を高くしていくことはできない。そんな政策を続けていったらツケを払うのは国民だ。国全体の経済力を上げていく方向に、進路を変えていかなければならない。石川 社会福祉を進める際に、アメリカは行政の制度よりもボランティアイズムを重視している。一方、スウェーデンでは行政による制度が中心でボランティア活動はそれほど盛んでないように思えるが?Abreu その質問はスウェーデンの社会システムの特徴を言い当てている。社会制度を発達させていくことが、社会のなかの個人と個人の関係を薄くしている。 行政による社会福祉制度と、個人による助け合いのバランスが重要なのだが、残念ながらスウェーデンはそのバランスが取れていない。税金を使って制度を整えることのほうを重視してきた。昔の伝統的なスウェーデン社会に戻るべきだと私は思っている。オランダなどでは託児所で働く人の中にはかなりボランティアがいると聞く。この国もこれまでのやり方ではやっていけない。…このかたの個人的な意見もあるのだろうが、当時の政権党(社会民主党)の政策担当者が「もうこれ以上税金を上げて福祉水準を維持することは困難だ、日本のように国全体の経済力を上げていく方向を目指さないと」との発言には驚かされた。 ■////////////////////Abreuさんは外国から来た市議さんに、かなり正直にスウェーデンの問題点をあげているように思います。正直、かなり寛容なスウェーデンですら、政策担当者の声(それも12年前)がこれです。「移民に対するネガティブな感情も起こっている。移民受け入れも制限していかなければならないだろう。」続く
2008年11月16日
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僕は自分のことを、スウェーデンへの移民だと考えたことは一度もない。これからもないだろう。子供のときから、ガイジンといえば、まずはシェーン、ホプキンスであった。そしてギャレット、ライトル、ランス、、などと変わっていく。わかる人はいないか。じゃあ、マニエル、レジースミス、クロマティー、リー兄弟でどうだ?まだわからない?じゃあ、ラミレス、イスンヨプ、ウッズならどう?そう、日本のプロ野球で活躍した外国人選手である。自分のこの国での意気込みも、彼らとおなじつもりである。自分の仕事、能力が必要と判断されるなら雇ってもらえる。ま、それはいいすぎだとしても、役に立つ部分があるから給料が払われ、それに対して仕事をするのみ。日本で、たとえオマリーが何年も日本にいたからといって、彼を移民と考える人はいないだろう。それと同じである。僕はストレンジャー、助っ人ガイジンとしてこの国で仕事をしている。ストレンジャーの立場で町や社会を眺めている。そりゃ、国籍をとれば話はべつよ。サッカーのロペスやさんとすは日本人だけどね。ま、僕がスウェーデンの国籍をとる可能性はないし。以前、同業者でこちらで長い日本人と話をしていて、ま、この国の移民問題に関して話していたら「なにをいっているの?あなたも移民でしょう?」といわれた。たしかにあなたは移民だけど、僕は移民じゃないよ、といいたかったけどいわなかったが。で、これから少し重点的に、この国の移民の問題について書いていきたい。ねたはいくらでもある。「スウェーデン 移民 問題」でぐぐれば52400ヒットする。で、僕がこの国のそういう問題に関して懸念しているかというと、まったくそういうことはない。この国の人の選んだ道だから、ガイジンの僕がなにか意見があるとか、こうするべきだ、なんてことは全く考えていない。そう、目的はひとつ。「他山の石」日本の移民政策を阻止するため、少しでも多くの人に、日本で移民なんか認めたらどうなるか、ということを考えてほしいだけ、それだけである。(続く)
2008年11月16日
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ひさびさに晴れた空をみた。今週はひたすら雨が降って、そのぶん寒くはなかったのだけど、非常に自転車通勤がうんざりもーどだった。今日ははんどんで、帰宅、そうめんとおにぎりをたべる。晴れてるので、あるいて近所のスーパーへ買物へ。いつもの2,8%のビールを購入。で、洗車した。もちろん、自転車である。いちおう名前がある。チャレンジャーというかっこいい名前が車体(ていうかフレーム)にかいてある。スタンドの一部がはずれて立てなくなっているので、そこをテープでとめた。そして、今日中にまただめになった。ちなみに4時過ぎるとすでに暗くなってる。寒い暗いスウェーデンの夜の始まりである。夕方、駅にいってストックホルムの往復チケットをカードにチャージして、かえりに、ぶらりとスポーツバーにたちよった。ばっふぁろーちきん、びーる、チェルシーの試合ちょうどやってた。アイリッシュビアのあと、ひさびさにCoors Lightを飲んだ。酷い味だ。アメリカのビールはバドもあわせて、アメリカで飲むのならまあいいが、他で飲むとちっともおいしくない。店を出たら、いつもは5時過ぎたらゴーストタウンの町がやけにうかれてて、音楽が流れてたり人が沢山あるいてたり、映画館にもひとがあふれていたり、ライトアップがされてたり、と日本で言えば地方の中規模都市以下の規模なんだけどそれなりにもりあがっていた。大聖堂前を自転車で通過。帰宅、土曜日の楽しみのCSI Miamiをみたりして今日は終了。
