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2021.08.28
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カテゴリ: 嘉手納町



沖縄本島中部西海岸の嘉手納町「兼久集落」に「嘉手納マリーナ」があり、敷地の最南端の「砂辺集落」との境にある海岸沿いに「野國總管の墓」が佇んでいます。「野國總管(のぐにそうかん)」は琉球王国時代の沖縄本島の北谷間切野国村(現嘉手納町野国)の進貢船乗組員でした。日本が慶長年間(1596-1615年)に当たる時期に「總管」の役職に就いており、個人名は「与那覇松(ヨナハマチュー)」と推定されています。「野國總管」は中国に渡り甘藷(かんしょ)を琉球に持ち帰り貧困から人々を救った偉人として「芋大主(ウムウフシュ)」と呼ばれ沖縄の人々に親しまれています。


(Kadena Marinaの入口)

(甘藷発祥の地/野國いも宣言の碑)

「嘉手納マリーナ」がある地域は北部にNavel Kadena(ネーブルカデナ)ショッピングセンターと兼久海浜公園、東部から南部にかけて広大な米軍嘉手納基地が続いています。沖縄戦後に米軍に接収され米兵や米軍関係者の為のリクリエーション施設としてビーチ、BBQエリア、レストラン等が整備されました。Kadena FSS (旧18th Force Support Squadron)のSeaside (旧Seaside Ristorante)というレストランがあり、米軍のみならず民間にも解放されています。「嘉手納マリーナ」の入口は「野國貝塚郡」が分布しており「甘藷発祥の地/野國いも宣言の碑」が建立されています。


(野國總管の墓)

(甘藷発祥之地の碑)

「嘉手納マリーナ」の最南端にある「野國總管の墓」は1700年(元禄13年)、当時の野国村の地頭であった野国正恒親方が「野國總管」の功績を讃え、その供養も兼ねて石厨子(厨子甕と呼ばれる骨壷)を造り「野國總管」の遺骨を安置しました。その石厨子は沖縄戦で米軍により破壊され、現在「野國總管の墓」は屋根形の石蓋のみが昔のままに残っておりウコール(香炉)が設置されています。墓の脇には「甘藷発祥之地の碑」が建立され「野國總管」の偉業を讃えています。


(野國總管の立像)



国道58号線を嘉手納ロータリーから読谷村方面に向かうと左側に「嘉手納町商工会」があり、その敷地には「野國總管の立像」が建立されています。この立像は以前「嘉手納マリーナ」の入口に建てられていましたが、現在は移転されています。立像は「野國總管」が左手に中国から持ち帰った甘藷の苗を大切に抱えている姿を表しており、その堂々とした風貌からは威厳を感じ取れます。さらに、嘉手納町のマンホールには甘藷のデザインが施され「甘藷発祥の地」を誇り高く示しているのです。


(野國總管宮)

(友好の獅子像/向かって左)

(友好の獅子像/向かって右)

「野國總管の立像」の西側にある嘉手納町立嘉手納小学校/中学校の北側で比謝川沿いに「野國總管公園」があり、敷地内に「野國總管宮」が建立されています。嘉手納町の偉人である「野國總管」の魂を祀った神社は、隣接する小中学校の生徒が地元の偉人と歴史を学ぶ教育に役立つと共に地元愛を育んでいます。鳥居の麓には獅子像が2体設置されており「野國總管」に甘藷を紹介して栽培方法を伝えた中国福建省の泉州市恵安県人民政府から友好親善の証として1993年に寄贈されました。


(親志の土帝君)

(野國總管之碑)

「野國總管」は嘉手納町出身の偉人ですが、北側に隣接する読谷村の「親志集落」にも「野國總管之碑」が祀られています。「野國總管の墓」から北に約8キロほどの「親志集落」に「親志の土帝君」があります。「土帝君」とは中国の土地神信仰に起源を持ち、功労があった高徳の人が死後に土地神となり家や集落の守り神となると信じられています。沖縄にも土地神信仰が広く伝わり、沖縄本島やその周辺部では農業神としても良く知られています。読谷村の「親志集落」では「野國總管」を土地神として崇めて「土帝君」の祠の脇に「野國總管之碑」が祀られています。


(野國總管の座像)

米軍嘉手納基地北側の嘉手納町と沖縄市が隣接する場所に「道の駅かでな」があり、敷地内には「野國總管の座像」が建立されています。座像の左手には大きな甘藷があり貧しい人々に分け与える様子を醸し出しています。琉球王統(第二尚氏王統)の人物である儀間村地頭の儀間真常は「野國總管」が甘藷の苗を持ち帰ったことを聞きつけ「野國總管」から栽培法を学び、その後に琉球各地に広めました。その後、琉球から「琉球芋」として薩摩へ伝わった甘藷は、青木昆陽(あおきこんよう)によって全国に広められました。そのため薩摩の名をとり現在では「さつまいも」と呼ばれるようになったのです。


(野國總管の墓がある嘉手納マリーナ)








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最終更新日  2022.03.06 23:20:08
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