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2021.12.27
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カテゴリ: 浦添市



「テラブガマ」は沖縄本島中南部、国道58号線沿いの浦添市「牧港(まきみなと)」にあるガマで、沖縄の方言で「ティラ」とも呼ばれる琉球石灰岩で形成された自然洞窟です。「ティランガマ」とも呼ばれる 洞窟内の広さは約30平方メートルで、 現在は御嶽として多くの参拝者が訪れる拝所となっています。沖縄戦の際には「テラブガマ」は防空壕として利用され、子供から年寄りまで多くの住民が集団自決した悲劇の場所としとも知られています。


(牧港の殿)

(テラブガマ入り口の拝所/右側)

(テラブガマ入り口の拝所/左側)

「テラブガマ」洞穴の外にある前庭は「牧港の殿(トゥン)」と呼ばれる祭祀場で、現在はソテツ( 蘇鉄)が生い茂っています。石段を下ってガマに入るとガマの入り口を守るように左右両側に拝所があり、それぞれ円形に数個の石が組まれて中央には霊石が祀られています。多くの参拝者がヒラウコー(沖縄線香)やウチカビ(あの世のお金)をお供えする神聖な場所となっています。この「テラブガマ」には洞窟が所在する「牧港(まきみなと)」の地名の由来となった有名な伝説が残されています。


(テラブガマ内部の1つ目の拝殿)

(1つ目の拝殿の左側にある拝所)

源頼朝と源義経の叔父にあたる「源為朝(ためとも)」は平安時代の武将でした。身長が2mを超える巨体に加え気性が荒く、強弓の名手で「鎮西八郎」と名乗り、周囲からは剛勇無双と恐れられていました。1156年の「保元の乱」では父親の「源為義」と共に「崇徳上皇」方に加勢いしましたが戦に敗れ島流しになります。伊豆大島に流される時に暴風雨が起こり「為朝」は天を仰いで『運命天にあり、余何ぞ憂えん』と言い運を天に任せました。その数日後に沖縄本島今帰仁(なきじん)のある港にたどり着き、その漂着した地を「運天(うんてん)港」と名付けたのです。


(テラブガマの2つ目の拝殿)

(2つ目の拝殿の左側にある拝所)

その後「為朝」は沖縄本島南部の現南城市に移り住み「大里按司」の娘である「思乙(おみおと)」を妻に迎えて男児の「尊敦(そんとん)/後の舜天王」が生まれました。やがて「為朝」は京都に攻めて「平氏」を打ち破ろうと妻子と共に浦添の港から船出しましたが、伊江島付近に来ると急に
暴風が起こり進めなくなったのです。船頭に「女が乗っているから竜宮の神が怒っているのだ」と言われ、仕方なく 幼子の「尊敦(舜天)」と妻の「思乙」を港に降ろし「為朝」は一人日本に帰ったのでした。


(テラブガマの最奥の拝殿)

(テラブガマ内部の甕)

(テラブガマの石柱)

それから4年後「為
必ず帰ってくるという「為朝」との約束を信じて、今日帰るか明日帰るか、と毎日「テラブガマ」で暮らしながら待ち続けましたが虚しく月日 が流れるばかりでした。「思乙」と「尊敦(舜天)」が待ちわびた港である「待港(まちなと)」が現在の「牧港(まきみなと)」となったと伝わっているのです。「テラブガマ」は古より五穀豊穣、家内安全、航海安全を祈る拝所の洞窟でした。今日は沖縄戦で集団自決したは人々の魂を鎮める拝所も祀られている歴史が詰まったガマとなっています。


(牧港ガー)

「牧港テラブガマ」の南側に「牧港ガー(マチナトガー)」という井泉があります。地元では「シマヌカー」や「ウブガー」とも呼ばれる湧き水で、正月の若水や子供が生まれた時の産水に使用されていました。干ばつでも枯れないほど水量が多く、とても美味しい水で有名だったと伝わります。「牧港ガー」の水は近くのクムイと呼ばれる池に貯められ、洗濯用水から馬や牛の水浴び用水、その後に田畑に流れ込む仕組みになっており、湧き水を最後まで有効利用する工夫が為されていました。


(タチチガー/立津ガー)

(タチチガーの拝所)

「牧港ガー」の南側で「伊祖グスク」の東側に「タチチガー(立津ガー)」という井泉があります。「タチチバル(立津原)」にある事からこの名称で親しまれており、また近くに「伊祖グスク」がある事から「イージュガー(伊祖ガー)」という別名もあります。「琉球国由来記(1713年)」には「伊祖グスク」の用水にも使用されていた記述があり「英祖王」との深い関わりがあり「天人由来(羽衣伝説)」が残る由緒ある湧き水です。昔はガマ(洞窟)から水が湧き出ていましたが、時代と共に修復され現在の形になっています。「タチチガー」には拝所があり祠内には3つの霊石が祀られています。昔から住民により水の神様に感謝を捧げる聖地となっているのです。







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最終更新日  2022.03.06 22:47:45
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