2008年11月15日
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文句をなんやかんやいいながらも今週も見てしまったアイドル発掘番組Idol2008ま、スウェーデン在住の人で僕のブログ見てる人がどれだけいるか知らないけど、日本に居る人むけにかくと、まずひとりひとり歌って(今週はデュエットもあったけど)その後で審査員が褒めたりけなしたり。それが8時から9時30分。で、別のコメディーとニュースをはさんで、10時30分くらいからまた番組がはじまり、そこで一人落とされる。で、現在残っているのは、女性ふたり。一人はベトナムからの養子できた子。ひとりはたぶんスウェーデン人。男性4にん。ロビンてのがふたり、ヨハンとあと忘れた。ヨハンってのが美少年ビジュアル系なんだけど、歌が酷い。今日も激しく酷かったのでさすがの審査員もよいしょのしようがなくけなした。そして、おとされたのは、、歌がうまいけど、ルックスがそこらへんのいもアンチャンのロビンさん。歌だけなら一番なんだけどね~、ま、しゃーない。ここで女性2男3.今後の展望だけど、女性のうちスウェーデン人は、ぶさいくで毎回当落線上。たぶん2回以内でおとされる。ヨハンをいつ落とすのかがみもの。最後までひっぱるか。個性的といえばアジア系。前にも書いたけど、一回目みたときはいいかなとおもったけど、化粧がひどくて表情もこのみではない。ただ歌は悪くないので最後、ふたりの決戦まで残るかも。あとの男ふたりは歌もルックスも中途半端なので興味なし。こんな感じで今日も辛口となりました。
2008年11月14日
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野球が一番好きなスポーツなんですが、こちらでは放映されるわけがなく(オリンピックの野球の試合の中継すら0)ネットでフォロー。アメリカではふぃリーズ日本ではライオンズが優勝した、というニュースをみた。とくに日本シリーズはもりあがったみたいなので、日本にすんでるひと、うらやましいです。たまたま去年この時期日本に帰ってたので、中日がかった試合など居酒屋でみたりはしました。ライオンズというと、清原、工藤、渡辺選手らが活躍した時代のイメージがやはり強いです。新人類、という言葉が彼らの形容によくつかわれてました。で、筑紫哲也氏死亡のニュースで検索してはじめて知ったんだけど、新人類という言葉をいいだしたのは彼だそうで。僕は彼の考え方とは相容れる部分はないのですが、おもしろがって多事争論は良く見ておりました。合掌
2008年11月12日
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僕の日本人の友人から夜電話があり、話をした。彼は、99年からドイツで仕事をして、2005年から2年間スウェーデンの会社に勤めてそのとき知り合った。そして現在はまたドイツで働いている。彼と僕は仕事の分野こそ違うが年齢が近いこともあり、話があって面白い。で、何が一番あったか、というと、スウェーデン人やスウェーデン社会についての感想、がほぼ一致することであった。スウェーデン在住日本人は現在3000人くらいらしい。さまざまな背景の人がいるだろう。おおざっぱに分けると、男性か女性か、来た理由(勉強しにきたか、研究しにきたか、仕事をしにきたか、もしくは婚姻などできたか)こっちに長いか短いか。などで分けられるだろう。で、なにがおもしろいかというと、その日本人の背景で、スウェーデンへの感想ががらりとかわるからである。で、発言を聞いたら、逆にその日本人がなんでここにいるのかも予想できることである。まず、こっちの高校、大学で勉強しにきた若者。以前、ストックホルム大学に留学している若者のひとりと仲良くなったので、彼を通じて去年まではラピスなどでいろいろ交流をもつことができた。彼らはスウェーデンについて悪くいうことはあまりない。そりゃあ彼らはスウェーデンの学費無料の恩恵を受けているしね。で、研究、仕事できているひとたち。仕事をしているといっても、日本の官庁企業の勤務できている(日本から給料がでている)ひとと、こちらで働いて稼いで税金を払っている人はかなり立場が違う。