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2021.06.02
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カテゴリ: 那覇市



うるま市伊計島の「伊計神社」を訪れた際に「伊計ノロ」の中村ユキ子さんに出会いました。神人(カミンチュ)の中村さんは「伊計権現堂」で神のお告げを聞き、私に「首里十二ヶ所巡り」をするように伝えてくれました。那覇市首里にある四つの寺に十二支が祀られており、自分の干支のみならず十二全ての干支を参拝するように勧めてくれたのです。十二支あっての自分の干支であり、四つの寺で祈る事で次の扉が開くと教えてくれました。


(慈眼院/首里観音堂)

(慈眼院の石碑)

「首里十二カ所巡り」とは那覇市首里にある四カ所の寺院に祀られている十二支の守り本尊を巡拝して、健康や開運を祈願する琉球王国時代から大切に継承される首里伝統の風習です。「首里十二支巡り」や「寺回り(テラマーイ)」とも呼ばれ現在でも多くの参拝者が沖縄県内のみならず日本全国から祈りに訪れます。琉球王国時代より寺院は王府に大切に保護されてきました。現在は十二支を守護する全八体の仏像が首里にある四つのお寺に祀られています。まず一つ目の寺は那覇市首里山川町にある「慈眼院(首里観音堂)」です。


(慈眼院本殿の本殿)

(萬歳嶺記の石碑/観音竹)

臨済宗妙心寺派萬歳嶺「慈眼院(首里観音堂)」の守り本尊と干支は「千手観音菩薩(子)」「虚空蔵菩薩(丑・寅)」「普賢菩薩(辰・巳)」「勢至菩薩(牛)」の四支です。「萬歳嶺(ばんざいれい)」とは「上(ウィー)ナチジナームイ」とも呼ばれていた首里台地の西端に位置する丘です。1617年に後に国王となる「尚豊」が国質として赴いていた薩摩から無事に帰国しました。首里に入港する船が丘から見えて「万歳」を繰り返した事から「尚豊」の父「尚久」がその丘を「萬歳嶺」と名付け、千手観音像を奉じ「観音堂」と「慈眼院」を建立しました。


(大平山安國寺/仁王門)



那覇市首里寒川町にある臨済宗妙心寺派太平山「安國寺」は、第一尚氏の第六代「尚泰久王」の時代(1457年)に開山した歴史ある禅寺です。「安國寺」の守り本尊と干支は「不動明王(酉)」です。「安國寺」はもとは那覇市首里久場川町に位置していましたが康熙13年(1674年)に現在地に移転しました。沖縄戦で寺院が焼失し住職も戦死しましたが、戦後に復興し現在に至っています。


(安國寺/首里森十二支堂)

(安國寺/観音菩薩)

「安國寺」は県立首里高校と世界遺産の「玉陵(たまうどぅん)」に隣接した閑静な地域に位置しています。「尚泰久王」や次代の「尚徳王」(位1461~1469年)の時代には「護佐丸・阿摩和利の乱」や「鬼界島征服」が行なわれ、多くの人命が失われたことから「安國寺」創建の動機として、敵味方問わず供養を行ない善願をもって日々に願いを立て冥福を祈る目的があったと考えられます。また、世祖の冥福を修し当君の健康を祈るために造られた梵鐘にみえることから、戦乱の世を沈め平和を懇願する意図が建立に込められていたと思われます。


(西来院/達磨寺)

(達磨寺本殿)

那覇市首里赤田町にある臨済宗妙心寺派「西来院(達磨寺)」の開山は菊隠宗意、山号は達磨峰、寺号は達磨寺です。1573~1619年に建立されたとされていますが、実際の建立時期はそれよりも前にあり「西来院(達磨寺)」の守り本尊と干支は「文殊菩薩(卯)」と「阿弥陀如来(戌・亥)」です。建立当初は那覇市儀保町ありましたが明治時代に現在地に移設されました。沖縄戦で消失しましたが直ぐに再建され「首里十二カ所巡り」や健康、開運、安産祈願で沖縄県内外から多数の参拝者が訪れます。


(南無水子地蔵菩薩)


(稲荷大明神)

(ニ尊堂)

「首里十二カ所巡り」は沖縄の言葉で「テラマーイ」と呼ばれ、自分の守り本尊(守護仏)を知り、今生に感謝しながら巡礼することを意味します。本殿には「達磨仏」の銅像が設置されており「なぜだるま」として長年に渡り参拝者に撫でられて祈願されています。「達磨寺」の境内には、観音様や水子地蔵が祀られたお堂があります。本殿前の鐘の脇を下りると正面に「稲荷大明神」の鳥居があります。その奥に弁財天と観世音菩薩が祀られた「二尊堂」や「金運神社」が建立されています。




(盛光寺本殿)

臨済宗妙心寺派「盛光寺」の詳しい建立時期は不明ですが、明治元年には那覇市久米に存在していました。明治の後期頃に現在の那覇市首里宜保町に移転しました。沖縄戦で消失してしまいましたが、十二代住職により再建され現在に至ります。「盛光寺」の守り本尊と干支は「大日如来(未・申)」です。「盛光寺」のニ階にある本殿には「釈迦如来坐像」が祀られており"今月のことば"として「本来無一物」と「親が拝めば 子が拝む 拝む姿の 美しや」と掲載されていました。


(涅槃堂)

(智拳印の釈迦如来坐像)

「盛光寺」の一階には「涅槃堂」の納骨堂があり「釈迦如来坐像」が祀られています。「釈迦如来坐像」は「智拳印」の印相を構えています。「智拳印」とは「大日如来」独特の印相で、最高の智慧を表している姿だと言われています。右手が左手の指を包むような形は、インドで"清浄の手"とされる右手が「仏」を表し"不浄の手"とされる左手が「衆生」を表します。つまり「仏」の智慧が「衆生」を包み込むことを表しています。薄暗い納骨堂には「釈迦如来坐像」が醸し出す静かで優しい雰囲気に包まれていました。




(盛光寺の石碑)

「盛光寺」本殿の「本来無一物」とは「事物はすべて本来、空(くう)であるから、執着すべきものは何一つない」という事を意味します。「涅槃堂」の納骨堂の入り口には「宜保のお地蔵さん」と呼ばれる「南無地蔵菩薩」が祀られています。菩薩像の足元には二十六体のお地蔵さんが並んでいます。「涅槃堂」の正面に「心の内に仏あり」と刻まれた石碑があります。「首里十二カ所巡り」の最後を締め括る素晴らしい言葉で、私は「伊計ノロ」の中村ユキ子さんの言葉を思い出しました。

「神に祈る事は人として自然な事だが、神は祈っても何かを叶えてくれる存在ではない。祈る人の心を変えるのが神なのです」






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最終更新日  2022.03.06 23:41:30
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