日本の企業の人と話をしたら、いやー子供を育てるには最高の環境ですねえ!とおっしゃってた。彼らにとっては、基本的には数年交代なので、仕事と家族の環境という視点が重要だとおもわれる。で、給料、住居、引越しなどでの苦労はあまりなさそうである。で、僕とその友人はこちらで働いて稼いでいる。仕事がこの国との接点なので、基本的にスウェーデンにたいして思い入れはあまりない。で、第三者、ストレンジャーの立場で客観的に見ている。そして、すくなからず税金ははらっているので、社会のお金の使い方にはいちおう目は通す。で、そんなふたりが全く違う町の規模、職場で感じた印象が、あらゆることにかんしてほぼ一致したのは面白かった。こっちにきていた日本の一流大学卒一流企業の研究者さんのひとこと「この国に2年以上いたらバカになる」その言葉を残してご帰国されました。ちなみにきっちり短期間でこっちでの学位修得への道筋はたててご帰国。相当なご苦労があった模様。で、僕は2年以上いるのですでにバカの2乗なんだけどね。(ま、補足すると、この国では、最先端を争う研究はアメリカ日本などとは競争にならないでしょうね。夏休み冬休み優先、5時には誰もいないし週末も誰も来ない研究所で勝ち目はないでしょう。だから外国人スタッフでかためているところもあり。ただ、じっくり腰を落ち着けてやる仕事に関しては勝負のしようはある。)僕の友人も結局はスウェーデンの仕事の環境の生ぬるさにいやけがさして、ドイツにもどったとのこと。で、ドイツ人の同僚のスウェーデン人評もまさに同じ。で、最後は婚姻。ま、ほとんどが女性である。こちら在住30年クラスの日本人男性の方々は少なからずいるが、やはり少数だろう。おもしろいことがあった、別の掲示板のやりとりで、え?この人スウェーデンの事まったくしらないんじゃないの?と僕がおもったのだが、次の書き込みで、こちらに長く生活していると自分で書いてた。それは非常におもしろかった。ようするに、立場がどうみてもスウェーデンよりで、スウェーデンのネガティブなことは、そんなことないわ、もしくは、そんなことあたりまえじゃないの、のどちらかに解釈されているようであった。日本人の集まりでもそういう人の発言で会場が一瞬凍りついた経験もアル。ちなみに、こちらに長い男性と話をしても、そういったところは感じられない。で、さらに書くと(例外もたくさんあるので、あらかじめ)スウェーデン在住がながい日本人女性で、日本人女性のよさがなくなり、そしてスウェーデン女性の(日本人男性から見て)いやなところがいっぱいとりいれられて、ちょっと勘弁して、、てな人もいる。これを読んでいるあなたは違いますよ!きっと。ま、婚姻ねたついでで書くと、そもそもこの国の離婚率は高いんだけど、日本人がらみのカップルもその例外ではないよ。ま、これから結婚してこっちに来ようとしている人もいるだろうから、お気をつけて、としかいいようがないけど。もちろん、スウェーデン在住日本人統計をとったわけではないし(そもそもそんな統計はない)ので、あくまで僕の見た範囲で、なんだけどね。話を友人との電話に戻すと、「スウェーデン男性はマスオさんみたいなかんじだよな。」のひとことがおもしろかったです。
2008年11月11日
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同僚の女性で185cmのバスケやってるって若い娘さんがいるのだが、職場に彼女の活躍したネットでの記事が貼ってあったりする。初めて検索したら、トップリーグではないがその下のリーグの現在首位をはしるチームのレギュラーで、ポジションはセンターだそうだ。バスケに興味がないんで、センターがどこなのかわからんけど。で、彼女が今シーズン、ノルウェーに仕事で行くということになっていたけどスウェーデンにとどまってチームにもとどまったことも記事になってた。どうやらチームの主要選手のひとりみたい。去年は最下位でトップリーグから落ちたけど今年はあがれそうらしい。彼女はフルタイムで働いているので、いつ練習しているのかわからないけど(試合は週末)がんばってほしいね。ちなみに美人さんでもある。
2008年11月11日
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ストックホルム駅周辺、夕方、予算、70kr(だいたい1000円か)で語学のクラスの前の腹ごしらえ、日本で東京駅でも大阪駅でも、もし1000円あれば、カレーでもラーメンでもどんぶりでもそばでもうどんでも安い定食でも何でもおいしいものを食べることが出来る。しかーし。ストックホルム中央駅、首都のメインの駅周辺。この値段で食べることが出来るものといえば、サンドイッチ、ハンバーガー、ホットドッグ、ケバブ、ピザ、などのセット。ちなみに駅の横にアジア系寿司もしくはアジア料理屋があるが、酷い。これらのメニューではちっとも心が躍らない。で、また今日も結局マクド、ということになる。マクドで食べて、今日の授業は前回からの続きで、「新聞への投書をかきましょう」その3日本語でも書いたことないのに、、とは思うが、結局は自分の主張を完結にめりはりつけて書く練習。今日の御題は、犬に鎖をつける法律の是非。この国でもやはり、自己主張は結構大事である。ちなみに、ネットの新聞(DN)では、今日は「女性への暴力は家庭のみならず職場でも」がトップ。(ま、ほとんどそんなことはないと思うんだけどね)それ以外でも、女性がらみの記事だらけ。まじでオンナオンナオンナオンナ。この国は、女性の自己主張が強い。男女同権、機会均等はすばらしいと思うが、正直言って、僕の目からしたらハーフラインをはるかに越してるよ。
2008年11月10日
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この以前の日記で書いたとおり、この秋からの連続テレビドラマシリーズのエキストラ出演の撮影がこの2月におこなわれました。で、10月からはじまった水曜日9時からの番組、いつでる?と初回からテレビの前にかじりついていたのですが、1回目、出演なし。2回目、出演ナシ、で3回目、出演ナシ、、ということで、どうやら没になったみたいで、みるのもやめました(裏番組がGreys Anatomyでそっちのほうがおもしろい)没になった原因をいろいろかんがえたのですが、同じ場面でしゃべった通訳の役のエキストラがせりふがけっこうあるのにえんぎがへぼで、そのまきぞえをくったのだろう、という結論に自分で達しました。僕の役は日本から訪問している英語が話せない法学部教授という役柄でせりふは2かしょ。「マルクス?マルクス ハーグルンド??!!」「マルクスさんに、宜しくお伝えください。(日本語で)」というせりふと僕の映像はTV4の編集テープの中でその短い命をおえて夜空の星になりました。合掌おわりさらに余談だが、別の番組で、背景として映っていた姿がスウェーデンで放映された。知人ふたりが僕が映っていることに気付いてくれたので、満足としよう。マルクスさんによろしく、といっしょにいってくれる人はこれをクリックしてね!
2008年11月09日
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ところで、たんなる自慢よた話ですが、Who's Who in the World 2009 というアメリカの紳士録に掲載されますた。下にウィキから転載してますが、選ばれた理由は、まあ、アクターとしての世界的実力を買われて、もしくは、この楽天ブログの質の高さ、といったところでしょうか。もちろん嘘ですが。で、この11月発売とのことですが、自分では、本も記念品も買ってないのですが、もしスウェーデン在住の日本人の記載があったら僕です。(Wikiから転載)Marquis Who's Who(まーくぃーず・ふーず・ふー)は米国の出版社による著名人の略歴を掲載した年鑑版紳士録である。創刊はアルバート・ネルソン・マーキーズ(Albert Nelson Marquis)による1899年発行のWho's Who in America ®であり、この初版には8,602人の著名なアメリカ人の略歴が掲載された。その後、Marquis Who's Who® は種類を増やしながら100年以上にわたって刊行され続けており、ネットワーク上では、半年ごとに更新される有料データベースとしてニフティなどで利用されている。掲載候補者は世界各国の調査員によって、各専門分野ごとの具体的な選択基準(著名組織を代表する地位、インパクトファクター等に代表される学識経験、著名な創作活動(執筆活動・音楽活動・テレビ・映画等)、スポーツでの活動、講演活動、地域貢献)等に基づいて選出され、経歴情報については掲載候補者本人の確認作業を経た上、それに基づいて選抜および掲載されるため、信頼性が高い。特に、Who's Who in the World® はシリーズの中で最も選択基準が高く、国家元首および親族、政府首脳、政界実力者、財界実力者、大企業の経営者、ノーベル賞受賞者などの著名な学識経験者、世界的に活躍する芸術家や芸能人、オリンピックや世界大会のメダリストおよび世界記録保持者、世界的ベストセラー作家のように、国際的に著名である人物は、とりわけ重点的に選出される。これに加えて、無名であっても極めて独創性が高い芸術的・学術的創作活動、顕著な社会的活動を行った人物、とりわけ理工系の科学者も重視する傾向にある。世界各国の大学図書館や企業が所蔵するなど、世界で最も権威ある紳士録とされ、215カ国の約6万人の人物情報が収録されている。(きたメールの一部)Congratulations on being selected for the 2009 Edition of Who's Who in the World! Your inclusion in this exclusive directory distinguishes you as one of the world's foremost achievers in your field. The 2009 Edition will feature over 60,000 leaders from all fields of endeavor and from 215 countries and territories. This special keepsake, which will include your complete biography, can be one that you and future generations refer to again and again. すごい、ぱちぱち、というひとはクリックよろしく。
2008年11月09日
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隠れ皇室王室ヲッチャーのQです。ソースはAftonbladetと、マクドナルドで流れていたニュース。同居していたそうですが、彼女は彼のアパートを出た模様。彼女は写真でしかみたことないのですが、けっこうきれいな人でした。ま、このニュースでわれこそは!と次の彼女のポジションを狙う女性もいることでしょう。関係ないけど、ウプサラの地方紙で、王子がウプサラの大学で勉強しようとしているらしいがまだ願書などでてない、なんて記事もありました。
2008年11月08日
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Idol 2008去年の決勝にのこったふたりはひどかったがはっきりいって、今年も非常にレベルが低い。日本のアイドル全盛時代を知っているが、はっきりいって、比較にならない。歌がうまければいいってもんじゃないでしょ?アイドルと銘打った番組ならてかんじの人がずーっとのこってた。消えたけど。アジア系の女性も、最初見たときはいいかなと思ったけど、2回目観たらたいしたことなかった。日本ではとても最後8人に残るレベルではない。男もたいしたことはないが、女性よりはましか。とか文句をいいながらも今日もみるのかもしれない。ま、ついでといってはなんですがクリックよろしく。
2008年11月07日
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コムロのファンかといえばそうではないがGet Wildは好きだった。My revolutionも勇気付けられた。90年代半ばのtrfの音楽などは軽快で、こっちにきてもたまにYoutubeできいてたしかし、「はやり」の次にまってるのは「すたり」でしかない。絶頂が続くわけはない。町にサウンドがあふれたら、その次は飽きて聞きたくなくなる、それだけ。結局コムロさんは、自分だけはあきられない、とおもってたんかな?絶頂の時に、彼が曲作りについて語っていた。歌に二ヶ所ばかり、キャッチーなさびをいれて、それをつないでいっちょあがり、みたいな感じだったかな。モーニング娘。も盛りを過ぎた。今全盛なのは誰かも知らないが。ただ、一度でもトップを極めることができるスターは限られている。それだけでもその時代に刻まれるわけだから、小室の90年代の栄華の記憶はみんなの心に残り続けるだろう。おわり
2008年11月06日
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水曜日、オバマ氏が大統領当確との記事。スウェーデンのDNで、スウェーデンの首相のコメントの見出し「まず、オバマ氏と気候(の問題)について話がしたい」で、お茶を噴いた。読んでみると、一番のアメリカの問題として、CO2排出規制などに後ろ向きなアメリカの姿勢を問いたい、と。で、2番目にアメリカの経済問題。ま、世界中の政治家はまずは経済問題を優先課題としたいと思うんだけど、この国はそのようなことは超越しているんでしょうかね。もちろん、政治家の全ての発言は、自分のイメージ作りと人気アップのため、でもあるのだろうから、こういえばスウェーデン人(非常に選挙の投票率が高い)にうける、という計算がある、のでしょうかね。ところで、オバマ氏がなるとは正直思ってなかったので、時代はかわったんだな、と思った。アメリカに黒人大統領、なんて、映画の中のお話だけだと思っていた。こんな自分はすでに時代の流れについていってないのかもしれない。ただ、僕は16年前ビルクリントンが大統領選挙に勝った日の演説をたまたまNYのバーで聞いてるし、8年前のブッシュの勝利演説もアメリカで聞いている。大統領が変わったから全てががらりとかわってうまくいく、なんてことはないことはない、てことは、アメリカでも日本の首相がかわって期待してそれを裏切られた思い出などを思い合わせても、よくわかってるんだけど、ま、シニカルなことをいわずにまずはどうチェンジするのか見守っていきたいとおもっております。
2008年11月05日
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早めに仕事をでることができたので、ストックホルムの日本食材屋でまず買物。その近所の日本食レストランの灯りがついてたので、入ったらおやじさんがいてしばしお話それからバスで大学へ。前回提出した、課題レポートが返って来て、それをもとに生徒同士でアドバイス。そういえば、先週「典型的なスウェーデン的な物(者)」という課題で生徒の誰かがスウェーデン人のことをけっこう酷く書いたレポートを出したらしくて、先生がそれをよんで憂鬱な気分になったとのこと。と人事のように書いたけど、実は僕も第一稿では書けば書くほどそんな内容になって、さすがヤバイと思って書き直して無難なのにして提出したんだけどね。みんなスウェーデン生活がながいので、いろいろ思うことがあるんだろうね。休憩の後は、テスト。帰宅。飯食ってくつろいで1時過ぎに寝て、zzzそしたら夜中2時過ぎに呼び出しをくらって、火曜日夕方までふらふらで仕事。火曜日の語学のコースは遅くなりすぎてうけられず。帰宅途中にお持ち帰りすしをかってかえった。なかなかおいしかった。
2008年11月03日
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日曜日は日本人の方のお食事会に誘われて参加昼から大人たちは飲んだくれてました。子供達は楽しそうに遊んでました。夕方からは、Stor i Japanという番組のたぶん最終回。日本の景色がうつるのが楽しみでした。で、夜はCSI MIAMIケイン捜査官の斜めに構えたポーズが好きで仕方ありません。今一番楽しみな番組といってもアメリカの1,2年おくれなんだけどね。
2008年11月02日
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ロシアねたの続きですが、今年読んだ本で面白かったもので、司馬遼太郎の「菜の花の沖」がありました。まだよんでない人は是非よんでもらいたいので内容はふせますが、そこにもロシアとロシア人がでてきます。そして、日本人とロシア人の心の交流があります。そして、北方領土問題というものが、日本人にとっていかに大切かということもわかります。今回のロシア人同僚と一緒に仕事ができていろいろ話ができることは、僕にとっても大きなロシア人との交流となりました。僕らの世代は、ソビエトがまだ世界の大国として君臨していた頃を知っているので、そのころの「米ソ核戦争の恐怖」というのが心に刻まれているように思います。映画「ザデイアフター」の印象も強烈ですし。ちなみに、スウェーデン人にとっても、歴史的にも、そして最近までソビエトが攻めてくる、というのがつねに国防の大問題でした。多分知らない人がほとんどでしょうけど、この国でも核武装が真剣に議論されました。それは日本語で検索しても結局ヒットします。結局その案は採用されなかったわけですが。知人で、若くしてロシア語の大家がいて、今年、日本の大学の教官となってスウェーデンを去りました。彼女の話すモスクワの話は興味深いものでした。以前は必ず警官がパスポートチェックをしてきて難癖つけて賄賂を要求したものだ、と。しかし、それも変わってきたとのこと。今、行きたい町ナンバーワンは、サンクトペテルスブルグです。バルト沿岸のかつてのスウェーデンの都市で、行った日本人によるとバルト海文化を感じることができるらしく、すばらしい美術館もあります。ビザが面倒なのでまだ行くチャンスはないのですが、来年夏にはいきたいなと思っております。
2008年11月02日
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海外にいて楽しいことは、自分の知らない世界で生きてきた人と対話できることでしょう。そして、ここスウェーデンには多くの国の人が集まって、日本にいると話す機会もないような人たちといままではなすことができた。たとえばいままで印象に残っていることのひとつは、タクシーの運転手と話していて、どこからきたの?ときいたら、クルドスタンからきた、という言葉を聞いた時でしょう。その言葉、概念すら全く知らなかったからびっくりしたし、その地域で日本が援助を行っていて非常に感謝している、という言葉ももらった。タクシーの運転手は移民の人が多く、話してとても新鮮だった。いろいろなスウェーデンへの複雑な思いなども時間がたつにつれてでてきた。今の職場では、スウェーデン人、フィンランド人、イラン人、チェコ人、スロバキア人、ロシア人の同僚がいる。正直、スウェーデン人以外と話すほうが面白い。ロシア人の同僚は、数ヶ月だけ他の町の施設からきている。いままでロシア人の知り合いは語学学校にはいたけど、いろいろゆっくり話すことはなかったので、今回がロシア人と話すのは初めてといっていい。年上で非常に紳士で、冷静で、話しても面白い。彼はサンクトペテルブルグからスウェーデンにきてこちらの女性といっしょになってそのまま在住なのだけど、ソビエト時代の話などもきかせてもらった。そして、彼のお父さんが、レニングラード包囲戦を経験していて、その時の話、町をナチスドイツに包囲されて町が飢餓状態に陥った話などを教えてもらった。金曜日の昼食の後、チェコ人の上司のオフィスで、コーヒーを飲みながら3人で話していたら、なぜそんな話になったのか覚えてないけどそのようなロシアやチェコの歴史などの話をきかせてもらった。そしてアメリカの選挙の話などもでた。そういえばスウェーデン人とそんな感じの話しをしたことはあまりないなあと思う。ただ、以前お世話になったスウェーデン語の先生老夫婦はそういうのも好きでスウェーデン人の国連総長がうんたらかんたらなどきかされたことはあるけどね。あとは、南部スウェーデンの人は、家におじいさんとナチスの兵士の記念写真かなにかがあるとかいってたな。ヨーロッパの歴史は読み始めるとおもしろい。辺境といっていい北欧だけでもおもしろいし、それ以外の中心はもっとおもしろい。近代の歴史となると、その時代を生きた人、そしてその下の世代にあたる人からも話を聞ける。バルト3国にいけば占領博物館でソビエトについての彼らの視点がわかるし、ではロシアが血を流してないか、正義がないかといえばそんなこともないわけである。で、スウェーデンという国は、かつては北方の強国でバルト海沿岸を支配したのだが、ロシアに負けて領土を失い。フィンランドを失い、ノルウェーを得てその後独立を許し、その後はふたつの世界大戦に参加せずに無傷で1945を迎えた、というユニークな国である。
2008年11月01日
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今日土曜日は晴れて気分もよい。朝食くって、自転車で買物へ。それもBiltemaという日本で言うオートバックスに自転車グッズ屋と建設業作業グッズ屋があわさったようなみせで、自転車のブレーキをオイルをかって、オーオーベーという安スーパーで、今年ついに、あのスウェーデンの冬には窓でどこででもみられる三角型ランプをかった。なぜかというと、今までで一番安かったからである。あとチョコをはじめお菓子と缶詰など買った。で、帰り道に、墓地をいつも通るのだが、今日は人がかなり多かった。それはAlla Helgons Dagという、日本で言う盆にあたる日だから、だそうである。夕方、Uppsalaで評判の寿司屋さんにいったら閉まってた。Alla Helgons Dagだからだろうけど。そのまま、散歩。Uppsala唯一といっていい見晴らしのいい場所、お城から町と教会、庭園を眺めてたら西の空が赤くなってきた。そしてまたあるいて墓地をぬけると、多くのキャンドルがともされていた。そして、あたりが暗くなり、そして気温も0度くらいになってきた。人が一番集まっているところ、教会の横をみると、多くのキャンドルが一ヶ所で集まってお供えされていた。それは幻想的ともいえる光景で、生きている人々の亡き家族への鎮魂の思いがそのひとつひとつの光のなかに託されていることは言葉はなくても伝わってきた。正直、大きな教会はあるとはいえ、人々からは宗教的な部分はあまりみえないスウェーデンで、初めてそのようなものを垣間見ることが出来た。余談だが、10月31日の夜のニュースの最後で、キャスターがハロウィンの衣装を着て(魔女の扮装)、煙の中に消えた。
2008年11月01日
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朝、まあたっぷり寝ることはできたので、体調はまあまあ。で、働いてさあそろそろ帰ろうかなと思ったら、雪 舞ってます。ちょっと前まで降ってなかったのに。。で、暗くなってきた。で、雪の中を自転車で。寒いし雪は顔面に当たって痛いし、うんざりしながら帰宅。で、シャワー浴びてしばらくして外みたら、、雪やんでた。。酷く降ったときに走ったみたい。しばらく待つ、というのも大切だね、というか、やむかどうかなんかわからないから待つのも無理なんだけど。たしかに、11月を前にこの調子では思いやられるね。バスか歩くかにきりかえるべき?
2008年10月31日
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朝は雨は降ってなかったけど、夜軽くふってたのか、路面は明らかに凍結。おそるおそる通勤。で、夕方から酷い頭痛におそわれる。で、外は雨。傘差して雨の中自転車で帰りました。帰ってすぐ薬飲んで寝たらしばらくして、職場から呼び出し。いかざるをえず、また雨の中自転車で戻る。ま、薬がきいて頭痛はおさまったけどね。やはり寒さ対策はさらに必要ですな。今年の冬がいままでとちがうのは、いままではバス電車通勤だったのが、自転車通勤になったこと。もちろん、冬はやばいなあ、と思っていたのですが、やはり、さむいくらいつめたいこわいあぶない、ですな。気を引き締めないとね。夜は職場の当直室でねました。
2008年10月30日
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水曜日朝、窓の外の温度計は氷点下。で、朝の出勤、いつものように自転車でで、交差点で右に曲がったとたん、路面が凍結、プラス、減速が十分でなくスピードが出てたのか、スリップ、右手をついて停止。ま、ようするにこけたわけです。で、この転倒でチェーンがはずれて直すのに数分経過。ま、すりきずひとつですんだのですが、気をつけないとね。この時期、まだ冬のタイヤに履き替えてない車も多く、スウェーデンは危険にあふれているといっていいでしょうね。やれやれ。
2008年10月29日
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みなさんごぶさたしております。26日日曜日にサマータイム終了。時計の針を1時間戻して、本来の時間になりました。そもそも夏は昼が長いスウェーデンでサマータイムはほとんど意味がないと思うのですが、他のヨーロッパの国との関係上、てことでしょうかね。9月10月といえば、、9月は仕事の関係でロンドンにいってきました。物価が高い!しかし最近ポンドが暴落しているみたいですね。ギネスの黒ビールを楽しみました。観光はバッキンガム宮殿くらいかな。10月は日本人と飲み会がありました。みなさん気分良く飲んでました。11月12月と暗く寒くなってきますが、正直、もう慣れました。
2008年10月29日
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今日はストックホルムで語学の日だけど、仕事が休みだったので、早々に電車に乗ってストックホルムにいって、いきつけの日本食レストランへ。ご主人らにご挨拶。やきにく寿司セットを注文。借りてた本を返して、雑誌を読む。スピリッツなどがあるが、どうも最近おもしろくないね。風の大地はやっぱいいねえ。沖田圭介みたいな男になりたいものよのう。しばらくして、日本人の女性が来店。こちらでの生活30年超の方3人とお話。やっぱスウェーデン人男性はやさしくていいわよ。とか日本人男性がスウェーデン人女性とくっついても、たいてい捨てられるのよ。とか、いろいろおはなししたけどそんな話が印象にのこった。ランチタイムも終わり、おばさま2人といっしょに韓国食材店、日本食材店、そしてHotorgetとまわる。その後、もう一軒日本人経営すしやさんにのぞく、といっても食べるわけではなく、ご挨拶。みんな知り合いってわけね。そこにも日本人の女性が来店されてて挨拶。日本人の会としては、ストックホルム日本人会以外にも、S会という集まりもあり、もちろん同業者同士のつきあいなどもあり、他の日本人の方々の動向なども話題に登ってた。やはり、海外においても日本人社会というのは、大切なものであることは間違いないでしょうね。いい時間になったので退出して、大学のほうへむかった。そんな昼下がりでした。
2008年09月01日
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一部で話題になっていたELT持田香織の最新の歌声を聞いたhttp://jp.youtube.com/watch?v=Bh8phrI-hsUこれは悲しいくらい酷いすでに、プロの歌い手としてのレベルではない。本人はなぜ生番組にでてきたのだろう?泣きはしないが、10年前の思い出とELTの歌声はリンクしている。ま、昔の歌を聞けばいいのだけどね。スウェーデンの映画館で、宮崎作品の「紅の豚」封切り僕がみたのはもう20年以上前だけど、好きな作品のひとつである。宮崎駿さんがいい、というこえはこちらでもたまにきく。しかし、僕は最近の「ハウル」を日本で見て?x10000くらいだった。というか、作品全てを評論するほどはみてもないのだけど。カリオストロ、ナウシカは好きである。紅の豚はたぶん、スウェーデン人も気に入ることだろう。時間があればいってみようかな
2008年08月30日
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